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箱根旧街道 挟石坂・風越坂・釜石坂・赤石坂・向坂

【2018年11月4日(日)旧東海道 三島宿→箱根宿】
箱根峠を越えて伊豆国から相模国へ。箱根峠から箱根宿まで1km程しかなく、それほど遠くはない。しかし挟石坂・風越坂・釜石坂・赤石坂・向坂と呼ばれる急坂が続き、ここを登る者にとっては辛苦の道程だろう。反して降る者にとっては、足元に気を配りつつ石畳の坂道を一気に降り、苦も無く箱根宿へ辿り着く。芦ノ湖畔に宿場を形成した箱根宿は、江戸時代に宿の東方江戸方に箱根関所を設け、江戸へ出入りする「入鉄砲に出女」を厳しく取り締まった。




箱根峠
箱根峠を越えて間もなく、国道1号と箱根新道が合流する。そのため地形が改変され旧道は消失。


箱根峠
ここを直進方向に渡らねばならないのだが、付近に横断歩道が無い。車の往来が途切れたところを見計らって急ぎ足で渡ろう。


挟石坂
合流地点から国道1号を少し下ったところ、国道沿いに挾石坂へアクセスする入口。


挟石坂
かなりの急勾配になっており階段が付けられている。


挟石坂03
国道から挟石坂へアクセスする階段。挾石坂の旧道に盛り土して国道を通したのだろう。旧道と国道を繋ぐためこんな急勾配な階段を付けたと思われる。


挟石坂下
階段下から石畳の下り坂が現れる。


風越坂
風越坂の石畳(坂下方向)。


風越坂
風越坂より坂上。


釜石坂
道の両側に杉並木を残す釜石坂(坂下方向)。


釜石坂
釜石坂より坂上。


赤石坂
国道1号の下を潜り抜ける赤石坂。石畳と杉並木を残す。


赤石坂
赤石坂より坂上。


向坂
峠から箱根宿へ向け降って最後が向坂。ここを降りきれば箱根宿の芦川町に。


向坂
向坂より坂上。


芦川の石仏群
向坂の上り口にある芦川の石仏群。元々は芦川の駒形神社境内にあったものをここに移したという。万治8年(1658)建立の庚申塔が最も古く、江戸時代後期に建てられた巡礼供養塔等がある。


箱根宿芦川町
箱根宿京方出入口、芦川の駒形神社前より向坂を望み。


駒形神社
芦川の駒形神社。


箱根宿芦川町
箱根宿芦川町の町並み。


箱根宿芦川町
芦川入口バス停。この辺りが芦川町と三島町の境。


箱根関所南交差点
箱根宿三島町の中心部、箱根関所南交差点。ここを左に曲がったところが箱根駅伝往路のゴール地点。


畔屋
天野平左衛門本陣跡に建つ畔屋。


箱根関所
宿内を一気に通り抜けて箱根関所へ向かう曲がり角に。


箱根関所前
箱根関所へ続く旧東海道。この辺りは新町と称していた。


ふれんず
”ふれんず”という土産物店でちょっと休憩。


ふれんずにて
関所まんじゅうと酒まんじゅうを生姜湯をチビチビやりながら頂き。


玉屋
関所前の玉屋。


箱根関所京口御門
箱根関所京口御門。日が暮れ始め閉館時間まであと僅か。箱根宿と関所は次の歩き旅で時間をとって巡ろう。


雲助だんご本舗
箱根町港バス停へ向かうべく宿内を戻り、途中で団子が食べたくなり”雲助だんご本舗”に寄る。


雲助だんご本舗にて
雲助だんごを食べながら再び一休み。


箱根登山バス
箱根町港バス停から箱根湯本駅行きのバスに乗車し帰途につく。


【旧東海道歩き 第34日目】三島駅→三島宿→箱根宿→箱根町港バス停 歩行距離約19Km
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テーマ : 街道の旅
ジャンル : 旅行

