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粟田口・青蓮院

【2013年5月19日(日)旧東海道 三条大橋→大津宿 道中】
三条通白川橋から東側の蹴上・九条山にかけての一帯に、粟田口という古い地名が残っている。粟田口は奈良時代以前から開かれた土地で、古代の豪族粟田氏の本拠があり粟田郷を称したことに地名の起源がある。平安京遷都以来、この地は都と東国を繋ぐ古道の出入口で交通・軍事上の要地であり、粟田の地名に”口”の字を補ってその意味合いを強めたのだろう。平安時代末期以降、名刀”小狐丸”を打った伝説の刀匠・三条小鍛冶宗近をはじめ、多くの刀鍛冶が住居を構えて職人町の様相を見せた。近世には京都七口(洛中へ繋がる各街道の出入口)の一つに数えられ、中でも東海道・中山道の京都出入口に位置する粟田口辺りは、江戸期を通して人や物資の往来で大変な賑わいをみせたことだろう。元和年間(1615年~1624年)には瀬戸焼き物の技術が入り、”粟田焼”と呼ばれる陶器の産地にもなった。

その粟田口にあるのが青蓮院だ。三千院・妙法院に並ぶ天台宗三門跡の一つ。天明の大火(1788年)の際に後櫻町上皇の仮御所となったことから粟田御所の別名がある。青蓮院のはじまりは伝教大師最澄が比叡山に建てた僧侶の住居”青蓮坊”にあるとされ、これを平安時代後期の久安6年(1150年)天台座主行玄が三条白川の地へ移し、美福門院(藤原得子、鳥羽上皇の皇后で近衛天皇生母)の御願寺として青蓮院に改称。行玄の弟子であった鳥羽法皇の第七皇子が入寺して以来、皇族や摂関家の子弟が門主(住職)を務める”門跡寺院”となった。室町時代中期の応仁元年(1467年)応仁の乱が勃発し、青蓮院の建物はことごとく灰燼に帰して長らく荒廃、室町末期になって豊臣秀吉や徳川家康により復興された。明治26年(1893年)に火災があり、好文亭・御幸門・長屋門を残して大部分の建物を焼失。好文亭も平成5年(1993年)放火により焼失した。

旧東海道 粟田口


青蓮院長屋門とクスノキ
明治26年の火災を免れた長屋門とクスノキの巨木。この長屋門は明正天皇(後水尾天皇の第二皇女、女帝)の時、中和門院(近衛前子、後水尾天皇の生母)御所のものを移築したというから、江戸時代初期の建築か。


青蓮院小御所
拝観入口から渡り廊下を通って小御所へ。写真奥に見える建物が後櫻町上皇の仮御所となった小御所。しかし当時の建物ではなく、明治26年の火災後に江戸中期建築の建物を移築したもの。


相阿弥の庭
小御所から相阿弥の庭を眺めて。ほっと心が休まります。


青蓮院中庭
新緑の若葉が清々しいカエデ。秋には見事な紅葉が見られるのだろう。


青蓮院宸殿
青蓮院宸殿。東福門院(徳川秀忠五女、後水尾天皇中宮で明正天皇生母)の御所を移転。明治26年の焼失後に復興。写真右の簾中に天皇及び歴代門主の御尊牌を祀っており、写真撮影禁止のためここまで。


濱松園
重要文化財の濱松図襖。江戸時代、狩野派による作。明治26年の火災を免れたようで、宸殿が東福門院御所として使われていた時代の襖絵だという。


青蓮院宸殿
青蓮院宸殿。


孝明天皇御常用の板輿
孝明天皇御常用の板輿。江戸時代の超高級車だ。


青蓮院華頂殿
華頂殿にて。相阿弥の庭を眺めながらひと休み。相阿弥の庭は龍心池を中心に据える回遊式庭園。多くの人が縁側に腰かけてゆったりと流れるひと時を過ごしてました。


