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清見潟

【旧東海道歩き 第28日目】清水駅→江尻宿→興津宿→由比駅



【2017年8月6日(日)旧東海道 江尻宿→興津宿】
江尻宿から江戸方へ向かって隣りの興津宿までの東海道は、駿河湾に浮かぶ三保の松原を望みながら海岸沿いを進む。特に清見潟には数多くの奇岩があって風光明媚な景勝地だったことから、明治から大正にかけて東海道筋には伊藤博文や松方正義、井上薫、西園寺公望といった明治政府を支えてきた元老の別荘があった。現在、清見潟はすっかり埋め立てられてしまい見る影もなくなっているが、西園寺公望の別荘「坐漁荘」が復元されて往時を偲ばせる。また、古代の清見潟には大和朝廷が東北の蝦夷に備えて清見関が設けられていた。その鎮護のため建立された仏堂を前身とするのが清見寺で、鎌倉期から江戸期にかけて隆盛を誇って天下十刹に数えられ、今も古代からの歴史に培われた風格を漂わせている。




ほそいの松
早いもので前回の歩き旅から3ヶ月、梅雨の季節を越えて日本列島は夏真っ盛り。江尻宿江戸方外れにある”ほそいの松”から旧東海道歩きを再開しよう。


西久保原交差点
西久保原交差点。かつては街道筋に松原が広がっていたはず。


松原観音堂・津島神社
西久保原交差点南西側にある松原観音堂・津島神社。


片側橋
国道1号に架かる片側橋。その名の通り片側にだけ欄干がある。


愛染川橋
片側橋から国道1号を北東へ約120m、愛染川橋。


愛染川橋
国道下を流れる愛染川。


袖師生涯学習交流館
袖師生涯学習交流館。夢舞台東海道「袖師ヶ浦」道標が立つ。


袖師交差点
袖師交差点。この辺りの東海道筋はかつて鈴木島という地名。静岡鉄道清水市内線(1975年廃止)に鈴木島停留所が設けられていが、今に鈴木島の地名を見ることは無い。


木嶋こうじ店
木嶋こうじ店。江戸時代後期に甘酒茶屋として開業、今は6代目が手作りこうじ味噌を製造販売している。

木嶋こうじ店
http://kijimakoujiya.com/


蜆川
袖師町と横砂西町の境を流れる蜆(しじみ)川。昔は蜆が多く採れたという。


横砂西町の名残り松
横砂西町の名残り松。


庵原川
横砂西町と横砂中町の境を流れる庵原川。江戸時代には橋を架けず、旅人は徒歩渡しで渡河していた。


庵原川
庵原川で憩うシラサギとカモたち。


横砂中町
横砂中町を行く東海道(国道1号)。


医王山東光寺
医王山東光寺。臨済宗妙心寺派の禅寺で、薬師如来(伝 行基作)を本尊とする。


横砂自治会館
横砂自治会館と大平山。


蘆崎神社
大平山麓に鎮座する蘆崎神社。横砂の氏神様。


横砂東町
横砂東町より国道1号東方向。右に分かれる道が旧道で、分岐点に横砂延命地蔵尊が祀られている。


横砂延命地蔵尊
横砂延命地蔵尊を安置する地蔵堂。


横砂踏切
横砂踏切で東海道本線を越え。


横砂東町
横砂東町の東外れで国道1号に合流し波多打(はたうち)川を渡る。高架橋は静清バイパス。


横砂東町
波多打川橋南詰より横砂東町の町並み。


波多打川
国道1号に並行して流れる波多打川。


波多打川橋
波多打川橋。


波多打川02
波多打川は古く角田川などと称し、歌枕の名所だった。南北朝時代に薩埵峠の戦いの際、足利尊氏が旗を立てたことから、旗打川と呼ばれるようになったと伝わる。


清見潟バス停
国道1号(東海道)、清見潟バス停付近。波多打川から東は静岡市清水区の興津清見寺町、かつて清見寺門前町として東海道往来の旅人と清見寺の参詣客で賑わった。万病に効くとされた万能膏を扱う店があり、店前に化粧をし着飾った男児を置いて万能膏を売らせ評判を得ていたという。


