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深名線 宇摩駅跡

深川市多度志の北方、雨竜川沿岸に宇摩という地域がある。地名の由来は愛媛県(伊予国)にあった宇摩郡にあり、ここから入植者があったことにある。明治後期から水田開発がはじまり、大正期に宇摩水利組合を発足、揚水機を使って雨竜川を水源とする農業用水の供給が開始し、昭和期に電力型の揚水機に切り換えられて造田が進み、更に揚水機の改良と増強により大規模な水田地帯を形成した。昭和30年(1955年)、そんな開発が進む水田地帯に宇摩駅は開業、当初は仮乗降所扱いであったが、昭和62年(1987年)国鉄からJR北海道への事業継承の際に駅へ昇格、平成7年(1995年)深名線の廃止に伴い廃駅になってしまう。宇摩駅は単式ホーム1面1線、待合所を有するだけの典型的な無人駅だった。




空中写真_宇摩_1977年
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7727-C1B-14を基に作成

昭和52年(1977年)撮影、宇摩地区の空中写真。雨竜川流域に水田地帯が広がり、宇摩駅の乗降ホームと宇摩小学校の校舎が確認できる。


国道275号 宇摩駅跡前
宇摩駅跡前の国道275号(幌加内方)。


宇摩公民館前バス停
JR北海道バスの宇摩公民館前バス停。深名線廃止後はバス転換され地域住民の足となっている。


旧宇摩駅前通り
国道から延びるこの小路が旧宇摩駅前通り。突き当りの左手が駅跡。


池田家
宇摩駅跡前にある池田家。「GREEN HILL FARM THE HOUSE OF IKEDA EDNA」の看板を掲げる。


宇摩駅跡
宇摩駅跡。写真は深川方向、左手ビニールハウス辺りに乗降ホームがあった。わずかに深名線の路盤が確認できる。


宇摩駅跡
宇摩駅跡に残る深名線路盤(幌加内方)。


宇摩駅北側の深名線路盤
次の幌成駅に向かって延びる深名線路盤。


旧宇摩駅前通り
宇摩駅跡より旧駅前通り。


宇摩小学校跡
宇摩駅跡前にある宇摩会館。元々ここには昭和29年(1954年)に移転新築した宇摩小学校があったが、わずか13年で多度志小学校に統合され廃校になっている。


宇摩小学校校歌碑
宇摩小学校校歌碑だけが往時を偲ぶ。


旧宇摩小学校校舎
宇摩小学校校歌碑より引用
二代目の宇摩小学校校舎。初代は明治33年(1900年)に完成した宇摩簡易教育所(後に宇摩団体教育所、宇摩尋常小学校に改称)の校舎で宇摩神社付近にあった。二代目のこの木造校舎は大正14年(1925年)に移転新築されたもので、宇摩会館から南へ約530m地点に建てられていた。


旧宇摩小学校校舎
三代目の宇摩小学校校舎。昭和29年(1954年)に建てられた最後の校舎、現在の宇摩会館がその跡地にあたる。昭和42年(1967年)に多度志小学校へ統廃合されるまで、宇摩地区の子供たちが通った小学校である。


開田記念碑
宇摩会館の敷地にある開田記念碑。宇摩地区開拓の歴史を綴る。


国道275号 宇摩
宇摩から幌加内方面へ延びる国道275号。次は北上して幌成駅跡を訪ねよう。


撮影日:2017年6月20日(火)
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テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

深名線 幌成駅跡

深名線を宇摩駅から幌加内・名寄方面に向かへば次は幌成駅。並行する国道275号は高橋峠という僅かな勾配を越える。大正15年(1926年)雨龍線の多度志駅~鷹泊駅間の延伸開通に伴い開業、元々の当地は幌内という地名だったが、幌内線(1987年廃止)に同名の駅が存在していたことから駅名を幌成とし、地名もこれに従い変更された。当初は旅客と共に貨物・荷物を取り扱う有人駅だったが、昭和57年(1982年)に無人駅となり切符販売を簡易委託化、1980年代後半には駅舎が貨車駅舎に建て替えられ完全な無人駅に。平成7年(1995年)深名線の廃止に伴い廃駅となった。




空中写真_幌成_1977年
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7718-C11-48を基に作成

