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宗谷本線 稚内駅

「稚内ってどこ?」「わかんない。」なんておやじギャグが囁かれたのも今は昔。日本最北端の都市、稚内の玄関口である稚内駅は宗谷本線(旭川~稚内、全長259.4km) の終着駅で、当然ながら日本最北端の駅。戦前には更に北へ鉄路が延びていて、稚泊連絡船(稚内~樺太の大泊間で運航していた航路)と接続する稚内桟橋駅に通じていた。稚内市中央3丁目に所在し、地名を称する駅名は、アイヌ語の「ヤム・ワッカ・ナイ」(冷たい水の川・沢)」に由来。特急「宗谷」と「サロベツ」の発着駅。

稚内駅は昭和3年(1928)宗谷線稚内駅(現 南稚内駅)~当駅間の延伸開通に伴い稚内港駅として開業、同14年(1939)駅名が稚内駅に改称され、元の稚内駅を南稚内駅に改称した。昭和40年(1965)3代目となる駅舎に建て替えられ、現駅舎が開業する平成23年(2011)までの46年間に渡り使用された。今回稚内を訪れたのは約25年ぶりなので、私が知っている駅舎は3代目の駅舎である。




空中写真_稚内駅_1977_02
空中写真データ:国土地理院 地理院地図(電子国土Web)にて作成
昭和52年(1977年)撮影、稚内駅周辺の空中写真。かつては稚内駅から北方向の岸壁まで貨物線が延びていた。更に東方向へ大きく曲がり北防波堤に沿った路盤が見えるが、これは稚内桟橋駅へ続いていた鉄路跡。


稚内駅(1986年頃)02
昭和61年(1986)頃の稚内駅。駅前に独楽形の塔があり、「怖いのは、消したつもりと消えたはず」と、火災防止を呼び掛けるスローガンを掲げている。一昔前にはこんな塔が多くの駅前にあったなあ。


稚内駅(1986年頃)
昭和61年(1986)頃の稚内駅舎。この駅舎は昭和40年(1965)に完成、平成23年(2011)現駅舎の開業に伴い取り壊された。私にとって稚内駅と言えば見覚えのあるこの駅舎。


稚内駅
4代目となる現在の稚内駅。前の駅舎は線路西側に沿って西向きに建てられていたが、現駅舎は北向きになって白を基調とした窓ガラス多めの近代的な建物。”道の駅わっかない”やバスターミナル等を併設する複合施設「キタカラ」として生まれ変わっている。


稚内駅
駅舎を突き抜けた線路の終端に車止め。「日本最北端の線路」の碑が設けられている。前駅舎のときにはここが宗谷本線の突き当りだったとことを偲ぶ遺構なのだろう。


稚内駅
「日本最北端の線路」の碑より、前駅舎時代の稚内駅構内。右端に見える線路と線路止めが残されたようだ。「最北端の線路」の看板はどこにいったのだろうか。


稚内駅
車止めの先の路面には線路を模した舗装があり、往時を偲ばせている。


稚内駅
駅舎内を貫く線路。


稚内駅
駅舎内の線路より出入口方向。前駅舎時代の線路をこんな形で残すなんてセンスを感じます。


稚内駅
こちらが現在の車止めで、宗谷本線の終端。「最北端の線路」の看板はここに移設されていました。


稚内駅
駅出入口を入って右奥に”道の駅わっかない”の商業施設がある。


稚内駅
稚内観光協会のイメージキャラクター”出汁之介(だしのすけ)”。アザラシが利尻昆布をあまりに食べ過ぎて、体の一部が昆布になってしまったという(笑)


稚内ラーメン
「キタカラ」にある”お食事処ふじ田”で昼食に。ご当地らしい稚内ラーメンを注文。ホタテやイカがトッピングされる海鮮系醤油ラーメンだった。”出汁之介”の大好物、利尻昆布をトッピングにしてほしいなあ。


稚内駅
腹ごしらえを終え駅を出る。次はかつて稚内桟橋駅があった稚内港北防波堤ドームへ行ってみよう。


訪問日:2020年8月3日(月)
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旧宗谷線 稚内桟橋駅跡

