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宗谷本線 比布駅

スキーとイチゴの町、比布町。その市街地にあり町の玄関口となっているのが比布駅で、上川郡比布町西町2丁目に所在する。1980年代に樹木希林さんが出演するピップエレキバンのCMで一躍脚光を浴び、全国に名を知らしめた。

比布駅は明治31年(1898)北海道官設鉄道天塩線の延伸(永山~ 蘭留)に伴い一般駅として開業、昭和30年(1955)頃をピークに比布町の人口が減少に転じ、同53年(1978)貨物取扱い廃止、同59年(1984)荷物取扱いが廃止され、切符販売を簡易委託化するが、平成22年(2010)に簡易委託も中止されて完全な無人駅に。しかしながら同28年(2016)新駅舎が完成、駅舎内にカフェカウンター”ピピカフェ比布駅”がオープンした。

駅名の由来は所在する町名から。”ぴっぷ”という地名はアイヌ語の「ピピペッ」(石のごろごろしている川)か、「ピオプ」(石の多いところ)の転訛と考えられており、開拓当時は「必富」という漢字で表記していた。「必ず富む」と読めることから、入場券が縁起物として扱われていた時代もあった。



比布駅_1977
空中写真データ:国土地理院 地理院地図(電子国土Web)にて作成
昭和52年(1977年)撮影、比布駅周辺の空中写真。


比布駅_1982年頃

比布駅_1982年頃
昭和57年(1982)頃の比布駅。


比布駅
かつて比布エレキバンのCMで全国区の有名駅となった比布駅。現駅舎は平成28年(2016)に完成した。出入口上に掲げる駅名板は旧駅舎のものを流用していると思われる。


ぴっぷ町観光マップ
駅前に設置される”ぴっぷ町観光マップ”。


比布駅前
閑散とした駅前通り。


比布駅旧駅名標
駅舎の傍らに設置される旧駅名標。ピップエレキバンのCMに出ていたものと同仕様。


比布駅のポケふた
駅舎近くには”ポケふた”も。


比布駅
駅舎出入口には”ピピカフェ比布駅”のランチメニュー。田舎の駅らしさがなく、洒落たカフェに入った感じ。”にじます親子のスタミナ丼”を食べてみたい。


比布駅
さすがに正月三が日だけにやってなかった。”にじます親子のスタミナ丼”は改めて。


比布駅
待合室と改札口。今は無人駅なので改札はないけど。


比布駅
きっぷ運賃表と発車時刻表。上り旭川方面が下り16本、下り名寄・稚内方面が12本と意外に多くの列車が行き来する。その内、上り下りとも4本の”快速なよろ”が停車する。


比布駅
構内側の駅名板。駅の字が旧字体なので、代々受け継がれてきたものだろう。


比布駅
ホームに設置する名所案内。やはり比布と言えばスキー場が一押しでしょう。


比布駅
旭川方面から快速なよろ3号(名寄行)が比布駅に。


比布駅
1両編成だけに快速っぽくないが…。


比布駅
1番ホームに入線する快速なよろ3号。


比布駅
15:20発の快速なよろ3号が停車、保線要員の方々がホームの除雪に励む。


比布駅
乗降客はいない。


比布駅13
次の和寒駅へ向けて発車する快速なよろ3号。


比布駅
快速が過ぎ去った比布駅構内。


比布駅
最後に現在の駅名標。次に来たときは”にじます親子のスタミナ丼”を食べたい!


訪問日:2020年1月2日(木)
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宗谷本線 北比布駅

比布駅より北へ3.1km、上川郡比布町北5線11号に北比布駅が所在する。北比布駅は南比布駅と同じく昭和30年(1955)仮乗降所として開業し、同34年(1959)駅に昇格。単式ホームにコンクリートブロック造りの待合所を設ける無人駅だったが、平成26年(2014)木造の現待合所に改築された。JR北海道が実施した乗降人員調査(H26~H30)によれば、乗車人員1日平均1名以下の「極端にご利用の少ない駅」、1日で乗降者がいない日も多くあるのだろう。



北比布駅_1977_02
空中写真データ:国土地理院 地理院地図(電子国土Web)にて作成
昭和52年(1977年)撮影、北比布駅周辺の空中写真。40年以上経った今の航空写真と比較すると、駅構造や民家の位置、道路等、ほとんどが変わっていない。