興津坐漁荘
興津清見寺町の国道1号(東海道)沿いにある興津坐漁荘。


興津坐漁荘
西園寺公望が大正時代に建てた興津坐漁荘。昭和45年(1970年)に博物館明治村(愛知県犬山市)に移築され、旧地に建てられているこの建物は平成16年(2004年)に復元されたもの。


興津坐漁荘玄関
興津坐漁荘出入口の玄関。


興津坐漁荘玄関
玄関では小さな”かぐや姫”がお出迎え。


興津坐漁荘女中室
女中さんたちが寝起きしていた女中室。


女中頭お綾さん
この笑顔が素敵な女性が女中頭の”お綾さん”。大正13年(1924年)西園寺家の小間使いとして入り、昭和3年(1928年)女中頭に。西園寺公望公の身辺を世話して最期を看取った。


興津坐漁荘女中室
広くはないが女中室にも品格が漂う。


興津坐漁荘台所
台所。女中さんたちが忙しく働く姿が目に浮かぶ。


興津坐漁荘応接室
来客をもてなした応接室とテラス。


興津坐漁荘テラス
こんなテラスでのんびり過ごす休日。贅沢なひと時。


興津坐漁荘テラス
かつては窓越しに清見潟の海岸を望めていた。


興津坐漁荘2階居間
興津坐漁荘の2階に上がって。畳敷きに床の間を設ける純和風な居間。


興津坐漁荘庭
2階より清見潟を望む。庭の先は清見潟の海岸跡。埋め立てられて昔を偲ぶのが難しい。


興津清見潟風景
清見潟の古写真。こんな海岸が坐漁荘裏に広がっていたのだ。


興津坐漁荘
興津坐漁荘を後に。


清見寺門前町の中心をなした清見寺へ↓

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興津宿

【2017年8月6日(日)旧東海道 興津宿】
Tokaido17_Okitsu.jpg
東海道五十三次之内興津 興津川
ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典「興津宿」より引用


東に興津川の川越しと難所の薩埵(さった)峠を控える興津宿。江戸日本橋から東海道五十三次を17宿目、京都三条大橋から37宿目の宿場。宿内町並み東西10町55間(約1.2km)、天保14年(1843年)当時の人口1668人、家数316軒、うち本陣2、脇本陣2、旅籠屋34軒。西本陣が手塚家、東本陣を市川家が務めた。宿東端で身延山久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町)へ通じる身延道が分岐、身延山への信仰の道であり、駿河と甲斐を最短に繋ぐ重要な街道だった。産物は紙・大根・鯉・甘蔗(かんしゃ、サトウキビの別名)、清見寺門前で販売していた万能膏が名物。広重は「東海道五十三次之内興津 興津川」の題で、川越人足が力士を駕籠や馬に乗せて渡河させる光景を描く。




清見寺信号
興津宿西(京方)端と思われる清見寺信号。興津宿の東西出入口に見付が設けられていたはずだが、場所がはっきりしない。


興津不動院前信号
興津不動院前交差点。変則四差路になっており、北西角に茶問屋の山梨商店が経営する和CAFE”茶楽”という店がある。その右脇の小路は波切不動尊を祀る興津不動院への参道で、登り口に不動の滝と呼ばれる滝が清水を落とす。


不動尊踏切
興津不動院参道に設けられる不動尊踏切。


茨原神社
参道登り口に鎮座する茨原神社(写真右)、津嶋神社(写真左)。茨原神社は元々山の中腹にあったが、参道石段が崩落して参拝が困難になったため、近年に山麓の現在地へ移された。


不動の滝
参道登り口にある不動の滝。水量が少ないながらも、小さな滝つぼを持つ風情ある滝。こんなところで滝が見られることに感動。


不動の滝
滝上からちょろちょろと水が落ちている。


波切不動尊
波切不動尊を祀る興津不動院。延暦10年(791年)坂上田村麻呂が蝦夷征伐の途上、戦勝を祈願して行基作の不動明王像を当地に祀ったことが起源と伝わる。不動明王から一条の光明が発せられ、津波から興津の町を守った、地元漁師が大嵐から生還できた等、人々を海難から守ったとの伝説から、波切不動尊と名付けられ崇拝された。


