剣淵駅(宗谷本線) ~絵本の里の無人駅~
旭川から北へ約50km、名寄盆地の南部に位置し農業を基幹産業にして約2千9百人が暮らす剣淵町。町域中央部を天塩川支流の剣淵川が流れ、流域平地に広がる農地では米や小麦をはじめ馬鈴薯、豆類などが生産される。平成3年(1991)に約1万冊の絵本を収蔵して開館した”絵本の館”は同16年(2004)に新館がオープンし、ここを活動拠点にして「絵本の里」としての町づくりに取り組んでいる。
剣淵の地は古くケネフチ・ケヌプチ・ケノフチなどと称し、地名の由来は諸説あるがアイヌ語の「ケネ・二・ペッ(ハンノキ・林・川)」、或いは「ケネ・プチ(Kene-(pet)-puchi、ハンノキ・(川)・その川口」とされ、松浦武四郎の『天塩日誌』には「赤楊多きが故号る」と記される。”赤楊”とは日本全国で見られる落葉高木の”ハンノキ”のことで、水辺を好み低地の湿地や沼地などに多く見られる。
明治30年(1897)天塩国上川郡に士別村・多寄村・上名寄村と共に剣淵村が設置され、同32年(1899)剣淵原野と呼ばれた地に337戸の屯田兵が入植、剣淵戸長役場を設置し本格的な開拓がはじまった。明治33年(1900)北海道官設鉄道天塩線和寒駅~士別駅間の延伸開通に伴い剣淵駅を新設、同39年(1906)二級町村制が施行され自治体としての剣淵村が成立して発展が進んだ。大正4年(1915)に和寒村(現 上川郡和寒町)、昭和2年(1927)に温根別村(現 士別市温根別町)を分村し、昭和37年(1962)町制施行により剣淵町が誕生。しかしながら昭和29年(1954)の人口9530人をピークに人口は減少傾向に陥り、現在は約2900人で少子高齢化と過疎化が進む。
剣淵駅は上川郡剣淵町仲町に所在、明治33年(1900)「けぬふち」の平仮名表記で一般駅として開業し、同38年(1905)「けんぶち」に改められた。剣淵の玄関口として市街発展の中心的存在となり、旅客や貨物集散の要として機能する。しかしながら昭和40年代からモータリゼーションと過疎化の波が押し寄せ、昭和57年(1982)貨物取扱い廃止、同59年(1984)荷物取扱いと共に旅客扱いが廃止され、旅客業務の駅員を配置しない無人駅となり切符販売が簡易委託化。同61年(1986)閉塞が自動化されて運転要員もいなくなり完全に無人化した。同63年(1988)観光物産館とバスターミナルを併設する現在の駅舎に改築され今に至っている。

空中写真データ:国土地理院 地理院地図(電子国土Web)より作成
昭和52年(1977)撮影、剣淵駅周辺の空中写真。有人駅時代の木造駅舎が見え、2面のホームを繋ぐ構内跨線橋は今と変わらない様子。駅裏手に木材貨物のストックヤードを設けている。

1980年代に列車内より撮影した剣淵駅。有人駅時代の木造駅舎だが、既に無人駅となっているのか、改札口に駅員の姿は見えない。窓横に掲げる駅名板は手書きっぽい書体に味があっていい感じ。

令和4年(2022)1月2日の剣淵駅。

昭和63年(1988)に完成した現駅舎。

現駅舎は”絵本の里”をイメージできる外観ではなく、コストと耐久性を重視して建てられたのだろう。どうせなら天塩中川駅のように木造駅舎を改装し、絵本の幻想と歴史の対比を見せるような駅舎にしてほしかった。

駅前広場と簡易委託で切符販売する”丸八おざわ商店”(写真左端)。

駅前には旅館があり、その名も”駅前旅館”。

新しい建物の駅前旅館は観光協会の紹介によれば「豚骨ベースの醤油ラーメンと豚角煮が乗った洋風カレーのセット(サラダ付)が大人気。」とのこと。気になったのでメモっておこう。

