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駿河の旅もいよいよ佳境

【旧東海道歩き 第33日目】沼津駅→沼津宿→三島宿→三島駅



【2018年9月16日(日)旧東海道 沼津宿→三島宿】
久々に旧東海道歩き。沼津宿から三島宿へ向かう。沼津宿を東見付跡から出た旧東海道は、狩野川右岸を進んで下石田・木瀬川に。黄瀬川を渡れば長かった駿河国の旅もいよいよ佳境、行政区域は沼津市から清水町となり、八幡・新宿を経ていよいよ伊豆国の三島宿に入る。新宿と三島宿の境が駿河国と伊豆国の境で、境川という小さな川が流れている。




平町一里塚跡
約4ヶ月ぶりに沼津宿江戸方外れの平町一里塚跡に。


日枝神社
まずは平町に鎮座する日枝神社へ。旧東海道から延びる参道は山王通りに分断されている。


日枝神社
日枝神社で本日の道中安全祈願。


平町一里塚跡
日枝神社から平町の一里塚に戻り、次の三島宿へ向けて歩みを進めよう。


平作地蔵尊
狩野川畔の旧東海道筋、黒瀬橋近くにある平作地蔵尊。


平作地蔵尊
平作地蔵尊がある場所は日本三大仇討の一つ、鍵屋の辻の決闘(伊賀越の仇討ち)ゆかりの地で、仇討ちを果たす渡辺数馬が妻とした”お米”の実家の茶屋跡。”お米”の父平作は自身の命をかけて仇である河合又五郎の行方を聞き出した。人々はその義侠心に心打たれ、平作地蔵尊を建立したという。


浪人川排水機場
平作地蔵尊の東側、浪人川と狩野川の合流部にある浪人川排水機場。


旧東海道 浪人川付近
浪人川付近の旧東海道。


狩野川
旧東海道に並行して狩野川が流れているが、現在は堤防に上らないと水面を望めない。


狩野川
川岸には黒い鳥の群れ。カワウだろうか。


旧東海道 沼津市大岡
狩野川右岸、東へ延びる旧東海道。


富士隠れ坂跡
富士隠れ坂。往時は切通しの急坂だったが、現在は均されて面影を残さない。北側に見えていた富士山が、切通しによって姿を隠したことに坂名の由来がある。


東海道道標
富士隠れ坂跡にある東海道道標。駿府へ十五里。


下石田バス停
下石田バス停。


旧東海道 東下石田交差点付近
東下石田交差点付近、県道380号線から旧道が右斜め方向に分かれる。


沼津領傍示石
下石田村と木瀬川村の境だった地点、沼津領傍示石が残る。


沼津領傍示石
沼津領傍示石。「従是西 沼津領」と刻む。ここから西側が水野家5万石の沼津藩領だった。


これより木瀬川
これより木瀬川。ここで沼津藩領を出るわけだ。


潮音寺
木瀬川(現 沼津市大岡)にある亀鶴山潮音寺。


亀鶴姫の碑
潮音寺境内にある亀鶴姫の碑。平安時代末期、木瀬川村の長者小野氏に亀鶴姫という一人娘がおり、駿河の三美人といわれる程に才色兼備の女性だった。亀鶴姫は幼き頃に両親と死別、18歳のときに源頼朝が”富士の牧狩”の宴に再三召すが応ぜず、黄瀬川上流の百沢の滝に身を投げたという。小野氏の遺財で碑が建てられ、亀鶴山観音寺を建立、明治12年(1879年)に廃寺となった後に当地へ移転した。

み佛の 深きめぐみぞ 頼みなる 身は瀧きつ瀬の あわと消ゆとも

亀鶴姫が残した辞世の一首。


旧東海道 沼津市大岡(木瀬川)
沼津市大岡(木瀬川)を行く旧東海道。


大岡の八幡神社
木瀬川の南側に鎮座する八幡神社。


黄瀬川橋
沼津市と清水町の境を流れる黄瀬川。


黄瀬川橋
黄瀬川に東海道(静岡県道145号)を通す黄瀬川橋。


智方神社
黄瀬川橋を渡ってすぐの北側、清水町長沢に鎮座する智方神社。


智方神社のクスノキ
智方神社のクスノキ。清水町で最大の樹木。足利方に敗れ殺害された護良親王(後醍醐天皇の皇子)の御首がここに葬られ、その目印にクスノキが植えられたと伝わる。小説家井上靖が沼津中学校への通学時、この木の下で休んでいたともいう。


