吉田城址

【2015年11月29日(日)旧東海道 吉田宿】
吉田城の前身は天正2年(1505年)牧野成時(古白)が築城したとされる今橋城、東三河の要衝地にあり戦国時代初期から今川家と松平家(後の徳川家)が争奪戦を繰り返してきた。今橋城から吉田城へ名を改めたのは大永2年(1522年)牧野信成(古白の子)説と、天文年間(1532年~55年)今川義元説があるが定かではない。永禄3年(1560年)織田信長の奇襲により桶狭間で今川義元が横死、今川家が没落すると家康が吉田城を攻略し重臣酒井忠次を城代に置く。天正18年(1590年)秀吉が小田原征伐を終えて家康が関東へ移封、代わって豊臣家臣の池田輝政が15万2千石で入封。輝政は縄張りの拡張と城下町を整備し近世城郭への大改修に着手するが、その完成を見ずに在城11年で播州姫路へ移封する。慶長6年(1601年)代わって竹谷松平家の松平家清が3万石で入封し三河吉田藩が立藩、吉田城はその藩庁として、また東海道防衛の重要拠点として機能した。後の城主も幕閣に就く譜代大名が務めたが、城主の国替えが頻繁なうえに小藩だったため財政が苦しく、吉田城は江戸期を通して大きな変化も無く未完成のまま明治を迎えた。

吉田城の縄張りは北側の豊川を背にする本丸を中心に、南側に二の丸と三の丸、外郭に侍屋敷を置く半輪郭式の平城。本丸と二の丸に御殿を設け城域を総堀で囲み、その外側を東海道は城下西から東へ囲繞して通されていた。そんな吉田城下は明治になって大きな変革期を迎える。明治2年(1869年)吉田藩は豊橋藩へ改称、これに伴ない吉田城も豊橋城と名を変え、明治5年(1872年)宿駅制度が廃止となり吉田宿がその機能を失う。その翌年には廃城令が発布され、城は破却を免れるも兵部省の管轄に。明治6年(1873年)に旧城内で失火があり建造物の大半がこの時に焼失したらしい。明治17年(1884年)名古屋で歩兵第十八聯隊が新設、吉田城址に兵舎の建設がはじまり、明治20年(1887年)には全ての移駐が完了した。吉田城址には石垣や土塁、濠等の吉田城時代の遺構が残る一方、大日本帝国陸軍時代の門や哨舎、弾薬庫、灰捨場等の遺構が残されている。




きく宗
吉田宿の散策を終え、吉田城址を見学する前に再び”きく宗”へ。


きく宗
昼時前の11時過ぎ、店内は思った以上に空いていた。人気の有名店だけに混雑時の一人客は迷惑だろう。良い時間帯に来店できた。菜めし田楽定食を注文し、しばし待つ。


菜めし田楽
本日最大の目的は菜めし田楽を食べること。程よく焼いた表面に中がしっとり柔らかな豆腐、これに甘さが強い八丁味噌を塗りたくり、和辛子の辛味が程よく効いた味付け。この田楽が大根の葉を細かく刻んで混ぜ合わせたご飯に驚くほどマッチする。江戸時代から受け継がれてきただけはあるなと感じさせる一品。豊橋を訪れた際には是非ともこの味を堪能してほしい。


吉田城内天王門跡
腹ごしらえを終えた。吉田城内西側入口の内天王門跡から吉田城址の散策をはじめよう。写真左奥に見える”あいち情報専門学校”の建物辺りに太鼓櫓が設けられていた。


吉田神社
城域西側の関屋町に鎮座する吉田神社。


手筒花火発祥之地碑
吉田神社境内にある手筒花火発祥之地碑。社史に永禄元年(1558年)今川義元配下の吉田城城代 により手筒花火が奉納されたとあるらしく、これが発祥の地とする理由だという。毎年7月に行われる豊橋祇園祭では三河伝統として手筒花火が披露される。