駅前通りは剣淵駅から温根別へ向けて延びる道道293号(温根別剣淵停車場線)。

駅前広場に設置する”けんぶちガイドマップ”。

駅名表記の下には丸八おざわ商店で切符を簡易委託販売している旨の案内板。

駅舎内ホーム側出入口。

観光物産館の出入口。

駅前側出入口。

待合ベンチと掲示板の横に管理室出入口の扉。

剣淵駅は”北の大地の入場券”の販売駅だった!駅前の丸八おざわ商店で購入できるらしいので後で立ち寄ってみよう。

剣淵駅の歴史年表。

大正9年(1920)頃の剣淵駅。これが開業当初の駅舎なのだろう。

昭和50年代の剣淵駅。基本的な駅舎構造は大正期と変わっていないようにみえる。

発車時刻表ときっぷ運賃表。

発車時刻表。特急サロベツや宗谷は停車しないが、快速なよろの停車駅。下り名寄・稚内方面12本、上り旭川方面12本の列車が発着する。

きっぷ運賃表。

駅併設の観光物産館内にも待合ベンチを設置。

観光物産館の窓より駅前通り。

ベンチに腰掛けてひと休み。石油ストーブがあり寒さ対策もばっちり。

観光物産館には”絵本の里”らしく絵本棚があり、特産品の展示ケースを置く。

剣淵町の特産品についてはこちらから↓
http://www.kembuchi-kankou.com/specialty/

観光物産館に駅ノートが置いてあった。

ここにもありました、今日も頑張れ宗谷本線のタペストリー。できる限り私は応援します!

1番ホームより名寄・稚内方面。

ホーム側駅舎。前駅舎とは様相を随分と異にしてしまった。

1番ホームに設置する駅名標と観光案内。

”絵本の里けんぶち”の観光案内。

1番ホーム名寄側の駅名標。

行き先表記に上貼りされているのは、2021年3月に両隣の東六線駅と北剣淵駅が廃止されたため。

1番・2番ホームを繋ぐ構内跨線橋。

構内跨線橋内部。

11:35発旭川行のH100形気動車が入線。

次の和寒駅へ向けて発車。

ディーゼル音は徐々に遠のく、巻き上げた雪煙を残して。

”北の大地の入場券”が欲しかったので丸八おざわ商店に。しかし扉が開かず、呼びかけにも応じる人もいない。年明けの2日だけに正月休みのようだ。近いうち改めてここに来よう。
訪問日:2022年1月2日(日)
剣淵の地は古くケネフチ・ケヌプチ・ケノフチなどと称し、地名の由来は諸説あるがアイヌ語の「ケネ・二・ペッ(ハンノキ・林・川)」、或いは「ケネ・プチ(Kene-(pet)-puchi、ハンノキ・(川)・その川口」とされ、松浦武四郎の『天塩日誌』には「赤楊多きが故号る」と記される。”赤楊”とは日本全国で見られる落葉高木の”ハンノキ”のことで、水辺を好み低地の湿地や沼地などに多く見られる。
明治30年(1897)天塩国上川郡に士別村・多寄村・上名寄村と共に剣淵村が設置され、同32年(1899)剣淵原野と呼ばれた地に337戸の屯田兵が入植、剣淵戸長役場を設置し本格的な開拓がはじまった。明治33年(1900)北海道官設鉄道天塩線和寒駅~士別駅間の延伸開通に伴い剣淵駅を新設、同39年(1906)二級町村制が施行され自治体としての剣淵村が成立して発展が進んだ。大正4年(1915)に和寒村(現 上川郡和寒町)、昭和2年(1927)に温根別村(現 士別市温根別町)を分村し、昭和37年(1962)町制施行により剣淵町が誕生。しかしながら昭和29年(1954)の人口9530人をピークに人口は減少傾向に陥り、現在は約2900人で少子高齢化と過疎化が進む。
剣淵駅は上川郡剣淵町仲町に所在、明治33年(1900)「けぬふち」の平仮名表記で一般駅として開業し、同38年(1905)「けんぶち」に改められた。剣淵の玄関口として市街発展の中心的存在となり、旅客や貨物集散の要として機能する。しかしながら昭和40年代からモータリゼーションと過疎化の波が押し寄せ、昭和57年(1982)貨物取扱い廃止、同59年(1984)荷物取扱いと共に旅客扱いが廃止され、旅客業務の駅員を配置しない無人駅となり切符販売が簡易委託化。同61年(1986)閉塞が自動化されて運転要員もいなくなり完全に無人化した。同63年(1988)観光物産館とバスターミナルを併設する現在の駅舎に改築され今に至っている。

