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札沼線に乗って札幌から石狩沼田へ行こう ~中編~

札幌駅6:21発石狩当別行に乗車し、石狩当別駅7:02発浦臼行に乗り換え、閑散とした車内ながら、けたたましいディーゼル音に包まれて約1時間で浦臼駅に着いた。浦臼駅で乗り換える新十津川行は学園都市線を名のっていながら、9時から10時台にかけて1日1往復という通学に使うには不可能な究極のローカル線。よくぞ令和時代まで生き残ってくれた感が強いだけに、来年(2020)5月6日の運行をもって札沼線(北海道医療大学~新十津川)が廃止されるのは非常に残念。そんな現況だけに浦臼駅から乗車した新十津川駅行の車内は、廃線を惜しむ人たちが多く乗車して80%程の乗車率。浦臼駅から車窓に広がる田園風景を眺めなつつ、究極と言えようローカル線の旅を楽しみながら新十津川駅へ。




新十津川行
浦臼駅に9:06発新十津川行が到着。これに乗車する。


下徳富駅
浦臼駅から鶴沼、於札内、南下徳富を経て下徳富駅に。


下徳富駅
9:21下徳富駅を発車。


「札幌→新十津川」乗車券
「札幌→新十津川」乗車券。経由に”札沼”と記載されているのが嬉しい。


新十津川行車内
新十津川行運転席。


新十津川駅
9:28新十津川駅着。旅客がぞくぞくと下車。


新十津川駅
折り返しの発車まで約30分、大半の旅客はここで僅かな滞在時間を楽しんで折り返しの列車で札幌方面へ帰ってゆく。


新十津川駅
1日1回、新十津川駅は旅人で賑わう。


新十津川駅
「新十津川←→石狩当別」の列車が見られるのも、あと9ヶ月。


新十津川駅
新十津川駅の駅舎内。ラストランまであと274日、残された時間は少ない。


新十津川駅
10:00発の石狩当別行が発車するまで駅周辺はひと時の賑わい。


新十津川駅
今日は平日なので1両編成だが、休日は2両編成で運行されている。


新十津川駅
発車を待つ石狩当別行。


新十津川駅
改札口を通ってぞくぞくと乗客が。


新十津川駅
乗車率100%を超えていそう。


新十津川駅
発車時間が迫り。


新十津川駅
地元の方々が新十津川を訪れた旅人を見送る。


新十津川駅
そして1日1回しか来ない列車が発車。また明日ー!

私は列車を見送り、橋本町バス停へ向かう。後編へつづく。


訪問日:2019年8月6日(火)
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テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

札沼線に乗って札幌から石狩沼田へ行こう ~後編~

新十津川駅から歩いて約20分、国道275号筋の橋本町バス停へ移動し、10:33発の碧水市街行の中央バスに乗車、バスに揺られること約40分で碧水市街に到着する。目的地の石狩沼田駅まであと約8km、碧水地区には昭和47年(1972)まで札沼線の碧水駅があり、鉄道であれば約13分で石狩沼田駅に行けたのだが、今となっては路線バスすら廃止され、公共交通機関を使って沼田へ行くことができない。真夏の北海道、気温は30度を超えている、もはや覚悟を決めて自分の足で行くしかない。




旧徳富川橋梁
新十津川駅から国道275号を歩いて新十津川橋を渡る。徳富川上流方向には旧札沼線の徳富川橋梁が残る。


中央70・71交差点
国道275号から滝川方面の国道451号が分かれる中央70・71交差点。


新十津川町の宣伝塔
交差点近くに設置される新十津川町の宣伝塔と、新十津川の老舗酒蔵、金滴酒造。


金滴酒造
明治23年(1890)に十津川郷(現 奈良県吉野郡十津川村)の村民らが当地へ移住、明治39年(1906)西村直一・宇治川伊三郎ら9名が発起人となり創立した”新十津川酒造株式会社”が金滴酒造の前身。


橋本町バス停
国道275沿いにある橋本町バス停。


橋本町バス停時刻表
碧水市街行バスの運行は1日4本。石狩当別7:45発新十津川行に乗車すれば9:28に新十津川駅着、駅から歩いて20分程度なので、10:33発の碧水市街行バスには余裕をもって乗り換えられる。


橋本町バス停
少し遅れて碧水市街行バスが到着。


碧水市街終点降車場
約40分バスに揺られて、碧水市街に到着。橋本町から乗車して数名の乗客がいたが、途中の北竜中学校バス停で私を残して全ての客が降車し、終点で降りたのは私だけ。


