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上雄信内駅跡(宗谷本線) ~駅へアクセスする道が無かった真の秘境駅~

雄信内駅から音威子府・旭川方面へ向かうと次は糠南駅であるが、かつては上雄信内駅という小さな無人駅があった。昭和31年(1956)上雄信内仮乗降所として開業したが、陸の孤島とも言うべき酪農地帯にあるうえ、駅へアクセスするまともな道が無く、秘境駅の聖地とされるほどだったらしい。晩年には普通列車が2往復しか発着せず、秘境駅マニアでも列車で訪れるのは相当な勇気と覚悟が必要だっただろう。平成13年(2001)廃止。

上雄信内駅は幌延町雄興地区のタンタシャモナイと呼ばれる地域に所在した単式ホーム1面1線に待合所を設けるだけの無人駅。タンタシャモナイと雄信内駅間には天塩川に山裾が突き出た難所があり、下平トンネル完成以前は山腹を切り開いて道路を通していたが、自然災害で通行できなくなることも度々あったのだろう。タンタシャモナイ住民の交通確保を目的に仮乗降所を設置したと思われる。しかし鉄道も川沿いの崖縁に橋梁を架けて通していたため事故が多く、その対策として昭和40年(1965)に下平トンネルが完成、橋梁は下平橋となり旧線路は道路に転用された。




空中写真_上雄信内仮乗降所_CHO776-C14A-1_1977(昭52)
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO776-C14A-1を基に作成
昭和52年(1977年)撮影、上雄信内仮乗降所付近の空中写真。駅の周辺は酪農地帯で、駅から150m程離れた南側を西から東にかけて道が通されているが、駅へアクセスする道が見当たらない。利用者は駅南側にある民家の私道から畑の畦道を通り抜けて駅へアクセスしていたらしい。秘境駅の聖地とされただけに訪れた人も多いようで、ググってみれば現役時代の写真が見られる。


下平橋
雄信内駅から上雄信内駅があったタンタシャモナイ地区へ至る道の途中、天塩川沿岸に山裾が迫る難所に下平橋が架けられている。この道は下平トンネル完成前の宗谷本線旧ルート。トンネル完成後に道路へ転用された。


下平橋
タンタシャモナイ側より下平橋。かつてここを走り抜けた列車に思いを馳せて。


下平橋
今は橋梁補修工事中。この橋が無くなるとタンタシャモナイ地区は完全に陸の孤島と化してしまうのだ。


宗谷本線旧線路跡(上雄信内~雄信内)
タンタシャモナイ地区に入ると道は2又に分岐。宗谷本線の旧線はここを直進方向に進んでいた。上雄信内駅跡へ行くには右の道へ。


宗谷本線旧線路跡(上雄信内~雄信内)
分岐点左手に立てられていた道営開拓地整備事業の案内板。


宗谷本線旧線路跡(上雄信内~雄信内)
分岐点には佐々木牧場の看板。


宗谷本線旧線路跡(上雄信内~雄信内)
分岐点より振り返って雄信内駅方面、下平橋へ向かう旧線跡の道路。


宗谷本線旧線路跡(上雄信内~雄信内)
佐々木牧場の看板裏には”ドラえもん”と”ピカチュウ”が隠れてました。


上雄信内駅跡
ここが駅へアクセスしていた道の入口。出入りを制限するロープを張るための杭が2本残されている。昭和52年(1977)の空中写真を見ると左手に民家があるが現在は無い。


上雄信内駅跡
杭の場所から上雄信内駅跡方面。この草原奥の左右にかけて宗谷本線が通っており、ここを直進して突き当たりに上雄信内駅があった。


上雄信内駅跡
杭から先の草原を歩いて駅跡に行けそうだが、私有地のようなのでここまで。グーグルマップの航空写真を見る限り駅の遺構は何も残っていないだろう。


上雄信内駅跡
上雄信内駅跡より音威子府・旭川方面へ約200m地点にある角材を敷いた簡易踏切。牧場の私道のようだ。


上雄信内駅跡
簡易踏切より幌延・稚内方面。ここから約200m先に上雄信内駅があった。


訪問日:2021年11月15日(月)
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糠南駅(宗谷本線) ~待合所が物置の秘境駅~

