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新十津川駅跡(札沼線) ~廃止されて1年7ヶ月が経ち~

昨年(2020年)5月7日に廃止が決まっていた札沼線(北海道医療大学~新十津川)だが、廃止を前にして水を差すかの如く北海道では新型コロナの感染者が増え続け、同年2月に知事より新型コロナウイルス緊急事態宣言が発表された。札沼線の最終運行日に多くの人が集まることを懸念したJR北海道は、前触れなく最終運行を4月17日に前倒しし、廃止日まで全便運休となってしまう。ゴールデンウィークに最終運行を見届けようと北海道に行くつもりだったが、あまりに急な前倒し発表だったために最後の姿を見ることなく廃止から約1年10ヶ月が過ぎてしまった。今はどんな状況になっているのか、久々に新十津川駅を訪ねてみよう。




新十津川駅_空中写真_1977(昭52)
空中写真データ:国土地理院 地理院地図(電子国土Web)より作成
昭和52年(1977)撮影、新十津川駅周辺の空中写真。駅裏手(西側)は防風林、駅前に空知中央病院はまだ無い。


新十津川駅_空中写真_1977(昭52)
空中写真データ:国土地理院国 整理番号CHO7727を基に作成
昭和52年(1977)撮影、新十津川駅の空中写真。新橋色っぽい屋根の駅舎は昭和28年(1953年)に建て替えられたもので、廃止直前より1.5倍程横に長かった。


新十津川駅
2020年1月3日撮影、私が最後に見た新十津川駅。


北海道新聞記事「十津川警部 廃止前の札沼線に」
2020年7月、北海道新聞の記事より
新十津川駅廃止前にあの十津川警部が新十津川駅を訪れたようだ。ここをロケ地にしたドラマは廃止後の2020年7月26日にテレビ朝日系で放映された。


北海道新聞記事「新十津川駅ありがとう」
2021年4月、北海道新聞の記事より
廃止から1年後の4月25日に開かれた「新十津川駅を偲ぶ会」に関する記事。留萌本線終着だった増毛駅と同様に新十津川駅の駅舎も残されると期待していたが、記事によれば2021年6月に解体されたようだ。


新十津川駅
約1年10ヶ月ぶりに訪れた新十津川駅。駅舎は消え失せていた。


寺子屋
駅前の寺子屋も廃業したようにみえる。


新十津川駅
駅舎跡には工事現場のプレハブ事務所が建てられ。


新十津川駅
事務所横に設置する簡易トイレのプレハブには往時の札沼線を偲んだ写真を掲げる。


新十津川駅
何度も石狩当別方面へ戻る列車をここで見送ったなあ…。


新十津川駅_2019年8月
2019年8月6日に撮影、石狩当別行が発車する新十津川駅。


新十津川駅
駅舎は消失したがホームは残り。


新十津川駅
駅舎右横にあった木も残されていた。


新十津川駅
駅跡から駅前方面。駅が無くなり訪れる人はいなくなった。


新十津川駅
駅跡から北方向の石狩沼田方面。廃止当時に駅から230m程北方向にあった車止めは駅近くに移設されていた。


新十津川駅
新十津川駅構内。廃止前には撮れなかったアングル。


新十津川駅
長らく札沼線の終着駅を務めてきた新十津川駅。あの哀愁漂う駅舎は消えてしまった。


新十津川駅
駅舎跡のプレハブ事務所に掲示されていた新十津川駅跡地整備事業の設計図面。


新十津川駅
駅跡地は公園に整備されるようだ。


新十津川駅
来夏には完成した駅跡公園が見られるのだろうか。休憩所として駅舎は残してほしかった。


新十津川駅
駅前の駐車場にダンプカーが止まることなんて廃止前には想像できなかった。


新十津川駅
遅ればせながら、新十津川駅ありがとう!そしてさようなら!


