函館市弥生町と船見町

函館は基坂を境に西側へ行くと観光客をほとんど見かけない。おそらく著名な観光スポットが外国人墓地ぐらいしかないためだろう。しかし、基坂の西から常盤坂・東坂・弥生坂・姿見坂・幸坂・千歳坂・魚見坂と函館らしい坂道が続き、幸坂上には山上大神宮が鎮座、幕末には坂本龍馬や武市半平太と親類関係にあった澤辺琢磨(旧名山本琢磨)が8代神職を務めている。また、船見町の坂上には実行寺や称名寺、高龍寺といった函館の古刹が集まり、寺町の様相を示す。函館に隠れた観光スポットは多い。




東坂
基坂西隣の東坂。明治12年(1879年)の大火まで弥生小学校の敷地東半分に浄玄寺(現 東本願寺別院)があり、そこから港に向かって2本の坂が下っており、西側の坂を”浄玄寺坂”、東側の坂を”白鳥坂”や”東の坂”と呼んだ。大火後に浄玄寺が移転、東の坂は上まで通され、その名を今に残す。


弥生坂
弥生小学校(明治15年開校)西側の弥生坂。小学校の名は坂名に因む。明治12年(1879年)の大火までは浄玄寺(現 東本願寺別院)や称名寺、実行寺が並び”寺町の坂”とも称した。函館の発展を祈念し、春をイメージする”弥生”を坂に名付けたという。


函館庵
弥生坂上にある函館庵。


咬菜園跡
函館庵から更に上ったところが咬菜園跡。安政4年(1857年)堺屋新三郎が庵を建て、名花・名木を移植して庭園を築いた場所で、当時の函館で随一の名園だった。明治2年(1869年)3月14日、新政府軍との決戦を前に榎本武揚が箱館奉行並中島三郎助らとともに晩餐を開いた場所だという。


常盤坂
弥生坂の西隣、常盤坂。江戸時代後期、坂上に大石忠次郎の屋敷があり、奥州の”義経腰掛けの松”から種を取って植えたという”常盤の松”に因む。


常盤坂上
常盤坂上を望む。かつて常盤坂の中程一帯に遊廓があり、客が遊女との別れを惜しんで坂上を見返したことから”見返りの坂”と言われた。坂上に芝居小屋があったことから”芝居町の坂”とも。


姿見坂の猫
常盤坂から姿見坂へ向かう途中、堂々と道路を闊歩する猫。尻尾が短く曲がっている”尾曲がり猫”である。インドネシア・マレーシア周辺にルーツがあり、江戸時代にオランダ船で長崎に持ち込まれ広まったといわれる。そのため長崎では”尾曲がり猫”が多く見られるというが、はてさて函館の”尾まがり猫”のルーツは如何に?


姿見坂の猫
首輪をしているだけに人慣れしている。


姿見坂の猫
どこへ向かおうか、その眼差しの先には。


姿見坂
かつては遊女の姿が多く見られたという姿見坂。昔、弥生町(旧旅籠町・天神町)は山の上町と呼ばれ、明治4年(1871年)の大火まで遊廓があって繁栄した。


幸坂
上り坂の突き当りに山上大神宮が鎮座する幸坂。明治8年(1875年)坂下の湾岸を埋め立て成立した幸町に坂名の由来がある。それ以前は山上大神宮の前身、神明社が坂上にあり”神明坂”と呼ばれた。


旧ロシア領事館
幸坂の途中にある旧ロシア領事館。現在の建物は明治40年(1907年)の大火翌年に再建されたもの。ロシア革命後にソ連領事館として機能していたが昭和19年(1944年)に閉鎖、昭和39年(1964年)から”道南青年の家”として利用されたが、平成8年(1996年)にその役目を終えた。現在は特に利用されている様子もなく、廃墟同然の状態。今後の動向が気になるところ。


幸坂
旧ロシア領事館付近の幸坂。何故か路駐が多い。


常盤小学校跡
旧ロシア領事館の少し坂上にある常盤小学校跡。現在は船見公園として整備されている。常盤小学校は大正11年(1922年)創立、昭和45年(1970年)幸小学校と統合され西小学校が創立し廃校に。更に西小学校は平成21年(2009年)弥生小学校に統合されて廃校になっている。


