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留萌本線から ~2022夏・前編~

2023年謹賀新年

明けましておめでとうございます。昨年(2022年)11月末に引っ越しがあった関係で年末までバタバタし、記事をアップする時間がなく滞ってしまった。今年(2023)は3月に留萌本線の石狩沼田駅~留萌駅間が廃線となる。ついにこの時が来たかの思いで、覚悟はしていたが本当に残念でならない。昨年(2022)夏に留萌本線を訪ねた軌跡を記事に残しておこう。まずは今から6年前、平成28年(2016)に廃止された留萌~増毛間から。




旧礼受駅
廃止当時の駅舎をそのまま残す礼受駅。


旧礼受駅
先代木造駅舎跡の基礎上に貨車駅舎が設けられている。


旧礼受駅
貨車駅舎は劣化が進み側面の壁が無くなっている。


旧礼受駅
ホーム側より駅舎。


旧礼受駅
ホームより留萌方面。


旧礼受駅
駅舎内には入れないので出入口の窓越しに内部を拝見。かつてあった掲示物は何も無い。


旧礼受駅前
駅前に日本海が広がる。


旧礼受駅
ホームより増毛方面。


旧礼受駅
いつまでこの駅舎は残されるのだろう。


旧礼受駅前
旧礼受駅前を通る国道231号(日本海オロロンライン)。


旧増毛駅
旧礼受駅から車を走らせてかつて留萌本線の終着だった増毛駅に。


旧増毛駅
廃止後に駅舎は改装され往時の姿を取り戻した。


旧増毛駅
廃止当時の車止めやホームが健在。


旧増毛駅
ホームには駅名標を残す。奥の高台には増毛灯台が見え廃止当時のまま。今にもディーゼル音を唸らせてキハ54形気動車がやってきそうだ。


旧増毛駅
駅名標。


山口藩増毛出張所跡
増毛灯台がある高台の北麓、増毛駅西側はかつて山口藩増毛出張所があった場所。


山口藩増毛出張所跡
山口藩増毛出張所跡に設けられる解説板。


山口藩増毛出張所跡
明治3年(1870)山口藩は領有する蝦夷地開拓の本局を増毛としてここに出張所を設営、秋田藩の元陣屋を藩士の宿泊所として使用した。その翌年(1871)の廃藩置県に伴い山口藩の支配地は開拓使の統治に代わり、わずか1年半で山口藩は増毛を引き揚げる。しかし故郷に戻らず増毛に残った藩士もいたという。


旧増毛駅
線路の行き止まり、終着駅には独特の風情がある。


旧増毛駅
ここに立つと最後の列車を見送った日のことを思い出す。


旧増毛駅
今は列車がやって来なくても多くの観光客が訪れ。


旧増毛駅
列車に代わり人が走る。


旧増毛駅
夏の北海道、多くのライダーがツーリングに訪れる。


旧増毛駅前
旅館業はやめているが駅前に富田屋が健在。


旧増毛駅
駅舎全景。


旧増毛駅
廃止後に往時の駅舎を取り戻した。


旧増毛駅
増毛駅の現役時から駅舎内で営業を続ける”孝子屋ぐるめ食品”。


旧増毛駅
池田さんこだわりのリンゴジュースとタコザンギを購入。


タコザンギ
いまや増毛名物となっているタコザンギ。


旧増毛駅
駅舎内の様子。


旧増毛駅
鉄道と増毛町の歴史。


旧増毛駅
駅舎内には留萌本線に関する展示も多い。


寿し忠
駅前の寿し忠。


富田屋旅館
かつて駅前旅館として多くの旅行客を迎え入れた富田屋旅館。現在は町の管理に移され寄付金を募って改修工事を進めている。


富田屋旅館
富田屋旅館は昭和8年(1933)創業。約90年に渡る歴史を持ち平成13年(2001)北海道遺産に指定された。


富田屋旅館
出入口扉窓から内部を拝見。近いうちに一般公開されそうな雰囲気。


風待食堂
映画「駅 STATION」(高倉健主演、1981年公開)のロケ地となった風待食堂(旧多田商店)。現在は増毛町の観光案内所。


風待食堂
風待食堂内にはロケセットを再現。


風待食堂
映画撮影時の写真を多く展示。


風待食堂
桐子「昼間さ、駅にいだでしょ。」「いっぺん見りゃ忘れないよ、いい女は。」風待食堂でのワンシーン。


風待食堂
ここでそのワンシーンを自分が演じられる。相手がいればの話だが…。


海栄館・増毛館
風待食堂を出て海栄館・増毛館へ。


海栄館・増毛館
海栄館にある”ラーメンこころ”で遅めの昼飯に。


ラーメンこころ
注文したラーメンが到着!


