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金谷宿

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東海道五十三次之内金谷 大井川遠岸
ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典「金谷宿」より引用


【2016年7月17日(日)旧東海道 金谷宿】
菊川から石畳の金谷坂を下れば間もなく金谷宿、次に「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」と言われた大難所の大河が控える。広重は「東海道五十三次之内金谷 大井川遠岸」の題で大井川の渡しと、遠く対岸の山間に金谷宿の家並みを浮世絵に描く。金谷宿は江戸日本橋から東海道五十三次を24宿目、京都三条大橋から30宿目。川越し場がある金谷河原町を加宿とし、江戸方から八軒屋・市ヶ島町・薮屋町・中町・下十五軒町・上十五軒町・本町・上本町・田町・新町と続く町並み。天保14年(1843年)当時、加宿を含めた町並み長さ東西16町24間(約1.8km)、人口4271人、家数1004軒、うち本陣3、脇本陣1、旅籠屋51軒。西に小夜の中山、東に大井川の難所を控えた宿場町だけに規模が大きい。本陣は柏屋・河村八郎左衛門家(一番本陣)、佐塚屋・佐塚佐次右衛門家(二番本陣)、山田屋三右衛門家(三番本陣)が務めた。名物は菜飯田楽、今は新金谷駅近くの”よし善”で食べることができる。




金谷坂下り口
金谷坂下り口。ここからはじまる下り坂には、平成3年(1991年)「平成の道普請」で復元された全長430mの石畳を敷く。


金谷坂石畳
金谷宿に向かって下る石畳。


金谷坂石畳
振り返って下り口を望む。


金谷坂石畳
金谷坂石畳。


金谷坂石畳
坂の途中、路傍に”すべらず地蔵尊”の幟が見えてくる。


すべらず地蔵尊
滑らないよう敷かれた石畳に因む”すべらず地蔵尊”。


すべらず地蔵尊
”すべらない”お地蔵さんとして、多くの受験生が願掛けに訪れている。


鶏頭塚と庚申堂
すべらず地蔵尊から少し下った所、鶏頭塚と庚申堂がある。この庚申堂は現地設置の解説板によれば「徳川時代の大盗賊日本左衛門がここを夜働きの着替え場所としていたことが口碑として残っている。」とある。日本左衛門は歌舞伎「青砥稿花紅彩画」(白浪五人男)の日本駄右衛門のモデル。


鶏頭塚
この石碑が鶏頭塚。江戸時代中期の俳人太田巴静は松尾芭蕉に師事、遠江に蕉風の俳諧をもたらし、多くの門人を抱えた。金谷の門人たちは巴静の死後にその徳を偲びこの句碑を建てた。当初は金谷坂入口の北側にあったが、道路工事等によって場所が変遷し、現在は金谷坂途中にある。

曙も 夕ぐれもなし 鶏頭華


お足地蔵
鶏頭塚から少し下がった所にお足地蔵。足の病にご利益があるとされるお地蔵様なのだが、お足(お金)に困らないことにもご利益があるらしい。商品等の売れ行きがよいことを「足が早い」ということに因むのだろう。


金谷坂石畳
石畳茶屋前で石畳は途絶える。


石畳茶屋
石畳茶屋。訪れた時間が18時近く、入口の門は閉じられ休憩に立ち寄ることはできず。


石畳茶屋
せめて外観だけでも。古民家風の素敵な店だ。


金谷坂
金谷坂は国道473号によって分断、いったん途切れる。


金谷坂
国道473号で途切れた旧東海道はすぐに現れ、金谷宿へ向かって下る。


金谷坂
金谷宿に近づくにつれ沿道には古い家が見え始める。


金谷大橋
金谷宿の京方入口にあたる不動橋。江戸時代には土橋で、西入口土橋や金谷大橋と呼ばれる。橋の北袂に”たばこ屋善五郎"の休茶屋があり、金谷坂を下ってきた大名行列はこの休茶屋で身なりを整え宿場に入った。


