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箱根旧街道 臼転坂・題目坂・大時雨坂・小時雨坂・下長坂

【2018年11月4日(日)旧東海道 三島宿→箱根宿】
三島塚原I.C交差点から箱根旧街道を東進、塚原の集落を通り抜ければ臼転坂、ここを登り切って市の山の集落。題目坂・大時雨坂・小時雨坂と上り坂が続いて三ツ谷の集落に。三ツ谷は三島宿と箱根宿の中間地点にあたり、往時には茶屋本陣があり間の宿に近い街村を形成していた。そして急勾配が長く続く下長坂(こわめし坂)を登り切って笹原の集落に入り、家並みが途切れたところから石畳が敷かれた緩やかな坂道(笹原地区の石畳)がはじまる。その入口付近に笹原一里塚が片方だけ現存している。




箱根路の碑
三島塚原I.C交差点付近にある箱根路の碑。昭和43年(1968)建立。


箱根路の碑
箱根路の碑の裏面、「箱根八里は 馬でも越すが 越すにこされぬ 大井川」を刻む。


萬霊等
箱根路の碑の傍らにあった萬霊等。


旧東海道 塚原新田
塚原新田を行く旧東海道。


宗福寺
塚原新田にある宗福寺。


塚原バス停
塚原バス停付近の旧東海道。塚原新田は家康の関東移封後に、近郷農村から次男や三男を募って村を形成させた箱根西坂五ヶ新田の一つで、村内に立場を置いた。坂人参と呼ばれたニンジンやゴボウ、大根が産物だった。


山神社
塚原新田の山神社。


普門庵
建物が真新しい普門庵。最近何かあったのか建て替えられたようだ。


カフェ コルソ マルケ 38
旧東海道筋にある”カフェ コルソ マルケ 38”。塚原新田にはこんな洋風のカフェもあるのだ。


旧東海道 塚原新田
塚原集落の東外れ、薄暗い臼転坂の登り口が待ち受ける。


臼転坂
臼転坂の登り口。いかにも旧街道らしい石畳。


臼転坂の馬頭観世音
臼転坂の馬頭観世音。文政3年(1820)建立。


臼転坂の石畳
臼転坂は牛が転がったとか、臼を転がしたとかで坂名の由来になったという。


臼転坂上
路傍が広々とした臼転坂上。かつては茶屋なんかがあったんだろうか。


臼転坂上
臼転坂上で車道の東海道(旧国道1号)に合流し、市の山の集落へ。


市の山新田の六地蔵
市の山新田の六地蔵。2組6体+1体のお地蔵さんが並ぶ。


市の山バス停
市の山新田は箱根西坂五ヶ新田の一つ。ニンジン、ゴボウ、大根が産物で、へぎ石と呼ばれれる板状節理を産出した。


法善寺
市の山新田にある法善寺。元は題目坂上の坂公民館辺りにあった。元禄17年(1704年)の創建。


市の山新田の山神社
市の山新田に鎮座する山神社。享保14(1729)の棟札を残す。社殿は昭和57年(1982年)8月の台風により大破、翌年に再建されたもの。


市の山新田・題目坂道標
題目坂の登り口にある夢舞台東海道「市の山新田 題目坂」道標。ここ題目坂は玉沢妙法華寺(三島市玉沢)への道程を示す題目石があったことに名の由来があるという。その題目石は現在、市の山新田の法善寺に移されている。


題目坂
階段が付けられる題目坂。


題目坂
題目坂の半ばより坂下。山神社からこの辺りまでの題目坂は、下の車道を通すに伴い開削され失われたのだろう。そのため急勾配になり階段を付けたと思われる。


題目坂
上写真より坂上。やはり急勾配部分に階段が付けられている。


題目坂
題目坂坂上付近より坂下。この辺りは舗装こそされているが、昔の勾配を残しているのだろう。


題目坂04
題目坂上。箱根旧街道題目坂の解説板と七面堂旧址碑を置く。七面堂は法善寺にあった堂宇の一つ、足利尊氏の建立と伝わる。おそらく坂幼稚園辺りが跡地。


坂幼稚園
題目坂上にある坂幼稚園。


法善寺旧址碑
坂公民館の敷地一角にある法善寺旧址碑。現在は市の山新田にある法善寺の旧地。


坂公民館
坂公民館。


三島市眺望地点 坂公民館
坂公民館の裏手は富士山のビュースポット。本日は愛鷹山しか見えませんが…。


大時雨坂
坂公民館付近からは大時雨坂の上り。この先で旧国道1号(東海道)に合流。


大時雨坂上
旧国道1号(東海道)の大時雨坂(坂上方向)。現在は均されて緩やかな坂道だが、路傍左が擁壁になっており、往時の地形が想像できる。旧国道1号が通されるまでは、短いながらもそれなりに勾配がある坂道だったと思われる。


