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名寄駅(宗谷本線) ~かつては3路線が乗り入れたターミナル駅~

大関”名寄岩”を生んだ町、名寄市。名寄岩は昭和前期に活躍した立浪部屋所属の力士で、大関6場所と関脇15場所を務めた。”右四つ”や”つり”、”すくい投”といった技を得意として”怒り金時”の異名を持つ。力士が懸賞金を受け取るときに行う”手刀”は名寄岩”が始めたとされる。当時の立浪部屋には横綱へ上り詰めた兄弟子の双葉山を筆頭に、弟弟子で大関争いでライバル関係にあった羽黒山がおり、この3力士は”立浪三羽烏”と称えられて相撲界を大いに盛り上げ、横綱双葉山が土俵入りする際に太刀持ちを名寄岩、露払いに羽黒山が付き添えられた。昭和29年(1954)名寄岩は幕内在位44場所の40歳で引退、名寄市の北国博物館で名寄岩の功績を伝える常設展示があり、化粧まわしや板番付をはじめ愛用品などを展示している。

旭川から北へ約70km、名寄盆地に人口約2万6千人を有する名寄市。道北の中心都市であり、その市街中心に宗谷本線の名寄駅があり玄関口としてその役目を果たす。明治36年(1903)北海道官設鉄道天塩線(現 宗谷本線)が士別駅から名寄方面へ延伸開通、名寄駅はその終着駅として開業する。同44年(1911)天塩線は更に延伸して恩根内駅まで開通、大正8年(1919)名寄西線(後の名寄本線)名寄駅~下川駅間 が開通、同12年(1937)名雨線(後の深名線)名寄駅~初茶志内駅(後の天塩弥生駅)間が開通し、3路線が乗り入れるターミナル駅に発展した。昭和30年(1955)構内売店(後のキヨスク)開店、同43年(1968)みどりの窓口設置、同53年(1978)旅行センターが設置され、この頃に全盛時代を迎えたと言っていいだろう。

1980年代から斜陽の時代を迎える。昭和61年(1986)荷物取扱い廃止、平成元年(1989)名寄本線廃止、同7年(1995)深名線廃止、同21年(2009)駅弁販売終了、同28年(2016)旅行センター(ツインクルプラザ)が営業終了しキヨスクも閉店した。現在は昭和2年(1927)改築の2代目駅舎が改修されて残り、みどりの窓口は健在だが駅そば屋や売店が無く少々寂しい感じながらも、サロベツや宗谷の特急列車が発着する宗谷本線の主要駅である。JR北海道が公表する資料によれば名寄駅から先、稚内駅までの宗谷本線は輸送密度(旅客営業キロ1kmあたりの1日平均旅客輸送人員)500人未満の利用客が少ない線区であり、近い将来に名寄駅が終着駅になるかもれしれない。

地名の由来を角川日本地名大辞典より引用して紹介。
『アイヌ語のナイ・オロ・プト(川の・所の・口の意)に由来し、名寄川の川口を指す地名である(北海道の地名)。古くは名寄川をナヨロと称し、天塩川と名寄川の合流点はナイブトと呼んだ。』




空中写真_名寄駅_CHO7712-C12B-12_1977(昭52)
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7712-C12B-12を基に作成
昭和52年(1977)撮影、名寄駅周辺の空中写真。今も現存する駅舎と跨線橋があり、駅裏手に扇型機関庫と転車台が見える。駅南側で宗谷本線・名寄本線・深名線が三つ又に分岐していた。


名寄駅_1985年頃
1985年頃に撮影した名寄駅。


名寄駅_2015年8月
上写真から約30年後、2015年8月撮影の名寄駅。駅も人も時の流れを感じます。


名寄駅_2015年8月
名寄駅(2015年8月撮影)。


名寄駅_2015年8月
名寄駅(2015年8月撮影)。当時は屋根の色が緑系だった。


名寄駅_2015年8月
名寄駅構内(2015年8月撮影)。


名寄駅
そして現在(2022年8月)の名寄駅。


名寄駅
昭和2年(1927)改築の木造駅舎を残す。平成30年(2018)に改修工事を終え、屋根がえんじ色に塗り替えられた。


名寄駅
駅前側出入口。


名寄駅
みどりの窓口と改札口。


名寄駅
人がいないので広々と感じる駅舎内。奥が待合室。


名寄駅
改札口に掲げられる発車時刻表。


名寄駅
待合室には到着時刻表。


名寄駅
多目的ルームに掲示していた”名寄駅のあゆみ”。


名寄駅
名寄駅乗換跨線橋の紹介。現存する構内跨線橋は大正8年(1919)に供用を開始、100年以上使われていきた歴史的建造物で、現役の構内跨線橋としては北海道最古のもの。。