碧水市街終点降車場
碧水市街終点降車場。ここから石狩沼田方面へ行く公共交通機関は無い。


碧水神社
碧水神社に参拝。石狩沼田駅までの道中安全を祈願して。


旧碧水駅前
農業倉庫が建ち並ぶ旧碧水駅前。


旧碧水駅前
往時を偲ぶ旧駅舎。


旧碧水駅駅舎
正面出入口には”へきすい”の標識を掲げる。所有者の粋な計らい。


旧碧水駅駅舎
小ぢんまりとした旧駅舎は倉庫として再利用されている。


碧水駅構内跡
碧水駅構内跡。ホームや路盤の痕跡は見られない。


札沼線(碧水~北竜)跡
碧水駅構内跡より石狩沼田方面、線路跡は道路になっている。


札沼線(碧水~北竜)跡
碧水駅跡から石狩沼田方面へ150m程行ったところ、線路跡より旧碧水駅方向。


札沼線(碧水~北竜)跡
上写真地点より石狩沼田方面。線路跡に敷かれた道路は国道233号に突き当たって途絶える。かつては奥方向に札沼線が延びていたのだが、その痕跡は何も無い。


セイコーマート へきすい店
セイコーマートへきすい店で梨味の”いろはす”を購入。北海道とはいえ30℃を超える真夏日、石狩沼田まで頑張って歩こう。


国道275号 北竜町・沼田町境
国道275号を北上し、北竜町から沼田町へ。


札沼線(碧水~北竜)跡
札沼線(碧水~北竜)跡の田園地帯にコンクリート製の橋らしき建造物が。


札沼線(碧水~北竜)跡
コンクリート製の建造物に近づいてみる。


札沼線(碧水~北竜)跡
位置関係や橋幅から札沼線の旧鉄道橋のようだ。スマホで調べてみたところ、間違いなさそう。往時は盛り土された路盤が橋に繋がっていたのだろうが、今は均されて田んぼになっている。何ゆえ、このコンクリート橋だけが残されたのか…。


札沼線(碧水~北竜)跡
今から50年前、ここを列車が走り抜けていたと想像できるだけに、このコンクリート橋は存在価値があろう。


札沼線(碧水~北竜)跡
今は列車がやって来ることもなく、アオサギが羽を休める。


札沼線(碧水~北竜)跡
コンクリート橋から石狩沼田側の線路跡は水田の境になっている。


札沼線(碧水~北竜)跡
上写真の位置から石狩沼田方面の札沼線跡。ここにもコンクリート橋が架けられているが、高さや幅から廃止後にトラクターの往来用に架けられたものだろう。


札沼線(碧水~北竜)跡
碧水駅方面から東北東に進んでいた札沼線が、大きく北方向へ曲がっていた地点。写真は碧水方面。


札沼線(碧水~北竜)跡
さっき見た旧札沼線のコンクリート橋を遠望。


札沼線(碧水~北竜)跡
碧水~北竜間のカーブ地点、札沼線跡。遺構は何も残っていないが、ここでこんなものを発見↓


札沼線(碧水~北竜)跡
もしかしてレール?


札沼線(碧水~北竜)跡
レールで間違いない。劣化具合から札沼線で使われていたレールの可能性が高い。何でここに放置されているのだろうか。


北竜にて
もうすぐ北竜市街、電柱には大量の鳥が。ムクドリかと思ったが、どうもスズメのようだ。


札沼線(碧水~北竜)跡
札沼線跡碧水側より北竜駅跡を望む。完全に田畑地帯と化しているので、駅跡が全くわからない。


北竜駅_MHO631X-C2-7_1963
空中写真データ:国土地理院 整理番号MHO631X-C2-7を基に作成

昭和38年(1963年)撮影、北竜駅付近の空中写真。上が石狩沼田、下が新十津川方面。駅から東へ直線に駅前通りが延び、国道275号に突き当たっている。現在の駅跡は田地となり、駅前通りも途中から消失している。北竜駅は起点の桑園駅から106km、終点の石狩沼田駅まで5.4Kmで、雨竜郡沼田町北竜に所在した。昭和6年(1931)一般駅として開業、昭和47年(1972)新十津川~石狩沼田間の廃止に伴い廃駅。