不動橋と金谷坂
不動橋南詰の金谷坂。


金谷宿新町
旧東海道は金谷駅に向かって途切れる。


金谷一里塚跡
金谷駅付近には金谷一里塚跡。その跡地はちょうど東海道本線が通って撤去されたのか、両塚とも現存しない。解説を書く立て札が跡地を示す。解説板によれば江戸日本橋から53里目(約208km)とあり、京方隣りの佐夜鹿一里塚が56里なのだから、そこから約1里(約4km)東側に位置するここは55里となるはず。江戸時代に東海道の所々でルートが変わっているのが原因と思うが、どこで距離に誤差が生じることになったのか、実測を図ってみて検証が必要だ。京三条大橋からは62番目で実測約303km地点(七里の渡しを27.5km、天竜川池田の渡し迂回分を+2kmとして測定)にあたる。


定飛脚問屋三度屋跡
定飛脚問屋浅倉屋何右衛門(三度屋)跡。江戸と京・大坂を定期的に往復する飛脚は”三都定飛脚”とも言われ、三都間を三回往復する飛脚を”三度飛脚”、取扱所を”三度屋”と呼んだ。金谷宿田町にはここと斜向かいに黒田屋重兵衛(治助)の定飛脚問屋があった。


お七里役所跡
お七里役所(七里継御状箱御飛脚小屋)跡。紀州徳川家専用の飛脚継立所で、江戸から和歌山の間、七里(約28km)毎に23ヶ所設けられたうちの一つ。ここから飛脚を使い京方は掛川宿、江戸方が丸子宿へ重要書類を継ぎ送った。幕府の継飛脚、民間の定飛脚に対して大名飛脚や七里飛脚とも呼ばれた。


柏屋本陣跡
金谷宿本町にあった柏屋本陣(一番本陣)跡。江戸時代初期より代々河村八郎左衛門家が務めた。嘉永7年(安政元・1854年)に発生した安政東海地震で半壊、本陣を廃業し後は旅籠屋を営んだ。


佐塚屋本陣跡
佐塚屋本陣(二番本陣)跡。江戸初期より佐次右衛門の名を継ぎ明治まで本陣を務めた。入口には対の鯱を屋根に載せる”鯱の御門”があり、佐塚屋本陣を象徴していたようだ。慶応4年(1868年)明治天皇が御東幸の折、お昼休みに立ち寄っている。現在は佐塚屋書店。


山田屋本陣跡
佐塚屋書店から1軒挟んで右隣、時計・メガネ・宝飾を扱う”オオツカ”という店がある場所が山田屋本陣(三番本陣)跡。江戸時代初期から中期にかけて山田屋は脇本陣格だったが、江戸後期には本陣格に格上げされていた。安政東海地震で佐塚屋本陣と共に全壊したという。


金谷宿中町
静岡銀行付近、金谷宿中町の町並み。


秋葉神社
中町の旧東海道筋に鎮座する秋葉神社。


清水橋
清水川に架かる清水橋。かつては志水土橋。


金谷扇町
清水橋と大代橋の間は、金谷扇町の町並み。宿場時代には薮屋町と称した。


大代橋
大代川に架かる大代橋。かつては大代土橋。


金谷泉町
大代橋東詰、金谷泉町の町並み。宿場時代には市ヶ島町と称し、東端に宿場入口の見附土居を設けていた。


金谷宿夕景
最後は大覚寺裏の跨線橋より。夕闇に沈みゆく金谷宿を一望。そろそろ帰ろう。


【旧東海道歩き 第22日目】スマイルホテル掛川→掛川城下→日坂宿→金谷宿→金谷駅 歩行距離約18km
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テーマ : 街道の旅
ジャンル : 旅行

帰ってきた沼牛駅

平成28年(2016年)11月6日の日曜日、幌加内町に沼牛駅が帰ってきた。平成7年(1995年)9月の深名線廃止に伴い廃駅となってから21年、”おかえり沼牛駅実行委員会”がクラウドファンディングで支援金を募り、著しく老朽化した駅舎を改修復元、お披露目の日を迎えたのだ。復元するにあたり旧地北線(ふるさと銀河線、2006年廃止)の上利別駅から解体部材を譲り受け再利用、往時の姿を取り戻した。お披露目会当日の天気は11月初旬とは思えない真冬の雪模様ながら、多くの見物客や報道陣が詰めかけ、現役時代には見られなかったと思うほどの賑わいに。かつて幌加内町に深名線が通っていたことを偲ぶ貴重な築87年の木造駅舎、北海道の鉄道遺産として後世に残していきたい。

おかえり沼牛駅
https://www.facebook.com/okaeri.numaushieki/




沼牛駅
旭川から車で江丹別峠を越え沼牛へ。開会式前の9時半頃、沼牛駅に到着。開会式の準備を進めているところ。


沼牛駅
報道陣が集まりはじめカメラの準備。


沼牛駅
お披露目会の開会!


