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蒲原宿

【2017年11月4日(土)旧東海道 由比宿→蒲原宿】
Hiroshige_nuit_de_neige_à_Kambara
東海道五十三次之内蒲原 夜之雪
ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典「蒲原宿」より引用

由比宿から江戸方に向かって約4kmも行けば蒲原宿、普通に歩けば1時間程度の距離で、この短い宿間に神沢・堰沢・中・小金といったい街村が町家を連ねていた。蒲原宿は元々海寄りの古屋敷と呼ばれる地にあったが、元禄12年(1699年)の大津波によって壊滅、山側の現在地に移転した。宿内町並み東西14町33間半(約1.6kmm)、天保14年(1843年)当時の人口2480人、家数509軒、うち本陣1、脇本陣3、旅籠屋42軒。京方より西町・柵(しがらみ)町・本町・天王町・八幡町・諏訪町と続く町並み。産物は海魚・食塩・魚油・藍・サメ等、名物は蒲原と吉原宿間の岩淵にあった茶屋で売られた栗の粉餅。広重は「東海道五十三次之内蒲原 夜之雪」の題で、しんしんと雪が降り積もる宿場町の情景を描いている。しかし、蒲原は太平洋駿河湾に面した温暖な地域にあり、雪が降り積もることが皆無に近いという。そのため、広重が描いた蒲原宿が何ゆえ雪景色だったのか、いまだ謎のままで答えは本人にしか知らぬことろなのである。




旧東海道 由比
由比宿を出て東へ。


神沢川酒造場
神沢川酒造場。大正元年(1912年)創業、代表銘柄は”正雪”。

神沢川酒造場
http://www.kanzawagawa.jp/


神沢川橋
神沢川酒造場横の神沢川に架かる神沢川橋。


神沢交差点
神沢交差点で旧東海道は静岡県道396号に合流。


神沢バイパス信号
神沢バイパスの下を潜り抜け。


旧東海道 蒲原神沢
蒲原神沢を行く旧東海道。


神沢バス停
県道396号、神沢バス停。


蒲原駅
由比宿と蒲原宿の中間地点に位置するJR蒲原駅。


伊豆川酒店
蒲原中の県道396号、伊豆川酒店付近。


一乗院北向不動尊
蒲原中の県道396号沿いにある一乗院北向不動尊。


県道396号 由比小金
由比小金を行く県道396号。


向田川橋
蒲原新田に入り向田川橋を渡る。


和歌宮神社参道
蒲原宿京方出入口の西木戸跡付近から和歌宮神社参道が延びる。


和歌宮神社
和歌宮神社は万葉歌人三十六歌仙の一人、山部赤人が創建したと伝わる。

田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ

山部赤人が詠んだ短歌、小倉百人一首にあり、知る人も多いことだろう。


西木戸跡・茄子屋の辻
蒲原宿京方出入口の西木戸跡。手前が京方の県道396号、旧東海道は横断歩道の先を左折、直進方向が元禄12年(1699年)以前の古道で、沿道一帯に古屋敷の字が残っている。また、江戸時代初期に青木の茶屋(茄子屋)があったことから、ここは”茄子屋の辻”とも呼ばれた場所で、承応2年(1653年)高松藩の槍の名人大久保甚太夫と、薩摩藩の大名行列の間で乱闘事件が起きている。


古屋敷
右の小路が古屋敷の古道。


蒲原宿西町
蒲原宿西町の町並み。


蒲原宿西町
西町で鉤の手に曲がる旧東海道。


増田家
西町にある増田家。”美しい格子戸の家”として解説板を掲げる。


蒲原宿柵町
府中屋付近、柵(しがらみ)町の町並み。


志田家住宅主屋
柵(しがらみ)町にある志田家。かつて”ヤマロク”という屋号で味噌・醤油を醸造する商家で、主屋は安政の大地震(1854年)直後に再建、国登録文化財に指定される。


志田家住宅主屋
”通り土間一列型”と呼ばれる町家形式の典型が見られる主屋1階。店の間にあたる。ここの御主人、志田威さんから話を聞く機会を得たのだが、志田さんは志田家住宅主屋を管理される一方で、東海道は53次ではなく、江戸日本橋から大坂高麗橋までの57次だったとの説を主張、本を発行し講演会を開催するなど精力的に活動されている。旧東海道を歩く私にとって志田さんの話はとても興味深く、志田さんが執筆された”東海道57次”を購入し読んでみた。日本橋に到着した後は、大津から大阪まで歩いて見たい。

国登録有形文化物・志田邸
http://kanbarasyuku.com/index.html


志田家醤油・味噌醸造場
志田家の醸造場も見学させてもらいました。


志田家住宅主屋
夕暮れを迎える志田家。


旧五十嵐歯科医院
このモダンな洋風建築は旧五十嵐歯科医院。元々の町家を洋風に増改築した建物で、こういった建築様式を擬洋風建築と呼ぶという。大正3年(1914年)に開業した歯科医院で、元宮内大臣の田中光顕伯爵も通院していた。平成12年に国登録有形文化財に指定。