北竜駅_1968-9
沼田町ホームページより引用

昭和43年(1968)9月撮影の北竜駅。隣の碧水駅と同型の駅舎だったことがわかる。


旧北竜駅前通り
北竜駅跡側より国道275号方向に延びる旧駅前通り。


北竜駅跡
旧駅前通りが突き当たった地点から西方向。道が無くなっているがこの先に北竜駅があったはず。


旧北竜駅前通り
国道275号より旧北竜駅前通り。


北竜市街
国道275号沿い、北竜市街。ここって実は北竜町じゃなく、沼田町だったんだね。


沼田農協農業倉庫・北竜支庫
沼田農協農業倉庫・北竜支庫。


本願寺駅逓
北竜市街、国道沿いにある本願寺駅逓。明治27年(1894)建築、同33年(1900)駅逓所に指定された。札幌から旭川・留萌方面へ往来する旅人や馬の休息所として利用され、郵便の機能も持っていた。江戸期の街道でいう立場と問屋場のような機能を備えた施設と考えてよいだろう。


本願寺駅逓
北海道の開拓を伝える貴重な建造物である。


本願寺駅逓
窓越しに本願寺駅逓内部。


中川商店
本願寺駅逓斜向かいにある中川商店。


本願寺駅逓
本願寺駅逓隣の民家が解体中。


深川留萌道
深川留萌道の高架下を潜り抜けて。


国道275号 五ケ山
昭和47年(1972)まで五ケ山駅があった五ケ山地区へ。


国道275号 五ケ山駅跡付近
国道275号の五ケ山駅跡付近。国道は手前から交差点を右折、直進方向へ約200m行った左手に五ケ山駅があった。


五ケ山駅_MHO631X-C2-7_1963
空中写真データ:国土地理院 整理番号MHO631X-C2-7を基に作成

昭和38年(1963年)撮影、五ケ山駅付近の空中写真。上が石狩沼田、下が新十津川方面。駅北東側で札沼線と道道867号(峠下沼田線)が交差、その交差地点で道道はくねっと曲げられている。五ケ山駅は起点の桑園駅から108.6km、終点の石狩沼田駅まで2.8Kmで、雨竜郡沼田町北竜に所在した。昭和31年(1956)開業、昭和47年(1972)新十津川~石狩沼田間の廃止に伴い廃駅。


五ケ山駅跡
新十津川・北竜側から五ケ山駅跡。草むらと化し遺構は見当たらない。


幌新太刀別川
五ケ山から国道を東進、幌新太刀別川を渡る。五ケ山橋の付け替え工事中。


沼田町民体育館
沼田町民体育館を横に見ながら沼田市街へ向かう。


北いぶき農協営農販売事業本部スノークールライスファクトリー
スノークールライスファクトリー。あの建物の北側(写真奥側)を札沼線が通っていた。


札沼線(五ケ山~石狩沼田)跡
スノークールライスファクトリー付近の札沼線(五ケ山~石狩沼田)跡。写真は石狩沼田方面で、道の左側が線路跡である。


札沼線(五ケ山~石狩沼田)跡
上写真同地点より新十津川・五ケ山方面の札沼線跡。路盤は水田と化し消え失せている。


札沼線(五ケ山~石狩沼田)跡
石狩沼田駅付近、札沼線跡。左が留萌本線で、札沼線はこの辺りで留萌本線に合流並走して石狩沼田駅へ向かっていた。


札沼線(五ケ山~石狩沼田)跡
殖林道路踏切付近の札沼線跡。ここから400m程先に石狩沼田駅。


沼田神社
沼田市街に鎮座する沼田神社。明治27年(1894)沼田喜三郎が富山県の郷里より18戸を伴って当地へ入植、達布原野開拓の守護神として伊勢神宮の御分霊を祀ったことに起源がある。沼田喜三郎は沼田町の開祖であり、町名の由来はその姓にある。


石狩沼田駅前
石狩沼田駅前。


石狩沼田駅
15時過ぎに石狩沼田駅着。11時半頃に碧水市街から歩き始めたので、約4時間かかったことになる。寄り道せずに歩いて来れば2時間程度なので、札幌から札沼線と公共の定期バスを使って石狩沼田に行こうと思ったら、以下のようになる。

札幌駅(6:39発)→石狩当別駅(7:18着、7:45発)→新十津川駅(9:28着)→徒歩20分→中央バス・橋本町(10:33発)→中央バス・碧水市街(11:11着)→徒歩120分→石狩沼田駅(13:20着)【所要時間約7時間】

ちなみに札沼線の新十津川~石狩沼田間が廃止された昭和47年以前は、汽車で4時間で行けた行程である。


石狩沼田駅前
駅前に設置される”夜高あんどん祭り”の看板。8月第4の金・土が開催日、沼田町が1年に1度の盛り上がりをみせる祭り。見たことが無いので来年はこれを見る計画を立てよう。


