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長い道程を歩き続け、国府津から大磯宿へ

【2019年11月30日(土)旧東海道 小田原宿→大磯宿】
前の記事の続き。小田原宿から大磯宿への宿間距離は4里(約16Km)もあり、小田原から国府津まで随分と歩いてきたような気がするが、ここでは大磯宿までの中間地点にも満たない。江戸時代の男性は旅をすると1日で約10里(約40Km)を歩いたというから、このくらいの距離は屁の河童なのだろうが、現代人にとっては普通では歩かない距離。日が短い11月末だけに、国府津から大磯宿へ向けて歩みを早めて進めよう。




西前川信号
国道1号(東海道)の西前川信号。付近の民家前に双体道祖神がある。


西前川の双体道祖神
西前川の双体道祖神。風化が進んでおり、見た目にかなり年月が経ってそう。


近戸神社バス停
近戸神社バス停。近戸神社は旧前川村の鎮守で、近くに参道の入口がある。『新編相模国風土記稿』(1830~41年編纂)によれば、前川村は大山道(村東側で東海道より分岐)の人馬継立場で、特産品に蜜柑があり幕府へ献上。漁船25・押送船1艘を所持して農間に専ら漁業を行い、鮪を名産としていた。


近戸神社参道
近戸神社参道入口。


近戸神社参道
近戸神社参道。昔はここを直進して神社へ向かえたのだろうが、現在は途中で東海道本線に分断されている。


近戸神社
線路越しに近戸神社を望み。旧前川村の鎮守。


双体道祖神と坂下道祖神碑
国道1号(東海道)路傍に双体道祖神と坂下道祖神碑。


双体道祖神と坂下道祖神碑
双体道祖神と坂下道祖神碑。


前羽小学校前バス停
前羽小学校前バス停。前羽という地名は明治22年に前川村と羽根尾村が合併して成立した村の名。


大山道入口
国道1号(東海道)から北へ分かれる旧大山道。山岳信仰(大山信仰)の対象、大山へ通じる古道である。


大山道道標
旧大山道入口に残る大山道道標。「大やまみち」「従是大山道」と刻み、道標上に不動明王像を置く。天保3年(1832)建立。その裏にある秋葉山常夜燈は文化11年(1814)建立。


旧東海道・大山道分岐点
旧大山道より国道1号。


旧大山道
旧大山道に入ってすぐ、路傍左に石仏群。


旧大山道の石仏群
旧大山道の石仏群。おそらく道筋に点在していた石仏を集めたのだろう。


車坂
東海道・大山道の分岐点を過ぎれば車坂の上り。坂を上りはじめてすぐ左手路傍に「史跡車坂」碑がある。『新編相模国風土記稿』には、「海道中にて西に下れる一町許の坂あり。太田道灌の平安紀行に車坂の里と見えしは此所なり。『車坂と云ふ里にて夕立頻りに降りそへば、鳴神の聲もしきりに車坂、轟かし降る夕立の空。』又韓使来聘の時は此の地の路傍に休憩の茶屋を建つるを例となす。」と記す。


東前川信号
車坂途中にある東前川信号。


車坂
東前川信号より坂下方向。左手に相模湾と真鶴半島を望む景勝の地だ。


車坂上
車坂上。


浅間神社
車坂上に鎮座する浅間神社。


町屋バス停
町屋バス停。町屋は旧前川村小字の地名。


橘インター入口バス停
橘インター入口バス停。ここで小田原市から二宮町へ。


塔台橋交差点
塔台橋交差点と塔台橋。ここを渡ると再び小田原市となり羽根尾地区に入る。橋下を流れる川は塔台川であるが、古く前川村では羽根尾川と呼ぶ。羽根尾川から中村川の間は押切という地名で旧羽根尾村の小字。


押切橋
押切橋交差点。ここで再び二宮町に。


押切橋
中村川に架かる押切橋。


中村川
押切橋上より中村川上流。河口付近は押切川とも呼ばれる。


中村川河口部
中村川河口部。かつて約20mに及ぶ砂丘を押し切って相模湾に流入していたので押切川の名がついたともいわれる。


押切坂
押切橋を渡ってすぐ、国道1号から押切坂の旧道が右に現れる。


押切坂
押切坂旧道。


押切坂の双体道祖神
押切坂の途中にある双体道祖神。


押切坂上
押切坂上より旧梅沢の立場。


松屋本陣跡
押切坂上にある松屋本陣跡(写真左手前)。ここは参勤交代の諸大名や公家などが休息に利用した小休本陣(茶屋本陣とも)で、梅沢の中心的存在だった。和田家が務め当主は代々”松屋作右衛門”を名乗った。


旧梅沢の立場
旧梅沢の立場は間の宿として賑わい、大友屋・蔦屋・釜成屋など多くの茶屋や商店が軒を並べていた。


押切坂一里塚跡
茶屋町自衛消防隊の倉庫横に”東海道一里塚の跡”碑。


押切坂一里塚跡
ここが押切坂一里塚跡で、江戸日本橋から18里(約71km)、京三条大橋からは95番目で実測約445km地点(七里の渡しを27.5km、天竜川池田の渡し迂回分を+2kmとして測定、薩埵峠上道ルートによる)にあたる。


押切坂上バス停
国道へ合流したところに押切坂上バス停。


山西交差点
国道1号(東海道)の山西交差点。ここで国道から旧道が左に分かれる。当初の山西地区は川匂地区を含めて梅沢の里という地名で呼ばれ、寛永17年(1640)頃に2村に分かれて山西村と川匂村が成立した。『東海道分間絵図』(1669年~1679年頃の作成と推定、初版は1690年刊行)には当地を「梅沢」と記す。