御殿道跡
旧五十嵐歯科医院付近から海側に延びる道は御殿道跡。蒲原宿が元禄12年(1699年)の大津波で現在地へ移転する以前、この辺りには徳川家専用の休泊所である蒲原御殿があったとされる。御殿道は食料や生活用品を湊から運ぶために使われた直通の道だった。蒲原御殿の正確な位置はわかっていないが、海を背にして山を御殿山、ここから海に向かって下る道を御殿道と呼び名残を留める。蒲原御殿は寛永11年(1634年)の徳川家光上洛以降、使われなくなったという。


高札場跡
若宮神社参道入口左側、柵区会館のある場所が高札場跡。


磯部家
”手づくりガラスと総欅の家”を見出しにする解説板を置く磯部家。この建物は明治42年(1909年)建築で、高級木材の欅を柱や梁に存分に使い、二階の窓ガラスは当時最先端だった建築用材の板ガラスを使用、当時の高級住宅といえよう。


本町会館
蒲原宿の中心、本町を行く旧東海道。右手前が本町会館、その奥に続く板塀の場所に西本陣平岡家があった。


西本陣平岡家跡
西本陣平岡家跡。平岡家は明治11年(1878年)に京都へ転居しており、当時の建物を残していないが、跡地に大名が駕籠を置いたとされる御駕籠石が残っているらしい。ここより100m程東に東本陣(多芸家)もあったが江戸時代中期に途絶え、西本陣だけが幕末まで残った。


本陣跡と旅籠和泉屋跡
西本陣平岡家跡(右手前)の向かいには旧旅籠和泉屋(左)が残る。和泉屋は江戸時代に上旅籠で、現存する建物は天保年間(1830年~44年)の建築。


蒲原宿本町・天王町境
蒲原宿本町と天王町の境、用水路が流れている。


椙守稲荷神社
蒲原宿本町・天王町境の用水路上流に椙守稲荷神社が鎮座している。


問屋場跡
天王町に入って京方に振り返り。天王町の京方端には問屋場(写真右手)が設けられていた。


しまづふとん店
天王町にある”しまづふとん店”。


吉田家
僊菓堂(せんかどう)という屋号で和菓子を作る商家だった吉田家。”商家の面影を残す「塗り家造り」”として解説板を掲げる。なまこ壁を残す家の旧商家の佇まい、美しいの一言。


蒲原宿天王町
吉田家前、天王町を行く旧東海道。夕暮れ時の旧宿場は情緒があっていい。


佐藤家
八坂神社参道入口横にある佐藤家。こちらも”なまこ壁”が旧商家らしい雰囲気、元は佐野屋と称する商家だった。防火効果が高い”塗り家造り”という建築様式で、町家に多く見られた。


八坂神社
御殿山麓に鎮座する八坂神社。ここから登山道が延びているので、ちょっとだけ登ってみよう。


御殿山より眺望
御殿山中腹より蒲原市街を望む。


さくら吊り橋
登山道に架けられる”さくら吊り橋”。


蒲原宿夕景
蒲原宿に戻って。11月だけに日が暮れはじめると夜の訪れが早い。


渡邊家土蔵
渡邊家の土蔵(三階文庫)。渡邊家は「木屋」という屋号で材木商を営み、江戸時代末期に問屋職を務めていた。現存する土蔵は棟札から天保9年(1838年)の建築とされる。


東木戸跡
蒲原宿江戸方出入口の東木戸跡。ここで本日の旧東海道歩きは終い。


蒲原夜之雪記念碑
新蒲原駅へ向かう前に旧東海道を戻り蒲原夜之雪記念碑を見学。ここは広重が描いた蒲原の浮世絵を記念して整備された小公園になっている。


新蒲原駅
すっかり日が暮れた新蒲原駅から帰途につく。


【旧東海道歩き 第29日目】由比駅→由比宿→蒲原宿→新蒲原駅 歩行距離約10km
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テーマ : 街道の旅
ジャンル : 旅行

留萌鉄道(恵比島駅~昭和駅)

今年(2017年)8月に北海道へ帰省したときのこと。昨年(2016年)12月に末端部(留萌駅~増毛駅間)が廃止されたJR北海道の留萌本線、現在も廃止の危機に陥りながら運行を続ける深川駅~留萌駅間の途中に恵比島駅がある。NHK連続テレビ小説「すずらん」(1999年放送)のロケ地ととなった恵比島駅を起点に、終着の昭和駅まで鉄路を延ばした留萌鉄道の炭砿線を記事にしたい。留萌鉄道炭砿線は昭和5年(1930年)幌新太刀別川流域に開発された雨竜炭田から産出される石炭を、留萌港へ向けて積み出すことを目的に開業。総延長は恵比島駅から昭和駅までの17.6km、途中に幌新駅、新雨竜駅、太刀別駅の3駅を設け、同27年(1952年)本通・袋地・宝沢の3乗降場が新たに追加された。昭和30年代に年間約45万トンの貨物と旅客数は45万人を数えて全盛を迎え石炭景気に湧く。しかしながらその栄華も長くは続かない。エネルギーの主力が石炭から石油へと移り代わる過渡期の1960年代後半、雨竜炭田の炭鉱は次々と閉山し、留萌鉄道炭砿線も昭和46年(1971年)に役目を終えて廃止された。




ほろしん温泉ほたる館 源氏の宿
留萌本線恵比島駅から道道867号を北上すること約6km、ほろしん温泉ほたる館に。ここは宿泊棟やレストラン、宴会場等がある”源氏の宿”。


