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箱根旧街道 追込坂・猿滑坂・橿木坂・西海子坂

【2018年11月24日(土)旧東海道 箱根宿→小田原宿】
甘酒茶屋で体力を回復させた。さてさて間の宿、畑宿へ向けて箱根旧街道を降ろう。当時は甘酒茶屋から畑宿にかけて、追込坂・猿滑(さるすべり)坂・橿木(かしのき)坂・西海子(さいかち)坂の石畳が続いていたはずだが、昭和初期辺りに現在に見る七曲がりの神奈川県道732号ルートが敷設され、半分近い石畳が失われた。しかし現存する旧道には江戸時代に敷設された石畳が良好な状態で現存している場所も多くおり、歩いていて見どころは多い。また、旧道消失地点の歩道には随所に急傾斜の階段が設けられており、往時の相当な難所ぶりが感じられよう。




追込坂
甘酒茶屋から畑宿に向けて追込坂を降ろう。


追込坂
坂上から右に曲がり神奈川県道732号に合流する。現在の県道ルート敷設により追込坂旧道の大部分は失われたようだ。


追込坂碑
追込坂旧道と県道の合流地点にある追込坂碑。


親鸞聖人碑
追込坂筋にある親鸞聖人碑。この辺りは笈ノ平(おいのだいら)と呼ばれ、東国の教化を終えて帰路についた親鸞上人が、当地で更なる東国の強化を図りたいと考え、二人の弟子に東国へ戻るよう諭した。子弟の悲しく辛い別れの場だったと伝わる。


猿滑坂上
猿滑坂上。旧道は失われており、神奈川県道732号横の斜面に歩道が設けられている。


猿滑坂
猿滑坂を階段で一気に降る。


猿滑坂
旧道は失われているが、往時の難所ぶりが感じられよう。


猿滑坂
猿すべり坂バス停。


猿滑坂下
猿すべり坂バス停から旧道にアクセスする階段。


猿滑坂下
階段を降りきったところに猿滑坂の解説板があり、この辺りが坂下と思われる。『新編相模国風土記稿』には「殊に危険、猿猴(猿類の総称)といえども、たやすく登り得ず、よりて名とす」と書かれ、あまりの急斜面に猿すら滑って登れないほどの難所だったらしい。


猿滑坂下
猿滑坂下に架かる橋を渡って。


箱根旧街道 箱根町畑宿
江戸時代の歴史を感じる石畳が続き。


甘酒橋
そして甘酒橋を渡る。


甘酒橋北詰
甘酒橋北詰。元箱根まで約2.7km、畑宿まで約1.8kmの道標。


箱根旧街道 箱根町畑宿
名もなき橋を渡り。


箱根旧街道 箱根町畑宿
石畳の旧道は山中に延びる。


小田原市街の遠望
山間に小田原市街を遠望。


山根橋
石畳がいったん途切れて山根橋。


山根橋北詰
山根橋北詰から畑宿・小田原方面へ延びる石畳。


見晴橋
七曲がりの神奈川県道732号に合流する手前、見晴橋が架かる。


橿木坂
見晴橋からは橿木(かしのき)坂の下り。


橿木坂
旧道は失われており、現代の坂道は急勾配の階段に。


橿木坂
県道横に付けられた橿木坂の階段と歩道。


橿木坂
橿木坂の解説板。高く険しい崖に樫木があったことが坂名の由来で、東海道名所日記に「険しきこと道中一番の難所なり」と書かれていることを紹介している。現在の県道ルートは七曲がりになっており、この坂が相当きつかったことは想像に難くない。


