新十津川駅から歩いて約20分、国道275号筋の橋本町バス停へ移動し、10:33発の碧水市街行の中央バスに乗車、バスに揺られること約40分で碧水市街に到着する。目的地の石狩沼田駅まであと約8km、碧水地区には昭和47年(1972)まで札沼線の碧水駅があり、鉄道であれば約13分で石狩沼田駅に行けたのだが、今となっては路線バスすら廃止され、公共交通機関を使って沼田へ行くことができない。真夏の北海道、気温は30度を超えている、もはや覚悟を決めて自分の足で行くしかない。

新十津川駅から国道275号を歩いて新十津川橋を渡る。徳富川上流方向には旧札沼線の徳富川橋梁が残る。

国道275号から滝川方面の国道451号が分かれる中央70・71交差点。

交差点近くに設置される新十津川町の宣伝塔と、新十津川の老舗酒蔵、金滴酒造。

明治23年(1890)に十津川郷(現 奈良県吉野郡十津川村)の村民らが当地へ移住、明治39年(1906)西村直一・宇治川伊三郎ら9名が発起人となり創立した”新十津川酒造株式会社”が金滴酒造の前身。

国道275沿いにある橋本町バス停。

碧水市街行バスの運行は1日4本。石狩当別7:45発新十津川行に乗車すれば9:28に新十津川駅着、駅から歩いて20分程度なので、10:33発の碧水市街行バスには余裕をもって乗り換えられる。

少し遅れて碧水市街行バスが到着。

約40分バスに揺られて、碧水市街に到着。橋本町から乗車して数名の乗客がいたが、途中の北竜中学校バス停で私を残して全ての客が降車し、終点で降りたのは私だけ。

碧水市街終点降車場。ここから石狩沼田方面へ行く公共交通機関は無い。

碧水神社に参拝。石狩沼田駅までの道中安全を祈願して。

農業倉庫が建ち並ぶ旧碧水駅前。

往時を偲ぶ旧駅舎。

正面出入口には”へきすい”の標識を掲げる。所有者の粋な計らい。

小ぢんまりとした旧駅舎は倉庫として再利用されている。

碧水駅構内跡。ホームや路盤の痕跡は見られない。

碧水駅構内跡より石狩沼田方面、線路跡は道路になっている。

碧水駅跡から石狩沼田方面へ150m程行ったところ、線路跡より旧碧水駅方向。

上写真地点より石狩沼田方面。線路跡に敷かれた道路は国道233号に突き当たって途絶える。かつては奥方向に札沼線が延びていたのだが、その痕跡は何も無い。

セイコーマートへきすい店で梨味の”いろはす”を購入。北海道とはいえ30℃を超える真夏日、石狩沼田まで頑張って歩こう。

国道275号を北上し、北竜町から沼田町へ。

札沼線(碧水~北竜)跡の田園地帯にコンクリート製の橋らしき建造物が。

コンクリート製の建造物に近づいてみる。

位置関係や橋幅から札沼線の旧鉄道橋のようだ。スマホで調べてみたところ、間違いなさそう。往時は盛り土された路盤が橋に繋がっていたのだろうが、今は均されて田んぼになっている。何ゆえ、このコンクリート橋だけが残されたのか…。

今から50年前、ここを列車が走り抜けていたと想像できるだけに、このコンクリート橋は存在価値があろう。

今は列車がやって来ることもなく、アオサギが羽を休める。

コンクリート橋から石狩沼田側の線路跡は水田の境になっている。

上写真の位置から石狩沼田方面の札沼線跡。ここにもコンクリート橋が架けられているが、高さや幅から廃止後にトラクターの往来用に架けられたものだろう。

碧水駅方面から東北東に進んでいた札沼線が、大きく北方向へ曲がっていた地点。写真は碧水方面。

さっき見た旧札沼線のコンクリート橋を遠望。

碧水~北竜間のカーブ地点、札沼線跡。遺構は何も残っていないが、ここでこんなものを発見↓

もしかしてレール?

レールで間違いない。劣化具合から札沼線で使われていたレールの可能性が高い。何でここに放置されているのだろうか。

もうすぐ北竜市街、電柱には大量の鳥が。ムクドリかと思ったが、どうもスズメのようだ。

札沼線跡碧水側より北竜駅跡を望む。完全に田畑地帯と化しているので、駅跡が全くわからない。

空中写真データ:国土地理院 整理番号MHO631X-C2-7を基に作成
昭和38年(1963年)撮影、北竜駅付近の空中写真。上が石狩沼田、下が新十津川方面。駅から東へ直線に駅前通りが延び、国道275号に突き当たっている。現在の駅跡は田地となり、駅前通りも途中から消失している。北竜駅は起点の桑園駅から106km、終点の石狩沼田駅まで5.4Kmで、雨竜郡沼田町北竜に所在した。昭和6年(1931)一般駅として開業、昭和47年(1972)新十津川~石狩沼田間の廃止に伴い廃駅。

