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日高本線 ~2023正月 鵡川駅~

日高本線の終着、鵡川駅。起点の苫小牧駅から30.5km、頑張れば1日で歩ける距離だ。今や日高本線は名ばかりの日本一短い本線である。鵡川駅の開業は今から遡ること110年前の大正2年(1913)、苫小牧軽便鉄道の苫小牧駅~佐瑠太(後の富川駅)駅間が開通、その途中に一般駅として設けられたのがはじまり。昭和2年(1927)国有化されて所属路線が日高線に改称、同4年(1929)線路付け替えにより現在地へ移転。同18年(1943)鵡川駅から富内線(沼ノ端~富内)の豊城駅を繋ぐ新線が開通、これにより富内線の沼ノ端~豊城間 (24.1km)が休止(後に再開することなく廃止)となり、鵡川駅が富内線の起点になった。

昭和61年(1986)富内線の廃止にあわせて鵡川駅は旅客業務を廃止、駅員不在の無人駅となり乗車券販売が簡易委託化された。同62年(1987)現駅舎へ改築、平成10年(1998)旅客業務が復活したが同18年(2006)再び無人駅となり切符販売が駅舎内のキヨスクに簡易委託されている。同21年(2009)キヨスク閉店に伴い簡易委託を廃止。平成27年(2015)1月の高波被害で鵡川駅~様似駅間が不通となり、再び開通することなく令和3年(2021)4月1日をもって鵡川駅~様似駅間が廃止、鵡川駅は日高本線の終着となり現在に至っている。




空中写真_鵡川駅_CHO759-C34A-5_1975(昭50)03
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO759-C34A-5を基に作成
昭和50年(1975)撮影、鵡川駅周辺の空中写真。現駅舎へ改築される前の旧駅舎が見え、千鳥式に配された2面のプラットホームは今と変わらない。駅東側で分岐し北東へ延びる線路が富内線。


鵡川駅
日高本線の終着、鵡川駅。かつては日高本線と富内線が接続する駅だった。


鵡川駅
昭和62年(1987)に完成した駅舎。


鵡川駅
築35年を感じさせないログハウス風の素敵な駅舎。


鵡川駅
駅前広場。


苫米地商店
駅を出てすぐ左手にある苫米地商店。かつては鵡川駅の駅弁を製造販売していた。


鵡川駅
駅舎に入って左手に待合所。


鵡川駅
待合所には両サイドに長ベンチ、中央に6席のベンチを置く。


鵡川駅
駅舎に入って右手にみんなの茶店。かつては正面が切符売場で窓口と自動券売機を設け、左側シャッターの場所にキヨスクがあった。


鵡川駅
日高線を走った車両たち。現在はキハ40形が通常運行で使用されている。


鵡川駅
旧切符売場窓口の卓上に駅ノートが置かれていた。


鵡川駅
日高線でキハ40三昧!のポスター。昨年4月末から11月にかけて開催されていたイベント。通常のキハ40に加えてラッピング車両「道央花の恵み」と「カムイサウルス(むかわ竜)復興号」を運行、これに合わせてフリーエリア内の普通・快速列車の自由席に自由に乗降できる”一日散歩きっぷ”を販売し、日高本線に乗って”いつでもウォーク「むかわウォーク」”への参加を募った。