宗谷線が稚内駅(現 南稚内駅)まで全通した翌年の大正12年(1923)、宗谷海峡を渡って稚内と大泊(現サハリンのコルサコフ)間を結ぶ稚泊航路が開設される。昭和2年(1927)亜庭丸が就航し、翌年に稚内港駅(現 稚内駅)が開業。同7年(1932)宗谷丸が就航されるて樺太と北海道の往来は全盛を迎え、同13年(1938)旅客の便を図るため稚内港駅から桟橋まで鉄路を延伸して稚内桟橋駅が開業した。しかし終戦直後にソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して樺太侵略を開始、同20年(1945)航路は休止され事実上に稚内桟橋駅は廃止された。現在は昭和6年(1931)から5年の歳月をかけて建設された稚内港防波堤ドームが稚内と樺太の往来があった往時を偲ばせている。




稚内駅
稚内駅から稚内桟橋駅があった北防波堤ドームへ向かおう。


稚内駅北側
車止めモニュメントの先、路面に施された鉄路の跡。


稚内駅北側
北へ向かって線路跡の表示が延びる。


稚内駅北側
道路が横切るところで線路跡の表示は途絶える。かつては先の北臨港駐車場から右に大きく曲がって稚内桟橋駅へ線路が続いていたはず。


稚内駅北側
線路跡の表示が途絶える地点から稚内駅を望む。


北臨港駐車場
北臨港駐車場。かつては稚内駅からの貨物引込線や稚内桟橋駅へ至る線路が敷かれていた。


防波堤公園
北臨港駐車場の先にある防波堤公園。線路はここを大きく右に曲がって稚内桟橋駅へ通じる線路が敷かれていた。


北臨港駐車場
防波堤公園から稚内駅方面への線路跡である北臨港駐車場を望む。


稚内港北防波堤ドーム
防波堤公園から稚内桟橋駅跡を望む。稚泊航路が途絶えて75年が経ち、稚内港北防波堤ドームだけが往時を偲ぶ。


稚内港北防波堤ドーム
稚内港北防波堤ドームは稚内港をはじめ鉄道や桟橋への通路を波から守るため、昭和6年(1931)に建設がはじまり、同11年(1936)に完成した。


稚内港北防波堤ドーム
稚内桟橋駅跡付近より稚内駅方面。線路跡は道路に変貌している。


稚泊航路記念碑
稚内桟橋駅跡、かつて稚泊航路の桟橋だった場所に設けられる記念碑。昭和45年(1970)有志を代表し旭川鉄道管理局長と稚内市長によって建立された。


稚内桟橋駅
稚内ブランド公式ウェブサイト『稚内港北防波堤ドーム(北海道遺産)』より引用

往時の稚内桟橋駅。防波堤ドームの中に改札があったんですね。乗客は列車を降りてこの改札を出ると、線路を跨ぐ階段を上り桟橋へ向かっていたのだろう。


C55型機関車の主動輪
C55型機関車の主動輪。この車輪を持つC55型機関車は昭和12年(1937)に製造、同20年(1945)まで稚泊連絡船への接続列車を、戦後になって急行”利尻”を牽引した。


稚内港北防波堤ドーム東端
北防波堤ドームの東端でドン詰まりに。


巡視船「りしり」
岸壁には稚内海上保安部に所属する巡視船「りしり」が停泊。


巡視船「りしり」
巡視船「りしり」。後部にヘリポートを擁している。


巡視船「もとうら」
こちらは巡視船「もとうら」。


「大鵬幸喜上陸の地」記念碑
北防波堤ドーム公園にある「大鵬幸喜上陸の地」記念碑。今年(2020)5月に建立されたばかりで真新しい。
大鵬は昭和時代に「巨人・大鵬・卵焼き」と言われるほど、大衆に人気があった昭和の大横綱。樺太で生まれ、終戦直後の5歳の時に樺太大泊港から引揚船「小笠原丸」で小樽を目指したが、同乗していた母の体調が悪くなりここ稚内港で途中下船。これが運命の分かれ道となり、翌日に「小笠原丸」は潜水艦の攻撃を受け増毛沖で沈没してしまう。母の体調不良よって辛くも難を逃れる結果となり、「ここ稚内で降りたことで今の自分がある。横綱になれたのも稚内が原点」と、旧友に話をしていたという。


