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小田原城址 ~御用米曲輪・弁才天曲輪・南曲輪・二の丸・本丸~

私にとって小田原城といえば、「北条氏」「堅城」「小田原評定」といった言葉がまず頭に思い浮かぶ。戦国期に関東で一大勢力を築いた北条氏。大河ドラマでも馴染みが深く、『武田信玄』で氏康を演じた杉良太郎さんはかっこよかったし、近年の『真田丸』で高嶋政伸が演じた氏政は、不気味でありながらどこか憎めない新たな氏政像を見た思いだ。その北条氏が本拠にしたのが小田原城、武田信玄や上杉謙信からの攻撃を退けた難攻不落の堅城というイメージが強い。

そして現代のサラリーマンにも通じるところもあろう「小田原評定」、天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原征伐で、北条方は城下町全体を空堀と土塁で囲む総構えを築き籠城。しかし援軍を見込めず勝機が見出せない状況で、和睦か抗戦かの対策について何度も評議を続けたが、むなしく時が流れるだけで結論に至らず。その間に秀吉は約15万もの大軍で城を包囲、石垣山一夜城を築くなどして長期戦に備える徹底抗戦の構えを見せ、遅きに失してついに北条氏は降伏した。四代目当主の氏政とその弟氏照は切腹、五代当主氏直は高野山蟄居となり、関東で一大勢力を誇った北条氏は滅びた。この故事から長いだけで結論が出ない会議を指して「小田原評定」と比喩する。

さてさて、小田原城散策の続き。旧御用米曲輪から弁天曲輪を経て二の丸、そして本丸へ。




御用米曲輪
線路沿いの神奈川県道73号を歩いて御用米曲輪に。ここは本丸北側の下に位置し、米などを保管する蔵が設けられていた。


蓮池弁財天
御用米曲輪北側の土塁に鎮座している蓮池弁財天。北条氏康が江の島の弁財天を勧請したことに始まりがあるとされる。


小田原城絵図(文久図) 御用米曲輪・弁才天曲輪
小田原城絵図(文久図)より、 御用米曲輪と弁才天曲輪。かつては弁才天曲輪の北側に蓮池と呼ばれる天然の水堀があり、その池の中島に弁財天が祀られていたようだ。


弁財天碑
弁財天通り路傍にある弁財天の旧町名碑。


蓮池跡
蓮池の弁財天が鎮座していた中島があったであろう場所。見ての通り蓮池は完全に消滅している。


弁才天曲輪跡
弁才天曲輪への出入口だった辺り。奥方向が城内、かつては右手が蓮池、左に二の丸堀、往時の面影を想像し難い現況。


弁才天曲輪跡
弁才天曲輪跡。周囲の水堀や空堀がほぼ失われている。


二の丸堀跡
弁財天曲輪と二の丸を隔てていた二の丸堀跡。かつては水堀だったが、今は水を失い堀の形状がわかる程度に整備されている。


弁才天曲輪跡
旧二の丸より弁財天曲輪の東端。堀や土塁が失われており、往時を想像するのは難しい。


二の丸堀
学橋より北方向の二の丸堀。


二の丸堀
学橋より南方向の二の丸堀。右手に二の丸隅櫓、奥に馬出門へ架かる”めがね橋”が見える。


本丸堀と二の丸
本丸堀と旧二の丸。二の丸には二の丸御殿が設けられていた。


江戸時代前期の二の丸御殿
現地解説板より、江戸時代前期の二の丸御殿(宮内庁図)。藩主の居館を兼ねて行政を担った建物で、寛永年間(1624~44)頃が最も規模が大きく壮麗だったが、元禄16年(1703)の元禄地震で倒壊し焼失、後に再建されて徐々に増築したものの、以前の規模には戻らなかったという。明治3年(1870)小田原が廃城となり解体された。


本丸堀
本丸と二の丸を隔てていた本丸堀、今は花菖蒲園として利用され水堀だったことを偲ばせている。


本丸堀02
本丸堀跡の花菖蒲園。訪ねたのが5月初旬で、見ごろには少々早い。6月になると約一万株の花菖蒲が花を開かせる。


小田原城跡のイヌマキ
旧二の丸にあるイヌマキの古木。小田原市指定天然記念物(昭和49年指定)。


二の丸隅櫓
二の丸南東の隅にある平櫓。大正期まで城内に唯一残っていた江戸期の建物だったが、関東大震災で倒壊し後に再建された。現在の櫓は江戸期のものより一回り小さい。
銅門土塀模型
旧二の丸銅門付近にある銅門の土塀模型。