旧ロシア領事館
常盤小学校跡より望む旧ロシア領事館。


山上大神宮
幸坂の最上部に鎮座する山上大神宮。社伝によれば室町時代初期、亀田赤井川村の神明山に伊勢神宮の祭神を勧請したことに始まるという。明暦元年(1655年)尻澤辺村(現 函館市住吉町)に移され、後に幸坂の中ほどに移転、鎮座地の山之上町(現 函館市弥生町)から社名をとり山上大神宮と改称した。現在地に移転したのは明治35年(1902年)のこと。


山上大神宮
山上大神宮社殿。箱館戦争の時に旧幕府方の桑名藩主松平定敬の御座所となった。幕末に8代神職を務めた澤辺琢磨は元土佐藩士で、坂本龍馬や武市半平太と親戚関係にあり、新島襄が箱館から海外渡航を企てた際に力を貸したという。


幸坂
幸坂上より函館港を望む。右手前が常盤小学校跡。


幸坂上より五稜郭
遠く五稜郭タワーが望める。


千歳坂
西中学校(写真左)横に延びる千歳坂。明治12年(1879年)の大火後にできた坂。当時、坂東側に神社があり、ここにあった”千歳の松”に因んで坂名が付けられた。別名を”松蔭坂”とも呼ぶ。


東本願寺函館別院
千歳坂上の突き当りにある東本願寺函館別院船見支院。


実行寺
船見支院の右隣に実行寺。明暦元年(1655年)山之上町(現 函館市弥生町)に建てられた草庵に始まるといわれ、正徳4年(1714年)富岡町(現 函館市弥生町)へ移り、明治12年(1879年)大火後の同14年(1881年)現在地に。


称名寺
正保元年(1644年)亀田村(現在の市内八幡町付近)に開かれた阿弥陀庵が始まり。宝永5年(1708年)富岡町(現 函館市弥生町)に移り、明治12年(1879年)の大火で焼失、同14年(1881年)現在地に移転した。現在の鉄筋コンクリート造りの本堂は昭和4年(1929年)に建てられたもの。境内には土方歳三と新選組隊士の供養碑をはじめ、享徳3年(1454年)に箱館へ渡来し基坂上に館を築いた河野政通の供養碑、高田屋嘉兵衛一族の墓などがある。


称名寺境内にて
称名寺観音堂でくつろぐ。


称名寺境内にて
称名寺の眠り猫。


魚見坂
函館最東端の坂、魚見坂。湾岸の魚群を見つけるに好適地だったことが坂名の由来とされる。右手に見える建物が西小学校の旧校舎で、ここは江戸時代後期に設けられていた津軽勤番所跡にあたる。


入舟町
急崖と函館湾が迫る狭隘地に家がひしめく入船町。函館山北麓の山裾が波に浸食された海食崖が見られるが、現在はコンクリートの擁壁で覆われている。


高龍寺
船見町の寺町通り沿いにある高龍寺。寛永10年(1633年)亀田村(現 函館市万代町辺り)に建立されたことに始まる函館市で最も古い寺社。宝永3年(1706年)弁天町(現 函館市入舟町)に移転、箱館戦争時には箱館病院の分院に使われた。明治12年(1879年)大火後に現在地へ移転。本堂は明治33年(1900年)、写真の山門が同43年(1910年)の建築である。


高龍寺
高龍寺と寺町通り。


外国人(ロシア人)墓地
高龍寺から寺町通りを奥へ行けば外国人墓地に。写真はロシア人墓地。ロシア軍艦の乗組員25名など、43基の墓があり、最も古いものは1859年に葬られたアスコリド号の航海士ゲオルギィ・ボウリケヴィチのもの。


外国人(プロテスタント)墓地
プロテスタント墓地。安政元年(1854年)来航したペリー率いる艦隊の水兵2名をはじめ、ドイツ代理領事やデンマーク領事など40基の墓がある。故郷を遥かに異国の地に没した人たち、函館湾を望み今も望郷の念にかられているのだろうか。


