深名線 白樺駅跡と蕗ノ台駅跡
幌加内町の最北部で朱鞠内湖の北側湖畔、深名線最北の駅だったのが白樺駅。グーグルマップを見ての通り、今や白樺駅跡やその隣りの蕗ノ台駅跡付近に人家は無い。白樺駅は昭和16年(1941年)初茶志内駅(後の天塩弥生駅)~朱鞠内駅間の延伸に伴い開業、原生林の中に設けられた駅は主に木材搬出に使われ、昭和30年(1955年)には林業関係者等で駅周辺に100名程の人口を数えた。当初は有人駅だったが、木材搬出が激減した昭和36年(1961年)には無人駅に。昭和62年(1987年)国鉄からJR北海道に民営化されるに伴い臨時駅(冬季は全列車通過)となり、深名線廃止より5年早い平成2年(1990年)廃駅となった。

現役時代の白樺駅
JR深名線資料展示室の展示パネルより引用

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7710を基に作成
昭和52年(1977年)10月撮影の白樺駅付近

道道688号線から延びる旧白樺駅前通り。

旧白樺駅前通りの駅方向。

旧駅前通り周辺には鉄パイプで組まれた足場が点在している。木を観察する目的のように見えたが、真相は不明。

旧駅前通りより道道688号線方向。こんなところで本当に人が住んでいたのかと思ってしまう状態。

鉄パイプの枠組みに架けて足場に使っているものだろう。

白樺駅跡。鉄パイプの枠組みがあるだけで何もない。ここに駅があったことをどうやって想像すればよいのだろう。

旧白樺駅前にて。何やら地面に…。

明らかにヒグマの糞。

そして足跡。今や白樺駅跡は自然へ還り、人に代わってヒグマが闊歩する場所のようだ。
白樺駅跡から深川方隣の蕗ノ台駅跡へ移動。蕗ノ台駅は白樺駅と同じく昭和16年(1941年)の開業。当初は林業関係者や駅員、日本通運の社員が駅周辺に居住、12、3戸で蕗ノ台の集落を形成する。昭和21年(1946年)以降に室蘭の日本製鋼所より開拓団が入植して人口が増え、昭和24年(1949年)蕗の台小学校が開校、この時期に260人程の人口があったらしい。しかし、農業には環境条件が悪く、輸入木に押されて林業も振るわなくなり昭和30年代後半からは人口が激減、昭和37年(1962年)蕗の台小中学校が閉校となり、開拓団も解散して集団離農し、3戸13人が残るのみとなった。昭和39年(1964年)蕗ノ台駅は無人化、昭和47年(1972年)蕗の台地区は無人地帯となり、昭和62年(1987年)国鉄からJR北海道へ民営化されるに伴い臨時駅(冬季は全列車通過)に。深名線廃止より5年早い平成2年(1990年)、白樺駅と共に廃駅となった。

現役時代の蕗ノ台駅
JR深名線資料展示室の展示パネルより引用

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7710を基に作成
昭和52年(1977年)10月撮影の蕗ノ台駅付近

道道688号から道道528号が分岐する地点。奥方向の砂利道が道道528号で、蕗ノ台駅跡へ向かう。

蕗ノ台駅跡へ向かう途中、中の沢川に架かる橋(橋名不明)。かつては写真右手の高台上に神社があったようだ。

上写真の橋南詰、写真中央の高台上辺りが蕗の台にあった神社跡。

中の沢川。

蕗の台を行く道道528号。旧蕗ノ台駅前通りの分岐点には”ピッシリ山登山口”の看板がある。

道道528号から蕗ノ台駅跡へ延びる旧駅前通り。

旧駅前通りの道道方向。

沿道に雑草雑木が生い茂る旧駅前通りを突き当たれば視界が広がる草地に。ここが旧蕗ノ台駅前。

蕗ノ台駅跡。建造物は何も残っていない。

駅跡の草は定期的に刈られているようで、人が入っている様子がうかがえる。


蕗ノ台駅跡にて。地面には駅舎構造物と思われる遺構も。

道道528号の分岐点から道道688を北上。この先の左手に蕗の台小中学校があったなんて誰が信じよう。昭和37年(1962年)に閉校してから50年以上、どこにあったのか分らないほどに自然に還っている。