2019年謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。
旧年中は当ブログにコメントや拍手をいただき誠に有難うございました。

遅々として進んでいなかった旧東海道歩きも昨年11月に箱根峠を越えいよいよ佳境。やる気によっては本年中に日本橋へゴールできるかもしれません。箱根峠を越えてみて改めて思ったのが、旧街道歩きは江戸時代の面影を感じさせてくれる峠越えがやはり面白い。東海道の次は甲州街道かなと、次の旧街道歩きを考えている次第です。
北海道の鉄道関連では今年3月31日の運行をもって廃止される石勝線の新夕張~夕張間(夕張支線)と、来年5月6日の運行をもっての廃止が決まった札沼線(学園都市線)北海道医療大学~新十津川間について、できるだけ時間を割いて乗車したり写真を撮り残しておきたい。何卒本年もよろしくお願い致します。

平成31年1月1日  己亥



近文駅

近文駅

近文駅

2018年10月、函館本線近文駅にて。


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深名線の廃線跡から ~2018大晦日・幌加内~

平成最後の大晦日、だからといって幌加内に訪れる厳寒の冬は例年と変わりない。モノクロ写真のように色を失った銀世界を、1両編成の気動車が生命力を取り戻すかのごとく、力強いディーゼル音を唸らせながら走り抜けていた。平成7年に廃止されてからもう23年が経った、私はその名残りを今も追う。




沼牛駅
平成最後の大晦日を迎えた沼牛駅。


沼牛駅
例年と変わらず雪に埋もれる沼牛駅。去年と比べれば雪が少ない印象。


沼牛駅前
年末なのに人も景色も忙しそうな感じはない。いつもと変わらず静かな沼牛駅前。


沼牛駅
沼牛駅よ、またソバの花が咲き誇る季節に会おう!


幌加内交流プラザ
幌加内市街の幌加内交流プラザに。


幌加内交流プラザ
幌加内交流プラザに展示されていた昔の写真。昭和33年(1958)当時の幌加内市街。古い写真を見ると、現在のどこから撮ったのだろうと気になってしまう。昔の写真から撮影場所を特定してくれるようなアプリがあれば重宝するんだけどなあ。


幌加内駅跡
モニュメントや駅跡碑は雪に埋もれ、1本の木だけが跡地を示す幌加内駅跡。


旧松家食堂
駅前で長らく営業していた旧松家食堂。


旧幌加内駅前通り
年末とはいえ、やはり静かな旧幌加内駅前通り。


上幌加内駅跡
幌加内駅の朱鞠内・名寄方面への隣駅、上幌加内駅跡。


上幌加内駅跡
幌加内駅側より上幌加内駅跡を望む。


上幌加内駅跡
2016年8月に訪れた時にはホームの一部が残骸のように残されていたが、今は雪に埋もれ上幌加内の標識だけが確認できる。


第3雨竜川橋梁
ポンコタン渓谷に架かる第3雨竜川橋梁。下を流れる雨竜川の水面は完全に凍結、幌加内には否応なしに厳寒の冬が訪れる。


ルオント
せいわ温泉ルオント。前身となる政和温泉は現在地より東側の雨竜川沿いにあり、付近に政和温泉駅があった。


政和市街
国道275号を北上し政和地区に。


旧政和駅
有人駅だった時代から何度も訪れた旧政和駅。


旧政和駅02
風雪に耐えて旧駅舎は残る。


旧政和駅
厚い雲の隙間からのぞく微かな陽光が、深い雪に包まれた政和の大地を照らす。


旧政和駅前
旧政和駅前。例年と変わりはなさそう。ここに来るたび、薄緑に塗られた幌加内町開基七十周年の記念塔を思い出してしまう。いったい今はどこにあるのか、それともスクラップになってしまったのか、知る人がいれば教えてほしい。


旧政和小学校
旧政和小学校。毎年8月に政和アートFesが開かれ、モリノヌッシーやワルジカ、ソーバーマンなどのキャラが出迎えてくれるが、今は冬眠中のようだ。次も楽しみにしております!