名寄駅
名寄駅の”北の大地の入場券”。


三星食堂
駅前にある三星食堂。


三星食堂
大正3年(1914)創業。北海道にあっては老舗中の老舗である。


三星食堂
ラーメン、そば、様々な定食に丼物、そしてカレーとチャーハン。昼飯に食べたくなるメニューがずらりと並ぶ。


名寄駅
三星食堂より名寄駅。


三星食堂
昼どきのピークを過ぎた13時過ぎながら店内はお客さんでいっぱい。


三星食堂
私は野菜ラーメンを昼飯にしました。


名寄駅前広場
名寄駅前広場。


名寄駅13
公園通り跨線橋より名寄駅構内。かつては宗谷本線・名寄本線・深名線の3路線が乗り入れた。広々とした構内にターミナル駅の面影を残す。


名寄駅
線路を跨ぐ構内跨線橋が美しい、名寄駅は。


訪問日:2022年8月2日(火)
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SLキマロキ編成排雪列車 ~かつて豪雪地帯の鉄路を守った除雪車~

名寄駅から名寄本線の廃線跡を約800m行ったことろ、旧名寄本線の線路上に”SLキマロキ編成排雪列車”が静態展示されている。キマロキ編成とは機関車・マックレー車・ロータリー車・機関車の順に連結し、それぞれの頭文字を取って名付けられた。北海道内陸部などの豪雪地帯では線路両側に高い雪壁ができ通常のラッセル車では対応できず、キマロキ編成が線路の除雪に出動した。昭和50年(1975)12月に国鉄の蒸気機関車(SL)は全て運行を終了し、同51年(1976)キマロキ編成排雪列車が国鉄から名寄市へ無償貸与された。平成22年(2010)JR北海道が準鉄道記念物に指定。




名寄本線跡(名寄~中名寄)
公園通り跨線橋より旭川方面。右が宗谷本線で左が旧名寄本線。


名寄本線跡(名寄~中名寄)
名寄本線は平成元年(1989)に廃止され線路が途絶えている。


名寄本線跡(名寄~中名寄)
北国博物館前、残された名寄本線のレール上に”SLキマロキ編成排雪列車”を静態展示する。


SL排雪列車キマロキ編成
SLキマロキ編成排雪列車。


SL排雪列車キマロキ編成
まずは解説板を読んで事前学習。


名寄本線跡(名寄~中名寄)
解説板付近より中名寄方面。路盤跡は舗装されて遊歩道になっている。


SL排雪列車キマロキ編成
先頭車両は9600型蒸気機関車。


SL排雪列車キマロキ編成
9600型蒸気機関車の運転台。


SL排雪列車キマロキ編成
運転台の裏に石炭庫。SLを走らせるには大量の石炭と水が必要だった。


SL排雪列車キマロキ編成
2両目のマックレー車(かき寄せ式雪かき車)。


SL排雪列車キマロキ編成
マックレー車で掻き集めた線路両側の雪を、後ろのロータリー車が遠くへ吹き飛ばす仕組み。


SL排雪列車キマロキ編成
近くで見ると圧倒されるロータリー車の回転羽根。


SL排雪列車キマロキ編成
3両目のロータリー車(回転式雪かき車)。


SL排雪列車キマロキ編成
ロータリー車の機関室。


SL排雪列車キマロキ編成
後方の機関室。蒸気機関であの大きな羽根を回転させていた。


SL排雪列車キマロキ編成
4両目のD51型蒸気機関車。”デゴイチ”の愛称で親しまれた最も有名なSL。牽引する9600型だけでは力が足りなかったのだろう、後押しするために連結された。