ほろしん温泉ほたる館 平家の宿
”源氏の宿”に向かって建つ”平家の宿”。天然温泉の入浴施設があるのがこちら。もちろん日帰りも可。帰省した時にはちょくちょく来ています。


クラウス15号蒸気機関車
ほろしん温泉ほたる館前、明治昭和炭鉱と書かれた車庫に格納されるているクラウス15号蒸気機関車。


クラウス15号蒸気機関車解説板
解説板によれば、このクラウス15号蒸気機関車は明治22年(1889年)にドイツで製造され、九州鉄道へ輸入されたもの。明治40年(1907年)に国鉄が引き継ぎ、大正14年(1925年)から東京横浜電鉄で建設用に使われた後、留萌鉄道が譲り受けて石炭運搬等に利用、最後は明治鉱業昭和鉱業所で石炭貨車運搬用として昭和42年(1967年)まで活躍した。


クラウス15号蒸気機関車
現地解説板より。クラウス15号蒸気機関車の勇姿。


クラウス15号蒸気機関車
最大寸法は長さ7.9m、幅2.54m、高さ3.62mの小型蒸気機関車。ちなみにD51型(デコイチ)は全長約20m。


クラウス15号蒸気機関車
クラウス15号蒸気機関車後部。


クラウス15号蒸気機関車
クラウス15号蒸気機関車運転席。


クラウス15号蒸気機関車
味のあるいい顔。いぶし銀な走りで沼田の山林を駆け抜けたことだろう。


クラウス15号蒸気機関車
クラウス15号蒸気機関車のナンバープレート。


クラウス15号蒸気機関車
今にも汽笛が鳴り出発しそうな雰囲気。


ほろしん温泉
幌新温泉駅の駅名板。実際には幌新温泉駅は存在せず、留萌鉄道があった当時はここから約800m恵比島駅側の道道867号沿いに幌新駅が設けられていた。


沼田町化石体験館
同敷地内にある沼田町化石体験館。

沼田町化石館
http://numata-kaseki.sakura.ne.jp/


ほたる学習館
こちらも同敷地内にある”ほたる学習館”。夏場には付近の鑑賞ドームで蛍が鑑賞できる。ここには”ふるさと資料館分館・雪の学校・炭鉱資料館”を併設しており、今回は炭鉱資料を中心に見学してみたい。


人喰い熊
施設に入ってまず目に飛び込んできたのが”人喰い熊”の毛皮。大正12年(1923年)8月に幌新地区で4人を喰い殺した巨大熊(体重340kg)で、この惨事は石狩沼田幌新事件と呼ばれる。以前の記事に書いた三毛別羆事件を思い出す凄惨な獣害事件。


ほたる学習館
ヒグマのはく製と、人喰い熊の毛皮。


ほたる学習館
チョウの標本展示なんかもあって楽しい。


昭和炭鉱模型
昭和炭鉱の往時を再現した模型。


ほたる学習館
沼田の開発や発展に貢献した人々。


ほたる学習館
炭鉱で使われた道具などを展示。


炭鉱資料館のパネル展示より引用して往時の写真を見てみよう↓

恵比島駅古写真
留萌鉄道炭砿線起点の恵比島駅。


恵比島駅古写真
恵比島駅裏手にあった留萌鉄道本社。


幌新駅古写真
幌新駅。線路が撤去されており廃止後の写真なのだろう。


新雨竜駅古写真
新雨竜駅駅舎。雨竜炭鉱の石炭積出し駅だった。現在その跡地は、平成4年(1992年)に完成した沼田ダム(ホロピリ湖)の湖底に沈んでいる。


新雨竜駅古写真
新雨竜駅構内。


新雨竜駅古写真
新雨竜駅駅舎内。床に物が散乱しており廃止後の写真と思える。


雨竜炭鉱の展示パネル
雨竜炭鉱の展示パネル。雨竜炭鉱は浅野雨竜炭鉱(株)が昭和6年(1931年)に出炭開始、同27年(1952年)鉱業権が古河鉱業(株)に移った。同43年(1968年)閉山。


太刀別駅古写真
太刀別駅。九州鉱山(株)太刀別鉱業所の石炭積出し駅だった。


九州鉱山(株)太刀別鉱業所の展示パネル
九州鉱山(株)太刀別鉱業所の展示パネル。ここは昭和36年(1961年)開坑で、雨竜炭田で最も遅く開発された炭鉱。しかし、坑内水害や通勤バスの事故などが重なったことで炭鉱夫が大量離職、出炭が減少して昭和44年(1969年)閉山。ここを最後に雨竜炭田から炭鉱が姿を消した。
昭和駅古写真
留萌鉄道炭砿線終点の昭和駅。明治鉱業株式会社昭和鉱業所(昭和炭鉱)の石炭積出し駅。昭和地区は全盛の昭和29年(1954年)に炭鉱従業員の家族等が居住して人口約3800人を数え、昭和駅は石炭積出しと住民たちの足として利用され賑わった。


昭和炭鉱の展示パネル
往時の昭和炭鉱を紹介する展示パネル。


隧道マーケット
昭和地区には隧道マーケットなるものがあった。坑道を再利用したものなのだろう。


ほろしん温泉で心と体を癒した後、幌新地区から留萌鉄道炭砿線の起点、恵比島駅へ移動↓

明日萌駅
恵比島駅の今は明日萌駅という昭和ノスタルジーな駅舎が建っている。これはNHK連続テレビ小説「すずらん」(1999年放送)のセット。実際の駅舎は写真右端にある小さな建物がそれ。