鵡川駅
みんなの茶店より駅舎内。


鵡川駅
1日に上り苫小牧方面9本の列車が発車、下りは8本が到着する。


鵡川駅
普通運賃表。日高本線起点の苫小牧駅までは750円。


鵡川駅
駅舎改札口よりホーム苫小牧方面。


鵡川駅
終着駅らしく表記を新たにした駅名標。


鵡川駅
駅舎に面する旧1番ホーム。かつては苫小牧方面の乗降ホームだったが、鵡川駅~様似駅間の廃止により柵が設けられ、現在は使われていない。


鵡川駅
現在使用するホームは島式の旧2番ホーム。駅舎からは構内踏切を渡ってアクセスする。


鵡川駅
構内踏切より様似方面。廃線となった線路が先へ延びる。


鵡川駅
旧2番ホームより様似方面。


鵡川駅
様似方面の線路は先へ続いており終着駅の雰囲気はない。


鵡川駅
”苫小牧行きのりば”より苫小牧方面。


鵡川町案内図
むかわ町案内図。「北海道のなかでもおだやかな気候で、町の中央を鵡川が流れ、太平洋にそそいでいます。春には、たんぽぽのじゅうたん、夏は雄大な牧野の景色、秋にはシシャモや鮭がのぼる緑豊かな自然に恵まれた町です。」と紹介。

この記事の最後に鵡川(むかわ)の地名について。起源はアイヌ語にあり、角川日本地名大辞典によれば『アイヌ語のムカ(水が湧くの意、による説(蝦夷地名考并里程記)、ムツカペッ(ふさがる川の意)による説(北海道駅名の起源)、ムカ(羊乳草(つるにんじん)のある所の意)による説(北海道蝦夷地名解)など諸説がある。また一説には、かつてモシリカペッ(鵡川)一帯が凶漁となり、人々は川筋に多いムック(バアソブ)の根を掘って食べて助かったため、ムックアッというようになり、訛ってムカワとなったという(鵡川町史)』とある。


訪問日:2023年1月2日(月)
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日高本線 ~2023正月 汐見駅跡・富内駅跡~



平成27年(2015)1月の高波被害で鵡川駅~様似駅間が不通となって以来、再び開通することなく令和3年(2021)に廃止された日高本線を少しだけ見てみようと、鵡川駅から様似方面へ車を走らせ汐見駅跡に。勇払郡むかわ町汐見一区に所在する汐見駅は鵡川漁港を中心に形成される汐見市街の北東側に設けられていた。昭和34年(1959)の開業から旅客扱いのみの無人駅で、廃止時には単式ホーム1面1線と待合所を有していた。開業時には待合所が無く後に周辺住民からの寄付により設置されたという。開業から4年経った昭和38年(1963)に撮影された空中写真を見てみると待合所らしき建造物が確認できる。


空中写真_汐見駅_MHO634X-C5B-3_1963(昭38)
空中写真データ:国土地理院 整理番号_MHO634X-C5B-3を基に作成
昭和38年(1963)撮影、汐見駅周辺の空中写真。ホームがよく見えないが待合所らしき建造物が確認できる。


空中写真_汐見駅_CHO759-C36-3_1975(昭50)
空中写真データ:国土地理院 整理番号_CHO759-C36-3を基に作成
昭和50年(1975)撮影、汐見駅周辺の空中写真。現在と変わらない単式ホームと待合所が確認できる。