青蓮院小御所と龍心池
ひと休みを終えた所で外へ。青蓮院小御所と龍心池。


青蓮院好文亭
後櫻町上皇の学問所として使われた好文亭。明治期以降は茶室として利用していたが、平成5年の放火により焼失
。2年後に創建当初の平面図を基に復元された。


青蓮院本堂
御本尊”熾盛光如来”の曼荼羅を安置する本堂。写真はその裏手にあたり、国宝の青不動画像(複製写真)を安置している。


青蓮院宸殿
青蓮院宸殿の外観。

青蓮院大玄関
式台付きの立派な大玄関。一般の拝観者はここから出入りできません。


青蓮院四脚門
こちらは青蓮院境内への正式な出入口となる四脚門。この門を潜り抜けた先に大玄関がある。もちろん一般の参拝者はこの門を潜ることはできない。長屋門と同じく中和門院の門を移築したもので、明治26年の火災を免れた貴重な建築物。


知恩院三門
青蓮院を後にして少々足を延ばし、知恩院へ。宗祖法然上人の終焉地に建てられた浄土宗総本山。境内入口の三門前には大型観光バスが停まり、多くの観光客で賑わう。高さ24m、横幅50mという巨大なこの門は、元和7年(1621年)徳川二代将軍秀忠の命により建立された。


知恩院御影堂
法然上人の御影を安置する御影堂。大殿とも称される知恩院の中心をなすこれまた巨大な御堂だ。寛永16年(1639年)徳川三代将軍家光によって再建されたもので、平成14年(2002年)国宝に指定。昨年1月より大修理が始まり、現在は写真を見ての通りの状況。何と修理完了に約8年もの年月を要する工程で、それまで内部に入ることはできないらしい。残念。


八坂神社大鳥居02
知恩院からもうちょいと足を延ばし、是非とも参拝したかった八坂神社に行こう。写真はその境内南出入口となる南楼門に立つ大鳥居。多くの観光客や修学旅行生が参拝に訪れていた。


八坂神社南楼門
南楼門から境内へ。


八坂神社本殿・舞殿
日本三大祭りであり京都三大祭りの一つ、京都祇園祭で有名な八坂神社。素戔嗚尊(すさのおのみこと)をはじめ櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)、八柱御子神(やはしらのみこがみ)を祭神に祀り、全国各地に2~3千社あるという八坂系神社の総本社である。慶応4年(1868年)神仏分離令により現社名となる前は祇園社などと称していた。


八坂神社西楼門
八坂神社西楼門。天気はそこそこ良かったのに、いつの間にやら暗雲が垂れ込めて雨が降り始める。八坂神社の散策はここで終わりとし、白川を遡って旧東海道の三条通へ戻ろう。


一本橋
白川に架かる一本橋。「比叡山の阿闍梨修行で千日回峰行を終えた行者が、粟田口の尊勝院の元三大師に報告し、京の町へ入洛するとき最初に渡る橋であり、行者橋とも阿闍梨橋ともいわれる。」と、橋袂に説明書がある。普通に渡ることができる石橋だが、橋幅が狭いうえ手すりすら無く、落っこちた人もいるのではなかろうかと、余計な心配。一休さんではないが、端(橋)を渡らない方がよいだろう。


白川橋
雨が本降りとなり始めた頃、白川橋に戻って旧東海道歩きの続きを。


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日ノ岡峠越え

【2013年5月19日(日)旧東海道 三条大橋→大津宿 道中】
粟田口から蹴上を経て旧東海道最初の難所、日ノ岡峠を越える。古来より人馬の往来を困難にした日ノ岡峠は、元文3年(1738年)木食正禅上人による3年がかりの改修工事で勾配が緩められ、更に上人は峠の途中に木食寺梅香庵を構えた。そこで井戸水を石亀の口から落とし、石水鉢に受けて旅人に茶を、牛馬には飲料水を提供したという。しかしながら雨が降ると道がぬかるみ、物資を輸送する牛車の通行は困難を極め、江戸時代後期の文化年間になって三条大橋から大津にかけての約12㎞に渡り、表面中央部を削った石を敷き連ねて人工の轍をつくる工事がなされた。以来、雨が降れども牛車の通行は容易になったという。車石と呼ばれるこの石は明治初期の開削工事により撤去されてしまうのだが、道中の所々で再利用や保管されて残っており、往時の様子を偲ぶことができる。