地蔵寺
外国人墓地に隣接してある地蔵寺。元治元年(1864年)建立の有無両縁塔が入口左に建つ。かつて山之上町(現 函館市弥生町)には多くの遊女屋があり、安政5年(1868年)に箱館奉行が山之上遊廓として公認、翌年に箱館が開港されて商人や外国人で大層賑わったという。ここで働き没した遊女は引き取り手のない者も多く、そんな女性たちを供養するため建立されたのがこの有無両縁塔。今から約150年前のこととはいえ、明治の世が明けようとするときに遊廓で懸命に働き生涯を終えた女性がいたことを忘れてはならない、そんな証と言っていいだろう。


万平塚
地蔵寺境内にある万平塚。万平は明治から大正にかけて函館にいた名物男。乞食でありながら函館の人々に愛され、石川啄木とも交流があり、啄木は「むやむやと 口の中にてたふとげの事を呟く 乞食もありき」と短歌に詠んでいる。大正4年(1915年)死去、その訃報は新聞記事にもなった。この供養塔は大阪の鉄工場主藤岡惣兵衛という人が函館に来た際、万平の気概に感じ入り、死後に知人の協力を得て建てたもの。


南部藩士の墓
南部藩士の墓。函館市内に散在していた南部藩士12名の墓が昭和12年(1937年)に集められた。江戸後期から幕末にかけて多くの南部藩士が蝦夷地を警備する任に就き、環境が厳しい異郷の地だけに志半ばで斃れる者も多かったのだろう。


函館湾
地蔵寺付近より函館湾を望む。


函館検疫所台町措置場(旧函館消毒所)跡
明治18年(1885年)防疫体制の強化を図るため、当時の主要6港(函館、横浜、神戸、下関、長崎、新潟)に消毒所が設けられた。この建物は函館消毒所の事務所として使用されたもの。明治29年(1896年)消毒所は函館検疫所に改称、昭和20年(1945年)終戦により樺太方面からの引揚者がここで検疫を受けた。現在は”ティーショップ夕日”という喫茶店に利用されている。


撮影日:2016年7月31日(日)
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入舟町と弁天台場跡

夕陽に照らされる函館湾を眺めながら海岸沿いの入舟町を散策、そして最後は弁天台場跡へ。入舟町の入船場から南西側の海岸沿いは昭和40年頃まで山脊泊と呼ばれ、東から吹く風を指す”山脊”を函館山が遮る地にあり、船が安全に停泊させられることから地名が発祥したという。函館の異国情緒漂う街とは対照的に、いかにも漁村らしい風景が見られる。入舟町の北端は弁天台場跡、安政3年(1856年)弁天を祀る社があった弁天岬に台場の建造がはじまり、元治元年(1864年)に完成。箱館戦争では旧幕府脱走軍が占拠し新政府軍相手に砲戦を展開した。




<入舟町
夕日に照らされる入舟町の家並みと函館湾。


入舟町
海岸に降りて函館山の裏側へ。表側のハイカラな街並みとは一転、いかにも漁村の風景。


函館湾
入舟町の海岸にて。


入舟前浜海水浴場
入舟町の最奥部、入舟前浜海水浴場。


入舟前浜海水浴場02
函館山の裏側は人を寄せ付けぬ断崖絶壁。


入舟前浜海水浴場04
崖崩れの恐れがあるのだろう、海水浴場の先は立入禁止。


函館山の海岸側
波打ち際には大きな石がびっしりと敷き詰まる。現在は立入禁止でここに入ることができないが、昔は奥に見える山が突き出す向こうに寒川という集落があり、手掘りのトンネルや吊り橋によって海岸線に道を通していた。寒川は昭和29年(1954年)洞爺丸台風で壊滅的な被害に遭い、間もなく廃村になったという。


入舟前浜海水浴場
入舟前浜海水浴場にはレストハウスだったと思われる廃墟が…。今は海の家はもちろんのこと、売店や自販機も無い。


入舟前浜海水浴場
入舟前浜海水浴場を後にし。


入舟前浜海水浴場
函館山の裏側は漁村の風景。


函館湾
間もなく日が沈む。


入舟町05
入舟町(旧山脊泊町)の路地を歩いて。函館漁業協同組合入舟支所。


入舟町の船入場
入舟町の船入場。


船着場の猫
船着場にて。


船着場の猫
狙う獲物は何?