昭和52年(1977年)撮影、幌成駅付近の空中写真。貨車駅舎になる前の赤屋根を持つ旧駅舎、幌成小学校の細長い校舎が確認できる。


高橋峠
宇摩と幌成の間、国道275号が通る高橋峠。地図にも載っていない緩やかな勾配の峠。沿道には”高橋峠イチイ”と名付けられる深川市保存樹木に指定の名木がある。


旧幌成駅前通り
旧幌成駅前通り。この道の真ん中に駅舎があったのだが、駅舎は撤去され、更に路盤を開削して駅前通りが駅裏にかけて通されている現況。


旧幌成駅前通り
幌成駅舎跡より旧駅前通り。


旧幌成駅駅舎
幌成駅跡前にある平新機械産業の敷地内に貨車駅舎が佇む。これは1980年代後半に設置された二代目の貨車駅舎。


旧幌成駅駅舎
劣化が進んでいるがJR幌成駅の文字が読み取れる。


幌成駅構内跡
幌成駅構内跡から深川方。旧駅前通りが路盤を分断している。


旧幌成駅駅舎
幌成駅構内跡から旧駅舎と高橋峠の上り口を望む。


幌成駅跡北側の路盤
幌成駅跡北側に残る深名線路盤(幌加内方)。


幌成の多度志農業倉庫
幌成の多度志農業倉庫。


幌成簡易郵便局
幌成簡易郵便局。


旧幌成小学校校舎
平成9年(1997年)に閉校した旧幌成小学校校舎。今も現役と思うほどに校名標と校舎をしっかり残す。


旧幌成小学校校舎
旧幌成小学校校舎。現在は幌成郷土資料館の看板を掲げている。


旧幌成小学校
校舎横には使われなくなった遊具。


幌成小学校校訓碑
幌成小学校校訓碑。「みんな仲よく つよい心と体で すすんで学ぼう」。


昔の幌成小学校校舎
幌成小学校校訓碑より引用

昔の幌成小学校校舎。今に残っている校舎は一部で、随分と横に長かったことがわかる。


旧幌成小学校校舎
上写真と同アングルで撮影。


国道275号 幌成小学校前
旧幌成小学校前を行く国道275号(深川方)


撮影日:2017年6月20日(火)
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深名線 下幌成駅跡

幌成駅から国道275号を北へ1kmちょっと行くと下幌内地区があり、ここに下幌成駅が存在した。当地は駅名に合わせて地名を改名せず幌内の地名を残している。下幌成駅は幌成駅開業から遅れること29年後の昭和30年(1955年)に仮乗降所として設けられ、昭和62年(1987年)国鉄からJR北海道への事業継承の際に駅へ昇格、平成7年(1995年)深名線の廃止に伴い廃駅となった。昭和52年(1977年)の空中写真を見ると、駅前には1軒の民家があるだけで、駅から西へ約180mの国道275号沿いに小さな市街を形成、下幌内の中心をなしていた。




空中写真_下幌成_1977年
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7718-C10-46を基に作成

昭和52年(1977年)撮影、下幌成仮乗降所付近の空中写真。乗降ホームとその中央に待合所が確認できる。南側(深川方面)に幌内川を渡る橋梁、北側(幌加内・名寄方面)にエイチャン川を渡る橋梁が架けられていた。


下幌成駅跡
下幌成駅跡。単式ホームと待合所だけの駅だけに何も残っていない。舗装道路(道道920号)から右に延びる畦道が深名線路盤跡、その分岐点奥に下幌成駅があった。


下幌成駅跡
畦道が深川方面への深名線路盤跡、矢印の所に下幌成駅のホームがあった。


幌内川橋梁跡
下幌成駅跡から深川方面の深名線路盤跡。幌内川で途切れているが、かつては橋梁が架けられていた。


下幌成駅跡前
下幌成駅跡前より国道方向の道道920号。駅前には田畑が広がり、国道沿いに下幌成市街の家々がぽつぽつと並ぶ。


下幌内市街
下幌内市街を行く国道275号(深川方)。左手前はJR北海道バスの下幌成バス停。


川副商店
下幌成の国道沿いにある川副商店。かつて深名線沿線にはこういった個人商店が多くあったのだが、今はほとんどが店仕舞いしてしまっている。


撮影日:2017年6月20日(火)
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深名線 鷹泊駅跡

深川市と幌加内町の境をなす幌加内峠の深川側手前に鷹泊地区がある。国道275号沿いに市街を形成し、その少し南側外れに鷹泊駅が設けられていた。深名線はここから幌加内峠下に掘られた幌加内トンネルを通じて沼牛駅へ至る。鷹泊駅は大正15年(1926年)雨龍線の多度志駅~当駅間の延伸開通に伴い開業、当初は旅客と共に貨物・荷物を取り扱う有人駅で、単式ホームと複式ホームを有する列車交換可能な駅でだった。昭和59年(1984年)に無人駅となり、平成7年(1995年)深名線の廃止に伴い廃駅に。現時点(2017年)で深名線時代の旧駅舎を残す4駅のうちの一つ。他は沼牛駅、政和駅、添牛内駅。




空中写真_鷹泊_1977年
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7718-C8B-19を基に作成

昭和52年(1977年)撮影、鷹泊市街の空中写真。鷹泊小学校と鷹泊駅間の国道275号沿いに多くの家が建ち並びぶ。鷹泊小学校の校舎や駅構内の複線が確認できる。


鷹泊小学校跡
まずは鷹泊小学校跡に。入口に門柱を残している。右手の校舎跡には”リフレッシュプラザたかどまり”が建つ。明治35年(1902年)に設立した鷹泊簡易教育所を前身とする鷹泊小学校は、開校95周年目の平成9年(1997年)閉校となってしまった。