旧東海道 日ノ岡・山科

関連記事
日ノ岡峠越え(旧中山道歩きの記事)


粟田神社
旧東海道の京都出入口、粟田口に鎮座する栗田神社。これからの道中の安全を祈願して。


都ホテル京都
三条通から仁王門通が分岐する蹴上交差点の角にある都ホテル京都。


三条通(旧東海道)・蹴上
蹴上交差点を右方向へ。蹴上の三条通を進む。


京都市蹴上浄水場
三条通右手にある京都市蹴上浄水場。明治45年(1912年)竣工し、京都市で初めて給水を開始した浄水場。毎年五月初旬に一般公開され、場内に植えられる約7千本のツツジやサツキを鑑賞できる。


三条通(旧東海道)・九条山
九条山を行く三条通。この辺りで日ノ岡峠の頂を迎えていたはずだが、現在は開削されて三条通が貫き、緩やかになった勾配の道にかつての難所の面影はない。江戸時代まで付近に粟田口刑場があった。


日ノ岡峠旧道
三条通から旧道が分岐する地点に展示される車石のモニュメント。平成9年(1997年)ここを通っていた京阪電鉄京津線が廃線、その軌道敷を利用して三条通の4車線化と歩道の整備事業がなされ、その際に三条通の舗石として使われていた車石を利用して設置された。


車石
これが車石。石の表面中央に溝を刻み、これを並べて人工の轍道をつくったわけだ。


日ノ岡峠旧道
三条通と旧道の分岐点。右の小径が旧東海道。


日ノ岡峠旧道
日ノ岡峠旧道。


日ノ岡峠旧道
日ノ岡峠旧道。


日ノ岡峠旧道
同じ家が並ぶ地点から旧道は下りに。酔っぱらって帰ったら間違えそう…。


日ノ岡峠旧道にて
ニホンザルが出没するようで。しかも”その猿、凶暴につき”。


日ノ岡峠旧道にて
ここは鬼門なり!さすが京都だ。


大乗寺石段
旧道に接する大乗寺参道の石段。雨に濡れて上るのは大変そうだが、せっかくの機会なので参拝しよう。


大乗寺にて
生憎の雨だが、こんな珍客に出会えることも。最近、私の生活圏では見かけなくなった気がする”でんでん虫”。


大乗寺
大乗寺本堂。大乗寺は約300年前、七本松内野(現 上京区鳳端町)に禅宗系の寺として開基。後に法華宗へ改宗したと伝わる。代々尼寺として受け継がれ、江戸時代後期に大本山本能寺の末寺となった。昭和55年(1980年)現在地に移転したが無住の荒れ寺状態が続き、平成4年になってようやく住職が入って復興が進められた。


大乗寺の酔芙蓉
現在は1500本もの酔芙蓉という花が群生する”酔芙蓉の寺”として知られる。酔芙蓉は9月から10月にかけて花を付け、その花びらは朝は白色、午後には淡い紅色、夕方から夜にかけ紅色に変色するらしく、だんだん赤みを帯びることから酔芙蓉の名が付いたという。しかし、花を見るには時期尚早だったようで…。


亀の水
大乗寺から山科方面へ少々行ったところにある亀の水。木食正禅上人ゆかりの井戸水であるが、立入禁止となっており以前に訪れた時とは様相が随分と違っている。所有者と参拝者の間に何らかのトラブルがあったのだろうか。
【関連記事】
日ノ岡峠越え