長沢の松並木
清水町長沢に残る松並木。


対面石八幡神社参道
旧東海道(静岡県道145号)に面する八幡神社の参道入口。本日は例大祭前日で、宵宮祭が開かれるようだ。


対面石八幡神社
清水町八幡に鎮座する八幡神社。ここが地名の由来になっているのだろう。


対面石
八幡神社境内にある対面石。治承4年(1180年)平家と源氏が富士川を挟んで対峙したとき、源頼朝と奥州から駆け付けた義経が、この2つの石に腰かけて対面したと伝わる。


八幡バス停
旧東海道(静岡県道145号)筋の八幡バス停。


旧東海道 清水町八幡
清水町八幡を行く旧東海道。


宝池寺の一里塚
清水町八幡から伏見に入ってすぐ、伏見一里塚。


玉井寺一里塚と宝池寺一里塚
伏見一里塚は江戸日本橋から29里(約114km)、京三条大橋からは85番目で実測約403km地点(七里の渡しを27.5km、天竜川池田の渡し迂回分を+2kmとして測定、薩埵峠上道ルートによる)にあたる。両塚が現存しており、玉井寺側(写真手前)は往時のまま、宝池寺側(写真奥)が昭和60年(1985年)に改修されている。


白隠の遺墨
玉井寺に残される”白隠の遺墨”。


宝池寺
宝池寺門前にある伏見一里塚。


伏見南バス停
伏見南バス停。


大野商店
伏見南バス停近くにある大野商店。旧商家を感じさせる佇まい。


清水町新宿の常夜灯
清水町新宿の常夜灯。弘化3年(1846年)建立、秋葉大権現と富士浅間宮を刻む。


千貫樋交差点
千貫樋交差点。ここが清水町新宿の東端。


境川橋
清水町と三島市の境に架かる境川橋。下を境川が流れる。ここがかつての駿河国と伊豆国の境。


境川と千貫樋
境川橋より境川上流。建物の間、奥に見えるコンクリート橋が千貫樋である。千貫樋については次の記事で改めて紹介しよう。


境川橋
境川と境川橋。ここで長かった駿河の旅は終わり。


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三島宿

【2018年9月16日(日)旧東海道 三島宿】
Tokaido53_Mishima.jpg
東海道五十三次之内三島 朝霧
ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典「三島宿」より引用

東海道を京方から来れば静岡県最後の宿駅で、伊豆国としては最初で最後の宿駅となる三島宿。東には天下の険、難所の箱根峠越えが控える。伊豆国の東海道は国境北端を通り、三島宿西端の境川から箱根峠まで。峠を越えれば現神奈川県の相模国で、僅かな距離しかない。平安時代、伊豆国の国府が置かれた三島は伊豆の中心地となり、後に三嶋大社の門前町として発展、江戸期になって東海道五十三次の宿駅に定められ、往来の旅人で賑わいをみせた。”三島女郎衆”と呼ばれる飯盛女は美人が多いとの評判で、東海道膝栗毛の弥次喜多は客引き女に袖を引かれて逃げるも、結局は三島宿に宿泊、飯盛女と遊んだところまでは良かったが、すっぽん騒動を起こしてテンヤワンヤの展開になっている。

三島宿は江戸日本橋から東海道五十三次を11宿目、京都三条大橋から43宿目。天保14年(1843年)当時の人口4084人、家数1025軒、うち本陣2、脇本陣3、旅籠屋74軒。三嶋大社前で東海道から下田街道が分岐する。江戸期を通して幕府の直轄地で天領、江戸初期には将軍休泊用の御殿を設けていた。三嶋大社の土産物として知られた三島暦が名産品。広重は「東海道五十三次之内三島 朝霧」の題で、霧に包まれる三嶋大社の鳥居を背景に、旅人を乗せた駕籠かきや馬曳きが往来する様子を描く。




秋葉神社
三島宿京方出入口の西見附跡に鎮座する秋葉神社。


秋葉神社石垣
地元の方に話を聞いたところ、秋葉神社の土台となっている石垣は西見附の遺構で、道路を挟んで向かいにも石垣が組まれていたが、そちらは撤去されたという。石垣には溶岩が使われている。


秋葉神社
秋葉神社より旧東海道。かつてはここに石塁型の枡形見附があり、宿場への出入りを取り締まっていた。


千貫樋
秋葉神社付近の千貫樋。天文24年(1555年)甲相駿三国同盟が成立、北条氏康の娘早川殿が今川氏真に嫁いだことで、氏康が引出物として小浜池から長堤を築いて駿河に水を通したことに起源があるとされる。樋ははじめ木製だったが、関東大震災で崩落、後に鉄筋コンクリート製へ改められた。


三島宿加屋町
三島宿の西側、加屋町の町並み。


林光寺
加屋町にある林光寺。


和泉屋
加屋町から西本町に入って間もなくにある和泉屋。名物の”くづ湯”を買いました。


三島宿西本町
西本町の旧東海道。右手前の”くらや杉山本店”が掲げる看板に注目↓


くらや杉山本店
「江戸時代の昔から 旅人達の汗がにじんでる この道”東海道” 農兵節に唄われた 三嶋女郎衆は この地に居ました」
いいね!