汐見駅跡
野ざらしに原野に取り残される汐見駅。


汐見駅跡
駅横を通って線路を渡る道路。かつては汐見駅踏切が設けられていた。


汐見駅跡
汐見駅踏切跡より鵡川方面。


汐見駅跡
待合所とホームをそのまま残す。


汐見駅跡
汐見駅から鵡川漁港方面の汐見市街へ延びる道路。


汐見駅跡
ホーム上には駅名標の枠だけが残されていた。


汐見駅跡
コンクリートブロック造りの待合所。


汐見駅跡
出入口扉の窓には列車代行バスから公共バスへ運行が変わることを知らせるポスターが残されていた。


汐見駅跡
待合所の扉にカギが掛かっておらず内部見学可。


汐見駅跡
ベンチとソファーがそのまま残される。


汐見駅跡
壁には業務用の電話箱とスピーカー。このスピーカーで列車の到着を知らせていたのだろうか。


汐見駅跡
かつては右手の卓上に駅ノートがあったようだ。


汐見駅跡
待合所出入口。


汐見駅跡
汐見駅を後にし次の富川駅へ向かおう。


富川駅は大正2年(1913)苫小牧駅を起点に開通した苫小牧軽便鉄道の終着駅として開業、当初は佐瑠太駅と称す。大正11年(1922)馬車軌道を転用し沙流軌道(後に沙流鉄道)佐瑠太駅~平取駅間が開通、同13年(1924)日高拓殖鉄道佐瑠太駅~厚賀駅間が開通し3路線の接続駅となった。昭和2年(1927)苫小牧軽便鉄道と日高拓殖鉄道が国有化され日高線に改称、昭和19年(1944)佐瑠太駅は富川駅に改称し全盛期を迎えるが、終戦後に製紙原料となる木材輸送が減少したうえ、トラックの代替輸送が普及したことで昭和27年(1952)沙流鉄道廃止が廃止。更にモータリゼーションによる需要減少から同57年(1982)富川駅は貨物取扱いを廃止、同59年(1984)荷物取扱いが廃止され、同61年(1986)無人駅となり切符販売が簡易委託された。平成元年(1989)現駅舎へ改築、後に簡易委託も廃止され完全な無人駅に。令和3年(2021)4月1日、日高本線(鵡川~様似間)の廃止に伴い廃駅となった。


空中写真_富川駅_USA-M149-14_1952(昭27)
空中写真データ:国土地理院 整理番号_USA-M149-14を基に作成
昭和27年(1952)撮影、富川駅周辺の空中写真。沙流鉄道が廃止される2ヶ月前に撮影されたもの。駅南側の沙流川右岸に広大な貯木場が見え、製紙産業で発展する苫小牧方面への木材搬出が盛んに行われていたことをうかがう。


空中写真_富川駅_CHO759-C39-7_1975(昭50)
空中写真データ:国土地理院 整理番号_CHO759-C39-7を基に作成
昭和50年(1975)撮影、富川駅周辺の空中写真。現駅舎へ改築される前の旧駅舎が見え、当時は単式ホームと島式ホームを有し構内踏切で連絡していた。沙流鉄道が廃止されて23年が経ち線路跡は道路や住宅地に消失、沙流川沿岸の貯木場も縮小し木材輸送が下火になっていることをうかがう。


富川駅跡
駅前を通る道道289号(富川停車場線)の路傍には富川駅を示す道路標識が残る。


富川駅跡
廃止から約2年が経った富川駅。


富川駅跡
平成元年(1989)に建てられた駅舎は築34年ながらまだ新しい印象。


富川駅跡
駅舎左手には駐輪場を設けている。


富川駅跡
出入口上の鋭角な三角屋根が特徴的。


富川駅跡
駅と道道289号を繋ぐ駅前通り。かつては駅前に商店や飲食店があったのだろう。


富川駅跡
駅舎の出入口扉は閉ざされ”営業終了のお知らせ”が。


富川駅跡
出入口扉の窓より中を覗き。


富川駅跡
駅舎内左側にシャッター。かつて売店があったらしく、このシャッターはその名残りなのだろう。


富川駅跡
駅舎横にある電話ボックスと公衆トイレはまだ使えます。


富川駅跡
ホームへは立入禁止で入れない。


富川駅跡
汐見・鵡川方面へ延びる線路はまだ残っていた。


沙流川橋梁
今回見てきた日高本線の最後は富川~日高門別間を流れる沙流川に架かる沙流川橋梁。この先は次の機会に。


訪問日:2023年1月2日(月)
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真布駅(留萌本線) ~最終運行日~

令和5年(2023)3月31日の金曜日、留萌本線の石狩沼田~留萌間が最終運行日を迎えた。子供の頃から慣れ親しんだ留萌本線の最後を見届けたい一心で、仕事をしている場合ではないと年休をとって会社を休み、羽田11:15発のANA4783便に搭乗し旭川空港へ。バスとタクシーを乗り継いで急ぎ実家へ向かい、車を借りて旭川から留萌方面へ走らせた。

先ずは石狩沼田駅から留萌方面の隣駅、真布駅に。幾度となく訪れた単式ホームに待合所を設けるだけの誰もいない無人駅だったが、この日ばかりはさすがに様相を異にしていた。別れを惜しむ地元の方や鉄道ファンをはじめJR北海道の関係者がおり、駅はかつてない賑わいを見せていた。