ラーメンこころ
ホタテ塩ラーメン。あっさり塩スープにホタテにエビ、相性抜群で美味しい。


箸別跨線橋
増毛から留萌へ戻る途中、箸別跨線橋に。「JR留萌線」のプレートが残る。


箸別跨線橋
箸別跨線橋より留萌方面。路盤は草むらと化す。


箸別跨線橋
箸別跨線橋より増毛方面。線路が残存する。


信砂川橋梁
現役時代そのままの姿を残す信砂川橋梁。


信砂川鉄橋の列車転落事故
『信砂川鉄橋の列車転落事故』(旧増毛駅の展示より)
昭和21年(1946)3月14日、信砂川橋梁で列車転落事故があり18名もの尊い命が失われた。


旧瀬越駅
線路と駅名標は撤去されたものの待合所とホームを残す瀬越駅。


旧瀬越駅
瀬越駅フォーエバー!


訪問日:2022年8月4日(木)
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留萌本線から ~2022夏・後編~

今年(2023年)3月31日の運行をもって廃止される留萌本線の石狩沼田駅~留萌駅間。この区間は距離35.7Km、現時点で石狩沼田・真布・恵比島・峠下・幌糠・藤山・大和田・留萌の8駅が存在し、4月1日から石狩沼田が留萌本線の終着となり他の7駅は消え失せる。もはや残された時間は少ない、昨年(2022)夏に訪ねた軌跡を記事に残しておこう。




