大岡越前の領地を通って
【旧東海道歩き 第13日目】東岡崎駅→岡崎宿→藤川宿→藤川駅
【2015年5月23日(土)旧東海道 岡崎宿→藤川宿】
岡崎の桜まつりからひと月半過ぎた5月の土曜日、再び岡崎に。満開に咲き誇った桜も青々とした葉桜に変わる新緑の季節、岡崎宿から次の藤川宿まで歩こう。旧投町(現 岡崎市若宮町)で岡崎宿江戸方(東側)出入口を出た旧東海道は、”かけの郷”と呼ばれた立場の旧欠村(現 岡崎市欠町)から旧大平村(現 岡崎市大平町)を経て乙川を渡る。岡崎宿の東側に位置する大平村は寛延元年(1748年)東大平村と西大平村に分かれ、東大平村が幕府領、西大平村は西大平藩の藩領となり陣屋が置かれた。西大平藩の初代藩主は江戸南町奉行、大岡越前守忠相。”大岡裁き”と称される時代劇でも馴染みの名奉行である。旗本格の奉行職にすぎない忠相が、異例の1万石を有する大名になったのは晩年72歳の時、それから僅か3年で忠相は没したが、明治の廃藩置県を迎えるまで7代にわたり大岡家が西大平藩主を務めた。

東岡崎駅から岡崎宿江戸方(東側)出入口に向かう途中、明代橋南袂に”みかちゃんのえさ”なる自販機が。せっかくなので50円を投入して購入。みかちゃんとは一体なに?

”みかちゃんのえさ”を乙川に巻いてみたところ、どこからともなく立派な鯉が集まりはじめ…。

川面のエサをめぐってえらい騒ぎに…。この鯉たちの愛称が”みかちゃん”らしい。

みかちゃんに別れを告げ、乙川河畔を歩いて東進。吹矢橋付近から乙川下流を望む。

川面に突き出た流木をよくよく見てみれば、孤高のミドリガメが天を仰ぐ。

旧東海道歩きの再開前に岡崎市郷土館の旧額田郡公会堂・物産陳列所を見学。こちらは旧額田郡公会堂で大正2年(1913年)の竣工。西洋建築の様式を取り入れた大正ロマンを感じさせる建物だ。老朽化が進み平成22年に一般公開を中止しており、残念ながら内部の見学はできない。

旧額田郡公会堂に併設する旧物産陳列所。旧額田郡公会堂と同年の竣工。郡立公会堂・物産陳列所が揃って現存している例は数少なく、貴重な建築遺構だという。共に国の重要文化財に指定。

岡崎宿江戸方(東側)出入口の冠木門モニュメント。ここから次の藤川宿に向けて旧東海道歩きを再開。

旧欠村(現 岡崎市欠町)を行く旧東海道。路傍に秋葉山常夜燈が残る。

欠町の秋葉山常夜燈。文政13年(1830年)建立。

法光寺門前の坂道を下って。

坂道を下りきったところで旧東海道は国道1号に並行。

筋違橋で更沙川を渡河し岡崎市欠町から大平町へ。昔は筋違橋付近に「従是西岡崎領」と刻む領界石が置かれていた。

大平町に入って間もなく、旧東海道筋に松並木が現れる。

松並木の下には立派な松ぼっくりがあちこちに。

さすがは長い歴史のある松から落ちた松ぼっくり。サイズ、形とも申し分ない。これらを集めて伊勢湾で獲れた蛤を焼いてみたい。

岡崎インター西交差点付近、旧東海道松並木。松が若く、近年に植樹復元されたのだろう。

国道1号と愛知県道26号が立体交差する岡崎インター西交差点。

更沙川と松並木。右手に旧東海道が通る。

岡崎インターにより旧東海道は消失。ここは右側にインター下を潜り抜ける歩道を進む。

インター下を潜り抜けると左横にホテル伍萬石と旧東海道が現れる。

ホテル伍萬石の天守。岡崎藩5万石の藩庁岡崎城をイメージしたラブホのよう。

大平八幡宮参道入口。更沙川改修記念碑があり、更沙川を渡った先に一の鳥居。

大平八幡宮は創立年代不詳、安永6年(1777年)現在地より南西に位置する八ツ幡の地より遷座、明治5年(1872年)村社に列せられ、明治42年(1909年)白山社、御鍬社、日枝社を合祀した。

境内で羽を休めるヒオドシチョウ。

大平八幡宮にて。

旧大平村(現 岡崎市大平町)西側出入口付近。

江戸日本橋から80里目(約314km)、京三条大橋からは38番目(実測で約189km地点、七里の渡しを27.5kmとして測定)となる大平一里塚。現存する南塚上には榎の大木があったが昭和20年(1945年)の台風で倒木、2代目が立派に育っている。北塚は昭和3年(1928年)道路改修により撤去。