興津不動院境内からの眺め
興津不動院境内から駿河湾を望む。山裾を東海道本線の列車が走り抜ける。


興津不動院境内からの眺め
ちょうど”清水みなと祭り”の開催日で、清水港に向けてブルーインパルスが飛んで行く。


興津不動院境内からの眺め
境内から三保の松原を遠望。


興津宿西本陣跡
興津宿西本陣跡。代々手塚十右衛門家が務めた。遺構は残っておらず、現在は山梨自転車商会に。「興津宿西本陣址」碑を置く。右隣に脇本陣の落合七郎左衛門家があった。


興津宿西本陣跡
興津宿西本陣跡より江戸方。


一碧楼水口屋跡
一碧楼水口屋跡。江戸時代に脇本陣を務めた旅籠水口屋は、明治以降には政治家や皇族方、財界人の別荘旅館として使われ、昭和32年(1957年)静岡国体の折には、昭和天皇・皇后陛下が”御幸の間”に宿泊した。昭和60年(1985年)旅館を廃業、建物は鈴与株式会社に譲渡され、鈴与興津研修センターを開設。平成11年(1999年)”水口屋ギャラリー”が開館した。


水口屋ギャラリー
水口屋ギャラリーに展示される一碧楼水口屋の法被。


水口屋ギャラリー
旅館で使われていた品々。


潮屋
明治30年(1897年)創業の”御菓子司 潮屋”。興津銘菓の”宮様まんぢう”を買う。

潮屋
http://www.miyasamamanjiu.com/


興津宿東本陣跡
興津宿東本陣跡。代々市川新左衛門家が務めた。民家前に「興津宿東本陣址」碑を置く。


興津交番前
興津交番前を行く旧東海道(江戸方)。


興津宿公園
問屋場跡は興津宿公園に整備されている。


割烹旅館岡屋
興津宿公園斜向かいにある割烹旅館岡屋。清見潟に残る唯一の旅館。


大澤製麺所
大澤製麺所と奥に澤端川橋。


沢端川
大澤製麺所脇を流れる沢端川。


理源寺
日蓮宗の祥瑞山理源寺。境内裏から西側にかけて沢端川が流れる。慶長年間(1596年~1615年)沢端川を身延七面山の春木川になぞらえ、日蓮宗総本山の身延山久遠寺がある地形に合わせて創建した。


米屋髙山仙吉商店
米屋髙山仙吉商店。老舗感たっぷりの米屋さん。


興津駅前交差点
興津駅前交差点付近の国道1号(東海道)。


興津駅前通り
国道1号(東海道)から興津駅へ通じる駅前通り。


興津一里塚跡
興津一里塚跡。江戸日本橋から41里(約161km)、京三条大橋からは74番目で実測約355km地点(七里の渡しを27.5km、天竜川池田の渡し迂回分を+2kmとして測定)にあたる。


興津中町西交差点
身延道との分岐点にあたる興津中町西交差点。左折の道が身延山久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町)へ通じる。


身延道追分
国道1号(東海道)から分かれる身延道。戦国時代に武田信玄が駿河侵攻の軍用路として整備し、江戸時代になってからは身延山への信仰の道として参詣客が利用した。分岐点に「身延山道」道標や、「南無妙法蓮華経」と刻む題目石が残っている。


興津中町
興津中町を行く旧東海道。


興津の薄寒桜
右手路傍には”興津の薄寒桜”。1月下旬から2月下旬にかけて見頃を迎える早咲き桜で、清見潟公園を中心として興津地区に植樹されている。毎年2月初旬から中旬にかけての日曜日に”興津宿寒ざくらまつり”を開催。興津は一足早く桜を楽しみたい人にはもってこい。


宗像神社参道
国道1号(東海道)から延びる宗像神社参道。


宗像神社
宗像神社境内に茂る森は、祭神に奥津島比売命(おくつしまひめのみこと)、多岐津比売命(たぎつひめのみこと)、狹依姫命(さきりひめのみこと)という宗像三女神を祀ることから”女体の森”と呼ばれ、駿河湾を航行する漁師たちが灯台代わりに目印としていたという。


