留萌本線 留萌駅~礼受駅

JR北海道が運営する地方路線のひとつ、留萌本線。函館本線の深川駅を起点に留萌駅を経由し、増毛駅を終点とする総延長66.8kmの鉄道路線で、輸送密度(1km当たりの1日平均輸送人員)500人未満の赤字ローカル線。JR北海道は今年8月、来年度中に留萌本線の末端部留萌駅~増毛駅間の廃止を公表、最近になって留萌駅~増毛駅間で収益100円を稼ぐために経費が4161円もかかるという極めて低い採算性を示した。当然のことだろうなと思いつつも実に残念なことである。公共性が高いといえどもJRは一企業、採算性を重視することは重々承知するが、モータリゼーションの極みにある現代、赤字ローカル線が次々と廃止される中で生き残ったローカル線は観光資源になりうるはず。人を高速で運ぶために延伸を続ける新幹線、人を大量に運ぶためだけの輸送手段と化した首都圏の鉄道、人が自然や田舎の風景を車窓に眺めながらのんびり旅する鉄道は、利益と効率化を最も良しとする現代にあって不要なものなのだろうか。私としては残していかなければならない文化だと思う。採算性を度外視して沿線地域にもたらす利益を鑑み、何とか存続できないものかと、赤字ローカル線廃止の報を聞くたび、つくづく思う。

明治43年(1910年)深川駅~留萌駅間が開通し留萌本線が開業、大正10年(1921年)に留萌駅から増毛駅まで延伸開業する。当時の日本海沿岸はニシン漁が隆盛を極め、沿岸にはニシン御殿(番屋)が次々に建てられた時代背景、留萌本線は燃料や建築材となる石炭や木材、日本海から水揚げされた海産物等をはじめ、ニシンの漁場を求める漁夫が輸送され全盛を迎えた。しかし乱獲が一因ともされるが、昭和初期からニシンの漁獲量が減りはじめて衰退の一途を辿り、今となってはニシンの魚群は消えてしまい、終にはニシン漁を支えた留萌本線も消えようとしている。昭和50年(1975年)にヒットした北原ミレイの歌謡曲「石狩挽歌」が頭をよぎろう。

あれからニシンはどこへ行ったやら
破れた網は問い刺し網か
今じゃ浜辺でオンボロロ オンボロボロロー♪

廃止前に留萌本線の留萌駅~増毛駅間を少しでも目に留めておこうと思い立ち、急きょ10月下旬に北海道へ。留萌駅から増毛駅間の各駅や沿線の様子について記事に書きたい。




留萌駅
留萌市街の中心をなす留萌駅。起点の函館本線深川駅を除き、留萌本線にあって唯一の有人駅である。開業は明治43年(1910年)、駅名である所在地名の留萌はアイヌ語の「ルルモッペ」(海水が緩やかに流れ込む川の意)に由来がある。


留萌駅
駅前で客待ちする4台のタクシー。2013年度の留萌駅における1日平均乗車人員は僅か65人だったらしい。駅を利用する人もまばらで、ここで客を乗せることができるのか余計な心配をしてしまう。


留萌駅
1番ホームで出発を待つ深川行のキハ54形気動車。


留萌駅
留萌駅の改札口と切符売場。緑の窓口もある。


留萌駅改札口
改札口にはSLすずらん号のエンブレムを展示。平成11年(1999年)のNHK連続テレビ小説「すずらん」の撮影地として、留萌本線の恵比島駅一帯が使われたことを機に、同年から平成18年(2006年)までSLすずらん号が運行していた。


第10留萌川橋梁・福港橋梁
留萌駅の西側、留萌港内港と福港を繋ぐ運河の間に並行して架かる2基の鋼製トラス橋。手前が現役の留萌本線鉄橋の第10留萌川橋梁、奥が留萌鉄道臨港線を前身とする貨物線跡の福港橋梁である。現在、留萌港の最奥にあった福港はほぼ埋立地に消え、福港橋梁の貨物線は廃止されて路盤に雑草が生い茂る。


第10留萌川橋梁
第10留萌川橋梁に向かうキハ54形気動車。


瀬越駅
留萌駅から増毛方面へ一駅目、瀬越駅。大正15年(1926年)に仮乗降場として開業、昭和62年(1987年)になって臨時駅からようやく一般駅へ昇格した。


瀬越駅
駅の西側には日本海が迫る。


瀬越駅
瀬越駅は単式ホームに簡易な待合所を設けるだけの無人駅。すぐ近くに海水浴場の”ゴールデンビーチるもい”があり、夏場は海水浴客の利用がそこそこあるのかもしれない。