南塚の対面、北塚跡には秋葉山常夜燈と地蔵堂がある。

上野山専光寺。

旧東海道沿いの岡崎大平郵便局から東側一帯は西大平藩陣屋跡。初代藩主の大岡越前守忠相は江戸に居住する定府大名のため、藩領である西大平の地に訪れることは無かった。

陣屋跡の西側面、白壁を両脇に従える立派な高麗門が建つ。

陣屋跡内は庭園に整備され、西大平陣屋に関する解説板を置く。

西大平藩陣屋の井戸跡。

陣屋跡に鎮座する大岡稲荷社。西大平藩の初代藩主、大岡越前守忠相は豊川稲荷本尊の”吒枳尼真天(だきにしんてん)”を厚く信仰、江戸赤坂の藩邸内に豊川稲荷より分霊して赤坂稲荷を祀り、ここ西大平陣屋にも大岡稲荷を建立した。現社殿は平成14年(2002年)に再築。

陣屋跡より少し東に進んだ所、男川西小学校交差点。ここは旧東海道と旧作手道の分岐点。右方向が旧東海道、左方向が旧作手道。

旧東海道・作手道の分岐点に残る道標。

旧東海道を分かれた作手道。この道を行けば江戸時代初期に作手藩の藩領だった旧作手村(現 愛知県新城市作手)に至る。

旧作手道沿いにある大橋商店にて。

大平上町公民館横に建つ秋葉山常夜燈。 弘化4年(1847年)建立。

大平町東交差点北東角にある東光山薬師寺。

大平町東交差点で旧東海道と国道1号が交差。

国道1号から東へ延びる旧東海道。

大平町市木の旧東海道筋にある”つぢや呉服店”。老舗を感じさせる店構え。

看板建築の裏に旧商家の佇まいを残す八百兼商店。

旧大平村(現 岡崎市大平町)の東端付近、この先に乙川が流れる。

乙川に向かう旧東海道。

旧東海道の乙川渡河地点に架かっていた大平橋跡。当初は土橋であったが、元禄9年(1696年)に49間(約89m)の板橋に架け替えられた。現在は旧橋より上流部に国道1号の大平橋が架橋され、旧東海道の大平橋は無い。

乙川対岸にサラブレッドらしき動物が…。野良馬!?

大平橋跡西詰辺り。小屋の中では。

白馬のポニーが一心不乱に草を食べてました。
【2015年5月23日(土)旧東海道 岡崎宿→藤川宿】
岡崎の桜まつりからひと月半過ぎた5月の土曜日、再び岡崎に。満開に咲き誇った桜も青々とした葉桜に変わる新緑の季節、岡崎宿から次の藤川宿まで歩こう。旧投町(現 岡崎市若宮町)で岡崎宿江戸方(東側)出入口を出た旧東海道は、”かけの郷”と呼ばれた立場の旧欠村(現 岡崎市欠町)から旧大平村(現 岡崎市大平町)を経て乙川を渡る。岡崎宿の東側に位置する大平村は寛延元年(1748年)東大平村と西大平村に分かれ、東大平村が幕府領、西大平村は西大平藩の藩領となり陣屋が置かれた。西大平藩の初代藩主は江戸南町奉行、大岡越前守忠相。”大岡裁き”と称される時代劇でも馴染みの名奉行である。旗本格の奉行職にすぎない忠相が、異例の1万石を有する大名になったのは晩年72歳の時、それから僅か3年で忠相は没したが、明治の廃藩置県を迎えるまで7代にわたり大岡家が西大平藩主を務めた。

東岡崎駅から岡崎宿江戸方(東側)出入口に向かう途中、明代橋南袂に”みかちゃんのえさ”なる自販機が。せっかくなので50円を投入して購入。みかちゃんとは一体なに?

”みかちゃんのえさ”を乙川に巻いてみたところ、どこからともなく立派な鯉が集まりはじめ…。

川面のエサをめぐってえらい騒ぎに…。この鯉たちの愛称が”みかちゃん”らしい。

みかちゃんに別れを告げ、乙川河畔を歩いて東進。吹矢橋付近から乙川下流を望む。

川面に突き出た流木をよくよく見てみれば、孤高のミドリガメが天を仰ぐ。

旧東海道歩きの再開前に岡崎市郷土館の旧額田郡公会堂・物産陳列所を見学。こちらは旧額田郡公会堂で大正2年(1913年)の竣工。西洋建築の様式を取り入れた大正ロマンを感じさせる建物だ。老朽化が進み平成22年に一般公開を中止しており、残念ながら内部の見学はできない。

旧額田郡公会堂に併設する旧物産陳列所。旧額田郡公会堂と同年の竣工。郡立公会堂・物産陳列所が揃って現存している例は数少なく、貴重な建築遺構だという。共に国の重要文化財に指定。

