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2018年謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。
旧年中は当ブログにコメントや拍手をいただき誠に有難うございました。

本ブログの趣旨である旧東海道歩きが遅々として進んでおりませんが、今年はいよいよ東海造随一の箱根八里の峠越えを迎えることになるかと思います。また、鉄道関連では2019年3月に廃止が予定されているJR北海道石勝線の新夕張~夕張間(夕張支線)にも乗車しておきたい。今年もぼちぼちと旧東海道を歩き続けるとともに、留萌本線や札沼線(学園都市線)、根室本線を中心に北海道のローカル線を記事に残していきたいので、何卒本年もよろしくお願い致します。

平成30年1月1日  戊戌

沼牛駅にて


沼牛駅にて

ソバの花が咲き誇る2017年8月、沼牛駅にて。


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テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

青函連絡船・摩周丸 ~本州と北海道を繋いだ海の鉄道~

人も景色も 忙しそうに 年末だから あーあ♪
ユニコーンの「雪が降る街」がラジオから流れる師走の12月27日、旭川へ帰郷の途次に大好きな街の函館に。今回も年末恒例のタラバガニを仕入れ、ウニにイカ、そしてハセストの”やきとり弁当”に舌鼓を打ち、常宿としている湯の川のホテルで温泉につかり疲れを癒す。私にとってはこれが贅沢で至福なひと時なのである。今回の函館では昭和63年(1988年)青函トンネルの開通に伴い廃止になった青函連絡船の痕跡を訪ねてみたい。

青函連絡船は船内に線路を敷いて貨車や客車をそのまま積み込めたことがフェリーとは一線を画す特長、函館駅と青森駅を繋いだ一言で表すならば”海の鉄道”である。その歴史のはじまりは明治41年(1908)年3月、帝国鉄道庁(後の国鉄)が比羅夫丸を就航させ、翌月に田村丸が就航して2隻体制で函館~青森間を繋いだ定期航路にある。当時は旅客や貨物を小蒸気船や艀(はしけ)に乗せ本船に移していたことから、効率が悪いうえに危険の伴う作業を強いられた。後に北海道の開拓事業が本格化したことで輸送力の増強に迫られ、大正13年(1924年)船に鉄道車両を直接積み込める車載客船”翔鳳丸”が就航、翌年から車両航送が定期運行となり、本州と北海道を繋いだ”海の鉄道”はここに原形が誕生したと言ってよいだろう。

戦時中にも輸送力増強を図るべく車載客船や貨物船が次々と就航して12隻体制となるが、昭和20年(1945年)7月にアメリカ軍の空襲を受けて客船4隻、貨物船6隻が沈没、更に翌月にも空襲があって青函連絡船はほぼ全滅した。太平洋戦争の終結から2年後の同22年(1947年)、戦後復興の最中に車載客船の洞爺丸が就航、続いて羊蹄丸・摩周丸・大雪丸の同型船が就航して青函連絡船は復活を遂げる。しかし冷や水を浴びせるがごとく、同29年(1954年)に台風15号が日本列島を襲う。この台風は未曽有の猛威を振るい、洞爺丸をはじめ貨物船4隻を沈没させ、死者1361名、行方不明者400名にものぼる大災害となった。特に洞爺丸沈没では死亡・行方不明者が1155名にものぼる最大の惨事となり、「洞爺丸台風」と呼ばれる所以に。

洞爺丸台風による被害を教訓にして昭和39年(1964年)装備を改めた車載客船の津軽丸(二代目)が就航、続いて八甲田丸や松前丸(二代目)等、車載客船6隻と貨物船6隻が新たに就航して青函連絡船は全盛を迎える。しかし同46年(1971年)をピークに貨物量が減少、旅客数も同48年(1973年)から右肩下がりとなり斜陽の時代を迎え、同63年(1988年)青函トンネルが開通したことでその役目を譲ることになり、80年に及ぶ青函連絡船の歴史は幕を下ろした。




函館駅
上野駅から東北・北海道新幹線を使って昼前に函館駅到着。1年ぶりに、はるばる来たぜ。去年同時期には全く積雪が無く驚いたことを記憶しているが、今冬はしっかり雪景色。