留萌駅
最後の夏となってしまった留萌駅。


留萌駅
駅舎は完成から65年経っており老朽化が否めず、おそらく廃止後は撤去されてしまうだろう。


留萌駅
次の深川行発車まで2時間以上、駅はしばし静かとなり。


留萌駅
駅舎内の片隅で留萌市のゆるきゃらKAZUMOちゃんがお出迎え。


留萌駅
駅スタンプ。


留萌駅
留萌駅の名物駅そば。14時だけに既に営業を終えていた。廃止後にここの味は残されるのだろうか。


留萌駅
誰もいない待合室。


留萌駅
トイレ出入口前にフラワースタンド。地味で控えめなとこに心惹かれる。


留萌駅
とにかく静かだ。


留萌駅
北の大地の入場券。


留萌駅
1・2番ホームを繋ぐ構内跨線橋の出入口は塞がれている。


留萌駅
島式ホームの2番線は現在使われていないが、少々雑草が生えている程度なのでいつでも使えそう。


大和田駅
留萌駅から5.9Km、隣駅の大和田駅に。


大和田駅
前駅舎の基礎上に貨車駅舎を置く大和田駅。


大和田駅
駅構内より駅舎と何もない駅前通り。


大和田駅
駅舎よりホーム。


大和田駅
留萌方面乗車口よりホーム(深川方面)。


大和田駅
出入口より駅舎内。


大和田駅
ベンチ上に置かれていた駅ノート。


大和田駅
駅舎内より出入口。


大和田駅
ここから4.2Km先、次の駅は藤山駅。


藤山駅
往時の駅舎を半分にして小ぢんまりと生き残る藤山駅。


藤山駅
駅前には藤山開拓を記念する碑。


藤山駅
ホーム側駅舎内。


藤山駅
駅前側駅舎内。以前に訪れた時と大きな変わりはない。


藤山駅
ベンチ上の片隅に駅ノート。


藤山駅
掲示板の中に発車時刻表ときっぷ運賃表。


藤山駅
16:55発留萌行が到着。


藤山駅
乗降客はなく。


藤山駅
わずかな停車時間で慌ただしく発車。


藤山駅
ここから深川方面へ5.5Km先、次の駅は幌糠駅。


幌糠駅
かつて木材搬出で賑わった幌糠駅。付近に御料林(皇室財産の森林で現在は国有林)があった。


幌糠駅
大和田駅と同じ塗装色の貨車駅舎。


幌糠駅
貨車駅舎を前駅舎基礎上の片隅に設けている。


幌糠駅前
駅前の様子。


幌糠駅
出入口より駅舎内。


幌糠駅
駅ノート。傍らに置かれている人形は随分前からここにあるなあ。


幌糠駅
駅舎内より出入口。


幌糠駅
深川方面乗車口より留萌方面。


幌糠駅
駅名標に時が流れた長さを感じる。”とうげした”を上貼りしているのは平成18年(2006)に隣の東幌糠駅が廃止されたため。


旧幌糠中学校・小学校
駅から南へ約800m、徒歩約10分の場所に旧幌糠中学校と旧小学校が並び建つ。


旧幌糠中学校
こちらは旧幌糠中学校。平成19年(2007)留萌中学校に統合され閉校。現在は留萌市幌糠農業・農村支援センター。


旧幌糠小学校
こちらが旧幌糠小学校。平成26年(2014)潮静小学校に統合され閉校。


ホロッペ広場
旧幌糠小・中学校前にあるホロッペ広場。


第4留萌川橋梁
ホロッペ広場を流れる留萌川に第4留萌川橋梁が架かる。


新樽真布道路踏切・東幌糠駅跡
幌糠駅から深川方面へ2.9Km、新樽真布道路踏切。ここは平成18年(2006)に廃止となった東幌糠駅跡。写真の線路手前側に単式ホームを設けるだけの無人駅があった。


新樽真布道路踏切・東幌糠駅跡
警報器と線路の間にホームへ上るスロープが設けられていたようだ。


第3留萌川橋梁
東幌糠駅跡~峠下駅間の留萌川に架かる第3留萌川橋梁。


第3留萌川橋梁
第3留萌川橋梁には1989年に塗装を直した記録を残す。


峠下駅
幌糠駅から深川方面へ6.2km、山間にひっそりと木造駅舎を佇ませる峠下駅。


峠下駅
有人駅時代の状態を良好に残す駅舎内。


峠下駅
駅舎内出入口。


峠下駅
駅舎内改札口。


峠下駅
扉の向こうはトイレ。


峠下駅
荷物台に駅ノート。


峠下駅
千鳥式に配された2面2線のホームを有し、留萌本線の途中駅で唯一列車交換ができる。


峠下駅
駅舎側留萌方面ホームと深川方面ホームを繋ぐ構内踏切。駅名標裏手に物置らしき木造の建物がある。


峠下駅
これが物置らしき木造の建物。相当な年数が経っているように見え、どんな目的で設置されたのか。引き戸を設ける部分は増築したのだろう。


峠下駅
深川方面乗車口より留萌方面。


峠下駅
深川方面ホームより深川方面。


第9旭川留萌線踏切
峠下~恵比島駅間、峠越え山中の峠下トンネルと恵比須トンネルの間に設ける第9旭川留萌線踏切。ここを通る道は道道549号峠下沼田線が開通する以前に深川と留萌を結ぶ恵比島峠越えの主要道路だった。現在は旧道となり未舗装の道が残るが、踏切から沼田方面への道は自然に還りつつあり通行不能。ここで引き返すことに。