三頭山
政和地区より三頭山を望む。


政和地区のそば畑
政和地区のそば畑は白銀の世界。夏には純白のソバの花が咲き誇る。


新富駅跡
政和地区の北側、新富地区にあった新富駅跡。利用客の減少から深名線が廃止される5年前の平成2年(1990)廃駅になった。


新富駅跡
今は新富駅前にあった新富集荷所だけがポツンと残る。


新富バス停
新富駅跡付近にある新富バス停。


添牛内駅
今も旧駅舎を残す添牛内駅。しかし駅前に最後まで残っていた旧山前家もついに撤去されてしまった。


添牛内駅
最近になって入口に駅名板が復活したのは非常に嬉しいことだが、豪雪に耐えかねて倒壊してしまうのではと、来るたびに不安を感じてしまう。


添牛内駅
添牛内駅構内。奥に見える添牛内跨線橋が、今となっては貴重な線路の名残り。


朱鞠内トンネル
添牛内から更に国道275号を北上、大曲と共栄地区を過ぎて朱鞠内トンネルを抜けたところ。深名線は国道の東側(写真左手)を並行し、第1雨竜トンネルでここを抜けていた。


第5雨竜川橋梁跡
雨竜川に残る第5雨竜川橋梁の橋桁。


第5雨竜川橋梁跡
大自然の中に放置された橋桁も、往時に思いを馳せる貴重な遺構。


朱鞠内市街
朱鞠内市街を行く国道275号。


朱鞠内駅跡
朱鞠内駅跡に建つバス待合所。


朱鞠内駅跡
北側(名寄側)より朱鞠内駅跡と市街を遠望。


撮影日:2018年12月31日(月)
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留萌本線 ~鉄道の旅 2019正月~

2019年の正月、例年通りに旭川へ帰省してゆく年くる年。元旦を迎えて翌々日の3日、昨年と同じく実家最寄り駅の近文駅から10:39発函館本線(滝川行)に乗車、深川駅で11:10発留萌本線(留萌行)に乗り換える。終着留萌駅まで約1時間、留萌本線の旅を楽しもう。




深川駅
深川駅で出発を待つ11:10発留萌行。


深川駅
2両編成の留萌行だが、乗車できるのは先頭車両のみ。留萌駅に到着後、後ろの車両だけ深川行となる仕組み。


深川駅
特急ライラック旭川行が入線。


深川駅
特急ライラックからの乗り換え客を待つ留萌行普通列車。


深川駅
間もなく発車。私もこれに乗車する。


留萌本線の旅は約1時間、2016年に末端の留萌~増毛間が廃止されてから2年が過ぎ、残された深川~留萌間も廃線の危機にある今、何とか存続させる術はないものだろうか。車窓に過ぎゆく雪景色を眺めながら、そんなことを考えてしまう。

留萌駅
定刻通りの12:07に留萌駅着。


留萌駅
到着してすぐに車両切り離しの作業が行われる。後ろの気動車が12:18発深川行となる。


留萌駅03
13:30発深川行の発車まで、駅舎内と駅周辺をぶらぶらしよう。まずは待合室にある留萌本線に関する昔の写真と、すずらん号のヘッドマーク。またSLを走らせてほしいなあ。