興津中町
興津中町東信号の先で国道から旧道が左手に分かれる。


旧東海道 興津中町
興津中町、興津川へ向かう旧東海道。


興津川橋梁
かつての興津川渡し付近に架かる興津川橋梁。


興津川橋梁
東海道本線の興津川橋梁と国道1号の興津川橋の間が川渡し跡。興津川は安倍川や大井川に比べるに値しないほどに小さな河川ながら、3月6日から10月下旬まで両岸の川会所には川越し人足が常備され、広重の浮世絵で見るように徒歩渡しで旅人を渡河させた。渇水期の冬期には仮橋が架けられ無賃で渡れた。


興津川橋梁
江戸方(東側)より興津川渡し跡と興津川橋梁。


興津川橋東詰
興津川左岸の渡し場跡。右へ行けば薩埵峠越えの中道と下道、左に行けば上道となる。下道は海岸線を利用した道で、「親知らず子知らず」と言われる程に危険を伴う難所だった。中道は慶長年間(1596年~1615年)から明暦年間(1655年~58年)まで主に使われた東海道で、山の海岸側を急勾配に登る峠越えの道だった。

今回は明暦年間に開通し幕末まで東海道として使われた上道を行く。


興津川橋梁04
かつて川越人足がよっこらしょと旅人を担いで渡した横を、東海道本線の列車が興津川橋梁を走り抜ける。


興津東町公民館
興津川左岸の川越し場跡にある興津東町公民館。


川越遺跡解説板
興津川左岸の川越し場跡に設置される川越遺跡の解説板。


薩埵峠之絵図
解説板の隣りには薩埵峠之絵図。そう、興津川を渡ればすぐに薩埵峠の難所が待ち受けているのだ。


興津川の川越遺跡
現在の川越し場跡は解説板がその歴史を語るだけで、往時を偲ばせるものは残っていない。


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薩埵峠越え

【2017年8月6日(日)旧東海道 興津宿→由比宿】
興津宿から東海道を東に向かえば次は由比宿、この宿間の東海道は興津川と薩埵(さった)峠に駿河湾と、川・山・海が旅人の行く手を阻む。ここを越える東海道は3ルート、「親知らず子知らず」の海岸線を通る下道、海岸から急斜面を峠へ登る中道、そして興津川左岸を上流方向に迂回してから峠を登る上道である。明暦年間(1655年~58年)から幕末にかけて東海道のメーンストリートだったのが上道で、今回はこのルートを進むことに。薩埵峠からは富士山を背景に駿河湾を見下ろす絶景を望め、広重が「東海道五十三次之内由井 薩埵嶺」の題でその景観を描いている。




スーパーマルソウ
川越遺蹟から興津川左岸を遡る上道を進むと左手にスーパーマルソウ。


薩埵峠旧道(上道)
右手に分かれる道が薩埵峠旧道(上道)。旧洞村の集落が沿道に並ぶ。


魚徳
薩埵峠旧道(上道)にある魚徳。”こんなところに魚屋さん”てな感じ。


薩埵峠旧道(上道)
右に瑞泉寺参道入口。


瑞泉寺
龍光山瑞泉寺。日蓮宗。正保2年(1645年)日近という僧が創建、天保2年(1831年)七面堂が建立されたが、貧しい寺だったことから維持がままならず崩壊したという。現在は立派な本堂を持ち、再興を果たしているようだ。


