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深名線 天塩弥生駅跡

深名線起点の深川駅から114.6km、終点名寄駅から7.2kmの地に設けられていた天塩弥生駅。その始まりは昭和12年(1937年)、名寄駅から深名線の前身となる名雨線が開業し、その終着として初茶志内駅が開業する。昭和16年(1941年)初茶志内駅~朱鞠内駅間が延伸開業、名寄駅~深川駅間が全通したことで、この駅間の鉄路は深名線と名付けられた。その後の昭和26年(1951年)初茶志内駅は天塩弥生駅に改称、当初は有人駅だったが昭和57年(1982年)に 無人化され、平成7年(1995年)深名線廃止に伴い廃駅に。初茶志内の名はアイヌ語の「ハツクチ・ウシ・ナイ」(葡萄、子桑の多い川)に由来し、駅付近を流れる初茶志内川を指す。改称後の天塩弥生の駅名は、現在の地名である”弥生”に旧国名”天塩”を冠したもの。北海道に弥生という地名が多く存在していたため、オリジナリティを出すための配慮と思われる。

空中写真_天塩弥生_1977
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7712-C13A-15を基に作成
昭和52年(1977年)9月撮影の西名寄駅付近

天塩弥生駅が有人駅だった昭和52年(1977年)撮影の空中写真。青屋根の立派な駅舎とその南東側に島式ホームが確認できる。駅舎側の1線は既に廃線となっていたようだ。駅から西へ約500mに弥生小学校(昭和53年廃校)の校舎や体育館らしき建物と校庭が見える。





天塩弥生駅跡
天塩弥生駅跡。ん!?更地になっていると思いきや…。


旧天塩弥生駅前通り
道道798号から分かれる旧駅前通り。その突き当りには駅舎らしき建物が建築の最中。これは復元駅舎なのか?


天塩弥生駅跡
復元駅舎らしき建物の裏手へ。どう見ても駅舎である。建築関係者の方にこの建物について聞いてみたが、「何も知らない。」とのつれない返答。周辺にはレトロな電信柱も立てられており、明らかに往時の天塩弥生駅前を復元しているように思えるのだが…。


天塩弥生駅跡
天塩弥生駅跡より名寄方(東側)を望む。往時には島式ホームがここにあったはず。


天塩弥生駅前
天塩弥生駅前にある民家。「駅長事務室」の看板を壁面に掲げ、窓には様々な列車の行先票が並ぶ。


天塩弥生駅前
旧駅前通りと道道798号の分岐点、ジェイ・アール北海道バスの天塩弥生停留所が設けられている。


天塩弥生停留所
ジェイ・アール北海道バスの天塩弥生停留所。


深名線廃線跡 
天塩弥生駅跡名寄方(東側)の踏切跡より名寄方面の廃線跡を望む。鉄路の路盤が確認できる。


天塩弥生駅跡
同上の踏切跡より天塩弥生駅跡を望む。廃線跡脇にレトロな電信柱が立ち、奥には建築中の復元駅舎らしき建物。ここに線路が敷かれれば、往時の天塩弥生駅がここに再生するだろう。次に来たときにどうなっているのか楽しみだ。


みずほパーキングエリア
天塩弥生駅跡から道道688号を通って次の北母子里駅跡へ向かう。その途中の名寄峠を越える名母トンネルの手前にある”みずほパーキングエリア”で小休止。


みずほパーキングエリア
みずほパーキングエリアからは彼方に名寄市街を一望。


みずほパーキングエリアからの眺望
深名線は名寄駅から天塩川を渡り、眼下に広がるこの大森林の中を進み、初茶志内トンネルと名雨トンネルで山脈を抜けて北母子里駅に至っていた。


みずほパーキングエリアから遠望
名寄市街をズーム。ここで名寄市とはお別れ、名寄峠を越えて幌加内町に入ろう。


撮影日:2015年8月7日(金)
【 参考サイト 】
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テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

