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藤山駅(留萌本線) ~最終運行日~

藤山駅は駅名の由来が人名にある。その人物は小樽を中心に海運業を経営した明治期の実業家、藤山要吉。この藤山さんが明治29年(1896)留萌東部の未開の原野に藤山農場を開く。明治43年(1910)留萠線の深川駅~留萠駅間が開通、藤山農場内に駅が開設され藤山駅と命名された。藤山農場に始まる留萌市藤山町は小集落を形成するも昭和中期から衰退の歴史を歩み、平成15年(2003)藤山小学校が閉校、近年の駅利用者は乗車人員1日平均1名以下となり、終には留萌本線と共に駅は消える。2021年12月30日に訪れた様子を記事にした『藤山駅(留萌本線) ~駅名の由来は藤山さん~』に概要を書いたのでご参照いただければ。




藤山駅
藤山農場から名を受けた藤山駅。


藤山駅
最後の明かりを灯し。


藤山駅
開業から112年、今日を最後に藤山駅は役目を終える。


藤山駅
藤山の風景に溶け込むように佇む駅舎。改めて美しい景観だと思う。


藤山駅
今日だけは駅前に多くの車が停まり今までに見たことが無い光景。


藤山駅
色あせて味がでてきた駅名標。


藤山駅
駅名標より深川方面。


藤山駅
駅舎内に入って改札口。


藤山駅
改札口上には”ありがとう留萌本線 藤山駅”のポスター。


藤山駅
発車時刻表やきっぷ運賃表の掲示板はいつもと変わらない。


藤山駅
18時半前、ホームに人が集まりはじめ。


藤山駅
18:31発深川行列車が入線。


藤山駅
列車が到着し扉が開くと。


藤山駅
数名の乗降客。


藤山駅
停車時間はわずか。列車の扉が閉まり。


藤山駅
深川行列車は定刻通りに発車。


藤山駅
列車が去り人が消え。


藤山駅
現役の藤山駅を見るのはこれが最後。さようなら、そしてありがとう!


訪問日:2023年3月31日(金)
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大和田駅(留萌本線) ~最終運行日~

留萌市街から少し内陸に入った所、留萌川沿岸の山間に市街を形成する大和田町。明治後期に大和田炭鉱が操業を始め石炭採掘で一時代を築いた町である。明治43年(1910)鉄道院留萠線の深川駅~留萠駅間の開通に伴い大和田駅が開業、鉄道は石炭の積み出しや住民の足として利用され、昭和期にかけて病院や学校、飲食店をはじめ映画館などの娯楽施設までできて賑わいを見せた。全盛期には3千人もの人口を有したというが、『留萌 市統計書 令和2年度版』によれば令和元年(2019)における大和田町の世帯数112、 人口191とあり、急速に過疎化が進んだことをうかがう。2021年12月30日に訪れた様子を記事にした『大和田駅(留萌本線) ~かつて大和田炭鉱の石炭積み出しで賑わった駅~』に詳しく書いたので参照してほしい。




大和田駅
すっかり日が暮れた19時前、大和田駅に。


大和田駅
まずは駅舎内に入り。


大和田駅
”ありがとう留萌本線 大和田駅”のポスター。


大和田駅
ベンチ上には駅ノートとスタンプ帳。


大和田駅
スタンプ帳には大和田駅のオリジナルスタンプ。大和田駅との別れを惜しんだ有志の方が作られたのだろう。


大和田駅
明日からはバスだけが公共交通となり住民の足となる。


大和田駅
駅舎内より出入口。


大和田駅
意外に静かだった大和田駅。


大和田駅
駅舎構内側。


大和田駅
駅舎から少し離れたホーム、駅名標が駅としての存在感を示す。


大和田駅
この駅名標をここで見るのも最後かな。


大和田駅
最後の勇姿を写真に残そうとする人もちらほら。


大和田駅
ホームより留萌方面。


大和田駅
深川方面乗車口より深川方面。


大和田駅
間もなく19:02発留萌行列車が到着予定、人が慌ただしく動き始め。


大和田駅
窓越しに駅舎内。


大和田駅
定刻通りに列車が入線。


大和田駅
この列車が留萌駅で折返し最後の深川行列車となる。


大和田駅
列車が到着し先頭車両の扉が開くが、さすがに降りる客はいない。1名の乗客のみ。


大和田駅
留萌行列車が発車。大きく手を振り列車を見送る警備員さんが印象的だった。


大和田駅
ひとときの静けさを取り戻した大和田駅。幾度となく訪れ、春夏秋冬にわたり様々な顔を見せてくれた。これが最後と思うと本当に悲しい。さようなら、そしてありがとう!