石狩沼田駅発車時刻表
石狩沼田駅発車時刻表。次の深川行は16:58発車、それまで1時間以上の時間があるので周辺を散歩しよう。


石狩沼田駅前
石狩沼田駅前通り。改めて見てみると意外に店が多い。


いろはすハスカップ
駅前の観光情報プラザで北海道限定ハスカップ味の”いろはす”で水分補給、しばし休憩。


石狩沼田駅
誰もいない石狩沼田駅に戻って。


石狩沼田駅
16:25発の留萌行が入線。


石狩沼田駅
到着した留萌行列車からは意外に多くの降客があったが、乗客はなし。


石狩沼田駅
現在は使われてない旧2・3番ホーム。


石狩沼田駅
石狩沼田駅に16:58発深川行が間もなく到着。


石狩沼田駅
これに乗車して。


深川駅
17:15終点の深川駅着。


深川駅03
6:21に札幌駅を出発して、深川駅に着いたのが17時過ぎ。ひとこと、疲れたわー。
「札沼線に乗って札幌から石狩沼田へ行こう」の旅はこれにて終わり。


訪問日:2019年8月6日(火)
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テーマ : 北海道
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札沼線(北海道医療大学~新十津川) ~ラストランまであと270日~

札沼線(学園都市線)の末端区間、北海道医療大学~新十津川間が廃止されるまであと270日となる8月10日(土)。稲が青々と育つ絨毯の中を札沼線の列車が走り抜ける、そんな光景を見る最後の機会となろう。最末端の1日1往復区間(浦臼~新十津川)にある於札内駅と南下徳富駅の鉄道風景をカメラにおさめておきたい。




駅通線橋
於札内駅にアクセスする於札内駅通線、二本松川に駅通線橋が架かる。


於札内駅
於札内駅に9:14発新十津川行が到着。


於札内駅
平日は単行列車なのだが、本日は土曜日なので2両編成。


於札内駅
新十津川行が発車。


於札内駅
於札内駅の駅名標と待合所。


於札内駅通線
駅から北側の於札内駅通線。


於札内駅発車時刻表
於札内駅発車時刻表。1日に9:14(新十津川行)と10:13発(石狩当別行)しか列車が来ない。


於札内駅
於札内駅待合所内。


於札内駅
旅客にとっては風雪を凌げるだけで有難い。


於札内駅
待合所出入口。


於札内駅スタンプ
手作りの於札内駅スタンプ。

於札内駅から下り隣の南下徳富駅へ移動↓


南下徳富駅
南下徳富駅全景。


南下徳富駅
田園地帯にある乗降ホームだけの無人駅。


南下徳富駅
風雪を凌ぐ待合所がない。ほぼ利用する人がいなかったのだろう。廃止前にここで下車してみたいなあ。


南下徳富駅
時刻表と運賃表はこんな感じで掲示。


南下徳富駅
南下徳富駅の駅名標。


南下徳富駅付近
南下徳富駅へ向かう石狩当別行。車内では「間もなく南下徳富です。お降りの方は前の方にお進みになり、一番前のドアをご利用ください。運賃、切符は整理券と一緒に運賃箱にお入れください。」と車内放送が流れているのだろう。


南下徳富駅付近
田園地帯を行くキハ40形の2両編成。この光景が見られる時間は少ない。


南下徳富駅
石狩当別行が到着した南下徳富駅。


南下徳富駅
南下徳富駅から列車が発車。


南下徳富駅付近
車内では「次は於札内です。運賃は運賃表示器でお確かめの上、釣り銭のいらないようご用意ください。」と車内放送が流れている頃だろう。


新十津川駅
翌日まで列車がやって来ない新十津川駅。47年もの長きに渡り札沼線の終着駅を務めてきた。


新十津川駅
そんな終着駅も来年5月に消える。ラストランまであと270日。


撮影日:2019年8月10日(土)
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テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

深名線の廃線跡から ~2019夏~

大正、昭和、平成の3時代に渡り北の大地を駆け抜けた深名線、平成7年(1995)に廃止されてから24年もの年月が流れた。新しい時代を迎えて3ヶ月、真っ白なソバの花が咲き誇り、その畑は白い絨毯の如く大地に敷かれる幌加内の短い夏、かつてここを走り抜けた列車に思いを馳せて。