橿木坂
七曲がりの県道横に付けられる石畳風の歩道。


橿木坂
橿の木坂バス停。


橿木坂
七曲がりの県道と石畳風の歩道。橿木坂がいかに難所だったかを感じられよう。


橿木坂
私の横をビュンビュンと車が下ってゆく。


橿木坂
急勾配の階段を下りて七曲がりをショートカット。


七曲がり標識
路傍には七曲がりの標識。


西海子坂
箱根旧街道の標柱。


西海子坂
県道から階段を降れば西海子坂の道標が路傍に。


西海子坂
西海子坂下から石畳は下へ延びる。


西海子坂
路傍には「石畳の構造」の解説板。


西海子の坂排水路
石畳を斜めに横切る排水路の遺構。


西海子坂
県道との交差地点に橋を架けて石畳を現状維持するという画期的な保存方法。


西海子坂
橋から畑宿へ向かって石畳は延びる。


西海子坂
歴史を感じさせる素晴らしい西海子坂の石畳。


西海子坂
坂を下りきったところから畑宿の町並み。


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テーマ : 街道の旅
ジャンル : 旅行

間の宿 畑宿

【2018年11月24日(土)旧東海道 箱根宿→小田原宿】
西海子(さいかち)坂下、石畳が途絶えたところから畑宿の町並み。箱根宿と小田原宿の中間地点に位置する畑宿、旅人相手の茶屋が軒を連ねて繁盛し、間の宿として発展した。東海道名所記には「さかわ(酒匂)、沼津より、大なる鮎を出して売、鮓(すし)常にあり、餅・団子・酒、みな、よそよりハ、ことの外、直段(ねだん)たかし、さればにや、茶やみなきれいに。人がらもよし。はこねの坂をまへにかゝへて。坂のおかげが、つようおハします。」とあり、大難所の箱根峠越え最中の山中だけに、旅人からの需要が高い食べ物や酒の物価が随分と高かったようだ。更に東海道名所記は文章を続ける。

「楽阿弥、かくぞつぶやきける
四季ともにはこねハ畑のこやしかな
此坂ハ、あまりに難所なれば。いかなる旅人もくだびれて、糞もたるゝ故に。はこねといふらん。古き哥に
四里のぼり谷より谷にへめぐりて二里二里くだるはこね山かな
と、よみけるぞかし。きたなき坂のやうに聞ゆ。」
”はこ”とは古語で大便を意味する。箱根八里の上り四里は読みで尻を想像させ、下りの四里を半分にして二里二里(にりにり)としたのは、脱糞の様子を擬音で表現したため。当時の大便は畑の肥やしに利用されており、つまり箱根の坂が畑宿を繁盛させていることを皮肉っているわけだ。

畑宿では戦国期から挽物細工が作られており、江戸期に入って旅人相手に土産物として売られるようになったという。江戸末期に駿河細工の技法が導入されて寄木細工が作られるようになると、その技法は畑宿で発展をみせ、箱根の名産品として広く世に知られることに。安政6年(1859年)日米修好通商条約の締結により横浜が開港、畑宿名主の茗荷屋畑右衛門らは横浜に赴き、外国へ向けて寄木細工の販路拡大に尽力した。そんな歴史的背景から畑宿は伝統工芸・箱根細工発祥の地とされ、現在も多くの工房や販売店が見られる。




畑宿一里塚
畑宿の京方外れに残る畑宿一里塚。江戸日本橋から23里(約90km)、京三条大橋からは90番目で実測約424km地点(七里の渡しを27.5km、天竜川池田の渡し迂回分を+2kmとして測定、薩埵峠上道ルートによる)にあたる。明治期以降に塚の一部が削られる等して損壊したが、近年になり発掘調査や文献を基にして復元整備された。


桔梗屋
畑宿の京方端、一里塚近くにある桔梗屋。そば屋さん。


桔梗屋
桔梗屋で名物の”とろろそば”を注文。店構え、店内ともいい雰囲気の中、美味しくそばを頂き満足です。


畑の茶屋
畑の茶屋前を行く箱根旧街道。


すぎや
箱根寄木細工すぎや前で神奈川県道732号に合流。


畑の茶屋と守源寺参道
すぎや前から京方、箱根方面。左に畑の茶屋、右の階段は守源寺参道。


守源寺
参道の階段を上り守源寺に。現地解説板によれば寛文元年(1661)建立で、日蓮宗平賀本工寺の末寺。本堂は昭和5年(1930年)豆相大地震後の再建されたとある。おそらく平賀本工寺とは日蓮宗本山の本土寺(千葉県松戸市平賀)を指しているだろう。本土寺は自宅から近いし、久々にアジサイが咲き誇る季節に訪ねてみたくなった。