三ツ谷下バス停
三ツ谷下バス停。先に小時雨坂、この辺りがその坂下にあたる。


小時雨坂
なだらかに曲がりながら上る小時雨坂。道両側の土地が低くなっており、こちらは盛り土して勾配を緩くし旧国道1号(東海道)を通しているがいることがわかる。往時とは随分と坂の形状を異にしているのだろう。


小時雨坂(坂下方向)
小時雨坂より坂下方向。


JA三島函南 坂支店
小時雨坂上、三ツ谷の町並み。左はJA三島函南の坂支店。三ツ谷新田は箱根西坂五ヶ新田の一つ。ニンジンやゴボウ、大根、山芋が産物で、土地柄から駕籠かき渡世の村人が多かった。


かめやマート
三ツ谷新田の”かめやマート”付近、旧東海道(旧国道1号、京方)。三谷新田は江戸時代初期に箱根西坂五ヶ新田が形成されるまでは、3軒の茶屋があることから”三ツ屋”と称していたという。Jlgosの”三ツ谷新田”によれば油屋という屋号で細井家が代々名主を務め、富士見屋という旅籠が茶屋本陣を務めていたとのこと。三島宿と箱根宿の中間地点にあたり、間の宿に近い街村を形成していたようだ。


松雲寺
三ツ谷新田にある松雲寺。明暦2年(1656)の創建。江戸時代には参勤交代で東海道を往還する大名の休息所となり、江戸時代末期には徳川家茂や慶喜の寺本陣となった。明治天皇も行幸の折に休息された。


明治天皇御腰掛石
境内にある明治天皇御腰掛石。


参杉明神
同じく境内にある参杉明神。解説板によれば、昭和33年(1958年)狩野川台風に襲われ、境内にあった樹齢約400年の大杉3本が倒木、村内風除けとして永年の恩に報い神号を捧げて祀ったとのこと。天気が良ければ小さな社殿の背景に富士が望めたはず。


「三ツ谷の夢小路」案内地図
路傍にあった”三ツ谷の夢小路”の案内地図。こんな素敵な地図を見てしまったら、歩いてみたい衝動に。しかし日暮れ前に箱根宿に着かねばならず時間が足りない。ジレンマに襲われつつ先へ進むことに。


下長坂(こわめし坂)
三ツ谷の集落東(江戸方)外れ、下長坂(こわめし坂)の登り口。


下長坂(こわめし坂)
アスファルト舗装されてしまっているが、旧街道の雰囲気を残す下長坂(こわめし坂)。


下長坂(こわめし坂)
こわめし坂の異名は、急勾配が長く続く坂道だったことから、旅人の背負っていた米が汗で蒸され、ついには強飯(こわめし)のようになったからだという。江戸時代には米を蒸して飯にしたものを強飯といった。


下長坂(こわめし坂)
下長坂(こわめし坂)上から笹原の町並み。


笹原会館
笹原会館前、笹原の集落を行く旧東海道。緩やかに上る旧東海道筋に家が連なる。笹原新田は箱根西坂五ヶ新田の一つ、付近の東海道に敷いていた篠竹(根笹の仲間の総称)が村名の由来、篠竹の坂道は江戸時代中期に石畳へ敷き直されている。立場を置き、見晴屋という屋号の家が務めていた。産物は山芋、往来の旅人相手にあぶって売っていたらしい。


笹原の石仏二体
路傍に佇む石仏二体。


旧東海道 笹原新田
笹原の集落東端より京方。


旧東海道 笹原新田
集落東端、国道1号(東海道)を渡った先より石畳の坂道が緩やかに上る。


旧東海道 笹原一里塚付近
笹原一里塚付近の旧東海道。右手林の中に一里塚が残っている。


笹原一里塚
南側の塚が現存する笹原一里塚。北側の塚は失われている。


笹原一里塚
笹原一里塚は江戸日本橋から27里(約106km)、京三条大橋からは87番目で実測約412km地点(七里の渡しを27.5km、天竜川池田の渡し迂回分を+2kmとして測定、薩埵峠上道ルートによる)にあたる。


