留萌本線 留萌駅~礼受駅
JR北海道が運営する地方路線のひとつ、留萌本線。函館本線の深川駅を起点に留萌駅を経由し、増毛駅を終点とする総延長66.8kmの鉄道路線で、輸送密度(1km当たりの1日平均輸送人員)500人未満の赤字ローカル線。JR北海道は今年8月、来年度中に留萌本線の末端部留萌駅~増毛駅間の廃止を公表、最近になって留萌駅~増毛駅間で収益100円を稼ぐために経費が4161円もかかるという極めて低い採算性を示した。当然のことだろうなと思いつつも実に残念なことである。公共性が高いといえどもJRは一企業、採算性を重視することは重々承知するが、モータリゼーションの極みにある現代、赤字ローカル線が次々と廃止される中で生き残ったローカル線は観光資源になりうるはず。人を高速で運ぶために延伸を続ける新幹線、人を大量に運ぶためだけの輸送手段と化した首都圏の鉄道、人が自然や田舎の風景を車窓に眺めながらのんびり旅する鉄道は、利益と効率化を最も良しとする現代にあって不要なものなのだろうか。私としては残していかなければならない文化だと思う。採算性を度外視して沿線地域にもたらす利益を鑑み、何とか存続できないものかと、赤字ローカル線廃止の報を聞くたび、つくづく思う。
明治43年(1910年)深川駅~留萌駅間が開通し留萌本線が開業、大正10年(1921年)に留萌駅から増毛駅まで延伸開業する。当時の日本海沿岸はニシン漁が隆盛を極め、沿岸にはニシン御殿(番屋)が次々に建てられた時代背景、留萌本線は燃料や建築材となる石炭や木材、日本海から水揚げされた海産物等をはじめ、ニシンの漁場を求める漁夫が輸送され全盛を迎えた。しかし乱獲が一因ともされるが、昭和初期からニシンの漁獲量が減りはじめて衰退の一途を辿り、今となってはニシンの魚群は消えてしまい、終にはニシン漁を支えた留萌本線も消えようとしている。昭和50年(1975年)にヒットした北原ミレイの歌謡曲「石狩挽歌」が頭をよぎろう。
あれからニシンはどこへ行ったやら
破れた網は問い刺し網か
今じゃ浜辺でオンボロロ オンボロボロロー♪
廃止前に留萌本線の留萌駅~増毛駅間を少しでも目に留めておこうと思い立ち、急きょ10月下旬に北海道へ。留萌駅から増毛駅間の各駅や沿線の様子について記事に書きたい。

留萌市街の中心をなす留萌駅。起点の函館本線深川駅を除き、留萌本線にあって唯一の有人駅である。開業は明治43年(1910年)、駅名である所在地名の留萌はアイヌ語の「ルルモッペ」(海水が緩やかに流れ込む川の意)に由来がある。

駅前で客待ちする4台のタクシー。2013年度の留萌駅における1日平均乗車人員は僅か65人だったらしい。駅を利用する人もまばらで、ここで客を乗せることができるのか余計な心配をしてしまう。

1番ホームで出発を待つ深川行のキハ54形気動車。

留萌駅の改札口と切符売場。緑の窓口もある。

改札口にはSLすずらん号のエンブレムを展示。平成11年(1999年)のNHK連続テレビ小説「すずらん」の撮影地として、留萌本線の恵比島駅一帯が使われたことを機に、同年から平成18年(2006年)までSLすずらん号が運行していた。

留萌駅の西側、留萌港内港と福港を繋ぐ運河の間に並行して架かる2基の鋼製トラス橋。手前が現役の留萌本線鉄橋の第10留萌川橋梁、奥が留萌鉄道臨港線を前身とする貨物線跡の福港橋梁である。現在、留萌港の最奥にあった福港はほぼ埋立地に消え、福港橋梁の貨物線は廃止されて路盤に雑草が生い茂る。

