2016年謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。旧年中は当ブログにコメントや拍手をいただき誠に有難うございました。本年もぼちぼちと旧東海道歩きを続けるとともに、本年中に廃止が予定されている留萌本線(留萌駅~増毛駅間)について、できるだけ記事と写真に残していきたいと考えております。また、消えるものあれば生まれるものあり。本年3月に北海道新幹線が開業します。私が上京した25年前には東北新幹線は盛岡駅まで、そこから特急はつかりに乗り換えて青森や函館駅へ向かいました。当時は北海道へ新幹線で行けるとは遠い未来のことと考えも及ばす、ついに来るべき日がきたかとの思い。時の流れを感じます。4月頃には北海道新幹線に乗車して北の大地を駆け抜けたい。何卒本年もよろしくお願い致します。

平成28年1月1日 丙申

増毛駅にて
撮影日:2016年1月1日 撮影場所:増毛駅(北海道増毛郡増毛町)


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テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

函館駅と特急スーパー白鳥

東北新幹線の終着新青森駅と函館駅を連絡する特急白鳥とスーパー白鳥。平成14年(2002年)東北新幹線の八戸駅延伸に伴い、八戸駅~函館駅を連絡する特急列車として運転を開始、平成22年(2010年)東北新幹線八戸駅~新青森駅間の開業により、新青森駅~函館駅に起終点が変更された。車両は白鳥が485系の古車体ながらホワイトをベースに下部をブルーバイオレットに塗装、前面にイエローを施したインパクトある斬新な車体色。一方のスーパー白鳥は789系、無塗装のステンレス車体に前頭部と乗降口にもえぎ色を配した印象的な車体色を施す。両特急とも新青森駅から函館駅までを2時間ちょっとで繋ぐ。

北海道帰省の際にほぼ鉄道を利用していた私にとって、いずれも思い出深い特急列車である。しかしながら本年(2016年)3月に北海道新幹線が開業、特急白鳥とスーパー白鳥は当然ながら廃止となるようだ。年末に最後となるであろうスーパー白鳥に乗車、その記念と間もなくの廃止を偲んで記事に書き残したい。




スーパー白鳥
青森駅からスーパー白鳥95号に乗車し函館駅に到着。


函館駅構内より函館山を望む
函館駅構内より函館山を望む。毎度のことながら函館山を見れば「はるばる来たぜ函館へ~♪」の気分に。


スーパー白鳥
折り返しの新青森駅行スーパー白鳥24号となって旅客の乗車に備える。


スーパー白鳥
ようこそ函館へ。


スーパー白鳥
大晦日前日の12月30日、帰省ラッシュで列車内は混雑。旅客が次々とスーパー白鳥に乗り込む。


スーパー白鳥
函館駅7番ホームに停車するスーパー白鳥。


スーパー白鳥
函館駅は函館本線や津軽海峡線の起終点駅。ここで鉄路は途切れる。


函館駅
函館駅構内ホーム連絡通路。


函館駅
帰省ラッシュで混雑する改札口。開業が間近に迫った北海道新幹線の横断幕を掲げる。


函館駅04
平成15年(2003年)に5代目となる函館駅の駅舎が開業。近代的なデザインの駅舎となった。


函館駅
北海道新幹線の開業まであと87日!


函館駅
北海道新幹線H5系。ついに新幹線が北の大地を駆け抜ける。今から楽しみ。


スーパー白鳥とスーパー北斗
ここからは大晦日、札幌に向かう前の函館駅で撮影。発車を待つスーパー白鳥16号とスーパー北斗3号。


スーパー白鳥とスーパー北斗
函館でこの光景が見られるのもあと僅か。目に焼き付けておこう。


スーパー白鳥
函館駅6番線で出発を待つスーパー白鳥16号。


スーパー白鳥
スーパー白鳥は青森に向けて発車。さようなら。


スーパー北斗
私はスーパー北斗3号に乗車して札幌へ。


撮影日:2015年12月30日(水)、31日(木)
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テーマ : 北海道
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大森浜と砂山

函館市街の南東部、津軽海峡に面する住吉漁港から湯の川温泉にかけての海岸線に大森浜と通称する砂浜が続く。かつては大森浜一帯(現在の高盛町・日乃出町辺り)に砂山(海岸砂丘)が形成されており、砂が大きく盛り上がるの意から高大森(高大盛とも)と呼ばれた。石川啄木が函館に移住した明治40年(1907年)頃、初夏になると大森浜と砂山にはハマナスが咲き誇って美しい景観を見せ、啄木は好んでここを散策し数々の歌に残している。