旧東海道 笹原一里塚付近
笹原一里塚付近、石畳の傍らには箱根旧街道の碑。


笹原地区の石畳
旧街道の面影を色濃く残す笹原地区の石畳。


笹原地区の石畳
路傍左に小屋があり、中を覗いてみたら↓


笹原の馬頭観世音
馬頭観世音が安置されていた。


笹原地区の石畳
笹原石畳の坂上、この先で石畳が途切れ国道1号(東海道)に合流。


三島スカイウォーク
国道1号(東海道)の左手には日本最長の大吊橋から富士山や駿河湾の絶景が望めるという三島スカイウォーク。あいにくの悪天候ながら駐車場は車や観光バスでいっぱい。
次の記事に続く。


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テーマ : 街道の旅
ジャンル : 旅行

箱根旧街道 上長坂・山中城址

【2018年11月4日(日)旧東海道 三島宿→箱根宿】
三島スカイプウォークの南辺を通る国道1号(東海道)から旧東海道が分かれ、石畳の上長坂を登る。上長坂は坂下から富士見平ドライブインがある坂上まで、現状保存や一部に根布川石を補填したり全面敷設して、往時の様子をよく留めて改修されている。地元自治体をはじめ、関係者方々には頭が下がる思い。しかし、上長坂上から山中城口交差点にかけては国道1号笹原山中バイパス工事のため歩くことができなかった。バイパス開通後にこの区間がどうなってしまうだろうと、老婆心に危惧しながら山中城岱崎出丸跡の北西側を進んで山中の集落に。

北条氏が築いた山中城の縄張り内に位置する山中の集落、三ツ谷と同じように小ぶりながらも間の宿に近い街村を形成していたようで、御小休本陣が笹屋、脇本陣を大和屋が務めていた。特に芋や寒ざらし団子が名物だった。寒ざらし団子は現在、山中城跡公園にある売店で販売している。周辺一帯は山中新田と称する箱根西坂五ヶ新田の一つ。

山中城は日本百名城に数えられる中世の山城で、永禄年間(1558~70)小田原西側防備の最前線として北条氏康が築いたとされる。天正18年(1590)秀吉の小田原征伐に対抗するため、氏政・氏直父子は新たに岱崎出丸や西ノ丸を築造するなど、大規模に縄張りを拡張させた。しかしこの堅城を秀吉は7万もの大軍をもって包囲、これに対し城を守る北条方の将兵はわずか4千2百、秀吉の軍勢は数にものを言わせた猛攻撃でわずか半日で落城させたという。この攻防戦により北条方はほぼ全滅、城主だった松田康長と副将の間宮康俊の墓は三ノ丸跡の宗閑寺境内にひっそりと建つ。




上長坂登り口
三島スカイプウォークの南辺を通る国道1号(東海道)から分かれる旧東海道。夢舞台東海道「笹原新田 上長坂」道標が立つ。ここから石畳の道が先へ延びる。


上長坂
上長坂の登り口。


上長坂
上長坂の石畳。


上長坂
上長坂の中間地点、石畳が現状保存されている部分。


上長坂
坂上近く、根布川石を全面敷設し石畳を改修している。


上長坂上
上長坂上、国道1号(東海道)と交差する所に階段が設けられている。この辺りは国道1号を通すために盛り土された地形が改変されたことがわかる。


「明治天皇御駐輦阯」碑
上長坂と国道1号(東海道)の交差地点付近にある「明治天皇御駐輦阯」碑。明治天皇御巡幸の折、ここで車を停め休まれたのだろう。


上長坂上
上長坂上、国道1号を挟んで向こうに石畳の道が続く。その右手に富士見平ドライブイン。


芭蕉句碑
霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き

上長坂と国道1号(東海道)の交差地点東側にある芭蕉句碑。碑面の句は貞享元年(1684)芭蕉が箱根越えをした際に詠んだとされる。建碑者は東京家具センターの倉島延三氏。


