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大和田駅(留萌本線) ~かつて大和田炭鉱の石炭積み出しで賑わった駅~

留萌市街の南東部、留萌川が流れる山間部に留萌市大和田町がある。明治後期から昭和30年代にかけて、大和田町には留萌炭田(留萌市・小平町・羽幌町・沼田町にまたがる炭田地帯)の大和田炭鉱があり、明治後期には3千人もの人口を有し、昭和期にかけて病院や学校をはじめ映画館の娯楽施設や飲食街ができて大きな市街を形成する。そんな時代背景の明治43年(1910)鉄道院留萠線の深川駅~留萠駅間が開通し、これに伴い大和田駅が一般駅として開業、大正期に石炭の積込場が設置され留萌港へ向けて盛んに石炭が積み出された。大正14年(1925)北海炭業が経営する大和田炭鉱は閉山、これを引き継ぐ形で寿炭鉱が大和田鉱業所を開設、昭和初期に石炭積込場と専用線を敷設している。

昭和34年(1959)寿炭鉱は会社を解散し大和田鉱業所を閉鎖、大和田炭鉱の歴史は幕を閉じた。これから大和田町は衰退の一途を辿り、昭和35年(1960)大和田駅の貨物扱い廃止、同59年(1984)荷物扱い廃止と共に旅客扱いの人員を配置しない無人駅となった。1980年代後半に有人駅時代の木造駅舎が撤去され、今に見る貨車駅舎となった。駅名の由来は大和田炭鉱にあり、現在は地名にもなって残っている。

ちなみにこの大和田炭鉱を経営していたのが、越前国敦賀(現 福井県敦賀市)出身の”大和田荘七”という人物。つまり大和田という地名と駅名の根源はこの方の名字ということ。大和田荘七は明治から大正期にかけて活躍した実業家で、北前船を運営し大和田銀行や大和田貯金銀行を創立、明治40年(1907)敦賀商業会議所の初代会頭に就任している。子孫に俳優の大和田伸也さんや大和田獏さんがおり、あの大和田ファミリーとここ留萌の大和田の由縁は遠からず繋がっているのだ。




空中写真_大和田駅_USA-M455-26_1947(昭22)_02
空中写真データ:国土地理院 整理番号USA-M455-26を基に作成
昭和22年(1947)撮影、大和田町の空中写真。当時は寿炭鉱大和田鉱業所の時代。駅北側に選炭場と思われる大きな建物があり、ここで石炭の積込みをしていたのだろう。山裾に炭鉱アパート群、その西側一帯に炭鉱施設が見え、町が全盛を迎えていたことをうかがう。


空中写真_大和田駅_CHO7718-C6-8_1977(昭52)_02
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7718-C6-8を基に作成
昭和52年(1977)撮影、大和田町の空中写真。寿炭鉱大和田鉱業所が閉鎖されて18年が経ち、駅北側一帯の炭鉱アパートや炭鉱施設は消え失せている。当時の大和田駅は有人駅で赤茶色屋根の木造駅舎が確認できる。


大和田駅
少し薄暗くなってきた年末の15時半、大和田駅に到着。


大和田駅
駅舎の明かりが灯る。


大和田駅17
駅舎出入口。


大和田駅
出入口より駅舎内。


大和田駅
ホーム側の壁面に時刻表や運賃表をはじめ、様々な案内を掲示する。


大和田駅
駅舎内奥より出入口。


大和田駅
きっぷ運賃表。


大和田駅
発車時刻表。深川方面5本、留萌方面7本の列車が発着。


大和田駅
駅ノート。


大和田駅
駅舎ホーム側。


大和田駅
駅舎より深川方面。


大和田駅
駅名標より深川方面。


大和田駅
駅名標。


大和田駅
駅名標と駅舎。


大和田駅
この明かりが永遠に消える日が来ないことを祈ろう。


大和田駅
駅前には何もない大和田駅。往時にはどんな光景が広がっていたのだろう。


大和田駅前
駅前はこんな感じ。石炭で賑わったのも今は昔。


大和田駅近くの旧商店
大和田駅から少し北側、市街にある旧商店。大和田町の栄華盛衰を肌身に感じてきたのだろう。


訪問日:2021年12月30日(木)
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藤山駅(留萌本線) ~駅名の由来は藤山さん~