摩周丸
朝市に寄って函館駅から青函連絡船が発着していた函館桟橋へ向かう。


摩周丸
函館桟橋の第二岸壁に停泊する摩周丸。現在は函館市青函連絡船記念館になっている。摩周丸手前にある門型の構造物は可動橋、上下前後に揺れる連絡船に合わせて動くレールを敷いた中継の橋で、陸の鉄路と海上の船を繋ぐ役割を果たした。今にも旅客や鉄道車両を積み終えて出航しそうな雰囲気に感動。


摩周丸
第二岸壁に停泊する摩周丸。往時この岸壁には船客待合室や送迎所が設けられていた。ここに来ると本当に青函連絡船に乗船して青森へ行く気分になり、否応なく期待が高まってしまう。


摩周丸乗船口
運賃ではなく入館料500円を支払い摩周丸乗船口に。


摩周丸・2階出入口広間
2階の出入口広間。元々は2等(普通)の出入口広間、現在は船内側(写真右手)が壁で仕切られているが、現役時代は階段右手から2等(普通)の座席や椅子席に繋がっていた。


補助汽船の錨
出入口広間に展示する”補助汽船の錨”と煙突に付けられていた”JNR”と”JR”のマーク。


摩周丸・3階ロビー
出入口広間から階段を上がり3階ロビーへ。懐かしいポスターを掲示。


青函連絡船の旅ポスター
青函連絡船の旅ポスター。「花道に雪が降る」、旅情をそそる実に良いポスターだ。こんなポスターが今に貼られていたら、迷わず青函連絡船に乗りに行きたいと思う。早くて安くが主流である現代の旅に逆行するのだろうが、交通機関を主役にしたこんなポスターが駅にあればいいなと、つくづく思う。


青函連絡船のポスター
歴代の青函連絡船を紹介するポスター。


摩周丸・3階ロビー
3階ロビーから展示室を望む。3階ロビーは1等(グリーン)出入口広間だった場所で、奥の展示室が1等(グリーン)指定椅子席だった。


摩周丸船内03
1等(グリーン)指定椅子席を改装した展示室。青函連絡船の歴史を紹介するパネルや当時の椅子席、青函連絡船の模型等を展示する。


青函連絡船と可動橋のプラレール
青函連絡船と可動橋をジオラマにしたプラレール。


普通椅子席とグリーン指定椅子席
普通椅子席(手前)とグリーン指定椅子席(奥)。普通椅子席は二人掛け、グリーンになると一人掛けの椅子に座れた。


普通椅子席
往時の普通椅子席。


飾り毛布
寝台室にあった飾り毛布。ボーイが季節に合わせた題材で毛布を折りあげ乗客を迎えた。これは”大輪”と呼ばれる折り方で、使うのがためらわれる程の出来栄え。


青函連絡船の切符・乗船証明書
青函連絡船関連の切符や乗船証明書。


摩周丸初代模型
摩周丸初代模型。4本の煙突にある「工」のマークは、当初の所管官庁である工部省の「工」から採られている。


摩周丸二代目模型
摩周丸二代目模型。煙突のマークは「JNR」に。これは「Japanese National Railways」の略称、つまり日本国有鉄道のこと。


青函連絡船乗務員の制服
乗務員制服。真ん中にあるのが乗客案内や観光案内等、接客を担当したマリンガールの制服。昭和55年(1980年)から夏季限定で乗務し、同62年(1987年)まで続けられた。