鷹泊小学校の二宮金次郎像
左手が脱落している二宮金次郎像。冬季に積雪から守るためなのか、周りに足場パイプが組まれている。


リフレッシュプラザたかどまり
鷹泊小学校跡に建つ”リフレッシュプラザたかどまり”。地域住民の憩いの場となっている。


リフレッシュプラザたかどまり
ここには旧深名線資料室を併設しているのだが…。近いうちに再訪してみよう。


リフレッシュプラザたかどまり
体育館らしき建物は小学校時代のものを再利用したのか。


鷹泊小学校跡
校庭より入口を望み。鷹泊の子供たちが元気に遊んだ声が聞こえてきそうだ。


深名線路盤 鷹泊小学校跡付近
鷹泊小学校跡の東辺に残る深名線路盤(深川方面)。


鷹泊小学校跡
深名線路盤より鷹泊小学校跡(現 リフレッシュプラザたかどまり)。


深名線路盤 鷹泊駅跡付近
路盤がはっきりと鷹泊駅跡まで延びている。


深名線路盤 鷹泊駅跡付近
路面には今もバラスト(線路を敷くための砂利)が確認できる。


深名線路盤 鷹泊小学校跡付近
鷹泊小学校跡付近の深名線路盤。


キタキツネ
おっ!何かいる。


キタキツネ
キタキツネですな。ルールルルル…、やはり私に気づくと一目散に森へ帰りました。


深名線路盤 鷹泊小学校跡付近
路盤に咲く花のように風に吹かれ、人を和やかにして。


鷹泊駅跡
鷹泊駅跡北側の遠くより構内を望む。


鷹泊駅跡
鷹泊駅跡をズーム。旧駅舎がはっきり確認できる。


鷹泊駅跡
路盤を歩いて鷹泊駅跡へ。旧駅舎をバックに記念撮影。


旧鷹泊駅舎
構内側より旧駅舎。


旧鷹泊駅舎
旧鷹泊駅舎構内側。


旧鷹泊駅舎
駅舎併設の乗降ホームをしっかり残す。今なら沼牛駅と同様に改修して復原が可能な状態。もし鷹泊駅の改修ができれば、隣の沼牛駅と共に旧深名線史跡として価値を上げよう。更に幌加内トンネルを改修して鷹泊駅と沼牛駅間に汽車が走らせられれば…、JR線の廃止が相次ぐ北海道で、廃線が復活したなんて話は聞いたことがないだけに、観光客や鉄道ファンを呼ぶ観光資源になりそうな気がする。


旧鷹泊駅構内
旧鷹泊駅構内より深川方面。


旧鷹泊駅構内
旧鷹泊駅構内より幌加内・名寄方面。


旧鷹泊駅構内
ここに再び鉄路が敷かれてほしい。そのために沼牛駅とここ鷹泊駅は今に残ってきたのではないだろうか。


旧鷹泊駅舎
旧鷹泊駅舎正面。


旧鷹泊駅舎
傷みは著しいが、まだまだ復活できそうな面構え。


旧鷹泊駅前広場
旧駅前広場。


旧鷹泊駅前通り
過疎化を身をもって感じる旧駅前通り。


撮影日:2017年6月20日(火)
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札沼線(学園都市線) 浦臼駅

加工用ぶどう作付け面積日本一のまち、浦臼町。ここで生産されるぶどうはワイン専用種で、浦臼ワインの銘柄も知られるところ。その市街中心にある町の玄関口が札沼線(学園都市線)の浦臼駅で、開業は札沼北線が中徳富駅(後の新十津川駅)から当駅まで開通した昭和9年(1934年)。翌年(1935年)に札沼南線が石狩当別駅から当駅まで延伸開通、これにより桑園駅~石狩沼田駅までが全通し札沼線に名を改めた。しかし札沼線は斜陽の時代を迎え、昭和47年(1972年)になると利用客の減少から新十津川駅~石狩沼田駅間が廃止、札沼線の主要駅だった浦臼駅も昭和59年(1984年)に切符販売が簡易委託となり、1990年代初期に簡易委託も廃止され完全に無人駅と化した。駅舎は近年に改築されて”ふれあいステーション”を名付け、歯科診療所が併設されている。




浦臼駅
真新しい駅舎の浦臼駅。元は木造駅舎で昭和40年代には駅弁販売を行っていた。


浦臼駅
浦臼駅に到着した中央バス。一人の乗客を降ろして。


浦臼駅駅舎内
浦臼駅駅舎内。


浦臼駅
上りの石狩当別方面へは1日6往復、下りの新十津川方面に至っては1日1往復のみ。廃止が目前に迫っているとしか思えない運行状況。


キハ40形気動車
浦臼駅に停車するキハ40形気動車。13:21発石狩当別行。


キハ40形気動車
車体には”学園都市線”の路線標を掲げている。


集治監沢踏切
浦臼駅北側(新十津川駅方)にある集治監沢踏切。この踏切がある道は西の樺戸山地に向かう。集治監とは明治時代に設置された囚人の収容施設で、今で言う刑務所に近い存在。月形に設けられていた樺戸集治監は浦臼の地に集治監分館(作業所)を置き囚人に開拓を進めさせたことで、集治監沢という地名が発生したという。