亀の水
しばらく手が入っていないようで、亀の水は荒れ放題の状態。近寄れないので確認できないが、水も枯れてしまっているように見える。何があったのかわからないが、残念だ。


日ノ岡峠旧道
亀の池を過ぎると旧道は直線一気の下りに。かつては下りきった辺りに日本橋から124里目(約487km)となる御陵一里塚があったというが、現在は場所の特定ができない状態。


日ノ岡峠旧道
旧道はここで再び三条通に合流。


天智天皇山科陵入口
天智天皇山科陵入口。三条通の向こうに見える冠木門は京阪京津線の軌道跡を利用して設けられた遊歩道入口。平成9年(1997年)東西線が開通、京津線は東西線に乗り入れする形態となり、京津三条駅~御陵駅間の軌道は廃止になった。東海道の旧道と間違いかねないので要注意。


天智天皇山科陵
天智天皇山科陵への参道。


天智天皇山科陵
天智天皇山科陵。一般人の立ち入りは宮内庁の管理事務所と鳥居が置かれるここまで。この奥に陵墓がある。飛鳥時代に権力を誇った豪族蘇我入鹿を排除し、大化の改新を成し遂げた中大兄皇子こと天智天皇。暗殺説など色々と謎多き天皇であるが、ここで今の世をどのような思いで見られているのだろうか。


三条通・御陵進藤町
三条通を進み、東海道本線のガード下を潜って。


三条通・御陵進藤町・御陵別所町
ガード下を潜り抜けてすぐ、旧道は三条通を左に分かれる。


五条別れ道標
旧東海道の路傍に残る五条別れ道標。写真直進方向は三条大橋への東海道(三条通)、左折が五条大橋へ向かう分かれ道。


五条別れ道標
五条別れ道標は宝永4年(1707年)建立。「右ハ三条通」、「左ハ五条橋 ひがしにし六条大佛 今ぐまきよ水道」と刻む。右へ行けば東海道(三条通)、左に行けば五条大橋、ひがしにし六条(東本願寺・西本願寺)、大佛(方広寺のこと、江戸期を通じて”大仏”の通称)、今ぐま(今熊野)、きよ水(清水寺)へ至る近道であることを示す。


五条別れ道標
五条別れ道標の建立者、「願主 沢村道範」の文字がはっきり読み取れる。この御仁、江戸中期の京都で数多くの道標を建てたことで知られる人のよう。沢村道範ブランドの道標を探し歩くのも面白い京都散策になりそう。


旧東海道・大津畑橋
安祥寺川に架かる大津畑橋を渡り山科の中心部へ。


旧東海道・安朱桟敷町
山科駅前、メトロモールという商業ビル横を行く旧東海道。ビル脇に京都洛東ライオンズクラブが建立の旧東海道の石碑がある。歩く者にとってはこうった配慮が嬉しい。


旧東海道・山科駅前交差点
山科駅前交差点を行く旧東海道。


山科地蔵徳林庵
山科地蔵の名で知られる徳林庵。ここの六角堂に安置する地蔵尊は、保元2年(1157年)後白河天皇の勅命により京都の主要街道6ヶ所に安置された地蔵のうちの一体。小野篁が1本の木から六体の地蔵を彫り出したと伝わるものだ。その六地蔵を巡ってお札を集め、家の入口に吊るすと厄病退散・家内安全にご利益があるとされる。


山科六地蔵徳林庵の六角堂前に残る道標
山科六地蔵徳林庵の六角堂前に残る道標。下側が埋もれて読み取れないが、「伏見六ぢざう」「南無地蔵」の字が見える。五条別れ道標と同じく沢村道範が施主で、元禄16年(1703年)の建立。山科六地蔵から伏見六地蔵へと至る道を案内しているらしい。