留萌市藤山町に所在する藤山駅。駅名の由来は明治中期に藤山要吉という人物が同地に開いた藤山農場にある。小樽を中心に海運業を経営し財を成した藤山要吉は、オホーツク海沿岸部の漁場経営を手掛け、更に北海道の内陸部へ事業を拡大させるべく、明治29年(1896)に留萌原野と呼ばれた当地に藤山農場を開き、主に北陸地方から入植者を入れ開墾事業にも乗り出す。それから14年後の明治43年(1910)留萠線の深川駅~留萠駅間が開通して藤山農場内の当地に駅が開設され藤山駅と命名。昭和22年(1947)市制施行により留萌町が留萌市になった際に現在の藤山町が成立した。駅名が地名より先行して名付けられたケースは珍しい。

明治43年(1910)に一般駅として開業し、藤山町の盛衰を見守り続けてきた藤山駅。昭和37年(1962)貨物扱い廃止、同59年(1984)荷物扱い廃止と共に旅客扱いが廃止され、駅員を配置しない無人駅となった。後に時期不明だが駅事務室部分が解体され今に残る小さな木造駅舎となっている。駅周辺に藤山町の小集落を形成するが、JR北海道の調査で利用客が乗車人員1日平均1名以下の「極端にご利用の少ない駅」とされ、今は乗降客がほとんどいない状況。駅前を通る国道には歩行者用の横断歩道と信号機が設けられ駅利用者に便を図っているのだが、車側の信号機が赤になることはほぼ無いのだろう。

NHK新日本風土記アーカイブスの動画で見るニッポン”みちしる”に藤山駅が紹介されているので↓
藤山駅 開拓者を思い、人々が守って来た駅舎




空中写真_藤山駅_CHO7718-C8A-12_1977(昭52)_02
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7718-C8A-12を基に作成
昭和52年(1977)撮影、藤山町の空中写真。当時の藤山駅は千鳥式に配置された相対式ホーム2面2線を持ち、今に残る留萌本線の峠下駅と同じような駅構造だった。留萌本線に並行して通る道は国道233号で、駅前から国道を東方向(深川方面)に900m程行ったところに藤山小学校(2003年閉校)があった。


藤山駅
留萌駅から内陸部の深川方面に10.1km、かつて留萌原野と呼ばれ藤山農場が開かれた田園地帯にある藤山駅。


藤山駅
小ぢんまりとした木造駅舎ながら個性的な駅舎だ。


藤山駅
駅舎内ホーム側出入口。


藤山駅
駅舎内ホーム国道側出入口。


藤山駅
駅舎に入って左側壁面に発車時刻表やきっぷ運賃表をはじめ、利用客へのお願いやポスターを掲示する。


藤山駅
駅舎に入って右手にベンチ。その上には駅ノートが置かれていた。


藤山駅
駅ノート入れには秘境駅同好会会員募集中の連絡先が。やはりこの駅は秘境駅の部類に入るんだね。


藤山駅
きっぷ運賃表。


藤山駅
発車時刻表。深川方面5本、留萌方面6本の列車が発着。


藤山駅
ホーム側より駅舎。かつて改札口があったような雰囲気も残す。


藤山駅17
駅舎前の深川方面乗車口より留萌方面。


藤山駅
駅名標は色褪せて白銀の世界に溶け込んだ様相。


藤山駅
駅名標より留萌方面乗車口。


藤山駅14
留萌方面乗車口付近にある建物は藤山通信中継機室。中にどんな用途の設備があるのか、そもそも今も使われているのか…。


藤山駅
留萌方面乗車口より深川方面。


藤山駅
駅名標より深川方面。


藤山駅
駅前にある”藤山開拓の碑”。開拓70周年を記念して建立された。


藤山駅前
藤山駅前を通る国道233号。駅へアクセスする地点の国道に歩行者用の信号機が設けられている。


藤山駅前
駅前はこんな様子で店は無い。


訪問日:2021年12月30日(木)
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幌糠駅(留萌本線) ~御料林の木材搬出駅だったのも今は昔~