三島宿広小路町
広小路町の町並み。江戸時代に度々大火に見舞われた三島宿は、広小路町の東海道筋に空き地を設け、火災からの類焼を防ぐ火除け地とした。現在は見る影もなく、地名に名残りを見るのみ。


三島広小路駅
広小路町にある伊豆箱根鉄道の三島広小路駅。


三島広小路駅
三島広小路駅改札口。交通系ICカードで利用できる自動改札でした。


蓮馨寺
三島広小路駅の東側、日限地蔵尊を祀る蓮馨寺。日限地蔵尊は古く”身代わり地蔵”と呼ばれたが、何時からか日を限ってお願いすれば叶うと信じられ、”日限のお地蔵さん”と呼ばれるようになったと伝わる。


三島広小路駅
蓮沼川踏切より、三島広小路駅に停車する三島行列車。


伊豆国分寺
三島広小路駅の北西方には伊豆国分寺。


往古の伊豆国分寺伽藍図
往古の伊豆国分寺伽藍図。天平13年(741年)聖武天皇の命により、国家鎮護のため日本各国60数ヶ所に造立させた寺院の一つ。南大門を正面入口にして敷地を塀で囲い、中門・回廊・金堂・講堂・僧房・七重の塔等の伽藍を配していた。


七重の塔礎石
境内に現存する七重の塔の礎石。


うなぎ 桜家
旧東海道(静岡県道145号)に戻り、”うなぎ桜家”前を通る。15時前だというのに入店待ちのお客さんでいっぱい。


時の鐘と三石神社
時の鐘と三石神社。三島宿の”時の鐘”が初めて造られたのは寛永年間(1624~44)、宝暦11年(1761)特に大きな鐘が鋳造され、ここ三石神社境内に設置された。第二次世界大戦時に供出され失われたが、昭和25年(1950)市民の有志によって再び姿を取り戻し往時を偲ぶ。


三石神社
源兵衛川の畔に鎮座する三石神社。かつて元御殿川の川辺に三ツ石という巨石があり、その上に社殿を建てて稲荷を祀ったことにはじまりがあると伝わる。


源兵衛川と石樋
源兵衛川に架かる古びた石樋。


樋口・世古本陣跡
樋口・世古本陣跡付近、本町の町並み。


世古本陣跡
2軒あった三島宿本陣の一つ、世古本陣跡。


世古本陣跡
世古本陣址碑。


世古本陣跡
全く遺構を残していない世古本陣跡。道路を挟んで向かいが樋口本陣跡。


樋口本陣跡
樋口本陣跡も商店やビルが建ち並び全く遺構を残さない。


三島宿復元模型
現地解説板より引用。三島宿は両本陣とも全く面影を残していないので、復元模型の写真を見て想像を膨らませよう。


御殿川
本町と中央町の境を流れる御殿川。江戸初期に三島には徳川家光が休泊用に造営させた御殿があり、その脇を流れていたことから御殿川の名が付いた。現在の旧東海道(静岡県道22号)には上御殿橋が架けられている。


三島宿本町
上御殿橋付近より本町方面。


問屋場跡
三島市中央町別館(三島中央郵便局)の場所が問屋場跡。


扇屋洋品店
近代的な建物に挟まれて異彩を放つ扇屋洋品店の佇まい。


高橋綿店
昔懐かしい看板建築の高橋綿店。


旧東海道(静岡県道22号) 三嶋大社前
三嶋大社前を行く旧東海道(静岡県道22号)。大鳥居前で下田街道が分岐する。下田街道はここから伊豆半島の中央部を進み、天城峠を越えて下田へ至る17里14町(約68km)の道程。


三嶋大社大鳥居
三嶋大社大鳥居より旧東海道と下田街道の分岐点。奥へ直進する道が下田街道。三嶋大社へ参拝したいところだが、先に三島宿を歩き通しておこう。


旧傳馬町
路傍に旧傳馬町の碑。歩道面には「箱根八里 三島宿←→箱根関所 15km」と示す。箱根関所まで結構遠いなあ…。 


莨屋肥料店


日の出町の旧東海道(静岡県道22号)筋にある莨屋肥料店。莨屋と書いて”たばこや”と読む。勉強になりました。


六所王子神社
日の出町に鎮座する六所王子神社。ここ周辺一帯はかつて”長谷(ちょうや)と称した地で、その守り神。


守綱八幡神社
同じく日の出町に鎮座する守綱八幡神社。見聞きしたことがない珍しい社名だが由緒不詳。家康に仕えた徳川十六神将の一人、渡辺守綱に関わる神社なのだろうか。