魚見坂と函館山
魚見坂と函館山。


函館どつく前停留所
函館市電の終点、函館どつく前停留所。


入舟児童公園
函館どつく前停留所前の入舟児童公園。「新選組最後の地」碑や弁天岬台場の解説板を設置している。


函館どつく前停留所
函館どつく前停留所の先が弁天台場跡。現在は周囲が埋め立てられ遺構は見られない。


弁天台場古写真
入舟児童公園の解説板より。往時の弁天台場がこれ。安政3年(1856年)弁天岬に台場の建造がはじまり、元治元年(1864年)に完成。箱館戦争時には旧幕府脱走軍が占拠し新政府軍相手に砲戦を展開、明治2年(1869年)新政府軍の圧倒的戦力の前に旧幕府脱走軍は降伏した。その後は陸軍省所轄の弁天砲台として函館砲隊が守備、明治29年(1896年)港湾改良により取り壊された。


アミューズメントトラム
貸切電車のアミューズメントトラムが函館どつく前停留所に到着。


函館どつく前停留所
続いて通常運行の電車が到着。


函館どつく前停留所
3002号車の”はこだてわいん号”、湯の川行。


弁天台場跡より望む函館山
弁天台場跡より望む函館山。


弁天台場跡
弁天台場跡にあるレンガ造りの倉庫。


アミューズメントトラム03
アミューズメントトラムの車内は青の電飾に妖しく光る。


函館市電車内
宿泊先の湯の川へ向かうべく、函館どつく前停留所より市電に乗車。


やきとり弁当
函館に来ると、どうしてもハセガワストアのやきとり弁当が食べたくなる。


撮影日:2016年7月31日(日)
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増毛駅、最後の夏

留萌本線の留萌駅~増毛駅間の廃止日が今年の12月5日と決まり、最後の夏を迎えることになった増毛駅。来年は見ることができない光景を写真に収めておこうと、函館駅から特急北斗と特急スーパーカムイを乗り継いで留萌本線の起点、深川駅へ。13:23深川駅発増毛行の普通列車に乗車、留萌駅を経て約1時間半で増毛駅に到着する。1両編成のキハ54形気動車の車内は廃線を惜しむ観光客や鉄ちゃんで座席は埋まり、間もなく無くなろうとするローカル線とは思えないほどの乗車率。改めて廃止になることが残念でならない。