恵比島駅前
峠下から恵比島峠を越えて恵比島に。


恵比島駅
恵比島駅は平成11年(1999)に放送されたNHK連続テレビ小説「すずらん」のロケセット”明日萌駅”を併設する珍しい形態の駅。


恵比島駅
奥の木造駅舎がロケセットの明日萌駅。手前が本物の恵比島駅。実際は貨車駅舎なのだが外装がロケセットに合わせ木造っぽく施されている。


恵比島駅
貨車駅舎は前駅舎の基礎上に設けられている。


恵比島駅
恵比島駅の駅舎内。


恵比島駅
駅舎内奥のテーブルにはスタンプラリーのハンコ。


恵比島駅
ベンチ上に駅ノート。


恵比島駅
ちらっと駅ノートをペラペラめくり。中にはクオリティの高い描画で思いを綴るつわものも。吹き出しのセリフが「おとうさーん!」なら完璧だった。


恵比島駅
駅舎内より出入口。


恵比島駅
駅舎出入口より駅前方面。「便所→」と掲示しているが今は便所が無い。前回訪れた時にはあったのだが。


恵比島駅
駅舎ホーム側。


恵比島駅
こちらはドラマセットの明日萌駅改札口。


恵比島駅
明日萌駅の駅舎内には今もドラマの主人公”萌”が窓越しに外を眺める。


恵比島駅
中を覗けば大正時代末期の北海道を舞台にしたドラマの世界観に。


恵比島駅前
駅前にある木造家屋はドラマセットの駅長常盤次郎宅。ドラマ放映から20年以上経ったが、いまだに健在なことがすごい。


旧留萠鉄道本社社屋
ホームから駅裏手を望めば旧留萠鉄道本社社屋が見える。


旧留萠鉄道本社社屋
留萠鉄道本社社屋は昭和46年(1971)廃止後に日本ケミカルコートの工場に転用された。現在は廃墟と化すが煙突に”日本ケミカルコート”と縦書きされていることが確認できる。


恵比島駅
18:35発留萌行が定刻通り煙を噴き上げて発車。


恵比島駅
次の峠下駅に向けて。ディーゼル音が遠のいてゆく。


恵比島駅
明日萌駅の駅名標。


恵比島駅前
恵比島駅前。


恵比島駅前
駅前には中村旅館の名で登場した旧黒瀬旅館。


恵比島駅前
恵比島駅を後に。


真布駅
恵比島駅から深川方面へ2.9km、ノスタルジックな雰囲気が漂う真布駅。


真布駅
板敷きホームに木造の待合所。


真布駅
木製ベンチを壁3面に巡らす待合所内。


真布駅
夏ならここで列車を待つのも悪くないか。


真布駅
ベンチ上に置かれた駅ノート。


真布駅
ホームより藤沢線踏切。


真布駅
18:55頃、深川行列車は真布駅に止まることなく通過してゆく。


訪問日:2022年8月4日(木)
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函館朝市 ~2022年末 タラバを求めて~

私の年末は大きな3つの目的を果たすために毎年恒例で函館へ行く。その目的は湯の川温泉に浸かって1年の疲れを癒す。好物の”やきとり弁当”を食べる。そしてタラバガニを姿で買う。初めて函館の地を踏んだのが今から35年前の昭和63年(1988)、中学生の修学旅行のときだ。以来旭川工業高校に入って自転車部に所属したことで高体連の競技で何回か行き、18歳で社会人になり東京で勤務してからは鉄路で北海道へ帰省するたび函館に泊まった。大間から車で函館に渡ったこともあったなあ。湯の川の”かもめ館”に泊まるようなったのが20年前ぐらい、土産のタラバガニを買うようになったのが10年前ぐらいからか。思い起こせば随分と長い時が流れた。函館駅をはじめ駅前の様子は大きく変貌したが和洋折衷を備えた古きよき町並みは今も変わらない。

12月28日、羽田17:15発ANA557便に搭乗して定刻通りに函館空港着。いつも新幹線を使っていたので初めて空路での函館入り。空港を出てほとんど雪が積もっていないことに少々驚いた。空港から湯の川温泉の”かもめ館”まで約3km、タクシーを使えば10分以内で着く距離だが、雪がほとんど積もっていないので歩いて向かうことに。しかし雪が無い分路面が凍ってツルツル、途中滑って1回だけ転んだが歩幅を小さくして無事ハセガワストアー湯川店に着く。ここで大・味たれの”やきとり弁当”を購入、宿泊先となる”かもめ館”に入った。建物は随分と古くなってしまったが源泉かけ流しの風呂がお気に入りの宿、一人旅にはちょうどいい。




やきとり弁当
これが”やきとり弁当”のパッケージ。


やきとり弁当
のり弁に豚串をのせ秘伝のタレをかけている。豚串の美味さは当然なのだが、タレとごはんの相性が抜群によくて、のり弁にタレをかけただけでもペロリと食べてしまうだろう。豚なのになぜ”やきとり”なのか、そんな疑問が野暮に思うくらい美味しいよ。