留萌駅
そして留萌駅の立ち食いソバで昼飯に。


ニシンそば
留萌はニシンで繁栄した町、往時に思いを馳せながらニシンそばを頂きました。


留萌駅
留萌駅の立ち食いソバ屋。結構繁盛してます。


留萌駅構内
留萌駅構内で待機するラッセル車。今は大忙しの季節。


留萌駅
留萌駅駅舎。


留萌駅
いつまで留萌駅が存在してくれるのか。無くすにはあまりに惜しい。ここに立つ度に思う。


お勝手屋 萌
駅近くにある”お勝手屋 萌”で土産を買いこんで。


留萌駅
留萌駅に戻り。そろそろ13:30発深川行の改札がはじまる。


留萌駅
改札中の留萌駅改札口。乗客はそこそこにいる。


留萌駅
出発を待つ13:30発深川行。


留萌駅
キハ54形は真冬の北国が似合う。


留萌駅
留萌駅構内。


留萌駅
座席を確保して車窓からの眺め。


真布駅
留萌駅を発車して約40分、真布駅に到着。意外にも乗客が。


石狩沼田駅
次は石狩沼田駅。今年は札幌から札沼線(学園都市線)とバスの公共交通機関を使って、ここ石狩沼田駅に来ようと計画している。往時の札沼線が札幌と石狩沼田を繋いでいたことに思いを馳せたい。


秩父別駅
秩父別駅に入線。


秩父別駅
昨年と同じく秩父別駅で下車。


秩父別駅
下車したのが私だけに誰もいない駅舎内。


秩父別駅
秩父別駅駅舎。


秩父別駅前
秩父別駅に続く駅前通り。


秩父別温泉ちっぷ・ゆう&ゆ
17:06発の深川行まで約2時間半、”秩父別温泉ちっぷ・ゆう&ゆ”でのんびり温泉に浸かろう。


秩父別駅夜景
今時期は日暮れが早い。秩父別温泉から夜道を歩いて秩父別駅に戻り。


秩父別駅前通り
静まり返る駅前通り。


秩父別駅
17:06発深川行列車が入線。これに乗車し。


深川駅
そして17:15深川駅に到着。乗ってきた列車は18:09発留萌行となって折り返す。


深川駅
乗り換える旭川行普通列車の出発時間まで1時間弱、深川駅周辺をぶらぶら。


深川駅付近にて
深川駅近く、保険サービスの前。雪道に光の粒が目まぐるしく動き回る。雪国ならではのイルミネーション。


深川駅
深川駅で並び発車を待つ旭川行と留萌行。


深川駅
旭川行普通列車に乗車して近文駅へ向かう。


深川駅
721系電車とキハ54形気動車。1枚の写真に収められるのは深川駅だけかも。


撮影日:2019年1月3日(木)
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テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

札沼線(学園都市線) 北海道医療大学駅と石狩金沢駅

来年(2020年)5月6日の運行をもっての廃止が決まった札沼線(学園都市線)北海道医療大学~新十津川間、つまり来年の5月7日から札沼線(学園都市線)の終着駅となるのが北海道医療大学駅、これを機にして札沼線という名は鉄道史の中に消えるのだろう。廃止まであと1年4ヶ月、終着駅として生き残る北海道医療大学駅と、ひと駅の差で廃止される石狩金沢駅を訪ねることに。

北海道医療大学駅は北海道医療大学当別キャンパスの最寄駅で、改札口前から連絡通路を通って大学に直接アクセスできる。大学関係者専用の駅と言っても差し支えないだろうが、もちろん一般客も乗降可能。札沼線(学園都市線)の電化区間はここが末端で、ここから先の新十津川方面は非電化区間。つまり札幌駅を発車した電車はここまでしか来れず、ここから先は気動車が走ることになる。開業は意外に古く昭和56年(1981)、大学前仮乗降場として開業し、翌年に大学前駅として一般駅に昇格、平成7年(1995)大学名の変更に伴い現駅名に改称した。