かにめし
函館駅から札幌駅へ向かう特急北斗の車内にて。長万部名物の”かにめし”を食べながら。


かにめし
車窓を眺めながら食べる”かにめし”、乗り鉄には最高っす。


深川駅
函館駅を出発して約5時間半、深川駅に到着し下車。4番線ホームに停車する増毛行の鈍行に乗り換える。


深川駅
深川駅で出発を待つキハ54形気動車。


留萌駅
留萌駅に到着、やはりここは乗降客が多い。


第10留萌川橋梁
留萌駅を出て第10留萌川橋梁を通過。


瀬越駅
乗降客のいない瀬越駅を出たところ。


増毛行車内
2人掛けの座席はほぼ満席。


阿分トンネル付近
阿分トンネルを潜り抜けて。


信砂駅
信砂駅。


舎熊駅
舎熊駅から信砂駅方面、鉄路が延びる。


箸別駅
箸別駅を出て終着の増毛駅へ向け発つ。


増毛行車内
増毛駅に近づくにつれ車内の撮り鉄はテンションがあがる。


増毛駅
14:51増毛駅に到着。


増毛駅
増毛駅では人気者のキハ54形気動車。


増毛駅
増毛駅に停車するキハ54形気動車。


増毛駅

増毛駅
キハ54形気動車と増毛灯台。


増毛駅
増毛駅、最後の夏。


増毛駅
終着駅にキハ54形気動車はよく似合う。


増毛駅
終着駅にはどこか悲哀を感じる情緒がある。


増毛駅
留萌本線はここで途絶え。


増毛駅
増毛駅構内。昔は写真奥から左側の敷地に向かって貨物用の引込線が延びていた。


増毛駅駅舎
増毛駅駅舎。


増毛駅駅舎内
駅舎内では孝子屋ぐるめ食品が営業中。


旅館富田屋
駅前の旅館富田屋と風待食堂。


増毛港とキハ54形気動車
増毛駅を出発し海岸沿いを行くキハ54形気動車。


寿し忠
駅前の寿し忠で遅めの昼飯に。


寿し忠にて
寿し忠にて。


寿し忠を出て宿泊先の”オーベルジュましけ”へ歩いて向かおう。短い夏を迎えた増毛の日本海を眺めながら。

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旧留萌佐賀家漁場

留萌本線の留萌駅~増毛駅間にある国指定史跡、旧留萌佐賀家漁場を記事に書きたい。礼受駅から国道231号を留萌方面へ約1.2km、歩いて行けば約15分の所に旧留萌佐賀家漁場がある。江戸時代後期の弘化元年(1844年)、下北半島で漁業や海運業を営んでいた佐賀家8代平之丞が礼受に入り漁場を開いたのが始まり。以来昭和32年(1957年)に至る113年に渡ってニシン漁を営み、最盛期にはここを根拠地(元場)にして12ヶ統の建網を経営していた。江戸時代末期の建築とされる母屋をはじめ、明治36年(1903年)建築のトタ倉、船倉、廊下(生ニシン一時保管場所)、稲荷社、網倉、船着き場が往時の様子を留め、当時の漁場を肌身に感じられる。

旧留萌佐賀家漁場全景
旧留萌佐賀家漁場全景(留萌市教育委員会設置の解説板より)




旧留萌佐賀家漁場母屋
礼受の日本海沿岸に建つ旧留萌佐賀家漁場母屋(番屋)。


旧留萌佐賀家漁場母屋
通常は非公開なのだが、訪れたときには一般公開中。今年は8月3日~9日までの7日間のみ一般公開しているとのこと、運が良かった。


旧留萌佐賀家漁場母屋
母屋内部へ。江戸時代末期頃の建築という母屋、環境が厳しい北海道にあって約150年もの前の建物が残っていることが奇跡である。玄関を入って土間に続き、右手に板の間、左手に雇い人(ヤン衆)の寝床を配し、中央に竈を設けている。


旧留萌佐賀家漁場母屋
板の間では、ニシン漁で賑わった当時の様子を紹介する「ニシンの軌跡」を上映。


旧留萌佐賀家漁場母屋
土間の左手、2段に分けれれた部屋。ここは雇い人(ヤン衆)の寝床。


稲荷社と船倉
母屋裏手には船倉があり、更にその奥の台地中腹に稲荷社を祀る。


船倉
船を保管していた船倉。壁から突き出ているものは一体何?


船倉
ここまで来れば正解がわかるだろう。船倉に納まりきらない舳先が突き出しているのだ。大胆…。


船倉
船倉内には船体が横たわる。


トタ倉
製品保管庫のトタ倉。明治36年(1903年)の建築。


トタ倉
トタ倉内には多くの漁労具が所狭しと保管されている。旧佐賀家漁場には3745点もの漁労具を残し、「留萌のニシン漁撈(旧・佐賀家漁場)用具」として国の重要有形民俗文化財に指定される。


トタ倉
何故これほど多くの漁労具が残されたかと言えば、昭和32年(1959年)春ニシン漁を終えた佐賀家は翌年の準備を終えて下北に引き上げたのだが、翌年から留萌近海にニシンが来遊せず漁が途絶えたため、漁労具が現在までそのまま残されたという。


稲荷社
稲荷社参道。入口は留萌本線の鉄路に分断、踏切の無い線路を渡り急斜面をよじ登ってようやく参拝できる。


稲荷社
旧佐賀家漁場の守り神、稲荷社。


旧留萌佐賀家漁場
稲荷社よりの眺め。


旧留萌佐賀家漁場とキハ54形気動車
旧留萌佐賀家漁場を行くキハ54形気動車。


竈跡と廊下
竈跡と廊下。右奥の建物が廊下と呼ばれる生ニシンの一時貯蔵庫。この竈でニシンを荷上げ、鰊粕の原料を作っていた。


竈跡
竈跡と母屋(番屋)。


廊下
廊下の海側はコンクリートで護岸されている。


廊下
護岸のコンクリートには「昭和二六年○月二三日」と刻まれる。この護岸が完成した日だろうか。


船着き場
船着き場。穏やかな海と浜に響く静かな波音、ニシン漁で賑わったのも今は昔。


旧留萌佐賀家漁場の見学を終えて増毛へ移動!