浦臼駅構内
集治監沢踏切より浦臼駅構内。


浦臼駅構内
石狩当別へ向け発車を待つ。


キハ40形気動車
いかにも北海道の鉄道らしい顔。


浦臼駅にて
最後に浦臼駅で記念撮影。


撮影日:2017年6月21日(水)
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札沼線(学園都市線) 鶴沼駅

札沼線(学園都市線)の浦臼駅~新十津川駅間は1日1往復しか列車の運行がない。その浦臼駅から一駅目が鶴沼公園の最寄りとなる鶴沼駅で、JR北海道が昨年(2016年)に公表した資料では乗車人員1日平均1名以下、「極端にご利用の少ない駅」に指定される。ちなみに浦臼駅~新十津川駅間の中間駅は全て乗車人員1日平均1名以下、終着の新十津川駅が10名以下である。1日1往復だけの運行では当然の結果といえよう。鶴沼駅の開業は昭和31年(1956年)、単式ホームに待合所を設けるだけの典型的な無人駅。




鶴沼公園
鶴沼駅が最寄りとなる鶴沼公園。鶴沼を中心に散策路が整備され、キャンプ場やテニスコート等を併設する。鶴沼駅を利用して来る人はまずいないだろう。


うらうす温泉
鶴沼公園に隣接してある”うらうす温泉”。キャンプを楽しんで、夜は温泉で疲れを癒す。


道の駅つるぬま
鶴沼公園から国道275号を挟んで向かいにある”道の駅つるぬま”。こちらが鶴沼の最寄り駅といった感じで、もはや鉄道の駅は影が薄い。


鶴沼駅
道の駅とは様相を異にして、寂寥感たっぷりの鶴沼駅。


鶴沼駅前通り
国道275号に続く駅前通り。ここから鶴沼公園までは約1.5km、徒歩だと20分くらいでアクセスはよくない。


鶴沼駅
単式ホームに待合所を設けるだけの無人駅。


鶴沼駅の駅名標
鶴沼駅の駅名標。


鶴沼駅待合所内
鶴沼駅待合所内。


鶴沼駅ホーム上からの風景
ホーム上から眺める田園風景。


鶴沼公園案内図
待合所ベンチ上にあった鶴沼公園までの案内図。はたして鉄道を利用して鶴沼公園へ行く人はいるのか…。


鶴沼駅時刻表
次の列車がやって来るのは明朝9:11発の新十津川行。


鶴沼駅にて
「闇の深い駅アワード2016」の銀賞に選ばれたらしい。何でも駅の落書きに心の闇の深さが遺憾なく表現されていたとか。


鶴沼駅ノート
鶴沼駅ノートは大小2冊。


撮影日:2017年6月21日(水)
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札沼線(学園都市線) 於札内駅

浦臼駅から1日1往復の新十津川方面へ二駅目が於札内駅、浦臼町於札内という地域にあるのが駅名の由来。単式ホームに待合所を設ける無人駅で、開業は昭和34年(1959年)。駅周辺には田畑が広がるだけで数軒の農家がある程度、当然ながらJR北海道が公表する乗車人員1日平均1名以下の「極端にご利用の少ない駅」である。駅に通じる道は未舗装で、本当にこんな所に駅があるのかと思ってしまうほどに、ひっそりと駅のホームが佇む。




於札内駅
未舗装道の先に於札内駅。


於札内駅
乗車人員1日平均1名以下の駅というのも当然。存在意義を見出せない。


水野作場踏切
駅横の踏切名は水野作場踏切。おそらく周辺一帯は水野さんという農家の田畑なのだろう。


水野作場踏切と於札内駅
水野作場踏切と於札内駅。


於札内駅06
北海道の農村地帯にふさわしい佇まい。


於札内駅旧駅名標
待合所に掲げる旧駅名標。標板が錆びついて劣化が著しいのだが、しっかりと文字が読み取れる。


於札内駅駅舎内
於札内駅待合所内。ベンチ上には駅ノート。


於札内駅時刻表
次の列車は明朝9:14発の新十津川行。


於札内駅前通り
ホーム上より駅前通りと言える未舗装道を望み。


於札内駅駅名標
於札内駅の駅名標と待合所。


於札内駅駅裏通り
於札内駅から北方向の未舗装道。1軒の農家に通じており、想像するに水野家かと。


於札内駅
於札内駅裏手より。


於札内駅
最後に面手より。いつまでも残ってほしいと願う。


撮影日:2017年6月21日(水)
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札沼線廃線跡 新十津川駅~石狩橋本駅

昭和47年(1972年)以前の札沼線は函館本線桑園駅から留萌本線石狩沼田駅まで繋がっていた。今や学園都市線という路線名が主流となってしまったが、正式名称の札沼線という名は札幌と沼田を繋ぐことから、それぞれの頭文字を取って命名されたもの。しかし、札幌から石狩沼田・留萌方面に行くには函館本線の深川駅で留萌本線に乗り換えた方が圧倒的に利便性が高く、札沼線は利用客の減少から昭和47年(1972年)に新十津川駅~石狩沼田駅間を廃止、新十津川が終着駅の盲腸線となってしまったのだ。廃止から45年も経っていることから遺構はあまり期待できないが、新十津川駅から石狩沼田駅方面に少しだけ廃線跡を辿ってみよう。