留萌駅から内陸の深川方面へ15.6km、隣の藤山駅から5.5km行ったところ、留萌川流域の山間に幌糠駅がある。幌糠駅は留萌市幌糠町に所在し、留萌川と山裾を通る国道233号に挟まれる狭い平地に駅を中心として小さな集落を形成する。駅名の由来は所在地名にあり、地名の”ほろぬか”はアイヌ語の「ポン・ヌプカ・ペッ(小さい・野の・川)」に由来。明治43年(1910)留萠線の深川駅~留萠駅間が開通に伴い一般駅として開業、当地には御料林(皇室財産の森林で現在は国有林)があり、伐採した木材を搬出する駅として利用された。昭和52年(1977)貨物扱い廃止、同59年(1984)荷物扱い廃止と共に旅客扱いが廃止され、旅客業務の駅員を配置しない無人駅に。1980年代後半に有人駅時代の木造駅舎が撤去され今に見る貨車駅舎に改築された。JR北海道の調査で利用客が乗車人員1日平均1名以下の「極端にご利用の少ない駅」とされ、今は乗降客がほとんどいない状況である。




空中写真_幌糠駅_USA-R261-18_1948(昭23)
空中写真データ:国土地理院 整理番号_USA-R261-18を基に作成
昭和23年(1948)撮影、幌糠駅周辺の空中写真。幌糠駅東側の旧道沿いに幌糠の集落を形成、留萌川は大きく蛇行している。駅裏手(西側)には現在の国道233号は無く、大規模な貯木場が広がっていた。


空中写真_幌糠駅_CHO7718-C10-21_1977(昭52)
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7718-C10-21を基に作成
昭和52年(1977)撮影、幌糠町の空中写真。当時の幌糠駅は相対式ホーム2面2線に青っぽい屋根の木造駅舎を設ける駅構造。駅裏手(西側)の山裾を留萌本線に並行して新道の国道233号が通され、国道左手の裾野に貯木場の名残りといえる木材工場、市街南側に幌糠小学校(2014年閉校)があった。


幌糠駅
留萌駅から内陸部の深川方面に15.6km、留萌川が流れる山間の農村地帯に佇む幌糠駅。


幌糠駅
有人駅時代の木造駅舎は撤去され今は貨車駅舎に。


幌糠駅
駅舎出入口。正月を迎えようとするささやかな飾り付けが。


幌糠駅
出入口より駅舎内。


幌糠駅
駅舎内より出入口側。


幌糠駅
駅舎内ホーム側にきっぷ運賃表と発車時刻表を掲示。


幌糠駅
発車時刻表。深川方面6本、留萌方面6本の列車が発着。


幌糠駅
きっぷ運賃表。


幌糠駅
駅舎奥の右扉に”W・C”の文字。元はトイレがあったのかもしれないが、ドアノブが無く開けられない。


幌糠駅
UFOキャッチャーにありそうな人形と共に駅ノート。前に訪れた時(2016年)にもこの人形たちはいたな。


幌糠駅
深川方面乗車口より留萌方面。


幌糠駅
”とうげした”の上貼りを剥がせば”ひがしほろぬか”が出てくるはず。東幌糠駅は平成18年(2006)に廃止された。


幌糠駅
留萌方面乗車口と駅名標。


幌糠駅
留萌方面乗車口より深川方面。


幌糠駅
日が暮れて白銀に覆われた山々は色を失ってゆく。灯台の如く明かりを灯して次の列車を導いているかのようだ。これが風前の灯火ではないことを祈りたい。


幌糠駅
訪れる人もなく静かな幌糠駅前。


訪問日:2021年12月30日(木)
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峠下駅(留萌本線) ~山間に木造駅舎を残す秘境駅~