浅間平地区の石畳
富士見平ドライブイン横、上長坂上から東へ延びる浅間平地区の石畳。しかし…。


浅間平地区の石畳
工事中につき通行できないので迂回してくださいとのこと。笹原山中バイパス工事の真っ只中のようで。


笹原山中バイパス工事現場
笹原山中バイパスの工事現場。先ほど通行止めになっていたのは、バイパスを通すために旧東海道(浅間平地区の石畳)の路盤が開削されたため。写真の赤線部分が消えた旧東海道、こうやって徐々に古い道は消えてゆくわけだ。おそらくここには跨道橋が架けられるのだろう。


浅間平地区の石畳
通行止め地点東側の旧東海道(浅間平地区の石畳)。


浅間平地区の石畳
歩行者通行止の案内板。


山中城口交差点
浅間平地区の石畳は山中城口交差点で途切れ。写真左が通行止め区間。


倶楽部四季遊山
”倶楽部四季遊山”入口前の旧東海道。すぐ先から腰巻地区の石畳がはじまる。


腰巻地区の石畳
腰巻地区の石畳入口。右手(東側)一帯の舌状台地上が山中城岱崎出丸跡。


腰巻地区の石畳
薄暗い山林の中へ延びる石畳。


腰巻地区の石畳
箱根旧街道は歴史と自然を感じながら歩ける格好のハイキングコース。


腰巻地区の石畳
腰巻地区の石畳。左手路傍に箱根八里記念碑(司馬遼太郎)。


箱根八里記念碑(司馬遼太郎)
箱根八里記念碑(司馬遼太郎)。
幾億の跫音(あしおと)が 坂に積もり  吐く息が 谷を埋める わが箱根にこそ


腰巻地区の石畳
薄暗い山林を抜ければ山中の集落。


腰巻地区の石畳
腰巻地区の石畳は山中城跡公園内のここで終わり。


山中城跡案内図
山中城跡を散策してみよう。まずは岱崎出丸跡に。


山中城 岱崎出丸跡
秀吉の小田原征伐に対抗するため、氏政・氏直父子が増築した岱崎出丸。


出丸御馬場跡
古くから御馬場跡伝わる場所。 岱崎出丸最大の曲輪。東側と北側に土塁が設けている。


山中城 岱崎出丸跡
御馬場跡より岱崎出丸の先端(南側)方向。


岱崎出丸より三島市街
岱崎出丸より三島市街や駿河湾を遠望。


出丸御馬場堀
出丸御馬場の南辺には深い空堀(出丸御馬場堀)。


岱崎出丸一の堀
岱崎出丸西側に設けられる一の堀。畝堀がきれいに復元されている。


すり鉢曲輪見張台
すり鉢曲輪見張台。


すり鉢曲輪見張台からの眺め
すり鉢曲輪見張台からの眺め。下の山裾を通る旧東海道を監視できるのはもちろんのこと、三島・沼津方面を望めば韮山城まで遠望できるという。天気が良ければ…。


すり鉢曲輪
岱崎出丸先端部のすり鉢曲輪。その名の通り中央部を窪ませている。敵が攻めにくくする工夫なのだろうが、理由がよくわからない。


すり鉢曲輪虎口
すり鉢曲輪南端にある虎口。東側の”武者溜り”と推定される曲輪に接続している。


武者溜り
ここが武者溜り。山中城の最前線となる場所、攻める秀吉の軍勢を防ぐべく、ここに死を覚悟した北条方の兵士たちが配備されていたのだろうか。


旧東海道 山中新田
岱崎出丸の散策を終えて次は本城に。


芝切地蔵尊
三ノ丸跡にある芝切地蔵尊。その昔、巡礼姿の旅人が山中の旅籠に泊まり、腹痛を発して急死した。旅人は死の間際、芝塚を造り故郷の常陸国(現 茨城県)が見えるように地蔵尊として祀るよう遺言、村人は遺言を守り地蔵尊を建立したという。以来、毎年7月19日を縁日として供養し、合わせて”小麦まんじゅう”を作り参拝者に振舞った。これが名物となり、江戸時代には大勢の参拝客が集まり、山中の集落は大いに潤ったと伝わる。


山中城跡記念の碑
芝切地蔵尊の北東側、宗閑寺参道入口に立つ山中城跡記念の碑。昭和5年(1930年)、東京に住んでいた豊臣家の家臣、一柳直末の末裔による建立。一柳直末は秀吉の小田原征伐に参戦、山中城の攻城戦の際、敵の銃弾を受け戦死した。