国土基本図_新十津川_1966年
国土基本図:国土地理院 図葉番号12-LD-62を基に作成

昭和41年(1966年)測量の国土基本図。廃止6年前の測量図、新十津川駅から石狩沼田方向の札沼線をはじめ、徳富川橋梁や石狩橋本駅が確認できる。


新十津川駅
札沼線の終着、新十津川駅。


新十津川駅
次の石狩当別行きは明朝9:40、日本一早く最終列車が出る駅だけに、駅舎内は閑散。しかしながら、たくさんの写真やポスター等の掲示があり雰囲気は明るい。


新十津川駅
新十津川駅改札口。


新十津川駅
コルクで作られた新十津川駅ストラップを無料で配布しており、旅人にはうれしい配慮。新十津川駅が地元の人たちに愛されていることがよくわかる。


新十津川駅
可愛いらしい絵葉書に心温まる。


新十津川駅構内
新十津川駅構内。


新十津川駅構内
野花に彩られる新十津川駅。


新十津川駅構内
駅構内より石狩沼田方面。今は鉄路が途絶えているが、昭和47年(1972年)以前には鉄路が更に先へ延び、次の石狩橋本駅へ続いていた。


新十津川駅構内
さて、新十津川駅から廃線跡を辿ってみよう。


旧徳富川橋梁
新十津川間~石狩橋本駅間、徳富川に架かる旧徳富川橋梁。


旧徳富川橋梁
廃止から45年が経ち、成長して生い茂る木々の合間を橋梁が通る。


旧徳富川橋梁
徳富川橋梁は水道管を通す橋に再利用されたため残った。


旧徳富川橋梁
旧徳富川橋梁の橋脚と主桁。往時にこの上を汽車が走り抜けていたのだ。


旧徳富川橋梁から石狩橋本駅へ移動↓

空中写真_石狩橋本_1977年
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7727-C26A-9を基に作成

昭和52年(1977年)撮影、石狩橋本駅付近の空中写真。札沼線の新十津川駅~石狩沼田駅間が廃止されて5年が経っているが、石狩橋本駅の駅舎と南北の百数十メートルにわたり路盤が残っている。


石狩橋本駅跡前
新十津川駅から石狩沼田方面へ廃線跡を辿って一駅目、石狩橋本駅跡の駅前。白のワゴン車が停まっている辺りが、かつての駅舎前。


石狩橋本駅跡
石狩橋本駅跡。写真は駅構内より石狩沼田方面を撮影。路盤は道路に整備され面影を残さない。特に跡地を示すものが無く、松実畳商店(写真右手前)がランドマーク。


石狩橋本駅跡
駅構内跡より新十津川方面。


石狩橋本駅跡付近の農業倉庫
石狩橋本駅跡南側にある農業倉庫。昭和52年(1977年)撮影の空中写真にもこの建物の赤屋根が写っている。


宮前区自治会館
石狩橋本駅跡北側の線路跡沿いにある宮前区自治会館。近くに新十津川神社があるので、この辺りには宮前区という自治会が存在するようだ。


新十津川神社
新十津川神社。


新十津川神社
新十津川神社の境内にある拝殿の社号は玉置神社。新十津川は明治22年(1889年)に奈良県最南端の十津川村より村民が北海道へ移住し開拓したことで新十津川という地名が発祥した。玉置神社は十津川村にゆかりの深い神社、北海道へ移住してきた村民が分霊を祀ったことに起源がある。


撮影日:2017年6月21日(水)
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札沼線廃線跡 上徳富駅~雨竜駅

新十津川駅から石狩沼田方面へ廃線跡を辿って二駅目の上徳富(かみとっぷ)駅から、北上徳富駅、雨竜駅の跡地を訪ねよう。石狩橋本駅から雨竜駅間に路盤はほぼ残っておらず、雨竜駅跡の南北に少しだけ垣間見る程度。さすがに廃止から45年も経っており、駅や路盤跡に往時の面影を見ることが難しい。




空中写真_上徳富_1963年
空中写真データ:国土地理院 整理番号MHO632X-C3-8を基に作成

昭和38年(1963年)撮影、上徳富駅付近の空中写真。現役時代だけに札沼線の路盤や駅舎がしっかり見え、駅舎から札沼線に並行する道にかけて短いながら幅広な道を通している。札沼線に並行する道は現在も残存しており、地図に名残りを示す。駅から南東に大和小学校があり、隣接する十字路を中心に大和地区の市街を形成。


上徳富駅跡
上徳富駅と駅前通り跡。写真中央奥、倉庫右隣の少し手前に駅舎があった。跡地が私有地となっており、敷地内に入ることを遠慮したのだが、グーグルマップで見ると駅舎建物の基礎らしきものが見える。旧駅舎は平成20年(2008年)まで残存していたらしい。