山西の道祖神
山西交差点角にある石碑石仏群(双体道祖神3、道祖神碑、天社神講中碑)。


旧東海道 山西
梅沢の旧道。


等覚院のフジ
旧道筋にある等覚院。元和9年(1623)将軍家光が上洛の折、駕籠を止めてフジの花を見物したといい、古くからフジの名所として知られた。寛文年間(1661~73)頃に仁和寺宮がフジの花をご覧になり、”藤巻寺”の別号を与えたと伝わる。


等覚院の梵鐘
等覚院の梵鐘。寛永8年(1631)の銘あり。二宮町重要文化財。


旧東海道 山西
等覚院から東へ延びる旧道。


梅澤橋
梅澤橋の親柱。梅沢川が道路下を流れており、暗渠となる前ここに梅澤橋が架けられていた。


ヤマニ醤油
旧道沿いのヤマニ醤油蔵元。


吾妻神社参道
吾妻神社鳥居と参道。正面が吾妻山でその頂上付近に吾妻神社が鎮座する。


梅沢交差点
国道1号の梅沢交差点。この辺りが旧山西村(梅沢)の街村東端と思われる。この辺りから二宮村にかけて東海道の松並木が続いていた。


山西・二宮の東海道松並木
国道沿いには松並木の名残り。藤田電機前。


山西・二宮の東海道松並木
東海道松並木の名残り。二宮町社協前。


二宮駅
東海道本線二宮駅。


国道1号 二宮
二宮駅入口交差点より国道1号大磯方面。この辺りの街道筋は『東海道分間絵図』を見ると「しほミ」とあり、江戸時代には一般に塩海(しぼみ)と呼ばれていたのだろう。現在地名は消え失せているが、葛川(くずかわ)に架かる橋名に名残りを見る。『新編武蔵風土記稿』には「古この海浜にて鹽(しお)を精製す、依ってこの名あり」と記す。


二宮交差点
葛川右岸、国道1号の二宮交差点。


塩海橋
塩の精製が盛んだった歴史を伝える塩海橋。


葛川(くずがわ)
塩海橋上より葛川下流。葛川は上流から井ノ口川・葛川・塩海川・宇田川と呼ばれている。


下町バス停
下町バス停。先に松並木の名残り。


二宮の松並木
東海道松並木の名残り。下浜町信号付近。


二宮町・大磯町境
二宮町から大磯町に。


二宮の松並木
振り返って松並木の名残りを。


槇の木バス停
槇の木バス停。かつては松並木を過ぎれば街道沿いに国府新宿の町家が続いていた。


国府新宿福祉館
国府新宿福祉館前に道祖神が残る。


国府新宿福祉館前にある道祖神
国府新宿福祉館前にある道祖神。


六所神社鳥居
国道に面して立つ六所神社鳥居。


六所神社参道
六所神社参道と御神木の大ケヤキ。樹齢600年。


六所神社
源頼朝や小田原北条氏、徳川家康など多くの武将から崇敬を寄せられた六所神社。当初は柳田大明神と称したが、平安時代に相模国五社の御分霊を合せ祀り相模国総社となり、六所神社や国府六所宮と称すようになった。当地域には相模国の国府が置かれていたが、その所在地はいまだ不明だという。


六所神社
開運おみくじ、強運おみくじ、恋鯉みくじ、3種類ものおみくじが。さすが相模国総社。


六所神社の石垣
社殿の土台となっている野面積みの石垣。小田原北条氏の寄進というから400年以上前に築造されたもの。


国府新宿バス停
『新編相模国風土記稿』より国府新宿の項によれば、元禄の郷帳には国府新宿村と記す。江戸より行程17里。戸数115。東西8町許。南北10町許。東海道東西にわたり村の中央を貫く。村の東にて北方に達する岐路あり。伊勢原道という。漁船4ありて漁業をなす。獲る所の魚は鱠(えそ)・白魚・鯖などなり。浦辺は袖ケ浦または淘綾浦(ゆるぎうら)と唱う。


国府新宿交差点
国府新宿交差点。この辺りが国府新宿の東端。


国府本郷の東海道松並木
国府新宿から国府本郷にかけて、往時を偲ぶ東海道松並木が片側だけに見られる。


双体道祖神
松並木入口の路傍に双体道祖神。


国府本郷の東海道松並木
国府本郷の東海道松並木。


国府本郷の東海道松並木
国府本郷の東海道松並木。


国府本郷松並木の道祖神
松並木の路傍に道祖神碑。昭和十一年の銘あり。


国府本郷の松並木
国府本郷の松並木は全体的に松が若いので、近年に植樹されたものなのだろう。


国府本郷中丸の一里塚跡
松並木の東端にある国府本郷中丸の一里塚跡。江戸日本橋から17里(約67km)、京三条大橋からは96番目で実測約449km地点(七里の渡しを27.5km、天竜川池田の渡し迂回分を+2kmとして測定、薩埵峠上道ルートによる)にあたる。


旧東海道 国府本郷
国府本郷を行く旧東海道。『新編相模国風土記稿』より国府本郷村の項に、「昔、当国の府庁をこの地に置かれし故、この称存するなり。されど昔のことを伝ふるものなし。」と記され、国府本郷という地名の由来になった相模国府が、すでに江戸後期には跡地が不明だったことがわかる。相模国府の所在地がいまだ謎のままなのも頷けよう。