畑の茶屋と箱根旧街道
守源寺参道より畑の茶屋と箱根旧街道。


畑宿
すぎや前より江戸方、小田原方面。畑宿の旧道は大部分が県道と化している。


畑宿
畑宿は山間の僅かな平坦地に町を形成、家々は新しくなっているが、往時の面影をロケーションで感じよう。


寄木細工やどりぎ
寄木細工やどりぎ。沿道には寄木細工の工房や販売店が多い。


畑宿駒形神社
畑宿の鎮守、駒形神社。


本陣跡バス停
浜松屋前、本陣跡バス停が設置されている。浜松屋の向かいが畑宿本陣茗荷屋跡。


畑宿本陣茗荷屋跡
畑宿本陣茗荷屋跡。民家の敷地一角に解説板を設置する。畑宿は正式な宿場ではなかったため、ここは藩主や公家が休息だけのために利用した小休本陣(立場、茶屋本陣とも)の部類。主屋は大正元年(1912)に焼失、小規模な庭園だけが残されている。明治元年(1868)明治天皇が東京遷都の折に御小休し、初代駐日領事で日米修好通商条約を締結したことで知られるタウンゼント・ハリスが下田から江戸へ向かう途次にここで休憩した。


畑宿本陣茗荷屋跡
横たわる畑宿本陣茗荷屋の標柱。


浜松屋
寄木細工を製造販売する浜松屋。ここに立ち寄り寄木細工の秘密箱(貯金箱)を購入。簡単には開けられないので、貯金箱としては非常に優秀、繊細ながら木のぬくもりを感じる寄木細工だけに長く愛用できそう。

浜松屋
http://hamamatsuya.co.jp/


浜松屋02
浜松屋前を行く神奈川県道732号(旧東海道)。


畑宿
畑宿の町並み(京方、箱根方面)。山を背景にした旧街道と家々の佇まいが良い。


畑宿
畑宿の江戸方端、ここで県道を離れ旧道は山中を下る。日が暮れ始めたため本日の旧東海道歩きはここで終わりに。


畑宿バス停
引き返して箱根登山バス・畑宿バス停で小田原方面へのバスを待つ。


箱根湯本駅
バスに揺られて箱根湯本駅に。すっかり日は暮れた、帰途に就こう。


【旧東海道歩き 第35日目】箱根町港バス停→箱根宿→畑宿(間の宿)→畑宿バス停 歩行距離約10km
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夕張支線 ~車窓から眺める最後の光景~

ついこの前に正月を迎えたと思いきや、はや3月。いよいよ夕張線の廃止が迫ってきた。最後の夕張線をこの目に焼き付けるべく、3月9日(土)に羽田から8:00発のANA053便で千歳へ飛んだ。新千歳空港駅から南千歳駅へ移動し、10:43発夕張行に乗車。雪解けが進みつつある北海道、しかし春を迎えることなく平成に先んじて夕張支線は終わる。