東海の 小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる

砂山の 砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠く おもひ出づる日

潮かおる 北の浜辺の 砂山の かの浜薔薇(はまなす)よ 今年も咲けるや

大正期になると貧困層の人々がこの砂山に穴を掘り小屋掛けする等して住みはじめ、後に掘っ立て小屋が建ち並ぶ貧民街を形成、サムライ部落(砂山部落とも)と呼称された。後に函館市街の拡大に伴いゴミや糞尿の処理場と化して環境が悪化、戦後には砂鉄採取のために砂山の取り崩しが本格化する。昭和31年(1956年)大森浜を横断する国道278号が開通、この工事によってサムライ部落は立ち退きを迫られ、昭和40年代に砂鉄を採り尽された砂山も完全に姿を消した。啄木が愛した大森浜と砂山はそんな奇異な運命を辿ることになるのだが、現在はどうなっているのか…。散策してみよう。

空中写真_函館_1948年
空中写真データ:国土地理院 整理番号USA-R250-50を基に作成
昭和23年(1948年)4月撮影の函館市街

宅地化した西側の砂山跡(現 高盛町辺り)に昭和10年(1935年)12月竣工の高盛小学校校舎が見え、東側半分(現 日之出町辺り)には高大森の砂山が残っていることを確認できる。大森浜の沿岸を昭和31年(1956年)開通の国道278号が通っている。




函館朝市
函館駅に降り立ち、まずは朝市の蟹商さんで年末恒例のタラバと毛ガニを買い求め。


大森稲荷神社
函館駅から駅前通り(国道278号)を直進して大森町へ。大森浜に鎮座する大森稲荷神社。


大森稲荷神社
大森稲荷神社の創祀は定かではないが弘化三年再建の棟札があり、江戸時代後期には存在していたことは確かなようだ。元はあさひ小学校(函館市大森町6−11)前の海に面してあり、明治43年(1910年)現在地へ遷座。昭和9年(1934年)函館大火で社殿が類焼し、同12年(1937年)再建された。現社殿は昭和45年(1970年)新築されたもの。


大森稲荷神社
稲荷神社らしく狛狐が祭神を守る。


大森浜
大森神社裏手、大森浜より函館山南東端の立待岬を望んで。


大森浜
海面に夕陽が映える大森浜。


大森浜
大森浜より湯の川方面を望む。


津軽海峡
津軽海峡冬景色。彼方に下北半島がうっすらと見えている。


大森橋
大森稲荷神社から漁火通を湯の川方面へ向かう。亀田川に架かる大森橋。


亀田川と函館市慰霊堂
大森橋より函館市慰霊堂と亀田川を望む。函館市慰霊堂は昭和9年(1934年)函館大火による遭難死者の慰霊を目的に昭和13年(1938年)完成した。函館大火では市街地の3分の1が焼失、死者二千名を超す大惨事となった。意外にも死因で最も多かったのが溺死で、これは亀田川に架かる橋がすべて焼け落ち、市街から逃げ出す人々は亀田川に阻まれて大森浜の方に殺到、ここで激浪と猛火に逃げ場を失い、やむなく川や海に飛び込んで命を落としたらしい。


亀田川河口
大森浜に流れ込む亀田川。当初の亀田川は梁川公園付近から西へ流れて函館湾に注いでいたが、明治21年(1888年)現流路が開削されて大森浜に流れ込むように。そのため函館大火当時は新川と称していた。ここは函館大火で800名以上の犠牲者を出した現場、穏やかな海と静かな川の流れに当時の悲惨な状況を想像するのは難しいが、約80年前に思いを馳せて冥福を祈りたい。


大森橋
大森橋より函館市街を望む。


漁火通 函館市宇賀浦町
大森橋東詰、漁火通。大森町から宇賀浦町に。


大森浜
”シーサイドホテルかもめ”裏手、大森浜にて。


高盛小学校
大森浜の砂山、高大森跡西側に建つ高盛小学校。現校舎は函館大火の翌年、昭和10年(1935年)12月竣工、当時は大森小学校と称す。函館市復興計画の一環で建築された復興小学校の一つ、鉄筋コンクリート3階建てで今も現役である。


高盛小学校体育館
歴史の長さを感じさせる高盛小学校体育館。


光成中学校
高大森跡中心に位置する光成中学校。昭和23年(1948年)創立、当初は高盛中学校と称し翌年に新校舎が完成、その後に現校名へ改められた。昭和23年(1948年)4月撮影の空中写真を見ると、光成中学校の場所はまだ砂山の状態で、これから校舎の建設がはじまるところなのだろう。


古清商店
高大森跡東側にある古清商店。


日ノ出広路
高大森跡を縦断する日ノ出広路。中央分離帯(グリーンベルト)には黒松が植えられ浜辺らしい雰囲気。


日ノ出広路
日ノ出広路が漁火通に突き当たる地点、小ぢんまりとした盛り上がりがある。砂山の名残だろうか。


啄木小公園と漁火通
漁火通沿い、大森浜にある啄木小公園。


土方・啄木浪漫館
啄木小公園に隣接してある土方・啄木浪漫館。以前に見学したことがあるが、せっかくなので再度入館。土方歳三や函館戦争に関する展示が多い。中でも刀剣類の展示は見応えあり。浪漫シアターでは啄木先生に向かい机を並べて学ぶ子供らの人形が当時の教室を再現、石川啄木の生涯を映像化して上映する。