恵比島駅
これが恵比島駅。貨車駅舎なのだが、それっぽく装飾されている。


恵比島駅
恵比島駅駅舎内。


駅長常盤次郎宅
駅前にある連ドラセットの駅長常盤次郎宅。


恵比島駅前
恵比島駅前。連ドラに使われた中村旅館(旧黒瀬旅館)も健在。


明日萌駅
ダルマストーブが懐かしい明日萌駅駅舎内。


明日萌駅
連ドラの主人公、常盤萌と。


明日萌駅
駅長の常盤次郎。


明日萌駅
常盤次郎と奥の待合室に佇む萌。


明日萌駅
せっかくなので駅長と記念撮影。


明日萌駅
明日萌駅の駅名板もちゃんとあります。


旧留萌鉄道本社
そしてフィクションから現実に。駅構内から向かいに見える煙突、日本ケミカルコートと書かれているが、これは旧留萌鉄道本社の遺構。往時の留萌鉄道本社(下写真)と見比べてほしい。本社屋の特徴である方形屋根は無くなっているが、煙突と屋根下の構造物が残存していることがわかる。

留萌鉄道本社古写真


明日萌駅
恵比島(明日萌)駅を後にして。


恵比島駅前
恵比島駅前通りの突き当りにある恵比寿神社へ。


恵比寿神社
恵比寿神社境内より恵比島(明日萌)駅を望む。


恵比寿神社
恵比寿神社社殿があったはずの場所。狛犬の石台らしき遺構だけを残し、本殿や拝殿が見当たらない。


恵比寿神社
おそらく社殿は近年に雪害で倒壊してしまったのだろう…。


「恵比寿神社新築寄付者名」碑
境内に残る「恵比寿神社新築寄付者芳名」の碑。昭和44年(1969年)建立。


すずらんロケ地観光記念
”すずらんロケ地観光記念 明日萌の丘”と書いてある。朝ドラ放送時に記念撮影のスポットだったのだろうが…。


留萌鉄道炭砿線については再訪して駅跡等を記事に書きたい。

撮影日:2017年8月9日(水)
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テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

滝里 ~ダムの湖底に消えた町~

北海道の根室本線にあった滝里駅を記事に書きたい。訪れたのは今年(2017年)8月のこと。平成3年(1991年)滝里ダム建造に伴い、根室本線の島ノ下駅~野花南駅間が島ノ下トンネル・滝里トンネルを通る現ルートに付け替えられ、その間にあった滝里駅は町ごとダムの水底に姿を消す。滝里は倉本聰の「北の国から’89 帰郷」のロケ地、中嶋朋子演じる蛍と緒形直人演じる勇次が滝里駅で下車し、空知川河畔に立つ木の幹に二人のイニシャルYとHを刻む恋愛シーンがあり、私と同年代の40代男性は心を揺さぶられた方も多いことだろう。もし、ダムが建設されなければ今見る滝里はどうなっていたのだろうか…、そんな思いで滝里の旧地である滝里湖(滝里ダム)を訪ねてみた。




滝里湖
滝里湖にやってきました。滝里湖は平成3年(1991年)に滝里ダム建造に伴い現れた人造湖で、ここに滝里の旧市街が湖底に沈んでいる。


滝里湖畔
湖畔に立ち旧滝里地区を望む。かつてここを列車が走り抜け、町があったなんて想像できようもない。


滝里ダム防災施設
滝里湖畔にある滝里ダム防災施設。滝里ダム資料館を併設しているので、見学してみよう。


滝里ダム資料館
1階休憩所。


滝里ダム資料館
1階休憩所には滝里の写真等のパネルを展示。いくつかピックアップして紹介しよう↓


地形図 滝里旧市街(昭和31年測量)
昭和31年(1956年)測量の地形図より滝里旧市街。滝里駅から空知川に架かる滝里橋に向かって駅前通りが延び、沿道には商店や郵便局などが並んで滝里銀座街と称する市街を形成、駅前通りの東側に滝里小中学校があった。


滝里駅前(昭和47年)
昭和47年(1972年)当時の滝里駅前。


滝里駅 ドラマ撮影(1976年頃)_1024
滝里駅でのドラマ撮影。昭和51年(1976年)頃の写真とあり、”北の国から”の撮影ではないようだ。


滝里俯瞰
滝里市街を西側から俯瞰した写真。滝里橋や滝里小中学校の大きな赤屋根が見える。


滝里駅古写真
滝里駅と駅前通り。


滝里駅構内古写真
滝里駅構内。旧国鉄色の懐かしいキハ56形気動車が入線するところ。


滝里銀座街
滝里駅前通りの滝里銀座街。


滝里湖
4階展望所から滝里湖に沈んだ滝里旧市街を望む。


滝里湖
往時に思いを馳せながら。


滝里ダム資料館
4階にはダム関係のパネルを展示。


滝里ダム資料館
壁面に滝里の歴史について投影展示する3階。


滝里ダム資料館
「たくさんの笑顔とふれあいが、歴史の中にきざまれている。」


滝里ダム資料館
3階から2階への階段。滝里湖の湖底に潜ってゆく感じ。


滝里小学校旧校舎模型
滝里小学校旧校舎の模型。


滝里神社
滝里ダム防災施設の北側、山裾に鎮座する滝里神社。滝里ダム建設に伴い現在地へ移転した。神社周辺には校門やバス待合所、記念碑など、滝里の遺構が移されている。