幌延町内南部にある宗谷本線・糠南駅。1面1線のホームに待合所を設けるだけの北海道に見られる仮乗降所を出自とした典型的な無人駅であるが、物置が待合所として使われる知る人ぞ知る秘境駅である。昭和30年(1955)糠南仮乗降所として開業、駅名の由来は近郊の旧地名”ヌカナン”より。天塩郡幌延町字問寒別に所在し、駅周辺は酪農地帯で数戸の家がある程度、当然ながら平成28年(2016)に利用客が乗車人員1日平均1名以下の「極端にご利用の少ない駅」とされ廃止の危機にあった。しかしながら「秘境駅等鉄道系資産によるまちおこしの象徴的存在であり民間有志による大規模イベントも開催されていること」を理由に、今年(2021)4月より自治体による維持管理に移行され廃止を免れている。




空中写真_糠南仮乗降所_CHO776-C13A-3_1977(昭52)
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO776-C13A-3を基に作成
昭和52年(1977年)撮影、糠南仮乗降所付近の空中写真。駅の周辺は酪農地帯で、駅南側に問寒別川旧河道の三日月湖がある。当時はホーム上に待合所は無く、踏切側のホーム出入口付近に設けられていたようだ。


糠南駅
酪農地帯にポツンとある糠南駅。秘境駅らしい佇まい。


糠南駅
駅前は広大な牧草地。


糠南駅
板敷ホームに待合所を設ける。


糠南駅
これが物置駅舎として知る人ぞ知る待合所。駅名表記が無いので、こう見ると確かに物置にしか見えない。


糠南駅
この物置は、いやいやこの待合所は淀川製鋼所(ヨドコウ)の”あぜくら”物置だとか。幌延町のホームページによれば、設置から30年近く経ったことで扉の開閉や通気口に老朽化による障害が発生、平成27年(2015)テレビ番組に放映されたことをきっかけに淀川製鋼所の社員が派遣され無償で修繕したとのこと。いい逸話だし、いい会社だ。


糠南駅
物置の扉を開けると…。壁面にはちゃんと時刻表や運賃表があった。


糠南駅
除雪器具も完備。


糠南駅
ビールケース上に駅ノート。


糠南駅
きっぷ運賃表。


糠南駅
発車時刻表。1日に上り下りとも3本の列車が発着。


糠南駅
この辺りはあちこちでヒグマが出没しているようで。


糠南駅
駅名標。”おのっぷない”の貼り紙を剥がせば”かみおのっぷない”が出てくるはず。


糠南駅
ホーム上より稚内方面。北の大地に板敷ホームは映える。


糠南駅
糠南駅を後に。


糠南駅
駅横の中問寒糠南線踏切。


糠南駅
この駅を残してくれた幌延町の英断には頭が下がる思い。


問寒別神社
次の問寒別駅へ向かう途中、問寒別神社に立ち寄り参拝。


問寒別神社
問寒別神社参道。


問寒別神社
糠南駅が末永く後世に残りますように。


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問寒別駅(宗谷本線) ~Youは何しに問寒別へ?~

幌延町地域おこし隊が発信する「幌延町内 秘境駅・無人駅耳寄り情報」によれば、問寒別はテレ東の人気番組名をもじって「Youは何しに問寒別へ?」と紹介。私が何しに問寒別を訪れたかといえば、「問寒別駅の現況を見るべく約40年ぶりに再訪した」と答えるだろう。小学生だったか、中学生だったかの記憶が曖昧だが、当時実家が旭川にあり父親が音威子府に単身赴任していて、夏休みに旭川から音威子府へ行って問寒別を訪れたはず。しかし写真は残っているものの記憶が無い。当時の音威子府駅前に聳え立っていたトーテムポールと、音威子府駅の黒い蕎麦は鮮明に記憶に残っているのだが…。

問寒別駅は天塩郡幌延町字問寒別に所在、大正12年(1923)に天塩線誉平駅(現 宗谷本線天塩中川駅)~ 当駅間の延伸開通に伴い一般駅として開業。昭和35年(1960)に駅舎を改築。利用者減少から同57年(1982)貨物取扱い廃止、同59年(1984)2月に荷物取扱いが廃止され、11月には旅客業務を行う駅員配置も取り止めに。昭和61年(1986)通票閉塞廃止に伴い駅長をはじめ助役、保線管理を務めた4名の駅員が引き上げ完全無人化、旧駅舎は解体され現在の貨車駅舎に改築された。平成28年(2016)JR北海道より利用客が乗車人員1日平均10名以下の「極端にご利用の少ない駅」とされ、先に紹介した幌延町内の無人駅と同様に廃止の危機にあったが、「市街地を形成していること」を理由に今年(2021)4月より自治体による維持管理に移行され廃止を免れている。駅名の由来は所在地名の問寒別による。その地名の由来は問寒別川を指すアイヌ語の「トイ・カム・ペッ(土・被さる・川)」が転訛したもので、土は地域に多くあった食用土を指しているとされる。