土方・啄木浪漫館
http://www.romankan.com/


啄木小公園
函館山を背景にして啄木小公園を写す。函館山の夜景と並び絶好の撮影スポット。これでハマナスが咲いていれば尚更だ。


啄木小公園から立待岬を望む
凍てつく海に晩照が射す。


啄木小公園付近の大森浜
啄木小公園より亀田半島南端、汐首岬を望む。


土方・啄木浪漫館
浜辺より土方・啄木浪漫館を眺め。


石川啄木像と函館山
石川啄木像と函館山。


石川啄木像
後ろ姿に哀愁が漂う。


ラッキーピエロ人見店
啄木小公園から歩いてラッキーピエロ人見店に。ラッキーピエロは函館近郊で展開する地元で人気のハンバーガーショップ。最近テレビで紹介されたらしく、会社の同僚から是非行ってみてと言われたことをきっかけに来訪。店内に入りメニューを見て面食らった。ハンバーガーだけではなくラーメンや炒飯、カレーライスにカツ丼と、他にもメニューが多彩にあり、すっかり腹を減らしていた私にとってはどれも魅力的なメニュー。店の内外装もさることながらメニューも個性的な飲食店である。

ラッキーピエロ
http://luckypierrot.jp/


チャイニーズチキンバーガー
ラッキーピエロで1番人気のチャイニーズチキンバーガー。半信半疑ながら注文したバーガーセットなのだが、確かにこれは美味しい!鳥の唐揚げが柔らかくてシューシーで、ハンバーガーにぴったり。


ハセガワストア湯の川店
チャイニーズバーガーだけでは腹に物足りず、ハセガワストア湯の川店に立ち寄り、函館名物やきとり弁当を注文。

ハセガワストア
http://www.hasesuto.co.jp/index.html


やきとり弁当
宿泊先のホテルかもめ館で函館名物やきとり弁当を賞味。この弁当にのる焼肉、実は焼き鳥ではなく焼き豚なのだ。タレ、塩、塩だれ、うま辛からの4種から味付けを選べ、私は”たれ”を選択。函館に来れば海産物を食べたくなるところだが、このやきとり弁当はクセになる美味さでおススメできる一品。次は塩で食べてみたい。


撮影日:2015年12月30日(水)
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厳冬の留萌本線を訪ねて(留萌駅~増毛駅)

平成27年(2015年)大晦日、函館から旭川の実家に辿り着く。紅白歌合戦を見てから実家近くの神社に参拝して安眠の後、本年中に廃止が予定されている増毛駅がどんな元日を迎えているのか、元旦の朝に居ても立ってもいられずに出かけた。車で留萌駅まで移動、12:14発増毛行の列車に乗車して増毛駅へ。最後の正月になるであろう増毛駅を中心に、厳冬を迎えつつある留萌本線の様子を。




留萌駅駅舎
平成28年(2016年)元旦を迎えた留萌駅。そこそこ良い天気に恵まれ。


留萌駅
改札口前で多くの人が列車の到着を待つ。


留萌駅
深川駅11:08発の列車が到着。2両編成の列車は留萌駅で切り離され、12:14発増毛行と12:15発深川行に分かれる。


IMG_8647.jpg
キハ54気道車と除雪車。


留萌駅
私は写真左側の増毛行に乗車。


阿分トンネル
留萌駅~増毛駅間で唯一のトンネルを潜り抜け。


増毛行車内
多くの乗客が車窓からの風景を目に焼き付ける。


増毛駅
定刻通りの12:44増毛駅に到着。元日にも関わらず廃線の報せを聞いた鉄道ファンで賑わう。


増毛駅
凍てつく日本海沿岸を往来してきた気道車。その勇姿を多くの人が写真に残そうと。


増毛駅04
増毛駅で折り返しの出発を待つキハ54形気動車。


増毛駅
増毛駅での停車時間は僅か10分、12:54発の深川駅行きに。


増毛駅
出発直前、増毛駅に残るのは僅かな人。


増毛駅
多くの旅客を乗せて増毛駅を出発。次に列車が来るのは2時間後。


増毛駅
増毛駅駅舎内にある孝子屋ぐるめ食品は正月休み。


増毛駅
ささやかながら正月の飾りつけをする増毛駅入口。


増毛駅
増毛駅駅舎とその右奥に増毛灯台。


増毛駅
列車が過ぎ去った後、増毛駅はしばらく静寂に包まれる。


旅館富田屋
長年の間、増毛駅と共に過ごしてきた旅館富田屋。


増毛駅前
増毛駅前、道道301号。元日の昼過ぎ、行き交う車や人は少ない。


旧商家本間家
増毛市街の商店同様、旧商家本間家も正月休み。


増毛厳島神社
増毛厳島神社へ参拝に。


増毛厳島神社03
健やかな成長を願い。


日本海とカムイエト岬を望む
増毛町別苅、暑寒別川河口付近よりカムイエト岬を望む。日本海の色が寒々しい。


増毛海栄ラーメン
元日だけに増毛町市街の店がほぼ休業している中、弁天土日市場の海栄ラーメンだけは暖簾を掲げる。昼飯を食べそこなっていただけに有難い。前回訪問時と同じく塩ラーメンを頂いた。