旧東海道 国府本郷
不動川に向かって下る国府本郷の旧道。再び『新編相模国風土記稿』より国府本郷村の項によれば、江戸より行程17里。戸数114。東西11町余。南北20町許。東海道村の中程を貫く。当所は立場なり。村北の山間に秣(まぐさ)場あり。小字は中丸と馬場。海南方にあり。海浜を古、よろきの浜といふ。漁船2ありて農間には漁業をなす。獲る所の魚は鯵・鯖などなり。


本郷橋
国府本郷の東側を流れる不動川に架かる本郷橋。白に塗られた橋が印象的。『新編相模国風土記稿』には、「一は本郷川と唱へ、村の東を流れ、南方にて海に注ぐ。東海道の係る所に土橋を架す。中丸橋とも云ふ。この辺りの小字を以て呼べるなり。一は南川と唱ふ。南方を東へ流れ、海際にて本郷川に合す。」とあり、江戸時代後期にこの辺りの不動川は本郷川と呼ばれ、東海道に架かる橋は中丸橋、葛川は南川と呼ばれていたようだ。


不動川にて
不動川にて。


旧東海道 国府本郷
本郷橋東詰、大磯方面の旧東海道。左に大磯城山公園の台地が迫る。


城山公園前交差点
城山公園前交差点。大磯城山公園の台地を切通して道を通す。『新編相模国風土記稿』の国府本郷村の項には、「切通、東方西小磯村堺、東海道往還なり。高さ八尺(約2.4m)、幅2間半(約5.5m)」とあり、ここが江戸後期の国府本郷村と西小磯村の境だった。


旧吉田茂邸
切通しの南側、城山公園内にある旧吉田邸(復元再建)。


旧吉田茂邸
旧吉田邸は戦後に第一次~第五次の2616日にわたって内閣総理大臣に在任した吉田茂の邸宅で、昭和20年(1945年)からここを本邸として晩年を過ごした。現在の副総理で財務大臣の麻生さんの祖父。閉館時間が迫っていたため内部を見学できず、改めて。


切通橋
切通しを過ぎて切通橋を渡る。写真奥方向が切通しの国道1号(東海道)で、小田原方面。


血洗川
切通橋の下を流れる血洗川。源頼朝に仕えた鎌倉幕府の御家人、梶原景時の息子にまつわる伝説を残す。


国道1号 西小磯
西小磯を行く国道1号(東海道)。『新編相模国風土記稿』の西小磯村の項を簡略して、「古は大磯宿及び加宿東小磯共に一区たりしが、後大小二区に分れ、後又小磯の地を東西二区に分割せしことは大磯宿及び東小磯村の条に弁ぜし如し。江戸より行程16里30町。戸数139。広さ13町。・・・
東海道中央を貫く。村内切通開けざる前は北の方宇賀神森の後通り山に添ひて往還ありしと云ふ。今野道あり。大磯宿の条にも弁ぜし古東海道なり。岐路あり。伊勢原道と云ふ。小字中分より分かれて萬田村に達す。」

西小磯西端の切通しが開通する前は、北に山沿いを迂回して東海道が通されていたようで、江戸時代後期にその古道は野道と化していたらしい。


宇賀神社
西小磯東端に鎮座する宇賀神社。


西小磯・東小磯の東海道松並木
西小磯と東小磯の間に残る東海道松並木。


大磯の東海道松並木
暗くなってしまい判りにくいが、道の両側に状態良く松並木が残っている。次は昼間に訪れよう。


大磯宿上方見附跡
大磯宿上方見附跡。ここが大磯宿京方(西側)出入口だったところ。


大磯宿
大磯宿夜景。


大磯宿
大磯宿は次の歩き旅で。


大磯駅
大磯駅より東海道本線高崎行に乗車して帰途につく。


【旧東海道歩き 第37日目】小田原駅→小田原宿→大磯宿→大磯駅 歩行距離約22km
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テーマ : 街道の旅
ジャンル : 旅行

札沼線(北海道医療大学~新十津川) ~ラストランまであと129日

令和元年もいよいよ終わりを迎えようとする年暮れの12月27日、上野駅から東北・北海道新幹線はやぶさ27号(新函館北斗行)に乗車して函館入りし、湯の川温泉で1泊して1年の疲れを癒す。翌日に函館朝市の蟹商で毎年恒例のタラバガニを仕入れ、スーパー北斗9号(札幌行)に乗車して定刻通り札幌駅着、札幌駅北口前のルートインにチェックインした。そして翌日の12月29日早朝、ホテルの朝食を掻き込んで札幌駅6:58発 学園都市線(北海道医療大学行)に乗車、石狩当別駅で7:45発 新十津川行に乗り換える。ラストランまであと129日に迫った札沼線、白銀に染まった沿線の風景を車窓から目に焼き付けておこう。




札幌駅
早朝の札幌駅、9・10番ホームへ。


札幌駅
10番ホームより6:58発北海道医療大学行に乗車。


石狩当別駅
40分程列車に揺られ石狩当別駅着、3番ホームに停車している7:45発新十津川行に乗り換える。


石狩当別駅
発車時間5分前。しかし千歳線の列車が遅れた影響で30分ほど遅れて発車するとのアナウンス。これに乗れなかったら新十津川行は明日まで来ないからね。


石狩当別駅
発車を待つ新十津川行。廃止を惜しむ鉄道ファンや地元の方々で乗車率は高い。


新十津川行の行先標
この行先標が見られるのもあと4ヶ月。


函館→新十津川切符
もうすぐ新十津川。切符を準備して。


新十津川駅
石狩月形で停車時間を調整したおかげでほぼ定刻通りに新十津川着。いつもなら石狩月形での停車時間は23分あり、乗客が一時降車して写真撮影する光景が見られる。