沼牛駅お披露目会
まずは、”おかえり沼牛駅実行委員会”の委員長で名誉駅長坂本勝之氏の挨拶から。坂本さんは沼牛駅がある下幌加内地区でソバを生産する農家を営む傍ら、沼牛駅舎を20年以上に渡り守り続けてきた。


沼牛駅お披露目会
挨拶は幌加内町長、町議会副議長と続き。


沼牛駅お披露目会
いよいよ、テープカットの準備に入る。


沼牛駅お披露目会
テープカット!


沼牛駅お披露目会
続々と見物客が駅舎内に。


沼牛駅お披露目会
沼牛駅は現役時代に無かったであろうと思うくらいの賑わい。


沼牛駅構内
駅舎内は人でいっぱいなのだが、意外と駅構内は閑散。


沼牛駅改札口
改札口もしっかり復元されている。「間もなく幌加内方面、朱鞠内行の列車が到着します。」そんなアナウンスが今にも聞こえてきそう。


沼牛駅
記念撮影。思い入れのある駅舎だけに、沼牛駅の復活は本当に嬉しい。


沼牛駅駅舎内
沼牛駅舎内。駅弁や記念入場券等を購入する人で賑わう。旅客運賃表や発券窓口、荷物取扱所が復元されており、懐かしい駅の雰囲気。


沼牛駅駅舎内
再び沼牛駅で切符を購入できるとは、( ノД`)シクシク…。


沼牛駅駅舎内
駅舎内には”北海道木造駅舎保存プロジェクト”の支援者一覧を掲げる。


沼牛駅お披露目会
駅舎の傍では、坂本さん手打ちの”かけそば”が駅そばの如く作られ、待つことなく食べられる。沼牛駅を守り抜いてきた坂本さんは自ら生産したソバで蕎麦粉を作り、そして自らそばを打つ、まさにソバの職人。


沼牛駅お披露目会
そんな坂本さんが作った”かけそば”を食べられるのは至福のひと時。


沼牛駅お披露目会
多くの来客が坂本さんの”かけそば”に舌鼓を打つ。


沼牛駅お披露目会
テレビ局のインタビューを受ける坂本さん。


駅前農業倉庫
この日は駅前にある農業倉庫の一つが休憩所として開放。


駅前農業倉庫
前から中を見てみたいと思っていたので、早速内部に。倉庫に保管するトラクターの傍らに休憩用のテーブルとイスを設置していた。


沼牛駅
復活した沼牛駅ホーム上の駅名板。


ジェイアール北海道バス
沼牛駅前には現在の深名線であり幌加内町民の足、”ジェイアール北海道バス”が到着。


沼牛駅を離れて”せいわ温泉ルオント”で冷めきった心身を癒し、見物客が引けた頃を見計らい再び沼牛駅に↓

純白の丘
今年8月初旬に訪れたときには”ソバの花”が一面に咲き誇っていた純白の丘。11月初旬には、まさしく純白に。


沼牛駅
夕暮れ時の沼牛駅。


沼牛駅
沼牛駅構内。素晴らしい木造駅舎の佇まい。


沼牛駅
個人的には鉄路を再現し、キハ53形の気動車を展示できればいいなあ…、と思う。


沼牛駅21
静けさを取り戻しつつある沼牛駅。


沼牛駅
駅の入口前でテレビ局の取材を受ける坂本さん。


旧駅前通りと沼牛駅
旧駅前通りと沼牛駅。


旧沼牛駅前通り
往時には商店をはじめ、20軒程の家が建ち並んでいた旧駅前通り。写真最奥が沼牛駅。


沼牛駅弁
これが”お披露目会”当日に限定販売された沼牛駅弁。


旅行やツーリング等で北海道に来る機会があれば是非とも沼牛駅を訪れてほしい。盛夏ならば一面に白い花を咲かせるそば畑、真冬ならば灰白色に色彩を失くした大地、訪れればコンビニすら無いこんなところに汽車が走っていたのかと誰もが思うだろう。しかし、沼牛駅がその深名線という赤字ローカル線が存在していたことを今に伝えてくれる。少し足を延ばして幌加内市街で蕎麦に舌鼓を打ち、”せいわ温泉ルオント”で汗を流すも、凍てついた体を温めるも、北の大地で旅の醍醐味と至福のひと時を得られるはずだ。