信砂駅
信砂駅に到着した増毛行列車。


信砂駅
信砂駅での乗降客はいない。


信砂駅
風雪の厳しさを物語る。


瀬越駅
瀬越駅は白銀の世界に。


第10留萌川橋梁と福港橋梁
第10留萌川橋梁と福港橋梁。


第10留萌川橋梁を行くキハ54形気動車
第10留萌川橋梁を行くキハ54形気動車。


留萌駅
冬の留萌駅ならではの光景。


オタルマセタベツ川河口付近
オタルマセタベツ川河口付近、寒々しい浜中海水浴場。しかしながら黄金色に輝く日本海が美しい。


撮影日:2016年1月1日(金)、最後の写真4枚は1月4日(月)撮影
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厳冬の留萌本線を訪ねて(留萌駅~石狩沼田駅)

留萌本線を留萌駅から深川方面へ一駅ずつ訪ねてみることに。留萌本線は起点の深川駅から増毛駅まで総延長66.8km、留萌駅までは50.1kmの鉄道路線で、深川市・秩父別町・沼田町・留萌市に跨り鉄路を延ばす。2016年度中に廃止が予定されている留萌駅~増毛駅間もさることながら、留萌駅~深川駅間の留萌本線も大幅な赤字路線。そう遠くない将来に廃止されてしまう可能性が高い。途中の恵比島駅はNHK連続テレビ小説「すずらん」(1999年放送)の舞台となり、ドラマのセットで作られた明日萌駅や駅長宅、駅前には中村旅館がドラマの世界観を残し、その隣駅である峠下駅はその名が示す通り恵比島峠の麓にあり、駅周辺に民家が見当たらない秘境駅。無くすには惜しい、今のうちにこの目と写真に焼き付けておこう。




大和田駅駅舎
留萌駅から深川方面へ1駅目、大和田駅。留萌本線の駅舎に数多くある貨車駅舎。開業は明治43年(1910年)、当初は有人駅だったが昭和59年(1984年)無人駅に。それから数年後には木造駅舎が解体され現在の貨車駅舎となった。


大和田駅駅舎内
大和田駅駅舎内。ベンチ上には留萌本線の各駅に見られる旅ノートを置く。


大和田駅構内
大和田駅構内。現在は単式ホームのみだが、かつては写真ホーム右側にも線路がある島式ホームだった。


留萌本線大和田駅~藤山駅間にて
雪煙をあげて疾走(大和田駅~藤山駅)。


藤山駅
留萌駅から深川方面へ2駅目、藤山駅。明治43年(1910年)開業、当初は有人駅だったが昭和59年(1984年)無人駅に。駅舎は事務室部分が解体され待合室部分だけを残す。縮小しながらも木造駅舎を残す理由は、きっと地元住民の願いと努力があってのことだろう。駅前には藤山開拓之碑があり、未開の地を開拓し藤山を切り開いた先人たちを讃える。


藤山駅駅舎内
藤山駅駅舎内。待合室は暖房設備も無く風雨を凌げる程度。


藤山駅構内
藤山駅構内。単式ホームを有するだけだが、かつては相対式ホーム2面2線で、写真右手奥にもホームがあった。


幌糠駅駅舎
留萌駅から深川方面へ3駅目、幌糠駅。大和田駅と見間違うほどにそっくりな貨車駅舎。明治43年(1910年)開業、当初は有人駅だったが昭和59年(1984年)無人駅となり、それから数年後には現在の姿に。


幌糠駅駅構内
幌糠駅駅構内。地元の方が除雪し列車の到来に備える。


幌糠駅駅舎内
幌糠駅駅舎内。


幌糠駅にて
幌糠駅の旅ノートは盗難にあったもよう。数枚の紙切れにここを訪れた旅人の思いが綴られる。しかし旅ノートを盗んで何に使うというのか…。


幌糠駅前
これといって特筆すべきこともない幌糠駅前。


幌糠市街
幌糠市街。降りしきる雪の中を。


第3留萌川橋梁
幌糠駅~峠下駅の間、留萌川に架かる第3留萌川橋梁。


峠下駅駅舎
留萌駅から深川方面へ4駅目、峠下駅。明治43年(1910年)開業、当初は有人駅だったが昭和59年(1984年)無人駅になったが、有人駅時代の駅舎がそのまま残り往時を偲ぶ。事務室は除雪等の保線要員が使う詰所となっており、駅前には通勤用の車が数台停まる。