摩周丸・3階サロン
3階船頭部のサロン(無料休憩所)。元々は寝台室があった場所で、最前部に船員室があった。


摩周丸サロンより函館山
サロンより函館山を望む。


摩周丸サロンより八幡坂
函館人気の撮影スポット、八幡坂。


摩周丸・3階展示室
元々は1等(グリーン)指定椅子席だった展示室。連絡船の模型や装備品等を展示。


摩周丸スタンプ
摩周丸スタンプ。


比羅夫丸模型
比羅夫丸模型。日本初の蒸気タービン船で、帝国鉄道庁(後の国鉄)がはじめて就航させた青函連絡船。


十和田丸・八甲田丸模型
十和田丸(手前)と八甲田丸(奥)の模型。


摩周丸・4階
3階展示室から4階に。


無線通信室
無線通信室。


無線通信室
ブラタモリでタモリさんが無線通信室に訪れたときの様子が紹介されている。


無線通信室
椅子に座り乗務員の目線で。


摩周丸・船橋(操舵室)
そしてここが船橋(操舵室)。結構広々とした空間。


摩周丸・船橋(操舵室)
室内中央に設けられる操舵席。


摩周丸・船橋(操舵室)
船橋(操舵室)正面窓下に設ける緊急投錨用の操作スタンド。


船橋(操舵室)より函館山
船橋(操舵室)正面窓より船楼甲板と遠く函館山を望む。


摩周丸・船橋(操舵室)
手前の装置はジャイロコンパス。解説によれば「高速で回転するこま(ジャイロ)の軸が一定方向を示す性質を利用したもので、地球の自転による調整で磁石や鉄材に影響されずにコンパスが真北を示すしくみになっています。」とある。原理がイマイチ理解できていないのだが、とにかくどんな時にも真北を向いているコンパスということ。


摩周丸・4階デッキ(航海甲板)
4階デッキ(航海甲板)。冬場は立ち入れません。


摩周丸・多目的ホール
JNRマークの煙突下にある船室。現在は多目的ホールになっている。


摩周丸・多目的ホール
多目的ホールに復元された2等(普通)座席。


摩周丸・4階デッキ(航海甲板)
航海甲板後部。可変ピッチプロペラの実物を展示する。


摩周丸より函館湾
摩周丸横(海側)では新たな岸壁の設置工事中。


岸壁改良工事完成予想図
これが岸壁改良工事の完成予想図。岸壁で摩周丸を囲み、波を受けないようにすることが目的なのか。


摩周丸と可動橋
摩周丸から下船。


可動橋
陸の鉄路と海上の青函連絡船を繋いだ可動橋。船に鉄道車両を載せるためにはなくてはならない装置。


摩周丸と可動橋
摩周丸と可動橋。


引込線跡
第二岸壁への引込線跡。かつては可動橋に向かって線路が延びていた。


摩周丸と函館山
摩周丸と函館山。


乗船通路跡
函館駅から摩周丸方面、乗船通路跡を望む。青函連絡船廃止から29年が経ち、随分と景観も変わったのだろう。


初代函館駅所在地の碑
函館駅の南側出入口にある初代函館駅所在地の碑。


乗船通路・引込線跡
かつての乗船通路や引込線があった敷地は駐車場や道路に改変てしまった。


摩周丸夜景
摩周丸夜景。


摩周丸夜景
幻想的な摩周丸に寒さを忘れて見入ってしまう。


東浜桟橋
摩周丸から離れて東浜桟橋(復元)に。ここは青函連絡船の就航初期に用いられた桟橋、当時の連絡船は接岸することができなく沖に停泊していたので、旅客は艀(はしけ)と呼ばれる小船を使って乗下船していた。


八幡坂
今回の函館散策の最後に八幡坂へ。


八幡坂
八幡坂より摩周丸を望み。


撮影日:2017年12月27日(水)
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留萌本線の廃線区間(留萌~増毛)を訪ねて ~2017年末~

早いもので廃止から1年が過ぎた留萌本線の留萌駅~増毛駅間。廃止日に別れを惜しむ人々や多くのメディアが訪れ、空前絶後に賑わったのも今や昔の感。廃止されてから1年経つと鉄道はどうなってしまうのか、終着だった増毛駅はどうなっているのか、年の瀬も押し迫った12月28日に留萌本線の廃線区間を訪ねてみた。留萌本線の1日も長い存続を願いつつ。