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深名線 沼牛駅跡

久々に旧深名線について記事に。まずは幌加内町の最南端にあった沼牛駅から。深川市と幌加内町の境をなす幌加内峠の北側に沼牛地区(幌加内町下幌加内)があり、深名線が廃止される平成7年(1995年)までここに沼牛駅が存在した。開業は昭和4年(1929年)、当初は有人駅だったが昭和57年(1982年)に発券業務は簡易委託となり、平成2年(1990年)には完全に無人駅となっていたようだ。沼牛駅の特筆すべきは、深名線廃止から21年を経た現在に木造駅舎とホームの原形をよく保っていること。地元の方が長きに渡り面倒をみてくれた賜物らしい。しかしながら豪雪地帯だけに傷みは激しく、今年1月に訪れたときには次の冬は越せないのではないかと思っていたが、その半年後の7月にインターネットで嬉しいプロジェクトを知る。クラウドファンディングで支援金を集めて沼牛駅駅舎を修繕するという。その成立を願い居ても立ってもいられず、早速支援させていただくことに。8月1日に目出度く目標金額に到達、10月中に修繕を終えて11月6日(日)にお披露目イベントが開催される。今から復活した旧沼牛駅駅舎を見るのが楽しみだ。

北海道木造駅舎保存プロジェクト
https://readyfor.jp/projects/kamitoshibetsu-numaushi

沼牛駅付近_空中写真
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7718を基に作成
昭和52年(1977年)9月撮影の沼牛駅付近




厳冬の旧沼牛駅
今年1月、厳冬を迎えた沼牛駅。


厳冬の旧沼牛駅
豪雪の厳寒地帯だけに駅前広場には人を寄せ付けぬ程の積雪。駅舎屋根にも相当な雪が積もり、倒壊してしまうのではないかと心配になるほど。


厳冬の旧沼牛駅にて
厳冬の旧沼牛駅にて。見ての通りの状態で旧駅舎には近づけず。


厳冬の旧沼牛駅前通り
旧沼牛駅前通り。


旧沼牛駅前のバス停
旧沼牛駅前のバス停も雪に埋もれ。


旧沼牛駅前通り
旧駅前通り沿いの旧商店。沼牛簡易郵便局として使われていた時期もあったようだ。


旧沼牛駅前通り
旧駅前通りから沼牛駅跡方面。


それから約7ヶ月後、盛夏を迎えた8月初旬の旧沼牛駅↓

旧沼牛駅
旧沼牛駅駅舎。屋根はブルーシートに覆われていた。これから修繕工事が始まるのだろう。


旧沼牛駅
旧駅舎に貼られていたポスター。


旧沼牛駅
次に訪れたときにはどんな姿を見せてくれるのだろう。


旧沼牛駅
旧沼牛駅駅舎とホーム。


旧沼牛駅
旧ホームで往時に思いを馳せ、次に到着する列車を待ってみようか。


旧沼牛駅
旧沼牛駅の構内は白い花を一面に咲かせるそば畑に。


旧沼牛駅
旧沼牛駅構内、幌加内方面を見る。


旧沼牛駅駅前
旧沼牛駅前に残る農業倉庫3棟。


旧沼牛駅付近鉄路跡
旧沼牛駅付近から深川方面の深名線跡。かつては幌加内トンネルに向かって鉄路が延びていたが、その路盤はそば畑に消える。


旧沼牛駅
旧沼牛駅は短い夏を迎え。


旧沼牛駅
旧沼牛駅にて。


旧沼牛駅駅舎内
昨年(2015年)、”おかえり沼牛駅”という一般公開イベントがあり、駅舎内は昭和の駅らしい雰囲気を取り戻している。


旧沼牛駅
旧沼牛駅改札口。


旧沼牛駅前通り
旧駅前広場から延びる駅前通り。


旧沼牛駅前通り
旧沼牛駅前通り。昭和52年(1977年)撮影の空中写真を見ると、沿道に20軒近い建物が並んでいたようだが、現在は過疎化が進み半分以下に。住人も数人程度と思える。