幌糠駅を出て恵比島・深川方面に向かうと両側に山が迫りはじめ、やがて恵比島峠越えの留萌本線最大の難所に差し掛かる。その留萌側にあるのがその名に相応しい峠下駅。現在は駅前に人家がなく秘境駅の様相ながら古い木造駅舎を残す。かつては木材搬出でそこそこの賑わいがあったようで、駅裏手には大きな貯木場が設けられ、駅前に人家もあって小さいながらも市街を形成していたようだ。駅から西方向へ歩いて約1km(徒歩12分)の場所に峠下小学校があったが、平成元年(1989)に閉校となっている。

峠下駅は留萌市留萌村峠下に所在。明治43年(1910)留萠線の深川駅~留萠駅間が開通に伴い一般駅として開業、昭和52年(1977)貨物扱い廃止、同59年(1984)荷物扱い廃止と共に旅客扱いが廃止され、旅客業務の駅員を配置しない無人駅になった。現在も有人駅時代の木造駅舎を残し事務室は保線要員の詰め所として利用、待合室には切符販売窓口や荷物扱い窓口が残存する。千鳥式に配された相対式2面2線のホームを有し、留萌本線で唯一列車交換が可能な駅となっている。JR北海道の調査で利用客が乗車人員1日平均1名以下の「極端にご利用の少ない駅」とされ、今は乗降客がほとんどいない状況で、おそらく秘境駅マニアが乗降するぐらいなのだろう。駅名は所在地名から取ったもので、”峠”は石狩国と天塩国の国境にあった峠を指し、アイヌ語の「ルチシ・ポク(峠・下)」を意訳して地名が付けられたという。




空中写真_峠下駅_USA-R281-156_1948(昭23)
空中写真データ:国土地理院 整理番号USA-R281-156を基に作成
昭和23年(1948)撮影、峠下駅周辺の空中写真。駅前を通る旧道沿いに建物が並び小さな市街を形成、駅裏手には大きな貯木場があり、西側の少々離れた所に峠下小学校が見える。現在の国道233号はまだ通されていない。


空中写真_峠下駅_CHO7718-C10-24_1977(昭52)
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7718-C10-21を基に作成
昭和52年(1977)撮影、峠下駅周辺の空中写真。駅構造は現在と変わらず。駅周辺に建物が散在するが、裏手の貯木場は消失している。新道の国道233号が通され、峠下小学校も健在の様子だが過疎化が進行していたことをうかがう。


峠下駅
留萌本線が恵比島峠越えを控える山間、ほぼ無人地帯になった場所にある峠下駅。


峠下駅
駅周辺は日が落ちて闇夜を迎える中、窓から漏れる明かりが温かい。


峠下駅
待合室には立派な除雪機が。


峠下駅
掲示板に隠れて見えないが左側に切符販売窓口、右側に荷物扱い窓口が残存。窓口は板で塞がれている。


峠下駅
荷物扱い窓口の棚上に駅ノート。


峠下駅
荷物扱い窓口を塞ぐ板にきっぷ運賃表を掲示。


峠下駅
改札口。


峠下駅
改札口横の壁に発車時刻表。1日に上下7本の列車が発着。


峠下駅
今も公衆電話はあるのだろうか。


峠下駅
トイレも完備。


峠下駅
駅構内より留萌方面。


峠下駅
留萌方面の乗降ホームにある駅名標。”ひがしほろぬか”に”ほろぬか”を上貼りしているのだろう。


峠下駅
深川方面の乗降ホームより深川方面。雪が積もってわかりにくいが、写真手前が構内踏切。


峠下駅
深川方面の乗降ホームにある駅名標。


峠下駅
駅名標より深川方面。


峠下駅
間もなく16:42発の深川行と留萌行が到着しここで列車交換するが、旅客は一人も訪れない。


峠下駅
深川行列車が先に到着。


峠下駅
少し遅れて留萌行列車が到着。


峠下駅
深川行の発車を待って留萌行も発車。当然のように一人の乗降客もなく。


峠下小学校跡_GooGle mapストリートビュー_2014年8月_04
この記事の最後にGoogleマップのストリートビューで見る2014年8月の峠下小学校跡。校舎は消え失せ校門だけを残す。奥に見える白っぽい建物は旧教員住宅。往時にはここからどんな光景が見えていたのだろう。