訪問日:2023年3月31日(金)
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留萌駅(留萌本線) ~最終運行日~

留萌本線の留萌~増毛間が廃止されて6年を越える時が流れた2023年3月31日、しばらく終着駅を務めてきた留萌駅は最後の日を迎えた。かつては留萌本線や羽幌線、天塩炭砿鉄道を繋ぐターミナル駅として物資集散と住民の足に利用されてきたが、道路網の発達や路線地域の過疎化が進んだことから利用者減少に歯止めがかからず、終には廃止の運命を辿る。留萌~増毛間が廃止されたとき、近い将来に留萌駅も無くなることはわかっていたが、この古くも立派な駅舎を見るとまだまだ先のことと感じていた。最後の日を迎えても留萌駅が無くなるのが本当に信じらず、多くの人に最終列車が見送られる様子を見て現実を受け止めた思い。留萌駅は何度も訪れ記事に書いてきたが、2021年12月30日に訪れた様子を記事にした『留萌駅(留萌本線) ~2021年末~』に詳しいので参照していただければ。




留萌駅
”道の駅るもい”に車を停めて駅舎反対側の留萌駅北側に。


留萌駅
裏口から見送る人たちが2番ホームへ入ってゆく。


留萌駅07
2番ホームへ入るには整理券が必要だったようで、私はそれを知らず入れずにいた。しかし運よく定員に空きがあったようでペンライトを頂き中に入れていただく。


留萌駅
発車を待つ最後の深川行。


留萌駅
ペンライトを点灯させを見送る準備が完了。


留萌駅
2番ホームより増毛方面。


留萌駅
2番ホームより留萌方面。2021年3月のダイヤ改正以降、2番ホームは使用停止となり旅客が入れなくなっていた。最後にここに立つことができて感慨深い。


留萌駅
地元中高生らのブラスバンド演奏による「蛍の光」が流れはじめ。


留萌駅
最後の深川行が間もなく発車。


留萌駅_MVI_9929 - frame at 0m4s
20:20に汽笛一声。列車はゆっくりと動き始め。


留萌駅_MVI_9929 - frame at 0m39s
ディーゼル音を唸らせながら。


留萌駅_MVI_9929 - frame at 0m55s
深川へ向けて最後の旅路についた。


留萌駅
「蛍の光」の演奏が終わり1番ホームの跨線橋口でどなたかが何かを話しているが聞き取れない。


留萌駅
列車が去ってKAZUMOちゃんが帰り、人の動きも慌ただしく。


留萌駅
留萌駅前に移動。


留萌駅
駅舎前では最終深川行を見送る「蛍の光」を演奏した地元中高生を前に駅長が御礼の言葉。


留萌駅
続いて留萌市長。旭川出身の私にとって留萌は少年期からの思い出が多くあり大好きな町、本当にいい町だな改めて思う。この若者たちが鉄道を失ったこれからの留萌を盛り上げてくれると願いたい。


留萌駅
記念撮影。


留萌駅
留萌本線との別れの時間を彩っていただき、ありがとうございました。


留萌駅
留萌駅の旅客営業を務めてきた駅長さんや駅員さんが並んで敬礼。


留萌駅
留萌駅で最後の勤務、どんな思いがあるのだろう。


留萌駅
最終深川行が去った後も待合室内は人でいっぱい。実はこの時に留萌駅はまだ旅客営業を終了していない。深川から来た列車が21:11に到着予定。この列車が本当の留萌本線(石狩沼田~留萌)で運行される最後の列車なのだが、折り返しが旅客を乗せない回送となるためセレモニーから外された。しかしその列車を見送るべく多くの人がまだ駅に残っていた。


留萌駅
ひと足早く駅そば屋は最後の営業を終了していた。


留萌駅_2023-1-3
今年(2023)1月3日に訪れたときの駅そば屋。


留萌駅_駅そば
この時に食べた”ニシンそば”が最後になってしまった。


留萌駅
最後の列車からの降車客を待つ改札口。


留萌駅
改札口上には”ありがとう留萌本線 留萌駅”のポスター。


留萌駅
スタンプ台上の壁には廃止される各駅の写真を飾していた。


留萌駅
最終深川行が発車し営業を終えた改札窓口と券売機。


留萌駅
事務室とコンコースを隔てる壁に”北の大地の入場券”や”青春18きっぷ”のポスター等々。3月のダイヤ改正を知らせる「新時代へGo!」のキャッチフレーズがここでは空しく心に響く。