新町橋
三島宿の東端、大場川に架かる新町橋。大場川の通称は神川(かんがわ)。


東見附跡
新町橋西詰が三島宿の東見附跡。こちらも西見附と同じく石垣が組まれていたはずだが、何も残っていない。


三嶋暦師の館
新町橋から大場川右岸を歩いて”三嶋暦師の館”を見学に。ここは江戸時代に三島の名産品、三島暦を代々にわたり編集・印刷・販売をしてきた暦師の旧河合家。現存する建物は安政地震(1854年)後に十里木(現 裾野市)にあった関所の建物を移築したもの。三嶋暦は鎌倉時代には製作されていたと考えられている。


三嶋大社境内
三嶋大社境内の東側出入口から中に入り、神鹿園。


三嶋大社総門
まずは昭和6年(1931)建築の総門から。


三嶋大社神門
次は本殿への出入口、神門。慶応3年(1867)の建築。


三嶋大社腰掛石
神門前にある神馬舎横にある腰掛石。源頼朝と北条政子が腰掛けて休息したと伝わる。


三嶋大社芸能殿
腰掛石近くにはひっそりと佇む感じで芸能殿。昭和5年(1930年)伊豆大震災後に現総門が完成するまで使われていた旧総門の建築物で、一部改造され芸能殿として保存されている。慶応4年(1868年)の建築。


三嶋大社本殿
神門を中に入ると舞殿と本殿、厳かな雰囲気が漂う。舞殿と本殿は嘉永7年(1854)に発生した東海地震で被災、慶応2年(1866年)に再建された。


厳島神社
参拝を終えて総門を出れば神池の中に厳島神社。北条政子が勧請したと伝わる。


たたり石
大鳥居傍に据えられている”たたり石”。元々は大鳥居前の東海道中央にあったもの。”たたり”は祟りではなく、糸のもつれを防ぐ道具の絡垜(たたり)に意があり、人の往来を整理する役目を果たす大石だった。


上御殿橋
三嶋大社から旧東海道を京方へ戻り、再び御殿川に架かる上御殿橋に。


御殿神社
御殿跡に鎮座する御殿神社。元は稲荷神社として御殿に祀られていた。御殿地は御殿川右岸に総面積1万坪以上の広さがあったとされ、本丸・二ノ丸を設け東南西辺に石垣土塁が巡らされていた。


樋口・世古本陣跡
樋口・世古本陣跡に戻り三島宿の散策は終わり。三島駅へ向かおう。


愛染院跡の熔岩塚
三島駅への途次、愛染院跡の熔岩塚を見る。これは約1万年前の富士山噴火で流下してきた三島溶岩流の末端。火口からここまで約40kmも離れている。愛染院は室町期に三嶋大社の別当寺院だった伊豆随一の大寺院、明治元年(1868年)の神仏分離令で廃寺となり、現在は跡形もない。ここは愛染院の庭園の一部だったとも云われる。


三島駅
三島駅から”こだま東京行”に乗車し帰途につく。


【旧東海道歩き 第33日目】沼津駅→沼津宿→三島宿→三島駅 歩行距離約12km
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箱根旧街道 今井坂・愛宕坂・初音ケ原松並木

【旧東海道歩き 第34日目】三島駅→三島宿→箱根宿→箱根町港バス停



【2018年11月4日(日)旧東海道 三島宿→箱根宿】
京都から旧東海道を歩きはじめて早5年、ようやく箱根八里の箱根峠越えを迎える。峠を越えれば相模の国、神奈川県である。
「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」と、馬子唄にも唄われた箱根峠は、大井川と並ぶ東海道の大難所で、峠上の芦ノ湖畔には箱根宿と箱根関所が設けられていた。峠越えの旧道は峠を境に西側が箱根西坂、東側を箱根東坂と称し、現在は箱根旧街道の総称で呼ぶ。当時の石畳が所々に残っていたり、復元整備されたりしていて、往時の面影を感じながら歩ける旧街道好きには絶好のウォーキングコースになっている。




白滝公園
三島駅近く、富士山からの水が湧く白滝公園。桜川や御殿川の水源となっている。


白瀧観音堂
湧水池の上にある白瀧観音堂。平安時代には現在地より北にあり、当時から水上に御堂が建てられていたという。御堂の傍らに白い飛沫を上げながら水を落とす滝があったとされ、これが名の由来と伝わる。