上徳富駅跡付近
上徳富駅跡前から札沼線に並行する道の南方向。


上徳富駅跡付近
こちらは駅跡前から北方向。左手奥に旧鉄道官舎の建物が2棟残っている。


上徳富駅跡付近
旧鉄道官舎より駅跡前方向。旧鉄道官舎を矢印に示す。


西田信春小公園
駅跡の北側にある西田信春小公園。新十津川出身の西田信春は戦前に日本共産党に入党し、反戦・平和・民主主義を唱え活動した社会運動家。昭和8年(1933年)「九州地方空前の共産党大検挙」と報じられる弾圧があり、西田信春は治安維持法違反で検挙、拷問の挙句に30歳の若さで虐殺された。


西田信春碑02
平成元年(1989年)に建立された西田信春の顕彰碑と解説板。


上徳富駅跡から北上徳富駅へ移動↓

空中写真_北上徳富_1963年_MHO632X-C3-8_02
空中写真データ:国土地理院 整理番号MHO632X-C3-8を基に作成

昭和38年(1963年)撮影、北上徳富駅付近の空中写真。北十号線道路と札沼線が交差する南東角に駅があった。単式ホームに待合所が設けられていたように見える。


北上徳富駅跡
北上徳富駅跡から新十津川方面。駅跡どころか路盤すら全く姿を消しており、どこに何があったのかの想像も難しい。


北上徳富駅跡
駅と線路跡を写真に図示してみた。


北上徳富駅跡より石狩沼田方面
北上徳富駅跡より石狩沼田方面。札沼線は写真中央に向かって延びていた。


北上徳富駅跡から雨竜駅へ移動↓

空中写真_雨竜_1963年_MHO632X-C1-10_02
空中写真データ:国土地理院 整理番号MHO632X-C1-10を基に作成

昭和38年(1963年)撮影、雨竜駅付近の空中写真。駅舎が確認できる。駅舎から国道275号に向かって延びる駅前通り沿いに繁華な感じは無く、駅南東の国道と道道432・279号の交差点を中心に市街を形成している。


雨竜駅跡
雨竜駅跡。駅の遺構は残していないが、駅舎跡に「札沼線雨竜駅跡」碑がある。駅舎は廃止から5年後の昭和52年(1977年)に撮影された空中写真で確認できず、早い段階で撤去されたことがわかる。


雨竜駅跡
「札沼線雨竜駅跡」碑。


旧雨竜駅前通り
雨竜駅跡より旧駅前通り。


雨竜駅跡
雨竜駅跡より新十津川方面。雑草地となっているが何となく路盤跡を感じる状態。


雨竜駅跡の腕木式信号機
構内北側に残る腕木式信号機。引退から45年が経ち老朽化が著しい。


撮影日:2017年6月21日(水)
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政和アートFes 2017

北海道旭川市への帰省中、幌加内の政和で開催していた”政和アートFes 2017”へ行ってきたので、早速記事にしておきたい。

幌加内市街から国道275号を北上すること約15km、深名線政和駅を中心に市街を形成した政和地区があり、ここに政和小学校はあった。平成7年(1995年)深名線が廃止されて過疎化が進み、それから12年後の平成19年(2007年)に政和の児童が集った政和小学校も閉校に。他の例を見れば校舎は解体され、体育館だけが残って再利用されたり、悲しいかな跡地は野ざらしとなっているような光景も北海道の過疎地域ではよく見られるなか、政和小学校は往時の姿をそのまま残している。「人が住まなくなった家は朽ちる」、今年6月に訪れた長崎県池島の炭鉱アパートに朽ち果てる有様を見てきただけに、校舎も使われなければ見る見るうちに朽ち果ててゆくことは想像に難くない。

そんな母校を守るべく立ち上がったのが卒業生、思い出の校舎を残そうと平成24年(2012年)から”政和アートFes”と銘打ち、夏期に旧校舎を利用して道内アーティストの作品を展示する。今年(2017年)で6年目になるという。旧小学校の校舎や備品に遊び心いっぱいの作品がコラボして展示され、美術館等では味わえない独特の世界観を醸し出している。今年(2017年)の開催期間は7月29日(土)~9月3日(日)まで、8月26日(土)と27日(日)の2日間はワークショップや手作り雑貨の店が出るとのことで、期間中に最も賑わうようだ。夏場の幌加内は広大なソバ畑に花が咲き誇り、深緑の山々を背景にして白い絨毯が映える季節、北海道へ旅行やドライブの際に幌加内を行き先に加えてみてはいかが。

政和アートFes
http://seiwa-artfes.moo.jp/



旧政和駅舎
幾度となく訪れた旧政和駅舎。まだまだ健在。


旧政和駅前
旧政和駅前。数年前に幌加内町開基七十周年の記念塔が失われたものの、駅前の様子は変わりない。


国道275号 旧政和駅付近
旧政和駅前を通る国道275号。路傍には花壇が設けられ政和の町を綺麗に彩る。


政和アートフェスの幟
国道沿道には”政和アートフェス”の幟がはためく。


「政和開基開校八〇周年記念祝詩」碑
旧政和小学校に。平成6年(1994年)建立の「政和開基開校八〇周年記念」碑。碑面に80周年を祝う詩を刻む。

東に雨竜川を眺め 西に三頭山を仰ぐ ふるさと政和うるわし


旧政和小学校
今も元気に遊ぶ子供たちの声が聞こえてきそうな旧政和小学校校舎。


旧政和小学校の二宮金次郎像
旧校舎前。左から二宮金次郎像、政和中学校閉校記念之碑、政和小学校閉校記念之碑。


旧政和小学校
平成19年(2007年)に閉校となった旧政和小学校。閉校時に飾れたのだろう、”ありがとう 政和小 さようなら”を掲げる。そう簡単に”さようなら”なんててきません。ここが”政和アートFes”の会場である。