北比布駅
比布町11号踏切と北比布駅。


北比布駅
比布町11号踏切横に待合所とホーム出入口がある。


北比布駅
平成26年(2014)に改築された待合所。


北比布駅
4人くらいが座れるベンチを設ける待合所内。夕暮れ時のこの季節、ここに居るのは修行と思えば何とか。


北比布駅
発車時刻表ときっぷ運賃表。


北比布駅
北比布駅ノート。


北比布駅
快速なよろ8号(旭川行)が通過。


北比布駅
ホーム上より待合所。南比布駅のものと同仕様。


北比布駅
風雪に耐える真新しい駅名標。


北比布駅
ホーム端より比布・旭川方面。


北比布駅前
ホーム上より駅前。数軒の農家がある程度で何にもない。


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宗谷本線 蘭留駅

比布町の北側、宗谷本線が塩狩峠越えを控える地に蘭留駅がある。北海道上川郡比布町北9線14号に所在、アイヌ語の「ラン・ル」が駅名の由来で意味は「下る道」、塩狩峠の南麓に位置していることを示しているのだろう。明治31年(1898)北海道官設鉄道天塩線永山駅~当駅間の延伸開業に伴い一般駅として開業。周辺地域の過疎化による利用者減少により昭和49年(1974)貨物取扱いが廃止、同59年(1984)荷物扱いが廃止され、同61年(1986)無人駅に。同63年(1988)現駅舎に建て替えられた。

駅構造は2面2線の相対式ホームがあり、駅舎対面の2番ホームとは構内踏切で繋ぐ。駅舎は待合室に併設してトイレと保線要員の事務室があり、冬季にはストーブを備える。しかし、JR北海道が実施した乗降人員調査(H26~H30)によれば、乗車人員1日平均3名以下、いわゆる「極端にご利用の少ない駅」である。



蘭留駅_1977
空中写真データ:国土地理院 地理院地図(電子国土Web)にて作成
昭和52年(1977年)撮影、蘭留駅周辺の空中写真。蘭留駅構内にある2面2線の相対式ホームは今と変わらないが、2番線に赤屋根の待合所らしきものがみえる。駅舎は青屋根の前駅舎。駅東側を中心に市街を形成、市街東外れの山麓に蘭留小学校(2009年閉校)が見える。


蘭留駅_1980年代
1980年代撮影、蘭留駅にて。


蘭留駅
昭和63年(1988)に建て替えられた駅舎。小ぢんまりとした可愛らしい外観。


蘭留駅
待合所にはストーブが設置される。


蘭留駅
きっぷ運賃表と発車時刻表。


蘭留駅発車時刻表
1日に停車する列車は上り下りとも9本。8:49に上り旭川行の快速なよろ2号、18:05に下り名寄行の快速なよろ5号が停車する。


蘭留駅
ベンチ上には駅ノート。


蘭留駅
蘭留駅の駅名標。


蘭留駅
JR蘭留駅の駅名表記。


蘭留駅
蘭留駅構内。右奥のホームが2番線で、1日に下り名寄方面の3本が停車する。


蘭留駅
2番線より駅構内。


蘭留駅前
人も車も通らず閑散とした蘭留駅前。店は駅前通りが国道に突き当たる角に高畠商店がある程度。


蘭留駅前
駅前通りより蘭留駅。


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宗谷本線 塩狩駅

比布町と和寒町の境をなす塩狩峠、かつては石狩国と天塩国の国境にあたり、それぞれの国名から一字を取り峠名が付けられた。国道40号と宗谷本線が通り、峠の頂付近に塩狩駅がある。明治42年(1909)2月28日、峠斜面で列車の連結器が外れて最後尾の客車が暴走、客車に乗り合わせていた鉄道院(国鉄の前身)職員長野政雄は身を挺してブレーキをかけ、乗客に一人の犠牲者も出さずに客車を止めた。しかしこの事故で多くの乗客を救った長野は殉職してしまう。それから約60年を経た昭和41年(1966)、この悲話を題材にして三浦綾子が小説「塩狩峠」を発表、峠の名は全国に知られるようになった。塩狩峠には「長野政雄氏殉職の地」碑が設けられ、そのすぐ近くに三浦綾子旧宅を復元した塩狩峠記念館がある。