蟹商
温泉で疲れを癒した翌日、湯の川温泉から函館市電に乗車して朝市へ。いつもタラバガニを買うのがここ、蟹商さん。


タラバガニ
蟹商のおっちゃん。いつもこの方に足に身が詰まったタラバガニを選別してもらい購入しています。


タラバガニ
今年は元気そうなこのタラバちゃんにしました。茹でてもらってクール宅急便で旭川に送ります。


函館らーめん”かもめ”
ひと仕事終えて朝飯にしよう。蟹商の斜向かいにある函館らーめん”かもめ”へ。


函館らーめん”かもめ”
初めてのラーメン屋はメニューの一番上を頼むのが私の基本、かもめらーめんを注文。


函館らーめん”かもめ”
カニ足をメインにイカ・ホタテ・エビが入った正統派の味噌ラーメン。カニはおそらくズワイの足先、身入りが少なかったのが少々期待外れだが、値段を鑑みれば風味を楽しむに充分だったと思う。今、ホントにカニは高いからねぇ…。次は海鮮を堪能できそうな”ほたてらーめん”の塩を食べてみたい。


函館駅
1年ぶりの函館駅。昔と違って今の函館駅に立っても「はーるばる来たぜ函館へー」とはならないんだよね。これは交通網が高速化した副作用なのだろう。


函館駅
昨日までぜんぜん雪が積もってなかったはずなのに、一晩でこの有様。


函館駅
道南いさりび鉄道、函館11:57発上磯行。キハ40形の旧国鉄色、ノスタルジーな感情を抱いてしまう。


旭川駅_S570812
これが国鉄時代のキハ40形気動車。昭和57年(1982)8月旭川駅にて撮影。


函館駅
本日乗車する列車はこれ。函館12:15発札幌行の特急北斗11号。これにて2022年末函館の旅は終い。


タラバガニ
後日談。蟹商から送ったタラバガニは発送翌日に旭川の実家に到着。


タラバガニ
こんな感じにさばきました。身に水っぽさが全くなく、時間が経った冷凍ものとは全く別物の美味しさ。


訪問日:2022年12月28日(水)、29日(木)
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深名線の廃線跡から ~2022年末~

2022年は私にとってうれしいニュースが一つあった。北海道の幌加内町で起きた超ローカルな話題。旧添牛内駅の修繕を目的にするクラウドファンディングが成功し改修工事があったことだ。平成7年(1995)深名線の廃止と共に廃駅となった添牛内駅は開業から91年、廃止から27年もの月日が流れ、駅舎は老朽化しながらも奇跡的に生き残ってきたが、豪雪地帯の幌加内町北部に所在するだけに気候によるダメージが大きく崩落寸前の状態にあった。ここで立ち上がったのが幌加内町の添牛内地区でそば屋を経営する山本さん。駅舎を後世に残し築100年を迎えたいと、改修資金を募集すべくクラウドファンディングを立ち上げた。その熱意と行動力に敬意を表したい。添牛内駅の現役時代を知る私にとって駅舎を残したい思いは山本さんと同じ。近くにいれば雪下ろしでも買い出しでも働けるのだがそうもいかず、寄付による協力ぐらいしかできないが、少しでも長く後世にこの駅舎を残してほしいと願うばかり。