問寒別川橋梁
糠南駅~問寒別駅間、問寒別川に架かる宗谷本線の橋梁。


問寒別川
”といかんべつ川”の案内看板。


問寒別駅
幌延町の最南端、問寒別市街中心に玄関口をなす問寒別駅。


問寒別駅
貨車駅舎ながら綺麗に外装が施されている。


問寒別駅
周りの風景に溶け込んだ素敵な貨車駅舎だ。


問寒別駅
駅舎横に木造駅舎時代の基礎が残されている。


問寒別駅_1980年代撮影
これが基礎上に建てられていたかつての木造駅舎。1980年代に撮影。


問寒別駅
ホームに立つ駅名標。


問寒別駅
長年の風雪に耐えてきた感が。


問寒別駅
こちらは簡易トイレ。


問寒別駅
駅より駅前通り。


問寒別駅
駅名標は単式ホーム上に2つ設置されている。


問寒別駅
駅舎出入口。


問寒別駅
出入口より駅舎内。


問寒別駅
駅舎内出入口側。


問寒別駅
訪れた多くの人の思いが綴られる駅ノート。


問寒別駅
ホーム側壁面に発車時刻表ときっぷ運賃表を掲げる。


問寒別駅
きっぷ運賃表。


問寒別駅
発車時刻表。1日に上り下りとも3本の列車が発着。


問寒別駅
”北海道新聞”昭和61年(1986)11月4日の記事。問寒別駅が無人化され”さよならパーティー”が開催されたことを伝える。


問寒別駅
”さよならパーティー”の様子を伝える写真。


問寒別駅
駅開業の大正12年(1923)から無人化する昭和61年(1986)まで22代にわたる歴代駅長一覧。


問寒別駅
幌延町内の駅で何度か見かけた”秘境駅・無人駅耳寄り情報”。


問寒別駅
駅舎内出入口上には「Youは何しに問寒別へ?」。ここを訪れた人に問いかける。


問寒別駅
”北海道新聞”平成29年(2017)9月14日の記事。雄信内駅と問寒別駅の駅名看板が盗まれたことを伝える。何のために盗んだのか…、心無い人がいて悲しい。


問寒別駅
駅前通り。問寒別市街を少々散策してみようか。


問寒別診療所
問寒別の医療を担う問寒別診療所。


問寒別駅小中学校
問寒別駅小中学校。昭和55年(1980)中問寒小中学校と豊神小中学校を統合し現校舎が新築された。


訪問日:2021年11月15日(月)
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歌内駅(宗谷本線) ~2022年3月に廃止される駅~

宗谷本線で幌延町から中川町に入って最初の駅が歌内駅。中川町最北端の中川郡中川町字歌内に所在。大正12年(1923)天塩線誉平駅(現 宗谷本線天塩中川駅)~ 問寒別駅間の延伸開通に伴い一般駅として開業、当初の駅名は宇戸内駅で昭和26年(1951)歌内駅に改称した。同36年(1961)に前駅舎の木造駅舎に改築、現在の貨車駅舎になったのは1990年前後辺りらしい。

昭和40年代初期には年間6万人以上もの乗車客があったが、過疎化から利用者減少が急激に進み同52年(1977)貨物取扱い廃止、同59年(1984)2月に荷物取扱いが廃止され無人化した。JR北海道の調査で利用客が乗車人員1日平均1名以下(の「極端にご利用の少ない駅」とされて廃止の危機にあり、2021年4月より自治体管理に移行。しかしながら中川町も当駅の存続を断念しわずか1年で廃止となってしまう。2022年3月廃止予定。

開業当初の駅名の由来は旧所在地名の宇戸内(うとない)より。歌内地区を流れる宇戸内川を指すアイヌ語のウッ・ナイ(肋骨・川)」に由来する。肋骨の川?ちょっと謎な意味だったので調べてみたところ、旭川市のホームページ内「アイヌ語地名表示板 オホ ウッ ナイ(オホーツナイ川)」に解説が書かれていたので紹介。『「ウッ」とは肋骨のことで、「ウッナィ」は横川、脇川と訳されるが、谷地川とも言われる。湿地を流れる川が本流に肋骨のような形で注ぐ時にこう呼ばれた。』。なるほど!