北海道医療大学駅
北海道医療大学駅。右が大学の当別キャンパスで左が駅、学園通を跨いで連絡通路が設けられている。


北海道医療大学駅07
北海道医療大学駅の駅前通り。駅が大学施設の一部と化しており、どこまでが駅舎で、どこまでが大学の施設になるのかよくわからい。


北海道医療大学駅
駅と大学キャンパスの連絡通路上にある北東側の出入口。一般客はここから駅に出入りできる。


北海道医療大学駅前
駅前には”Vegico”(写真右端)という店がある。おそらく地元産野菜の直売所なのだろう。


北海道医療大学駅
北海道医療大学駅の改札口。無人駅なのにタッチでGo!なのだ。こんな無人駅、他に見たことがない。


北海道医療大学駅
駅南西側の出入口は大学関係者の駐車場にアクセスする。


北海道医療大学
駅前の北海道医療大学当別キャンパス。


北海道医療大学駅
北海道医療大学駅へ入線する6両編成電車。


北海道医療大学駅
最後尾には札幌周辺で馴染み深い721系電車。


北5号道路踏切
北海道医療大学駅から浦臼・新十津川方面の少し先、北5号道路踏切。来年(2020年)5月以降に、この踏切は消える。


北5号道路踏切
北5号道路踏切より北海道医療大学駅を望む。来年(2020年)5月以降に、この鉄路は剥がされる。


石狩金沢駅
北海道医療大学駅の隣駅、石狩金沢駅。大学の当別キャンパスと同じ当別町の金沢地区にありながら、ここは来年(2020年)5月に廃止となる。北海道らしさと、歴史を感じさせるこの駅名が好きなのだが。


石狩金沢駅
石狩金沢駅の駅舎入口。誰が飾ってくれたのだろうか、迎春の正月飾りを見て有難く感じた。


石狩金沢駅時刻表
駅舎内に掲げられる発車時刻表と運賃表。


石狩金沢駅
石狩金沢駅構内。僅かひと駅の差ながら、この駅は消える。


札沼線(学園都市線) 35線道路踏切付近
石狩金沢駅より北海道医療大学駅方面に延びる鉄路。


35線道路踏切を行くキハ40形気動車(石狩金沢~北海道医療大学)
35線道路踏切を行くキハ40形気動車(石狩金沢~北海道医療大学)。


雪原を疾走するキハ40形気動車(石狩金沢~北海道医療大学)
雪原を疾走する姿が美しい。


石狩金沢駅
石狩金沢駅に入線するキハ40形気動車。


石狩金沢駅前通り
石狩金沢駅前通り。当別町金沢地区は、この地を開拓した松村鉄之助の故郷、石川県金沢市に地名の由来がある。


石狩金沢駅
来年(2020年)5月、石狩金沢という名は地図から消える。


石狩金沢駅から旭川へ帰る途中、浦臼駅に立ち寄った。せっかくなので追記しておこう↓

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夕張支線 ~廃止まであと88日~

2019年の正月、例年通りに旭川に帰省してゆく年くる年。元旦を迎えて早々、近所の金毘羅神社に初詣した。元日は雑煮を食べてテレビを見ながらのんびり。その翌日の1月2日、今年3月に廃止される石勝線(夕張支線)を見に行ってきた。廃止まで88日、平成と共に最後の年を迎えた夕張支線を。




清水沢駅
まずは夕張線(現 石勝線・夕張支線)から三菱大夕張鉄道への乗換駅だった清水沢駅に。


清水沢駅前
駅前通りと清水沢駅。


清水沢駅
最後の正月を迎えた清水沢駅。廃止が迫っているだけに鉄ちゃんが多くいるのかと思ったが、意外に人や車も少なく静か。


清水沢駅
駅舎入口。


清水沢駅
駅舎内改札口。


清水沢駅
駅舎内出入口。廃止された後、ここはどうなってしまうのだろう。


清水沢駅
駅舎内に掲げられる1977年早春の清水沢駅待合室。往時の様子を伺い知る貴重な写真。キオスクと汽車を待つ多くの旅客、今となってはそんな時代もあったねと…。