旧東海道・横木1丁目
旧東海道を歩いて四ノ宮から横木へ。


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小関越え

【2013年5月19日(日)旧東海道 三条大橋→大津宿 道中】
山科~大津宿間の旧東海道は2通りのルートがある。一つは本道である逢坂越え、もう一つはその北側を通る裏道で、逢坂越えを大関に例えて小関越えと呼ばれた。4年半前、旧中山道を大津から山科へ向かうときは逢坂越えを歩いたので、今回は小関越えを歩いてみよう。

小関越えは横木1丁目で旧東海道を北へ分かれ、小関峠を越えて大津宿札の辻(現 京町一丁目交差点)で逢坂山ルートの旧東海道と合流する約4kmの道程。中世以前の北陸道(北国海道とも、畿内から北陸へ通ずる古道)の一部分だという。京都から三井寺(園城寺)へ至る最短ルートだったことから、その参詣道としての一面を併せ持っていたようで、文政5年(1822年)に「三井寺観音道」「小関越」と刻む大きな道標が横木の分岐点に建てられている。

旧東海道 小関越・逢坂越


小関越・逢坂越の分岐点
ここが小関越えと逢坂越えの分岐点。写真左方向が旧東海道の京都方、右に分かれる道が小関越え。常夜燈と大きな道標(下写真)が残る。


小関越・三井寺観音道の道標
小関越・三井寺観音道の道標。文政5年(1822年)定飛脚問屋山中三店による建立。高さ2mを超える立派なものだ。


小関越・逢坂越の分岐点
小関越旧道に入り振り返って分岐点を撮影。


小関越旧道 横木1丁目
横木1丁目を行く小関越旧道。旧街道のらしさを感じる。


藤尾道踏切
藤尾道踏切を渡り。


小関越旧道 茶戸町
用水路脇を進む。


大津市横木2丁目にて
用水路に佇むアオサギ。


小関越旧道 茶戸町
旧道は東海道本線によって分断。写真左奥方向へ直進していたと思われる。線路奥に見えるトンネルは逢坂山トンネル。


徳丸稲荷大明神
逢坂山トンネル入口上に鎮座する徳丸稲荷大明神。


小関越旧道 藤尾奥町
東海道本線を越えて寂光寺の案内板に従い旧道を進む。


小関越旧道 藤尾奥町
西大津バイパスの高架橋へ向かい。


小関越旧道 藤尾奥町
高架橋下を潜り抜けると普門寺参道入口で道は二又に。右方向が小関越旧道。


普門寺
小関峠の上り口にある普門寺。延暦寺第5代座主で園城寺の宗祖円珍(智証大師)が貞観15年(832年)に開基。文明3年(1471年)浄土真宗本願寺派に改宗した。


小関越旧道 藤尾奥町
普門寺横から旧道は本格的な上りに。


小関越旧道 藤尾奥町
旧道らしさが漂う雰囲気ある峠道。


琵琶湖硫水第一竪坑
旧道より琵琶湖疏水第一竪坑を見る。琵琶湖疏水は琵琶湖の水を京都へ引くために設けられた水路。明治維新期の東京遷都で活気を失った京都復興のため、明治18年(1885年)年に着工、5年後の明治23年に完成した。三井寺下から藤尾にかけて全長2436mにも及ぶ第一トンネルが掘られた際、藤尾側から約740mの地点に深さ約50mの坑道を垂直に掘り下げたのが写真の第一竪坑。ここからトンネル両端に向かって掘り進めると共に換気・採光の役割も果たした。

京都市上下水道局:琵琶湖疏水
http://www.city.kyoto.lg.jp/suido/page/0000006469.html


小関越旧道 藤尾奥町
小関越旧道。


小関越旧道 藤尾奥町
峠道の旧道は頂上付近で車道に合流。写真左の小径が藤尾側から上ってきた旧道。


小関峠地蔵
小関峠にある小さな御堂。喜堂(よろこびどう)と称する。中には小さな小関峠地蔵を安置している。


小関峠地蔵
喜堂に安置する小関峠地蔵。人里離れた場所ながらも地元の方々に大事にされているのだろう、手入れが行き届いている。数十年前の道路拡張工事の際、草むらに放置されていた地蔵を見つけここに安置したという。