瀬越駅
瀬越駅の待合所。


瀬越駅
待合所の中には1脚の椅子を備え、壁面には時刻表と掲示板に運賃表等を掲げる。


瀬越駅
椅子の上に置かれていた瀬越駅ノート。ここを訪れた旅人の思いが綴られる。私も一筆しておこう。


ゴールデンビーチるもい
瀬越駅付近にある”ゴールデンビーチるもい”。黄金岬に近い海水浴場であることがゴールデンビーチと称する所以と思われる。


ゴールデンビーチるもい
”ゴールデンビーチるもい”の砂浜より瀬越駅方面を望む。さすがに初冬の北海道、海水浴客などいるわけもなく…。ただ一人、砂浜で立ち尽くす私に日本海の寒風が吹き付ける。


ゴールデンビーチるもいにて
砂浜にあった黄色の角かご。ハングル文字が書かれており、朝鮮半島からの漂流物なのだろう。


礼受駅
瀬越駅から増毛方面へ向かって次が礼受駅。旧駅舎の基礎上に貨車駅舎を設ける無人駅、大正10年(1921年)に開業し、当初は有人駅だったが昭和59年(1984年)に無人化、後に旧駅舎が撤去されて現駅舎に。潮風を受けてオンボロロな感じ。


礼受駅
礼受駅構内。立派な単式ホームを設けており、駅舎と少々不釣り合いな感じ。


礼受駅
礼受駅構内より増毛方面を望む。


礼受駅
礼受駅駅舎内。簡易な長椅子を備え、椅子上には礼受駅ノートが置いてある。


礼受簡易郵便局
駅前にある礼受簡易郵便局。


関ニシン番屋
礼受駅近くにある関ニシン番屋(関家住宅)。明治から大正期にかけ日本海沿岸で隆盛を極めたニシン漁、往時の様子を今に語る貴重なニシン番屋の遺構である。現在は住宅に利用されており非公開。近くに国の史跡に指定される「旧留萌佐賀家漁場」こと、佐賀家のニシン番屋が残っている。


関ニシン番屋
関ニシン番屋は明治25年(1892年)、網元の住居と雇われ漁夫の作業場兼宿泊所として建てられた。今も日本海を目の前に堂々と建つ旧番屋、その前には作業場として使われたのだろう広い敷地を有し、今も漁夫たちの威勢のいい声が聞こえてきそうである。


撮影日:2015年10月24日(土)、25日(日)
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留萌本線 礼受駅~朱文別駅

留萌駅から下り、増毛駅に至るまでの留萌本線は、日本海沿岸に形成する海岸段丘裾の難所を通される鉄路。この区間は今年2月に雪崩と斜面崩落の恐れがあったことから運転見合わせが長期化、4月29日になってようやく運行が再開された。過去には昭和21年(1946年)雪害により信砂川橋梁で最後尾の客車が脱線し、河川中に転落して死者17名、負傷者67名という大事故も起きている。赤字路線にもかかわらず雪害や塩害対策が必須な路線なことから今後も多大な保線費用がかさむことが予想され、JR北海道が廃止という結論に至った大きな要因。そんな自然環境の厳しい中をを通される留萌本線礼受駅から先、増毛町の各駅や沿線の様子を記事に書いておこう。




阿分駅
留萌駅から増毛方面へ3駅目、増毛町の最北に位置する阿分駅。昭和38年(1963年)阿分仮乗降場として開業、昭和62年(1987年)一般駅へ昇格した。駅前に見える建物は旧阿分小学校の校舎。


阿分駅
阿分駅は簡易な単式ホームと待合所があるだけの無人駅。


阿分駅待合所
阿分駅待合所内部。木製ベンチを備え阿分駅ノートを置く。壁面には時刻表や運賃表をはじめ、阿分連合自治会による駅管理責任者を掲示している。


阿分駅
阿分駅より留萌方面へ延びる鉄路。


旧阿分小学校
阿分駅前にある阿分小学校。明治16年(1883年)開校、近年は在校児童数の減少が続き、今年3月に閉校となった。現校舎は近代的で立派なものであるが、閉校時の在校児童数は僅か十数名だったらしい。学校が無くなって鉄道と駅が無くなり、そして人もいなくなる。地元の方々はさぞかし寂しい思いをされているのだろう。