SL排雪列車キマロキ編成
D51型蒸気機関車の運転台。


SL排雪列車キマロキ編成
石炭をくべる焚口戸を中心に様々な計器や配管、ハンドルを設ける。これを操作してSLを走らせた当時の運転士は凄いなと、改めて思う。


SL排雪列車キマロキ編成
最後尾に連結された車掌車(緩急車)。


SL排雪列車キマロキ編成
どういった経緯なのか、深名線・天塩弥生駅の駅名標が設置されている。


名寄本線跡(名寄~中名寄)
名寄方面の名寄本線跡。信号機だけが取り残されたような状態だが、これが名寄本線の残存物なのかは不明。


SL排雪列車キマロキ編成
わずかな距離だが名寄本線の鉄路が残されてよかった。


勾配標識
勾配標識。ここから先の勾配を表しており、この標識だと1km行けば16.2m下るという意味。


SL排雪列車キマロキ編成
距離標識とキマロキ。


距離標識
距離標識。ここに記される数字は名寄本線終点の遠軽駅からの距離で、この地点が137.3km地点であることを示す。


勾配標識
1km先が水平であれば”L”を表記。


SL排雪列車キマロキ編成26
かつて冬場にここを走り抜け活躍したキマロキ。先へ延びていた名寄本線は消え失せ、今は引退後の余生をのんびりと過ごしている。


北国博物館
キマロキの見学を終えて北国博物館を訪ねてみることに。


北国博物館
小学生時代の懐かしい思い出が蘇ってきた昭和後半の家。


北国博物館
大関名寄岩に関する展示。


北国博物館
幾度ものケガや病気から不屈の精神で復活してきた名寄岩。名寄出身のこんな力士がいたことを知らなかった私にとって、いい勉強の場になりました。


北国博物館12
宗谷本線・北星駅の駅名標ときっぷ運賃表を展示していた。北星駅は昨年(2021)3月のダイヤ改正に伴い廃止。


訪問日:2022年8月2日(火)
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中名寄駅跡(名寄本線) ~仮乗降場から有人駅に昇格した駅~

平成元年(1989)名寄本線の廃止と共に駅の役目を終えた中名寄駅。名寄本線起点の名寄駅から5.8km地点の一駅目にあたり、名寄市字朝日に所在した。無人化後に改築されたプレハブ駅舎を今も残す。周辺一帯は北側に名寄川が流れる農村地帯で、駅近くに現役の中名寄小学校がある。

中名寄駅は大正8年(1919)名寄線(後の名寄本線)名寄駅~下川駅間が開通してから28年後の昭和22年(1947)、名寄駅と上名寄駅の間に中名寄仮乗降場として開業。仮乗降場名の由来は駅名に”名寄”を持つ両隣の駅の中間にあったから。3年後の同25年(1950)駅に昇格し荷物取扱い開始、エビデンスが無いがこの頃に有人駅となり木造駅舎が設けられたと思われる。同38年(1963)業務委託化、同53年(1978)荷物取扱いが廃止され再び無人駅に。それから間もなく後に有人駅時代の木造駅舎を解体しプレハブ駅舎に建て替えられた。




空中写真_中名寄駅_CHO7712-C13B-10_1977(昭52)_
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7712-C13B-10を基に作成
昭和52年(1977)撮影、中名寄駅周辺の空中写真。有人駅時代の駅舎と単式ホームが見える。駅前は木々に囲まれている感じ。


中名寄駅跡
国道239号から駅前通りと旧中名寄駅跡。


中名寄駅跡
廃止から33年経っても駅舎を残す中名寄駅。


中名寄駅跡
昭和53年(1978)無人駅となって後に建て替えられた駅舎。プレハブながら立派な駅舎である。


中名寄駅跡
構内側より駅舎。


中名寄駅跡
駅舎より名寄方面。廃止前は駅舎から名寄側に1面1線の単式ホームが設けられていた。


中名寄駅跡
駅舎より上名寄・下川方面。路盤は水田になって消え失せている。


中名寄駅跡前
駅舎より駅前通り。


中名寄駅跡前
駅前には何もなく、駅舎から駅前通りを50m程行けば国道239号に接続する。


中名寄駅跡
駅舎出入口にはしっかりと駅名表記を残す。


中名寄駅跡
駅前側出入口。


中名寄駅跡
廃止当時の状態を残す駅舎内。


中名寄駅跡
ベンチもばっちり残っている。


中名寄駅跡
ホーム側出入口。


中名寄駅跡
名寄本線関連の立て看板やポスター。


中名寄駅跡
おそらく駅ノートが置かれていたのだろうが今は無い。


中名寄駅跡
壁面に天北線・深名線・興浜北線の基準運転図表。


中名寄駅跡
現役時代の中名寄駅写真。


中名寄駅跡
駅舎左横に自転車置き場らしき小屋がある。


中名寄駅跡
駅舎内よりホーム跡を望む。


中名寄5線停留所
中名寄駅近くにある中名寄5線停留所。現在は名士バスが中名寄の公共交通を担う。


中名寄5線停留所
名寄行は1日に14本のバスが発着。意外と交通の便はよい。


訪問日:2022年8月2日(火)
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砂澤ビッキ記念館 ~オトイネップタワーがここに眠る~