宗閑寺
三ノ丸跡に建つ宗閑寺本堂。


北条家家臣松田康長、間宮康俊と豊臣家家臣一柳直末の墓
宗閑寺境内にある豊臣家家臣、一柳直末の墓(写真右)。左に北条家家臣の松田康長や間宮康俊の墓が並び呉越同舟の様相。


北条家家臣松田康長の墓
北条家家臣松田康長の墓(写真手前)、左隣には間宮康俊の墓。ともに秀吉の小田原征伐に対抗して山中城を守備していたが、秀吉方の軍勢の猛攻によって戦死した。


山中公民館
宗閑寺北側、三ノ丸跡の北端にある山中公民館。ここの敷地横を通って山中城の本城へ。


箱井戸跡
箱井戸と呼ばれる池。解説板によれば城兵の飲料水に利用していたと推定している。


田尻の池
箱井戸の隣にある田尻の池。箱井戸とは土塁で遮り、排水溝を設けて向こうから水を流し込んでいたという。解説板によれば、こちらは洗い場や馬の水飲み場等に利用していたと推定、西側に馬舎があったとの伝承がある。


元西櫓と西之丸
二ノ丸より本城先端部の元西櫓(写真手前)と西ノ丸(写真奥)を望む。


西ノ丸南辺の畝堀
西ノ丸南辺の畝堀。


二ノ丸(北条丸)
二ノ丸(北条丸)。本丸の西隣りに位置し、城の中枢だったところ。


本丸堀
二ノ丸(写真右)と本丸(左)の間に設ける本丸西堀。


本丸
山中城の中心となる本丸。北隅に天守櫓を設け、写真に見える藤棚の場所に本丸広間が建てられていた。


天守櫓跡
本丸北隅の天守台。山中城の最高地点に位置し、往時には井楼(物見用の建物)と高櫓(攻撃用の建物)からなる天守櫓が設けられていた。


本丸
天守台より本丸。


矢立の杉
天守台に接して聳え立つ”矢立の杉”。推定樹齢500年、樹高約32m。解説板によれば、出陣の際にこの杉に矢を射立て、勝敗を占ったと「豆州志稿」(江戸時代後期に編さんされた地歴書)の記述にあるとのこと。


兵糧庫・爆薬庫跡
本丸南側に接して位置する兵糧庫・爆薬庫跡。


兵糧庫跡の柱穴
兵糧庫跡の柱穴。


本丸・北ノ丸を繋ぐ架橋
本丸と北ノ丸を繋ぐ架橋。


本丸堀
本丸北西辺の空堀(本丸堀)。写真左が本丸。


北ノ丸
本丸北隣りの曲輪、北ノ丸。本丸より高地に位置し、周囲に土塁と深い空堀を配する。二ノ丸と共に城の中枢をなす曲輪だったことをうかがう。


駒形諏訪神社
山中城址の散策を終え、旧東海道の駒形諏訪神社鳥居前に。


茶屋竹屋
駒形諏訪神社鳥居前には茶屋竹屋。次の記事に続く。


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ジャンル : 旅行

箱根旧街道 小枯木坂・大枯木坂・石割坂・かぶと石坂・箱根峠

【2018年11月4日(日)旧東海道 三島宿→箱根宿】
山中の集落を出て箱根峠の頂を目指す。約720mに渡って延びる願合寺地区の石畳から、小枯木坂・大枯木坂を登り、次に続く石割坂(石原坂・石荒坂)を登りきったところが、箱根峠を往来する旅人や馬の救済にあたった接待茶屋跡。隣接して山中一里塚が現存しているが、接待茶屋こそ今は無い。ここから”かぶと石坂”を登りきれば、かつてイバラが生い茂る草原だった茨ヶ平で、間もなく箱根峠の頂に着く。かつての箱根峠は石がゴロゴロと転がるカヤ原に、伊豆と相模の国境を示す標柱があるだけの荒涼とした場所だった。しかし現在は国道1号・箱根新道をはじめ、芦ノ湖スカイラインや静岡県道20号が集結し車の往来が激しく、往時を偲びようもない。




