東海道

日本橋から旧中山道を歩き始め、京都三条大橋に着いてから早いもので約4年半もの月日が流れた。思い返せばついこの前のような気がしてしまうのは、年齢を重ねるごとに時間の流れが速く感じる故だろうか。そろそろ京都から歩いて東京へ戻ろうかと思いつつ、なかなかその一歩が踏み出せない日々が続いていたが、ようやく重い腰を上げる時が来たらしい。80歳でエベレスト登頂に挑む三浦雄一郎氏の勇姿に触発されて、その半分くらいしか生きていない自分が東海道くらいを踏破しなくてどうするんだと。以前から一度行ってみたかった比叡山の登山ついでに、三条大橋から旧東海道を日本橋へ向けて歩こうと決意した。ゴールデンウィークのほとんどを仕事に費やし、その疲れも取れきらぬ5月中旬、東京駅から久々の東海道新幹線に乗車して京都へ向かった。
関ヶ原合戦から翌年の慶長6年(1601年)、江戸城を本拠に着々と地盤を築きつつあった徳川家康は五街道の整備に着手する。当然ながらその2年後に開かれることになる江戸幕府を念頭に置いてのことだろう。五街道は江戸日本橋を起点に北へ向かう日光街道・奥州街道、西へ向かう東海道・中山道・甲州街道からなり、中でも江戸と京・大坂を最短に結ぶ東海道は、その最たる幹線道として機能した。現在もその流れは受け継がれ、太平洋岸に沿って関東と関西を結ぶ東海道新幹線をはじめ、国道1号線や東名高速道路は日本の交通路における大動脈である。
東海道は日本橋を起点に武蔵・相模・伊豆・駿河・遠江・三河・尾張・伊勢・近江の各国に置かれた53の宿場町を経て山城国の京・三条大橋へ至る延べ距離約126里(約495km)の街道。当初は御油宿と赤坂宿が一つの宿場であり、後に箱根宿が新設されたりして今に知られる東海道五十三次が完成するのは寛永元年(1624年)のこと。道中には1里(約4km)毎に一里塚が設置され、相模国の箱根と遠江国の新居に関所を置いて”入り鉄砲に出女”と言われる通行人の取り締まりが行われた。旧東海道については多数のガイドブックが刊行されている他、ホームページやブログにも多数書かれており、参考にする資料が豊富にあるおかげで旧街道ルートを辿るのに苦労はなさそうだ。

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