旧政和小学校体育館
まずは体育館に。


旧政和小学校体育館
壇上には新聞紙で作られたニワトリ。


旧政和小学校体育館03
壇上の背景にある金属アート。二次元から三次元へと作品を融合し、球をコロコロさせて遊べる仕組みになっている。発想が面白くて、こういうの大好きなのでコロコロさせてみた。最後の吊るしミニ鍋の手前で、球が脱落してしまったのもご愛敬。


旧政和小学校体育館
グランドピアノの周りに配される金属の球体形オブジェは聴衆のうよう、まるで演奏会が開かれているようだ。


旧政和小学校体育館

旧政和小学校体育館
体育館演壇向かいの中二階。歴代校長先生の顔写真や閉校式典に使われた「思い出ありがとう 政和小学校」の看板をはじめ、在校生の絵画等の作品が残されていて、感慨深く見入ってしまう。


旧政和小学校理科室
校舎2階の理科室入口。壁床の赤・黄・青の配色に白の階段、無味な金属アートが壁から天井にかけて蔦の如くへばりつく。実に楽しい。


旧政和小学校理科室
理科室には天井から吊るされた作品が、氷点下数十度に達する幌加内の厳しい冬を思わせる。それを裸電球が照らすのは、深い曇天の合間から見える太陽の光、僅かな温もりに春の到来を待つ北海道の住人を感じてしまったのは大袈裟なのか。


旧政和小学校理科室
理科室の棚には、政和小の生徒たちが実験で使ったのであろう器材を残す。


旧政和小学校書庫
ここは書庫。「天色の地」という作品。白イスに座り、そして思いを馳せる…。


旧政和小学校教室
教室では石油ストーブで暖をとっているかのように作品が展示され、素敵な空間に。


旧政和小学校図書室
黒板アートを制作中だった図書室。


政和アートFes 黒板アート
黒板アートが完成したところを見れるかなと思い、3日後に再訪。これが絶滅危惧種をテーマにした黒板アート。まだデッサンだけの部分があり未完成、しかしながら十分に作品を堪能できた。完成は8月27日を予定しているという。チョークだけでこれだけの表現ができることに感動。特に地上と水中を隔てる水面の表現が素晴らしく、しばらく間近で見入ってしまう。


政和アートFes 黒板アート
制作者は学校の先生で、休日に士別からここに来て黒板アートを描いているのだとか。チョークの扱いには慣れているのだろうが、作品は緻密に描かれていて凄いの一言。思いが伝わってくる。


旧政和小学校図書室
図書室だけに本棚には本がたくさん並ぶ。


旧政和小学校 1・2年教室
1・2年教室は不思議な空間に。


政和アートFes05
異彩を放つこんな作品も。ウエディングドレスに挟まれるのは政和アートフェスのキャラ、ワルジカ。新聞紙で作られている。ここで何の悪巧みをしているのでしょうか。


旧政和小学校物品庫
ここは物品庫。色彩の無い空間に冷徹な幌加内の真冬を思わせる。


アトリエ千の花
そして”アトリエ千の花”。ステンドグラスを照らす暖かい光。真冬は極寒となる幌加内、これは命を守る灯り。


アトリエ千の花
ステンドグラスが飾られた窓越しにソバ畑を眺める。今はソバの花が咲き誇る幌加内の短い夏。


旧政和小学校 2階廊下
旧政和小学校の2階廊下。


旧政和小学校 2階廊下
来年も必ず来よう。夏が来るのが楽しみだ。


白銀の丘
政和から旭川への帰途、白銀の丘に。


白銀の丘
道の両側に満開の白い花を咲かせる。これが美味しい蕎麦になるわけだ。


水銀山より幌加内市街
この記事の最後は水銀山より望む幌加内市街で。


撮影日:2017年8月10日(木)、13日(日)
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ジャンル : 旅行

深名線 新成生駅跡

昨年(2016年)に改修され脚光を浴びた沼牛駅の北隣り、その沼牛駅と幌加内町の中心をなした幌加内駅との間にひっそりと新成生駅はあった。道道72号と深名線が交差する北東角に単式ホームと待合所を設けるだけの無人駅で、駅周辺には数軒の農家がある程度、駅から道道72号を東へ約1.5km行ったところに沼牛小学校(2002年閉校)があった。駅名の由来は所在した地名からで、明治45年(1912年)に山形県成生村から集団入植したことにより”新”を冠して新成生という地名が発生。札沼線の終着駅がある新十津川と由来は同じである。新成生駅の開業は昭和30年(1955年)、当初は仮乗降所の扱いだったが、昭和62年(1987年)国鉄からJR北海道への事業継承の際に駅へ昇格、平成7年(1995年)深名線の廃止に伴い廃駅。