深名線 北母子里駅跡

幌加内町最北端の集落、母子里。昭和53年(1978年)2月にマイナス41.2℃という日本最低気温(非公式)を記録した地である。そのはじまりは昭和4年(1929年)、北海道大学演習林の林内小作人募集を契機に入植者が集まり村落を形成、当初は「茂知」と表記したが同5年(1930年)母子里へ改称、同6年(1931年)に母子里尋常小学校が開校した。昭和16年(1941年)初茶志内駅(後の天塩弥生駅)~朱鞠内駅間が延伸開業、深名線の全通に伴い北母子里駅が開業し、母子里地区は昭和25年(1950年)世帯数87戸、人口618名を数えて全盛を迎える。しかし日本は高度経済成長期に突入、昭和30年代から都市部への人口流出が徐々に増加し、平成5年(1993年)母子里小中学校が廃校、同7年(1995年)には深名線が廃止され北母子里駅は姿を消した。その後も過疎化の流れは止められず、平成26年(2014年)1月には世帯数19戸、人口34名まで減少している。

母子里市街の中心をなした北母子里駅。深名線起点の深川駅から99km、終点名寄駅から22.8kmに位置する。当初は有人駅だったが、乗降客減少により昭和59年(1984年)無人駅に。駅名の由来は所在地名の母子里に北を冠したもの。根室本線に同読みの茂尻駅があり、混同を防ぐために北を付けたといわれる。母子里という地名の由来はアイヌ語の「モシリ・ウン・ナイ」(島のある川)にあり、母子里地区を流れるモシリウンナイ川を指す。”茂知”から当て字を”母子里”に変えたのは、入植者が子を授かったのを機に改称したのが理由らしい。深名線廃止後に撤去された駅舎跡は携帯電話の中継基地に姿を変えたが、島式ホームだけは今も草むらに埋もれつつも残存、駅前には北海道大学の母子里製材実習工場が木造古建築の佇まいを残す。豪雪地帯の道北にあっては貴重な建造物遺構である。

空中写真_母子里_1977
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7710-C16-20を基に作成
昭和52年(1977年)10月撮影の北母子里駅付近

北母子里駅駅が有人駅だった昭和52年(1977年)撮影の空中写真。駅前通りの突き当りに深名線廃止まで現存していた駅舎と島式ホームが確認できる。駅舎の両隣に建物が見えるが、貨物関係の建屋か。駅前に母子里製材実習工場をはじめ、赤屋根の建物が数棟あり、北海道大学雨竜地方演習林関係のものと思われるが、詳細不明。





北母子里駅跡
北母子里駅跡。写真中央、道の突き当りに駅舎があった。深名線廃止から3年後の平成10年(1998年)に駅舎は撤去、その跡地にはNTTの携帯電話中継基地局が設けられている。


旧北母子里駅前通り
駅跡前より旧駅前通りを望む。


北母子里駅跡
北母子里駅跡構内。写真右手に駅舎、左手に島式ホームがあった。


北母子里駅跡
草むらの中にホームが残存!ちょっと驚き。


北母子里駅跡04
北母子里駅が廃止されたのが今から20年前、残存するホームに時の流れを感じよう。


北母子里駅跡にて
駅跡の探索中に珍客到来、クワガタのメスです。


北母子里駅跡にて
これから間もなくして飛んでいった。短い北海道の夏を謳歌してほしい。


北母子里駅跡
北母子里駅跡ホームより名寄方面の鉄路跡を望む。


北母子里駅跡
北母子里駅跡ホーム上より深川方面、右手の携帯電話中継基地が駅舎跡。


母子里製材実習工場
駅前に残る北海道大学雨竜地方演習林の母子里製材実習工場。大正期の建築らしく、佇まいがすばらしい。北海道帝国大学農学部に在籍する学生の実習に供するため建てられた。豪雪地帯に残る貴重な木造の古建築であろうが、老朽化が進んでいるように見える。国指定とは言わずとも、せめて北海道遺産に指定し、大雪で倒壊しないよう保存してほしい。