第10留萌川橋梁に向かうキハ54形気動車。

留萌駅から増毛方面へ一駅目、瀬越駅。大正15年(1926年)に仮乗降場として開業、昭和62年(1987年)になって臨時駅からようやく一般駅へ昇格した。

駅の西側には日本海が迫る。

瀬越駅は単式ホームに簡易な待合所を設けるだけの無人駅。すぐ近くに海水浴場の”ゴールデンビーチるもい”があり、夏場は海水浴客の利用がそこそこあるのかもしれない。

瀬越駅の待合所。

待合所の中には1脚の椅子を備え、壁面には時刻表と掲示板に運賃表等を掲げる。

椅子の上に置かれていた瀬越駅ノート。ここを訪れた旅人の思いが綴られる。私も一筆しておこう。

瀬越駅付近にある”ゴールデンビーチるもい”。黄金岬に近い海水浴場であることがゴールデンビーチと称する所以と思われる。

”ゴールデンビーチるもい”の砂浜より瀬越駅方面を望む。さすがに初冬の北海道、海水浴客などいるわけもなく…。ただ一人、砂浜で立ち尽くす私に日本海の寒風が吹き付ける。

砂浜にあった黄色の角かご。ハングル文字が書かれており、朝鮮半島からの漂流物なのだろう。

瀬越駅から増毛方面へ向かって次が礼受駅。旧駅舎の基礎上に貨車駅舎を設ける無人駅、大正10年(1921年)に開業し、当初は有人駅だったが昭和59年(1984年)に無人化、後に旧駅舎が撤去されて現駅舎に。潮風を受けてオンボロロな感じ。

礼受駅構内。立派な単式ホームを設けており、駅舎と少々不釣り合いな感じ。

礼受駅構内より増毛方面を望む。

礼受駅駅舎内。簡易な長椅子を備え、椅子上には礼受駅ノートが置いてある。

駅前にある礼受簡易郵便局。

礼受駅近くにある関ニシン番屋(関家住宅)。明治から大正期にかけ日本海沿岸で隆盛を極めたニシン漁、往時の様子を今に語る貴重なニシン番屋の遺構である。現在は住宅に利用されており非公開。近くに国の史跡に指定される「旧留萌佐賀家漁場」こと、佐賀家のニシン番屋が残っている。

関ニシン番屋は明治25年(1892年)、網元の住居と雇われ漁夫の作業場兼宿泊所として建てられた。今も日本海を目の前に堂々と建つ旧番屋、その前には作業場として使われたのだろう広い敷地を有し、今も漁夫たちの威勢のいい声が聞こえてきそうである。
撮影日:2015年10月24日(土)、25日(日)
明治43年(1910年)深川駅~留萌駅間が開通し留萌本線が開業、大正10年(1921年)に留萌駅から増毛駅まで延伸開業する。当時の日本海沿岸はニシン漁が隆盛を極め、沿岸にはニシン御殿(番屋)が次々に建てられた時代背景、留萌本線は燃料や建築材となる石炭や木材、日本海から水揚げされた海産物等をはじめ、ニシンの漁場を求める漁夫が輸送され全盛を迎えた。しかし乱獲が一因ともされるが、昭和初期からニシンの漁獲量が減りはじめて衰退の一途を辿り、今となってはニシンの魚群は消えてしまい、終にはニシン漁を支えた留萌本線も消えようとしている。昭和50年(1975年)にヒットした北原ミレイの歌謡曲「石狩挽歌」が頭をよぎろう。
あれからニシンはどこへ行ったやら
破れた網は問い刺し網か
今じゃ浜辺でオンボロロ オンボロボロロー♪
廃止前に留萌本線の留萌駅~増毛駅間を少しでも目に留めておこうと思い立ち、急きょ10月下旬に北海道へ。留萌駅から増毛駅間の各駅や沿線の様子について記事に書きたい。