空中写真_歌内駅_CHO776-C15A-6_1977(昭52)
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO776-C15A-6を基に作成
昭和52年(1977年)撮影、歌内駅付近の空中写真。駅前から歌内橋かけての沿道に建物が並び市街を形成。駅の北側に歌内神社、西側市街外れに歌内小学校がある。


歌内駅
歌内駅。先に訪れた安牛駅と見紛うほどによく似た佇まい。


歌内駅
なかなかのオンボロ具合。


歌内駅
しかし長年の風雪に耐えてきた駅舎の顔は美しい。


歌内駅
駅名表記はまだ読み取れる。


歌内駅
木造駅舎時代の基礎が残る。


歌内駅
ホーム側駅舎出入口。


歌内駅
駅より歌内橋へ向かって駅前通りが延びる。


歌内駅
殺風景な駅舎内だが右奥にトイレを完備する。


歌内駅
トイレをちょっと拝見。


歌内駅
ベンチ上に駅ノート。


歌内駅
駅ノートにはここを訪れた人のどんな思いが綴られているのだろう。


歌内駅
ホーム側壁面に時刻表や運賃表をはじめ様々なお知らせを掲示。


歌内駅
発車時刻表ときっぷ運賃表。


歌内駅
発車時刻表。1日に上り下りとも3本の列車が発着。


歌内駅
きっぷ運賃表。2021年3月に安牛駅や上幌延駅、徳満駅が廃止されたので上貼りされている。


歌内駅
駅舎内より出入口。


歌内駅
窓より駅前を望み。


歌内駅
ホーム側より駅舎。こちら面の方が劣化が進んでいない。


歌内駅
駅名標と駅舎。


歌内駅
平成13年(2001)に隣の下中川駅が廃止されたため、行き先表記に”てしおなかがわ”が上貼りされている。


歌内駅
ホームより稚内方面。


歌内駅
ホームより音威子府・旭川方面。


歌内駅
稚内方面乗車口。


歌内駅
名寄方面乗車口。


歌内駅前通り
かつて駅前商店街を形成した駅前通り。


歌内駅
駅前通りと道道541号の交差点より駅を望む。


歌内駅
もうすぐこの駅は歴史の中に消える。


歌内駅前
駅前にはかつて建物があった痕跡が。


歌内駅前
駅前に残る旧商店。


歌内神社
駅より北方向約350m地点に歌内神社があるので参拝しようと訪れてみた。写真手前より奥にかけてが参道で、奥に社殿があったと思われるが…。


歌内神社
社殿があったと思われる場所はこの状態。ご祭神はどこかに遷座されてしまったようだ。


歌内神社
社殿跡より参道を望む。


歌内神社参道
参道より道道541号。人がいなくなり、駅が無くなり、そして神も去った。


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下中川駅跡(宗谷本線) ~2001年に廃止された駅~

歌内駅から次の天塩中川駅へ向かう途次、かつてこの駅間に存在していた下中川駅跡へ立ち寄ってみることに。下中川駅は平成13年(2001)6月30日に宗谷本線の上雄信内駅・芦川駅、石北本線の天幕駅・中越駅・奥白滝駅と共に廃止された駅で、中川郡中川町字中川に所在した。昭和30年(1955)下中川仮乗降場として開業、酪農地帯にポツンとある1面1線のホームに待合所を設けるだけの無人駅で、周辺には”さけますふ化場”があるくらい。当然ながら乗降客がほとんとなく廃止の運命を辿る。駅名の由来は天塩中川駅より天塩川下流に位置していたため。




空中写真_下中川仮乗降所_CHO776-C17A-7_1977(昭52)_03
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO776-C17A-7を基に作成
昭和52年(1977年)撮影、下中川仮乗降所付近の空中写真。駅前に酪農関係の施設と思われる建物があり、東方向の少し離れた所に”さけますふ化場”がある。