新十津川駅
列車は折り返して10:00発石狩当別行に。


新十津川駅
降車した旅客が次々と駅舎内に入ってゆく。


新十津川駅
新十津川町観光案内所の看板。


新十津川駅
駅舎内は1日1回だけ訪れる賑わいに。


新十津川駅
駅舎内に掲げる札沼線と新十津川のポスター。


新十津川駅
新十津川駅の駅舎はやっぱ冬の佇まいがいい。


しんとつかわ駅市
駅前の”しんとつかわ駅市”。札沼線関連のお菓子やお酒、グッズを販売している。


新十津川駅
ホーム上にはぞくぞくと石狩当別行の乗客が並ぶ。


新十津川駅
しばしの時間を新十津川で過ごし、発車を待つ石狩当別行。


石狩当別行
窓ガラスが少々曇った「新十津川↔石狩当別」の行先標。あと4ヶ月の運命を思うと何だかしんみり…。


新十津川駅
発車時刻が迫り。


新十津川駅
「札沼線ありがとう」の垂れ幕で訪れてくれた人々を見送り。


新十津川駅
そして列車はいなくなった。


新十津川駅
ラストランまであと129日。


新十津川駅
新十津川駅の駅名標。


新十津川駅
いつもの静けさを取り戻し。


新十津川駅
線路上に残る今日の列車が訪れた痕跡。次に列車が来るのは24時間後。


新十津川駅
新十津川駅を後にして。徒歩で滝川駅へ向かおう。


寺子屋
駅前の寺子屋。自販機がキハ40の北海道塗装。


ファミリーマート 新十津川店
2017年に開店したファミリーマート新十津川店。


新十津川役場バス停
ファミリーマート新十津川店近くにある新十津川役場バス停。札沼線の廃止後はここが新十津川の玄関口になるのだろうか。


旧徳富川橋梁
新十津川駅の北側、徳富川に架かる旧徳富川橋梁。


旧徳富川橋梁
現在は水道橋として再利用されているが、鉄道橋時代の面影を残す。


旧徳富川橋梁
樺戸山地を背景に旧徳富川橋梁。ここを汽車が走ってたら絵になるなあ。


石狩川橋
石狩川橋を渡って滝川市内へ。


石狩川河川敷にて
石狩川の河川敷にて。小動物の足跡が放射状に延びる。イタチの足跡だろうか。


滝川駅
新十津川駅から約1時間歩いて滝川駅に着く。


スマイルビル
滝川駅前にでーんと構えるスマイルビル。駅前のショッピングモールなのだが…。


スマイルビル
書き入れ時の年末なのにビル内は閑散とし…。


滝川駅
函館本線の主要駅、滝川駅。函館本線と根室本線の乗換駅、近年に駅舎が改築された。


滝川駅
滝川駅11:52発旭川行の特急ライラック13号に乗車すべく6番ホームへ。


滝川駅
6・7番ホームよりキハ40形が待機する駅構内を。


滝川駅
特急ライラック13号が6番ホームへ入線。


旭川駅
そして30分ちょいで旭川駅に。


旭川駅前
旭川駅前。西武デパートの建物が撤去され随分と様相を異にした印象。


旭川駅
旭川駅は平成23年(2011)に新駅舎が全面開業。駅と駅周辺は近年に一変した。


平和通買物公園
駅前通りの平和通買物公園にある”サキソフォン吹きと猫”。


蜂屋ラーメン
私にとって旭川ラーメンと言えば蜂屋か熊ッ子チェーン。本日は蜂屋の五条創業店へ。


蜂屋ラーメン
醤油ラーメンが登場。学生時代から食べてきた懐かしい味だ。


旭川冬まつり会場
旭橋下、石狩川河川敷の旭川冬まつり会場。今年(2020)は2月6日から11日まで開催される。今冬は非常に雪が少ないので、雪像用の雪集めに四苦八苦しているのではないだろうか。


撮影日:2019年12月29日(日)
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テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

深名線の廃線跡から ~2019小晦日~

年明けまであと2日に迫った令和元年(2019)の小晦日、厳冬を迎えたはずの深名線廃線跡を訪ねた。しかし今冬は日本全国各地が暖冬で北海道も例外ではなく、厳寒で知られる幌加内町ですら雪が少ない。深名線の旧鷹泊駅・沼牛駅・幌加内駅跡・上幌加内駅跡・旧政和駅、そして旧添牛内駅、平成7年(1995)に廃止され25年の時を経て、令和初の冬を迎えた駅と沿線の様子を。




沼牛駅
約5ヶ月ぶりに訪れた沼牛駅。


沼牛駅
やっぱ冬景色が似合う佇まい。


沼牛駅
毎年今時期は積雪のため駅舎に近づくことができないのだが、今冬は例年より雪が全然少ないので。入口扉が開いていれば中にも入れそう。


沼牛駅
沼牛駅全景。


沼牛駅
沼牛駅舎と駅前に並ぶ農業倉庫。


沼牛駅
沼牛駅構内。雪が少ないとはいえソバ畑は一面の銀世界。


沼牛駅前
沼牛駅前通りと旧商店。


下幌加内バス停
下幌加内バス停。


下幌加内バス停
現在は下幌加内バス停が沼牛地区の玄関口。夏期・冬期ダイヤとも幌加内行きバスが1日7便。


沼牛駅
沼牛駅と路盤跡。


幌加内交流プラザ
幌加内市街の幌加内交流プラザへ移動。「年末大売出当選者名」の掲示板が。1等は5万円、おめでとうございます!