母子里製材実習工場
入口の隙間より工場内部を少々拝見。製材機械が設置され、梁に使用される材木は比較的新しいようにみえる。現在もこの工場は使われているのだろうか。


天使の囁き橋
旧駅前通り、赤石川に架かる天使の囁き橋。平成2年(1990年)完成。”天使の囁き”とは、ダイヤモンドダストのことを指し、大気中の水蒸気が凍って氷の結晶となり、太陽光で輝いて見える自然現象をいう。北海道内陸部では厳冬期にしばしば見られる。昭和53年(1978年)に-41.2℃という日本最低気温を記録した2月17日は、「天使の囁き記念日」として日本記念日協会から正式認定されている。


旧北母子里駅前通り
天使の囁き橋西詰より北母子里駅跡を望む。


旧北母子里駅前通り
天使の囁き橋より。国道275号(空知国道)へ向かって延びる旧駅前通り。


母子里簡易郵便局
旧駅前通り沿いにある母子里簡易郵便局。


母子里クリスタルパーク
北母子里駅跡より北へ直線距離で約800m、母子里クリスタルパークに。写真の建物は入口付近にある案内所。この公園は日本最低気温を記録したことを記念し、平成7年(1995年)に開園した。


母子里クリスタルパーク案内所
母子里クリスタルパーク案内所内。母子里に関する展示室を設けている。


母子里クリスタルパーク案内所
母子里の年次別気象を記すパネル。日本最低気温(-41.2℃)を記録した昭和53年(1978年)の最高気温が8月3日の33℃、その気温差はなんと70℃以上!想像を絶する。


母子里クリスタルパーク案内所
母子里クリスタルパーク案内所の展示室にて。


母子里クリスタルパーク
本日の母子里の気温は8月初旬ながら24.9℃、快適です。


母子里クリスタルパーク
案内所の周辺は白樺林のパークゴルフ場に整備。


パークゴルフ場
パークゴルフ場の6番ホール。


パークゴルフ場
パークゴルフ場にて。


クリスタルピークス
記事の最後は母子里クリスタルパークのシンボル的存在の”クリスタルピークス”で。氷柱(つらら)と雪の結晶をイメージした最寒モニュメント。


撮影日:2015年8月7日(金)
【 参考サイト 】
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テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

函館東照宮(権現台場)と四稜郭

今夏の北海道の記事は函館で締めくくろう。昨年末に函館を訪れた際、次に行きたいと思っていた四稜郭を中心に五稜郭北部の史跡を巡ってみた。函館五稜郭から北へ直線距離で約3.5km、五稜郭を一望する高台に知る人ぞ知る四稜郭がある。戊辰戦争の最終決戦となった箱館戦争において、五稜郭を本拠にする旧幕府脱走軍が背後の備えとして築いた防御陣地で、小規模ながら四隅に稜堡を設ける稜堡式城郭だったことから四稜郭と称する。明治2年(1869年)旧幕府脱走軍の兵士約200名、付近の村民約100名が昼夜兼行で急造、数日のうちに完成させたと伝わり、高さ3mの土塁と深さ70cmの空壕を回らし郭内四隅の稜堡に砲座を設けて新政府軍の進攻に備えた。設計は陸軍奉行大鳥圭介との説も。

四稜郭から南方約1km、五稜郭と四稜郭の間に設けられていたのが権現台場。東照大権現(徳川家康)を祭神に祀る函館東照宮の地に築かれたことから権現台場と称した。函館東照宮は元治元年(1864年)五稜郭が完成したことを機に、その鬼門(北東)にあたる上山村(現 函館市神山)の地に創建、日高様似の等澍院より東照大権現を分霊して祭神とした。これを機に”上山”は”神山”へと地名を改める。明治2年(1869年)旧幕府脱走軍は四稜郭と共に函館東照宮に砲台を設けて権現台場を築造、同年5月11日に新政府軍の箱館総攻撃を受けて権現台場が陥落、退路を断たれた四稜郭は僅か数時間の戦闘で呆気なく陥落してしまう。同年5月18日に五稜郭開城、旧幕府軍幹部の榎本武揚らが降伏して戊辰戦争は函館で終結する。函館東照宮は戦火を受けて焼失、後に祭神は青柳町や谷地頭町、宝来町などを転々とし、平成3年(1991年)陣川町に移って北海道東照宮に改称した。