旧鷹泊駅
深川市と幌加内町の境、幌加内峠南側の深川市側にあった旧鷹泊駅。


旧鷹泊駅
深名線の数少ない現存する旧駅舎。


旧鷹泊駅
旧駅舎出入口には「出入口」とご丁寧に。


旧鷹泊駅
旧駅舎内を覗けば切符売場や荷物扱い窓口など、駅時代の遺構が良好な状態で残っている。


旧鷹泊駅
旧駅舎内改札口。駅舎内外が良好な状態で残存しており、今なら復元は可能だろう。


旧鷹泊駅
旧鷹泊駅構内。


深名線跡(鷹泊~沼牛)
旧鷹泊駅構内より沼牛方面。かつて敷かれていた鉄路は幌加内峠へ向かって延びていた。


旧鷹泊駅
深名線跡下幌成・深川側より鷹泊駅跡。


深名線跡(鷹泊~下幌成)
上写真の撮影地点より下幌成・深川方面の路盤跡。


旧鷹泊駅前通り
旧鷹泊駅前通り。


旧沼牛駅
鉄道が通されるまで相当な難所だったであろう幌加内峠を越えて、旧沼牛駅に。


旧沼牛駅
本日は”流しソーメン”ならぬ”流しそば”を予定していたようだが、悪天候のため翌日に延期の告知が。


旧沼牛駅
旧沼牛駅駅舎内。


旧沼牛駅前通り
旧沼牛駅前通り。


旧沼牛駅
ここは最も深名線の面影を残す場所だが、やはり線路がほしい。


旧沼牛駅
沼牛駅構内跡はソバ畑に。


深名線跡(沼牛~新成生)
旧沼牛駅から新成生・幌加内方面の路盤跡。


沼牛農業倉庫
旧駅前に残る沼牛農業倉庫3棟。


旧沼牛駅
夜にはライトアップされるようだ。


沼牛駅05
旧沼牛駅周辺にはソバ畑が広がる。


幌加内駅跡
幌加内町の中心部にあり玄関口だった幌加内駅跡。


幌加内駅跡
幌加内駅の旧駅舎は平成12年(2000)に火災で焼失、現在は線路と駅名標のモニュメントを設けて往時を偲ぶ。


あじよし食堂
幌加内市街にある”あじよし食堂”にて。


旧第3雨竜川橋梁
深名線の橋梁で唯一姿を残す第3雨竜川橋梁。


旧第3雨竜川橋梁
毎夏に綺麗な花々で彩られていた橋梁北詰の花壇。今夏は残念ながら手入れされていなかった。


旧第3雨竜川橋梁
廃止から24年経っても良好な状態で残る第3雨竜川橋梁。


旧政和駅
旧政和駅駅舎。前回訪れたときには駅の雰囲気を残していたが、改装されてトラクターの車庫に。


旧政和駅
昨年(2018)大晦日に訪れたときの旧政和駅。入口の屋根は積雪の重みで倒壊しかけている。


旧政和駅
駅舎構内側は駅の雰囲気を残す。


旧政和駅
トラクターの車庫になってしまったが、しっかり鉄骨により補強されたことで倒壊の心配はなくなった。


旧添牛内駅
旧添牛内駅。駅前にポツンと1軒の残っていた旧山前家は昨年(2018)倒壊し撤去された。


旧添牛内駅
旧添牛内駅の駅ノート。


旧添牛内駅
駅舎内は切符売場や荷物扱い窓口が取り払われているものの、駅時代の面影を残している。


旧添牛内駅
旅客用の待合ベンチも残っている。


旧添牛内駅
ホームも良好な保存状態。


旧添牛内駅
旧駅舎構内側。

日が暮れはじめた。ライトアップされた旧沼牛駅を見に戻ろう↓


旧沼牛駅夜景
旧沼牛駅夜景。


旧沼牛駅夜景
旧駅舎裏手のソバ畑がライトアップされ。


旧沼牛駅夜景
暗闇の中に色づけされたソバの花が浮かび上がる。


旧沼牛駅夜景
旧沼牛駅構内側夜景。


旧沼牛駅夜景
旧駅舎内。切符売場が復元され現役の駅のよう。


旧沼牛駅夜景
旧駅舎内に入れば平成7年で時が止まったかのよう


旧沼牛駅夜景
平成に廃止され、そして蘇った沼牛駅。鉄路は無くなっても新しい令和の時代を生き続ける。


旧沼牛駅夜景
さてさて、2019年夏の深名線廃線跡はこの辺で。


撮影日:2019年8月10日(土)
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テーマ : 街道の旅
ジャンル : 旅行