訪問日:2021年12月30日(木)
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深名線の廃線跡から ~2021大晦日~

私は毎年の恒例行事として、主に幌加内町内の深名線廃線跡を辿り、夏には政和アートFesを訪ねていたのだが、忌々しい昨今のコロナ禍のせいでしばらく足が遠のいていた。しかしながら感染者が落ち着きをみせた2021年末の大晦日、2年ぶりに幌加内町を訪ねる機会を得ることができた。深名線廃止から26年の時が流れ、コロナ禍に見舞われる令和の時代、幌加内町に現存する沼牛駅や政和駅、そして添牛内駅がどんな姿になっているのか、旭川から車を走らせ江丹別峠を越えて。




沼牛駅
2年ぶりに沼牛駅に!


沼牛駅
例年の如く雪に埋もれる沼牛駅。


沼牛駅
相変わらずいい顔をしているなあ。


沼牛駅
幌加内町は道内でも特に寒さが厳しいうえに雪が多い地域。木造駅舎を管理するのも容易ではないのだろうと、ここに来て身に染みて思う。


沼牛駅
駅前に並ぶ農業倉庫も健在。


沼牛駅前
間もなく新年を迎える沼牛駅前だが、正月らしさはないな。


沼牛駅
沼牛駅はやはり冬の方が映える。


沼牛駅
駅構内にはいつの間にか信号機が設置されていた。


沼牛駅
沼牛駅構内。ホームは雪に埋もれて見えない。


沼牛駅
駅舎と信号機。往時を偲ばせる素敵な光景だ。


沼牛駅
幌加内の冬は長い、降り積もる雪に耐えて春の訪れを待つ。


沼牛駅
また次の夏に会いに来よう。


第三雨竜川橋梁
無事に2021年大晦日を迎えた第三雨竜川橋梁。


旧政和駅
政和地区に残る旧政和駅。


旧政和駅
駅舎は何とか原形を留めながらトラクターの車庫に転用されている。


旧政和駅
いつの間にか旧駅舎の車庫には駅名標が掲げられていた。


旧政和駅前
旧駅舎より駅前。ここに立つと駅前広場の真ん中にあった幌加内町開基七十周年の記念塔を思い出す。


旧政和駅前
駅前にある建物。入口上に「昭和63年度 水田利用合理化推進事業 集出荷加工処理施設整備対策」と記されているが、どういった目的で利用されていたのだろう。