旧JR深名線資料展示室
交流プラザ2階の旧JR深名線資料展示室へ。


旧JR深名線資料展示室
私にとっては何度訪れても楽しい場所。


旧JR深名線資料展示室03
深名線の硬券切符。


旧JR深名線資料展示室
昔懐かしい乗車券箱。


旧JR深名線資料展示室
深名線なつかしの車輛。キハ53や54、40に乗車して深名線を旅してみたかった。


旧JR深名線資料展示室
深名線時刻表。廃止直前の平成7年(1995)5月訂補の時刻表を見ると、沼牛駅から名寄駅に行こうと思ったら、沼牛駅15:05発朱鞠内行に乗車して朱鞠内駅15:56着。朱鞠内駅で17:22発名寄行に乗り換えて18:18名寄駅着となる。沼牛駅から名寄駅まで車で行けば1時間20分くらい、深名線を使うと3時間以上の時間を費やすことになる。


幌加内市街
幌加内市街。やっぱ今冬は雪が少ない。


Aコープ 幌加内店
Aコープ幌加内店。いつもここで幌加内そば(半生)を買ってます。


幌加内市街
年の瀬の幌加内市街。行き交う人や車は少ない。


幌加内駅跡
幌加内駅跡。冬に来ると駅名標は外され、記念碑やレールのモニュメントが雪に埋もれているので、知らないとここが跡地とは気付かない。


朝明け食堂跡
右手沿道には”朝明け食堂”があったはず。いつの間にか無くなっていた。


上幌加内駅跡
雪に埋もれた上幌加内駅跡。


第3雨竜川橋梁
第3雨竜川橋梁。例年の今時期なら雨竜川は完全に凍結しているのだが、今冬は川面が見えている。厳寒の幌加内ながら今年は暖冬なのだろう。


旧政和駅
トラクターの車庫に改造された旧政和駅。


旧政和駅
しかし駅の体裁はまだまだ保っている。


旧政和駅前
旧政和駅前。


旧政和小学校
毎夏にアートフェスで楽しませてくれる旧政和小学校。


旧添牛内駅
添牛内跨線橋より旧添牛内駅。


旧添牛内駅
雪原の中にポツンと佇む旧駅舎。


添牛内跨線橋より新富・幌加内方面
添牛内跨線橋より新富・幌加内方面の路盤跡。


旧添牛内駅
旧添牛内駅舎。


旧添牛内駅
少雪の今冬とはいえ添牛内はそこそこの積雪。


旧添牛内駅
旧添牛内駅より添牛内跨線橋。


旧添牛内駅
駅前に1軒だけ残っていた旧山前家は2018年に倒壊しついに撤去された。


旧添牛内駅
いつまでもこの姿が見られることを祈りたい。


浄念寺跡
添牛内旧市街の浄念寺跡。2016年に廃寺となり本堂や庫裏は撤去された。


浄念寺跡
境内跡に残る「小亀源吾君頌徳碑」。昭和2年(1927)6月建立。


浄念寺跡
境内跡に取り残された石碑。何だか寂しい気持ちになってしまう。


添牛内神社
明後日に元旦を迎える添牛内神社。参道は雪に埋もれ、初詣に訪れる人はいるのだろうか。


三頭山
添牛内から政和に戻って。そばの花展望台より三頭山を望む。


政和そばの花展望台より
政和そばの花展望台より。かつてはこの大雪原の中を深名線の列車が走り抜けていた。絵になるなあ。


せいわ温泉ルオント
ひと風呂浴びていこうかと”せいわ温泉ルオントへ”。しかし3月下旬まで全館リニューアル中とのこと。残念だったが、どう改装されているのか次の訪問が楽しみだ。


旧鷹泊駅
本日の最後に旧鷹泊駅へ。


旧鷹泊駅
車のヘッドライトで何となくライトアップして。


旧鷹泊駅前
旧鷹泊駅前。明日は大晦日だ。


撮影日:2019年12月30日(月)
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テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

札沼線(北海道医療大学~新十津川) ~ラストランまであと127日~

札沼線(北海道医療大学~新十津川)のラストランまであと127日となる大晦日。令和元年最後の日を札沼線がどう迎えるのかを見たくて、旭川から車を走らせた。まずは下徳富駅に。