沼田町ホームページより引用
昭和43年(1968)9月撮影の北竜駅。隣の碧水駅と同型の駅舎だったことがわかる。

北竜駅跡側より国道275号方向に延びる旧駅前通り。

旧駅前通りが突き当たった地点から西方向。道が無くなっているがこの先に北竜駅があったはず。

国道275号より旧北竜駅前通り。

国道275号沿い、北竜市街。ここって実は北竜町じゃなく、沼田町だったんだね。

沼田農協農業倉庫・北竜支庫。

北竜市街、国道沿いにある本願寺駅逓。明治27年(1894)建築、同33年(1900)駅逓所に指定された。札幌から旭川・留萌方面へ往来する旅人や馬の休息所として利用され、郵便の機能も持っていた。江戸期の街道でいう立場と問屋場のような機能を備えた施設と考えてよいだろう。

北海道の開拓を伝える貴重な建造物である。

窓越しに本願寺駅逓内部。

本願寺駅逓斜向かいにある中川商店。

本願寺駅逓隣の民家が解体中。

深川留萌道の高架下を潜り抜けて。

昭和47年(1972)まで五ケ山駅があった五ケ山地区へ。

国道275号の五ケ山駅跡付近。国道は手前から交差点を右折、直進方向へ約200m行った左手に五ケ山駅があった。

空中写真データ:国土地理院 整理番号MHO631X-C2-7を基に作成
昭和38年(1963年)撮影、五ケ山駅付近の空中写真。上が石狩沼田、下が新十津川方面。駅北東側で札沼線と道道867号(峠下沼田線)が交差、その交差地点で道道はくねっと曲げられている。五ケ山駅は起点の桑園駅から108.6km、終点の石狩沼田駅まで2.8Kmで、雨竜郡沼田町北竜に所在した。昭和31年(1956)開業、昭和47年(1972)新十津川~石狩沼田間の廃止に伴い廃駅。

新十津川・北竜側から五ケ山駅跡。草むらと化し遺構は見当たらない。

五ケ山から国道を東進、幌新太刀別川を渡る。五ケ山橋の付け替え工事中。

沼田町民体育館を横に見ながら沼田市街へ向かう。

スノークールライスファクトリー。あの建物の北側(写真奥側)を札沼線が通っていた。

スノークールライスファクトリー付近の札沼線(五ケ山~石狩沼田)跡。写真は石狩沼田方面で、道の左側が線路跡である。

上写真同地点より新十津川・五ケ山方面の札沼線跡。路盤は水田と化し消え失せている。

石狩沼田駅付近、札沼線跡。左が留萌本線で、札沼線はこの辺りで留萌本線に合流並走して石狩沼田駅へ向かっていた。

殖林道路踏切付近の札沼線跡。ここから400m程先に石狩沼田駅。

沼田市街に鎮座する沼田神社。明治27年(1894)沼田喜三郎が富山県の郷里より18戸を伴って当地へ入植、達布原野開拓の守護神として伊勢神宮の御分霊を祀ったことに起源がある。沼田喜三郎は沼田町の開祖であり、町名の由来はその姓にある。

石狩沼田駅前。

15時過ぎに石狩沼田駅着。11時半頃に碧水市街から歩き始めたので、約4時間かかったことになる。寄り道せずに歩いて来れば2時間程度なので、札幌から札沼線と公共の定期バスを使って石狩沼田に行こうと思ったら、以下のようになる。
札幌駅(6:39発)→石狩当別駅(7:18着、7:45発)→新十津川駅(9:28着)→徒歩20分→中央バス・橋本町(10:33発)→中央バス・碧水市街(11:11着)→徒歩120分→石狩沼田駅(13:20着)【所要時間約7時間】
ちなみに札沼線の新十津川~石狩沼田間が廃止された昭和47年以前は、汽車で4時間で行けた行程である。

駅前に設置される”夜高あんどん祭り”の看板。8月第4の金・土が開催日、沼田町が1年に1度の盛り上がりをみせる祭り。見たことが無いので来年はこれを見る計画を立てよう。

石狩沼田駅発車時刻表。次の深川行は16:58発車、それまで1時間以上の時間があるので周辺を散歩しよう。

石狩沼田駅前通り。改めて見てみると意外に店が多い。

駅前の観光情報プラザで北海道限定ハスカップ味の”いろはす”で水分補給、しばし休憩。

誰もいない石狩沼田駅に戻って。

16:25発の留萌行が入線。

到着した留萌行列車からは意外に多くの降客があったが、乗客はなし。

現在は使われてない旧2・3番ホーム。

石狩沼田駅に16:58発深川行が間もなく到着。

これに乗車して。

17:15終点の深川駅着。

6:21に札幌駅を出発して、深川駅に着いたのが17時過ぎ。ひとこと、疲れたわー。
「札沼線に乗って札幌から石狩沼田へ行こう」の旅はこれにて終わり。
訪問日:2019年8月6日(火)
テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行