旧沼牛駅前通り
旧駅前通りより旧沼牛駅を望む。行き交う人や車はいない。


夕暮れ時に再び沼牛へ↓

純白の丘
旧沼牛駅近く、広大なそば畑は”純白の丘”と名付けられる。


純白の丘
そばの白い花が一面に咲き誇り、その名にふさわしい。


純白の丘
白樺林にそば畑、幌加内らしい景観だ。


旧沼牛駅夕景
夕暮れ時、旧沼牛駅。


沼牛駅駅名標
復活した沼牛駅の駅名標。


旧沼牛駅駅舎内
夕陽が射す駅舎内。


旧沼牛駅夕景
旧沼牛駅と駅前通り。


旧沼牛駅夕景
旧沼牛駅夕景。


旧沼牛駅夕景
次は11月6日(日)に訪ねるつもり。


撮影日:2016年1月3日(日)、8月3日(水)、6日(土)
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深名線 上幌加内駅跡と雨煙別駅跡

深名線の幌加内駅から名寄方面へ一駅目、幌加内町上幌加内に存在したのが上幌加内駅。昭和30年(1955年)仮乗降場として開業、昭和62年(1987年)国鉄からJR北海道に民営化されるに伴い駅へ昇格した。駅と言っても駅舎を持たない単式ホーム1面に待合所を設けるだけの典型的な無人駅で、駅前には上幌会館がある程度。往時にも店等は無かったと思われる。平成7年(1995年)深名線の廃止に伴い廃駅に。現在はホームの一部遺構と線路が残されている。おそらく深名線のレールや枕木が残存しているのはここだけ。

空中写真_上幌加内_1978年
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7713を基に作成
昭和53年(1978年)6月撮影の上幌加内駅付近




上幌加内駅跡
上幌加内駅跡。


上幌加内駅跡
ホームの一部遺構と線路を残す。


上幌加内駅跡
上幌加内駅跡にて。


上幌会館
駅前に建つ上幌会館。


地神宮碑と開拓記念碑
上幌会館隣には地神宮碑と開拓記念碑。


上幌加内駅から深名線を名寄方面へ向かって次の駅が雨煙別駅。昭和6年(1931年)深名線延伸に伴い開業、当初は有人駅だったが昭和37年(1962年)に業務委託され、昭和57年(1982年)には無人化された。昭和62年(1987年)国鉄からJR北海道に民営化されるに伴い臨時駅(冬季は全列車通過)に。冬季に休業していたため管理がなされていなかったのか、翌年の冬には駅舎が積雪で倒壊したらしい。深名線廃止より5年早い平成2年(1990年)廃駅となった。

空中写真_雨煙別_1978_02
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7713を基に作成
昭和53年(1978年)7月撮影の雨煙別駅付近




雨煙別駅跡
雨煙別駅跡。駅舎基礎と思われるコンクリートが残ってる。


雨煙別駅跡
駅舎跡より旧駅前広場。


雨煙別駅跡
雨煙別駅跡の構内より駅舎方向。構内跡は雑草が定期的に刈られているように見受ける。


雨煙別支庫農業倉庫
旧雨煙別駅前通り。民家は無く農業倉庫だけが残っている。


雨煙別支庫農業倉庫
この農業倉庫は雨煙別の語り部と言えよう。


旧雨煙別駅駅前通り
旧雨煙別駅前の十字路より駅跡を望む。


雨煙別のそば畑
雨煙別のそば畑。


雨煙別橋
旧駅前通りの十字路から西、雨竜川に架かる雨煙別橋。


雨竜川
雨煙別橋から雨竜川上流方向。旧橋の橋脚らしき建造物が残っている。現在の橋は昭和40年(1965年)架橋、それ以前に架けられていた橋の遺構だろう。


雨煙別橋と雨竜川
雨煙別橋と雨竜川。奥方向が雨煙別駅跡。


雨煙別駅名寄側の踏切跡
雨煙別駅名寄側の踏切跡。


撮影日:2016年8月3日(水)
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