南千歳駅
南千歳駅で10:43発夕張行を待つ。


南千歳駅
南千歳駅の改札口前。発車の6分前、そろそろ1番ホームに行こうか。


南千歳駅
間もなく夕張行列車が着く。


南千歳駅
南千歳駅の1番ホームに入線する夕張行。


南千歳駅
ぞくぞくと旅客が夕張行に乗り込む。


南千歳駅
私も乗車し、座席を確保して乗車券を確認。


追分駅
追分駅着。ここで12分停車なので。


追分駅
列車を降りて写真撮影。


追分駅
追分駅で出発を待つ夕張行。


追分駅
キハ40形気動車に付けられる「夕張←→千歳」の行先プレート。


追分駅
追分駅を発車。


夕張行車内
そして追分駅から列車に揺られること約1時間20分、終着の夕張駅に着く。ぞくぞくと旅客が降車するべく立つが、降り口が先頭車両のみだけに降車渋滞…。


夕張駅
旅客で賑わう夕張駅。


夕張駅
ホームでは黄色いハンカチを持った方が、手作りの爪楊枝入れに入った爪楊枝を配り旅客を出迎える。


夕張駅
この和やかな光景が見られるのもあとわずか。


夕張駅
夕張駅で出発を待つ千歳行列車。停車時間はわずか12分。


夕張駅
ホームでは”ありがとう夕張駅弁当”を販売、しかし完売していて買えなかった…。


夕張駅
車止めとキハ40形気動車。いかにも北海道の終着駅らしい光景。


夕張駅
出発時間が近づく千歳行。


夕張駅
そろそろ折り返しの千歳行に乗車すべく行列に並ぼう。


夕張駅
「夕張←→千歳」の行先プレートを目に焼き付けて。


夕張駅
黄色いハンカチを振る方々に見送られ、12:38夕張駅を出発。


鹿ノ谷駅
発車してから約3分後、鹿ノ谷駅に。


清水谷駅
そして次の清水谷駅を車窓越しに眺め。


南清水沢駅
南清水沢駅を出発したところ。夕張支線との別れを惜しむ人たちがカメラで列車を追う。


沼ノ沢駅
沼ノ沢駅に着。先々月に”レストランおーやま”で食べた長芋ピラフの味を思い出す。


新夕張駅
13:01夕張支線の起点、新夕張駅に到着。


新夕張駅02
2分間停車し新夕張駅を発車。


追分駅03
新夕張から列車に揺られること約30分、追分駅に着。26分もの停車時間があるため、降車して写真撮影。


追分駅
追分駅にて。


追分駅
追分駅にて。


追分駅
追分駅で発車を待つ千歳行。


追分駅
キハ40形の優駿浪漫号(苫小牧行)が2番ホームに入線。


優駿浪漫号
優駿浪漫号は日高本線で運用されている車両だが、現在日高本線が不通となっているため、室蘭本線等で転用されているようだ。


優駿浪漫号
追分駅を発車した優駿浪漫号。


乗車券 夕張→札幌
私の目的地は札幌駅。切符を確認し千歳行に乗車。


千歳駅
夕張駅を発車してから1時間35分、終着の千歳駅に。列車は折り返して14:27発夕張行となる。


千歳駅
千歳駅で発車を待つ夕張行。


千歳駅
モハ731(札幌行)とキハ40形(夕張行)。電車と気動車が並ぶ。


千歳駅
夕張行の発車時刻が近づく。


千歳駅
発車して間もなく、乗り遅れた一人の乗客が慌てた様子で現れた。いったん停車しこの客を乗せ。


千歳駅
再び夕張へ向けて。


撮影日:2019年3月2日(土)
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夕張支線・鹿ノ谷駅 ~廃止まであと28日~

石勝線・夕張支線に乗車して翌日、廃止まであと28日に迫った3月3日の日曜日。車を使って沿線と駅を巡る。これが現役の夕張支線を見る最後となろう。まずは鹿ノ谷駅から。




鹿ノ谷駅
鹿ノ谷駅全景。


鹿ノ谷駅
鹿ノ谷駅に停車するキハ40形2両編成(千歳行)。


鹿ノ谷駅
鹿ノ谷駅12:41発の千歳行が発車。


鹿ノ谷駅
次の列車の到着は3時間40分後、それまで鹿ノ谷駅は静寂に包まれる。


鹿ノ谷駅
鹿ノ谷駅駅舎。


鹿ノ谷駅
駅舎入口にて。今年の干支は亥、夕張の鉄路は廃止されるが、猪突猛進のリスタートを切ってほしい。


鹿ノ谷駅
誰もいない鹿ノ谷駅の駅舎内。


鹿ノ谷駅
鹿ノ谷駅ノート。ここを訪れた人々の様々な思いが綴られる。


鹿ノ谷駅
黄色いハンカチをモチーフにした鹿ノ谷駅カード。


鹿ノ谷駅
2017年7月26日、北海道新聞の切り抜き。咲き誇る白い花と鹿ノ谷駅、北国の儚く短い夏とローカル線を感じられるいい写真、さすがですね。


鹿ノ谷駅
鹿ノ谷駅にて。


鹿ノ谷駅
鹿ノ谷駅夜景、この灯りはもうすぐ消える。


撮影日:2019年3月3日(日)
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夕張支線・清水沢駅 ~廃止まであと28日~

鹿ノ谷駅の次は清水沢駅、かつて大夕張鉄道の起点として多くの炭鉱関係者やその家族で賑わった。駅構内に野ざらしにされた大夕張鉄道のホームと線路跡、駅舎内にある切符売場の窓口は板壁に閉ざされ、不自然な床と壁の色にキオスクの痕跡を残す。往時の面影が諸行無常という言葉を胸に突き刺そう。




第6志幌加別川橋梁
鹿ノ谷~清水谷間、第6志幌加別川橋梁。複線だった時代の橋桁が残る。


第6志幌加別川橋梁
第6志幌加別川橋梁の夕張側(写真左奥)には稚南部トンネルがある。


第7志幌加別川橋梁
第6志幌加別川橋梁から清水沢方面に向かって約1.7km、再び志幌加別川を渡るのだが、ここに第7志幌加別川橋梁が架かる。夕張支線は川下に向かって橋梁名の数字が増えていく。