銅門礎石


土塀模型横には鋼門の柱を支えていたと伝わる礎石。箱根外輪山産出の安山岩。


二の丸より銅門
二の丸から馬屋曲輪を繋ぐ出入口、銅門(櫓門)。二の丸の正門で、正規登城ルートにあたる。


銅門
銅門の名は扉の飾り金具に銅を使っていたことが由来とされる。


銅門枡形
銅門枡形。現在の銅門は平成9年(1997)発掘調査の成果や絵図を参考にして復元された。


住吉橋と銅門
馬屋曲輪より住吉橋と銅門(内仕切門)。


銅門より住吉堀
銅門(櫓門)より住吉堀を望み。


二の丸
銅門(櫓門)より常盤木門(写真奥)。あの門を潜り抜けた先が本丸。


常盤木門枡形
本丸正面出入口の常盤木門と枡形。江戸時代初期には設けられていた門で、元禄16年(1703)の元禄地震で倒壊、宝永3年(1706)枡形門形式で再建された。明治3年(1870)小田原の廃城に伴い解体。


常盤木門
本丸より常盤木門。


本丸御殿跡
かつて本丸御殿が設けられていた本丸。ここにあった御殿は徳川将軍家専用の宿所として使われたが、寛永10年(1632)の大地震で倒壊し、翌年に上洛する三代将軍家光の宿所として再建された。やはり他の建物と同様に元禄地震で倒壊、後に再建されることはなく現在に至っている。


江戸時代前期の本丸
現地解説板より、江戸時代前期の本丸(宮内庁図)。本丸御殿の間取りが詳細に描かれている。


天守閣
本丸より天守閣。


本丸のサル山
本丸にある檻に入ったサル山。猿にとってはちょっと狭そう。


鉄門跡
本丸裏口にあたる鉄門跡。本丸と御用米曲輪を繋ぐ門だったが、現在は消え失せている。


天守閣
城の象徴的建物である天守閣。江戸期には”殿主”や”殿守”と記され、”天守閣”と呼ばれるのは明治期になってからのこと。小田原城の天守はご多分に漏れず元禄地震で倒壊したが、宝永2年(1705)に再建、明治3年(1870)に廃城されるまで存在した。現在の天守閣は昭和35年(1960)に鉄筋コンクリート製で再建されたもので、平成28年(2016)に耐震性と展示に関して全面的なリニューアルが行われた。


天守閣より本丸
天守閣最上階より本丸と常盤木門。


天守閣より鉄門跡
天守閣最上階より鉄門跡。


天守閣より東曲輪
天守閣最上階より北西方向、八幡山古郭(戦国期の小田原城)の一つ、東曲輪を望む。


天守閣より石垣山一夜城跡
天守閣より箱根方面。写真中央付近、送電塔のある辺りが石垣山一夜城跡。


天守閣より真鶴半島と相模湾
天守閣より南方向、相模湾と真鶴半島。


こども遊園地
天守閣裏手にある”こども遊園地”。


こども遊園地
現地解説板より、昭和30年頃の”こども遊園地”。小さな曲輪があったことがわるが、その機能は不明。江戸時代前期の小田原絵図には屏風岩と記されている。


こども遊園地
上の写真と近いアングルで撮影。屏風岩の曲輪にあった遊具は撤去されているが、豆汽車の線路だけは今もそのまま。


屏風岩の曲輪跡
屏風岩の曲輪跡より天守閣。屏風岩の曲輪は八幡山古郭の最前線にあり、おそらくは”武者溜り”の役割がったのではないか。江戸期には無用の長物と化していたのだろう。