撮影日:2016年11月6日(日)
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留萌本線(留萌駅~増毛駅間)廃止まで1ヶ月に迫った日のこと

留萌本線(留萌駅~増毛駅間)の廃止まで残り1ヶ月に迫った11月5日(土)、翌日の沼牛駅お披露目会を見に行くため羽田空港から6:40発の飛行機に乗り旭川へ向かう。朝の3時半起きをしてまで早朝便に乗ったのは、最後に留萌駅~増毛駅間の留萌本線に乗車したかったからだ。旭川空港からバスで旭川駅へ移動、道北一日散歩きっぷを購入し、10:21発滝川行の普通列車に乗車、深川駅で11:08発増毛行に乗り換え、増毛駅から4駅手前の信砂駅で下車した。少しでも日本海沿岸を走るキハ54形気動車をカメラに収めておきたい一心で昨年から度々訪れているが、つくづく失くすのは惜しい。


旭川駅
旭川駅から10:21発滝川行の普通列車に乗車。


道北一日散歩きっぷ
”道北一日散歩きっぷ”という便利な切符を利用。これがあれば旭川周辺の普通列車に乗り放題、増毛駅までの留萌本線で途中下車して帰ってこれる。


深川駅
10:50深川駅着、4番ホームに11:08発増毛行の列車が出発を待つ。


深川駅
普段は2両編成の列車なのだが、この日は3両編成に。留萌本線(留萌駅~増毛駅間)の廃止が目前に迫り乗客が多くなっているのだろう。


留萌駅
定刻通りの12:04留萌駅着。ここで列車が切り離され増毛方面と深川方面に分かれる。


留萌駅
留萌駅に停車するキハ54形気動車。


留萌駅
列車の切り離し作業をする最中。


留萌駅駅舎内
増毛行の出発まで少々時間があったので留萌駅で途中下車、留萌駅舎内をぶらつき。


留萌駅
再び増毛行に乗車し。


信砂駅
信砂駅で下車することに。ここで降りたのは私一人だけ。


信砂駅
そして誰もいなくなった、信砂駅。


信砂駅
信砂駅待合所内。去年10月に訪れたときにあったはずの信砂駅ノートが無い…。


増毛妹背牛線踏切
信砂駅横の増毛妹背牛線踏切。当初の信砂駅は踏切奥の線路右横にあったが、平成5年(1993年)増毛側の現在地に移設された。


信砂駅前
信砂駅前。かつては商店だったはずの建物が散見。


猪俣鮮魚店
猪俣鮮魚店は健在のよう。


信砂川橋梁
今回、信砂駅で下車した理由は信砂川橋梁を走るキハ54形気動車を撮影したかったから。私は乗り鉄を自負していたのだが、どうも撮り鉄の要素もあったようで…。


信砂川橋梁02
信砂川橋梁を行くキハ54形気動車。ここで撮影したかった理由は、昭和21年(1946年)3月14日に起きた信砂川橋梁列車転覆事故。猛吹雪によって最後尾の客車が脱線して河川に転落、死者17名、負傷者67名を出す惨事に。今からちょうど70年前、ここで起きた事故の犠牲者に哀悼の意を表す思いでこの写真を撮った。


セイコーマート
信砂駅と舎熊駅の間、国道231号と道道94号の分岐点にあるセイコーマート。おそらく増毛町内の沿線にある唯一のコンビニ。ちなみに増毛町内にはセブンイレブンがある。