下徳富駅
終着新十津川駅のひと駅隣り、下徳富駅。


下徳富駅
下徳富駅9:21発新十津川行が到着。


下徳富駅
一人の乗降客もなく発車。


札沼線(下徳富~新十津川)
終着新十津川駅に向けて。


下徳富駅
下徳富駅の駅名標。


新十津川駅
さっきの列車が新十津川駅に到着し、駅周辺はしばしの間賑わう。


新十津川駅
駅舎内は今日も人でいっぱい。


新十津川駅
折り返し石狩当別行の乗降口には乗車を待つ客の列。


新十津川駅
駅舎構内側。


新十津川駅
列車がいると駅名標も旅人を迎える表情に変わる。


新十津川駅
人がいることで駅は雰囲気を一変させるなあ。


新十津川駅
間もなく石狩当別行のドアが開く。


新十津川駅
新十津川駅に停車するキハ40形、この光景が見られるのもあと4ヶ月程。


新十津川駅
新十津川駅は訪れた旅人を温かく出迎えてくれる。


新十津川駅
発車時間が迫り、ぞくぞくと旅客が乗り込んでゆく。


南下徳富駅
新十津川駅発車10分前に車で南下徳富駅へ移動。


南下徳富駅
先ほど新十津川駅を発車した列車が南下徳富駅に到着するところ。


南下徳富駅
南下徳富駅に停車。2両編成だと後部車両がホームをはみ出してしまう。


南下徳富駅
南下徳富駅を発車した石狩当別行。


南下徳富駅
一人の乗降客もなく何時もの平静を取り戻す。


南下徳富駅
南下徳富駅ホーム。廃止されたら真っ先に撤去されるんだろうな。


南下徳富駅前
ホームより駅前西方向。


南下徳富駅前
ホームより駅前東方向。駅周辺には数軒の農家がある程度。


南下徳富駅
南下徳富駅ホームより下徳富下9号線踏切。


石狩月形駅
石狩月形駅で発車を待つ10:49発石狩当別行。


石狩月形駅
キハ40形とラッセル車。冬の北海道らしい鉄道風景だ。


石狩月形駅
石狩月形駅を発車した石狩当別行。


石狩月形駅
石狩月形駅構内。


石狩月形駅06
長い歴史を感じさせる石狩月形駅舎。


石狩月形駅前
大晦日を迎えた石狩月形駅前。


石狩月形駅
駅舎内にはストーブが設置され温かい。


札沼線記念入場券 石狩月形駅
石狩月形駅の札沼線記念入場券を購入。


石狩月形駅
切符売場と改札口。


石狩月形駅
廃止後は札沼線遺構として駅舎だけでも残してほしい。


月ヶ岡駅
石狩月形駅から札幌・石狩当別方面へ2駅目の月ヶ岡駅へ。


月ヶ岡駅
月ヶ岡駅ホーム。ここも廃止されたらホームだけは真っ先に撤去されるのだろう。ログハウス風の待合所は、町の管理で公園の休憩所を兼ねており、おそらくこの建物は残されるだろう。


月ヶ岡駅
ホーム出入口に立つ月形町ガイドマップの案内板。


月ヶ岡駅
月ヶ岡駅に浦臼行の列車が入線。


月ヶ岡駅
月ヶ岡駅に停車する12:10発の浦臼行。


月ヶ岡駅
月ヶ岡駅を発車して月ヶ岡道路踏切を通過する浦臼行。


石狩当別駅
そして石狩当別駅に。


石狩当別駅
南口の階段。さすが札幌近郊の電化区間になると洒落てますなあ。


石狩当別駅
石狩当別駅のコンコースに展示されていた玉子形のオブジェ。これはいったい何なのでしょう。


札沼線記念入場券 石狩当別駅
目的だった石狩当別駅の札沼線記念入場券を購入。


札比内駅
札比内にある西光寺へ行きたく、札比内駅へ。


札比内駅
駅舎と公共トイレ。


札比内駅
札比内駅構内。


札比内駅前
駅前通りから国道へ出て西光寺へ向かおう。


西光寺
西光寺境内を通過する石狩当別行。ここは札沼線が寺の境内を分断して通り、寺道路踏切が設けられている。


札比内駅
西光寺より札比内駅を望み。13:35発石狩当別行が停車中。


札比内駅
そして発車。


浦臼駅
新十津川に戻る途中、浦臼駅に立ち寄り。


浦臼駅
待合所の窓から。


新十津川駅
本日の最後、雪が深々と降る新十津川駅へ。


新十津川駅
令和元年大晦日の乗降客数は62人。


新十津川駅
正月を迎える準備は万端。


新十津川駅
明日はどのくらいの人がここを訪れるのだろう。


新十津川駅
ラストランまであと127日。


札沼線ワイン
”道の駅つるぬま”で購入した札沼線ワインを飲みながら年を越そう。


撮影日:2019年12月31日(火)
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宗谷本線 旭川駅・旭川四条駅

旭川から北の果て稚内へ通じる宗谷本線。延べ距離259.4kmの長大路線ながら、ここも名寄以北が「自社単独では維持困難な区間」としてJR北海道が公表した。つまりこのままでは近い将来に廃止となる可能性が非常に高くなっている。令和2年となったことを機に、旭川から稚内までの各駅を訪ね見ておこうと思い立った。まずは宗谷本線の起点旭川駅と次の旭川四条駅から。




旭川駅
宗谷本線の起点、旭川駅。


旭川駅
平成23年(2011)に新駅舎が全面開業。駅と駅周辺は近年に一変した。


旭川駅前
駅前のワイズホテル旭川駅前と北彩都病院。


旭川駅
旭川駅東改札口。


旭川駅
東改札口のきっぷ運賃表。隣の旭川四条まで200円、稚内までの運賃は8360円。


旭川駅
西改札口。近代的な駅舎に変貌したなと、つくづく実感する。


旭川駅_1982年
昭和57年(1982)当時の旭川駅。この駅舎が私にはしっくりくる。


旭川駅_1982年
旭川駅に停車するキハ40 114。国鉄色が懐かしい。

旭川駅については以前の記事にも書いてたのでご参照を。
【関連記事】
旭川駅


旭川四条駅
旭川駅からひと駅目、旭川四条駅に。


旭川四条駅
駅前には鉄道雑貨の店”ぽっぽや。

ぽっぽや
http://www.tetsudouya.jp/home


旭川四条駅
旭川四条駅前、ガード下の商店街。


旭川四条駅
旭川四条駅は昭和32年(1957)仮乗降所として開業、同48年(1973)高架化に伴い旅客駅に昇格し、平成11年頃まで簡易委託で切符販売を行っていた。現在は無人駅となっている。