豆汽車
屏風岩の曲輪より豆汽車を眺め。


こども遊園地
豆汽車の線路は郭をぐるっと一周。


小田原市立図書館
屏風岩から本丸南側へ移動。小田原市立図書館辺りが旧南曲輪で、左上が本丸、本丸堀跡に道が通されている。


本丸石垣
関東大震災で滑り落ちた本丸石垣。この辺りは奇跡的に石積みが崩れずに滑り落ちたため、往時の姿が見られる部分。


本丸の鉢巻石垣
現地解説板より、往時の本丸石垣と現況の比較をわかりやすく図示している。


小田原市立図書館
本丸堀跡。左が図書館で旧南曲輪。


小田原市郷土文化館
旧南曲輪に建つ小田原市郷土文化館。


早川石丁場群の切石
早川石丁場群の切石。かつて箱根外輪山の早川に面した山腹には石垣用の石を切り出す”石丁場”が広く分布して存在し、現在は総称して早川石丁場群と呼ぶ。江戸時代初期に早川石丁場群で産出された切石は江戸城の石垣に使用された。


二の丸東堀
小田原城散策を終え、二の丸東堀筋を歩いて小田原駅へ向かう。


蒲鉾と鯛めし
帰りの新幹線内にて。お土産の蒲鉾と晩飯の鯛めし。


撮影日:2019年5月1日(水)
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テーマ : 街道の旅
ジャンル : 旅行

札沼線(北海道医療大学~新十津川) ~廃止まであと339日~

来年(2020年)5月6日の運行をもって廃止される札沼線(北海道医療大学~新十津川)、その後も桑園駅~北海道医療大学駅間は存続するが、有名無実化した”札沼線”という路線名は鉄路と共に消え失せるのだろう。廃止まで1年を切った6月、清々しい初夏の北海道を訪れた。これから最後の夏、最後の秋、最後の冬を迎え、そして春にラストランとなる札沼線、残された時間は少ない。