旧政和駅前
駅前にある旧幌加内町農業協同組合政和事業所。かつては食料品や日用品を扱う店だった。


旧政和駅前
入口上に”旧幌加内町農業協同組合政和事業所”の文字が何とか読み取れる。


旧政和駅
旧幌加内町農業協同組合政和事業所と旧政和駅。


旧政和駅前
駅前にある石積みの農業倉庫。


旧政和駅前
農業倉庫の隣、国道沿いにホクレンの給油所跡。


旧政和駅前
次の夏は久々に政和アートFesへ行けたらいいな。


添牛内駅
そして添牛内地区に残る旧添牛内駅へ。


添牛内駅
長年に渡って積雪によくぞ持ちこたえてきたと感心する駅舎。


添牛内駅
平成29年(2017)に復活した駅名板。


添牛内駅
ホーム側より駅舎。


添牛内駅
幌加内方面を望めば国道239号の添牛内跨線橋が見える。


添牛内駅
深名線の現役時代にこの駅で降りてみたかった。


添牛内駅
と、つくづく思う。


添牛内駅前
駅前の様子。最後まで駅前に残っていた山前家の家屋は無くなってしまったが、いつの間にか国道沿いに新しい家ができていた。


添牛内駅
次の夏に来たときにどんだ姿を見せてくれるだろうか。


添牛内神社
添牛内駅から添牛内地区の鎮守、添牛内神社へ。


添牛内神社
鳥居はあるが参道は雪に埋もれ。明日は元旦だけど初詣という雰囲気ではないな…。


浄念寺跡
添牛内神社鳥居の向かい、浄念寺跡。平成28年(2016年)廃寺となり本堂は消えた。


浄念寺_GooGle mapストリートビュー_2014年8月
Googleマップのストリートビューで見る2014年8月の浄念寺。上写真と同アングルな感じで。


浄念寺跡
旧境内にはいくつかの慰霊碑を残す。


添牛内地区公民館
添牛内地区公民館を見て添牛内を後に。


ルオント
2年ぶりに政和温泉のルオントに。


ルオント
ここが旭川近辺では一番のお気に入りの温泉。


ルオント
館内が綺麗にリニューアルされていて驚いたよ!


幌加内市街
最後に幌加内市街を。まるよしフードセンター。


幌加内市街
まるよしフードセンターから道を挟んで隣(写真右手)には朝明け食堂があった。


朝明け食堂_GooGle mapストリートビュー_2014年8月
在りし日の朝明け食堂。Googleマップのストリートビュー(2014年8月)より。


幌加内市街
例年の如くAコープ幌加内店で”幌加内そば”を買って。


幌加内市街
旭川に向けて帰りましょ。


訪問日:2021年12月31日(金)
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恵比島駅(留萌本線) ~NHK朝ドラのロケ地になった駅~

留萌市と雨竜郡沼田町の境をなす恵比島峠。この峠は北の天塩山地と南の増毛山地に挟まれる地点にあたり、留萌本線は峠下駅から大きく蛇行しながら緩やかに上り、2本のトンネルを潜り抜けてこの峠を越える。その先にあるのが恵比島駅で、雨竜郡沼田町字恵比島に所在。昭和46年(1971)に留萠鉄道炭礦線(恵比島~昭和)が廃止されるまで、その起点駅であり留萌本線との接続駅だった。駅裏手には旧留萠鉄道本社社屋(後に日本ケミカルコートの社屋に転用)の建物が廃墟となって残っているが、私が知る限り留萠鉄道炭礦線の遺構はほとんど残っておらず、幌新駅跡近くの”ほろしん温泉ほたる館”前に同路線で石炭運搬等に使われたクラウス15号蒸気機関車が静態保存されているぐらい。線路跡を丁寧に辿ってみれば、多少なりとも路盤や橋梁、駅の遺構が見られるのかもしれないが、何せ廃止されたのが今から約50年前だけにほぼ消え失せているだろう。

恵比島駅は明治43年(1910)留萠線の深川駅~留萠駅間が開通したことに伴い一般駅として開業。昭和5年(1930)留萠鉄道炭礦線(恵比島~太刀別)が開通し留萌本線から同路線への接続駅となった。昭和40年(1965)駅舎改築、同52年(1977)貨物扱い廃止、同59年(1984)荷物扱い廃止と共に旅客扱いが廃止され、旅客業務の駅員を配置しない無人駅に。この後に切符販売を簡易委託化したとのエビデンスが無いが、私が中学生の頃(1985年前後)、旭川からママチャリで留萌へ向かう途中に恵比島駅へ立ち寄った記憶があり、このとき駅前の商店で切符販売していたような気がするのだが。ウィキペディア(Wikipedia)「恵比島駅」によれば、1980年代後半に貨車駅舎へ改築されたと記述されている。

駅名の由来は所在地名より。地名はアイヌ語の「エ・ピシ・オマ・プ(そこ・浜・入る(ある)・もの)」に由来、どうにでも意訳できそうだが、地形的に解釈すれば内陸部から日本海沿岸へ向かう峠越えの登り口を指しているのだろう。

人類滅亡を予感させるノストラダムスの大予言で世間を騒がせた世紀末の平成11年(1999)、NHK連続テレビ小説「すずらん」が放送される。このドラマのロケ地となったのが恵比島駅で、当時あった貨車駅舎は外装を木造風にして物置のようになり、その横に昭和初期の駅舎を模したロケセットの”明日萌駅”が設置され、駅前には駅長宅や馬小屋、駅前旅館、米穀店、呉服店、居酒屋、日用雑貨店のロケセットが並んだ。朝ドラ放映終了後に留萌本線でSLすずらん号が運行を開始、しかしながらブームが過ぎ去り平成18年(2006年)9月に運行は終了した。