滝里神社手水石
滝里神社の手水石。「昭和五年九月吉日」と刻む。


滝里神社
滝里神社はダム湖に沈んだ滝里地区に向かって建てられている。


滝里記念公園
神社隣に整備された滝里記念公園。


旧滝里小中学校門
「滝里小中学校」と「奔茂尻尋常小学校」の表札を掲げる旧校門。奔茂尻(ぽんもしり)とは滝里の前地名で、昭和14年(1939年)滝里に改称された。


旧滝里小中学校門
校門の向こうにある建物が旧バス待合所。


我が母校滝里を偲ぶ記念碑
我が母校滝里を偲ぶ記念碑。平成17年(1995年)建立。


架橋記念碑
架橋記念碑。昭和8年(1933年)建立。


滝里の馬頭観音
滝里の馬頭観音。昭和8年(1933年)建立。


星の降る里百年記念館
滝里から場所を移して芦別市内の”星の降る里百年記念館”へ。


星の降る里百年記念館
記念館にある展示の中に見つけた滝里駅の駅名板。


星の降る里百年記念館
滝里駅の遺物がこんなところで見られるとは。


滝里駅前(昭和47年)
芦別温泉スターライトホテルにあった昭和47年(1972年)駅前通りから滝里駅を望む写真。ダム湖の水底に沈んでしまった滝里の駅や町は、そこに住んでいた人々、訪れた人々の心中に生き続けている。


撮影日:2017年8月11日(金)
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テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

西芦別 ~かつて炭鉱景気に湧いた鉄道と町の名残~ 

今年(2017年)6月に訪れ記事に書いた三井芦別鉄道を再び。西芦別町にあった三井芦別駅跡を8月に再訪したときのこと。三井芦別鉄道の途中にあった三井芦別駅は、三井芦別炭鉱で産出された石炭の積出し駅として昭和15年(1940年)に開業、当初は西芦別駅と称した。石炭景気に湧いた駅周辺一帯は大規模な炭住街を形成、駅前の西芦別商店街には多くの買物客が訪れて賑わった。石炭から石油へエネルギーの主力が変わり、モータリゼーションの波が押し寄せて平成元年(1989年)に三井芦別鉄道は廃止、後を追うように平成4年(1992年)三井芦別炭鉱が閉山する。それから25年が経った今、西芦別町の現況を。

三井芦別鉄道跡を散策するにあたり大変参考になったホームページがある。
芦別を訪ねてみたいと思った方は必見↓
芦別物語
http://aatama.saloon.jp/index.html




空中写真_西芦別_1977年
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7728-C12-15を基に作成

昭和52年(1977年)撮影、西芦別町の空中写真。三井芦別駅前に商店街、周辺一帯に炭住アパートが整然と並び大きな町を形成していたことがわかる。小・中学校や病院はもちろんのこと、野球場もあった。


旧三井芦別駅
旧三井芦別駅駅舎。現在は芦別資源商という産廃業者に再利用されている。西芦別町は炭鉱労働者やその家族が多く定住し、この駅を中心にして町を発展させた。


旧三井芦別駅構内
旧三井芦別駅構内側。写真右奥に芦別方面の乗降ホームがあった。


旧三井芦別駅頼城方面ホーム跡
頼城方面の乗降ホーム跡。


旧三井芦別駅前通り
国道452号へ向かって延びる旧駅前通り。


旧芦別市立ひまわり幼稚園
旧駅前通り沿いにある芦別市立ひまわり幼稚園入口。


旧芦別市立ひまわり幼稚園
建物を残す旧芦別市立ひまわり幼稚園。昭和56年(1981年)開園、西芦別の過疎化が進み平成16年(2004年)に閉園。かつては子供たち元気な声が飛び交ったのだろうが、今は静寂に包まれる。


旧屋内プール
幼稚園近くにあった旧屋内プール。


西芦別商店街
駅前通りの南側を並行する西芦別商店街通り。かつては精肉店や魚屋、時計屋、菓子店、洋品店、電気店等が軒を連ねた。


旧三井芦別駅
西芦別商店街通りより旧三井芦別駅。


西芦別商店街(昭和58年)
芦別温泉スターライトホテルの展示より引用

昭和58年(1983年)に撮影された西芦別商店街。駅前より国道方向を望んでいる。


西芦別商店街
上写真の現況。昭和58年当時の写真から、左より三北商事イワイ釣具生花部、安部商店があったことがわかる。


中通り
商店街通りより南へ延びる中通り。かつて沿道は商店街で青果店、履物店、菓子店、食品店、食堂、豆腐店等が並んでいた。


田辺商店
中通り沿いに残る旧田辺商店。


西芦別商店街
中通りより商店街。突き当りに”珈琲屋JUN”。


西芦別商店街
かつて買物客で賑わった西芦別商店街、今は行き交う人もない。


一坑会館・映画館跡
一坑会館(映画館)跡。一坑会館は昭和48年(1973年)ボウリング場に改装され”西芦ボウル”を開業、同51年(1976年)から三北商事第一売店へと変遷した。1990年代に解体されたと思われる。