岡崎宿江戸方(東側)出入口の冠木門モニュメント。ここから次の藤川宿に向けて旧東海道歩きを再開。

旧欠村(現 岡崎市欠町)を行く旧東海道。路傍に秋葉山常夜燈が残る。

欠町の秋葉山常夜燈。文政13年(1830年)建立。

法光寺門前の坂道を下って。

坂道を下りきったところで旧東海道は国道1号に並行。

筋違橋で更沙川を渡河し岡崎市欠町から大平町へ。昔は筋違橋付近に「従是西岡崎領」と刻む領界石が置かれていた。

大平町に入って間もなく、旧東海道筋に松並木が現れる。

松並木の下には立派な松ぼっくりがあちこちに。

さすがは長い歴史のある松から落ちた松ぼっくり。サイズ、形とも申し分ない。これらを集めて伊勢湾で獲れた蛤を焼いてみたい。

岡崎インター西交差点付近、旧東海道松並木。松が若く、近年に植樹復元されたのだろう。

国道1号と愛知県道26号が立体交差する岡崎インター西交差点。

更沙川と松並木。右手に旧東海道が通る。

岡崎インターにより旧東海道は消失。ここは右側にインター下を潜り抜ける歩道を進む。

インター下を潜り抜けると左横にホテル伍萬石と旧東海道が現れる。

ホテル伍萬石の天守。岡崎藩5万石の藩庁岡崎城をイメージしたラブホのよう。

大平八幡宮参道入口。更沙川改修記念碑があり、更沙川を渡った先に一の鳥居。

大平八幡宮は創立年代不詳、安永6年(1777年)現在地より南西に位置する八ツ幡の地より遷座、明治5年(1872年)村社に列せられ、明治42年(1909年)白山社、御鍬社、日枝社を合祀した。

境内で羽を休めるヒオドシチョウ。

大平八幡宮にて。

旧大平村(現 岡崎市大平町)西側出入口付近。

江戸日本橋から80里目(約314km)、京三条大橋からは38番目(実測で約189km地点、七里の渡しを27.5kmとして測定)となる大平一里塚。現存する南塚上には榎の大木があったが昭和20年(1945年)の台風で倒木、2代目が立派に育っている。北塚は昭和3年(1928年)道路改修により撤去。

南塚の対面、北塚跡には秋葉山常夜燈と地蔵堂がある。

上野山専光寺。

旧東海道沿いの岡崎大平郵便局から東側一帯は西大平藩陣屋跡。初代藩主の大岡越前守忠相は江戸に居住する定府大名のため、藩領である西大平の地に訪れることは無かった。

陣屋跡の西側面、白壁を両脇に従える立派な高麗門が建つ。

陣屋跡内は庭園に整備され、西大平陣屋に関する解説板を置く。

西大平藩陣屋の井戸跡。

陣屋跡に鎮座する大岡稲荷社。西大平藩の初代藩主、大岡越前守忠相は豊川稲荷本尊の”吒枳尼真天(だきにしんてん)”を厚く信仰、江戸赤坂の藩邸内に豊川稲荷より分霊して赤坂稲荷を祀り、ここ西大平陣屋にも大岡稲荷を建立した。現社殿は平成14年(2002年)に再築。

陣屋跡より少し東に進んだ所、男川西小学校交差点。ここは旧東海道と旧作手道の分岐点。右方向が旧東海道、左方向が旧作手道。

旧東海道・作手道の分岐点に残る道標。

旧東海道を分かれた作手道。この道を行けば江戸時代初期に作手藩の藩領だった旧作手村(現 愛知県新城市作手)に至る。

旧作手道沿いにある大橋商店にて。

大平上町公民館横に建つ秋葉山常夜燈。 弘化4年(1847年)建立。

大平町東交差点北東角にある東光山薬師寺。

大平町東交差点で旧東海道と国道1号が交差。

国道1号から東へ延びる旧東海道。

大平町市木の旧東海道筋にある”つぢや呉服店”。老舗を感じさせる店構え。

看板建築の裏に旧商家の佇まいを残す八百兼商店。

旧大平村(現 岡崎市大平町)の東端付近、この先に乙川が流れる。

乙川に向かう旧東海道。

旧東海道の乙川渡河地点に架かっていた大平橋跡。当初は土橋であったが、元禄9年(1696年)に49間(約89m)の板橋に架け替えられた。現在は旧橋より上流部に国道1号の大平橋が架橋され、旧東海道の大平橋は無い。

乙川対岸にサラブレッドらしき動物が…。野良馬!?

大平橋跡西詰辺り。小屋の中では。

白馬のポニーが一心不乱に草を食べてました。

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