北防波堤ドーム公園
稚内桟橋駅跡の南側に広がる北防波堤ドーム公園。稚内桟橋駅があった時代、この辺りは海だった。


防波堤公園
防波堤公園は私にとって思い出ある場所。約25年前に稚内を訪れた時、ちょうど大道芸人のギリヤーク尼ヶ崎さんが、ここで公演を行っており、この辺から見ていた記憶がある。演目「念仏じょんがら」を踊る姿には衝撃を受けたなあ。


稚内港北防波堤ドーム
稚内港北防波堤ドーム内。完成から84年が経ち激動の昭和を感じる空間である。


稚内港北防波堤ドーム
稚内港北防波堤ドームの西端。


稚内港北防波堤ドーム
西側の海岸より北防波堤ドームを外から望み。


稚内港北防波堤ドーム
海岸にでんと構える半アーチ形の建築物は、ここから見るとなかなか異様な光景。


稚内駅
稚内駅へ戻り。


稚内駅前
人通りがほとんどない駅前。


稚内駅構内
大通り踏切より稚内駅構内を望む。次は歩いて南稚内駅へ。


稚内市街(1986年頃)
この記事の最後に昭和61年(1986)頃に私が撮影した稚内市街。稚内駅北側に並列して駐車している自動車らしきものが見えるので、既に駅北側の貨物引込線は撤去されていたと思われる。現在、北防波堤ドーム南側にある防波堤公園や北防波堤ドーム公園は無く、港湾関係の敷地だったように見える。


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宗谷本線 南稚内駅

宗谷本線の終着駅、稚内駅から旭川方面に向かってひと駅目、2.7km地点に南稚内駅があり、昭和3年(1928)稚内港駅(現 稚内駅)が延伸開業するまでここが宗谷線の終着駅だった。開業当初(大正期)の宗谷線は音威子府から浜頓別を経由してオホーツク海側を通す旧天北線(1989年廃止)の路線だったが、大正15年(1926)音威子府から日本海側の幌延を経由する天塩線が開通、昭和5年(1930)天塩線ルートが正規の宗谷本線となり、浜頓別経由のルートは北見線(後の天北線)に改称された。南稚内駅は平成元年(1989)に天北線が廃止されるまで宗谷本線と天北線の接続駅で、稚内の歓楽街に位置することから、現在も特急「宗谷」や「サロベツ」が停車し、”みどりの窓口”をも有する主要駅なのである。




南稚内駅(1986年頃)
昭和61年(1986)頃の南稚内駅。


南稚内駅
現在(2020年)の南稚内駅。上の写真から30年以上の時を経ているが、外観は大きく変わっていない。駅名表示が出入口上から駅舎中央に変わり、電話ボックスの設置場所や自動販売機の有無に変化がみられる。


南稚内駅
現駅舎は昭和28年(1953)に完成、こう見えて実は木造モルタル造り。


南稚内駅
南稚内駅は改札口やみどりの窓口を有する立派な有人駅。


南稚内駅前
閑散とした月曜日の南稚内駅前。


大黒二丁目地図
駅前にあった大黒二丁目の地図。居酒屋やスナックの文字が多く目に留まる。南稚内駅の北東側一帯は稚内にある日本最北の歓楽街なのだ。


南稚内駅前
稚内駅前から大黒二丁目方面。夜の雰囲気を見てみたい。


南神社
南稚内駅の裏手に鎮座する南神社。鳥居や社殿の全てが赤色。


南稚内駅構内
南稚内駅構内。手前が使われなくなった3番ホーム。


南稚内駅旧3番ホーム
色褪せた旧3番ホームの駅名標。ホームが崩れつつある。


南稚内駅名標
1番ホームにある現役の駅名標。


南稚内駅遠望
特急サロベツ1号(稚内行)が南稚内駅に入線。


南稚内駅遠望
17:19発の特急サロベツ1号が南稚内駅に停車する。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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