峠下駅駅舎内
峠下駅駅舎内。この駅は周辺に民家が存在しない秘境駅、乗降客はほとんどいないのだろう。待合室は除雪機の置場に。


峠下駅構内
峠下駅は深川駅と留萌駅の中間に位置し、駅舎と共に複線化された構内を残す。深川駅~留萌駅間において列車交換が可能な唯一の駅である。


峠下駅構内
恵比島峠越えを控える峠下駅。


峠下駅構内
峠下駅構内より留萌方面。除雪を終えた保線要員が駅に戻ってくる。


恵比島駅
留萌駅から深川方面へ5駅目、恵比島駅。実は写真右端の建物が駅舎で、中央はNHK朝ドラ「すずらん」のセットとして作られた明日萌駅。


恵比島駅前
連ドラに使われた中村旅館が残る恵比島駅前。元々の中村旅館は旧黒瀬旅館の建物。私が今から20年近く前の中学か高校時代に訪れ時は、ここで乗車券の委託販売をしていたような記憶がある。連ドラ放送当時は右隣に米穀店や呉服店、居酒屋、日用雑貨店のロケセットが並んでいた。


明日萌駅
主人公の萌は赤ん坊の時に明日萌駅で母から捨てられ、駅長の常盤次郎に拾われた。

北海道沼田町 公式ホームページ『明日萌(あしもい)の里』
http://www.town.numata.hokkaido.jp/section/nougyou/ujj7s30000001lu0.html


明日萌駅
明日萌駅駅舎内。昭和初期のローカル駅を再現している。冬期は中に入れないようだ。


明日萌駅
窓越しに外を見つめる萌。


恵比島駅構内
明日萌駅(恵比島駅)構内。ここにSLが走り込んできたら気持ちは昭和初期にタイムスリップできるだろうに。
因みに朝ドラ放映終了後の平成11年(1999年)留萌本線でSLすずらん号が運行を開始、近年までタイムスリップを体感できたのだが、ブームが過ぎ去り平成18年(2006年)9月の運行をもって終了となった。復活を願う。


恵比島駅駅舎内
こちらが現実の恵比島駅駅舎内。外側を板張りされて気付きにくいが、実は貨車駅舎。恵比島駅は明治43年(1910年)開業、当初は有人駅だったが昭和59年(1984年)無人駅に。


真布駅03
留萌駅から深川方面へ6駅目、真布駅。昭和31年(1956年)仮乗降場として開業、昭和62年(1987年)駅に昇格。簡易な単式ホーム上に待合所を設ける。


真布駅待合所内
真布駅待合所内。やはりベンチ上には旅ノートが。


真布駅
駅周辺に民家は疎ら。雪明りに佇む駅、暖色の灯りが照らされる姿形が北国への旅情を誘う。


真布駅
1両編成の増毛行が乗降客のいない真布駅を後に。


石狩沼田駅
留萌駅から深川方面へ7駅目、石狩沼田駅。明治43年(1910年)沼田駅として開業、大正13年(1924年)現駅名に改称する。昭和6年(1931年)札沼線が全通し、留萌本線と札沼線の接続駅に。昭和47年(1972年)石狩沼田駅~新十津川駅間が廃止となり、昭和59年(1984年)窓口業務が簡易委託化された。


石狩沼田駅
行く人も待つ人もいない石狩沼田駅駅舎内。


石狩沼田駅窓口
石狩沼田駅の切符販売窓口。深川駅から依頼された沼田町の嘱託職員が切符類を販売。現状維持のため利用実績を確保したいので、沼田駅で切符を購入してほしいとのお願いが掲示されていた。私も一助になりたく、次の機会にここから留萌本線に乗車してみたい。


石狩沼田駅構内
石狩沼田駅構内。現在は駅舎隣接の単式ホームに列車が停車するのみ、向かいに使われなくなった島式ホームが残存している。かつてはホーム深川側に跨線橋が設けられていた。


石狩沼田駅
石狩沼田駅に16:59深川行が到着、乗客1人を乗せ間もなく発車する。


石狩沼田駅駅前
行き交う人もいない駅前通り。


秩父別温泉
日没を迎えて本日の留萌本線各駅巡りは終わり。”秩父別温泉ちっぷ・ゆう&ゆ”で冷え切った体を温めて帰ろう。


撮影日:2016年1月4日(月)
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旭川駅

私にとって最も愛着がある駅と言っても過言ではない旭川駅。少年期から現在まで、札幌へ遊びに行くとき、帰省して両親に迎えられるとき、そして別れを告げ新千歳空港へ向かうとき、旭川駅は記憶のアルバムに数多く残っている。旭川駅の開業は明治31年(1898年)、私がよく記憶する駅舎は昭和35年(1960年)竣工の3代目。2階建ての黄土色がかった細長い駅舎で、ホーム間は地下通路と跨線橋で結ばれていた。駅舎内から地下に通ずる階段を下ればステーションデパート、ここからホーム地下通路へ直接アクセスできる改札口が設けられていた。平成23年(2011年)4代目駅舎が全面開業、先代とは全く風貌を別にしてしまい旭川駅のイメージは大きく変わっている。