第三浴場(上の風呂)跡
第三浴場(上の風呂)跡。


西芦別郵便局
西芦別郵便局。もちろん今も営業してます。


旧西芦別小学校体育館
旧西芦別小学校体育館。現在は小林英一記念美術館として利用されている。西芦別小は昭和14年(1939年)西芦別尋常高等小学校として開校、全盛の同33年(1958年)には児童数2534名を数えた。平成18年(2006年)西芦別中学校へ校舎移転、同26年(2014年)閉校。

小林英一記念美術館
http://nishiashi-no-sato.co.jp/Museum.html


西芦別小開校五十周年記念碑
西芦別小開校五十周年記念碑。「七十四年間 ありがとう」の文言は閉校時に追記されたのだろう。


西芦別町全景(昭和40年)
芦別温泉スターライトホテルの展示より引用

最後に昭和40年(1965年)撮影の西芦別町全景。炭住アパートが整然と並ぶ圧巻な眺め。


撮影日:2017年8月11日(金)
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テーマ : 北海道
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札沼線(学園都市線) 札比内駅

2017年も間もなく終わる。今年8月に訪れた札沼線(学園都市線)を記事に書いておこう。訪ねたのは札比内駅・晩生内駅・札的駅で、この3駅とも昨年(2016年)にJR北海道が発表した資料によれば、乗車人員1日平均10名以下の「極端にご利用の少ない駅」に指定される。札沼線の北海道医療大学駅~新十津川駅間は廃止の危機に陥っており、遅かれ早かれこの区間は姿を消すことになるのだろう。1日でも長く存続することを願い、今あるうちに。

まずは札比内駅から。札比内と書いて”さっぴない”と読み、樺戸郡月形町字札比内に所在。起点の桑園駅から53.5kmで20駅目にあたり、終点の新十津川まで23km。当然ながら無人駅であるが、駅前の渋谷薬房が簡易委託で切符を販売している。 開業は昭和10年(1935年)、札沼線石狩当別駅~浦臼駅間の開通に伴い当駅を設置、当初は有人の一般駅だったが、昭和54年(1979年)貨物・荷物の取扱いを廃止、無人駅となり切符販売が簡易委託された。





札比内駅
駅北西側に畑が広がる札比内駅。


札比内駅
古ぼけた感が否めない駅舎。右隣りにある新しめの建物はトイレ。


札比内駅
駅舎内には閉鎖された切符販売窓口が残る。


札比内駅04
発着列車は上り下りとも6本。下り方面の浦臼駅から新十津川駅間は1日1往復のみなので、これでも結構あるなあ…、という印象。


札比内駅
札比内駅待合室。


札比内駅
待合室に備える本。乗降客が読み終えた本を置いているのだろう。


札比内駅ノート
訪れた旅人の思いが綴られる札比内駅ノート。


札比内駅
札比内駅構内。


札比内駅裏
駅裏手、一面に広がるのは畑。


札比内駅
札比内駅改札口。


札比内駅
12:00発浦臼行列車が到着。乗降客は無い。


札比内駅
札比内駅を発車するキハ40形気動車。


札比内駅前
札比内駅前。中央正面の店が切符を委託販売する渋谷薬房。


札比内神社
駅近隣にある札比内神社。


札比内駅
13:35石狩当別行列車が札比内駅に到着。


撮影日:2017年8月12日(土)
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札沼線(学園都市線) 晩生内駅

晩生内と書いて”おそきない”と読ませる難読なこの駅は、樺戸郡浦臼町字晩生内に所在。起点の桑園駅から58kmで21駅目にあたり、終点の新十津川まで18.5Km。開業は札比内駅と同じく昭和10年(1935年)、当初は有人の一般駅だったが、昭和54年(1979年)貨物・荷物の取扱いを廃止、無人駅となり切符販売が簡易委託化された。平成19年(2007年)簡易委託終了。昨年(2016年)にJR北海道が発表した資料によれば、乗車人員1日平均10名以下の「極端にご利用の少ない駅」に指定される。




晩生内駅
晩生内駅全景。トドマツと思われる大木が駅舎横に聳える。


晩生内駅駅舎
隣の札比内駅と出入口の位置以外はほぼ同じな外観。


晩生内駅
晩生内駅改札口。


晩生内駅
入口の横にある切符売場はベニヤで閉じられている。


晩生内駅ノート
駅ノートと新・平家物語にビッグオリジナル。お知らせの貼紙に「最近、お客様が駅待合室に置かれている”想い出ノート”に火を付けるなど犯罪となるような行為がありました。」とある。とんでもない輩がいるものだ。もはやこの人は”お客様”ではなく、放火犯の犯罪者。決して許される行為ではない。


晩生内駅構内
晩生内駅構内より浦臼・新十津川方面。


晩生内駅駅名標
晩生内駅駅名標。


晩生内駅改札口
改札口はしっかりあります。


晩生内駅前
駅前に商店街は無い。


晩生内駅前通り
行き交う人も無い静かな駅前通り。沿道にはソーラーパネル。


晩生内駅前通り
駅前通りより晩生内駅。


晩生内郵便局
駅付近にある晩生内郵便局。


晩東貯水池
晩生内駅~札的駅間、山辺線踏切付近にひっそりとある晩東貯水池の解説板。晩東貯水池は大正4年(1915年)晩生内北東部の造田を進めるにあたり築造された。