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下徳富・南下徳富跡(札沼線) ~廃止されて1年7ヶ月が経ち~

廃止時に札沼線終着である新十津川駅のひと駅手前にあった下徳富駅。終着ではない無人駅だけに注目されることは無く、訪れる人もまばらながら、廃止まで往時の札沼線を偲ばせる素敵な駅舎を残していた。そしてその南側の札幌・石狩当別方面にあった隣駅が南下徳富駅。単式ホームに待合所を設けるだけの北海道に見られる典型的な無人駅だったが、平成24年(2012)に待合所が撤去され、廃止時にはホーム入口に時刻表ときっぷ運賃表を貼る掲示板が設けられていた。廃止されて1年7ヶ月が経ってどんな姿になっているだろうか。新十津川駅跡から車を走らせてみる。

【関連記事】
札沼線(学園都市線) 下徳富駅・南下徳富駅




下徳富駅_空中写真_1977(昭52)
空中写真データ:国土地理院 地理院地図(電子国土Web)より作成
昭和52年(1977)撮影、下徳富駅周辺の空中写真。駅前には所狭しと倉庫などが建ち並んでいた。駅は新十津川町の花月地区にあり、その集落中心は駅から少し離れた東側の国道沿いに形成される。


南下徳富駅_空中写真_1977(昭52)
空中写真データ:国土地理院 地理院地図(電子国土Web)より作成
昭和52年(1977)撮影、南下徳富駅周辺の空中写真。ホーム出入口付近に待合所が設けられていたことがわかる。


下徳富駅
下徳富駅跡に。


下徳富駅跡
駅舎と共に駅舎前に立っていた松も無くなっていた。


下徳富駅
2019年11月3日に撮影した下徳富駅。


下徳富駅
2020年1月3日撮影、私が最後に見た下徳富駅。駅舎正面側。


下徳富駅
2020年1月3日撮影、私が最後に見た下徳富駅。駅名標。


下徳富駅
2020年1月3日撮影、私が最後に見た下徳富駅。駅舎改札側。


下徳富駅
2020年1月3日撮影、私が最後に見た下徳富駅。駅舎内。


下徳富駅跡
駅舎跡正面より。早々と駅舎とホームは撤去されてしまった。


下徳富駅跡
駅跡より新十津川方面。線路右側にホームと駅舎があったのだが、線路だけが残されている状態。いずれこの線路も撤去されるのだろう。


下徳富駅跡
駅跡より駅前。


下徳富駅跡
駅跡より浦臼・石狩当別方面。線路左手に残存していた旧貨物ホームも無くなっていた。


下徳富駅跡
せめて松前線のように駅跡を示す駅名標のモニュメンントだけでも設置してほしい。


下徳富下9号線踏切跡
下徳富駅跡から南下徳富駅跡へ。駅横の下徳富下9号線踏切jはまだ残っていたが。


南下徳富駅跡
南下徳富駅は完全に無くなっていた。


南下徳富駅
2020年1月3日撮影、私が最後に見た南下徳富駅。


南下徳富駅跡
廃止時は単式ホームだけの駅だっただけにあっという間に撤去されたのだろう。


下徳富下9号線踏切跡
下徳富下9号線踏切の標識。


下徳富下9号線踏切跡
この踏切も次来た時には消え失せているだろうか。


南下徳富駅跡
下徳富下9号線踏切と南下徳富駅跡。


南下徳富駅
2年前の2019年8月10日撮影の南下徳富駅。10:10発の石狩当別行が到着するところ。


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於札内・鶴沼・浦臼駅跡(札沼線) ~廃止されて1年7ヶ月が経ち~

廃止時に札沼線末端の1日1往復区間(浦臼~新十津川)で浦臼町内にあったのが於札内駅と鶴沼駅。両駅とも農村地帯に単式ホームと待合所を設けるだけの無人駅で、平成28年(2016)にJR北海道が公表した資料によれば、乗車人員1日平均1名以下の「極端にご利用の少ない駅」とされ、晩年にはほぼ乗降客が無かったことをうかがう。

そして浦臼町の玄関口とも言うべき浦臼駅は、昭和40年代に駅弁販売を行なうほどに多くの利用客で賑わったようだが、利用客減少の流れに抗えず、昭和59年(1984)に切符販売が簡易委託化、平成5年(1993)頃には簡易委託も中止され完全な無人駅と化した。平成9年(1997)旧駅舎地に駅待合室と歯科診療所を併設する町営の”ふれあいステーション”を設置、廃止された札沼線(北海道医療大学 ~ 新十津川間)の駅では最も近代的な駅舎だった。廃止されて1年7ヶ月が経ってどんな姿になっているだろうか。

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札沼線(学園都市線) 於札内駅
札沼線(学園都市線) 鶴沼駅
札沼線(学園都市線) 浦臼駅




於札内駅_空中写真_1976(昭51)_CHO762_C9_6_02
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO762-C9-6を基に作成
昭和51年(1976年)撮影、於札内駅付近の空中写真。農村地帯にポツンと設けられる単式ホームと待合所が見える。廃止時まで駅構造は変わらなかったようだ。


