根室本線 島ノ下駅
2017年3月3日、ダイヤ改正に伴って旅客扱いを廃止した根室本線の島ノ下駅。JR北海道の”ご利用の少ない駅”に指定された10駅のうちの一駅で、千歳線の美々駅(千歳市)、根室本線の稲士別駅(幕別町)と上厚内駅(浦幌町)、釧網本線の五十石駅(標茶町)、函館本線に至っては東山駅・姫川駅・桂川駅(森町)、北豊津駅・蕨岱駅(長万部町)と共に路線図から姿を消した。赤字の泥沼から抜け出せないJR北海道が、維持費の削減を目的に首を切った格好だ。利用客がいなければあっさりと廃止する。これでいいのか、北海道の鉄道は。そんな思いを胸に、廃止から1週間を経た旧島ノ下駅と、「104年間ありがとう!島ノ下駅展」を開催する”ハイランドふらの”を訪ねることに。
島ノ下駅は大正2年(1913年)釧路本線(後の根室本線)の一般駅として開業。昭和初期から島の下温泉の開発が進んで湯治客が増え始め、昭和30年頃には島ノ下駅を利用する旅客数は年間10万人を超えてピークを迎える。しかし、モータリゼーションが到来した昭和40年代、温泉の中心的存在だった五楽園が昭和49年(1974年)に火災で全焼して廃業。島ノ下地区の過疎化が進んだうえ、同56年に石勝線が開通し根室本線の滝川駅~新得駅間は、札幌と帯広・釧路を繋ぐ主要路線の座を奪われ島ノ下駅の利用客は激減、昭和57年(1982年)に無人駅となり現駅舎へ建て替えられた。それから26年後の2017年3月3日、この日の旅客営業を最後に島ノ下駅は104年間の歴史に幕を閉じる。

旧島ノ下駅前通りの小路。その入口には島の下会館が建つ。

島の下会館から小路を下った突き当りに旧島ノ下駅がある。

旧島ノ下駅舎。JR貨物のコンテナを駅舎横に置く。廃止から1週間しか経っていないので原形を留めている。

”JR島ノ下駅”の駅名標示は撤去されているが、しっかりその文字が読み取れる。

駅構内は立入禁止。

ホーム上の駅名標は撤去され、枠組みだけが残る。

キハ40形気動車が何事もなかったように通過。1週間前まで島ノ下駅を12:58に発車していた滝川行である。

島ノ下駅から線路沿い、もう1本の駅前通り。こちらが本通りのようで、車両の通行可。

雪に埋もれる島ノ下神社。島ノ下の盛衰を今日まで見守ってきたのだろう。

島ノ下駅を最寄りとした宿泊・温泉施設の”ハイランドふらの”。かつて賑わった島ノ下温泉はここに引き継がれる。

ハイランドふらの1階ロビーでは「104年間ありがとう!島ノ下駅展」を開催する。

富良野駅の旧運賃表や国鉄時代の制服を展示。

島ノ下に関する写真や新聞記事など、小規模ながら興味深く拝見。

島ノ下駅展のパネル展示より引用
昭和57年2月12日の北海タイムス記事。島ノ下駅の無人化を報じている。

島ノ下駅展のパネル展示より引用
滝里駅の廃止を報じる平成3年(1991年)10月12日の北海道新聞記事。滝里駅は島ノ下駅と野花南駅の間にあった駅で、滝里ダムの建設により水没し廃駅となった。ここは倉本聰の「北の国から’89」の舞台、蛍と勇次が滝里駅で降り、空知川河畔に立つ木の幹に、二人のイニシャルYとHを刻むシーンを覚えている方も多くいることだろう。このドラマシーンをきっかけに各地から多くの若者が訪れた。

「旧島ノ下駅舎 正面」島ノ下駅展のパネル展示より引用
昭和40年頃の島ノ下駅。

「改築直前の旧島ノ下駅舎」島ノ下駅展のパネル展示より引用
昭和57年(1982年)7月11日撮影の島ノ下駅。先代駅舎が取り壊される直前の写真。

「旧島ノ下駅事務室にて駅員の仲間たちと」島ノ下駅展のパネル展示より引用
昭和29年頃の撮影。旧駅舎で働いてきた人たちの様子を垣間見る1枚。

「ラジウム温泉松寿園」島ノ下駅展のパネル展示より引用
昭和4年頃撮影の富良野ラジウム温泉・松寿園。昭和3年(1928年)島の下地区の現市有林の沢で発見された鉱泉を元に開業した温泉。旭川第七師団の傷病者療養施設の指定を受け、軍関係者の湯治客で賑わったという。師団指定を解除され同16年(1941年)廃業。

「島の下温泉みゆき荘」島ノ下駅展のパネル展示より引用
島の下温泉の”みゆき荘”。昭和6年(1931年)泉地区の中央部に開業した不動閣温泉がはじまり。後に経営者が転々と変わり昭和42年(1967年)佐々木温泉を受け継ぎ開業したのが”みゆき荘”である。滝里ダム建設に伴う根室本線の付替え工事により立ち退きを迫られ、昭和62年(1987年)廃業した。

「島の下温泉五楽園」島ノ下駅展のパネル展示より引用
昭和40年頃に撮影された五楽園。ここは明治41年(1908年)に開業した渡辺温泉を前身とし、大正から昭和にかけて堀川温泉、坂田温泉と経営者を変え、昭和38年(1963年)旅館建物を改築して五楽園が開業。昭和49年(1974年)に焼失するまで島の下温泉の中心的存在だった。