撮影日:2017年8月12日(土)
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札沼線(学園都市線) 札的駅

札的駅の開業は昭和35年(1960年)、前の記事に書いた札比内駅や晩生内駅より25年遅い。樺戸郡浦臼町字札的内に所在し、開業当初より旅客扱いのみの無人駅。起点の桑園駅から60.9kmで22駅目にあたり、終点の新十津川まで15.6Km。単式ホームに待合所を設けるだけの典型的な無人駅で、おそらく開業当初から現在まで大きく姿は変えていないだろう。当然ながら乗車人員1日平均10名以下の「極端にご利用の少ない駅」に指定されている。




札的駅
札的駅全景。


札的駅
待合所はしっかりとした作り。


札的駅
内部も見た目以上に広さを感じる。


札的駅
札的駅の特筆すべきは待合所内にトイレがあること。


札的駅
水洗ではないだろうが、この手の駅でトイレがあるのは珍しい。


札的駅ノート
札的駅ノートもちゃんとあります。


札的駅ノート
駅に置いてあった手作りのスタンプを押して、コメントを残しておきました。


札的駅
待合所出入口。


札的駅
待合所の窓より外を眺め。


札的駅
入口には「悪質な訪問販売を固くお断りします」のステッカー。ここに訪問販売員が来ることがあるのだろうか…。


札的駅
ホーム上より札幌・桑園方面。


札的駅前通り
それなりに民家が建っている駅前通り。


撮影日:2017年8月12日(土)
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札沼線廃線跡 石狩追分駅~和駅

日没まで時間があったので札的駅から札沼線(新十津川駅~石狩沼田駅)の廃線跡に。今年6月に新十津川駅から雨竜駅までの現況を訪ねた続き、石狩追分駅~和駅間の駅跡を見てみよう。『札沼線廃線跡 新十津川駅~石狩橋本駅』の記事にも書いたが、改めて札沼線廃止区間(新十津川駅~石狩沼田駅)について簡単におさらいしておく。そもそも札沼線(学園都市線)という名称は札幌と沼田を繋いでいたことに由来、現在は新十津川駅が終着駅となっているが、昭和47年(1972年)に廃止となるまで札幌駅から石狩沼田駅まで線路は繋がっていたのだ。廃止から45年が経ち、大方の路盤跡は確認しがたく、駅跡すら事前に調べておかなければ、どこにあったのかもわからない状況である。




石狩追分駅_HO666Y-C4-20_1966
空中写真データ:国土地理院 整理番号HO666Y-C4-20を基に作成

昭和41年(1966年)撮影、石狩追分駅付近の空中写真。駅舎前から国道275号へ向かって東に駅前通り、線路沿いを少しずつ離れながら南へ道が延びる。市街の中心は駅前より、むしろ国道275号から道道47号の分岐点辺りにあったようだ。
石狩追分駅は雨竜郡雨竜町満寿に所在、起点の桑園駅から92.1Kmで、終点の石狩沼田駅まで19.3Km。開業は昭和6年(1931年)、昭和47年(1972年)廃止。


石狩追分駅跡
原っぱになっている石狩追分駅跡。


「札沼線石狩追分駅跡」碑
「札沼線石狩追分駅跡」碑。昭和41年(1966年)の空中写真を見る限り、ここが駅舎跡。


石狩追分駅跡
駅跡にある謎の標識。錆びついて何が書かれていたのか不明。


石狩追分駅跡
駅跡より新十津川方面。路盤跡は原っぱと化している。


石狩追分駅跡
駅跡より石狩沼田方面。路盤跡はJA雨竜町低温農業倉庫5号に遮られる。


旧石狩追分駅前通り
国道275号に向かって延びる旧駅前通り。


石狩追分農業倉庫
駅前に建つ農業倉庫。


旧石狩追分駅前通り
旧駅前通りより駅跡。かつてはこの道路突き当りに駅舎があったはず。


旧Aコープ石狩追分
国道275号沿いにある旧Aコープ石狩追分。現在は廃店舗と化している。


渭ノ津駅_MHO631X-C5-7_1963
空中写真データ:国土地理院 整理番号_MHO631X-C5-7を基に作成

昭和38年(1963年)撮影、渭ノ津駅付近の空中写真。東の山裾から西へ延びる直線道路と札沼線が交差する南側に渭ノ津駅があり、写真で視認できないが線路西側(石狩沼田方面に向かって左側)に単式ホームがあったと思われる。駅周辺は農村地帯であり、乗降客は少なかったであろう。
渭ノ津駅は雨竜郡雨竜町渭ノ津に所在、起点の桑園駅から94.5Kmで、終点の石狩沼田駅まで16.9Km。開業は昭和31年(1956年)、昭和47年(1972年)廃止。開業当初から無人駅だったと思われる。