阿分駅前通り
旧阿分小学校北側、阿分駅と国道231号を繋ぐ駅前通り。


阿分駅前通り
国道231号から阿分駅へアクセスする駅前通り入口。


阿分停留所
国道231号沿いにある沿岸バスの阿分停留所。


信砂駅
留萌駅から増毛方面へ4駅目、信砂駅。隣の阿分駅と同じく昭和38年(1963年)信砂仮乗降場として開業、昭和62年(1987年)一般駅へ昇格した。


信砂駅
信砂駅は仮乗降場に出自を持つ駅のため、簡易な単式ホームと待合所があるだけの無人駅。


信砂駅待合所
信砂駅待合所。


信砂駅待合所
信砂駅待合所内部。やはりベンチ上には信砂駅ノートがあり、ここを訪ねた旅人の思いが綴られている。


信砂駅前
信砂駅前、道道94号線と増毛妹背牛線踏切。


信砂市街
信砂市街。商店らしき建物をいくつか見かけるが、現在営業しているのは猪俣鮮魚店ぐらい。


信砂橋
信砂川に架かる信砂橋。


信砂川
日本海に注ぐ信砂川。


信砂川
信砂川にはカモメがいっぱい。


信砂川橋梁
信砂川に架かる留萌本線の信砂川橋梁。今から約70年前、暴風雪により客車が脱線し、死者17名と負傷者67名を出す惨事を起こした事故現場である。


舎熊小学校
信砂駅近くにある舎熊小学校。来年2月に開校から132年の歴史に幕を閉じる。増毛町からまた一つ小学校が無くなってしまい、本当に残念で惜しいことだと思う。在校生や卒業生は尚更だろう。来年2月27日に閉校式を予定している。


舎熊小学校
舎熊小学校にて。在校生たちが作った標語を掲げる。


舎熊駅
留萌駅から増毛方面へ5駅目、舎熊駅。大正10年(1921年)に開業し、当初は有人駅だったが昭和59年(1984年)に無人化された。駅名の由来は所在地名、舎熊はアイヌ語のサックマ(魚を干す棚)に由来する。シャクマというアイヌ人が住んでいたとの説もある。


舎熊駅
舎熊駅は礼受駅と同じく旧駅舎基礎上に貨車駅舎を設ける無人駅。


舎熊駅
舎熊駅構内から増毛方面を望む。


舎熊駅
舎熊駅構内から留萌方面を望む。


舎熊駅08
舎熊駅から留萌方面の鉄路は不自然な曲がりが見られる。現在は単式ホームを有するだけの駅だが、かつては相対式ホーム2面を有する列車交換が可能な駅だったことを想像させる。


舎熊駅
舎熊駅駅舎入口にて。駅舎は人よりヘビの方が利用率が高いのかもしれない…。


舎熊駅
舎熊駅駅舎内。ベンチ上には舎熊駅ノートが置いてある。


舎熊駅前
舎熊駅前。民家があるのみで店は無い。


セイコーマートいとう増毛店
国道231号舎熊駅入口から留萌方面へ約350m、道道94号線との分岐点にコンビニ(セイコーマートいとう増毛店)がある。セイコーマートは北海道ではメジャーなコンビニ。


朱文別駅
留萌駅から増毛方面へ6駅目、朱文別駅。昭和38年(1963年)朱文別仮乗降場として開業、昭和62年(1987年)一般駅へ昇格した。簡易な単式ホームと待合所を設ける。


朱文別駅待合所
朱文別駅待合所内部。やはりベンチには朱文別駅ノートを置く。


朱文別駅
朱文別駅構内より留萌方面を望む。


朱文別駅前
朱文別駅前。


朱文別駅付近
朱文別駅付近を行くキハ54形気動車。


朱文別踏切
朱文別駅横に設ける朱文別踏切。


朱文別駅
朱文別駅に停車するキハ54形気動車。


撮影日:2015年10月24日(土)
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留萌本線 朱文別駅~増毛駅

留萌本線の末端部、箸別駅から増毛駅間は日本海が迫る海岸段丘裾を通す難所。今年2月に雪崩と斜面崩落の恐れがあり、運転見合わせが長期化する原因となったのがこの区間で、その難所を抜ければ留萌本線の終点増毛駅に着く。増毛駅は大正10年(1921年)開業、当初は有人駅だったが昭和59年(1984年)に無人駅となり簡易委託化された。現在は簡易委託も廃止され乗車券類の販売は行われていない。しかし”増毛”という駅名が、薄毛に悩む御仁にご利益ありと評判になり、増毛駅前の観光案内所(風待食堂)で縁起切符として入場券の販売が継続されている。駅名の由来は所在地名、増毛はアイヌ語のマシュキニ(漁獲がとても多い所の意)やマシュケ(カモメの多い所の意等、諸説あり)に由来しており、いずれもニシンの好漁場だったことを想像させる。高倉健主演の映画「駅 STATION」のロケ地として知られ、駅前には撮影に使われた風待食堂(旧多田商店、現在は観光案内所)が映画の世界そのままに残されている。