「坂田温泉(旧堀川温泉)の宿泊・温泉施設」島ノ下駅展のパネル展示より引用
坂田温泉時代の五楽園。昭和30年頃の撮影。

旧五楽園へ至る道入口にあるホテル万景。廃業してしまっているようだ。

旧ホテル万景から山へ入って行く道。この先がかつて温泉客で賑わった五楽園跡。3月初旬だけに道は雪に埋もれ車でこれ以上進むことはできない。
撮影日:2017年3月11日(土)
島ノ下駅は大正2年(1913年)釧路本線(後の根室本線)の一般駅として開業。昭和初期から島の下温泉の開発が進んで湯治客が増え始め、昭和30年頃には島ノ下駅を利用する旅客数は年間10万人を超えてピークを迎える。しかし、モータリゼーションが到来した昭和40年代、温泉の中心的存在だった五楽園が昭和49年(1974年)に火災で全焼して廃業。島ノ下地区の過疎化が進んだうえ、同56年に石勝線が開通し根室本線の滝川駅~新得駅間は、札幌と帯広・釧路を繋ぐ主要路線の座を奪われ島ノ下駅の利用客は激減、昭和57年(1982年)に無人駅となり現駅舎へ建て替えられた。それから26年後の2017年3月3日、この日の旅客営業を最後に島ノ下駅は104年間の歴史に幕を閉じる。

旧島ノ下駅前通りの小路。その入口には島の下会館が建つ。

島の下会館から小路を下った突き当りに旧島ノ下駅がある。

旧島ノ下駅舎。JR貨物のコンテナを駅舎横に置く。廃止から1週間しか経っていないので原形を留めている。

”JR島ノ下駅”の駅名標示は撤去されているが、しっかりその文字が読み取れる。

駅構内は立入禁止。

ホーム上の駅名標は撤去され、枠組みだけが残る。

キハ40形気動車が何事もなかったように通過。1週間前まで島ノ下駅を12:58に発車していた滝川行である。

島ノ下駅から線路沿い、もう1本の駅前通り。こちらが本通りのようで、車両の通行可。

雪に埋もれる島ノ下神社。島ノ下の盛衰を今日まで見守ってきたのだろう。

島ノ下駅を最寄りとした宿泊・温泉施設の”ハイランドふらの”。かつて賑わった島ノ下温泉はここに引き継がれる。

ハイランドふらの1階ロビーでは「104年間ありがとう!島ノ下駅展」を開催する。

富良野駅の旧運賃表や国鉄時代の制服を展示。

島ノ下に関する写真や新聞記事など、小規模ながら興味深く拝見。

島ノ下駅展のパネル展示より引用
昭和57年2月12日の北海タイムス記事。島ノ下駅の無人化を報じている。

島ノ下駅展のパネル展示より引用
滝里駅の廃止を報じる平成3年(1991年)10月12日の北海道新聞記事。滝里駅は島ノ下駅と野花南駅の間にあった駅で、滝里ダムの建設により水没し廃駅となった。ここは倉本聰の「北の国から’89」の舞台、蛍と勇次が滝里駅で降り、空知川河畔に立つ木の幹に、二人のイニシャルYとHを刻むシーンを覚えている方も多くいることだろう。このドラマシーンをきっかけに各地から多くの若者が訪れた。

「旧島ノ下駅舎 正面」島ノ下駅展のパネル展示より引用
昭和40年頃の島ノ下駅。

「改築直前の旧島ノ下駅舎」島ノ下駅展のパネル展示より引用
昭和57年(1982年)7月11日撮影の島ノ下駅。先代駅舎が取り壊される直前の写真。

「旧島ノ下駅事務室にて駅員の仲間たちと」島ノ下駅展のパネル展示より引用
昭和29年頃の撮影。旧駅舎で働いてきた人たちの様子を垣間見る1枚。

「ラジウム温泉松寿園」島ノ下駅展のパネル展示より引用
昭和4年頃撮影の富良野ラジウム温泉・松寿園。昭和3年(1928年)島の下地区の現市有林の沢で発見された鉱泉を元に開業した温泉。旭川第七師団の傷病者療養施設の指定を受け、軍関係者の湯治客で賑わったという。師団指定を解除され同16年(1941年)廃業。

「島の下温泉みゆき荘」島ノ下駅展のパネル展示より引用
島の下温泉の”みゆき荘”。昭和6年(1931年)泉地区の中央部に開業した不動閣温泉がはじまり。後に経営者が転々と変わり昭和42年(1967年)佐々木温泉を受け継ぎ開業したのが”みゆき荘”である。滝里ダム建設に伴う根室本線の付替え工事により立ち退きを迫られ、昭和62年(1987年)廃業した。

「島の下温泉五楽園」島ノ下駅展のパネル展示より引用
昭和40年頃に撮影された五楽園。ここは明治41年(1908年)に開業した渡辺温泉を前身とし、大正から昭和にかけて堀川温泉、坂田温泉と経営者を変え、昭和38年(1963年)旅館建物を改築して五楽園が開業。昭和49年(1974年)に焼失するまで島の下温泉の中心的存在だった。

「坂田温泉(旧堀川温泉)の宿泊・温泉施設」島ノ下駅展のパネル展示より引用
坂田温泉時代の五楽園。昭和30年頃の撮影。

旧五楽園へ至る道入口にあるホテル万景。廃業してしまっているようだ。

旧ホテル万景から山へ入って行く道。この先がかつて温泉客で賑わった五楽園跡。3月初旬だけに道は雪に埋もれ車でこれ以上進むことはできない。
撮影日:2017年3月11日(土)

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