鶴沼駅_空中写真_1976(昭51)_CHO762_C9_8_02
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO762-C9-8を基に作成
昭和51年(1976年)撮影、鶴沼駅付近の空中写真。単式ホームと待合所を設ける駅構造は廃止時と変わらない。駅から少し離れた南側に鶴沼小学校(1995年閉校、現 校舎が園空間博物館の「農機具展示施設」に転用)が見える。


浦臼駅_空中写真_1976(昭51)_CHO762_C10_11_02
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO762-C10-11を基に作成
昭和51年(1976年)撮影、浦臼駅付近の空中写真。青屋根の駅舎と2本の乗降ホームがあり、島式ホーム中央に待合所らしき建物が見える。この当時はまだ駅弁販売をしていたのだろうか。


浦臼駅駅弁売り_065-x25-3000cw
昔日の北海道 「札幌~石狩沼田 (40年前の「北海道国鉄全線乗車計画:その1)」より引用
浦臼駅で車内から撮影したと思われる駅弁販売員。昭和45年(1970)に撮影とのこと。浦臼駅で駅弁が販売されていたこと証明する貴重な写真。女性販売員が持つ駅弁ケースには”山田”の商号が確認できる。浦臼駅で弁当販売をしていた”山田”については改めて調べて記事に書きたい。


於札内駅
1年10ヶ月ぶりに訪れた於札内駅。


於札内駅
廃止前と様子は変わっていない。


於札内駅
廃止前には撮れなかったアングルで待合所。枠だけ残して駅名標は撤去されるも。


於札内駅
待合所出入口上、錆びだらけの旧駅名標は健在だった。


於札内駅
於札内駅裏手より。


於札内駅
役目を果たして。いまだ来るはずもない列車を待つかのようだ。


於札内駅
駅横にあった水野作場踏切は姿を消した。


於札内駅
廃止前には撮れなかったアングルから於札内駅。これからどういった運命を辿るのか見届けていこう。


鶴沼駅
於札内駅から浦臼・石狩当別方面へ向かって次が鶴沼駅。


鶴沼駅
ここも廃止前の姿を留めていた。


鶴沼駅
まだ廃止前の構造物が健在で今にも列車がやってきそうな雰囲気を残す。


鶴沼駅
ホーム北側に線路と交差する小路があり、枕木を並べて歩行者が線路を渡れるようにしていた。


鶴沼駅
この光景が見られるのもあとどれくらいだろう。


鶴沼駅
待合所も廃止前のまま放置されている感じ。


鶴沼駅
ベンチ上にあった駅ノートは無くなっていた。


鶴沼駅
待合所内にはクモの巣が張り時の流れを感じさせ。


鶴沼駅
使えないのだろうがトイレも残り。


鶴沼駅
窓が抜けて吹き通し。


鶴沼駅
現役時には撮れなかったアングルで鶴沼駅。


鶴沼駅
ホーム下を覗くとこんな標識が。昭和54年(1979)に乗降場が増設されたようだ。


浦臼駅
1日1往復区間(浦臼~新十津川)の起点駅だった”ふれあいステーション”の浦臼駅へ。


浦臼駅
ホームや線路はまだ残されていた。


浦臼駅
今まで気づかなかったが線路に白い物体が設置されている。


浦臼駅
プレートには”ATS-S形地上子”とあり、白い物体は自動列車停止装置だった。2005年9月製造なのでJR福知山線脱線事故(2005年4月)を受けて設置されたものだろう。


浦臼駅
待合所は廃止前と変わらないが、写真右側壁面にあった時刻表ときっぷ運賃表は無くなっている。


浦臼駅
現在はバスの待合所として利用されているようだ。


浦臼駅
掲示板には札沼線関連のポスターを残す。


浦臼駅
廃止後の昨年(2020年)にこんな写真展が開催されていたらしい。


浦臼駅
列車が来なくなってもここはまだ浦臼駅なのだ。


浦臼駅
ホームは立入禁止になり駅名標は撤去された。列車がやって来なくなって1年7ヶ月が過ぎた浦臼駅、あの駅弁を立ち売りしていた女性は今のこの光景を見て何を思うのだろう。