箸別川橋梁
箸別駅の留萌側手前、箸別川に架かる箸別川橋梁。


箸別駅
留萌駅から増毛方面へ7駅目、箸別駅。小高い築堤上にホームが設けられている。昭和38年(1963年)箸別仮乗降場として開業、昭和62年(1987年)一般駅へ昇格した。


箸別駅
箸別駅構内。簡易な単式ホームと待合所があるだけの無人駅。


箸別駅
箸別駅構内より留萌方面。


箸別駅待合所
ホーム留萌側外れに設けられる箸別駅待合所。


箸別駅待合所内部
箸別駅待合所内部。留萌駅から朱文別駅までの各駅にあった旅ノートが何故かここだけない。


箸別駅前
箸別駅前。昔は駅前に民家が建ち並んでいたようだが、現在はだだっ広い駅前広場と化している。


箸別駅付近
箸別駅付近を行くキハ54形気動車。


箸別跨線橋下を行くキハ54形気動車
箸別跨線橋下を行くキハ54形気動車。


増毛・箸別駅間を行くキハ54形気動車03
増毛・箸別駅間の留萌本線。日本海の荒波に負けじと気道車が低速で進む。


増毛・箸別駅間を行くキハ54形気動車
増毛・箸別駅間、間近に迫る日本海沿いを走り抜けるキハ54形気動車。


増毛駅
留萌本線の終着、増毛駅。


増毛駅
増毛駅構内。駅舎前で鉄路は途切れ、終着駅らしい哀愁が漂う。


増毛駅駅舎内
増毛駅駅舎内には水産品直売店孝子屋とそば屋があるが、近年にそば屋は閉店してしまったらしい。


増毛駅
増毛駅で出発を待つ深川行列車。


増毛駅
この光景が見られるのもあと僅か。廃止後はどうなってしまうのだろう。


旅館富田屋と風待食堂
増毛駅前、ノスタルジ―な建物が並ぶ。旅館富田屋と風待食堂である。旅館富田屋は昭和初期の建築、ニシン漁で賑わった増毛の残影を見る思い。残念ながら現在は旅館業を廃業、内部の様子を見てみたいものだ。


風待食堂
映画「駅 STATION」の舞台となった風待食堂。元は多田商店の建物で、現在は観光案内所として使う。案内所内には映画「駅 STATION」の写真を展示、増毛にご利益があるとされる増毛駅の入場券を購入できる。


増毛駅前
増毛駅前から、旧停車場通り(道道301号線)。


弁天土日市場
風待食堂の斜向かいにある弁天土日市場。海鮮焼きやラーメン屋等がある。


海栄ラーメンにて
弁天土日市場の海栄ラーメンにて。看板メニューの塩ラーメンを食す。見た目はシンプルながら、しっかり塩ベースの出汁が感じられる秀逸なラーメンである。日本海の恵みが入っていたら尚更だろう。


増毛館
大正時代創業の老舗宿、増毛館。現建物は昭和7年(1932年)の建築で、民宿として旅館業を続けている。


港町市場
増毛駅付近、道道301号線号沿いにある港町市場。増毛産の海産物をゲットしたいならここはおススメ、海産品を試食できるのがいい。甘えびと螺を買いました。

港町市場増毛店
http://www.m-ichiba.jp/mashike.html


撮影日:2015年10月24日(土)、25日(日)
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旧商家丸一本間家

増毛駅近くに旧商家の佇まいを残す丸一本間家。創業は明治8年(1875年)、佐渡出身の本間泰蔵を初代とする。当初は荒物雑貨を商っていたが、 ニシン景気に乗じて事業を拡大、呉服商をはじめニシン漁網元や海運、酒造等、事業を展開して天塩国随一の豪商と呼ばれるまでに。事業拡大に伴い建屋を増築し、明治35年(1902年)丸一本間合名会社を創立、酒造場を稲葉町1丁目へ移転した。これが國稀酒造の前身で、現在も商いを続けるのはここだけである。丸一本間合名会社の店舗・呉服蔵・居宅・付属屋・醸造蔵が今に残り、往時の繁栄ぶりを偲ぶ。平成12年北海道有形文化財、平成15年国の重要文化財に指定され、内部を一般公開している。