真布駅は過去の記事に何度か書いてきたが、特に去年の元日に訪れた様子を記事にした『真布駅(留萌本線) ~仮乗降場の原点を見る駅~』に概要を書いたのでご参照を。開業から67年、ついに真布駅は最後の日を迎える。




真布駅
真布駅に到着。かつて見ないほどに人がいっぱいいる。


真布駅
関東では桜咲き誇る3月末、北海道はまだ残雪の季節。


真布駅
待合所内。かわいいお客さまがベンチで列車の到着を待ってました。


真布駅
きっぷ運賃表と発車時刻表。


真布駅
待合所内の壁面には”ありがとう留萌本線”のポスター。


真布駅
待合所内より出入口。


真布駅
この駅名標を見るのも今日が最後。


真布駅
留萌本線(石狩沼田~留萌)の最終運行日は快晴。空には半月が見えていた。


真布駅
待合所に残る”眞布駅”の木製駅名板。


真布駅
真布駅16:29発留萌行の列車がゆっくりと入線。


真布駅
停車した列車から2名の乗客が下車。


真布駅
ぞくぞくと客が乗車する。後にも先にもこんな光景を見たことなないだろう。


真布駅
そして列車が発車。


真布駅
みんなバイバイと手を振り。


真布駅
4両編成の列車は次の恵比島駅へ向けて。


真布駅
列車が去り駅は静けさを取り戻した。


真布駅
最終営業日を迎えた真布駅を目に焼き付け。さようなら、そしてありがとう!


訪問日:2023年3月31日(金)
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恵比島駅(留萌本線) ~最終運行日~

真布駅から車を走らせ次の恵比島駅に。平成11年(1999)に放送されたNHK朝ドラ「すずらん」のロケ地として知られる。ロケセットの明日萌駅や中村旅館を残し沼田町の観光地となっているのだが、放送から20年以上が経ち近年は訪れる人もまばら。駅周辺は過疎化が進み、駅正面の山腹に鎮座していた恵比寿神社もこの地を去った。そして鉄道と共に駅も消える。

留萌本線(石狩沼田~留萌)の最終運行日となる令和5年(2023)3月31日、この日ばかりは恵比島駅の最終営業日だけにいつもと様相を異にし、明日萌駅の駅舎内には記念グッズを売る店が設けられ、いつも出入口を閉ざしていた中村旅館は内部を無料開放しカフェまで設けていた。別れを惜しむ多くの人が訪れ、今まで見たことがない賑わいを見せ最後にふさわしい光景を見せる。恵比島駅は過去の記事に何度か書いてきたが、特に去年の元日に訪れた様子を記事にした『恵比島駅(留萌本線) ~NHK朝ドラのロケ地になった駅~』に概要を書いたのでご参照を。