浦臼駅
花月・新十津川経由 滝川駅前行の中央バスが浦臼駅バス停で発車を待つ。


浦臼駅(2017年6月21日撮影)
この記事の最後は2017年6月に撮影した浦臼駅で。


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安牛駅跡(宗谷本線) ~廃止されて8ヶ月が経ち~

日本最北、北海道の宗谷地方にある幌延町。東京23区と同等の大きな面積を持ち、サロベツ原野を有する町域の多くは酪農地帯で約2千4百人の住民が生活する。ここを稚内と旭川を繋ぐ宗谷本線が縦断、その町内南部の開進地区に設けられていたのが大正14年(1925)に一般駅として開業した安牛駅で、晩年には貨車駅舎と1面1線のホームを有する無人駅として存続していたが、平成28年(2016)にJR北海道が公表した資料によれば乗車人員1日平均1名以下の「極端にご利用の少ない駅」とされ、終には今年(2021)3月のダイヤ改正に伴って廃止された。廃止2ヶ月前の今年(2021)1月にここを訪ね厳冬に佇む安牛駅の最後の勇姿を見届けたが、廃止されて8ヶ月が経ちどんな姿に変わり果てているのだろうか。

【関連記事】
安牛駅 ~アイヌ人が鮭の漁場とした伝説の地~




空中写真_安牛駅_CHO775-C14-16_1977(昭52)
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO762-C9-6を基に作成
昭和52年(1977年)撮影、安牛駅付近の空中写真。青屋根の木造駅舎が見え、駅前通り沿いには民家や倉庫が建ち並ぶ。駅南側少し離れた所に安牛小学校があり小さな集落を形成していたことをうかがう。


安牛駅_2021年1月
2021年1月3日撮影、廃止2ヶ月前の安牛駅。


安牛駅跡
廃止されて8ヶ月が過ぎて貨車駅舎は撤去された。


安牛駅跡
撤去された駅舎跡には木造駅舎時代の基礎を残す。


安牛駅跡03
幸いにも貨車駅舎は駅前の空き地に移設されていた。


安牛駅跡
ホームも既に無い。


安牛駅跡
木造駅舎時代の基礎。


安牛駅跡
ここに便所があったようだ。


安牛駅跡
駅舎跡正面。人がいなくなり駅も無くなり…。


旧安牛駅前通り
駅前通り沿いに形成されていた集落は消滅し、人が生活している気配はない。


旧安牛駅駅舎
駅跡前に移設された貨車駅舎。


旧安牛駅駅舎
長年に渡り風雪に耐えてきたことを感じるだろう。


旧安牛駅駅舎
貨車駅舎横には駅名標の枠だけが移設されていた。


旧安牛駅駅舎
JR安牛駅の表記はまだ読み取れる。


旧安牛駅駅舎
劣化が著しい出入口。


旧安牛駅駅舎
がらんとした駅舎内。


旧安牛駅駅舎
無料配布する宗谷本線応援ポスター。


旧安牛駅駅舎
これがその応援ポスター。2枚で1組になっている。


旧安牛駅駅舎
駅舎内出入口側。


旧安牛駅駅舎
窓より駅舎跡を望んで。


旧安牛駅駅舎
役目を終えたこの貨車駅舎はこれからどういった運命を辿るのだろう。


旧安牛駅入口
道道256号から旧駅前通りの入口には「安牛駅」方面を示す標識が残る。


旧安牛駅前通り
道道256号より駅跡方面の旧駅前通り。沿道に人の営みはない。


旧安牛駅前通り
駅跡方面の旧駅前通り。左手に廃屋が見える。


排水2号橋
旧駅前通りから道道を左折したところに架かる排水2号橋。


安牛小学校跡
排水2号橋を渡ってすぐ左手が安牛小学校跡。左手が校舎跡で安牛小学校跡の碑を置く。奥に見える建物は開進集会所。


安牛小学校跡の碑
安牛小学校跡の碑。安牛小学校は大正7年(1918)上幌延尋常小学校付属 雄信内特別教授場として開校、昭和57年(1982)3月に閉校となった。碑には「卒業生436名が声高らかにうたい続けた校歌」が刻まれている。


謝牛之碑
小学校跡地にある謝牛之碑。昭和57年6月15日、安牛農事組合十名による建立。


開進神社
小学校敷地の南側辺に鎮座する開進神社。参拝する人もいなくなってしまったのだろう、社殿に延びる参道は荒れていた。


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雄信内駅(宗谷本線) ~駅前はゴーストタウンと町が紹介する秘境駅~