金柑丸・城主守護稲荷社
吉田神社の境内社、金柑丸・城主守護稲荷社。開運出世・金運にご利益ありとされるお稲荷さん、江戸時代を通して目まぐるしく城主を変えた吉田城歴代城主が、後に立身出世したことにご利益の理由があるらしい。


吉田大橋
吉田神社の北側、豊川に架かる現代の吉田大橋。国道1号の整備に伴い昭和34年(1959年)に架橋された。


吉田城水門跡と吉田大橋
吉田大橋(国道1号)近くに残る吉田城水門跡。


吉田城水門跡
吉田城水門は豊川の城内船着場跡で、ここから舟運の荷物が城内へ運ばれた。当時の石垣が残る。


水門跡付近の豊川にて
水門付近の豊川にて。今は行き交う船も無く、代わりにカモが川面を往来する。


吉田城本丸二之丸略絵図_本丸
吉田城本丸二之丸略絵図より本丸部分を抜粋
吉田城築城500年記念(平成17年9月) 豊橋市設置の吉田城解説板より)

往時の吉田城本丸はこんな様子。私は絵図上側の北御多門から入城する。


川手櫓跡
吉田城本丸北西外、豊川に面して建てられていた川手櫓跡。


北御多門跡
吉田城本丸北側入口の北御多門跡。


吉田城鉄櫓
北御多門跡に隣接して建つ吉田城鉄櫓。本丸隅櫓の一つで、昭和29年(1954年)模擬再建された。


鉄櫓の石垣
鉄櫓の石垣は池田時代とされる吉田城最古の石垣。戦国時代に用いられた野面積みをよく残す。これを見れただけでも吉田城址へ来た甲斐があったというものだろう。