塩狩駅は塩狩峠の頂上付近、上川郡和寒町字塩狩に所在。大正5年(1916)鉄道院宗谷線の塩狩信号所として設置され、同13年(1924)一般駅に昇格し旅客と荷物取扱いを開始、3年後に貨物取扱いが始められた。しかし利用者減少により昭和49年(1974)貨物取扱い廃止、同59年(1984)荷物取扱いと出改札業務が廃止され、連査閉塞を行う運転要員を残して無人駅に。同61年(1986)運転要員の配置もなくなり完全な無人駅となった。JR北海道が実施した乗降人員調査(H26~H30)によれば、乗車人員1日平均1名以下の「極端にご利用の少ない駅」。悲しいかな現在は乗降客がほとんどいない状況である。



塩狩駅_1977
空中写真データ:国土地理院 地理院地図(電子国土Web)にて作成
昭和52年(1977年)撮影、塩狩駅周辺の空中写真。駅の北側、国道右側にある建物群が塩狩温泉観光ホテルとユースホステル。


塩狩駅_1980年代
1980年代に撮影の塩狩駅。駅舎は現在と同じもので、おそらく出改札業務が廃止された後だろう。名所案内にある塩狩温泉は、駅の北側200m地点にあった塩狩温泉観光ホテルにユースホステルを併設する施設があることを示している。硫酸塩泉の泉質を有する源泉を引いていたようだ。平成17年(2005)に休館、翌年に閉館となって同27年(2015)建物が解体された。現在は近くに塩狩ヒュッテユースホステル(2013開業)があるが、温泉は無いようで源泉は途絶えたものと思われる。


塩狩駅
塩狩駅の出入口。トイレかと思うほどの簡素なドア。


塩狩駅
駅舎内、旧改札口側。


塩狩駅
駅舎内の旧切符売場と荷物取扱いの窓口。一面が封鎖されて掲示板に化している。


塩狩駅
待合室内には乗車人員1日平均1名以下ながら多くのベンチを設置している。


塩狩駅
発車時刻表ときっぷ運賃表。


塩狩駅
旧切符売場前の棚板上に駅ノートが置かれている。


塩狩駅
雪が降りしきる塩狩駅構内。


塩狩駅
猛スピードで塩狩駅を通過する特急サロベツ4号(旭川行)。


塩狩駅
少雪の今冬ながら、しっかり雪に埋もれている塩狩駅構内。


塩狩駅
2番線より駅構内。


塩狩駅
駅舎側1番線と2番線を繋ぐ構内踏切。


塩狩駅
最後に待合室内に展示する俳句集。どの作品もここで多くの人命を救うために殉職した鉄道院職員を偲ぶ。


訪問日:2020年1月2日(木)
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宗谷本線 和寒駅

「わっ!さむ~」なんておやじギャグが囁かれたのも今は昔。名寄盆地の最南端に位置する和寒町の市街地にあり、その玄関口である和寒駅。上川郡和寒町字北町に所在し地名が駅名の由来、アイヌ語の「ワット・サム」(楡の傍ら)が「わっさむ」に転訛したものといわれる。快速「なよろ」はもちろんのこと、特急「宗谷」や「サロベツ」が停車する。

和寒駅は明治32年(1899)北海道官設鉄道天塩線蘭留駅~当駅間の延伸開通に伴い一般駅として開業、利用者減少により昭和57年(1982)貨物取扱い廃止、同59年(1984)荷物取扱いと出改札業務が廃止され、切符販売が簡易委託化された。同63年(1988)現駅舎に改築。平成4年(1992)簡易委託が終了、後は士別駅からの派遣により切符販売が続けられたが、同7年(1995)に派遣も終了となり完全な無人駅となった。



和寒駅_1977
中写真データ:国土地理院 地理院地図(電子国土Web)にて作成
昭和52年(1977年)撮影、和寒駅周辺の空中写真。赤屋根の前駅舎が健在、跨線橋や駅の東西を繋ぐ連絡橋、ホームの配置等の構造は現在と変わっていない。当時の和寒町の人口は7000人ぐらいで現在が約3300人、市街地を現在と比較すると過疎化の進行が見て取れよう。