鶴沼駅
まずは2年ぶりに鶴沼駅へ。


鶴沼駅前
人影のない駅前通り。


鶴沼駅
鶴沼駅待合所と乗降ホーム。


鶴沼駅
駅名標には学園都市線。すでに札沼線の表記はない。


鶴沼駅
待合所内、2年前と変わった様子はないが…。


鶴沼駅
出入口の扉が外れちゃってます。


鶴沼駅発車時刻表・運賃表
発車時刻表と運賃表。1日の発着列車は9:11発新十津川行と、10:17発石狩当別行のみ。


鶴沼駅
10:17発石狩当別行が到着。


鶴沼駅
鶴沼駅に停車する10:17発石狩当別行。シャッターチャンスは1日2回だけ。


鶴沼駅
石狩当別行が発車、次の列車が来るのは明日の9:11。


札的駅
鶴沼駅から浦臼駅を挟んで二駅手前、札的駅へ移動。


札的駅
札的駅駅名標。


札的駅
札的駅待合所内。前回訪れたときは12月末だったので除雪車が置いてあったが、それが無いぐらいで特に変わった様子はない。


札的駅
待合所出入口。


札的駅発車時刻表・運賃表
発車時刻表と運賃表。石狩当別~浦臼間は1日6往復。


札的駅
駅ノートの横に折り鶴。訪れた人へのささやかなお土産。


札的駅
札的駅横、札的通り踏切を通過する浦臼行。


札的駅
札的駅に停車する12:41発浦臼行。


札的駅
定刻通りに次の浦臼駅へ向けて発車。


浦臼駅
先ほど札的駅で見送った列車を追いかけ、浦臼駅に。


浦臼駅
深く青く澄み渡った空、最後の初夏を迎える浦臼駅。


浦臼駅
浦臼駅とキハ40形、いい光景です。


浦臼駅
12:44当駅着、13:21発の石狩当別行となって折り返す。


浦臼駅
浦臼駅北側の集治監沢踏切より駅構内。この踏切を列車が通過するのは1日2回、雪が降った日にはラッセル車が何度か通過するのだろう。


浦臼駅
出発を待つ13:21発石狩当別行。


晩生内駅
浦臼駅より札幌・石狩当別方面へ2駅目、晩生内駅へ移動。


晩生内駅
晩生内と書いて”おそきない”と読む難読駅名。


晩生内駅
駅舎内出入口側、有人駅時代の切符売場が残っている。


晩生内駅
改札口。


晩生内駅
駅舎構内側、改札口には改札用の柵が残っている。


晩生内駅
いつから使われているのだろう、古びたベンチ。


晩生内駅
駅ノート横には新・平家物語のハードカバー。しかも帯付き。


晩生内駅
晩生内駅に停車する13:29発石狩当別行。乗降客は無し。


晩生内駅
次の札比内駅へ向けて発車。


新十津川駅
本日の最後は終着駅の新十津川駅。


新十津川駅
ようこそ新十津川へ。


新十津川駅
次に列車が来るのは明日の9:28、ここが賑わうのは1日1回だけで、それ以外は訪れる人もまばら。


新十津川駅
ラストランまであと339日。


撮影日:2019年6月2日(日)
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咸臨丸 ~サラキ岬に沈んだ江戸幕府の軍艦~

日本人が操舵して初めて太平洋を横断した軍艦をご存じだろうか。その名を咸臨丸(かいりんまる)という。江戸時代末期に幕府が発注してオランダで建造された”3本マストのバーク型スクリュー式木造蒸気船”。何だかよくわらない型式の船であるが、簡単に言えば木造帆船ながら蒸気機関を備える当時の日本にとっては最新鋭の大型軍艦だったというところか。万延元年(1860)、軍艦奉行”木村摂津守喜毅”や軍艦操練所教授方頭取”勝海舟”が乗艦し、日米修好通商条約の批准書交換のため幕府遣米使節団が乗船するアメリカ軍艦ポーハタン号に同行、37日間をかけて太平洋を横断しアメリカへ渡った。

戊辰戦争時には品川沖から脱走して蝦夷へ向かう榎本武揚率いる艦隊に参加したが、咸臨丸は観音崎で座礁して後れを取ったうえ、房総沖で暴風雨に見舞われ漂流、清水港に寄港していたところを明治新政府軍に拿捕。のち開拓使所管の運送船となる。明治4年(1871年)北海道への移住を余儀なくされた仙台藩白石城主片倉小十郎の家臣団401名を乗せ、仙台松島湾の寒風沢から小樽へ向けて出港、函館で寄港したのち津軽海峡を進んでいたところサラキ岬沖で座礁した。乗船者は地元泉沢の住民によって全員救助され、そののちに咸臨丸はゆっくりと沈没していったという。

それから113年が経った昭和59年(1984)11月、サラキ岬沖合2km、水深20mの海底から咸臨丸のものと見れられる大きな錨が引き揚げられる。




咸臨丸難航図
木古内町郷土資料館の展示より、咸臨丸難航図

咸臨丸が荒天の太平洋を航海する様子を描く。作者は幕臣の鈴藤勇次郎という人物で、長崎でオランダ人に航海術を学び、咸臨丸運用方として木村摂津守喜毅や勝海舟と共に太平洋を横断し渡米。戊辰戦争時には病のため榎本武揚が率いる旧幕府艦隊に参加できず、慶応4年(1868)自刃した。享年43歳。


品川出航の図
木古内町郷土資料館の展示より、品川出航の図

慶応4年(1868)4月、江戸城が無血開城してから4ヶ月後に榎本武揚は旧幕府軍艦8隻を率いて品川沖を脱走、航路を蝦夷地へ向ける。旗艦は開陽丸で、回天・蟠龍・千代田形の軍鑑、輸送船として神速・長鯨・咸臨・美嘉保が随行する8隻からなる艦隊だった。しかし、咸臨丸は座礁と荒天という不運が重なり清水港に寄港していたところ、追いついた新政府軍の軍艦に抗戦、乗組員の多くが戦死し捕虜となった。


咸臨丸最後の航路02
木古内町郷土資料館の展示より、咸臨丸最後の航路

明治4年(1871年)9月12日、咸臨丸は仙台藩白石城主片倉小十郎の家臣団401名を乗せ寒風沢を出港。航海中に乗船者の一人が病死したため、函館に寄港して埋葬し、同日夕刻に小樽へ向けて出港した。


咸臨丸最後の航路(津軽海峡)
木古内町郷土資料館の展示より、咸臨丸最後の航路(津軽海峡)

函館を出港した咸臨丸は津軽海峡を西へ進んだが、南からの強風に煽られ、更に日本海からの潮流に流されて、サラキ岬付近で岩礁に乗り上げ座礁。船がすぐに沈まなかったため、奇跡的にすべての乗船者が救助された。