旭川四条駅
広々とした待合所内。


旭川四条駅
ちゃんと駅ノートもあります。


旭川四条駅
窓越しに四條食堂。昨年末に放映されたテレ東のドラマ”サ道”のロケ地になってました。


旭川四条駅
簡易委託時代の切符販売窓口だろうか。発車時刻表ときっぷ運賃表が掲示されている。


旭川四条駅
高架上のホームに接続する階段半ばから。


旭川四条駅
ちょうど旭川行の普通列車が到着。


旭川四条駅
旭川駅に向けて発車するキハ40形気動車。


旭川四条駅
旭川四条の駅名標。


旭川四条駅
旭川四条駅を後に。次の新旭川駅へ向かおう。


旭川四条駅_1977_CHO7719-C14-9_02
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7719-C14-9を基に作成

昭和52年(1977年)撮影、旭川四条駅周辺の空中写真。既に高架化されており駅の構造は現在とさほど変わりが無いように見える。


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宗谷本線 新旭川駅

旭川四条駅の次は新旭川駅。私が幼少時代に通っていた東六条保育園と東五条小学校の最寄り駅である。小中学生時代にスキー板を担ぎ、何度かここから汽車に乗って比布まで行った記憶がある。有難いことに当時の駅舎と今の駅舎にさほどの変化は無く、私にとってはタイムスリップした感覚に陥る場所。当時風向きによって漂っていた独特なパルプの臭いを思い出す。

新旭川駅は大正11年(1922)一般駅として開業。石北本線の起点駅で、かつてはタンニン工場専用線や国策パルプ工業(現 日本製紙旭川工場)の専用線が分岐していた。昭和59年(1984)に荷物取扱いを廃止、旅客取扱いが簡易委託化された。平成4年(1992)簡易委託が廃止されて無人駅となり、同9年(1997)日本製紙旭川工場の専用線も廃止された。




新旭川駅_1977
空中写真データ:国土地理院 地理院地図(電子国土Web)にて作成
昭和52年(1977年)撮影、新旭川駅周辺の空中写真。タンニン工場専用線と国策パルプ工業(現 日本製紙旭川工場)専用線が確認できる。新旭川駅の構造は大きく変わっていない。駅近郊の東五条小学校は旧校舎に中庭・前庭とグランド、道路を挟んで西側に学校プールが見え、私にとっては小学生時代を思い出し懐かしい。


新旭川駅_1982年頃
昭和57年(1982)頃の新旭川駅。


新旭川駅
現在の新旭川駅。


新旭川駅
約40年前から駅舎が大きく改変されていない。


新旭川駅
待合室内出入口方向。


新旭川駅
待合室内改札口方向。右手に男女別のトイレを設けている。


新旭川駅
新旭川駅構内。


新旭川駅04
駅名標。ここから石北本線が分岐するので、下り方面は”ながやま”と”みなみながやま”が併記されている。


新旭川駅
12:07発旭川駅行が停車。


新旭川駅
旭川行が次の旭川四条へ向けて発車。


新旭川駅
雪煙を巻き上げながら。


新旭川駅
続いて12:11発上川行が到着。


新旭川駅
次の南永山へ向けて。


新旭川駅前
新旭川駅前。


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宗谷本線 北旭川駅(南永山駅跡)・永山駅

新旭川駅と永山駅の中間地点に位置する北旭川駅。昭和43年(1968)に開業した貨物専用の駅である。それ以前は現在の駅構内永山側辺りに西永山駅があり、周辺には田園地帯が広がっていた。西永山駅は昭和42年(1967)に廃止、翌年に開業した北旭川駅の構内に取り込まれる格好で消滅した。北旭川駅ができたことで北東側一帯に卸売市場や企業が集まり流通団地を形成、今日に至っている。

永山駅は明治31年(1898)北海道官設鉄道天塩線の一般駅として開業、昭和59年(1984)に貨物と荷物取扱いが廃止されたが、今もって”みどりの窓口”を設ける有人駅である。駅名は所在地の地名だった永山村(現 旭川市永山・永山町・秋月・流通団地)に由来。永山という地名は明治時代に屯田兵による上川原野の開拓で総指揮を執った永山武四郎から取られたもの。当地は上川原野における最初の開拓地で、明治24年(1891)に屯田兵400戸が入植、ここを中心地として旭川・当麻方面へと開拓が進められた。



北旭川駅_1977
空中写真データ:国土地理院 地理院地図(電子国土Web)にて作成
昭和52年(1977年)撮影、北旭川駅周辺の空中写真。北旭川駅が開業してから9年後、西永山駅が廃止されて10年後。空中写真に示す矢印あたりが西永山駅跡。

永山駅_1977
空中写真データ:国土地理院 地理院地図(電子国土Web)にて作成
昭和52年(1977年)撮影、永山駅周辺の空中写真。駅構内北西側に側線(現在は消滅)が見え、その外側に沿って見える黒っぽい部分は石炭のストックヤードらしい。