清水沢駅構内
清水沢駅構内。駅舎とホームの間が三菱大夕張鉄道の線路とホーム跡、今は連絡通路を設けている。


清水沢駅構内
夕張行列車が到着、下車した旅客は一人。


清水沢駅を発車した夕張行列車
清水沢駅から次の鹿ノ谷駅に向けて。後ろに引かれる車両がキハ40「道央 花の恵み」だった。


清水沢駅を発車した夕張行列車
雪に埋もれる山間にディーゼル音を唸らせながら。


鹿ノ谷駅
清水沢から夕張方面へ隣駅、鹿ノ谷駅。


鹿ノ谷駅
ここで先ほど見送った列車の折り返しを待つ。


鹿ノ谷駅
ガランとした鹿ノ谷駅駅舎内。


鹿ノ谷駅
何のテーマ性もない展示だが、田舎のローカル駅らしくていい。


鹿ノ谷駅付近
夕張から折り返してきた南千歳行普通列車。


鹿ノ谷駅付近
けん引する先頭車両は「道央 花の恵み」。


鹿ノ谷駅付近
深雪の下で芽吹きを待つ草花に、生気をもたらすかのように駆け抜けてゆく。


鹿ノ谷駅構内
鹿ノ谷駅へ入線する南千歳行普通列車。


鹿ノ谷駅構内
乗降客は無し。


鹿ノ谷駅構内
次の清水沢駅へ向けて鹿ノ谷駅を発車。


鹿ノ谷駅付近
雪煙をあげながら。ディーゼル音は遠のく。


沼ノ沢駅
鹿ノ谷駅から沼ノ沢駅へ移動。


沼ノ沢駅構内
沼ノ沢駅の駅舎構内側。


沼ノ沢駅
間もなくしてキハ40「道央 花の恵み」が到着。


沼ノ沢駅
「道央 花の恵み」は沼ノ沢駅を発車。これを見送り夕張方面へ戻って隣の南清水沢駅に移動。


南清水沢駅
南清水沢駅。


南清水沢駅
小ぢんまりとしながらも、ローカルな温かさを感じる駅舎内。そう感じるのは切符売場の窓口があるからなのだろう。


南清水沢駅
簡易委託で切符をはじめポストカードを販売している。


南清水沢駅
駅舎内、出入口側。


南清水沢駅構内
南清水沢駅構内。


南清水沢駅構内
南校通り踏切と南清水沢駅。


夕張駅
本日の最後に夕張駅へ。


夕張駅
雪景色の夕張駅。これから廃線ブームとなって多くの人が訪れることだろう。新夕張~夕張間の列車運行は3月16日から現行5往復から8往復に増便される。


夕張駅
夕張の鉄路にありがとう!


夕張駅
廃止まであと88日。


撮影日:2019年1月2日(水)
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夕張支線 ~廃止まであと85日~

石勝線の夕張支線廃止まであと85日の1月5日(土)、前回訪れてからわずか3日後ながら、天候は前回とは真逆の大荒れ。時折、猛吹雪で軽いホワイトアウトに見舞われる悪天候の中、旭川から夕張まで車を走らせ何とか無事にたどり着く。新千歳空港では欠航と遅れが相次ぎ、多数の帰省客や観光客が空港で一夜を過ごしたと、翌日朝のニュースで流れることになる。しかし、廃止目前の赤字ローカル線ながら夕張支線は通常通りに運行、その裏には人知れず線路を除雪するラッセル車と作業員の活躍があるのだ。さすが北海道の鉄道は雪に対して強いと改めて見直した。頑張れ、JR北海道!