かつて音威子府駅前に聳え立っていたオトイネップタワー。彫刻家の砂澤ビッキ氏(1931-89)が制作し昭和55年(1980)駅前に建立されたトーテムポールのことである。以前に書いた記事”音威子府駅(宗谷本線) ~長い歴史に幕を下ろした名物駅そば~”で少し触れたが、私にとって音威子府駅と言えば駅の象徴的な存在だったこのトーテムポールと、黒々とした麺の音威子府そば。トーテムポールはいつしか撤去され、音威子府そばを使って駅そば屋を90年近くやってきた常盤軒は昨年(2021)2月に店主が亡くなり廃業した。追い打ちをかけるように音威子府そばの製造元である畠山製麺が社長の高齢を理由に今年(2022年)8月末をもって廃業することが報じられた。音威子府には芸術と食、人を惹きつけるに十分な素材を持ってiいるのだが、食の方で素晴らしい素材が失われようとている。

3ヶ月前の2022年5月、筬島を訪れて”エコミュージアムおさしまセンター BIKKYアトリエ3モア(通称:砂澤ビッキ記念館)”の存在を知り、今夏に再訪する機会を得て見学してきた。ここは砂澤ビッキ氏がアトリエとした旧筬島小学校校舎を改装し、多くの作品や道具を展示、砂澤ビッキ氏の足跡と人柄を感じる素敵な空間だった。私が特に注目せざるを得なかったのは解体されたオトイネップタワーの保存展示、パーツとなって変わり果てた姿ながら約40年ぶりの再会を果たしたのだから。オトイネップタワーは音威子府駅の現駅舎(1990年完成))設置に伴い撤去保管され、平成14年(2002)に筬島へ里帰りしたらしい。木霊と化していたオトイネップタワー、かつて駅前に聳え立ち行く人来る人を出迎えた往時を偲び。




音威子府駅_1985年頃
昭和60年(1985)頃に撮影したオトイネップタワー。


天北線資料室
音威子府駅の天北線資料室に展示する写真から。前駅舎とオトイネップタワー。


砂澤ビッキ記念館
3ヶ月ぶりに訪れた砂澤ビッキ記念館。


砂澤ビッキ記念館
筬島小学校時代の正面入口。


砂澤ビッキ記念館
雪の結晶とフクロウをモチーフにする校章が残されていた。


砂澤ビッキ記念館
旧校舎左端のここが記念館入口。


砂澤ビッキ記念館
砂澤ビッキ記念館の正式名称は”エコミュージアムおさしまセンター BIKKYアトリエ 3モア”。


砂澤ビッキ記念館
入口で入場料を払い、展示を見学しながら通路を歩く。ウッドチップを敷き詰めた床、天井や壁にも木材をふんだんに取り入れ心地よい雰囲気だ。


砂澤ビッキ記念館
そして通路の奥、薄暗い一室に眠っていた木造の牛。眠っているという表現は適切ではないと思うほどに目が見開いており、牛の木霊を見ているような感覚だ。オトイネップタワーの最下部にいた牛で酪農を表現していた。