旧増毛駅
昨年(2016年)12月4日の最終運行日に賑わった増毛駅も今は昔。


旧増毛駅
駅舎は改装中で、中に入れません。あの孝子屋はどうなってしまうのか。


旧増毛駅構内
旧増毛駅構内。


旧増毛駅構内
ホームや駅名標は健在。


旧増毛駅構内
ここに列車がやって来ることはもう無い。


旧増毛駅構内
増毛駅は終着駅の名にふさわしい駅だった。


旧増毛駅
増築改装中の駅舎。駅前の”寿し忠”で駅舎改装について話を聞いたところ、昔の姿に戻すべく改装しているとのこと。4月に完成する予定だという。


旧増毛駅
昔の姿に戻すということならば、トイレがあった増築部分は撤去されてしまうのかもしれない。


増毛駅前
旧増毛駅前、風待食堂と旅館富田屋。


寿し忠
寿し忠で昼飯に。3度目の来店。


えび丼セット
やはり今回もお気に入りの”えび丼セット”。これはリピートしたくなります。


港町市場
港町市場で新鮮な”甘えび”と”つぶ貝”を仕入れ。


箸別川橋梁
増毛駅の隣駅だった箸別駅付近、箸別川橋梁に。


箸別駅跡
橋梁奥に箸別駅があったのだが、待合所やホームは撤去されたようにみえる。


箸別川橋梁
いずれこの箸別川橋梁も撤去されてしまうのか。


朱文別駅跡
朱文別駅跡。踏切や待合所、ホームは消えた。


舎熊駅跡
舎熊駅跡。貨車駅舎は撤去され雪捨て場に。


舎熊駅跡
舎熊駅跡構内より増毛方面。


舎熊駅跡付近
線路脇の標識が残されていた。


舎熊駅跡付近
舎熊駅跡付近に残る標識。


舎熊駅跡
舎熊駅跡構内より留萌方面。


舎熊駅跡前
舎熊駅跡前。


信砂駅跡
信砂駅跡。待合所やホームは消え失せ。


信砂駅跡
板敷のホームが印象的な駅だった。


信砂川橋梁
信砂川橋梁。現役時そのままの姿。


信砂川橋梁
昭和21年(1946年)3月14日、列車転覆事故(死者17名、負傷者67名)を起こす現場となった信砂川橋梁。


阿分駅跡
阿分駅跡。地元自治会が管理していた待合所は撤去され、ホームも姿を消した。


阿分駅跡
阿分駅跡と旧阿分小学校(2015年廃校)。学校が無くなり、そして駅が無くなり…。


学校踏切跡
阿分駅に隣接していた学校踏切跡。


旧礼受駅
旧礼受駅の貨車駅舎は健在。


旧礼受駅
いつまでここに残っていてくれるのか。


旧瀬越駅
留萌駅から廃止区間の一駅目、旧瀬越駅。留萌本線の魅力は日本海沿いを走る留萌~増毛間にあった。せめてここを終着駅にしてもよかったのではないか。話題性があり、旅情あるいい終着駅になったと思うのだが。


旧瀬越駅
待合所を残す旧瀬越駅。


旧瀬越駅
旧増毛道踏切跡より旧瀬越駅を望み。


瀬越海岸
旧瀬越駅から見える寒々しい日本海。


第10留萌川橋梁と福港橋梁
留萌駅~旧瀬越駅間に残る第10留萌川橋梁と福港橋梁。


第10留萌川橋梁と福港橋梁
ここを走り抜けていたキハ54形気動車が思い出され懐かしい。


留萌駅
現在の留萌本線終着駅、留萌駅。


留萌駅
こんな立派な駅が今や廃止の危機にあろうとは。


留萌駅
留萌駅改札口でこの記事の終わりとしよう。


撮影日:2017年12月29日(金)
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留萌本線 ~2017~