白石藩片倉小十郎家臣団・乗船者名簿
サラキ岬設置の解説板より、咸臨丸最後の乗船者である白石藩片倉小十郎家臣団401名。


サラキ岬
サラキ岬より咸臨丸が沈んだ津軽海峡を望む。


サラキ岬
この海のどこかに咸臨丸が沈んでいるはずだが、いまだに咸臨丸のものと見られる錨が発見されたのみ。毎年探索が続けられているようなので、今後の成果に期待したい。


サラキ岬より泉沢
サラキ岬より泉沢の集落を望む。咸臨丸が座礁した際、ここの住民たちが救助にあたったおかげで、乗船者に死者を出すことはなかった。白石藩片倉小十郎家臣団にとっては意に沿わない蝦夷地への移住だったと思うが、ここで命を救われ蝦夷に生きる意志を固くしたのではないだろうか。


咸臨丸モニュメント
サラキ岬にある咸臨丸のモニュメント。咸臨丸とサラキ岬に夢みる会・木古内町観光協会、地元の企業や支援者が協力し製作したもの。咸臨丸への愛を感じます。


木古内町郷土資料館 いかりん館
木古内駅より徒歩約30分、鶴岡地区に木古内町郷土資料館”いかりん館”がある。ここは平成23年(2011)に閉校した鶴岡小学校の旧校舎で、同27年(2015)に郷土資料館として開館した。平成26年(2014年)に廃止された江差線や咸臨丸に関する展示が充実しており、ここに咸臨丸のものとみられる錨が展示されている。


咸臨丸のものと推定される錨
咸臨丸のものと推定される錨。昭和59年(1984)11月、サラキ岬沖合2km、水深20mの海底から発見された。東京大学総合研究博物館炭素年代分析室や民間機関で調査した結果、年代的に近いうえ欧州で製造されたものとわかり、咸臨丸の錨である可能性が高いらしい。


咸臨丸模型
錨の前に展示される咸臨丸模型。ホントかっこいいわ!


咸臨丸データ
咸臨丸データ。定員95人(推定)に目が留まる。沈没当時は軍艦から輸送船に用途が変わっていたとはいえ、401名もの乗船者がいたことを鑑みると、過剰積載が事故の直接原因だったと考えてしまう。


咸臨丸のものと推定される錨
咸臨丸模型と錨。


「山形荘内藩士上陸之地」碑
”いかりん館”に隣接する鶴岡農村公園に「山形荘内藩士上陸之地」碑が置かれている。咸臨丸がサラキ岬に沈んでから14年後の明治18年(1885年)、山形庄内藩士105戸が酒田港より御用船で海を渡り当地へ上陸、身命を賭して開拓に励んだ。鶴岡という地名はこれに由来する。碑文は旧庄内藩主酒井家17代当主酒井忠明による揮毫。


咸臨丸とサラキ岬のタイルアート
木古内小学校・中学校の生徒が協力のもとで製作されたタイルアート、咸臨丸とサラキ岬をモデルにした素敵な作品だ。木古内の方々にとって咸臨丸は特別な存在だということを感じよう。木古内駅北口に設置。


木古内町郷土資料館”いかりん館”の展示や周辺に見どころ多く、以下に少々余談を↓

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道南いさりび鉄道 ~泉沢駅・釜谷駅・渡島当別駅~

木古内からサラキ岬へ向かうため、道南いさりび鉄道に乗車して泉沢駅で下車し、歩いてサラキ岬へ。咸臨丸が沈んだ津軽海峡を望んだ後、更に歩いて釜谷駅、渡島当別駅まで見て回った。以前から道南いさりび鉄道の各駅を訪ねてみたかったので、今回はその第1弾、木古内駅から札苅駅を次の機会にとばして渡島当別駅までを。

道南いさりび鉄道は平成28年(2016年)北海道新幹線(新青森~新函館北斗間)の開通に伴い、在来線の函館~木古内間(江差線、津軽海峡線)がJR北海道から経営分離され、第三セクター鉄道として運営が開始された。かつては北海道と本州を結ぶ幹線鉄道として特急の”はつかり”や”白鳥”、”スーパー白鳥”をはじめ、寝台特急の”日本海”や”北斗星”などが走り抜けた鉄路。私は18歳で上京してから北海道との往来に何度ここを通過したことだろう。津軽海峡線には思い出が多いなあ。