舎熊駅
信砂駅から歩いて舎熊駅に移動。信砂駅と舎熊駅間の距離はわずか800m、歩いても10分くらい。


舎熊駅
舎熊駅は北海道らしい貨車駅舎。


舎熊駅
舎熊駅待合所内。


舎熊駅ノート
待合所内に置かれていた舎熊駅ノート。完成度の高い書き込みに見入ってしまう。


舎熊駅
舎熊駅構内。


舎熊駅
舎熊駅構内より増毛方面。


舎熊駅
舎熊駅構内より留萌・深川方面。正面に見える台地上には増毛ゴルフ倶楽部がある。


舎熊郵便局
舎熊駅前、国道231号沿いにある舎熊郵便局。


舎熊駅前バス停
舎熊郵便局前の舎熊駅前バス停から増毛方面の沿岸バスを待つ。


増毛駅
そして留萌本線の終着、増毛駅に。3ヶ月ぶりの再訪。


寿し忠
前回訪れたときと同じく寿し忠で遅めの昼飯に。


寿し忠
やはり”えび丼セット”を注文してしまう。


増毛駅
昼飯を食べ終えて増毛駅を散策。15:41発の深川行が出発を待つ。


増毛駅
増毛灯台とキハ54形気動車。この光景もあと1ヶ月で見られなくなる。


増毛駅
増毛駅構内。写真手前、広々とした場所はかつての貨物用引込線跡。


増毛駅
増毛駅ホームに停車するキハ54形気動車。2両編成だと様になる。


増毛駅
増毛駅にて。

増毛駅
ここで留萌本線の鉄路が途絶える。終着駅の哀愁を感じる場所。


増毛駅
キハ54形気動車の顔は初冬らしい雪の薄化粧。


増毛駅舎内
増毛駅舎内。


増毛駅舎内
甘エビ汁で冷えた体を温めよう。


増毛駅
約1ヶ月後に迫った廃止、それから増毛駅はどんな運命を辿るのだろう。


増毛駅
15:41発深川行に乗車、名残惜しくも増毛駅を後に。


深川駅
17:16深川駅着、列車は折り返して18:10発の増毛駅行に。


深川駅
深川駅で出発を待つ増毛行のキハ54形気動車。次は最終運行日の12月4日(日)に会おう!


撮影日:2016年11月5日(土)
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テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

留萌本線(留萌駅~増毛駅間)最後の日

2016年12月4日(日)、ついに留萌本線(留萌駅~増毛駅間)が最終運行日を迎えた。前日に羽田空港から早朝便に搭乗して旭川入り、翌日の昼頃に最後の姿をカメラに収めるべく、車を走らせて増毛へ。廃止が決まってから増毛ブームが訪れ、高知県四万十市にある予土線の半家(はげ)駅から増毛駅まで鉄道で旅する頭髪ツアーまで現れた。最終運行当日は度々訪れている増毛駅で見たことがないほどの人で賑わい、到着して折り返し発車する列車はラッシュ時の山手線を思わせる凄まじい乗車率。週末だけでもこんな状態にできるならば、「乗客が増えたので廃止は延期になりました。」との言い分で、廃止をもう少し先送りしてもよいのではないかと考えてしまう。何度も閉店セールを繰り返して客を集める店のように…。