昭和58年(1983年)完成の”うぐい橋”。

うぐい橋下を流れるはエビシオマップ川。

うぐい橋の先で道道688号は一般車は立入禁止。現在も遠別へ向けて延伸工事は続けられているようだ。
撮影日:2016年8月6日(土)

現役時代の白樺駅
JR深名線資料展示室の展示パネルより引用

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7710を基に作成
昭和52年(1977年)10月撮影の白樺駅付近

道道688号線から延びる旧白樺駅前通り。

旧白樺駅前通りの駅方向。

旧駅前通り周辺には鉄パイプで組まれた足場が点在している。木を観察する目的のように見えたが、真相は不明。

旧駅前通りより道道688号線方向。こんなところで本当に人が住んでいたのかと思ってしまう状態。

鉄パイプの枠組みに架けて足場に使っているものだろう。

白樺駅跡。鉄パイプの枠組みがあるだけで何もない。ここに駅があったことをどうやって想像すればよいのだろう。

旧白樺駅前にて。何やら地面に…。

明らかにヒグマの糞。

そして足跡。今や白樺駅跡は自然へ還り、人に代わってヒグマが闊歩する場所のようだ。
白樺駅跡から深川方隣の蕗ノ台駅跡へ移動。蕗ノ台駅は白樺駅と同じく昭和16年(1941年)の開業。当初は林業関係者や駅員、日本通運の社員が駅周辺に居住、12、3戸で蕗ノ台の集落を形成する。昭和21年(1946年)以降に室蘭の日本製鋼所より開拓団が入植して人口が増え、昭和24年(1949年)蕗の台小学校が開校、この時期に260人程の人口があったらしい。しかし、農業には環境条件が悪く、輸入木に押されて林業も振るわなくなり昭和30年代後半からは人口が激減、昭和37年(1962年)蕗の台小中学校が閉校となり、開拓団も解散して集団離農し、3戸13人が残るのみとなった。昭和39年(1964年)蕗ノ台駅は無人化、昭和47年(1972年)蕗の台地区は無人地帯となり、昭和62年(1987年)国鉄からJR北海道へ民営化されるに伴い臨時駅(冬季は全列車通過)に。深名線廃止より5年早い平成2年(1990年)、白樺駅と共に廃駅となった。

現役時代の蕗ノ台駅
JR深名線資料展示室の展示パネルより引用

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7710を基に作成
昭和52年(1977年)10月撮影の蕗ノ台駅付近

道道688号から道道528号が分岐する地点。奥方向の砂利道が道道528号で、蕗ノ台駅跡へ向かう。

蕗ノ台駅跡へ向かう途中、中の沢川に架かる橋(橋名不明)。かつては写真右手の高台上に神社があったようだ。

上写真の橋南詰、写真中央の高台上辺りが蕗の台にあった神社跡。

中の沢川。

蕗の台を行く道道528号。旧蕗ノ台駅前通りの分岐点には”ピッシリ山登山口”の看板がある。

道道528号から蕗ノ台駅跡へ延びる旧駅前通り。

旧駅前通りの道道方向。

沿道に雑草雑木が生い茂る旧駅前通りを突き当たれば視界が広がる草地に。ここが旧蕗ノ台駅前。

蕗ノ台駅跡。建造物は何も残っていない。

駅跡の草は定期的に刈られているようで、人が入っている様子がうかがえる。


蕗ノ台駅跡にて。地面には駅舎構造物と思われる遺構も。

道道528号の分岐点から道道688を北上。この先の左手に蕗の台小中学校があったなんて誰が信じよう。昭和37年(1962年)に閉校してから50年以上、どこにあったのか分らないほどに自然に還っている。

昭和58年(1983年)完成の”うぐい橋”。

うぐい橋下を流れるはエビシオマップ川。

うぐい橋の先で道道688号は一般車は立入禁止。現在も遠別へ向けて延伸工事は続けられているようだ。
撮影日:2016年8月6日(土)

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