恵比島駅
恵比島駅付近、路傍には車が並び多くの人が来ているようだ。


恵比島駅
ドラマセットの中村旅館(旧黒瀬旅館)と明日萌駅(恵比島駅)。


恵比島駅
出入口扉が開けらている中村旅館を初めて見た。


恵比島駅
多くの人が訪れ賑わう様子の恵比島駅。


恵比島駅
ドラマセットの馬小屋は出店に利用されていた。


恵比島駅
貨車駅舎ながらドラマセットに溶け込む外装が施された恵比島駅。


明日萌駅
こちらはドラマセットの明日萌駅。


明日萌駅
明日萌駅の出入口に設置されていたガチャガチャ。既に中身は空だった…。


明日萌駅
こちらはドラマセットである明日萌駅の駅舎内。


明日萌駅
改札口横のベンチ片隅に座り駅構内を眺める萌。どんな思いで最後の列車を見送るのだろう。


明日萌駅
改札口上に掲げる発車時刻表。明日萌駅は上り岩見沢・札幌方面5本・下り留萌・増毛方面5本の列車が発着する設定だったようだ。


明日萌駅
切符売場では記念硬券切符などを販売。


明日萌駅
初めて見たこのツーショット。


明日萌駅
明日萌駅改札口。


恵比島駅
本物の恵比島駅ホーム側にはヘッドマークと”ありがとう恵比島駅”の垂れ幕。


恵比島駅
この駅名標を見るのも今日が最後か。


恵比島駅
16:51発深川行が入線。


恵比島駅
数名の旅客が降車し。


恵比島駅
最後の別れを惜しむ人たちがぞくぞくと乗車。


恵比島駅
列車内は乗客でいっぱい。多くの人に見送られ。


恵比島駅
次の真布駅へ向けて発車。


恵比島駅
恵比島駅で列車を見送るのもこれが最後だろう。


恵比島駅
木造風に外装を施す貨車駅舎。


恵比島駅
本物の駅舎内は閑散としていた。


恵比島駅
壁には発車時刻表やきっぷ運賃表にまじって”ありがとう留萌本線”のポスターを掲示。


恵比島駅
駅舎内より出入口。廃止後にこの貨車駅舎はどんな扱いになるのだろうか。


恵比島駅
恵比島駅の隣にあるロケセットの明日萌駅。


恵比島駅
列車が去った後も明日萌駅は多くの人で賑わう。


恵比島駅
待合室に移動した駅長と賑わいをよそに外を眺める萌、改めてみると何とも言えない不思議な光景である。


恵比島駅
駅を出て次は駅前の中村旅館(旧黒瀬旅館)へ行ってみよう。


恵比島駅前
今から5ヶ月前、真夏の8月に撮影した中村旅館(旧黒瀬旅館)と恵比島駅。この時、駅周辺はまだ静かだった。


黒瀬旅館
石狩沼田駅「昭和の恵比島駅パネル展」(2023年1月4日訪問)より往時の黒瀬旅館。当時は駅側に玄関があり、ドラマセットとして大きく改装されたことをうかがう。ドラマでは中村旅館として使われた。


中村旅館(旧黒瀬旅館)
恵比島には何度も訪れているが中村旅館(旧黒瀬旅館)に入ったのは初めて。本日はカフェとして利用され内部公開していた。


中村旅館(旧黒瀬旅館)
1階の奥部屋。カフェの客室として使われていた。


中村旅館(旧黒瀬旅館)
1階と2階を繋ぐ階段。2階が客室となっている。


中村旅館(旧黒瀬旅館)
久々に昔懐かしい黒電話を見たよ。


中村旅館(旧黒瀬旅館)
2階に上って客室を一望。各部屋には「すずらん」をはじめ「しらかば」「もみじ」「ゆり」「ききょう」といった名が付けられていた。


中村旅館(旧黒瀬旅館)
「しらかば」の客室より格子戸越しに駅を望む。


中村旅館(旧黒瀬旅館)
「すずらん」の客室にはドラマ撮影時の写真を展示。


中村旅館(旧黒瀬旅館)
今から24年前に放映された朝ドラだけに出演者がみんな若いなあ…と、時の流れを感じながら写真を見入ってしまう。


中村旅館(旧黒瀬旅館)
床の間が設けられる「ききょう」の客室。


中村旅館(旧黒瀬旅館)
「もみじ」の客室に飾れていた旧来正旅館のスケッチ画。かつて永山駅(宗谷本線)前にあった大正8年(1919)建築の旅館で、現在は北海道開拓の村(札幌市)に移築されている。ここ中村旅館のモデルになった。


中村旅館(旧黒瀬旅館)
一通り2階の客室を見終えて階下に降りよう。


中村旅館(旧黒瀬旅館)
1階に降りて。


中村旅館(旧黒瀬旅館)
テイクアウトでコーヒーを購入。


恵比島駅前02
現役の恵比島駅を見るのはこれが最後になるだろう。さようなら、そしてありがとう!
コーヒーを飲みながら次の峠下駅へ向かう。


訪問日:2023年3月31日(金)
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峠下駅(留萌本線) ~最終運行日~