砂澤ビッキ記念館
トーテムポールの聳える音威子府。再び聳え立ってほしいなと思う。


砂澤ビッキ記念館
牛の隣にあるオトイネップタワーの模型。


砂澤ビッキ記念館
砂澤ビッキ氏の写真とデスマスク。今を生きる人々にメッセージを送る。


砂澤ビッキ記念館
砂澤ビッキ氏の作品をはじめ制作道具や写真などを展示、音威子府が特産品とする木工芸の原点を見る思い。来てよかった。


砂澤ビッキ記念館
記念館前にあるアトリエ。


砂澤ビッキ記念館
ここにオトイネップタワーが部品となって保管されていた。


砂澤ビッキ記念館
オトイネップタワーは音威子府村の産業を表現していた。


砂澤ビッキ記念館
昭和55年(1980)9月6日、ビッキアトリエから音威子府駅へ向けてオトイネップタワーが搬送されているときの様子。


砂澤ビッキ記念館
右写真の先頭中央を歩いているのが砂澤ビッキ氏。


砂澤ビッキ記念館
竣工式と餅まきの様子。今から42年前、こうやってオトイネップタワーは建立された。当時の村民のフィーバーぶりがよく伝わってくる。


砂澤ビッキ記念館
タワー上部に掲げられていた木製看板。


砂澤ビッキ記念館
左から国鉄・商工会・農協のシンボルマーク。


砂澤ビッキ記念館
タワー上部にいたキツツキ。林業を表していた。


旧筬島小学校校門
昭和53年(1978)に廃校した筬島小学校の校門が残存する。


筬島駅前通り
砂澤ビッキ記念館と筬島駅を繋ぐ駅前通り(駅方面)。


道の駅おといねっぷ03
筬島から”道の駅おといねっぷ”へ移動。


道の駅おといねっぷ
”音威子府そば”は音威子府駅で食べることはできなくなったが、道の駅にある天北龍がその後を継ぐ。


道の駅おといねっぷ06
黒々とした麺の音威子府そばに黄色が映える月見そば。麺の製造元である畠山製麵も常盤軒の後を追うように今年8月で廃業予定。本当に残念でならない。


音威子府そば
道の駅で購入した生蕎麦の音威子府そば。


音威子府駅
こちらは鉄道の駅。


音威子府駅
みどりの窓口が開いていたので先ずは北の大地の入場券をゲット。


音威子府駅
駅併設の天北線資料館に展示される昭和30年代の音威子府駅。オトイネップタワーが駅前に立てられたのは昭和55年(1980)なので、ここには無い。


音威子府駅
天北線資料室にあるクレーンゲーム。3ヶ月前にチャレンジしたが失敗。


音威子府駅
中身は音威子府村番号札キーホルダー。


音威子府駅
リベンジのプレー3回目でついにゲット!


音威子府駅07
中身は鉄分撮り過ぎ注意。オトイネップかオサシマが欲しかったのだが…、達成感は得たので次の機会にとっておこう。


音威子府そば02
後日談。道の駅で手に入れた音威子府そばを”もりそば”にして頂きました。


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上頓別駅跡(天北線) ~上頓別原野開拓の足となった駅は消え~

せっかく音威子府まで来たので、かつてオホーツク海側回りで音威子府と稚内を繋いだ天北線の廃線跡を訪ねてみよう。3ヶ月前の5月に上音威子府駅跡と小頓別駅跡を見てきたので、次の上頓別駅跡を目的地とし音威子府から国道275号を浜頓別方面に向けて車を走らせた。

先ずは上頓別の歴史について角川日本地名大辞典より引用して紹介。
『明治45年橋本正利ら4戸が、福島県田村郡から入植。大正2~3年福島県三春の移民52戸が大挙入植。同5年国鉄宗谷線上頓別駅が開駅すると古谷彦市の古谷農場が開設され、小作16戸が入って炭焼に従事。また平野農場も開かれ、平野右左衛門を長に管理人を船越宗太郎とし、小作人28戸が入地。同年上頓別神社創建。同7年上頓別小学校開校。昭和9年上頓別原野に福島・秋田両県から6戸が入植。当時の移民小作人は、木材伐採や炭焼にも従事したが次第に原木が払底したため、小作地を放棄して帰郷または転職する者が続出。この方面の造材は美深の宇野左衛門が行った。世帯数・人口は、同30年92・530、同40年73・376、同50年40・148。』
開拓期の上頓別について中頓別町勢要覧「なかとんべつの歩み」5頁にある「上頓別、小頓別の開拓 (1)上頓別地方」にも詳しく書かれているのでご参照ください。

上頓別駅は廃止時に天北線起点の音威子府から3駅目(20.6km地点)、枝幸郡中頓別町字上頓別に所在。大正5年(1916)鉄道院宗谷線小頓別駅~中頓別駅間の延伸開通に伴い一般駅として開業。昭和36年(1961)路線名を天北線に改称、同48年(1973)貨物・荷物取扱いが廃止されると同時に旅客扱いも廃止され無人化した。平成元年(1989)、天北線の廃線に伴い廃駅、同年に上頓別小学校も廃校となった。その後、駅舎がライダーハウスに再利用される時期もあったようだが、老朽化により平成14年(2002)頃に撤去された。




空中写真_上頓別駅_CHO776-C17B-2_1977(昭52)
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO776-C17B-2を基に作成
昭和52年(1977)撮影、上頓別駅周辺の空中写真。この時は既に無人化していたが、有人駅時代の駅舎を残し1面1線の単式ホームを有していた。