2017年に撮影した留萌本線を。




秩父別駅付近
秩父別駅を出発し次の北一已駅に向かうキハ54形気動車。
撮影日:2017年1月1日


秩父別~北一已
雪景色に眠る農村地帯を行く。(秩父別~北一已)
撮影日:2017年1月1日


雨竜川橋梁
梅雨が無い北海道の6月、青々しい緑と清々しい雨竜川を越えて。
撮影日:2017年6月20日


北一已駅
田園地帯に闇が迫る中、北一已駅に単行列車が到着。
撮影日:2017年6月21日


北一已駅
終着の深川駅へ向けて。
撮影日:2017年6月21日


北一已駅夜景
夜陰に佇む北一已駅。
撮影日:2017年6月21日


石狩沼田駅
短い夏を迎えた石狩沼田駅。
撮影日:2017年8月9日


石狩沼田駅
石狩沼田駅に到着した留萌行列車。
撮影日:2017年8月9日


石狩沼田~真布
北海道にはキハ54形が絵になる。(石狩沼田~真布)
撮影日:2017年8月9日


幌糠駅
年の瀬の12月、日が暮れ誰もいない幌糠駅に留萌行列車が静かに到着。
撮影日:2017年12月29日


恵比島駅夜景
恵比島(明日萌)駅夜景。
撮影日:2017年12月29日


恵比島駅構内
NHK朝ドラ「すずらん」の舞台となった恵比島駅。ドラマセットの明日萌駅がそのまま残された。
撮影日:2017年12月29日


恵比島駅構内
暖色の灯に照らされ静かな夜を迎える恵比島(明日萌)駅の構内。
撮影日:2017年12月29日


恵比島駅前
間もなく新年を迎える恵比島駅前、しかし町は閑に。
撮影日:2017年12月29日


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札沼線(学園都市線) 知来乙駅

続けて北海道の記事を。2017年大晦日に訪ねた札沼線(学園都市線)の知来乙(ちらいおつ)駅。起点の桑園駅から44.2kmで17駅目にあたり、終点の新十津川駅まで32.3Km、樺戸郡月形町字知来乙に所在する。 御多分に漏れず2016年にJR北海道が発表した乗車人員1日平均10名以下の「極端にご利用の少ない駅」。開業は昭和33年(1958年)で旅客のみの取り扱い。単式ホーム出入口付近に待合所を設けるだけの無人駅という現在形は、開業当初から変わらぬ姿なのであろう。所在地名から採られた駅名の知来乙は、アイヌ語の「チライオッ」(イトウ・多くいる)の転訛とされる。




樺戸山地
樺戸山地、札沼線(学園都市線)はこの山裾を走る。


樺戸山地
雪原の大地に、雪化粧された山々。札沼線沿線には北海道らしい風景が広がる。


知来乙駅
樺戸山地南端域の山裾に位置する知来乙駅。


知来乙駅
ホーム出入口に設けられる待合所。


知来乙駅
民家の玄関のような待合所出入口。


知来乙駅構内
ホームより新十津川方面。


知来乙駅構内
ホームより札幌・桑園方面。


知来乙駅
待合所の中を見てみよう。


知来乙駅
窓の隙間から雪が入り込みベンチが白い。風はしのげても寒くてじっとしていられない。


知来乙駅ノート
待合所ベンチ上に置かれていた知来乙駅ノート。


知来乙駅
この扉は何?


知来乙駅
開けてビックリ、大小を備えたトイレが。なかなかこのレベルの無人駅では見られない立派なもの。


知来乙駅
待合所出入口。


厚田岩見沢線踏切
厚田岩見沢線踏切と知来乙駅。


撮影日:2017年12月31日(日)
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札沼線(学園都市線) 石狩月形駅

知来乙駅から新十津川方面へ次、石狩月形駅に。起点の桑園駅から46.3kmで18駅目、終点の新十津川駅まで30.2Km、樺戸郡月形町字月形 に所在する月形町の中心駅。 昭和10年(1935年)札沼線石狩当別駅~浦臼駅間の開通に伴い一般駅として開業、昭和54年(1979年)貨物扱い廃止、同59年(1984年)荷物扱いが廃止された。現在は改札を行っていないが駅員を配置する有人駅で、上り札幌方面への列車は全て石狩当別行で7本、下りは浦臼行5本に新十津川行が1本。札幌駅まで47.9kmと十分に通勤圏にありながら、廃止の危機にあるローカルな駅なのである。現状、札幌へ通勤するには6:19発の石狩当別行に乗車するしかなく、せめて通勤時間帯に札幌駅へ1時間以内に通える列車が運行されていれば、石狩月形駅の利用者は随分と増えていくように思えるのだが…。




石狩月形駅
有人駅ながらローカル感漂う石狩月形駅。


石狩月形駅
駅前に設置する”花の里 月形町”の案内板。


石狩月形駅前通り
駅前通り。行き交う人や車は少ない。


石狩月形駅
駅舎内出入口。


石狩月形駅
切符売場と改札口。


石狩月形駅切符売場
12:00~13:30まではお昼休み。


石狩月形駅改札口
改札口。有人駅のため駅構内へ入るには入場券が必要。


石狩月形駅構内
なので駅構内を見に駅裏手へ。


石狩月形駅構内
石狩月形駅構内。


石狩月形駅付近にて
石狩月形駅付近にて。北海道らしい光景です。


石狩月形駅
石狩月形駅を後に。


石狩月形~豊ヶ岡
中厚軽臼内踏切付近、石狩月形駅へ向かうキハ40形気動車。(石狩月形~豊ヶ岡)