木古内駅
まずは道南いさりび鉄道の終点、木古内駅から。10:40に木古内駅で”はやぶさ1号”を降車して撮影。


木古内駅
キハ40形を改装した”ながまれ号”が出発を待つ。

地域情報発信列車ながまれ号
https://www.shr-isaribi.jp/nagamare/


木古内駅
道南いさりび鉄道の駅舎内に設けられている”きこない鉄道コレクション”。


木古内駅
木古内駅北口(新幹線駅口)。箱館戦争に関わった旧幕府方主要人物の解説柱が所々に設けられている。写真は伊庭八郎のもの。3ヶ月前に旧街道歩きで訪れた小田原と箱根湯本の間、山崎という地で伊庭八郎の名を見たことを思い出す。戊辰戦争の局地戦、箱根山崎の戦いで伊庭八郎は旧幕府遊撃隊を率い、小田原藩を先鋒とする新政府軍に抗戦。この一戦で片腕を失い隻腕の剣客と呼ばれることになる。


木古内駅
木古内郷土資料館”いかりん館”の見学を終えて木古内駅に戻り。ホームでは15:19発函館行の列車が待つ。


木古内駅
4・5番ホームへ降りて。


函館行キハ40形
これに乗車する。目的地はサラキ岬の最寄、泉沢駅。


函館行キハ40形
「函館←→木古内」の行先プレート。


木古内駅
木古内駅の駅名標。


函館行キハ40形
道南いさりび鉄道のキハ40形もいい顔をしてます。


函館行キハ40形
発車まで20分くらいあったので、車内はガラガラ。


泉沢駅
木古内駅から札苅駅を経て泉沢駅着。跨線通路より乗ってきた列車を見送り。


泉沢駅
次の釜谷駅に向けて。


泉沢駅
泉沢駅の2・3番乗降ホーム。駅の発車時刻表を見る限り、全ての函館行は3番ホームで発着する。1番が木古内行。2番は通常発着に使われていない。


泉沢駅
泉沢駅構内。


泉沢駅
駅舎内には切符売場があるが、窓口は閉じていた。日曜日以外は簡易委託で切符を販売しているらしい。記念に切符を買いたかったが、本日は日曜日…。


泉沢駅前通り
泉沢駅前通り。


泉沢駅
泉沢駅の駅舎。泉沢駅は昭和5年(1930)上磯線(後の江差線)の有人一般駅として開業、昭和57年(1982)荷物扱い廃止とともに無人化されたが、国鉄からJR北海道へ経営が継承されて後に簡易委託の切符販売がはじまった。JRから分離して第三セクター鉄道となった現在も続けられている。


古泉神社鳥居
泉沢駅前の国道228号を函館方面へ向かって約700m、亀川を渡る手前に古泉神社の鳥居が立つ。


サラキ岬
そして、前の記事に書いたサラキ岬。


サラキ岬
サラキ岬を貨物列車が通過。


釜谷駅
サラキ岬から国道を歩いて釜谷駅に。


釜谷駅
釜谷駅の開業は泉沢駅と同じく昭和5年(1930)。それから40年後の同45年(1970)に貨物・荷物扱い廃止、無人駅となり切符販売が簡易委託化された。同61年(1986)現在のコンテナ駅舎に建て替えられる。


釜谷駅
釜谷駅17:13発木古内行が発車。


釜谷駅
次の泉沢駅に向けて。


釜谷駅04
元々は無人の待合所程度で設置されたのだろうが、現在の駅舎内は見ての通り明るい雰囲気。デスクを置いて”きっぷうりば”としているのが微笑ましい。泉沢駅と同じく日曜日はやってないのか、人はいない。


釜谷駅
過去にはテレビに取り上げられたようで。


釜谷駅
釜谷駅のホームを見ていたら、貨物列車が入線。


釜谷駅
そして停車。10分くらいか、しばしホーム上に足止め。


釜谷駅前通り
釜谷駅前通り。ここから国道に出て次の渡島当別駅へ歩こう!