瀬越海岸
まずは留萌本線が沿岸を通る瀬越海岸から増毛方面を望む。


暑寒別川河口
留萌から国道231号を車で移動、増毛へ。暑寒別川河口には廃線を惜しむかのようにカモメがいっぱい。


増毛駅
別れを惜しむ人で賑わう増毛駅へ。


増毛駅
ホーム上は列車を待つ人、その周辺は写真を撮る人で埋め尽くす。


増毛駅
驚いたことに、増毛駅に到着した3両編成の先頭は臨時のキハ40形気動車。


増毛駅
増毛駅に停車するキハ40形気動車。


増毛駅
列車が到着して更に人で溢れかえる。


増毛駅
乗降客でホーム上は山手線並みの混雑ぶり。


増毛駅前
増毛駅前は今までに見たことがない程の賑わい。


増毛駅
留萌・深川方面に向けて発車する直前も駅構内は人でいっぱい。


増毛駅前
高倉健主演の映画「駅 STATION」にあやかり、こんなものまで。


増毛駅付近
多くの旅客を乗せ、キハ54形・キハ40形で編成の気動車が増毛港を横目に走る。


増毛駅
増毛駅は”お別れセレモニー”の列車待ちに。


ありがとう留萌本線(留萌~増毛間)お別れセレモニー
”お別れセレモニー”の準備が着々と進められる。


ありがとう留萌本線(留萌~増毛間)お別れセレモニー
そして、ゆっくりと”お別れセレモニー”の列車が増毛駅に到着。頭上には報道のヘリコプターが。


増ありがとう留萌本線(留萌~増毛間)お別れセレモニー

ありがとう留萌本線(留萌~増毛間)お別れセレモニー
ご当地キャラの”マーシーくん”より留萌駅長に花束贈呈。


ありがとう留萌本線(留萌~増毛間)お別れセレモニー

ありがとう留萌本線(留萌~増毛間)お別れセレモニー
留萌駅長と運転士、”マーシーくん”が揃って記念撮影。


ありがとう留萌本線(留萌~増毛間)お別れセレモニー
お別れセレモニーが終わり、”マーシーくん”が列車出発の合図を送る。


増毛駅
15:41発深川行の列車が多くの旅客を乗せて増毛駅を去り。


増毛駅
今日のマーシー君は引っ張りだこの人気者。


増毛駅
次の列車が到着するまで、少しだけ平穏を取り戻し。


増毛駅
増毛駅入口ではJR北海道の島田社長が記者会見。


増毛駅
次の列車が到着するのを待つ。


風待食堂
駅前にある観光案内所の風待食堂。今日は記念切符やグッズを買い求める客が店内に押し寄せる。


増毛駅
日没を迎えても別れを惜しむ多くの人で賑わう増毛駅。最終列車まで時間があるので、留萌駅~増毛駅間沿線の駅を巡ることに。


瀬越駅
留萌駅の隣り、瀬越駅。


瀬越駅
瀬越駅に増毛行列車が到着。


瀬越駅
増毛行列車が過ぎ去って。


礼受駅
貨車駅舎の礼受駅。


礼受駅
「ありがとう!!JR留萌線 留萌~増毛間 礼受駅」の貼紙が涙を誘う。


阿分駅
阿分駅。昨年(2015年)3月の阿分小学校の閉校に続き、本日をもって阿分駅も廃止される。


信砂駅
先月に途中下車した信砂駅。


信砂駅
信砂駅の板敷ホーム。いかにもローカル線の駅といった風情。


舎熊駅
信砂駅の増毛方隣り、舎熊駅。


舎熊駅
舎熊駅でも廃線を惜しむ人たちが列車を見送る。


朱文別駅
最後の日、誰もいないホームに暖かな光が射す朱文別駅。


箸別駅
箸別駅はいつも通りに夜陰に佇む。


増毛駅
最終列車の到着を待つ増毛駅。


増毛駅
大勢の人がカメラの準備に。


増毛駅前
増毛駅前では地元の方々が出演するスライドショーが大型スクリーンに映され、多くの人々の涙を誘う。


増毛駅
増毛駅に最終列車が到着。


増毛駅
2両編成のキハ54形気動車に別れを惜しむ人たちが群がる。


増毛駅
別れの時はもう間近、出発を待つ深川行列車。


増毛駅
蛍の光の生演奏が流れる中、ペンライトが懸命に振られる。ついに別れのときを迎えた。


増毛駅
多くの人々に見送られ、最終の深川行列車が約20分遅れで出発。


増毛駅
最後の列車が去り増毛駅は95年に渡る歴史に幕を閉じた。


増毛駅
留萌本線の終着増毛駅は、これからどんな運命を辿るのだろう。


増毛駅
徐々に人が引けて平静を取り戻す増毛駅。


増毛駅
ここに列車がやって来ることはもう無い。


増毛駅
95年に渡り多くの旅人を迎え、見送ってきた増毛駅。再会を喜び別れに悲しんだ人たち、そしてここに鉄路を敷き、ここで働いてきた人たち、その思いがここには詰まっている。


池田踏切
増毛から留萌方面へ向かう途次、池田踏切にふらっと寄ってみる。この遮断機が下りることはもう無いのだ。


撮影日:2016年12月4日(日)
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大井川鐵道新金谷駅

【旧東海道歩き 第23日目】金谷駅→金谷宿→島田宿→ホテルセレクトイン島田駅前



【2016年10月8日(土)旧東海道 金谷宿→島田宿】
10月初旬の週末、三年に一度開催される島田大祭に合わせ、金谷宿から大井川を越え島田宿までの旧東海道を歩くことに。島田大祭の当日だけに、島田に宿泊するのは難しいかなと思ったが、あっさりとホテルセレクトイン島田駅前を予約。天候にも恵まれ、深まりつつある秋を感じながらの爽快な歩き旅になりそうだ。まずは、せっかく金谷に来たのだから是非とも見ておきたいと思ったのが、鉄道ファンの聖地”大井川鐵道”。最近は”きかんしゃトーマス”を再現した蒸気機関車が運行され、運行日の週末ともなれば親子連れでほぼ満席の大賑わい。そして、動態保存するSLはよく知られているところ。近年に廃止の危機に直面していた”大井川鐵道”、赤字ローカル線も徹底的に観光路線に舵を切れば、存続していくことが可能だということを示している。