第7志幌加別川橋梁
第7志幌加別川橋梁も複線だった時代の橋桁が残っている。


清水沢駅
2ヶ月ぶりに訪れた清水沢駅。雪解けが少しずつ進んでいるようで、真冬の前回とは様相を違に。


清水沢駅
屋根から下がる氷柱も随分と小さくなった。


清水沢駅
清水沢駅の展示写真。昨年(2018年)8月、”ゆうばり夏まつり”での一コマ。清水沢駅に停車する列車、その駅前では祭りに集まった多くの人々で賑わう。この光景はもう見られない。


清水沢駅
タブレットを交換する様子をとらえた1枚、いい写真ですね。


清水沢駅
清水沢駅に展示する写真の中で一番好きなのは、やはりこの2枚の写真。キオスクがある待合所に、行く人と待つ人、様々な人間模様が垣間見えよう。


清水沢駅
しかし、かつてキオスクがあったはずの場所に今は何もない。床と壁の色が違っている隅がキオスクの跡。


清水沢駅
静かな駅舎内、暖かな陽光が射す。


清水沢駅
清水沢駅の駅ノート。


清水沢駅
改札口。今は改札をする駅員さんはいません。


清水沢駅
錆びついた駅名標。


清水沢駅08
現役の清水沢駅はこれで見納めだ。

残雪や 黒いダイヤが 夢の跡


撮影日:2019年3月3日(日)
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夕張支線・南清水沢駅 ~廃止まであと28日~

清水沢駅から新夕張方面へわずか1.5km行ったところ、国道452号沿いに南清水沢駅がある。昭和26年(1951年)夕張南高校(現 夕張高校)が移転したことで周辺一帯が市街化、昭和37年(1962年)に南清水沢駅が開業した。現在も駅周辺に小・中・高の学校があり、駅前にはAコープ南清水沢店が元気に営業、駅舎内では簡易委託の切符売場が窓口を開けている。夕張支線の途中駅では最も活気を感じる駅である。




第二志幌橋
清水沢~南清水沢間、国道452号に架かる第二志幌橋の横に第8志幌加別川橋梁。


第8志幌加別川橋梁
大正7年(1918年)に完成した第8志幌加別川橋梁。100年を経た建造物だけに老朽化が著しい。


南清水沢駅
国道452号沿いにある南清水沢駅。駅舎前には残雪が積もるが、前回に比べれば雪解けが進んだ様子。


南清水沢駅
ありがとう夕張支線実行委員会による駅ミニ写真展。


南清水沢駅
駅ミニ写真展の横には、ここを訪れる鉄道マニアに向けた感謝のメッセージ。こちらこそ長きに渡り夕張支線を見守ってくれて感謝の気持ちでいっぱい。


南清水沢駅
切符売場の窓口が開いていると、駅の雰囲気は随分と違うものだ。


南清水沢駅
廃線に向かって有終の走か…。夕張支線が無くなるのは本当に残念。


南清水沢駅
訪れた記念に乗車券を購入。


南清水沢駅
南清水沢駅の駅名標。


南清水沢駅
駅舎入口横の窓、駅ノートに書かれたメッセージのコピーがいっぱい貼られていた。


南清水沢駅09
その駅ノートのコピーに混じって駅からのメッセージ。
『逃しみの「線路ノート」にきざんでくれた方々、3/31のその日まで心に深く涙と共に飾りましょう。』
逃しみ?悲しみの誤字だと思うが、夕張支線と南清水沢を愛する気持ちが存分に伝わってくる。


熊の沢跨線橋
南清水沢~沼ノ沢間、熊の沢跨線橋より南清水沢方面。線路脇には南清水沢の停車場接近標識。


撮影日:2019年3月3日(日)
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夕張支線・沼ノ沢駅 ~廃止まであと28日~

”レストランおーやま”を併設する沼ノ沢駅。廃止後に駅舎を健全に残すのは、飲食店に利用されているここと夕張駅ぐらいなのかもしれない。あとは無用の長物として解体されるか、しばらく野ざらしにされるのか…。早々に鉄路を剥ぎ踏切は撤去されるのだろうが、駅舎がどういう運命を辿るのかは地元自治体と近隣の住民次第。深名線跡と留萌本線(留萌~増毛間)跡に度々足を運んでいる私にとっては、夕張支線が辿るであろう遠近の未来が何となく見えてしまう。