上頓別バス待合室
上頓別バス待合室に車を停めて上頓別を散策することに。


上頓別停留所
ここは宗谷バスの鬼志別・稚内方面の上頓別停留所。


上頓別停留所
天北宗谷岬線バス時刻表。1日に上り音威子府方面2本、下り稚内方面2本のバスが発着。


上頓別バス待合室
待合室内には上頓別の風景を描いた水彩画が掲げられていた。


上頓別バス待合室
往時の上頓別駅も。


上頓別バス待合室
上頓別停留所旅ノート。ここが上頓別駅の役目を引き継いでいるようだ。


獣魂碑
待合室の裏手にある獣魂碑。


上頓別会館
待合所の向かいに上頓別会館と上頓別神社。


上頓別会館
上頓別会館と上頓別神社の前に音威子府方面の上頓別停留所が立つ。


上頓別神社
大正5年(1916)建立の上頓別神社。100年以上にわたって上頓別の住民を見守ってきた。


上頓別駅跡前
上頓別神社より駅跡前の国道275号(音威子府方面)。


上頓別駅跡前
上頓別駅跡前。右に入る道が旧駅前通り。左手に旧商店らしき建物がある。


上頓別駅跡
駅前通りより駅跡。かつてはこの道の先に駅舎があった。


上頓別駅跡
この辺りが駅舎跡。遺構は何も発見できなかった。


上頓別駅跡前
駅跡より旧駅前通り。


上頓別駅跡
駅跡より音威子府方面。


上頓別駅跡
駅跡より浜頓別・南稚内方面。ここにかつて鉄路が通されたとは想像できない状態。


上頓別
駅跡前より浜頓別方面の国道275号。右手に見える建物が上頓別会館。


平野橋より旧上頓別小学校
駅跡より国道275号を浜頓別方面へ約600m、左折の道に入れば頓別川に平野橋が架かる。橋上から右岸の上頓別小学校跡(1989年廃校)を望む。


旧上頓別小学校
廃校から30年以上経ち、その跡地には体育館だけが残っていた。


訪問日:2022年8月3日(水)
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恵野駅跡(天北線) ~天北線に存在した元祖”めぐみの”~

かつて天北線(廃止時)起点の音威子府駅から4駅目(23.2km地点)、枝幸郡中頓別町字上頓別に所在した恵野(めぐみの)駅。昭和31年(1956)国鉄北見線の恵野仮乗降場として開業、昭和62年(1987)経営が国鉄からJR北海道へ移ったことに伴い駅に昇格した。単式ホームに待合所を設けるだけの典型的な無人駅で、平成元年(1989)天北線の廃線に伴い廃駅となった。

JR北海道の貴重な黒字路線の千歳線に同名の恵み野駅(恵庭市)があるのだが、ここは昭和57年(1982)に新設。つまるところ天北線の恵野駅はその26年前に開業しており、こちらが元祖”めぐみの”なのである。千歳線の方の駅名由来は駅周辺にある”恵庭ニュータウン恵み野”にあるのだが、天北線の方は謎でわからない。どんな経緯があってこの駅名が付けられたのか、知りたい…。




空中写真_恵野仮乗降場_CHO776-C16B-13_1977(昭52)
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO776-C16B-13を基に作成
昭和52年(1977)撮影、恵野仮乗降場周辺の空中写真。天北線右側に沿って通される道は国道275号。国道から左に入って踏切を越えたすぐ先に待合所、その南側の稚内方面に向かって線路左側にホームを設けていた。


恵野駅_水彩画
上頓別待合所にあった水彩画。駅名標を見る限り仮乗降場の時代だろうか。敏音知岳を背景に単式ホームと待合所を設ける恵野仮乗降場を描く。


恵野駅跡
上の水彩画と同じアングルで撮影した恵野駅跡。線路は道路(中頓別町道63号上頓別側道線)と化し、左手に見える農家らしき大規模な施設はポツンと一軒家に。昔と変わらないのは敏音知岳だけ。


恵野駅跡
この交差点角辺りに待合所があった。


恵野駅跡
待合所跡より音威子府方面。


恵野駅前通り跡
かつて国道275号まで延びていた駅前通りは廃道となっている。


恵野駅前通り跡
駅前通り跡(駅跡より国道方面)。


恵野駅跡前
西側に民家の私道となって残る旧駅前通り。


恵野停留所
旧駅前通りと国道の分岐点に恵野停留所(鬼志別・稚内方面)が設けられている。


恵野停留所
雑草に覆われる恵野停留所。


恵野停留所
見る人もいないのだろう、時刻表はボロボロ。


恵野駅前通り跡
恵野停留所より駅前通り跡。廃道となっているが人が通るには十分な轍の道が残っている。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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