旧商家丸一本間家
増毛駅近く、増毛市街に残る旧商家丸一本間家。


旧商家丸一本間家
石組みの呉服店舗が惚れぼれする佇まい。


旧商家丸一本間家呉服店舗
呉服店舗の内部は往時の様子を再現、明治時代にタイムスリップしたかのようだ。


旧商家丸一本間家呉服店舗
呉服を求めて客が今にも来店しそう。


旧商家丸一本間家呉服店舗2階
呉服店舗2階。現在は展示室兼休憩所として使われている。


旧商家丸一本間家奥帳場
本間家の経理関係が処理された奥帳場。天井には明り取りのための窓を設ける。


旧商家丸一本間家茶の間
旧商家丸一本間家茶の間。襖の絵は昭和初期の日本画家、仙田菱畝(せんだりょうほ)によるもの。菱畝は新潟県東頸城郡小黒村(現 新潟県上越市安塚区小黒)の出身、兄は日本画家の石塚仙堂。


旧商家丸一本間家上勝手
家人が食事などをする場所として使用された上勝手。


旧商家丸一本間家勝手
上勝手に隣接する勝手。今で言う台所である。


旧商家丸一本間家次の間
旧商家丸一本間家次の間。天井から下がる電灯は大正6年(1917年)頃のもの。室内の桐製箪笥は明治35年(1903年)頃製作、新潟県の箪笥職人によるもの。


旧商家丸一本間家客間
旧商家丸一本間家客間。襖の漢詩は明治期の書人、巌谷一六(いわやいちろく)が増毛を訪れた際に揮毫したものという。


旧商家丸一本間家仏間
旧商家丸一本間家仏間。初代本間泰蔵とその妻チエ、長男泰輔とその妻キミの遺影を掲げる。


旧商家丸一本間家奥の間
旧商家丸一本間家奥の間。客間と同様、巌谷一六揮毫による漢詩の襖で仕切られる。初代本間泰蔵の隠居部屋として使用された。


旧商家丸一本間家呉服蔵
旧商家丸一本間家呉服蔵。現在は展示室に利用され、本間家に関する品々を展示する。


旧商家丸一本間家醸造蔵
旧商家丸一本間家醸造蔵。明治27年(1894年)頃建築、元は酒造蔵で後に味噌の醸造も行われていた。


旧商家丸一本間家付属家2階
旧商家丸一本間家付属家2階。醸造蔵と同じく明治27年(1894年)頃の建築、基本的に本間家の居住部屋だったが、補助的な客室として使われた時代もあった。


旧商家丸一本間家付属家3階
旧商家丸一本間家付属家3階。主に客室として利用、巌谷一六が来町の折にはこの部屋を使用したと伝わる。


旧商家丸一本間家のステンドグラス
本間家に残るステンドグラス。大正時代に風呂場で使われていたと云う。


若姫号の馬具
朱文別の畜産家佐藤酉三郎が所有していた牝馬、若姫号の馬具。昭和28年(1953年)増毛町家畜品評会の繁殖牝馬の部で3等賞を受賞した。


旧商家丸一本間家通り庭
旧商家丸一本間家通り庭。


旧商家丸一本間家電話室
通り庭に面して設ける電話室。壁面はメモ書きに使わていたようで、当時のままに残る。


国稀酒造
丸一本間家の酒造場を前身とする国稀酒造。

国稀酒造株式会社
https://www.kunimare.co.jp/


国稀酒造酒蔵
国稀酒造酒蔵。貯蔵タンクが並ぶ。


国稀酒造02
製品庫として使わていた石蔵は資料室に。昔のラベルを貼った一升瓶が並び、往時を彷彿とさせる。


元陣屋
国稀酒造から南へ約300m、増毛町総合交流促進施設「元陣屋」がある。ここは安政3年(1856年)蝦夷地警護を命ぜられた久保田藩(秋田藩とも)が増毛陣屋を置いた場所で、総建坪1160坪、平屋建て28棟からなる陣屋であった。慶応3年(1867年)増毛から久保田藩が引き揚げて函館奉行の直轄となり、明治維新後から廃藩置県までの僅かな期間だが山口藩増毛出張所の役人住居として利用された。明治30年頃まで陣屋の建物が残っていたという。


元陣屋
元陣屋に設ける郷土資料室では入館料さえ払えば本格的な甲冑を試着できる。


増毛港にて
増毛港にて。


撮影日:2015年10月24日(土)、25日(日)
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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
千葉県在住。

Flashカレンダー
現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

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