和寒駅_1980年代
1980年代に列車内より撮影した和寒駅。改札口に駅員がいないので、簡易委託化された後だろう。


和寒駅前
すっかり日が暮れた和寒駅前。寒さが身に染みてくる。


和寒駅
昭和63年(1988)に改築された駅舎。


和寒駅
出入口上には「おかげさまで 和寒駅開駅120周年」。


和寒駅
待合室では「開駅120周年」記念の企画展示があり、明治から平成にかけて様子を写真で紹介する。


和寒駅
和寒駅構内。


和寒駅
16:56発普通列車(旭川行)が塩狩峠へ向けて発車。


和寒駅
1番線ホームと駅名標。


和寒駅
跨道橋より2番線ホーム。上り旭川方面の列車が発着する。


和寒駅
2番線ホームより跨線橋。


和寒駅
1番線に17:35発普通列車(名寄行)が到着。


和寒駅
数名の乗降客があって和寒駅を発車。


和寒駅
誰もいなくなった和寒駅を後にして。


訪問日:2020年1月2日(木)
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札沼線(北海道医療大学~新十津川) ~ラストランまであと124日・前編~

いよいよ廃線年となる令和2年を迎えた1月3日、札沼線にとっては最後の正月となる。札沼線がどんな正月を迎えているのか、できるだけ目に焼き付けておきたい。




札沼線(於札内~南下徳富)
雪原に化した田園地帯を走り抜ける(於札内~南下徳富)。さて列車はどこにいるでしょう?


札沼線(於札内~南下徳富)
間もなく南下徳富駅に。


南下徳富駅
下徳富駅へ入線する新十津川行。


新十津川駅
本日の始発であり最終列車がやってきた新十津川駅。1日1往復のダイヤって、究極のローカル線だよなと、改めて思う。


新十津川駅
駅前の”しんとつかわ駅市”も多くの客で賑わう。


新十津川駅
こんな光景が見られるのもあと4ヶ月程。


新十津川駅
折り返し石狩当別行の乗車を待つ人の列。年末に訪れた時より乗降客が多そうだ。


新十津川駅
キハ40に学園都市線の行先標を見るのも、終わりが近いと思うと悲しい。


新十津川駅
先頭車両の乗降扉が開き、ぞくぞくと旅客が乗り込んでいく。


新十津川駅
あちこちで写真を撮られ大人気のキハ40。


新十津川駅
発車前に新十津川駅を後にして於札内駅へ向かおう。


於札内駅
農村地帯で静かに佇む於札内駅。


於札内駅
於札内駅に最終の10:13発石狩当別行が停車。


於札内駅
駅南側を流れる二本松川。


札沼線(於札内~鶴沼)
於札内駅を発車して次の鶴沼駅へ。この列車をおっかけて次は知来乙駅に向かう。


知来乙駅
知来乙駅に入線する10:53発石狩当別行。


知来乙駅
1人の旅客を乗せて。


知来乙駅
知来乙駅を発車し、厚田岩見沢線踏切に差し掛かる石狩当別行。


札沼線(知来乙~月ヶ岡)
次の月ヶ岡駅に向けて(知来乙~月ヶ岡)。


知来乙駅
列車が去り静けさを取り戻した知来乙駅。


知来乙駅
厳しい風雪に耐えてきた知来乙駅待合所。


知来乙駅
待合所内。扉や窓の隙間から風雪が漏れている。


知来乙駅
きっぷ運賃表と発車時刻表。


知来乙駅
小さな待合所ながらトイレが設置されている。左奥の扉がトイレ出入口。


知来乙駅
ベンチ上には駅ノートをはじめ様々なパンフレット。


知来乙駅
ここに列車が来るのは1日上り7本で下り8本、計15本の列車が停車するが乗車人員1日平均(H26~H30)は5.2人。


豊ヶ岡駅
次は豊ヶ岡駅へ移動。札沼線の秘境駅であり、撮影スポットとしてマニアの間では有名な駅。


豊ヶ岡駅
古びた板張りの待合所。


豊ヶ岡駅
待合所内には何故かテーブルが置かれており、その上に駅ノートがある。


豊ヶ岡駅
2年前の2017年大晦日に訪れていた時、後世にこの待合所を残すべきとのメッセージが天井に書かれていた。今は板張りで消されている。


豊ヶ岡駅
豊ヶ岡駅に12:26発浦臼行が停車。乗降客は無し。ここに列車が停車するのは1日上り下りの各6本、計12本の列車が停車するが乗車人員1日平均(H26~H30)は1.2人。かろうじて1名以下を免れている。