五稜郭駅
五稜郭駅よりタクシーに乗車、陣川町の北海道東照宮へ向かうよう告げる。


北海道東照宮
タクシーの運転手も北海道東照宮に客を運ぶことはまず無いようで、陣川町で右往左往しながら何とか北海道東照宮に辿り着く。


北海道東照宮
函館東照宮を前身にする北海道東照宮。平成3年(1991年)現社殿が完成、宝来町より陣川町の地に遷座した。訪れた時に観光客や参拝客がいなかったが、紛れもないここが日本最北の東照宮である。


北海道東照宮の手水石
境内にある手水石。元治2年(1865年)函館奉行の小出大和守秀実が奉納したもの。


手水石弾痕
手水石は函館戦争の戦火を潜り抜けてきた函館東照宮の名残。戦争当時の弾痕が見られる。


北海道東照宮
北海道東照宮社殿。平成3年(1991年)の完成だけあって新しい。


北海道東照宮にて
参拝を終えて、せっかくなのでおみくじを引く。中吉、「誰でも明日の自分は明日にならなければ分からない。先のことばかり心配して大事なことを決断できないようでは、人生は何も出来ずにあっという間に終わってしまう。(以下略)」。ごもっともなアドバイス。


北海道東照宮拝殿
社殿内部を少々拝見。


純忠碧血神社
境内社の純忠碧血神社。志半ばに倒れた旧幕府方の錚々たる面々を祭神に祀る。


純忠碧血神社
葵御紋の台座に置かれる純忠碧血神社の小社殿。


北海道東照宮参道
北海道東照宮参道。


北海道東照宮参道
参道入口には鳥居や石灯籠ではなく、他に類を見ない洒落た灯籠が立つ。


陣川町より函館山を望む
陣川町より函館山を望む。


陣川町 高野寺バス停付近
高野寺バス停付近、陣川町の町並み。


神山教会
陣川町にある高野山真言宗神山教会。


神山教会の石仏群
神山教会の石仏群。麦わら帽子を被ったお地蔵様が何とも粋な感じ。


神山教会の石仏群
神山教会の境内に並ぶ石仏群。明治後期から昭和初期にかけて建立されたものが多くみられる。


陣川町にて
陣川町で突如現れたキジ。北海道で見かけるのは珍しく、慌てて写真を撮影。私の存在に気付いたのか、そそくさと小走りで草むらの中に消えた。元々北海道にキジは生息しておらず、狩猟用に放鳥され野生化したらしい。


四稜郭付近
陣川町内を南西へひたすら進み四稜郭付近に。


四稜郭付近より函館山を望む
四稜郭付近より函館山を望む。


四稜郭
四稜郭の敷地入口。現在は東側の道からアクセスするが、往時は枡形虎口(郭内入口)より五稜郭や権現台場方面の南へ向かって道が付けられていたようだ。


四稜郭
敷地入口に立つ案内板の向こうに土塁が見える。


四稜郭案内図
四稜郭平面図。函館市教育委員会設置の案内板より。郭の四隅に稜堡を設け、蝶が羽を広げたような形状。


四稜郭にて
四稜郭に設置の東屋にて。こんな所にもヒグマが出るのかよ!