JR金谷駅
JR金谷駅に降り立ち。


大井川鐵道金谷駅
JR金谷駅の隣りには大井川鐵道の金谷駅。SLかわね路やトーマス号等の始発は隣の新金谷駅なので、大井川鐵道の起点駅でありながら乗降客は少ない。


厳室神社
駅前から参道を延ばす厳室神社。


お七里役所(七里継御状箱御飛脚小屋)跡
お七里役所(七里継御状箱御飛脚小屋)跡、河崎屋本店前の旧東海道。ここは金谷宿の田町と本町の境にあたる。


柏屋本陣跡
柏屋本陣(一番本陣)跡。現在は金谷南地域交流センターの敷地に。


佐塚屋本陣跡
塚屋本陣(二番本陣)跡。現在は佐塚屋書店。


山田屋本陣跡
山田屋本陣(三番本陣)跡。現在は時計・メガネ・宝飾を商う”オオツカ”という店に。


金谷宿中町
金谷宿中町を行く旧東海道。


清水橋
中町と薮屋町(現 島田市金谷扇町)の境をなす清水橋。


金谷扇町南交差点
金谷扇町南交差点。


大代橋
薮屋町(現 島田市金谷扇町)・市ヶ島(現 同金谷泉町)の境をなす大代川と大代橋。


大代橋と往還橋
大代橋の脇には歩行者用の往還橋が架かる。


大井川鐵道の踏切
大井川鐵道の踏切に差し掛かったところで。


新金谷駅
線路に沿って新金谷駅へ向かう。


新金谷駅
味わいがある新金谷駅舎。


新金谷駅
トーマス号は満席。


新金谷駅
2番ホームで出発を待つ21000系電車。かつて南海電鉄で使われた電車で、”ズームカー”の通称で親しまれた。


新金谷駅

新金谷駅
旧型客車が停車し、レトロ感たっぷり。


C12形タンク式蒸気機関車
転車台に展示されるC12形タンク式蒸気機関車。


C12形タンク式蒸気機関車
いつでも走り出しそうな雰囲気。


新金谷駅

新金谷駅
昭和2年(1927年)開業の新金谷駅。現在の木造2階建て駅舎は大正15年(1926年)に大井川鐵道の本社として建てられたもの。


よし善
新金谷駅付近にある”よし善”。本日の昼飯はここで。


よし善
まだ開店直後の11時過ぎだけに私が本日の1番客。


菜飯田楽
菜飯と田楽定食。昨年11月に豊橋で食べて以来の菜飯田楽、金谷で再び食べることができるとは。美味しそう、いただきます!


新金谷駅
再び金谷駅へ。21000系電車と旧型客車のコラボ。


新金谷駅
旧型客車の先頭はC11形蒸気機関車。続々と旅客が乗り込む。


C11形蒸気機関車
さあ行こう!SLレトロ旅。行きたい…。


C11形蒸気機関車
白煙を上げて間もなくの発車を待つ。


C11形蒸気機関車
旧東海道の踏切でカメラ片手に。


C11形蒸気機関車
旧東海道を横切り威風堂々と走り抜けるC11形蒸気機関車。


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大井川渡し

【2016年10月8日(土)旧東海道 金谷宿→島田宿】
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東海道五十三次之内金谷 大井川遠岸
ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典「金谷宿」より引用

「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」

かつて遠江と駿河の国境をなし、東海道最大の難所だったといわれる大井川。軍事上の理由から架橋は許されず、両岸の金谷宿と島田宿が抱える多くの川越人足の既得権益を守るために渡船すら禁止され、東海道を往来する旅人は川越人足による肩車や連台に乗って川を越すしかなかった。川越賃銭は当日の水量によって決められ、大水ともなれば数日も足止め、越すに越されぬ大井川となるわけである。金谷・島田側の両岸には川越人足が待機する番宿や業務の拠点となる川会所が設けられ、幕府はそれぞれに350人の人足を置くことを定めていたが、幕末には交通量が増大して約650人にも膨れ上がったらしい。今では大井川橋で難なく渡河できるので難所を感じることはないが、当時の様子は広重の浮世絵に垣間見ることができる。