舟見川橋梁
歌内駅から下中川駅跡へ向かう途中にある舟見川橋梁。


舟見川橋梁
舟見川橋梁の塗装歴標。


馬屋川橋梁
次は馬屋川橋梁。


馬屋川橋梁
馬屋川橋梁の塗装歴標。


訓根知川橋梁
更に次が訓根知川橋梁。


訓根知川橋梁
訓根知川橋梁の塗装歴標。


大塚線踏切
訓根知川橋梁から約1.5km音威子府・旭川方面に行ったところに大塚線踏切。


大塚線踏切
いまだ下中川の名が残っている。


下中川駅跡
大塚線踏切より稚内方面。かつて線路左側に下中川駅があった。


下中川駅跡
”さけますふ化場入口”の標識前から駅へアクセスしたのだろう。


下中川駅跡
ここに単式ホームと待合所があったはずだが、今は跡形もなく消え去っている。


大塚線踏切
大塚線踏切より東方向の駅前。この先に”さけますふ化場”がある。


下中川駅跡
かつてはこのアングルで駅の全景が撮れたはず。


第4問寒別佐久停車場踏切
下中川駅から天塩中川方面へ600m程行ったところにある第4問寒別佐久停車場踏切。


第4問寒別佐久停車場踏切
この踏切にも下中川の名が残っていた。


第3問寒別佐久停車場踏切
更に450m程行ったところに第3問寒別佐久停車場踏切。


第3問寒別佐久停車場踏切
ここにも下中川。駅が消えて20年が経ったが、まだ名残りをとどめている。


暗夜川橋梁
第3問寒別佐久停車場踏切から天塩中川方面へ約300mにある暗夜川橋梁。


暗夜川橋梁
暗夜川橋梁の塗装歴標。


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天塩中川駅(宗谷本線) ~ラッシャー木村を生んだ町、中川町の中心駅~

ラッシャー木村を生んだ町、中川町。ラッシャー木村は”金網デスマッチの鬼”と呼ばれ、独特のマイクパフォーマンスで人気になった伝説のプロレスラー、昭和生まれの人なら誰もがその名を知るだろう。その出身地である中川町は北海道北部の山間部に位置し、町内北部を東から北にかけて縦断するように天塩川が流れる地勢で、酪農や畑作、林業を基幹産業にする。町名は中川郡の郡名からとったもので、”中川”は天塩川の中間に位置することに由来。明治39年(1906)当地に中川村が成立したのが始まりで、昭和30年(1955)に人口が7千人を超え、同39年(1964)町制が施行され中川町となった。しかし人口7千人を超えた時をピークに人口は減り続け、2021年11月の統計では1412人。過疎化が進む地域である。

そんな中川町の中心をなすのが天塩中川駅で、宗谷本線を1日2往復(旭川~稚内)する特急サロベツと1往復(札幌~稚内)する特急宗谷が発着する。天塩中川駅は大正11年(1922)、天塩線音威子府駅~当駅間の開通に伴い誉平(ぽんぴら)駅の名で一般駅として開業、昭和26年(1951)現駅名に改称した。同28年(1953)現駅舎の前身となる木造駅舎が完成、利用者減少から同57年(1982)貨物取扱い廃止、同59年(1984)2月に荷物取扱いが廃止され、11月には旅客業務を行う駅員配置も取り止めになり切符販売を簡易委託化した。平成26年(2014)駅舎が町所有となって大幅な改修工事が施され、昭和ロマンを感じさせる素敵な駅舎に変貌を遂げる。

しかしながら平成27年(2015)簡易委託や保線基地での指定席の取扱いが終了、特急列車が停車する駅ながら完全な無人駅となっており、JR北海道の調査で利用客が乗車人員1日平均10名以下(の「極端にご利用の少ない駅」とされている。旧駅名の誉平(ぽんぴら)は旧地名から取ったもので、アイヌ語の「ポン・ピラ(小さい・崖)」に由来、天塩川が捷水路で切り替えられる以前は西に大きく蛇行しており、その川沿いに小さな崖を形成していたようだ。その天塩川が蛇行する右岸に高台があり、その周辺一帯を誉平という地名で呼び、高台を挟んで西側を西原野、東側を東原野と通称し、西原野に誉(ほまれ)市街、東原野に中市街が形成されていた。大正11年(1922)天塩線の開通により誉平駅が開業して駅前に新市街を形成、翌年(1923)に誉市街にあった誉平小学校と役場庁舎が新市街に移転し、更に昭和15年(1940)に着工した天塩川の切替工事により中市街も移転した。現在、誉市街と中市街は消滅しているが、高台に誉平神社(現 中川神社)と無量山極楽寺が残っている。