渭ノ津駅_国土基本図12-LD-12_1968
国土基本図(写真図):国土地理院 図葉番号_12-LD-12を基に作成

昭和43年(1968年)の国土基本図から渭ノ津駅付近。駅の構造物ははっきり視認できないが、”いのつ”と駅を示す表記がある。


渭ノ津駅跡
渭ノ津駅跡。奥に延びる砂利道がほぼ路盤跡を踏襲。この砂利道沿いの右手辺りが駅跡と思われる。


渭ノ津駅跡
駅跡から道路を挟んで北(石狩沼田)側にある”渭の津水車駆動式除塵機場”。これが駅跡の目印。


渭ノ津駅跡付近
道路東側から渭ノ津駅跡。かつては左端の山裾辺りにホームが見えていたはず。今は除塵機場の建物が駅にみえてしまう。


渭ノ津駅前
渭ノ津駅跡横を通る直線道。


和駅_MHO631X-C4-5_1963
空中写真データ:国土地理院 整理番号HO666Y-C4-20を基に作成

昭和38年(1963年)撮影、和(やわら)駅付近の空中写真。和地区は北竜町の中心にあたるが、市街は駅前よりも国道275号と道道94号の交差点を中心に発展、その交差点北側に真竜小学校を設けている。
和駅は雨竜郡北竜町和 に所在、起点の桑園駅から97.9Kmで、終点の石狩沼田駅まで13.5Km。昭和6年(1931年)に一般駅として開業、駅舎を持つ有人駅だったと思われる。昭和47年(1972年)廃止。下記リンクに完成間近の貴重な和駅の写真が見られるので参照を。

フォト北海道 道新写真データベース
『完成間近い北竜村和市街』
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090237620


旧和駅駅舎
駅前広場を残す和駅跡。大木の後ろに建つ平屋手前部分が旧駅舎で、廃止後に縫製工場の一部に取り込まれたという。その縫製工場も今は稼働していないようだ。


旧和駅駅舎
縫製工場の入口。入口から左側が旧駅舎で、右側は増築したものだろう。


和駅跡前農業倉庫群
和駅跡前の農業倉庫群。


旧和駅前通り
駅跡より旧和駅前通り。


撮影日:2017年8月12日(土)
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深名線 ~2017 年の瀬の旧駅舎を訪ねて~

2017年も間もなく終えようとする年の瀬の12月30日、深名線の旧駅舎を残す4駅を訪ねた。幌加内町には昨年(2016年)11月に改修を終えた沼牛駅をはじめ、政和駅と添牛内駅の3駅、深川市に鷹泊駅の1駅が今も旧地に駅舎を残している。今年の冬は爆弾低気圧が襲来して北日本は大雪の様相、それぞれの旧駅舎が新しい年を無事に迎えられるように。




沼牛駅
大雪に埋もれる沼牛駅。


沼牛駅
積雪がすごすぎて駅舎に近づけない。


沼牛駅
入口もほぼ雪に埋まり。長く厳しい冬を耐えるべく冬眠しているかのようだ。


沼牛駅前通り
沼牛駅前通り。お披露目会の時の賑わいが懐かしい。


沼牛駅から幌加内市街へ移動↓

幌加内市街
幌加内町交流プラザ。


幌加内市街02
国道275号の歩道沿いには人よりはるかに高い雪壁が。今冬は例年より雪が多い。


エーコープ幌加内店
エーコープ幌加内店には正月前の買い出しに客がちらほらと訪れる。


エーコープ幌加内店
エーコープ幌加内店。


幌加内市街
厳冬の幌加内市街。


政和地区へ移動↓

旧政和駅
幌加内市街から旧政和駅に。


旧政和駅
駅舎と駅前の様子は前回訪問時と変わらない。


旧政和駅
雪に埋もれながらも駅舎は健在。


旧政和駅前
年末でも静かな旧政和駅前。


旧政和小学校
毎年8月に”政和アートFes”の会場となる旧政和小学校。


旧政和小学校
来年も楽しませてもらいましょう。


政和神社
旧小学校西側の小山に鎮座する政和神社。


政和神社
参道には踏み跡がわずかにあるものの、ほぼ雪に埋もれている。初詣に訪れる参拝客はいるのだろうか。


添牛内地区へ移動↓

旧添牛内駅
大雪に埋もれながらも旧駅舎や駅前の旧山前家は健在。


旧添牛内駅
駅舎入口は雪に埋没しながらも、駅名板はしっかり見えている。


旧添牛内駅
それにしても雪の積もり方が半端ない。入口軒先の屋根が歪んでおり心配な状況。


旧添牛内駅
駅構内から幌加内方面。奥に添牛内跨線橋が見える。


旧添牛内駅前
静かに年末を迎える旧添牛内駅前。かつては国道沿いに様々な店が建ち並んでいたが、今や寒々とした山が見えるだけ。


霧立亭
添牛内にある霧立亭。ここで昼飯にしようかと思ったが、12月24日から年末年始のお休みだとか。残念…。


添牛内地区から国道275号を戻り、途中の”せいわ温泉ルオント”に。施設にある”そばの里”で山菜そばを食べ、温泉で心と体を癒して、深川市の鷹泊地区へ向かう↓

幌加内市街
鷹泊へ向かう途中、幌加内市街でJR北海道バスに遭遇。


旧鷹泊駅
幌加内トンネルを抜けると、そこは鷹泊駅だった。


旧鷹泊駅
薄暮が迫りつつ。


旧鷹泊駅
月に見守られ静かに佇む旧鷹泊駅舎。


旧鷹泊駅前農業倉庫
幌加内方面、深名線路盤跡。農業倉庫がひっそりと。


旧鷹泊駅前
黄昏時の旧鷹泊駅前。


撮影日:2017年12月30日(土)
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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

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