空中写真データ:国土地理院 地理院地図(電子国土Web)より作成
昭和52年(1977)撮影、剣淵駅周辺の空中写真。有人駅時代の木造駅舎が見え、2面のホームを繋ぐ構内跨線橋は今と変わらない様子。駅裏手に木材貨物のストックヤードを設けている。

1980年代に列車内より撮影した剣淵駅。有人駅時代の木造駅舎だが、既に無人駅となっているのか、改札口に駅員の姿は見えない。窓横に掲げる駅名板は手書きっぽい書体に味があっていい感じ。

令和4年(2022)1月2日の剣淵駅。

昭和63年(1988)に完成した現駅舎。

現駅舎は”絵本の里”をイメージできる外観ではなく、コストと耐久性を重視して建てられたのだろう。どうせなら天塩中川駅のように木造駅舎を改装し、絵本の幻想と歴史の対比を見せるような駅舎にしてほしかった。

駅前広場と簡易委託で切符販売する”丸八おざわ商店”(写真左端)。

駅前には旅館があり、その名も”駅前旅館”。

新しい建物の駅前旅館は観光協会の紹介によれば「豚骨ベースの醤油ラーメンと豚角煮が乗った洋風カレーのセット(サラダ付)が大人気。」とのこと。気になったのでメモっておこう。

駅前通りは剣淵駅から温根別へ向けて延びる道道293号(温根別剣淵停車場線)。

駅前広場に設置する”けんぶちガイドマップ”。

駅名表記の下には丸八おざわ商店で切符を簡易委託販売している旨の案内板。

駅舎内ホーム側出入口。

観光物産館の出入口。

駅前側出入口。

待合ベンチと掲示板の横に管理室出入口の扉。

剣淵駅は”北の大地の入場券”の販売駅だった!駅前の丸八おざわ商店で購入できるらしいので後で立ち寄ってみよう。

剣淵駅の歴史年表。

大正9年(1920)頃の剣淵駅。これが開業当初の駅舎なのだろう。

昭和50年代の剣淵駅。基本的な駅舎構造は大正期と変わっていないようにみえる。

発車時刻表ときっぷ運賃表。

発車時刻表。特急サロベツや宗谷は停車しないが、快速なよろの停車駅。下り名寄・稚内方面12本、上り旭川方面12本の列車が発着する。

きっぷ運賃表。

駅併設の観光物産館内にも待合ベンチを設置。

観光物産館の窓より駅前通り。

ベンチに腰掛けてひと休み。石油ストーブがあり寒さ対策もばっちり。

観光物産館には”絵本の里”らしく絵本棚があり、特産品の展示ケースを置く。

剣淵町の特産品についてはこちらから↓
http://www.kembuchi-kankou.com/specialty/

観光物産館に駅ノートが置いてあった。

ここにもありました、今日も頑張れ宗谷本線のタペストリー。できる限り私は応援します!

1番ホームより名寄・稚内方面。

ホーム側駅舎。前駅舎とは様相を随分と異にしてしまった。

1番ホームに設置する駅名標と観光案内。

”絵本の里けんぶち”の観光案内。

1番ホーム名寄側の駅名標。

行き先表記に上貼りされているのは、2021年3月に両隣の東六線駅と北剣淵駅が廃止されたため。

1番・2番ホームを繋ぐ構内跨線橋。

構内跨線橋内部。

11:35発旭川行のH100形気動車が入線。

次の和寒駅へ向けて発車。

ディーゼル音は徐々に遠のく、巻き上げた雪煙を残して。

”北の大地の入場券”が欲しかったので丸八おざわ商店に。しかし扉が開かず、呼びかけにも応じる人もいない。年明けの2日だけに正月休みのようだ。近いうち改めてここに来よう。
訪問日:2022年1月2日(日)

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