本丸井戸跡
本丸東側にある本丸井戸跡。本丸御殿の生活用水はここで汲み取られていたのだろうが、現在は埋め立てられ水面を見ることはできない。


入道櫓跡
本丸北東角、隅櫓の一つだった入道櫓跡。


裏御門跡
本丸東側出入口、裏御門跡。


金柑丸跡
裏御門が繋ぐ本丸東隣の金柑丸跡。歩兵第十八聯隊之址碑が建てられ、その奥に豊城神社の石鳥居、更に奥には神武天皇の銅像が立つ。


神武天皇像
金柑丸跡の神武天皇像は日清戦争後に奉安されたもので、元は歩兵十八聯隊の八町練兵場にあった。太平洋戦争後にここ金柑丸跡に移されたという。


金柑丸稲荷跡
金柑丸稲荷跡。現在は吉田神社境内に移されている。


吉田城本丸跡
裏御門跡付近の土塁上より、本丸と鉄櫓。


辰巳櫓跡
本丸南東角、隅櫓の一つ辰巳櫓跡。


南御多門跡
吉田城本丸南側、正面入口となる南御多門跡。


千貫櫓跡
本丸南西角、隅櫓の一つ千貫櫓跡。


吉田城本丸跡
本丸跡に長テーブルとパイプ椅子が整然と並ぶ。近々何かの式典があるのだろうか。


吉田城本丸と鉄櫓
本丸北西角、昭和29年(1954年)模擬再建された鉄櫓。日曜・祝日のみ一般開放されている。本日は日曜日、吉田城鉄櫓へ入ってみよう。


鉄櫓より本丸を望む
吉田城鉄櫓から本丸を見下ろす。


鉄櫓より豊川を望む
鉄櫓より豊川を望む。


鉄櫓より川手櫓跡と吉田大橋を望む
鉄櫓より川手櫓跡と吉田大橋(国道1号)を望む。


南御多門跡
南御多門跡を出て二の丸へ。

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岩屋観音と火打坂

【2015年11月29日(日)旧東海道 吉田宿】
吉田宿から旧東海道を次の二川宿へ向かう。東惣門跡を出た旧東海道は国道1号と化して南進、山中川・殿田川の2河川を渡ると国道を左へ分かれて旧道が出現し、立場が置かれた旧飯村(いむれ)の街村に。飯村(現 豊橋市飯村町)立場は吉田宿と二川宿の中間に位置、掛け茶屋が東海道沿いに並んだことから茶屋町とも称し、現在も殿田橋南側一帯に茶屋の字名を残す。旧立場を過ぎれば間もなく二軒茶屋跡、前方岩屋山の頂に岩屋観音を望み、岩屋観音への参詣道が右へ分かれる。旧東海道は大蔵山東麓を進んで火打坂に差し掛かり、坂を下りきれば二川加宿の大岩町(旧大岩村、豊橋市大岩町)に着く。火打坂の名は火打石を多く採ることができたことに由来するといい、坂途中の路傍に”尉と姥石”と呼ばれた2つの大石があった。




東八町交差点
東惣門跡付近、豊橋鉄道の路面電車が往来する東八町交差点。ここから次の二川宿へ向けて旧東海道を歩もう。


村田地所
東八町交差点近く、国道1沿いにある村田地所。看板建築の店舗ながら裏手に目を向ければ間口が狭く奥行きが深い鰻の寝床、江戸期の商家建築の名残だろう。


願成寺
豊橋市東新町、国道1号(旧東海道)筋にある願成寺。


不動院幼稚園
国道1号沿い、豊橋市瓦町通にある不動院幼稚園。


瓦町不動院
幼稚園敷地内には瓦町不動院がある。むしろ不動院境内に幼稚園があると言うべきか。幼稚園の敷地内なので近くまで行くことができず、柵の外より参拝するしかない。瓦町不動院は寛文4年(1664年)瓦町を新設するにあたり旧仁連木村(現 豊橋市御園町)より現在地へ移されという。瓦町はその名が示す通り瓦焼きの職人が多く住んでいたようで、元禄15年(1702年)不動院が改築された際、この地で焼成された鬼瓦が不動院の寺宝として保存されている。


瓦町交差点
国道1号と愛知県道502号(豊橋環状線)が交差する瓦町交差点。


寿泉禅寺
瓦町交差点角に寿泉禅寺、国道沿いに立派な山門が建つ。子育安産にご利益がある延命地蔵尊を安置する。


寿泉禅寺
回向柱に結ばれた紐が本堂へ延びる。おそらく秘仏の本尊に繋がっているのだろう。小規模ながら善光寺御開帳で見た光景によく似ており、この柱に触れれば本尊に触れたと同じ程度の御利益があるということ。


寿泉禅寺
寿泉禅寺本堂より、回向柱と三重の塔が建つ境内。


国道1号 豊橋市瓦町通
国道1号の瓦町バス停。瓦町は江戸時代に瓦製造が盛んに行われた地。現存する最古の鬼瓦に「三州吉田河原町細井新兵衛作 元禄二年巳三月吉日」の刻銘があるという。


河合精肉店
豊橋市瓦町通二丁目、国道1号沿いにある河合精肉店。”名物やきぶた”の看板が気になるが、定休日なのかシャッターが閉められ…。


河合精肉店
河合精肉店前にあるバス停のような丸看板。そこに書かれているのは「今日こそは 名物ローストビーフ」「今日こそは 店主手づくりビーフシチュー」、とにもかくにも味に自信がある証し。


瓦町神明社
瓦町に鎮座する瓦町神明社。


円六橋バス停
豊橋市瓦町通の南東端、国道1号の円六橋バス停。しかし周辺に橋らしきものが見当たらない。かつては南西側にある大池へ流れ込む川があり、この川を渡る国道に架けられていたのが円六橋。戦後に大池の北側が埋め立てられ流れ込む川も暗渠と化し、交差点とバス停名にその名残を留めるのみ。


三ノ輪西交差点角
三ノ輪西交差点角、まむしの看板を残す廃店舗。まむしを使った漢方や薬用酒を扱う専門店だったのか。


国道1号 豊橋市三ノ輪町
三ノ輪町を行く国道1号。かつては松並木の街道だったはずだが、全く面影を残していない。


白山神社
三ノ輪町に鎮座する白山神社


せんきの神
白山神社社殿隣にある”せんきの神”の祠。疝気(漢方で腰や下腹の内臓が痛む病気)に霊験あらたかな霊石を祀る。その昔、とある武士が疝気に苦しんでいたところ、この石で腰を撫でたら快方に向かい、以来せんきの神として祀ったと云う。