夕張川
沼ノ沢~新夕張間、ディーゼル音を唸らせながら夕張川を渡るキハ40形。本日、夕張に訪れて最初に撮った写真で、山間の夕張支線らしい晩冬の光景が見れた。


沼ノ沢駅
駅舎に”レストランおーやま”を併設する沼ノ沢駅。


沼ノ沢駅
駅舎内には”レストランおーやま”の入口がある。


沼ノ沢駅
沼ノ沢駅の駅名標。


沼ノ沢駅
改札口に掲げる古そうな駅名板。


沼ノ沢駅
夕陽が射し込む待合所。


沼ノ沢駅
あと28日でこの改札口は閉ざされる。


沼ノ沢~南清水沢
夕張へ向けて力強く走り抜けるキハ40形気動車、斜陽を浴びながら(沼ノ沢~南清水沢)。


新夕張駅
沼ノ沢駅から2.7km、夕張支線の起点となる新夕張駅。


新夕張駅
新夕張駅改札口。


新夕張駅
新夕張駅のきっぷ運賃表。もうすぐ新夕張~夕張間の表記は消される。


撮影日:2019年3月3日(日)
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夕張支線・夕張駅 ~廃止まであと28日~

でんと構えるホテルマウントレースイの前に小ぢんまりと小洒落た駅舎が佇む、そんな印象が深く残る夕張駅。今から127年前の明治25年(1892年)に開業し、昭和60年(1985年)営業キロを縮めて移転、平成2年(1990年)更に営業キロを縮めて現在地へ移転した。現在は”和(なごみ)”という喫茶店を併設、待合所には土産物店があり、駅前には”ゆうばり屋台村”があって多くの客で賑わう。はてさて、ここは廃止後にどんな運命を辿るのだろうか。




第5志幌加別川橋梁
夕張駅から約1km手前、志幌加別川に架かる第5志幌加別川橋梁。上流側(写真手前)に夕張鉄道の橋台が残存している。


第5志幌加別川橋梁
やはり第5志幌加別川橋梁にも複線時代の遺構が見られる。ちなみに第1~4の志幌加別川橋梁は、初代夕張駅から現夕張駅への移転する変遷に伴い今は跡形もなく撤去されている。


第5志幌加別川橋梁
日没間近、第5志幌加別川橋梁を走り抜けるキハ40形。


夕張駅とホテルマウントレースイ
夕張駅と後ろにでんと構えるホテルマウントレースイ。


夕張駅
駅舎内では土産物店が営業中。


夕張駅
夕張駅ノートとスタンプ。


夕張駅
廃止まであと28日、残された時間は少ない。


夕張駅
夕張駅の駅舎は廃止後も併設する喫茶店と観光案内所として残すのだろうか。


ゆうばり屋台村
駅前にある”ゆうばり屋台村”。


夕張黒ラーメン
前回訪れた時は売り切れで食べれなかった夕張黒ラーメン。スープが黒いだけではなく、麺も黒い。ラーメンなんだけど、ラーメンを食べている感覚じゃない不思議な見た目と麺の食感。しかし味はいい、是非とも夕張に来た際にはご賞味のほどを。


レースイの湯
夕張支線沿線を見て回り再び再び夕張駅に。レースイの湯に浸かって本日の最終列車を待つことにしよう。


夕張駅
静けさが漂う夕張駅構内。


夕張駅
19:20夕張駅に最終列車が到着。日中と違って乗降客はまばら。


夕張駅
19:28発追分行の最終列車となって折り返す。


夕張駅
「追分←→夕張」のプレートを見るのもこれが最後か。


夕張駅
出発を待つ19:28発追分行の最終列車。


夕張駅
夕張駅駅舎の夜景。


夕張駅
そして追分行の最終列車が発車。


夕張駅
土産物店のシャッターは閉じられ。


夕張駅
誰もいなくなって静寂を取り戻した駅舎内。


夕張駅
昨日買えなかった”ありがとう夕張支線弁当”。奇跡的に1個だけ残ってたので即購入。


夕張駅
現役の夕張駅を見るのはこれが最後。

さようなら夕張支線!127年間の長きに渡り、本当にお疲れさまでした。


撮影日:2019年3月3日(日)
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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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東海道 東海道を歩いてます。


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2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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