今年(2016年)3月に新青森駅から新函館北斗駅まで延伸して開業する北海道新幹線は、2031年には札幌駅まで延伸開業する計画。実は基本計画によれば北海道新幹線の最終形は札幌駅までではなく、ここ旭川駅までなのである。日本が人口減少社会を迎えた今、実現可能性が極めて低いように思えるが、もし東京駅から新幹線に乗車して6、7時間程で旭川駅に降り立ち、大雪山と石狩川を眺めることができたならば、これほど痛快で愉快なことはないだろう。その時、僅かに面影を残す街並みに自分が生きてきた時代が終えたことを感ずるのかもしれない。




1980年代、国鉄時代の3代目旭川駅
昭和50年代後半、国鉄時代の3代目旭川駅。旭川駅といえばイメージするのはこの駅舎。


L特急ライラック
昭和50年代後半撮影、北海道の大動脈である旭川~札幌~室蘭間を繋いだL特急ライラック。撮影場所は札幌駅と思われるが、はっきりしない。国鉄781系電車を見ると童心に返る思いで懐かしい。


昭和57年(1982年)8月旭川駅にて
昭和57年(1982年)8月、旭川駅に停車する国鉄キハ40系気動車。バックに開業間近の旭川エスタが見える。


旭川駅
これが平成23年(2011年)全面開業した4代目旭川駅。30年ぐらい先の北海道新幹線旭川延伸開業を見越しているのか、ホームが高架化されて新幹線停車駅にふさわしい近代的な駅舎に。


旭川駅
旭川駅に隣接するイオンモール旭川駅前。昨年(2015年)開業した。


旭川駅前
駅前に西武デパートは健在。高校卒業直後の上京前、親にスーツを仕立ててもらった思い出あるデパート。


旭川駅前
旭川駅前から歩行者天国の平和通買物公園が延びる。


イオンモール旭川駅前にて
イオンモール旭川駅前にて。「安心してください、はいてますよ。」でブレーク中の”とにかく明るい安村”、最近知ったことだが旭川市出身で今や旭川市観光大使に任命されているという。


旭川駅構内
旭川駅駅舎内。天井が高くて広々とした印象、北海道新幹線開業の横断幕を掲げ東北への旅を誘う。ここから函館へ鉄道で行くにはまだまだ遠い、新幹線が札幌駅まで開通すれば現実味を帯びてくるのだが…。


旭川駅構内にて
旭川と言えば旭山動物園。


旭川駅西改札口
旭川駅西改札口。


旭川駅裏側
旭川駅裏側、忠別川の河川敷に面しているため特に冬場は殺風景で人の往来は少ない。


旭川駅6番ホーム
旭川駅6番ホームに停車する増毛行。1日1本だけ旭川駅から留萌本線への直通列車がある。せっかくなので隣の近文駅まで乗車することに。近代的な旭川駅構内に停車するキハ54形気動車に少々違和感を感ずる。


旭川駅6番ホーム
「増毛-旭川」のプレートを掲げる。これも今年で見納めになってしまうのか…。


近文駅
15:35定刻通りに近文駅へ到着。


近文駅付近
近文駅を後にするキハ54形気動車。終着の増毛駅に到着するのは17:39、今時期ならばすっかり日が暮れていることだろう。廃止される前に増毛駅まで乗ってみたい。


撮影日:2015年12月31日(木)、2016年1月2日(土)
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吉田宿

【旧東海道歩き 第16日目】豊橋駅→吉田宿→吉田城址→二川宿→二川駅



Tokaido34_Yoshida.jpg
東海道五十三次之内吉田 豊川ノ橋
ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典「吉田宿」より引用


【2015年11月29日(日)旧東海道 吉田宿】
しばらく北海道の記事が続いた。そろそろ旧東海道歩きの記事を書き進めなければ。今回の記事に書く旧東海道歩きは昨年(2015年)11月、日の入りが最も早い時期であり、吉田宿と吉田城下の散策がメインとなり、次の二川宿までは少々足早に歩みを進めることに。道中の岩屋観音に登ったところで日没を迎え、二川宿へ着いた頃にはすっかり日が沈んで闇に包まれてしまう。なかなか遅々として進まない旧街道歩きだが、”ゆっくり、のんびり”をモットーにした旅なので、これからも焦らず急がずな感じで行こう。まずは吉田宿から。