願合寺地区の石畳
山中集落を出て旧東海道は願合寺地区の石畳に。


旧東海道 雲助徳利の墓
石畳の道に入ってすぐ、路傍には雲助徳利(くもすけとっくり)の墓。


雲助徳利の墓
雲助徳利の墓。この墓に眠る御方は松谷久四郎と名乗り、西国大名の剣道指南役だったが、大酒飲みの上に酒癖が悪く、問題を起こして国外追放、箱根まで来て雲助(くもすけ、江戸時代に荷物運搬や駕籠かき等の交通労働に従事した住所不定の人夫)の仲間に入った。久四郎は剣術の腕前はもちろんのこと、文字の読み書きができたことから親分並みに慕われるようになるが、酒の飲み過ぎがたたって死んでしまう。雲助仲間は久四郎を偲んで盃と徳利を浮き彫りするこの墓を建て供養したという。墓前にはワンカップ酒が供えられ、今も酒飲みであることは変わらないようだ。


願合寺地区の石畳
アスファルト舗装された車道に並行して延びる石畳。


願合寺地区の石畳
願合寺地区の石畳。山中城跡から0.2Km、箱根峠まで3.3Km地点。


願合寺地区の石畳
願合寺地区の石畳。


願合寺地区の石畳・一本杉石橋
解説板前には一本杉石橋。平成7年(1995年)の発掘調査で発見された。


願合寺地区の石畳
国道1号と交差するここで願合寺地区の石畳は終わり。この辺りが小枯木坂の坂下と思われる。


小枯木坂跡
国道1号が通され消失している小枯木坂跡。ここから国道の歩道を歩き。


農場前バス停
農場前バス停。ここからすぐ先の横断歩道を渡って。


大枯木坂迂回路
恐る恐る農家入口の道に入る。これが大枯木坂への迂回路。


大枯木坂下
私有地なのではと思いつつ道標を信じて農家母屋前で右折。


大枯木坂
農家母屋前から突如として現れる旧東海道。ここから大枯木坂の上り。


大枯木坂石畳
大枯木坂に残る石畳。


大枯木坂石畳
直線状に上る大枯木坂。坂名の由来が気になるがよくわからない。周辺一帯に枯れ木が多かったのだろうか。


大枯木坂上
大枯木坂上の石畳。


石割坂(石原坂・石荒坂)下
次に待ち受ける石割坂(石原坂・石荒坂)の上り。


石割坂(石原坂・石荒坂)
石割坂(石原坂・石荒坂)の石畳。


石割坂(石原坂・石荒坂)
石割坂(石原坂・石荒坂)に残る石畳は、文久元年(1861)皇女和宮の降嫁に際し、大改修されたときのものと推測されている。


念仏石
石割坂(石原坂・石荒坂)の路傍に突き出る大石、これを念仏石と呼ぶ。


念仏石
念仏石の前には「南無阿弥陀仏 宗閑寺」と刻む石碑がある。


石割坂(石原坂・石荒坂)
ハコネザサが密集する中を登り。


石割坂(石原坂・石荒坂)
右へ戻る方向に分かれ道。


明治天皇御小休趾碑
その分かれ道のすぐ先に明治天皇御小休趾碑。今では想像もつかないが、こんなところに茶屋なんかがあったのだろう。


施行平分岐点
石割坂(石原坂・石荒坂)から左に施行平(せぎょうだいら)方面への道が分岐。施行平は昔から富士を遠望する光景地として知られた場所。


かぶと石
国道1号と交差する手前、かぶと石前を行く旧東海道。


かぶと石
兜のような形をした”かぶと石”。一説には秀吉が小田原征伐の際、ここに兜を置いて休息したとも云う。元々は甲石坂(かぶといしさか)の途中にあったが、昭和初期の国道1号拡幅工事が行われた際にここに移された。


山中一里塚
旧東海道が国道1号と交差する地点に残る山中一里塚。


山中一里塚
山中一里塚は江戸日本橋から26里(約102km)、京三条大橋からは88番目で実測約416km地点(七里の渡しを27.5km、天竜川池田の渡し迂回分を+2kmとして測定、薩埵峠上道ルートによる)にあたる。