白滝公園めぐみの子
公園入口には湧水を飲める場所がある。からくり人形の「めぐみの子」が水を汲んでくれる仕組みになっているが、どうやったら動くのか…。


正岡子規の文学碑
桜川に沿った道には文学碑が並ぶ。


十返舎一九の文学碑
十返舎一九の文学碑。「東海道中膝栗毛」にある三島宿での場面が碑面に刻まれる。


新町橋
三島宿東(江戸方)端、新町橋に。ここから旧東海道歩きを再開、三島宿から次の箱根宿まで3里28町(約14.8km)もの長丁場、あいにくの悪天候だが頑張って歩こう!


鞍掛け石
新町橋東詰にある鞍掛け石。解説板には「川原ケ谷宝鏡院への入口の左右に一対ある。」と書かれているが、写真の1個しか見当たらない。将軍が参拝の折に下馬して鞍を掛けたとされるが、いつの時代の将軍なのかよくわからない。また、昔は川原ケ谷神社への参詣人がこの石を使って馬に乗っていたらしく、馬乗り石とも呼ばれていたという。


宝鏡院
鞍掛け石から少し南に入ったところ、宝鏡院がある。門前の解説板によれば室町幕府二代将軍、足利義詮の建立とある。


笠置の石
境内にある笠置の石。三島七ツ石の一つ。源頼朝が参拝の折に笠を置いた石と伝わる。


宝鏡院本堂
宝鏡院本堂。


川原ケ谷バス停
旧東海道(静岡県道22号)沿い、川原ケ谷バス停。


旧東海道 三島市川原ケ谷
川原ケ谷で静岡県道22号を分かれ旧道を直進。


旧東海道 三島市川原ケ谷
川原ケ谷の旧道入口。箱根旧街道の道標が立つ。


愛宕橋
山田川に架かる愛宕橋。ここを渡れば箱根峠へ向けての上りがはじまる。


今井坂
真立寺前、最初の上り坂となる今井坂。


旧東海道踏切
東海道本線を渡る旧東海道踏切。


愛宕坂
踏切の先から愛宕坂の上りが続く。


愛宕坂
愛宕山横を上る愛宕坂。現在は石畳風の道に整備されている。


愛宕坂03
愛宕坂の坂下方面。左手の小高くなっている所が愛宕山。


愛宕山碑
愛宕山の頂に残る愛宕山碑。


三島東海病院
愛宕山より南側の三島東海病院を望む。かつてはここに愛宕社ほか、いくつかの社寺があった。


三界萬霊塔
愛宕坂上にある三界萬霊塔。


愛宕坂上
愛宕坂上、五本松交差点で石畳風の道は途切れ。


三島大根生産都々逸碑
五本松交差点角にある三島大根生産都々逸碑。平井源太郎が創作した「三島大根生産都々逸」の一節と、源太郎の号”源水”を碑面に刻む。

箱根八里の 馬子唄消へて 今は大根を 造る歌


初音ケ原松並木
五本松交差点から国道1号に合流、ここから初音ケ原松並木が約1kmに渡って続く。


初音ケ原松並木
旧街道筋にあたる車道(国道1号上り線)の両側には土盛りと松並木が残る。


初音ケ原松並木
旧街道筋は車道になり歩けないので、左側に石畳風の歩道が設けられている。


初音ケ原松並木
初音ケ原歩道橋付近、石畳風の歩道。


初音ケ原歩道橋
初音ケ原歩道橋。階段を石畳風にするこだわりよう。


初音ケ原松並木
初音ケ原歩道橋より松並木(京方面)。


初音ヶ原松並木
松が伐採され並木が歯抜けになっている所も多い。維持することの難しさを感じさせる。


錦田一里塚
松並木の中に両塚を残す錦田一里塚。江戸日本橋から28里(約110km)、京三条大橋からは86番目で実測約407km地点(七里の渡しを27.5km、天竜川池田の渡し迂回分を+2kmとして測定、薩埵峠上道ルートによる)にあたる。


錦田一里塚
松並木の中に一里塚、旧街道の面影を存分に感じさせる素晴らしい景観。


愛鷹山
北西へ目を転じれば愛鷹山が横たわる。天気が良ければその向こうに富士山が見えたはず。


初音ヶ原松並木
三島塚原I.C交差点手前で松並木は終わり。


三島塚原I.C交差点
三島塚原I.C交差点。国道1号の下で伊豆縦貫自動車道が交差する。
次の記事に続く。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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