吉田通れば二階から招く しかも鹿の子の振袖が

華美な飯盛り女を多く抱え、里謡に歌われるほどに賑わった吉田宿。江戸日本橋から東海道五十三次を34宿目、京都三条大橋から20宿目、現在の豊橋市市街がその跡地となる。天保14年(1843年)当時、吉田宿の町並み長さ23町30間(約2564m)、人口5277人、家数1293軒、本陣は清須屋中西与右衛門、江戸屋新右衛門の2軒、脇本陣が桝屋鈴木庄七郎の1軒、旅籠65軒。さすがに吉田城の城下町だけあって規模が大きい。京方入口は豊川に架かる吉田大橋、その南詰から船町・田町・坂下町・上伝馬町・本町・札木町・呉服町・曲尺手町・下モ町と東海道沿道に町並みが続き、札木町に本陣・脇本陣・問屋場を置いた。名産物は煙草・火口(ほくち)・甘酒。




豊橋駅
2ヶ月ぶりの豊橋駅に降り立ち。


豊橋市大橋通歩道橋より豊橋を望む
豊橋市大橋通歩道橋より豊橋を望む。まずは吉田宿の京方出入口だった吉田大橋跡(現 豊橋)へ。


吉田湊跡と豊橋
伊勢湾交通と物流で賑わった吉田湊跡。ここから吉田宿散策をはじめよう。


橋本山龍運寺
吉田大橋跡の南詰付近、豊橋市船町に建つ橋本山龍運寺。


豊橋市船町の大橋通り 
豊橋南詰より船町の大橋通りを望む。”大橋通り”という道名の由来は江戸時代の吉田大橋にあるのだろうが、現在は豊橋から豊川を約600m上流、国道1号に架かる橋が吉田大橋と称しており勘違いしてしまう。国道の方は吉田新大橋とすべきだろう。


吉田宿船会所
船町にある吉田宿船会所。朝の早い時間、今回も入口を眺めただけで通り過ぎ…。


豊橋市湊町
船町交差点を左折して旧田町(現 豊橋市湊町)へ。


湊神明社
前回も参拝に訪れた湊神明社。


湊神明社
2017年(平成29年)に20年毎の式年遷宮を迎えるらしい。


湊築島弁天社
池中の小島に鎮座する湊築島弁天社。戦国時代に琵琶湖の竹生島から弁財天を勧請したことにはじまり、天和3年(1683年)神明社境内に社殿が建立されたという。現社殿は棟札から寛政7年(1795年)の建築とされる。


松尾芭蕉吉田の宿の旅籠の記
湊町の旧東海道筋に建つ石碑。「松尾芭蕉吉田の宿の旅籠の記」と芭蕉の句を刻む。貞享4年 (1687年)松尾芭蕉は渥美郡保美の里(現 田原市保美町)に住む愛弟子坪井杜国を訪ねる旅の途次、吉田宿の旅籠に宿泊したことを碑に綴る。この時に芭蕉が聖眼寺(豊橋市下地町)に立ち寄り句を詠んだことは前の記事「吉田湊」に書いたので参照を。


豊橋市湊町
旧田町(現 豊橋市湊町)の東端付近、旧東海道。


豊橋市湊町03
旧田町と旧坂下町(現 豊橋市湊町)境辺り、旧東海道は写真右から奥へ鉤の手に曲がる。


千両屋銘木店
旧坂下町(現 豊橋市湊町)にある千両屋銘木店。


吉田城西惣門跡
吉田城下京方出入口、西惣門跡。モニュメントを設けて往時を偲ぶ。ここは江戸時代に坂下町と上伝馬町の境にあたり、西惣門は本興寺(静岡県湖西市鷲津)の惣門を参考に建造されたという。ちなみに現在の本興寺山門は延宝2年(1674年)に吉田城大手門を移築したもの。


吉田城外天王門跡
西惣門から東へ100m程、総堀を廻らす吉田城外郭への西側出入口だった外天王門跡。酒井宝飾店がある辺りがその跡地。総堀は埋め立てられ門跡を示す標識すらなく、往時を偲ぶ術がない。


吉田城西惣門跡
上伝馬町側より西惣門跡を望む。


吉田宿上伝馬町
上伝馬町を行く旧東海道。


吉田城上伝馬町
上伝馬町の旧東海道は広い歩道が設けられ歩きやすい。


旧上伝馬町・本町境の鉤の手
上伝馬町と旧本町(豊橋市新本町)の境、旧東海道は北から東(写真左から奥)へ鉤の手に曲がる。


旧東海道 豊橋市新本町
鉤の手を曲がれば旧本町(現 豊橋市新本町)の町並み。


きく宗
本日最大の目的はここ”きく宗”で名物の菜めし田楽を食べること。”きく宗”は文政年間(1818年~30年)創業の老舗料理店。まだ昼までには時間があるので、吉田宿の散策を終えてから再訪することに。