国道228号
釜谷~渡島当別間、線路と海峡に挟まれて延びる国道228号。


渡島当別駅
そして日没直前に渡島当別駅へ。


渡島当別駅前
渡島当別駅前。今もやってそうな商店が1軒ある。それだけでも嬉しくなってしまう。


渡島当別駅
トラピスト修道院の最寄り駅だけに駅舎内にはそんな雰囲気も。


渡島当別駅
駅舎内の待合室。泉沢駅や釜谷駅に比べて大きく立派な駅舎だが、切符売場は無いようだ。ただし、郵便局が併設されている。


渡島当別駅
渡島当別駅構内。


渡島当別駅
列車の到着を待っていたらすっかり日が暮れ。


渡島当別駅
19:21発函館行が間もなく到着。


渡島当別駅整理券
渡島当別駅の整理券。


函館駅
渡島当別駅から約40分で函館駅着。


旅して青森 恋して函館
旅して青森 恋して函館。


函館駅
1年ぶりの函館。ホテルのチェックイン前にハセストへ”やきとり弁当”を買いに行こう!


撮影日:2019年8月4日(日)
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政和アートFes 2019

今年(2019年)も”政和アートFes”に行ってきた。幌加内町政和地区の旧政和小学校で毎夏に開催される”政和アートFes”は、3年前に初めて訪れて、今では楽しみの一つになっている。ここを訪れると旧小学校校舎に踏み入ってノスタルジーに浸れるだけでなく、独創的な美術作品が遊び心満載に校舎内で展示され、何だか童心に帰って楽しめてしまう。私にとって幌加内町の風景、かつてそこを走り抜けた深名線は少年時代を思い出させてくれる特別な存在、そんな場所で開催される”政和アートFes”がいつまでも続いてほしいと本心から願う。ソバに次ぐ幌加内町の名物として。

政和アートFes
http://seiwa-artfes.moo.jp/



政和アートフェス
今年もやってきました、”政和アートFes”に!


旧政和小学校
会場はもちろん旧政和小学校。


体育館
まずは体育館に。今年は段ボール箱が天井まで積み上げられていた。遊び心が満載で楽しい。


政和アートフェス
球をコロコロ転がしてさせて遊ぶやつ。球以外は全て鉄で作られた今年の新作だ。どんどんコロコロ、そして最後にチーン。楽しい。


理科室
2階の理科室へ。


理科室
錆びた鉄で作られた作品を展示。


理科室
独創的な作風と展示は写真からも伝わってこよう。


書庫
書庫へ入るべし。


書庫
ここにも積み上げられた段ボール箱。そしてその中央にはモリノヌッシー、書庫に移設されてしまったんだね。


廊下と教室
2階の教室と廊下。


教室
静寂の教室内、無機質な鉄製の作品が所々に置かれ、ここは他と違ってちょっと暗い雰囲気。


廊下のガラスアート
廊下にあったガラスアート。意味がちょっとわからないが、なんか面白い。


図書室
廊下を歩いて図書室へ。


図書室
今年も図書室にありました、お気に入りの黒板アート。


図書室
以前に比べて退色してしまっているが、まだまだ健在。幌加内の自然を感じる素敵な作品だ。


図書室
図書室にはもちろん本棚があります。


教材室
扉が閉じられる教材室。


1・2年教室
1・2年教室へ入ろう。


1・2年教室
1・2年教室では去年と同じく銅版画を展示。


1・2年教室
壁に銅版画、教室の窓を借景にして、その真ん中には大きな自然石?と思ったが、これも作品。面白いでしょ、この感じ。


手洗い場
1・2年教室出入口前、手洗い場にはソーバーマンとワルジカが来訪者を迎える。


ONE DAY(ある日)
”ONE DAY(ある日)”というタイトルが付けられた作品。なんか、ぼーっとくつろぐクマなんだけど、ヒグマではなくツキノワグマのようだ。