留萌市街の中心をなす留萌駅。起点の函館本線深川駅を除き、留萌本線にあって唯一の有人駅である。開業は明治43年(1910年)、駅名である所在地名の留萌はアイヌ語の「ルルモッペ」(海水が緩やかに流れ込む川の意)に由来がある。

駅前で客待ちする4台のタクシー。2013年度の留萌駅における1日平均乗車人員は僅か65人だったらしい。駅を利用する人もまばらで、ここで客を乗せることができるのか余計な心配をしてしまう。

1番ホームで出発を待つ深川行のキハ54形気動車。

留萌駅の改札口と切符売場。緑の窓口もある。

改札口にはSLすずらん号のエンブレムを展示。平成11年(1999年)のNHK連続テレビ小説「すずらん」の撮影地として、留萌本線の恵比島駅一帯が使われたことを機に、同年から平成18年(2006年)までSLすずらん号が運行していた。

留萌駅の西側、留萌港内港と福港を繋ぐ運河の間に並行して架かる2基の鋼製トラス橋。手前が現役の留萌本線鉄橋の第10留萌川橋梁、奥が留萌鉄道臨港線を前身とする貨物線跡の福港橋梁である。現在、留萌港の最奥にあった福港はほぼ埋立地に消え、福港橋梁の貨物線は廃止されて路盤に雑草が生い茂る。

第10留萌川橋梁に向かうキハ54形気動車。

留萌駅から増毛方面へ一駅目、瀬越駅。大正15年(1926年)に仮乗降場として開業、昭和62年(1987年)になって臨時駅からようやく一般駅へ昇格した。

駅の西側には日本海が迫る。

瀬越駅は単式ホームに簡易な待合所を設けるだけの無人駅。すぐ近くに海水浴場の”ゴールデンビーチるもい”があり、夏場は海水浴客の利用がそこそこあるのかもしれない。

瀬越駅の待合所。

待合所の中には1脚の椅子を備え、壁面には時刻表と掲示板に運賃表等を掲げる。

椅子の上に置かれていた瀬越駅ノート。ここを訪れた旅人の思いが綴られる。私も一筆しておこう。

瀬越駅付近にある”ゴールデンビーチるもい”。黄金岬に近い海水浴場であることがゴールデンビーチと称する所以と思われる。

”ゴールデンビーチるもい”の砂浜より瀬越駅方面を望む。さすがに初冬の北海道、海水浴客などいるわけもなく…。ただ一人、砂浜で立ち尽くす私に日本海の寒風が吹き付ける。

砂浜にあった黄色の角かご。ハングル文字が書かれており、朝鮮半島からの漂流物なのだろう。

瀬越駅から増毛方面へ向かって次が礼受駅。旧駅舎の基礎上に貨車駅舎を設ける無人駅、大正10年(1921年)に開業し、当初は有人駅だったが昭和59年(1984年)に無人化、後に旧駅舎が撤去されて現駅舎に。潮風を受けてオンボロロな感じ。

礼受駅構内。立派な単式ホームを設けており、駅舎と少々不釣り合いな感じ。

礼受駅構内より増毛方面を望む。

礼受駅駅舎内。簡易な長椅子を備え、椅子上には礼受駅ノートが置いてある。

駅前にある礼受簡易郵便局。

礼受駅近くにある関ニシン番屋(関家住宅)。明治から大正期にかけ日本海沿岸で隆盛を極めたニシン漁、往時の様子を今に語る貴重なニシン番屋の遺構である。現在は住宅に利用されており非公開。近くに国の史跡に指定される「旧留萌佐賀家漁場」こと、佐賀家のニシン番屋が残っている。

関ニシン番屋は明治25年(1892年)、網元の住居と雇われ漁夫の作業場兼宿泊所として建てられた。今も日本海を目の前に堂々と建つ旧番屋、その前には作業場として使われたのだろう広い敷地を有し、今も漁夫たちの威勢のいい声が聞こえてきそうである。
撮影日:2015年10月24日(土)、25日(日)

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