夕張支線 ~廃止されて4ヶ月が経ち~

2019年3月31日の運行をもって廃止された夕張支線。それから4ヶ月の時が流れた8月7日(水)、廃線直後の様子が見たくて再び夕張を訪れた。廃線ブームが過ぎ去って平穏を取り戻した夕張支線、令和の時代にどんな未来が待っているのだろうか。




新夕張駅
夕張支線の起点、新夕張駅から。ここは石勝線の駅なので今も現役。


新夕張駅運賃表
新夕張駅の運賃表。当然ながら夕張支線は貼り紙で消されている。


旧夕張支線・夕張川橋梁
旧夕張支線の夕張川橋梁。もうここを列車が通過することは無い。


石勝線・夕張川橋梁
石勝線の夕張川橋梁。”特急スーパーとかち”が走り抜ける。


旧沼ノ沢駅
新夕張駅から夕張川を挟んで夕張支線の次駅、旧沼ノ沢駅。


レストランおーやま
”レストランおーやま”は営業中だが、駅舎出入口は鍵をかけて閉ざされ。


旧沼ノ沢駅
駅の外観に変わりはないが。


旧沼ノ沢駅
駅名標は取り外され。


旧沼ノ沢駅
駅構内に立ち入ることはできない。


旧南清水沢駅
次は旧南清水沢駅。窓上に掲げられていた駅名板は外され。


旧南清水沢駅
出入口には鍵がかけられ中に入れない。


旧南清水沢駅
委託販売の人はいなくなりガランとした駅舎内。駅名板が保存されていた。


旧南清水沢駅
駅横にあった南校通り踏切は撤去された。


南校通り踏切跡
南校通り踏切跡より沼ノ沢・新夕張方面。既に線路が剥がされている。


旧南清水沢駅
ホーム上の駅名標こそ外されているが、外観に変わりはない。


旧清水沢駅
かつては三菱大夕張鉄道の乗換駅として賑わった旧清水沢駅。


旧清水沢駅
駅横の広場では近々”ゆうばり夏祭り”が開催される。


旧清水沢駅
駅舎出入口にはやはり鍵がかけられ中に入れない。


旧清水沢駅
駅舎内は待合ベンチだけが取り残され。


旧清水沢駅
かつてはキオスクがあるほどの駅だったが、盛者必衰の感がある。


旧清水沢駅
旧清水沢駅構内。今にも線路の向こうからディーゼル音が聞こえてきそう。


旧清水沢駅前
廃止前と変わらず静寂の駅前。


旧清水沢駅
廃止されても、この旧駅舎が末永く残ってくれることを祈ろう。


旧第7志幌加別川橋梁
清水沢~鹿ノ谷間の旧第7志幌加別川橋梁。


旧鹿ノ谷駅
そして旧鹿ノ谷駅に。


旧鹿ノ谷駅
駅舎内には入れません。


旧鹿ノ谷駅
駅舎内は広いだけにガランとした感がすごい。廃止前もそうだったけど。


旧鹿ノ谷駅
旧鹿ノ谷駅構内。


旧夕張支線(鹿ノ谷~夕張)
旧鹿ノ谷駅構内より夕張方面。


旧夕張支線(鹿ノ谷~夕張)
旧鹿ノ谷駅から少し夕張側、「危険ですので線路内に立ち入らないでください。」の標識が残る。


旧夕張支線(鹿ノ谷~夕張)
もう列車がやって来ない線路内に立ち入って夕張方面。


旧鹿ノ谷駅
夏草や黒いダイヤが夢の跡、旧鹿ノ谷駅。


旧第5志幌加別川橋梁
鹿ノ谷~夕張間、旧第5志幌加別川橋梁。


旧第5志幌加別川橋梁02
橋梁に複線時代の名残りをみる。


旧夕張駅
夕張支線の終点だった旧夕張駅。


旧夕張駅
廃止前とならんら変わらない旧駅舎。


旧夕張駅
駅舎内に入れそうな雰囲気だったが、扉の鍵がかけられ中には入れない。駅に併設の喫茶店”和(なごみ)”は営業を続けている。


旧夕張駅04
駅構内も廃止前と変わらない。


旧夕張駅
この垂れ幕も健在。


旧夕張駅06
駅舎内にあった観光案内センターや土産物店は閉鎖されていた。これから旧夕張駅は再活用されるのか、それとも解体されるのか、行く末を見届けたい。


撮影日:2019年8月7日(水)
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テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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