石炭景気で賑わったのも今は昔、過疎化が進んで朝ドラブームも過ぎ去った恵比島駅。JR北海道の調査で利用客が乗車人員1日平均3名以下の「極端にご利用の少ない駅」とされ、今は乗降客がほとんどいない状況で、ドラマきっかけで訪れる観光客もいなくなったのだろう。駅前通り沿いに設けられたドラマセットは徐々に無くなり、駅前通りの突き当りにあった恵比寿神社も鳥居を残すのみ。これで鉄路と共に駅が消えたらと考えると、想像したくない未来だ。




空中写真_恵比島駅_CHO7718-C10-29_1977(昭52)_03
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7718-C10-29を基に作成
昭和52年(1977)撮影、恵比島駅周辺の空中写真。当時の恵比島駅は千鳥式に配置された単式ホームと島式ホーム片面を使う2面2線を持ち、両ホームを構内跨線橋で繋ぐ駅構造。昭和46年(1971)に廃止された留萠鉄道炭礦線の名残りを感じさせるが、同路線が廃止されて6年経っており駅付近の路盤は貯木場に消失、その先に北東へ延びる路盤跡が確認できる。駅前に市街を形成、その南側外れに恵比島小学校(1977年閉校)があった。


恵比島駅旧駅舎
沼田町炭鉱資料館の展示より(2017年8月訪問)
貨車駅舎になる前の恵比島駅。


恵比島駅
曇天の2022年元日、明日萌駅と恵比島駅へ。


明日萌駅
大正から昭和初期を感じさせるロケセットの明日萌駅。


恵比島駅
外装を木造風された貨車駅舎の恵比島駅。


恵比島駅
駅舎前には”萌 トイレ”を設置する。


恵比島駅
駅舎出入口。


恵比島駅
外観に反して駅舎の中はいかにも貨車駅舎。


恵比島駅
2021年沼田町応援大使は日本ハムファイターズの加藤投手と上原投手。今年(2022年)はビッグボスに率いられる日本ハムがどんな野球を見せてくれるのか楽しみだ。ちなみに私は40年近くロッテファンをやってます。