沼田町と留萌市の境をなす山地越えの恵比島峠。留萌本線最大の難所で、恵比島駅を出た列車は恵比寿トンネルと峠下トンネルを潜り抜けて麓の峠下駅に着く。その名に相応しい場所にある峠下駅は、千鳥式に配された相対式2面2線のホームを有し、留萌本線の途中駅で唯一列車交換が可能な駅。しかしながら駅付近には店をはじめ民家も無く、秘境駅の様相ながら存分に昭和を感じさせる木造駅舎を残す。2021年12月30日に訪れた様子を記事にした『峠下駅(留萌本線) ~山間に木造駅舎を残す秘境駅~』に概要を書いたのでご参照いただければ。




峠下駅
留萌本線(石狩沼田~留萌)の最終運行日だけに駅前には多くの車が停まる。


峠下駅
112年に渡る留萌本線の歴史を語る木造駅舎。


峠下駅
昭和59年(1984)まで有人駅だった峠下駅。現在は保線要員の詰め所として利用されている。


峠下駅
駅舎内に入って。


峠下駅
峠下町内会が設けたテーブルには”ありがとう留萌本線 峠下駅”の垂れ幕と、うちわ。


峠下駅
留萌本線は開業から112年、それから峠下駅も運命を共にしてきた。


峠下駅
最後の日の改札口。


峠下駅
駅舎隣接ホームの留萌方面乗車口より留萌方面。


峠下駅
留萌方面ホームの駅名標。


峠下駅
留萌方面ホームと深川方面ホームを繋ぐ構内踏切。


峠下駅
構内踏切と駅舎。


峠下駅
深川方面ホームより留萌方面。


峠下駅
深川方面ホームより深川方面。


峠下駅
日本海と内陸部を鉄路で繋ぎ明治末期から物資や人を運んできた留萌本線。この駅に来るとその歴史を感じる。


峠下駅
駅舎前、最後の日。


峠下駅
現役の峠下駅を見るのはこれが最後。さようなら、そしてありがとう!


訪問日:2023年3月31日(金)
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幌糠駅(留萌本線) ~最終運行日~

留萌市東側の内陸部、幌糠市街の中心部に幌糠駅がある。駅前には数軒の民家と”るもい農協幌糠事業所”があるぐらい。かつて幌糠駅は御料林(皇室財産の森林で現在は国有林)の木材搬出に利用され、周辺に小学校や中学校を設けて繁栄をみた町であるが、今や時流に抗えず過疎化が進む。人が去って鉄路をはがし、駅が無くなり人は来ぬ。これからの幌糠に明るい未来予想図を描くのは難しいだろうが、せめて訪れた人に歴史だけは伝えてほしい。2021年12月30日に訪れた様子を記事にした『幌糠駅(留萌本線) ~御料林の木材搬出駅だったのも今は昔~』に概要を書いたのでご参照いただければ。




幌糠駅
雪解けが進む幌糠駅。


幌糠駅
長く厳しい冬を越え最後の日を迎える。


幌糠駅
この貨車駅舎は約30年にわたり幌糠の玄関口としてその役目を果たしてきた。


幌糠駅
軒を照らす電灯も今日を最後に消える。


幌糠駅
いつもと変わらぬ駅舎内。


幌糠駅
窓上に「ありがとう留萌本線 幌糠駅」のポスター。


幌糠駅
桜木花道やお茶の水博士の人形に守られる駅ノート。


幌糠駅_2016-1-4
今から7年前の2016年1月4日撮影。人形のメンバーが少し変わっているものの桜木花道とお茶の水博士は初期メンバーらしい。


幌糠駅
駅舎内より出入口。


幌糠駅
駅名標より深川方面。


幌糠駅
駅名標より留萌方面。


幌糠駅
駅構内より留萌方面。


幌糠駅
最終列車を見送るべく幌糠町内会によって作られた。


幌糠駅
現役の幌糠駅を見るのはこれが最後。さようなら、そしてありがとう!


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

カレンダー
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現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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