撮影日:2017年12月31日(日)
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札沼線(学園都市線) 豊ヶ岡駅

石狩月形駅から新十津川方面へ次、豊ヶ岡駅に。起点の桑園駅から51.0kmで19駅目、終点の新十津川駅まで25.5Km、樺戸郡月形町字豊ヶ丘 に所在する。地名は豊ヶ丘、駅名が豊ヶ岡、何ゆえ”おか”の字が違うのかは不詳。 開業は昭和35年(1960年)で旅客のみの取り扱い。2016年にJR北海道が発表した乗車人員1日平均1名以下の「極端にご利用の少ない駅」で、札沼線(北海道医療大学~新十津川間)存廃以前に駅として存続が危うい無人駅。しかし、一部の鉄道ファンから秘境駅として人気があるようで、11月にテレ東放送の「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!ナゼ秘境駅に&遠距離通勤&開かずの金庫!てんこ盛りSP」に取り上げられた。何かの縁なのか、偶然にこの放送を見たのだが、安田大サーカスの団長が豊ヶ岡駅に張り込み、乗降客が現れるまでロケを続けるという内容。秘境駅マニアの人が降車していたが、これは例外にされており、はたして純粋に”乗車人員1日平均1名以下”の駅を利用する人が現れるのか…。その結果が気になる方はググってみてください。




豊ヶ岡駅
豊ヶ丘陸橋より豊ヶ岡駅を望む。いかにも秘境駅といった様相。


豊ヶ岡駅前通り
豊ヶ岡駅へ至る駅前通りと言うべき道。


豊ヶ岡駅前通り
雪道を歩いて先に見えた!豊ヶ丘駅。来てみれば秘境駅と言われる所以がわかる。何となく6年前に訪れた会津鉄道の男鹿高原駅を思い出してしまう。


豊ヶ岡踏切
豊ヶ岡駅に隣接する豊ヶ岡踏切。


豊ヶ岡駅
豊ヶ岡駅と豊ヶ岡踏切。


豊ヶ岡駅待合所
豊ヶ岡踏切と豊ヶ岡駅の待合所。


豊ヶ岡駅
豊ヶ岡駅の乗降ホーム。板張りのホームが秘境駅感を醸し出す。


豊ヶ岡駅待合所
豊ヶ岡駅の待合所。


豊ヶ岡駅待合所
どうですか、この待合所の佇まい。


豊ヶ岡駅待合所
待合所内に。厳寒の大晦日、こんな秘境駅に先客がいたのには驚いた…。


豊ヶ岡駅待合所
天井には”全国駅寝を愛する会”なる者のメッセージ。よっぽどこの待合所に思い入れがあるようで。


豊ヶ岡駅待合所
壁には豊ヶ岡駅を背景にした鉄道写真。


豊ヶ岡駅ノート
テーブルに置かれていた豊ヶ岡駅ノート。


豊ヶ岡駅付近の風景
豊ヶ岡駅付近の風景。駅周辺には数戸の農家がある程度。


撮影日:2017年12月31日(日)
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留萌本線 ~鉄道の旅 2018正月~

2018年を北海道で迎えて滞在最終日の1月2日、無性に留萌本線に乗車して留萌へ行きたくなり、実家最寄り駅の近文駅に。10:39発函館本線(滝川行)に乗車、深川駅で11:09発留萌本線(留萌行)に乗り換える。留萌駅~増毛駅間が廃止されてから1年が過ぎた。留萌本線の終着駅となった留萌駅、そして全線が廃止の危機にある留萌本線の今を。