豊ヶ岡駅
豊ヶ岡駅を発車した浦臼行。


札沼線(豊ヶ岡~札比内)
豊ヶ岡駅から浦臼方にある豊ヶ丘陸橋は札沼線の撮影スポット。
次はこの列車を追って浦臼駅へ。


浦臼駅
吹雪いてきたところ、浦臼駅に。


浦臼駅
ホームには発車を待つ13:21発石狩当別行。


浦臼駅
雪が降りしきる駅構内。


浦臼駅
雪、キハ40、浦臼駅、この光景はこれで見納めかな。


浦臼駅11
雪景色の浦臼駅を目に焼き付けて。


訪問日:2020年1月3日(金)
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札沼線(北海道医療大学~新十津川) ~ラストランまであと124日・後編~

浦臼駅でカメラ片手に外を歩き回っていたため、吹雪に晒され体が冷え切ってしまった。温もりを求めて月形温泉へ行ってみることに。温泉はナトリウム・カルシウム塩化物泉で黄色がかった湯。成分が濃いのか湯の花が大量に浮遊しており、予想をはるかに上回ってよい泉質だと感じた。さてさて、ラストランまであと124日の後編は1日1往復区間の夜景をメインに撮影してきた。




札沼線(札的~晩生内)
先ほど浦臼駅で発車を待っていた石狩当別行。札的内川橋梁を通過したところ。


札沼線(札的~晩生内)
晩生内駅へ向けて(札的~晩生内)。


月形温泉ゆりかご
そして”月形温泉ゆりかご”に到着。ここでゆっくり温まり日没を待とう。

月形温泉ホテル
https://tsukigataonsen-hotel.com/


鶴沼駅
温泉とサウナで身も心も温めて、夕闇が深まりつつある鶴沼駅に。


鶴沼駅
明日まで列車がやって来ないのに照明はちゃんと点いている。


鶴沼駅
怖くなるくらいに静かだ。


鶴沼駅
次に札沼線に乗る機会があればここで下車してみたい。


鶴沼駅
鶴沼駅の待合所内。トイレだけが照明を灯している。


於札内駅
薄明が雪原を照らす中、静かに佇む於札内駅。


於札内駅
ここも明日まで列車がやって来ないが、照明はちゃんと点けられている。


於札内駅
ホーム入口の階段上から水野作場踏切。冬場は積雪で踏切を通れず、ショートカットして駅に入るしかない…。


於札内駅
ホーム上にあるのは私の足跡だけ。


南下徳富駅
次は待合所が無い南下徳富駅に。照明で雪面が照らされ幻想的な様相。


南下徳富駅
単式ホームだけの南下徳富駅でも、夜と昼では受ける印象が全然違う。


南下徳富駅
南下徳富駅横にある下徳富下9号線踏切。廃止になった後、真っ先に駅と共に撤去されるだろう。


下徳富駅
夜陰に佇む下徳富駅。1日1往復区間(浦臼~新十津川)で駅舎があるのは、ここと新十津川駅だけ。


下徳富駅
夜の駅舎内。夜と言っても17時ぐらいなんだけど、明日まで列車が来ないので誰もいない。


下徳富駅
有人駅時代の面影を残す駅舎内。


下徳富駅
17時過ぎの駅構内。最終列車がやってきそうな感じはあるんだが。


下徳富駅
駅名標に照明が無いのでフラッシュをたいて撮影。


下徳富駅
下徳富駅を後にして。


新十津川駅
すっかり日が暮れた終着の新十津川駅に。朝の賑わいが嘘のような静けさ。


新十津川駅前
新十津川駅前。右手の建物は空知中央病院。


新十津川駅
明朝に訪れる列車を待つ新十津川駅。


新十津川駅
駅舎出入口には正月らしい飾り。


新十津川駅
夜は誰もいない駅舎内。


新十津川駅
今朝の賑わいが嘘のように静かな駅構内。


新十津川駅
日没を迎えて明かりをともす新十津川駅、日中より旅情を誘う佇まい。


新十津川駅
ラストランまであと124日。


訪問日:2020年1月3日(金)
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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

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