地形図_誉平_1923(大12)_
清水孝ホームページ 「中川町の沿革」より引用
大正12年(1923)誉平の地形図。天塩川が西に大きく蛇行して流れ、その右岸に誉市街・中市街・新市街の3市街を形成。この地図上ではまだ誉市街に誉平小学校と役場庁舎があり、南側の天塩川に誉市街と瀬尾地区と繋ぐ渡船があったことがわかる。




空中写真_天塩中川駅駅_CHO779-C2-8_1977(昭52)
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO779-C2-8を基に作成
昭和52年(1977年)撮影、天塩中川駅付近の空中写真。天塩川が捷水路で切り替えられる以前の旧河道がはっきりと残っているが、かつて中川村の中心だった誉市街は農地と化し、中市街は河川敷に消えている。駅裏手には大きな貨物ストックヤードがあった。


天塩中川駅_1985年頃撮影
まずは昭和60年(1985)頃に訪れたときの天塩中川駅。


天塩中川駅
そして現在の天塩中川駅。


天塩中川駅
平成26年(2014)に大幅な改修工事が施され、昭和ロマンを漂わせる姿に生まれ変わった。


天塩中川駅
駅舎だけでなく郵便ポストも昭和化。


天塩中川駅前
天塩中川駅より駅前通り(道道438号、天塩中川停車場線)。


天塩中川駅前
”歓迎ふるさと中川町”のアーチがいいね!


天塩中川駅
昭和時代を感じさせるよい佇まい。


天塩中川駅
駅舎に入ってまず玄関フードにコインロッカー。どういった方が利用するのだろう。


天塩中川駅
懐かしいだるまストーブを置く駅舎内。


天塩中川駅
駅舎内改札口。


天塩中川駅
駅舎内出入口。


天塩中川駅
だるまストーブには煙突が付いておらず、飾りとして置いているようだ。


天塩中川駅
きっぷ販売窓口にはこれまた懐かしいピンクの電話が!切符販売窓口は無人駅なので今は使われていない。


天塩中川駅
改札口上にきっぷ運賃表、左横に発車時刻表を掲示。


天塩中川駅
始発は6:10発稚内行の普通列車、最終は22:20発稚内行の特急サロベツ3号。


天塩中川駅
きっぷ運賃表。


天塩中川駅
かつての駅事務室は交流プラザとして改装されている。


天塩中川駅
駅舎構内側。


天塩中川駅
初冬の雪がちらほら降る北海道の曇り空、天塩中川駅は映えますな。


天塩中川駅
1番ホームの駅名標前より稚内方面。


天塩中川駅
まだ新しい駅名標。次に来た時には”うたない”に”といかんべつ”が上貼りされているのだろう。


天塩中川駅
島式の2番ホームより駅構内(稚内方面)。


天塩中川駅
名所案内。ここは”丸太押し相撲発祥の地”だというが、丸太押し相撲って何なのだろうと調べてみたところ、毎年9月に中川町の天塩川河川敷イベント広場で北海道丸太押し相撲大会が開催されているという。2021年は新型コロナのせいで中止になったとのことだが、機会を作って是非とも見てみたい。


天塩中川駅
2番ホームより駅構内(音威子府・名寄方面)。


天塩中川駅
斜陽が射す旧駅事務室(交流プラザ)。


天塩中川駅
建築当時(1953年)の天塩中川駅。


天塩中川駅
昭和40年代の駅舎。


天塩中川駅
昭和57年(1982)の駅舎と平成25年(2013)改修前の駅舎。


天塩中川駅
”北海道新聞”平成26年(2014)11月9日の記事。駅舎を改修し”町交流プラザ・天塩中川駅”が開所したことを伝える。


天塩中川駅
オープンセレモニーの様子。


中川ガイドマップ
駅前広場に設置する中川ガイドマップ。


天塩中川駅事務室
こちらは駅前の天塩中川駅事務室。


天塩中川駅事務室
今も事務室として機能しているのだろうか。


天塩中川駅前
駅前にある西條のQマート。”西條”は道北で馴染みの大規模スーパー。


天塩中川駅前
駅前通り沿いには”栄屋旅館”や中華料理店の”味道家鰭龍”があり、ちょっとした商店街を形成。


天塩中川駅前
こっちには居酒屋スナック”ぽん太”。夜になったら歌声が漏れてくるのかな。


天塩中川駅
元気発信!なかがわ。


栄屋旅館
宗谷本線に乗車して天塩中川駅で下車し丸太押し相撲を見てここに宿泊、そんな旅をやってみたいなあ。ちびちびやりながら自慢の料理をいただければ至福のひと時になるだろう。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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