その大井川右岸に町を形成したのが金谷河原町(金谷宿川越し場)。川庄屋・年行事・吟味人が詰める川会所をはじめ、川越人足たちが詰める番宿(壱番~拾番宿)、川越人足が旅客から受け取る川札(今で言う切符)を換金する札場等を置き、大井川の渡河を生業にする人々で町が形成されていた。中でも宿(仲間の宿)は川越人足を牛耳る詰め所で、川越えの継立てする順番を決めていたといい、人足たちにとっては最も重要な場所だったことが想像できよう。そんな金谷宿川越し場の人足たちが闊歩したのも今は昔、残念ながら島田宿側の川越し場は多くの遺構を残すが、金谷宿側は何も残っていない有り様、相当に想像をたくましくして歩かねばならない。




秋葉神社
金谷宿川越し場(旧八軒屋、金谷河原町)の京方入口。秋葉神社(写真左手前)先の左手に高札場・川会所があった。


秋葉神社
金谷宿川越し場京方(西側)入口に鎮座する秋葉神社。


金谷宿川越し場 三番宿跡
右手前が三番宿跡。その奥に二番宿・六番宿が並んでいた。


金谷宿川越し場 加藤家跡
平成16年(2004年)まで江戸時代の建物を残していた加藤家跡。現在は解体保存され、地元有志が復元を目指している。金谷には宿場・川越しで賑わった時代の遺構がほぼ残っておらず、正直なところ見どころが少ない。旧加藤家住宅の復元が待たれるところだ。


金谷宿川越し場 九番宿跡
九番宿跡(写真右手前)。


金谷宿川越し場 七番宿・拾番宿跡
七番宿・拾番宿跡付近の旧東海道。


金谷宿川越し場跡
金谷宿川越し場の江戸方外れ。この先に八軒屋橋が架かる。


八軒屋橋
新堀川に架かる八軒屋橋。かつては板橋で川越し場と大井川の川岸を隔てる場所だった。


金谷宿川越し場跡
八軒屋橋東袂に設置される案内板。往時の川越えの様子を浮世絵風に描く。


義人仲田源蔵像
八軒屋橋東袂にある義人仲田源蔵像。時代は江戸から明治になり、大井川の川越えが廃止され川越人足たちは職を失う。それを救おうと尽力したのが仲田源蔵という人。自分の田地を売ってまでして金を作り、政府に直訴すべく東京へ。その運動が実って、政府は牧之原台地の開拓を名目に川越人足らに救済金を給付した。今では牧之原台地は日本を代表する緑茶の産地である。


水神社
ひっそりと小ぢんまり鎮座しながらも、主張が強い水神社。


八軒屋橋
八軒屋橋より金谷宿方面。


大井川渡し場跡
かつて八軒屋橋から先は大井川の河原だった。旅人は水神社に安全を祈願し、不安な面持ちで川越人足の肩車や連台に乗って川を渡ったのだろう。


大井川渡し跡
大井川の渡し跡。川岸は河川敷に整備され、今や往時の面影を見ない。


大井川渡し跡
大井川渡し跡より振り返って金谷方面。かつて河原だったこの辺りで、旅人は川越人足の連台や肩車から乗降していたはず。


大井川橋
渡し跡の上流に架かる大井川橋(旧国道1号)。昭和3年(1928年)に竣工した橋長1026.4mの鋼製トラス橋。土木学会選奨土木遺産に認定されている。


大井川渡し跡
橋上から大井川渡し跡を望むと、広々とした河原に往時の様子を垣間見よう。


大井川
幾筋にも分かれて流れる大井川。往時に比して水量こそ減っているのだろうが、広重の浮世絵に見る景観を感じられる。


大井川
島田側の川岸。大井川を渡れば駿河国である。


島田大堤
大井川橋東袂より川下に向かって延びる島田大堤。江戸時代に築かれた高さ二間(約3.6m)もの大堤で、長さは三一五〇間(約5733m)と当時の資料に記録されているという。今では途切れ途切れになりながらも、島田宿や下流域の村々を水害から守ってきた様子を伝えている。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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