恵比島駅
駅舎内の片隅にある机の上には駅ノートをはじめ、スタンプラリーのスタンプやこどもパスポートが所狭しと置かれていた。


恵比島駅
なんと!スタンプラリーは昨年の1月31日に終了していた。約1年経ってもスタンプが残されているのは次のスタンプラリー企画があるからなのだろうか。


恵比島駅
駅舎内より出入口。


恵比島駅
駅前側壁面に発車時刻表ときっぷ運賃表を掲示。


恵比島駅
発車時刻表。1日に深川方面7本、留萌方面6本の列車が発着。


恵比島駅
きっぷ運賃表。


恵比島駅
駅舎ホーム側。


恵比島駅
深川方面乗車口。


恵比島駅
留萌方面乗車口。


明日萌駅
ホーム側の明日萌駅駅舎。冬季は中に入れない。


明日萌駅
改札口がありこちらの方が本当の駅っぽい。いっそのこと、明日萌駅に改名してこちらを駅として利用した方がいいのではないかと思ってしまう。


明日萌駅
明日萌駅の待合室では萌が今も汽車の到着を待っている。


明日萌駅
コロナ禍の現代だけにピンクのマスクを着けて。


明日萌駅
明日萌駅の事務室。やはり駅長さんもマスクを着けてるね。


旧留萠鉄道本社社屋
ホームより駅裏手側を望むと雪山に立つ煙突が見える。


旧留萠鉄道本社社屋
煙突には”日本ケミカルコート”と書かれている。雪に埋もれて他に何も見えないが、これが旧留萠鉄道本社社屋の遺構である。


留萠鉄道本社
沼田町炭鉱資料館の展示より(2017年8月訪問)
往時の留萠鉄道本社社屋。今も残るあの煙突が見える。


恵比島駅前
駅前にある駅長宅のドラマセット。


恵比島駅前
こちらは馬小屋。


恵比島駅前
恵比島駅前。左手にドラマセットの中村旅館(旧黒瀬旅館)。


恵比島駅前
駅前通りより駅方面。


恵比島駅前
駅前通りの突き当りに恵比寿神社の鳥居が立つ。この神社の本殿は倒壊して現在は無い。そのため初詣の参拝客を迎えることもなく、境内は深い雪に埋もれていた。


訪問日:2022年1月1日(土)
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真布駅(留萌本線) ~仮乗降場の原点を見る駅~

国鉄時代に留萌本線には北秩父別、真布、東幌糠、桜庭、阿分、信砂、朱文別、箸別の仮乗降場が設けらていた。仮乗降場とは読んで字のごとく仮の駅といった類のもので、当時の各鉄道管理局が地域住民の便宜を図って設置し、特に北海道には多くあった。あくまで仮の乗降場なので全国版の時刻表には載っておらず、その存在は地元住民しか知らないという究極のローカル駅だった。国鉄分割民営化により経営がJRへ移行されると同時に、仮乗降場は正式の駅となり全国版の時刻表にも掲載されその存在を示した。なお2022年現在、北秩父別駅と真布駅を除く仮乗降場を出自とする留萌本線の駅は全て廃止されている。

真布駅は雨竜郡沼田町字真布に所在。駅名に付けられた所在地名は、当地を流れる幌新太刀別川の支流”真布川”を起源とする。真布川は”シルトルマップ川”とも称され、アイヌ語の「パンケ・シㇽ・ウトㇽ・オマ・ㇷ゚(川の下流・山・間・入る(ある)・もの)に由来、この前段が大きく省略されて”真布(まっぷ)”という地名になったとされる。昭和31年(1956)留萠本線の真布仮乗降場として旅客のみの扱いで開業、昭和62年(1987)経営がJR北海道に移ったことに伴い駅になった。1面1線の単式ホームに待合所を設ける。周辺は農村地帯で留萌本線に沿って道道1007号が通り、駅からこの道道を恵比島(北西)方向に進み、真布川に沿って上流側へ延びる道を約4km入ったところに真布小学校(1972年閉校)があった。JR北海道の調査で利用客が乗車人員1日平均3名以下の「極端にご利用の少ない駅」とされており、1名以下ではないのが以外な感じ。




空中写真_真布仮乗降場_CHO7727-C1A-13_1977(昭52)
空中写真データ:国土地理院 整理番号_CHO7727-C1A-13を基に作成
昭和52年(1977)撮影、真布仮乗降場周辺の空中写真。単式ホーム1面1線、ホーム上に待合所を設ける駅構造は今と変わらない。駅周辺は農家が数軒まばらにある程度の田畑が広がる農村地帯。


藤沢線踏切
真布駅横にある藤沢線踏切。


真布駅
藤沢線踏切と真布駅。


真布駅
長い歴史を感じさせる板張り壁の待合所。


真布駅
駅名標。


真布駅
待合所出入口の引き戸も味があります。


真布駅
木製ベンチが周りに配される待合所内。


真布駅
令和時代に存在する駅の雰囲気ではないな。


真布駅
ベンチ上に駅ノート。


真布駅
待合所に入って正面に発車時刻表ときっぷ運賃表。


真布駅
発車時刻表。そこそこ列車が通過してしまうようで、1日に深川方面4本、留萌方面5本の列車が発着。


真布駅
きっぷ運賃表。


真布駅
扉の窓から外を望めば厳冬の世界。待合所の中にいればいくらか寒さはしのげる。


真布駅
駅に設置される藤沢線XKと記された設備。通信関係の設備だろうか。


真布駅14
仮乗降場の原点を見る思いに至ってしまう真布駅。新年早々だが、次にまた会う日まで元気で!


訪問日:2022年1月1日(土)
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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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