教室
この色のコントラスト。


教室03
図工室に隣接する教室。ここには去年までモリノヌッシーが住んでいたのだが…。


バム
モリノヌッシーに代わって鎮座するのが、バムという謎すぎる生物の作品。我慢を溜め込んで破裂寸前の生物らしい。ちょっと、いや、だいぶ怖い。


物品庫
物品庫。


物品庫
どうですか、この物品庫の雰囲気。


物品庫
物品庫という日の目を見ない場所だけに、このコントラストが異様に感じてしまう。


図工室
物品庫から明るい雰囲気の図工室、アトリエ千の花に。


図工室
図工室の展示。


図工室
ステンドクラスの灯りが図工室の一角を照らす。


保健・放送室
2階から1階に降りて保健・放送室。レコードジャケットが壁一面に飾られる。


THE HIGH SENS
最後に、政和アートフェスを主宰する吉成さんにコーヒーをご馳走になりつつ、こんな冊子を紹介されて読み込んでしまった。”THE HIGH SENS”というタイトルで、旧深名線の駅跡を紹介していた。深名線を偲び愛してくれる人が、今もいてくれたことが嬉しい。


撮影日:2019年8月10日(土)
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札沼線に乗って札幌から石狩沼田へ行こう ~前編~

札沼線という路線名は、かつて札幌から石狩沼田を繋いだことに由来する。昭和47年(1972)新十津川~石狩沼田間が廃止されその路線名は有名無実と化し、今では愛称の学園都市線に取って代わられている。来年(2020)5月に北海道医療大学~新十津川間が廃止された後、札沼線という名は完全に消え失せるだろう。

そうなる前に札沼線という路線名の由来を体感してみたい。札沼線と公共交通機関のバスを乗り継いで札幌から石狩沼田へ行ってみよう。まずは札幌駅から浦臼駅へ。




札幌駅北口
8月初旬の早朝、札幌駅北口に。


札幌駅
札幌駅6:21発石狩当別行に乗車しよう。


札幌駅
札幌駅10番線で発車を待つ石狩当別行。


浦臼行
6:59石狩当別駅着、7:02発浦臼行に乗り換える。


本中小屋駅
車窓から本中小屋駅。


本中小屋駅
本中小屋駅で1人の旅客を降ろし、定刻の7:17に発車。


中小屋駅
車窓から中小屋駅。ここでも1人が降車。


月ヶ岡駅
車窓から月ヶ岡駅。乗降客なし。


知来乙駅
7:30知来乙駅着。1人が降車。


石狩月形駅
7:34石狩月形駅着。


石狩月形駅02
石狩月形駅での停車時間は1分。乗客1人、降客数名。


豊ヶ岡駅
札沼線を代表する秘境駅であり、テレビにも取り上げられた豊ヶ岡駅に。


豊ヶ岡駅
車窓から豊ヶ岡駅の待合所。


札比内駅
7:46札比内駅着。1人の降客。


札比内駅
札比内駅での停車時間はわずか、すぐに発車。


晩生内駅
7:52晩生内駅着。


晩生内駅
晩生内駅でも1人の降客。


札的駅
7:57札的駅着。ここで2人を降ろし。


浦臼行車内
車内は貸し切り状態に。


浦臼駅
定刻通りの8:00に浦臼駅着。


浦臼駅
終点の浦臼駅で下車。


浦臼駅
浦臼駅発車時刻表。乗ってきた列車は8:08発石狩当別行となって折り返す。


浦臼駅
浦臼駅から数名の乗客。


浦臼沢踏切
8:08浦臼発石狩当別行の列車が浦臼沢踏切を通過して浦臼沢川を渡る。


浦臼市街
9:06浦臼発の新十津川行まで約1時間、浦臼駅周辺を散策しよう。国道275沿いの浦臼市街。


浦臼市街
国道沿いにはこんな素敵な軽食喫茶の”舘”という店も。朝飯でもと思ったが、開店時間前だったようで…。


浦臼市街
浦臼はワインが名産品の一つ。尾花商店の店構えもいい。


浦臼市街
国道沿い、浦臼役場前バス停横には”おおわき呉服店”。


ローソン 浦臼町店
ローソン浦臼町店。コンビニが無かった浦臼町に今年(2019)6月オープン。建物や看板が真新しいわけだ。


三元豚の厚切り」ロースサンド
三元豚の厚切りロースサンドを購入しイートインで朝飯に。


浦臼駅前通り
ローソンから駅前通りを歩いて浦臼駅に戻ろう。9:06発の新十津川行を逃すと明日になっちゃうからね。


訪問日:2019年8月6日(火)
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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
千葉県在住。

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東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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