今年(2021)3月に廃止された安牛駅から音威子府・旭川方面に向かって次の駅が雄信内駅。この駅は雄信内と書いて”おのっぷない”と読ませる難読駅名であるが、地区名称としては”おのぶない”と読むことから、地元住民は”おのぶないえき”と通称しているらしい。駅は天塩郡幌延町字雄興に所在、この”雄興”という地名の由来は、当地の通称地名だった”雄信内”によるもので、天塩川対岸の天塩町に同地名が存在したことから、混同を避けるため”雄興”としたという。

雄信内駅は大正14年(1925)天塩南線(現 宗谷本線)の問寒別駅~幌延駅間の延伸開通に伴い一般駅として開業。昭和7年(1932)天塩町雄信内と駅を結ぶために雄信内大橋が初めて架橋され、同12年(1937)雄信内小学校を設置。同28年(1953)現在の木造駅舎に改築され、同40年代初期には年間3万5千人もの乗降客があって全盛期を迎える。しかしモータリゼーションと過疎化の波が一気に押し寄せ乗降客が大きく減少、昭和57年(1982)貨物扱いを廃止、同59年(1984)荷物扱いと共に旅客業務が廃止され事実上の無人駅になった。

駅周辺にはかつて店や民家が建ち並び市街を形成したが、今やゴーストタウンと言われるほどに寂れてしまい、平成28年(2016)JR北海道より利用客が乗車人員1日平均1名以下の「極端にご利用の少ない駅」とされ、安牛駅と同様に廃止の危機にあった。しかしながら、「宗谷本線の歴史を伝える国鉄型木造駅舎の希少性について考究が必要なこと」を理由に今年(2021)4月より自治体による維持管理に移行され廃止を免れている。




空中写真_雄信内駅_CHO778-C1-18_1977(昭52)
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO778-C1-18を基に作成
昭和52年(1977年)撮影、雄信内駅付近の空中写真。駅前通りから雄信内大橋にかけての道沿いには民家や店、倉庫等が建ち並び、西外れに雄信内小学校があって駅を中心に市街を形成。駅から東側(音威子府・旭川方面)に昭和40年(1965)完成の下平トンネルがあり、天塩川沿岸を通っていた旧線路は道路に転用されている。


雄信内駅
ひと気もなく、ひっそりと佇む雄信内駅。


雄信内駅
駅舎横には簡易トイレらしきものを設置するが、扉には使用停止の貼り紙が。


雄信内駅
古き良き時代を感じる正面入口の駅名板と照明。


雄信内駅前
駅舎より駅前通り。何もありません。


雄信内駅
駅舎内改札口。


雄信内駅
駅舎内出入口。


雄信内駅
ガランとした駅舎内には除雪機が保管されていた。これから大活躍するのだろう。


雄信内駅
木造駅舎には相応しい木製ベンチ。


雄信内駅
切符売場や荷物扱い窓口、有人駅時代の面影を残す。


雄信内駅
荷物扱い窓口の置台には、駅ノートと無料配布の宗谷本線応援ポスター。


雄信内駅
発車時刻表。


雄信内駅
きっぷ運賃表。


雄信内駅
構内改札口。目を惹かれる駅名板が印象的。ここに制帽を被った駅員さんが改札していたら、絵になるなあ。


雄信内駅
駅舎構内側。


雄信内駅
駅名標。次駅を示す貼り紙を剝がしたら右は”やすうし”、左が”かみおのっぷない”と書いてあるはず。


雄信内駅
1番ホームより稚内方面。ホーム左側に側線があり、黄色い何かの運搬車両が停留していた。


雄信内駅
2番線ホームに設置の駅名標は真新しい。


雄信内駅
12:04発名寄行が2番線に到着。


雄信内駅
乗降客は無く次の糠南駅に向けて発車。


雄信内駅前
道道302号から駅前通りが分岐する地点。かつて商店や民家が建ち並んでいたはずだが、倒壊した建物や廃屋が所々に残るのみで、ゴーストタウンと言われる所以を感じよう。


雄信内駅前
駅近隣に残る廃倉庫。


雄信内駅前
駅近隣に残る廃屋。左側の建物は竹内商店と称していた。


神社踏切
駅東側(音威子府、旭川方面)にある神社踏切。この道は雄興神社へ至る参道で、参道を横切る宗谷本線上にこの踏切が設けられている。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
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8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
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10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

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