七富士稲荷大明神
ガスト豊橋三ノ輪店裏には七富士稲荷大明神が小ぢんまりと鎮座。


国道1号 豊橋市三ノ輪町
ひたすらつまらない国道歩き。


山中橋
山中川に架かる山中橋。東海道分間絵図に「中ばし 六マ」の記載が見られる。


飯村一里塚跡
殿田川手前で旧東海道は国道1号から左に分岐。この辺りが飯村(いむれ)一里塚跡だが痕跡を残していない。分岐点角辺りに「飯村一里塚跡」碑を置く。江戸日本橋から73里目(約287km)、京三条大橋からは45番目(実測で約220km地点、七里の渡しを27.5kmとして測定)の一里塚。


殿田橋
殿田川に架かる殿田橋。ここを渡れば旧飯村(いむれ)立場に。東海道分間絵図には「いむれはし 六マ」と記されている。


旧東海道 豊橋市飯村町茶屋
茶屋の字名が残る旧飯村立場。かつては茶屋が並び蕎麦切りを名物にしていた。


旧二軒茶屋
旧二軒茶屋(現 豊橋市飯村南2丁目)を行く旧東海道。沿道に数軒の茶屋があったようで、今も集会所や公園にその名を残している。


旧東海道 豊橋市岩屋町
旧東海道は豊橋市岩屋町へ入り正面に大蔵山を望む。


岩屋観音道分岐点
旧東海道・岩屋観音道の分岐点。左は火打坂に向かう旧東海道、右が岩屋観音への参詣道で東海道の裏道だった。


東海道岩屋山古道入口
岩屋観音を参詣するため東海道岩屋山古道(旧岩屋観音道)を進もう。


東海道岩屋山古道
東海道岩屋山古道(旧岩屋観音道)。大蔵山を挟んで本道の東海道は北麓、南麓の岩屋山との間に岩屋観音道が通されていた。


東海道岩屋山古道02
東海道岩屋山古道より岩屋山の頂に立つ観音像を望む。


岩屋山
東海道岩屋山古道から岩屋観音へアクセスする登山口。岩屋白菊明神が鎮座している。


岩屋観音
急斜面の岩場をよじ登り。


岩屋観音
岩屋山山頂に立つ岩屋観音。


岩屋観音と大蔵山
新幹線の車窓からも望める岩屋観音。ようやくその足元から拝むことができた。この聖観音立像は明和2年(1765年)建立されたのが初代、花・ベルツ(記事「御油宿」に父親の生家を紹介)が登山道の鉄柱と鎖を寄進したが、太平洋戦争中に立像をはじめ鉄柱や鎖も供出された。現在の立像は昭和25年(1950年)再建されたもの。


大蔵山
岩屋山山頂より隣の大蔵山を望む。


岩屋山山頂より二川宿を望む
岩屋山山頂より二川宿を望む。


火打坂
岩屋山を下山して火打坂へ。今では火打石の原石が転がっているわけでもなく、”尉と姥石”もどこにあったのかわからない。平凡なアスファルトの坂道が大蔵山山麓に延びる。


火打坂交差点
火打坂下の火打坂交差点。直進が二川宿方向、右に曲がれば旧岩屋観音道。


二川宿夜景
静寂の夜を迎えた二川宿に到着。


二川宿本陣
二川宿本陣に着いたところで本日の歩き旅は終い。次回に時間を設けてしっかり見学したい。


二川駅
二川駅から帰途につく。


【旧東海道歩き 第16日目】豊橋駅→吉田宿→吉田城址→二川宿→二川駅 歩行距離約19km
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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
千葉県在住。

Flashカレンダー
現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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