薩埵峠旧道(上道)
峠道の沿道に建つ家々が往時を偲ばせる。


薩埵峠旧道(上道)
薩埵峠旧道(上道)。


薩埵峠旧道(上道)
旧洞村集落の間を緩やかに上る薩埵峠旧道(上道)。


薩埵峠旧道(上道)
旧東海道沿道に軒を連ねる旧洞村の集落を峠側から望む。


秋葉山常夜灯
旧洞村集落の江戸方外れ、旧道消失地点に残る秋葉山常夜灯。


白髭神社
薩埵峠旧道(中道)沿いに鎮座する白髭神社。


白髭神社境内より下道
白髭神社境内より駿河湾を望む。薩埵峠越えの下道は眼下の海岸、中道はこの真下を通る急傾斜の坂道で通していた。


白髭神社境内にて
白髭神社にて。夏ですなあ。


往還坂
白髭神社から旧東海道歩きに戻る。直進の上り坂は共同墓地内に設けられた往還坂、この辺りの旧道は消失しており、往還坂が迂回ルートとなっている。


薩埵山の共同墓地
アスファルト舗装の往還坂を上りきれば共同墓地。


往還坂
共同墓地より往還坂を望む。かつての東海道は往還坂北西側(写真右手)の山裾を通っていたが消失している。


薩た峠旧道薩埵峠旧道(上道・中道)
共同墓地から延びる薩埵峠旧道(上道・中道)。


薩埵峠旧道(上道・中道)
旧街道の峠越えらしい雰囲気に。


薩埵峠旧道(上道・中道)
切通しの坂道を登り。


薩埵峠旧道(上道・中道)
斜面を緩やかに上る薩埵峠旧道(上道・中道)。


薩埵峠
沿道に夢舞台東海道「薩埵峠」道標や「薩埵峠の歴史」の解説板を設ける。


薩埵峠旧道(上道・中道)
薩埵峠旧道(上道・中道)。


薩埵峠より駿河湾
薩埵峠より駿河湾を望む。下道だった海岸には国道1号富士由比バイパスや東海道本線を通す。今となっては「親知らず子知らず」の面影は無く、舗装されて安全な道を多くの車が往来する。


薩埵峠旧道(上道・中道)
薩埵峠旧道(上道・中道)は海岸に接する山の斜面を通す。


牛房(ごぼう)坂
この辺りの坂道は牛房(ごぼう)坂と言う。


薩埵峠旧道(上道・中道)
薩埵峠旧道(上道・中道)の牛房坂。


薩埵峠
ここが薩埵峠のビューポイント。展望台を設ける。


薩埵峠解説板
展望台にある薩埵峠解説板。


薩埵峠からの眺め
展望台からの眺め。ここが広重が浮世絵に描いた東海道随一の景勝地、天気が良ければ背景に富士山がでんと構えているのだが、厚い雲に覆われその姿は拝めず、残念…。


薩埵峠からの眺め
眼下には東海道本線に東名高速、国道1号といった日本の大動脈が集結。


さった峠駐車場
さった峠駐車場に到着。


さった峠駐車場
さった峠駐車場の峠入口。駐車場隅に「薩埵峠山之神遺跡」碑がある。


薩埵峠旧道(上道・中道)
さった峠駐車場から旧道を東へ進むと、地滑り対策の工事があちこちで行われている。


薩埵峠旧道(上道・中道)
古道標に並んで現代の夢舞台東海道「薩埵峠」道標。


薩埵峠旧道(上道・中道)
旧道は急斜面のミカン畑の中を進む。沿道にはミカン運搬用のモノレールがあちこちに見られる。


薩埵峠旧道(上道・中道)にて
道に落ちていたミカン。


薩埵峠旧道(上道・中道)にて
捨て置かれたかのうようにミカン運搬車。


ニッカリモノラック
ミカン運搬車には”ニッカリモノラック”の表記が見える。


薩埵峠と駿河湾
振り返って薩埵峠と駿河湾。


薩埵峠の一本松
薩埵峠旧道の一本松。


薩埵峠旧道(上道・中道)
峠道は次の由比宿へ向けて下ってゆく。


薩埵峠旧道(上道・中道)
眼下に由比宿を望み。


薩埵峠旧道(上道・中道)
薩埵峠旧道の江戸方(東側)登り口、西倉澤の集落へ。


薩た峠上道・中道と下道の分岐点
ここが薩埵峠旧道の上道・中道と下道の分岐点。上道・中道の登り口にあたる。右手の建物は藤屋という旧茶店で、富士山の眺望がよいことから望嶽亭を称し、また登り口に位置することから坂口屋とも呼ばれた。磯料理やあわび、ささえのつぼ焼きが名物だった。