きく宗
http://kikusou.jp/


大正軒
”きく宗”近くの和菓子店、大正軒に立ち寄り。こちらも明治9年(1876年)創業という老舗。

大正軒
http://www.arujan.net/taisyouken/


大正軒のみたらし団子
みたらし団子を注文し、店内の食事スペースで早速頂きました。


大正軒のみたらし団子
焼きたてのみたらし団子、見た目だけで美味さが伝わってくる。外は絶妙な焼き加減の焦げ目、中もっちりの食感がたまらない。これに奇跡とも思える程に甘辛のタレがマッチする。これを目的に豊橋へ来るものありだと思う。


旧東海道 豊橋市札木町
吉田宿の中心だった札木町へ。高札場が設けられていたことが地名の由来。江戸時代に本陣・脇本陣・問屋場を置き、多くの旅籠が軒を連ねて賑わった。


若松園本店
前回の歩き旅で豊橋名物の和菓子”ゆたかおこし”を買い求めた若松園本店。


うなぎ丸よ
吉田宿本陣清須屋中西与右衛門家跡。現在は”うなぎ丸よ”の店舗が建っている。右隣にもう一方の本陣、江戸屋新右衛門家があった。


吉田宿本陣跡
吉田宿本陣清須屋跡と江戸屋跡を望む。


吉田宿問屋場跡
NTT西日本豊橋ビル(写真右手のビル)辺りが問屋場跡。


旧東海道 豊橋市札木町・呉服町
札木町と呉服町の境から吉田城大手門へ続く道。


吉田城大手門跡
吉田城大手門跡。天正18年(1590年)池田輝政が吉田城を拡張整備した時、ここへ大手門を移したと伝わる。明治初年に取り壊されてしまった。


明治初年撮影の大手門
明治初年撮影の大手門(豊橋市教育委員会設置の吉田城案内図より)。吉田城の正面入口にふさわしい重厚な造り。


旧東海道 豊橋市呉服町
呉服町の旧東海道、札木町方面を望む。


呉服町の鉤の手
呉服町と曲尺手町の境、旧東海道は左(写真左から奥方向)へ鉤の手に曲がる。


曲尺手町の鉤の手
呉服町と曲尺手町の境をなす連続する鉤の手道(旧東海道)。


旧東海道 曲尺手町
曲尺手町京方の町並み。地内の街道が曲尺のように曲げられていたことに町名の由来がある。


海鮮茶屋やまや
曲尺手町の街道沿いにある海鮮茶屋やまや。旧宿場町らしい佇まいの居酒屋。


曲尺手門跡
曲尺手町から城内への入口、曲尺手門跡。


旧東海道 曲尺手町
曲尺手町を行く旧東海道。


旧東海道 曲尺手町
曲尺手町東側より旧東海道京方を望む。


旧東海道 鍛治町
曲尺手町から鍛治町へ。


東京堂
鍛冶町にある東京堂装粧品店(写真左)。化粧品店のようだが、豊橋にあって東京堂という店名に少々気が引かれたので。


旧東海道 鍛治町
鍛冶町と旧下モ町(現 豊橋市鍛冶町)の境、旧東海道は左へ曲折(写真左から奥方向)。


造立稲荷大明神
旧下モ町に鎮座する造立稲荷大明神。


吉田城東惣門跡
八町もちやの裏手辺りが吉田城東惣門跡。東海道の吉田城下江戸方出入口だった場所で、現在は東惣門をはじめ旧道の道筋も失われている。


吉田城東惣門跡
八町もちやの店前、国道1号に面してある吉田城東惣門のモニュメント。


吉田城東惣門跡
吉田城東惣門跡周辺は区画整理され、往時の道筋を残していない。


国道1号 東惣門跡付近
東惣門跡付近の国道1号。豊橋鉄道の路面電車が道中央を走る。


東八町駅
豊橋鉄道の東八町駅。


国道1号 東八町駅付近
東八町駅付近、写真中央奥が東惣門跡。


新町の大燈籠
東八町駅付近にある新町の大燈籠。文化2年(1805年)東惣門前に建立、以来吉田名物の一つとして地元住民や東海道を往来する旅人に親しまれる。昭和20年(1945年)三河地震で倒壊、昭和55年(1980年)豊橋公園内に復元され、平成13年(2001年)旧地付近に移設復元された。


吉田城柳生門跡
旧東八町(現 豊橋市八町通)から城内への入口、柳生門跡。八町小学校南側、豊橋ファッション・ビジネス専門学校の左隣辺りがその跡地と思われる。


安久美神戸神明社
吉田宿の散策を終え、安久美神戸神明社を参拝に。
そろそろ腹が減ってきた。”きく宗”へ向かおう。


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しまむー

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自称りーまんな旅人。
千葉県在住。

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東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
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鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
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【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
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