小関越旧道 小関町
小関峠を大津へ向かって下ろう。大津側の小関越旧道は道幅が広がり、しっかり舗装がなされている。


小関越旧道 小関町
沿道に建物がぽつぽつと現れはじめ。


小関越旧道 小関町
墓地前に並ぶお地蔵さんの前を、緩やかになった峠道を下って小関町の中心部へ入って行く。


等正寺
小関町の中心部、等正寺前を通って。等正寺は堅田の漁師源兵衛の首を安置することで知られる。本願寺中興の祖蓮如が法難を受け、親鸞の御影を三井寺に預けた。後に返却を請うと三井寺は引き換えに生首を差し出すよう要求。熱心な浄土真宗門徒であった源兵衛は、この話を聞き自らの首を刎ねさせ差し出したという。大津市内にはここ等正寺の他に本堅田の光徳寺、三井寺町の両願寺にそれぞれ源兵衛の首を安置しているらしく、同一人物の首が3つもあるのは何故なのか。謎である。


新光寺
等正寺と旧道を挟んで相対する新光寺。


小関天満宮の大鳥居
小関天満宮参道入口に立つ大鳥居。社殿が写真右手奥にあったのだが、この大鳥居を残して跡形も無く更地の状態に。どういった経緯あってのことか不明だが、慶長年間(1596~1615年)創建という長い歴史ある神社が消滅してしまうのは痛ましい。いずれこの大鳥居も撤去されてしまうのだろうか。


小関越旧道 小関町
小関越旧道と三井寺道の分岐点。写真奥へ延びる道が小関峠への旧道で、右折する道は三井寺へ向かう。左折したところに上写真の小関天満宮大鳥居がある。分岐点には石造小関越道標が残る。


石造小関越道標
石造小関越道標。「左り三井寺 是より半丁」「右小関越 三条五条いまくま 京道」「右三井寺」と刻む。その隣は「蓮如上人御舊跡 等正寺」「かたゝげんべゑのくび」と刻む等正寺の案内道標。


小関越旧道 三井寺町
小関越旧道はここで旧西近江路(北国海道)に合流し右折。


小関越旧道 長等2丁目
連続する鉤の手の道を過ぎると、大津宿札の辻へはもう少し!


京町1丁目交差点
ここ京町1丁目交差点が大津宿札の辻で、逢坂越の東海道と小関越・西近江路(北国海道)が合流した地点。多くの人馬が往来して賑わった大津宿の中心部である。高札場が置かれ南西角(写真右手前角)には馬や人足を提供する人馬会所があった。


大津市道路元標
京町1丁目交差点角、人馬会所跡にある大津市道路元標。


京阪京津線
逢坂越えの旧東海道(現 国道161号)。国道のど真ん中を路面電車とは明らかにスケールが違う4両編成の列車が走り抜ける。大津ならではの光景だ。


京町1丁目交差点
京町一丁目交差点より小関越旧道(旧西近江路)を望む。


京阪京津線
しばし京阪京津線を見物。写真は上栄町~浜大津間の国道161号に合流する地点。踏切ではなく列車を信号待ちする車。実に面白い光景だ。


旧東海道 大津宿
すっかり日が暮れた中、大津宿内を歩いて。


JR大津駅
本日の歩き旅はここで終い。JR大津駅から京都駅へ。


京の茶だんご
新幹線の車中、京都駅の土産物屋で買った京の茶だんごを食べながら。


【旧東海道歩き 第1日目】
三条大橋→日ノ岡峠→小関越→大津宿→JR大津駅 歩行距離約15km
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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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