北旭川駅
旭川における流通の拠点、流通団地にある北旭川駅。JR貨物に所属する貨物専用の駅で旅客扱いはない。


西永山駅跡付近
北旭川駅構内、西永山駅跡辺り。北旭川駅の開業以前、西永山駅がこの辺りにあったはず。西永山駅は昭和30年(1955)仮乗降所として開業、同34年(1959)駅に昇格したが、同42年(1967)廃止された。


永山駅
次の永山駅に。駅前には近代的なモニュメントを設置するが、何をモチーフとしているのか私は理解できていない。


永山駅
駅舎右隣の白っぽい建物はそば屋だったらしい。


永山駅
駅舎出入口両横に自販機を設置している。


永山駅
改札口とみどりの窓口。永山駅は特急(宗谷・サロベツ)の通過駅だが、”快速なよろ”の停車駅。次の快速は14:35発旭川行。


永山駅
みどりの窓口ときっぷ運賃表。令和2年(2020)現在、宗谷本線でみどりの窓口を設けている駅は、ここと起点の旭川駅、士別駅、名寄駅、音威子府駅、幌延駅、南稚内駅、稚内駅の7駅。


北旭川駅付近
北旭川~永山間、北旭川駅付近を北へ向かって走る特急サロベツ1号。


北旭川駅付近
今夏はこれに乗って稚内から旭川に行きたい。


永山駅
特急サロベツが過ぎ去り除雪作業が進めららる永山駅。


永山駅
これにて永山駅を後に。


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宗谷本線 北永山駅

永山駅から名寄・稚内方面へ向かって次が北永山駅。宗谷本線は永山新川を渡って住宅街から田畑へと景観を一変、そんな農村地帯にひっそりと単式ホームに待合所を設けているのが北永山駅であうる。昭和22年(1949)仮乗降所として開業、同34年(1959)駅に昇格した。平成2年(1990)北海道旭川農業高等学校の移転に伴い永山方面に600m移動している。



北永山駅_1977_02
空中写真データ:国土地理院 地理院地図(電子国土Web)にて作成
昭和52年(1977年)撮影、北永山駅周辺の空中写真。矢印に示す①が現在の駅所在地、②は平成2年(1990)以前の北永山駅で、白っぽい建物が待合所。


宗谷本線(永山~北永山)
農村地帯と住宅街の狭間を北へ向けて走るキハ54(永山~北永山)。


新牛朱別川橋梁
先に見える新牛朱別川橋梁を渡れば北永山駅。


北永山駅
単式ホーム上に待合所を設ける北永山駅。ここから南東約1kmに旭川農業高校があり、通学客もそれなりにいるのだろう。


北永山駅
待合所は北海道仕様のプレハブ。


北永山駅
真新しい駅名標。


北永山駅
待合所に掲げる発車時刻表。上り旭川方面が9本、下り名寄方面が8本、1日15本もの列車がここに停車する。最終は22:50発の名寄行、それなりに乗降客がいるのだろう。


北永山駅
待合所に掲げるきっぷ運賃表と”がんばれ宗谷本線”のポスター。


北永山駅
待合所内から永山町14丁目踏切を望んで。


北永山駅
ホーム上より名寄方面。


北永山駅前
駅前に広がる農村風景。


北永山駅
旭川・永山側のホーム端に設置される駅名標。単式ホームの無人駅ながら2つの駅名標があるのは珍しい。


新牛朱別川橋梁
北永山駅より新牛朱別川橋梁。


北永山駅
北永山駅全景。


北永山駅
北永山駅と右奥に新牛朱別川橋梁。


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宗谷本線 南比布駅

北永山駅より北へ向かって石狩川を越えれば比布町、その比布町南端、比布町南1線5号に南比布駅が所在する。駅のすぐ北側で国道40号が交差、その交差点に国道を通す比布跨線橋が架けられており、車で走っていると駅の存在に気付かない。南比布駅は昭和30年(1955)仮乗降所として開業、同34年(1959)駅に昇格し時期不詳ながら簡易委託で切符販売を行っていたが、同62年(1987)国鉄からJR北海道へ事業が継承された頃には完全に無人化されていたようだ。JR北海道が実施した乗降人員調査(H26~H30)によれば、乗車人員1日平均3名以下、いわゆる「極端にご利用の少ない駅」である。



南比布駅_1977
空中写真データ:国土地理院 地理院地図(電子国土Web)にて作成
昭和52年(1977年)撮影、南比布駅周辺の空中写真。現在と比べて駅周辺や駅構造に大きな変化がないように見える。この当時に簡易委託の切符販売が行われていたかどうか定かではないが、もし行われていたとしたらどこで委託販売していたのだろうか。


南比布駅
比布跨線橋とその下を潜り抜けた先に南比布駅。


南比布駅
南比布駅を通過するラッセル車。


南比布駅
南比布駅待合所。平成26年(2014)旧待合所が解体され新設したものなので築年数は5、6年程度で新しい。旧待合所は板張り壁にトタン屋根の現在と変わらない規模だった。


南比布駅
単式ホームに設置される駅名標。上り方面は北永山、下りが比布。


南比布駅
駅名標は新しい感じ。


南比布駅
ホーム上より上りの旭川方面。


南比布駅
待合所内、ここにも”頑張れ宗谷本線”のポスター。


南比布駅
発車時刻表ときっぷ運賃表。停車する列車は上り下りとも6本。


南比布駅
ベンチ上には駅ノート。秘境駅同好会の会員募集案内が。ここは秘境駅の類らしい。


南比布駅
比布跨線橋上より南比布駅を望み。


南比布駅10
実に味があっていい。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
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10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
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15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
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19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
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24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
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29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

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