四稜郭
四稜郭の郭内入口。函館市と文部省(現在の文部科学省)設置の解説板が立つ。。


四稜郭
郭内入口(虎口)に設けられる小規模の枡形。外から内部が見えないうようにするための工夫である。


四稜郭
枡形虎口より郭内を望む。郭内の面積約2300平方メートル、サッカーフィールドの3分の1程度の面積しかない。300名程度が数日で急造した防御陣地だけに、こんなものだろう。郭内に建造物は無かった。新政府軍の攻撃開始から僅か数時間で陥落したことも頷ける。


四稜郭
北西角の稜堡より枡形虎口を望む。


四稜郭
四稜郭北側の土塁と空堀。


四稜郭
北東角の稜堡より郭内を望む。四隅の稜堡には大砲を上げ下ろしするためのスロープが設けられている。


四稜郭
北東角の稜堡と空堀。


四稜郭のアジサイ
四稜郭土塁の傍らに咲くアジサイ。梅雨といえばアジサイの季節であるが、梅雨のない北海道にあっては8月初旬でもアジサイがまだまだ元気な感じ。


四稜郭
四稜郭の郭外には見頃を終えたスズランの群生地。


函館山
四稜郭付近より望む函館山と五稜郭タワー。


四稜郭付近にて
四稜郭付近の路傍に咲くアザミ。


四稜郭付近より函館山を望む
四稜郭がある高台から函館市街へ下りて行こう。


神山より五稜郭タワーを望む
神山地区、道の突き当りが東照宮旧地に鎮座する神山稲荷神社。権現台場跡である。その北側に付けられるこの道は、権現台場へ出入するために使われていたと思われる。


神山稲荷神社
神山稲荷神社境内。


神山稲荷神社
神山稲荷神社社殿。倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)を祀る神山稲荷神社は、上山村の鎮守であり産土神として崇敬を集めた。寛政8年(1796年)に初めて社殿を建立したというから、函館東照宮より歴史が古い。


神山稲荷神社の忠魂碑
神山稲荷神社境内にある陸軍大将渡辺錠太郎書の忠魂碑。


権現台場跡
神山稲荷神社境内(権現台場跡)は五稜郭と四稜郭間の傾斜地にある小さな平地ながら五稜郭を眼下に望め、ここに台場が築かれたことが頷ける。当時ここにあった函館東照宮にとっては災いだったのだろうが…・


神山稲荷神社にて
神山稲荷神社にて。北海道の短い夏を謳歌し、土に還ろうとするエゾゼミ。7年間も土中で暮らし、ようやく地上に這い上がり日の目を見て僅か1週間で一生を終えてしまうのか。そう考えると何か切ないなあ…。


神山稲荷神社
神山稲荷神社参道。


神山稲荷神社参道
参道入口に立つ石鳥居。「元治二年乙丑」と刻む。箱館戦争の戦火を潜り抜けてきた函館東照宮の名残であろう。


権現台場跡より函館山を望む
権現台場跡より函館市街に聳える五稜郭タワー、その向こうに臥牛の如き山稜をなす函館山を望む。戦時には五稜郭をはじめ函館市街の戦況が望めたことだろう。


権現台場跡より函館山を望む02
函館山と市街をズーム、写真左端に五稜郭タワーが見える。ここから五稜郭まで約2.5km、旧幕府軍の本丸五稜郭へ向かおう。つづく。


撮影日:2015年8月2日(日)
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旧松川街道

箱館戦争時に旧幕府脱走軍が本拠とした五稜郭。安政4年(1857年)着工、元治元年(1864年)に完成した。この築造時に資材運搬路として使われた道があり、幕末に北海道開拓で尽力した松川弁之助が私財を投じて敷設したことから、これを松川街道と呼んだ。函館市街の一本木関門(現 函館市若松町)と五稜郭間の約2.5kmをほぼ直線に結び、函館港から最短に五稜郭へ至るルートだった。その沿道には千代ヶ岱陣屋(千代ヶ台や千代ヶ岡陣屋とも、前身は津軽陣屋)があり、箱館戦争時には最重要道路だったことをうかがう。最後まで新政府軍に徹底抗戦した元新選組副長で箱館新政府陸軍奉行並の土方歳三は、明治2年(1968年)5月11日、新政府軍を迎え撃つべく小隊を率いて五稜郭から松川街道を通って一本木関門に至り、関門付近で銃弾を腹部に受け斃れたと伝わる。