清水沢駅前
まずは前回と同じパターンで。夕張支線の中間、清水沢駅に。駅前の文化堂が営業していたので、大夕張鉄道関連のグッズを購入した。


南清水沢駅
そして隣駅の南清水沢駅へ。本日の目的はここを発着するキハ40形気動車を撮影したかったから。


南清水沢駅
駅舎内の切符売場が開いていたので、記念に乗車券を購入。窓口の方に廃止後にここがどうなるのか尋ねてみたことろ、トイレや入口を改修するのに2百万かかるうえに、今はJRが作業している屋根の雪降ろしも大きな負担になることから、残すのは難しいとの話をうかがう。廃墟となるのか、解体されるのか、いずれにしても残念なことだ。せめて現役の姿を目に焼き付けておこう。


南清水沢駅
南清水沢駅へ入線する夕張行列車。


南清水沢駅
南清水沢駅に停車するキハ40形気動車。


南清水沢駅
次の清水沢駅に向けて。


沼ノ沢駅
見送った列車の進行方向に反して車を走らせ沼ノ沢駅に。


マヤチ川橋梁
沼ノ沢駅近く、マヤチ川橋梁を行くキハ40形気動車。


レストランおーやま
何度か訪れている沼ノ沢駅だが、運悪くいつも閉店中だった”レストランおーやま”。しかし今日は営業していた!


夕張産長芋ピラフ
夕張産長芋ピラフを美味しく頂きました。


夕張駅
そして最後に夕張駅へ。次の列車が来るのは2時間半後なのだが。


夕張駅
大雪の悪天候が不幸中の幸い、ラッセル車が夕張駅に入線してきた。


夕張駅
夕張駅に入線するラッセル車。


夕張駅
いかにも北海道の終着駅らしい光景だ。


夕張駅
折り返しの出発を待つラッセル車。


夕張駅
2時間後ここに到着する列車のために夕張支線の雪をかき分ける。


夕張駅
夕張駅を離れる直前、奇跡的に雪雲の合間から陽光が射す。


夕張駅前
夕張駅前。さっきまでの悪天候が嘘のように。
廃止されるまであと85日、それまでにまた来たい。


撮影日:2019年1月5日(土)
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箱根宿

【旧東海道歩き 第35日目】箱根町港バス停→箱根宿→畑宿(間の宿)→畑宿バス停



【2018年11月24日(土)旧東海道 箱根宿】
Hiroshige_le_Lac_dHakone.jpg
東海道五十三次之内箱根 湖水図
ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典「箱根宿」より引用

東海道を京方から来れば相模国最初の宿駅であり、神奈川県としても最初の宿駅となる箱根宿。箱根峠越えの最中、標高725m地点の芦ノ湖畔に位置し、東海道53次の中で最も標高が高い場所にある。箱根宿が誕生するのは、箱根関所が開設する前年の元和4年(1618)、箱根峠越えの利便を図るため、三島と小田原から50戸ずつを移転させ、新たに宿場町を成立させた。徳川家康により五街道の宿駅伝馬制度が敷かれてから17年後のことになる。なお、箱根関所の開設は箱根宿成立以前の慶長年間(1596~1615)まで遡るとの説もある。

箱根宿は江戸日本橋から東海道五十三次を10宿目、京都三条大橋から44宿目。天保14年(1843年)当時の人口844人、家数197軒、うち本陣6、脇本陣1、旅籠屋36軒。小規模な山間の宿場ながら、6軒もの本陣があったのが特筆すべきところ、箱根峠越えが大難所だったうえに、箱根宿から東の小田原まで約16.6km、西の三島まで約14.8kmと距離が長く、ここで宿泊する大名が多くいたのだろう。京方より芦川町・三島町・小田原町・新町・新谷町と続く町並み、宿東方の新町と新谷町の境に箱根関所が設けられ、江戸に入る鉄砲と江戸から出る女性を厳しく監視した。名産品は寄木細工、甘酒や山椒魚が名物。広重は「東海道五十三次之内箱根 湖水図」の題で、芦ノ湖と天下の険と言われた箱根の山間を延びる石畳の東海道を描く。




芦川の石仏群
箱根宿芦川町の京方(西)外れ、向坂の登り口。前回の歩き旅でここを降ってきた私は、路傍に並ぶ芦川の石仏群に迎えられた。本日はここがスタート、石仏様に見送られて。