沼牛駅
まずは幌加内町最南端の沼牛駅から。平成28年(2016年)にクラウドファンディングで資金を集め駅舎が改修された。


沼牛駅
無事2022年の年末を迎え今日もいい顔を見せています。


沼牛駅
駅舎が改修されるまで駅前に除雪が入らず、冬場は近づくのが困難なほどに雪が降り積もり放題だった。


沼牛駅
令和3年(2021)に設置された腕木式信号機。


沼牛駅
雪捨て場の雪山に登って沼牛駅を見下ろし。


沼牛駅前
駅前には3棟の農業倉庫が健在。


沼牛駅前
ひと気を感じない駅前の様子はいつもと変わらない。


沼牛駅
沼牛駅と農業倉庫。


沼牛駅
駅構内は白銀の世界。


沼牛駅
駅前には半倒壊する廃屋、駅が無くない学校が無くなりそして人がいなくなる。寂しい現実だ。


旧沼牛駅前通り
旧駅前通りより沼牛駅。


第3雨竜川橋梁とポンコタン渓谷
深名線の雨煙別駅~政和温泉駅間、ポンコタン渓谷に残存する第3雨竜川橋梁。深名線現役時の状態で残る唯一の橋梁。


旧政和駅
かつて幌加内町政和地区の中心をなした旧政和駅。


旧政和駅前
旧政和駅前。


旧政和駅
旧政和駅はトラクターの倉庫として再利用されている。


旧政和駅
まだまだ駅の面影を留めている。


旧政和駅前
駅前に残る農業倉庫。


旧政和駅前
駅前広場の中心に聳え立っていた幌加内町開基七十周年記念塔については何度も記事に書いてきた。撤去後の行方はわからない。


旧政和駅
雪原に変わり果てた駅構内跡。ここに汽車が走っていたなど誰が信じよう。


旧政和駅前
駅前のガソリンスタンド跡。


旧政和駅前
駅前の旧農協支所と国道275号。


旧政和小学校01
政和駅跡から徒歩6分程の場所にある旧政和小学校。今は毎夏に開催される”政和アートFes”の会場だ。


旧政和小学校
5ヶ月前の8月初旬、コロナ禍で足が遠のいていたのだが3年ぶりに”政和アートFes”を見に行くことができた。あの時に出会った3羽の烏骨鶏の雛はオスだったのかメスだったのか…。


政和神社
政和小学校西側の山腹に鎮座する政和神社。


政和神社02
明後日に新年を迎えるのだが、鳥居から山中の社殿に延びているはずの参道は雪に埋もれていた。


政和市街
国道275号の政和交差点。国道から政和小学校へアクセスする通学路なので信号機を設けただろう。


添牛内駅
政和から国道275号を約10km北上、添牛内駅に。


添牛内駅
前回(2022年8月)訪れた時には崩落の危機にみえた駅舎だが、きれいに改修され今冬の豪雪にも耐えられそうだ。


添牛内駅
駅構内より幌加内・深川方面。


添牛内駅
もう列車はやって来ないが駅らしい雰囲気は残している。


添牛内駅
駅舎ホーム側の劣化が著しく進行していたが復活している。


添牛内駅
駅構内より朱鞠内・名寄方面。


添牛内駅
雪解け後にまた見に来たい。


霧立亭
添牛内駅近くの国道沿いにある”そば処霧立亭”。ここの店主がクラウドファンディングを立ち上げ添牛内駅を守ってくれた。


霧立亭
霧立亭で年越しそばを食べようと計画していたのだが、入口に「本日は終了しました」のプレートを掲げやってないもよう。


霧立亭
クリスマス前に年末年始休暇に入ってた。残念だが仕方ない…、ルオントに行こう。


ルオント
添牛内から国道275号を戻って”せいわ温泉ルオント”に。


ルオント
なまらしばれてるので入口の暖かい雰囲気に身も心も温まる。


ルオント
温泉に入る前にレストランで年越しそばを食べよう。


ルオント
注文したのは冷たい蕎麦の中札内地鶏かしわ(温かいタレ)。つまり”つけそば”。


ルオント
店の雰囲気は良く、幌加内産の手打ち蕎麦は美味しい。大満足の年越しそばとなった。


旧鷹泊駅
ルオントから国道275号を南下、トンネルで幌加内峠を越えて旧鷹泊駅に。


旧鷹泊駅前
旧鷹泊駅前。


旧鷹泊駅
かつての駅舎は倉庫に再利用され現存している状態。これだけ良好に駅舎を残しているのは管理されている方のおかげで有難い思い。この駅舎も後世に長く残してほしいと願うばかり。


旧鷹泊駅前
駅から国道へ延びる駅前通り。


鷹泊農業倉庫
駅北側に残る農業倉庫。


旧鷹泊駅前
かつて行き交う人で賑わったであろう駅前。今はしんしんと雪が降る静寂の世界。


多度志駅跡
鷹泊から国道275号を約13km南下、多度志市街の中心をなした多度志駅跡に。


多度志駅跡
かつて道の突き当りに駅舎があったのだが、今は駅を想像させる遺構は何もない。


多度志駅跡
多度志駅跡前。駅があったことを示すのは駅跡前を通る”道道429号多度志停車場線”の名ぐらいか。


鎌倉旅館
駅跡前にある鎌倉旅館。かつては駅前旅館として宿泊客で賑わうこともあったはず。駅が無くなって27年が経ち存在意義を失ったかのように見えた。今も泊まることができるのだろうか。

しんしんと静かに雪が降る小晦日の夜、多度志は間もなく新年を迎える。


訪問日:2022年12月30日(金)
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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

カレンダー
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現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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