大圓寺
神山稲荷神社(権現台場跡)から五稜郭方面の南へ約500m、大圓寺がある。享保7年(1722年)の創建と伝わり、寛保2年(1742年)本山の称名寺より阿弥陀如来を移して本尊とし無量庵と称す。大正9年(1920年)現寺号に改めた。近くに函館奉行所の役宅地があり、最後の箱館奉行杉浦誠の娘や役人の墓碑が残る。土方歳三の遺体埋葬地との説も。


大圓寺無縁塚
大圓寺境内入口にある無縁塚。五稜郭の築造工事に関わり事故や病気で死亡した大工や人夫たちを供養するため、文久4年(1864年、この年「元治」に改元)に建立された。五稜郭や弁天台場の石垣造りを任された備前(現 岡山県)の石工井上喜三郎(二代目)をはじめ一同による奉納。初代井上喜三郎は弁天台場の築造中に石垣が崩壊した責任をとり、志半ばで自決したらしい。


大圓寺旧官修墓地
大圓寺墓地内にある旧官修墓地。函館戦争で戦死した新政府軍兵士3名の墓が残る。


箱館戦争戦没者供養碑
2本の松の間に箱館戦争戦没者供養碑。昨年に(2014年)建立されたもので新しい。この供養碑を置く場所を土方歳三の遺体埋葬地とする説があり、供養碑建立のきっかけになったのかもしれない。


五稜郭役宅地跡
本通1丁目27交差点の南、五稜郭役宅地跡。道の突き当りが五稜郭である。役宅地は函館戦争の際、旧幕府脱走軍により焼き払われたという。宅地化が進み往時を偲びようもない。


五稜郭裏門橋
役宅地と箱館奉行所を繋いだ裏門橋。箱館奉行所の役人は裏門橋を渡り登庁していたはず。


五稜郭水堀
裏門橋よる望む五稜郭水堀と石垣。


郭内より裏門橋を望む
郭内より裏門橋。


五稜郭北側入口
五稜郭北側の出入口。往時には写真左道脇に門番所が設けられていた。


箱館奉行所と五稜郭タワー
箱館奉行所と五稜郭タワー。


箱館奉行所
平成22年(2010年)に完成した復元箱館奉行所。


二の橋と五稜郭タワー
二の橋と五稜郭タワー。


半月堡
半月堡より望む二の橋。


道道571号五稜郭公園線
五稜郭公園の正面出入口から函館市街方面の南西へ延びる道道571号五稜郭公園線。ここが旧松川街道の起点となる。


土方歳三像
五稜郭タワー内の土方歳三像に敬礼。さて、歳三が最期の日に通ったであろう旧松川街道を歩いてみよう。


道道571号五稜郭公園線
五稜郭町を行く五稜郭公園線(旧松川街道)。


函商五陵ヶ岡記念碑
函商五陵ヶ岡記念碑。函館商業学校(現 函館商業高等学校、函館市昭和1丁目)がここにあったことを偲び創立90周年を記念して建てられたもの。当時の校門が移されている。函館商業学校は大正11年(1922年)7月、元町からこの地に移り昭和45年(1970年)まで存在した。


五稜郭タワー
五稜郭公園線(旧松川街道)より五稜郭を望む。


高砂通り
ホテルグランティア函館五稜郭(写真正面)が建つ五差路で、旧松川街道は高砂通りとなって更に南西へ。


若き星たち像
上写真の五差路角にある”若き星たち”の像。新政府方と旧幕府方、激動の世に生き敵対することとなった若き兵士たち、今の平和な函館で出会えたなら良き友となったことだろう。


