上雄信内駅跡(宗谷本線) ~駅へアクセスする道が無かった真の秘境駅~
雄信内駅から音威子府・旭川方面へ向かうと次は糠南駅であるが、かつては上雄信内駅という小さな無人駅があった。昭和31年(1956)上雄信内仮乗降所として開業したが、陸の孤島とも言うべき酪農地帯にあるうえ、駅へアクセスするまともな道が無く、秘境駅の聖地とされるほどだったらしい。晩年には普通列車が2往復しか発着せず、秘境駅マニアでも列車で訪れるのは相当な勇気と覚悟が必要だっただろう。平成13年(2001)廃止。
上雄信内駅は幌延町雄興地区のタンタシャモナイと呼ばれる地域に所在した単式ホーム1面1線に待合所を設けるだけの無人駅。タンタシャモナイと雄信内駅間には天塩川に山裾が突き出た難所があり、下平トンネル完成以前は山腹を切り開いて道路を通していたが、自然災害で通行できなくなることも度々あったのだろう。タンタシャモナイ住民の交通確保を目的に仮乗降所を設置したと思われる。しかし鉄道も川沿いの崖縁に橋梁を架けて通していたため事故が多く、その対策として昭和40年(1965)に下平トンネルが完成、橋梁は下平橋となり旧線路は道路に転用された。

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO776-C14A-1を基に作成
昭和52年(1977年)撮影、上雄信内仮乗降所付近の空中写真。駅の周辺は酪農地帯で、駅から150m程離れた南側を西から東にかけて道が通されているが、駅へアクセスする道が見当たらない。利用者は駅南側にある民家の私道から畑の畦道を通り抜けて駅へアクセスしていたらしい。秘境駅の聖地とされただけに訪れた人も多いようで、ググってみれば現役時代の写真が見られる。

雄信内駅から上雄信内駅があったタンタシャモナイ地区へ至る道の途中、天塩川沿岸に山裾が迫る難所に下平橋が架けられている。この道は下平トンネル完成前の宗谷本線旧ルート。トンネル完成後に道路へ転用された。

タンタシャモナイ側より下平橋。かつてここを走り抜けた列車に思いを馳せて。

今は橋梁補修工事中。この橋が無くなるとタンタシャモナイ地区は完全に陸の孤島と化してしまうのだ。

タンタシャモナイ地区に入ると道は2又に分岐。宗谷本線の旧線はここを直進方向に進んでいた。上雄信内駅跡へ行くには右の道へ。

分岐点左手に立てられていた道営開拓地整備事業の案内板。

分岐点には佐々木牧場の看板。

分岐点より振り返って雄信内駅方面、下平橋へ向かう旧線跡の道路。

佐々木牧場の看板裏には”ドラえもん”と”ピカチュウ”が隠れてました。

ここが駅へアクセスしていた道の入口。出入りを制限するロープを張るための杭が2本残されている。昭和52年(1977)の空中写真を見ると左手に民家があるが現在は無い。

杭の場所から上雄信内駅跡方面。この草原奥の左右にかけて宗谷本線が通っており、ここを直進して突き当たりに上雄信内駅があった。

杭から先の草原を歩いて駅跡に行けそうだが、私有地のようなのでここまで。グーグルマップの航空写真を見る限り駅の遺構は何も残っていないだろう。

上雄信内駅跡より音威子府・旭川方面へ約200m地点にある角材を敷いた簡易踏切。牧場の私道のようだ。

簡易踏切より幌延・稚内方面。ここから約200m先に上雄信内駅があった。
訪問日:2021年11月15日(月)
上雄信内駅は幌延町雄興地区のタンタシャモナイと呼ばれる地域に所在した単式ホーム1面1線に待合所を設けるだけの無人駅。タンタシャモナイと雄信内駅間には天塩川に山裾が突き出た難所があり、下平トンネル完成以前は山腹を切り開いて道路を通していたが、自然災害で通行できなくなることも度々あったのだろう。タンタシャモナイ住民の交通確保を目的に仮乗降所を設置したと思われる。しかし鉄道も川沿いの崖縁に橋梁を架けて通していたため事故が多く、その対策として昭和40年(1965)に下平トンネルが完成、橋梁は下平橋となり旧線路は道路に転用された。

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO776-C14A-1を基に作成
昭和52年(1977年)撮影、上雄信内仮乗降所付近の空中写真。駅の周辺は酪農地帯で、駅から150m程離れた南側を西から東にかけて道が通されているが、駅へアクセスする道が見当たらない。利用者は駅南側にある民家の私道から畑の畦道を通り抜けて駅へアクセスしていたらしい。秘境駅の聖地とされただけに訪れた人も多いようで、ググってみれば現役時代の写真が見られる。

雄信内駅から上雄信内駅があったタンタシャモナイ地区へ至る道の途中、天塩川沿岸に山裾が迫る難所に下平橋が架けられている。この道は下平トンネル完成前の宗谷本線旧ルート。トンネル完成後に道路へ転用された。

タンタシャモナイ側より下平橋。かつてここを走り抜けた列車に思いを馳せて。

今は橋梁補修工事中。この橋が無くなるとタンタシャモナイ地区は完全に陸の孤島と化してしまうのだ。

タンタシャモナイ地区に入ると道は2又に分岐。宗谷本線の旧線はここを直進方向に進んでいた。上雄信内駅跡へ行くには右の道へ。

分岐点左手に立てられていた道営開拓地整備事業の案内板。

分岐点には佐々木牧場の看板。

分岐点より振り返って雄信内駅方面、下平橋へ向かう旧線跡の道路。

佐々木牧場の看板裏には”ドラえもん”と”ピカチュウ”が隠れてました。

ここが駅へアクセスしていた道の入口。出入りを制限するロープを張るための杭が2本残されている。昭和52年(1977)の空中写真を見ると左手に民家があるが現在は無い。

杭の場所から上雄信内駅跡方面。この草原奥の左右にかけて宗谷本線が通っており、ここを直進して突き当たりに上雄信内駅があった。

杭から先の草原を歩いて駅跡に行けそうだが、私有地のようなのでここまで。グーグルマップの航空写真を見る限り駅の遺構は何も残っていないだろう。

上雄信内駅跡より音威子府・旭川方面へ約200m地点にある角材を敷いた簡易踏切。牧場の私道のようだ。

簡易踏切より幌延・稚内方面。ここから約200m先に上雄信内駅があった。
訪問日:2021年11月15日(月)

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