芦川橋
箱根宿京方出入口だった芦川橋。


駒形神社
芦川橋袂から参道を延ばす駒形神社。駒ヶ岳の地主神”駒形大神”を祀る宿内の鎮守。


芦川橋
駒形神社参道入口前より箱根峠・向坂方面。


箱根宿芦川町
芦川町の町並み。中世の宿場はここにあったが、現在は中心部から外れて行き交う人も少なく、少々寂れた感じ。



箱根宿芦川町
旧東海道(静岡県道737号)と国道1号の合流地点。左が国道1号、右が芦川町の旧東海道(箱根峠・向坂方面)。


石仏と山の神・関白道碑
上写真の合流地点にある石仏と山の神・関白道碑。山の神碑には橋向町と刻まれ、付近に存在した町名と思われる。関白道碑には秀吉が小田原城攻略の際に開削した道で、鞍掛山十国峠旧登山道に通じているとの説明書きがあるが、詳細不明。これを調べてみるのも面白そう。


芦川入口バス停
芦川入口バス停。この辺りが芦川町と三島町の境にあたる。


箱根宿三島町
三島町、天野又左衛門本陣跡(写真左手前)前。三島町には2軒の本陣と脇本陣1軒が設けられていた。


箱根駅伝往路ゴール
箱根関所南交差点を左に曲がったところが箱根町港。ここは箱根駅伝往路ゴールで復路のスタート地点。


箱根町港
海賊船が係留する箱根町港。


箱根駅伝ミュージアム
箱根町港に隣接してある箱根駅伝ミュージアムと畔屋。


畔屋
畔屋の場所が天野平左衛門本陣跡。三島町にあった本陣2軒のうちの一つ。


畔屋(天野平左衛門本陣跡)
畔屋前、箱根宿の町並み(小田原・江戸方面)。畔屋が三島町の北(江戸方)端にあたり、その先から小田原町。


石内太郎左衛門本陣(鎌倉屋)跡
小田原町に入ってすぐ、写真左手に石内太郎左衛門本陣(鎌倉屋)、奥に向かって駒佐五右衛門本陣、川田覚衛門本陣が並び建っていたが、当時とは随分と様相が変わってしまったようで、本陣の遺構を見ることはなかった。


駒佐五右衛門本陣跡
雲助だんご本舗の辺りが駒佐五右衛門本陣跡。


箱根ホテル(川田覚衛門本陣跡)
箱根ホテル辺りが川田覚衛門本陣跡。


小田原橋
箱根ホテル北側を流れる水路に架かる小田原橋。小田原町と新町の境にあたる。


小田原橋
小田原橋は長さ2m程の小さな橋ながら橋名を示すプレートがある。


箱根宿新町
新町に入って写真の横断歩道辺りで旧東海道は左へ鉤の手に曲がる。現在は国道1号が直進するが、かつては曲がり角辺りに高札場が設けられていた。


箱根宿新町
鉤の手から振り返って箱根宿。


箱根宿新町
鉤の手から関所へ向かう旧東海道と新町の町並み。


箱根関所周辺散策図
鉤の手付近にある箱根関所周辺散策図。箱根宿は本陣や脇本陣の跡地に標識が無く、この周辺散策図に示されているのみ。箱根の歴史は関所ばかりがクローズアップされ、宿場についてはおざなりにされているように感じた。6軒もの本陣があったのだから、せめて宿場の歴史的場所に解説板があってもよいのでは、と思う。


箱根宿新町
新町の町並み。正面には箱根関所の京口御門。


傳兵衛蕎麦
店構えが老舗らしい傳兵衛蕎麦。意外と創業は新しいのかも。


箱根関所
そして箱根関所京口御門の門前に。続きは次の記事で。


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テーマ : 街道の旅
ジャンル : 旅行

プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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