西倉澤一里塚跡
藤屋前に「一里塚跡」碑と解説板を設ける西倉澤一里塚跡。江戸日本橋から40里(約157km)、京三条大橋からは75番目で実測約360km地点(七里の渡しを27.5km、天竜川池田の渡し迂回分を+2kmとして測定、薩埵峠上道ルートによる)にあたる。


薩た峠江戸方登り口
一里塚跡から振り返って薩埵峠旧道登り口。左に分かれる道が「親知らず子知らず」の下道で、右が今通ってきた上道・中道。


薩埵峠旧道(下道)
海岸へ向かう薩埵峠旧道(下道)。


西倉澤
間の宿として往来の旅人で賑わった西倉澤。


脇本陣柏屋
「明治天皇御小休所跡」の木札を掲げる柏屋。脇本陣格の家だった。


西倉澤
旧街道の佇まいを残す家が多く見られる。


旧茶屋本陣川島家
茶屋本陣跡の川島家。代々川島勘兵衛を名のり、西倉澤村の名主を務めた。


西倉澤
旧街道を感じさせる家並みを残す西倉澤。


宝積寺
倉沢山宝積寺。曹洞宗。


鞍佐里神社
山裾に参道を延ばす鞍佐里神社。創建時期不明。日本武尊が東征の途次、薩埵峠で賊に焼き打ちをかけられ、馬の鞍の下に身を潜めて難を逃れた。しかし鞍が焼失してしまったことから「鞍去」の地名が発生したという。いつしかそれが転訛して現地名の「倉澤」になったとも。元は薩埵峠にあり、旧社地に山之神遺跡の石碑を設けている。


権現橋
権現橋を渡れば東倉澤の家並み。


権現橋
権現橋より上流を望めば、すぐ先に山裾が迫る。倉澤の地は山と海に挟まれた僅かな平地に集落を形成、度々山崩れや津波の自然災害に見舞われてきた。


八阪神社
東倉澤の八阪神社。


八阪神社にて
参道石段に脱皮しようと懸命にもがくセミ。周辺の木から落下してしまったのだろう、蟻に襲われて不憫な状況に。


八阪神社にて02
何年も土中で育ち、ようやく日の目を見たのに、一声を発せずに果ててしまうのは哀れだ。立派なセミに育って、盛夏の空の下、騒がしい鳴き声を上げてほしいと願いつつ境内の木に戻しておこう。


東倉澤
八阪神社より東倉澤の集落と駿河湾を望む。


くらさわや
”くらさわや””前を行く旧東海道。由比特産の桜えび料理を堪能できる料理店。


寺尾
寺尾の家並み。当地には昔、真言宗の南方寺があり地名の起源になったと伝わる。天和3年(1682年)以前は海岸沿いに東海道が通されていたが、度々津波の被害を受けたため高台の新ルートに付け替えられ、これに伴い寺尾の集落も移転した。


寺尾
旧東海道筋にある産地直売所では駿河湾産の桜エビやシラスを販売。


大沢橋
寺尾の中心部に架かる大沢橋。


大沢橋
大沢橋より川下を望めば駿河湾。


東海道あかりの博物館
大沢橋北詰にある東海道あかりの博物館。灯りの歴史に特化した珍しい博物館。是非とも見学しておきたかったが、残念ながら既に閉館の時間。後日再訪。


名主の館小池邸
国登録有形文化財の”名主の館小池邸”。小池家は江戸時代に代々小池文右衛門を名のり寺尾村の名主を務めた。現存する建物は明治期の建築。こちらも後日再訪したい。


寺尾の掲示板
寺尾の東海道沿道にて。珍しい時計付きの掲示板。


中の沢二号橋
中の沢二号橋。


宗像神社
寺尾に鎮座する宗像神社。


寺尾沢橋
寺尾沢橋。


今宿
旧道と静岡県道396号の合流地点。ここが寺尾と今宿の境で、県道に寺尾歩道橋が架かる。


小池酒店
寺尾歩道橋から旧東海道を離れ、小池酒店前を進んで由比駅方面に。


由比駅
由比駅から帰途につく。次は寺尾と由比宿を中心に散策をしたい。


【旧東海道歩き 第28日目】清水駅→江尻宿→興津宿→由比駅 歩行距離約15km
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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

カレンダー
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現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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