高砂通り
函館山に向かって延びる高砂通り(旧松川街道)。


高砂通り
梁川町を行く高砂通り(旧松川街道)。左手前の建物は高龍寺梁川町法務所。


梁川町1・中島町31交差点
高砂通り(旧松川街道)と教育大通が交差する梁川町1・中島町31交差点。ここを左折して教育大通を少し行った場所が千代ヶ岱陣屋跡。中島小学校の敷地を含む周辺一帯がその跡地にあたる。郭内大きさ東西72間(約131m)、南北80間(約145m)の四角形、周辺に土塁と堀を回らし、四辺中心に4ヶ所の出入口があり北側を表門としていた。


中島三郎助父子最後之地
中島三郎助父子最後之地より千代ヶ岱陣屋跡方面。高砂通り(旧松川街道)が横切る。かつては松川街道から千代ヶ岱陣屋の土塁が間近に見えたことだろう。日没が迫り千代ヶ岱陣屋跡の散策は次の機会に。と言っても遺構が全く残っていないようだが…。


中島三郎助父子最後之地碑
中島三郎助父子最後之地碑。中島三郎助は浦賀奉行与力や軍艦役を務めた幕臣。戊辰戦争では榎本武揚と行動を共にして江戸を品川沖から脱出、軍艦8隻を率いて蝦夷地へ渡った。箱館戦争時は千代ヶ岱陣屋を陣屋隊長として守備。新政府軍の箱館総攻撃がはじまり圧倒的に戦局が不利の中、降伏勧告に屈せず徹底抗戦し、五稜郭開城2日前の明治2年(1869年)5月16日、長男恒太郎や次男英次郎と共に戦死した。昭和6年(1931年)千代ヶ岱陣屋跡を含む近辺一帯が中島町と名付けられ、現在は土方歳三と並び函館で高い人気を得る旧幕府方の将。それにしても函館に土方町が無いのは何故なのか…疑問だ。


中の橋と亀田川
亀田川を中の橋で渡る。元々の亀田川は今とは流路が違い、五稜郭の西側(現在の梁川公園付近)から函館湾に注いでいた。安政6年(1859)願乗寺(現 本願寺函館別院)の僧堀川乗経が中心となり、現在の梁川公園付近から分流し、函館市街を通して函館港内に注ぐ堀割を完成させ、願乗寺川とも呼ばれた。 現在の梁川公園付近から中の橋にかけての亀田川はこの願乗寺川を前身としており、中の橋から先の亀田川は明治21年(1888年)に開削された新流路。願乗寺川は同22年(1889年)に埋め立てられ高砂通りになっている。


旧松川街道
旧松川街道は中の橋で高砂通りから分かれ、函館山へ向かって更に直進。


旧松川街道
大縄町の旧松川街道。沿道に”ひろみ”という居酒屋がいかにも函館らしい佇まい。


呑み食い処ひろみ
ひろみさん!小さなお客さんがお待ちですよ。


八幡通り
旧松川街道は幹線道の八幡通りに合流、約200m先の大縄町21交差点で八幡通りを離れる。写真は八幡通りと津和野街道・新川広路が交差する大縄町21交差点。


旧松川街道
若松町を行く旧松川街道。


旧松川街道
一本木関門跡まであと少し、海岸町の旧松川街道。


一本木関門跡
旧松川街道は国道5号に合流。この辺りが一本木関門跡。


一本木関門跡
一本木関門跡にあたる若松町・海岸町交差点。土方歳三はどの辺りで銃弾に倒れたのだろうか。


一本木関門モニュメント
一本木関門跡付近の総合福祉センター敷地内に一本木関門のモニュメントが設けられている。


函館港まつり
総合福祉センターより函館駅前へ移動。ちょうど函館港まつりの真っ最中。


函館港まつり
”いか踊り”を踊りながら次々と様々な団体が通り過ぎてゆく。


函館港まつり
いかいかいかいか、いか踊り~♪このフレーズが頭から離れません。
2015年夏の函館はこれにて終い。


撮影日:2015年8月2日(日)
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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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