接待茶屋解説板
旧東海道を挟んで山中一里塚の向かいにある接待茶屋解説板。跡地は解説板から国道1号を越えた左手辺り。江戸時代中期に箱根山金剛院別当が箱根峠を往来する旅人を救護するため、無料で人馬に食事や焚き火等を提供したことが始まりと伝わる。一時途絶えていたところを文政7年(1824)江戸の豪商加勢屋与兵衛が再興、しかし明治維新を迎えてて間もなく中断する。明治12年(1879)以後は八石性理教会から鈴木家と受け継がれて接待茶屋は続くが、昭和45年(1970)ついに茶釜を降ろし歴史に幕を閉じた。今は建物が残っておらず近辺にこの解説板が設けられるのみ。


接待茶屋跡
接待茶屋の解説板から箱根(江戸方)方向。国道1号を越えた左手辺りが跡地かと。


接待茶屋バス停
国道1号沿いにある接待茶屋バス停。


接待茶屋跡
箱根方(江戸方)より接待茶屋跡(写真中央の山林辺り)。


甲石坂
接待茶屋跡より箱根峠へ向けて上る甲石(かぶといし)坂。


甲石坂
少々荒れ気味の甲石坂石畳。


兜石跡
この右手が先ほど見た”かぶと石”の旧地。昭和43年(1968)函南町が建立した跡碑があり、こちらは”兜石”の字が使われている。。


兜石跡碑
函南町が建立した”兜石跡”の碑。


兜石跡
兜石跡と甲石坂石畳。


甲石坂
石畳の両側にハコネザサが迫る。


甲石坂上
ハコネザサのトンネルを抜けると。


甲石坂上
休憩所の四阿(あずまや)と兜石解説板。この辺りが甲石坂上。


箱根八里記念碑(井上靖)
そしてすぐ近くには箱根八里記念碑(井上靖)。


旧東海道 茨ヶ平
ここで旧道が車道に合流。箱根峠手前の平坦地に。周辺一帯はイバラが生い茂る草原があったので茨ヶ平と呼ばれる。


旧東海道 茨ヶ平
芦の湖カントリークラブ横、茨ヶ平を行く旧東海道。


峠茶屋
茨ヶ平にある峠茶屋。本日は定休日だった。


旧東海道 茨ヶ平
茨ヶ平から峠へ向かう石畳風の遊歩道。


箱根八里記念碑(峠の地蔵)
遊歩道脇に謎の石造物群が。


箱根八里記念碑(峠の地蔵)
これは箱根八里記念碑(峠の地蔵)。橋田寿賀子さんや黒柳徹子さんなど、女性著名人8名の揮毫を得て8体の地蔵碑が建立されている。


箱根峠
そしてここが現在の箱根峠。ここを境に伊豆国と相模国が分かれていた。


箱根峠
箱根峠で静岡県道20号と国道1号が合流。奥の高くなっている場所に箱根くらかけゴルフ場がある。かつては石がゴロゴロと転がるカヤ原に、伊豆と相模の国境を示す標柱があるだけの荒涼とした場所だったらしいが、今は行き交う車が多くて騒々しい。


箱根の親不知(脚気地蔵)
伊豆箱根バス・箱根峠バス停横には箱根の親不知(脚気地蔵)の解説板。これによれば大阪で商いをする呉服商の道楽息子が出奔、行方を捜すべく旅に出た父親が箱根峠に差し掛かったところ、持病の脚気に倒れてしまう。そこを通りがかった駕籠かきが介抱を装い、短刀で刺殺して財布を奪った。この駕籠かきが実はあの道楽息子、父とは気付かずに襲ってしまったのだ。さすがの道楽息子も深く後悔の念にかられ、自身の咽喉に短刀を突き付けたが死にきれず、ついには気が狂って山中の宿に辿り着き相果てたと云う。

しかし肝心のお地蔵さんが見当たらない…。


箱根の親不知(脚気地蔵)
解説板付近から山上へ向けて茂みの中を登ると、斜面に古そうな供養塔らしきものがあった。これが箱根の親不知(脚気地蔵)と何らかの関係があるのか不明。


箱根くらかけゴルフ場入口
箱根峠交差点から箱根くらかけゴルフ場へアクセスする道。この辺りがかつての箱根峠の頂で、伊豆と相模の国境を示す標柱があったのではと思われる。しかし、峠には数多く幹線道が通されて地形が大きく改変されており、往時を偲びようもない。

いよいよ旧東海道の歩き旅も佳境、伊豆の国から相模の国へ。


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1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
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10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
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