夜道慎むべし
【旧東海道歩き 第17日目】二川駅→二川宿→白須賀宿→新居宿→新居町駅
【2016年2月20日(土)旧東海道 二川宿→白須賀宿】
江戸時代の東海道は二川宿を抜けると、一里山立場までの約4kmは全く家の無い見事な松並木が連なる街道だった。そのため盗賊などが度々出没したのだろう、江戸道中記に「夜道可慎(よみちつつしむべし)」と書かれ、夜間の通行は避けるよう注意を促していた。現在も当時を彷彿するが如く、国道沿道の大半は畑地で、その途中にコンビニがあるものの廃棄物リサイクル会社や運送会社などがある殺風景な様相、味気の無い国道歩きが延々と続く。これに終止符を打つのが現存する一里山(細谷)一里塚、付近に下細谷村の街村にあたる一里山立場の茶屋が点在した場所だが往時の面影は薄い。ここを過ぎれば間もなく三河国(現 愛知県)と遠江国(現 静岡県)の境をなした境川を渡河する。境川の東側が猿ヶ馬場(猿が番場)と呼ばれた地で、広重が二川宿の題で名物かしわ餅の看板を掲げる茶屋の様子を描いた場所である。

二川駅から旧東海道歩きの旅を再開。前日とは打って変わって生憎の空模様、本日は雨中のウォーキングとなりそうだ。

二川宿本陣前を通り抜けて東の枡形へ。

商家駒屋横に延びる瀬古道。東の枡形で旧東海道と交差し、ここから松音寺門前に続く。路面が石畳できれいに舗装され古道の雰囲気を醸し出している。

瀬古道沿いの商家駒屋入口。

商家駒屋横、旧東海道に向かって延びる瀬古道。

東の枡形から南側に延びる瀬古道。この行く先は東海道本線・新幹線に分断されるが、梅田川まで道筋を残している。

新橋町・東町の境をなす新橋川に新橋が架かる。

二川八幡神社で道中の安全を祈願。

新橋東詰、二川宿東町の町並み。

東町の中程より道を延ばす妙泉寺参道。

妙泉寺参道入口にあるお食事処とりつきや(取付屋)本店。

妙泉寺本堂。山号を延龍山、日蓮宗の寺院。貞和年間(1345年~50年)日台上人が建立した小庵にはじまり、江戸時代初期に日意上人が荒廃していた寺を現寺号に改称して再興、万治3年(1660年)旧地より現在地に移転して現山号へ改めたという。

妙泉寺境内の紫陽花塚。寛政10年(1798年)建立の芭蕉句碑を残す。
紫陽花や 藪を小庭の 別座敷

妙泉寺境内にて。明らかに不審者を見る目。

二川宿江戸方(東側)端の川口屋。かつての旅籠屋で現在は二川宿案内所となっている。

川口屋の軒先には「一里塚跡」碑。付近に二川一里塚があったことを示すが遺構は全く現存していない。江戸日本橋から72里目(約283km)、京三条大橋からは46番目(実測で約226km地点、七里の渡しを27.5kmとして測定)の一里塚。

二川宿を出て間もなく、第二東海道踏切で東海道本線を渡る。踏切の向こうに二川宿の町並み。
【2016年2月20日(土)旧東海道 二川宿→白須賀宿】
江戸時代の東海道は二川宿を抜けると、一里山立場までの約4kmは全く家の無い見事な松並木が連なる街道だった。そのため盗賊などが度々出没したのだろう、江戸道中記に「夜道可慎(よみちつつしむべし)」と書かれ、夜間の通行は避けるよう注意を促していた。現在も当時を彷彿するが如く、国道沿道の大半は畑地で、その途中にコンビニがあるものの廃棄物リサイクル会社や運送会社などがある殺風景な様相、味気の無い国道歩きが延々と続く。これに終止符を打つのが現存する一里山(細谷)一里塚、付近に下細谷村の街村にあたる一里山立場の茶屋が点在した場所だが往時の面影は薄い。ここを過ぎれば間もなく三河国(現 愛知県)と遠江国(現 静岡県)の境をなした境川を渡河する。境川の東側が猿ヶ馬場(猿が番場)と呼ばれた地で、広重が二川宿の題で名物かしわ餅の看板を掲げる茶屋の様子を描いた場所である。

二川駅から旧東海道歩きの旅を再開。前日とは打って変わって生憎の空模様、本日は雨中のウォーキングとなりそうだ。

二川宿本陣前を通り抜けて東の枡形へ。

商家駒屋横に延びる瀬古道。東の枡形で旧東海道と交差し、ここから松音寺門前に続く。路面が石畳できれいに舗装され古道の雰囲気を醸し出している。

瀬古道沿いの商家駒屋入口。

商家駒屋横、旧東海道に向かって延びる瀬古道。

東の枡形から南側に延びる瀬古道。この行く先は東海道本線・新幹線に分断されるが、梅田川まで道筋を残している。

新橋町・東町の境をなす新橋川に新橋が架かる。

二川八幡神社で道中の安全を祈願。

新橋東詰、二川宿東町の町並み。

東町の中程より道を延ばす妙泉寺参道。

妙泉寺参道入口にあるお食事処とりつきや(取付屋)本店。

妙泉寺本堂。山号を延龍山、日蓮宗の寺院。貞和年間(1345年~50年)日台上人が建立した小庵にはじまり、江戸時代初期に日意上人が荒廃していた寺を現寺号に改称して再興、万治3年(1660年)旧地より現在地に移転して現山号へ改めたという。

妙泉寺境内の紫陽花塚。寛政10年(1798年)建立の芭蕉句碑を残す。
紫陽花や 藪を小庭の 別座敷

妙泉寺境内にて。明らかに不審者を見る目。

二川宿江戸方(東側)端の川口屋。かつての旅籠屋で現在は二川宿案内所となっている。

川口屋の軒先には「一里塚跡」碑。付近に二川一里塚があったことを示すが遺構は全く現存していない。江戸日本橋から72里目(約283km)、京三条大橋からは46番目(実測で約226km地点、七里の渡しを27.5kmとして測定)の一里塚。

二川宿を出て間もなく、第二東海道踏切で東海道本線を渡る。踏切の向こうに二川宿の町並み。
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