近文駅
旭川へ帰省した際、いつも利用する近文駅。本日はここから留萌駅を目指す。


近文駅
近文駅ホーム上の待合所。駅舎は近年に改築されているが、この待合所は随分と年季が入っている。


近文駅
近文駅を通過する特急ライラック。


近文駅
特急ライラックが通過して間もなく、10:39発滝川行普通列車が到着。これに乗車して深川駅へ向かう。


滝川行普通列車内
乗客はそれほど多くなく快適に深川へ。


深川駅
深川駅で4番線に停車する留萌行普通列車。キハ54形の2両編成。これに乗り換える。


深川駅
滝川行普通列車で深川駅に11:03着、この留萌行が11:09発なので、待ち時間がほぼ無く乗り換えられる。


留萌駅
約1時間で留萌駅に到着。


留萌駅
留萌駅で降車する客はまばら。


留萌駅
厳寒の北海道にはキハ54形の顔が似合う。


留萌駅
改札口には折り返しの深川行を待つ乗客が列をなす。1月2日だけに帰省客が多いのだろう。


KAZUMOちゃん
KAZUMOちゃん。数の子生産量日本一の留萌市をPRするゆるキャラ。25歳で1児の母だとか。背中に愛児”ワカコ”ちゃんを背負っている。全国に留萌を発信して盛り上げてほしい。


留萌駅
留萌駅待合室とその一角にある立ち食いそば店。


留萌駅初代駅舎
待合室に展示されていた留萌駅の初代駅舎。


恵比島駅旧駅舎
こちらは恵比島駅の旧駅舎。


留萌駅二代目駅舎50周年記念スタンプ
留萌駅二代目駅舎50周年記念スタンプ。現在の駅舎、意外なことに50年も経っていたんだ。


留萌駅
廃止の危機にあるとは思えないほどに立派な留萌駅。


留萌駅
留萌本線が廃止になったらこの建物はどうなってしまうのだろう…。想像したくない。


留萌駅前通り
駅前通りより留萌駅。


お勝手屋萌
正月休みかと思ったが、営業していたので駅近くのお勝手屋”萌”に。地元ゆかりの土産物を物色し、海産物に甘海老ラーメン、羽幌駅入場券キーホルダー等を購入。旅人の心をくすぐる品ぞろえで、また来たい。


留萌駅
1時間ちょっと留萌に滞在、13:30発深川行に乗車して秩父別に向かうべく切符を購入。


留萌駅
13:30発深川行普通列車。留萌本線らしいキハ54形の一両編成だ。


留萌駅
間もなく出発、車窓越しに2番線ホーム。


秩父別駅
留萌駅から約50分で秩父別駅に到着して下車。


秩父別駅
14:18秩父別駅を発車したキハ54形気動車。


秩父別駅
次の深川行は約2時間50分後だよ。


秩父別駅
秩父別駅構内。”ちっぷべつ”をアピールする目的なのか、柱という柱に駅名板を掲示。


秩父別駅
ひと気の無い駅舎内。


秩父別駅前通り
除雪作業に大忙しの駅前通り。


JR西通り
次の深川行まで時間はたっぷりある。JR西通りを歩いて”秩父別温泉ちっぷ・ゆう&ゆ”へ。


秩父別温泉
駅から5分ほど歩けば”秩父別温泉ちっぷ・ゆう&ゆ”に着く。ゆっくり温泉につかり時間をつぶそう。


秩父別駅夜景
温泉で冷えた体を温めて後、秩父別駅に。


秩父別駅前通り夜景
日が暮れて静まり返る駅前通り。


秩父別駅夜景
秩父別駅夜景。


秩父別駅夜景
日が暮れると本当に静かだ。


秩父別駅夜景
そろそろここに深川行が停車する。


秩父別駅整理券
整理券を取り深川行に乗車。


深川駅夜景
17:15秩父別駅から10分で深川駅に着。折り返しの発車を待つ留萌行。


深川駅夜景
深川駅夜景。次の普通旭川行まで時間があったので、夜の深川市街を少々散策。色々と面白そうな路地があったのだが、正月休みなのか店は開いていない。次の機会があれば”深川の夜”というタイトルで記事に書いてみたい。


深川駅夜景
深川駅に並び停車する18:10発旭川行と18:09発留萌行。2018年は留萌本線で旅初めということで。終わり。


撮影日:2018年1月2日(火)
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テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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高札場
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2013年1月13日(日)
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