空中写真_新成生_1977年
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7718-C2-43を基に作成

昭和52年(1977年)撮影、新成生駅周辺の空中写真。駅周は農村地帯で特筆すべきものがない。新成生駅の単式ホームと待合所が確認でき、駅前にはちょっとした駐車スペースがあったことがわかる。


新成生駅跡
新成生駅跡。手前から奥の道が道道72号。写真中央の交差点辺りで深名線が横切り、右手前の草むら辺りに新成生駅跡があった。


新成生駅跡
右手の草むらが新成生駅跡。深名線は写真中央に向かって延びていた。


新成生駅跡
新成生駅跡から幌加内方面の深名線路盤跡。ソバ畑と化し全く痕跡を残していない。


深名線路盤 新成生駅跡付近
新成生駅跡から深川方面。何となく路盤があったことを感じさせる。


新成生バス停
駅跡近くにある新成生バス停。


新成生2号橋
駅跡から道を南下して約500m、幌加内川に架かる新成生2号橋。


幌加内川
新成生2号橋より幌加内川の上流。新成生2号橋から200m程上流に深名線の橋梁が架けられていた。


新成生2号橋
新成生2号橋から駅跡へ続く道。


旧沼牛小学校校門
新成生駅跡から道道72号を東へ約1.5km行ったところにあった沼牛小学校跡へ。学校入口に残る校門。


旧沼牛小学校校門
校門傍の花壇には色とりどりに花が咲き誇り、周りの雰囲気に反して賑やか。


旧沼牛小学校校門
「幌加内町立沼牛小学校」の表札を残す。


旧守田商店
小学校前にある旧守田商店。


沼牛小学校前バス停
沼牛小学校前バス停。洒落た待合所を設けている。


旧沼牛小学校
沼牛小学校跡と花壇。校舎は撤去され体育館だけが残存。


旧沼牛小学校
グランドの一角にはバックネットのコンクリート基礎だけが残る。


ライン引き
ライン引きがそのままに。


旧沼牛小学校体育館
旧沼牛小学校体育館。


沼牛小学校100年・閉校記念碑
沼牛小学校100年・閉校記念碑と沼牛中学校閉校記念之碑。沼牛中学校は昭和52年(1977年)に閉校、沼牛小学校は平成14年(2002年)に在校生8名を残して閉校になった。


沼牛小学校100年・閉校記念碑
沼牛小学校100年・閉校記念碑より引用

往時の沼牛小学校校舎。平成21年(2009年)に体育館を残して解体された。


沼牛小学校校舎跡
上写真と同アングルで撮影。更地と化した校舎跡に空しく雑草が生える。


撮影日:2017年8月10日(木)
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沼牛駅から ~2017夏~

昨年(2016年)11月に改修を終えてお披露目会を迎えた沼牛駅。地元住民をはじめ地元テレビ局や新聞記者が多く訪れたあの賑わいから9ヶ月が経った。年を取るたびに時の流れが早い。改修されてから初めての夏を迎え、幌加内ではソバの花が咲き誇る。短い夏を謳歌する沼牛駅を訪ねてみよう。




沼牛駅
昨年11月に改修され、お披露目会が催された沼牛駅。改修を終え初めて迎える夏。


沼牛駅
沼牛駅構内側。ソバ畑に可憐な白い花が咲き誇り。


沼牛駅
沼牛駅と向日葵。短い幌加内の夏を謳歌する。


沼牛駅
沼牛駅前に佇むネコ。もしかして駅長候補生なのか!?勝手ながら”ぬまにゃん”と命名しておこう。


ぬまにゃん
沼牛駅から棲家への帰りがけ、ソバの生育状況を見ながら歩く”ぬまにゃん”。今年も豊作ですか。


ぬまにゃん
ちょっと休憩。


ぬまにゃん
ソバ畑に佇む”ぬまにゃん”。


ぬまにゃん
駅前通りを堂々と闊歩して帰ります。


沼牛駅
”ぬまにゃん”が帰宅した後も、興味津々に沼牛駅を訪ねる人が絶えない。


沼牛駅とソバ畑
沼牛駅を遠望。ここには、再び来たくなる風景が残っている。


ちょいと足を延ばして添牛内駅にも訪問↓

添牛内駅
驚いたことに駅名板が復活していた!


添牛内駅
駅名板があるだけで往時を思わせる効果は抜群。


添牛内駅
雑草に埋もれていたホームも姿を現し、旧駅の体裁が整えられている。


添牛内駅
旧添牛内駅構内。


添牛内駅と旧山前家
駅前の旧山前家は空き家になりながらも健在。


添牛内駅
添牛内駅がどういった運命を辿るのか、これからも追っていきたい。


撮影日:2017年8月10日(木)、13日(日)
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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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高札場
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2013年1月13日(日)
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武蔵国千住宿を発ってから…
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【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
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【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
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京都三条大橋

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