留萌駅
改札口前のコンコース。最後の列車到着を待つ人らでまだまだ賑やか。


留萌駅
ちょいとトイレに。あのフラワースタンドは既に撤去されていた。


留萌駅
待合室に展示していた”留萌本線の歴史”。最終営業日の今日が明日には歴史に刻まれる。


留萌駅_MVI_0312 - frame at 1m9s
そうこうしているうちに駅構内ではあの発着メロディーが流れ。


留萌駅_MVI_0312 - frame at 1m46s
深川からやって来た21:11着の列車が入線。


留萌駅_MVI_0312 - frame at 2m48s
これが留萌駅に着く最後の旅客列車で、折返しは回送列車となる。ぞくぞくと旅客が降車。


留萌駅
先頭車両からも旅客がぞくぞくと。


留萌駅
最後の最後となる回送列車を見送る人でホームは溢れかえり。


留萌駅
駅で配っていた”ありがとう留萌駅”カード。


留萌駅
駅名標にはカメラに収めようと人だかり。


留萌駅
深川へ帰る列車の先頭車両にも人だかり。


留萌駅
そろそろ発車の時間がきたようだ。


留萌駅_MVI_0560 - frame at 0m11s
回送列車は深川へ向けて旅立ち。これで留萌駅に列車がやって来ることはもう無い。


留萌駅
駅スタンプ台には最後の記念にと人が並ぶ。


留萌駅
人がいなくなり寂しい雰囲気の駅そば屋。


留萌駅
そろそろ駅舎内から出なければならない時間。


留萌駅
駅舎から出て。


留萌駅
出入口扉のカギが掛けらる瞬間。戸締りが悪くだいぶ手間取っていたが…。


留萌駅
扉は固く閉じられ留萌駅は最後の営業を終えた。


留萌駅
思い出多い留萌駅、この駅が無くなることが本当に信じられない。諸行無常の響き、盛者必衰の理り、そうゆうことなのだろう。次に訪れた時にどんな姿になっているのか、少しでもその面影を感じる場所になっていたらいいのだが。


留萌駅
先ほどの賑わいが嘘かのような静けさ。


留萌駅
さようなら、そしてありがとう。留萌駅!


訪問日:2023年3月31日(金)
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富良野駅(根室本線) ~ドラマ「北の国から」の舞台になった町~

北海道の中心部に位置する富良野市。北海道の”へその町”と称し毎年7月には”北海へそ祭り"が開催され、お腹にユニークな顔絵を描いた人たちが町を練り歩く。昭和56年(1981)に市内の麓郷をロケ地にした連続ドラマ「北の国から」の放映がはじまり、国民的な人気を得て一躍”富良野”はその名を知らしめた。私は主人公黒板五郎の長男”純”とは同世代であり、地元北海道を舞台としていただけに放送を楽しみに見続けてきた最も思い入れの深いドラマ。電気も水道もない辺境の地で懸命に働き子供の成長を模索する五郎、頼りがいのある”草太兄ちゃん”はかっこよかったし、”れいちゃん”の登場は衝撃的にかわいくて初めて恋心を抱いた純を羨ましく思ったものだ。

明治後期に旭川と釧路を結ぶ鉄道が計画され、北海道官設鉄道により旭川と釧路の双方から鉄道敷設工事がはじまる。旭川から十勝線(現 富良野線)の延伸工事が進められ、明治33年(1900)上富良野駅からの延伸開通に伴い下富良野駅として開業したのが富良野駅のはじまり。明治40年(1907)狩勝トンネルが完成、落合駅~帯広駅間が開通し旭川駅~釧路駅間が鉄路で結ばれ釧路線と名付けられた。大正2年(1913)滝川駅~下富良野駅(後の富良野駅)間が開通したことで滝川駅~釧路駅間が繋がり、滝川駅を起点として釧路駅を終点にする釧路本線(後の根室本線)が誕生、旭川駅~下富良野駅間は釧路線から分離して富良野線になった。

昭和17年(1942)下富良野駅から富良野駅へ駅名を改称。同49年(1974)現駅舎に改築。同56年(1981)札幌から帯広・釧路を最短で結ぶ石勝線(南千歳~新得)が開通したことで、札幌から滝川を経由して釧路まで運行していた特急”おおぞら”は石勝線経由に変更され、富良野駅に定期の特急列車がやって来ることはなくなった。現在は観光シーズンに臨時特急を設定し、今年(2023)は6月から9月にかけての土日や祝日を主にして”特急フラノラベンダーエクスプレス”が札幌~富良野間で運行される。

平成28年(2016)富良野駅の所属路線である根室本線にとって大事件が起こる。8月に北海道に大雨をもたらした台風10号の被害により富良野駅~音別駅間で橋梁流失や土砂流入が相次いで不通に。年末にかけて不通区間の復旧工事が進められたが、東鹿越駅~新得駅間は復旧されることなく代行バス運行を開始する。これが大きなきっかけとなり、鉄路が再び蘇ることなく来年(2024)3月31日の運行をもって富良野駅~新得駅間は廃止される。




富良野駅
駐車場に車を停めて富良野駅に。


富良野駅
何度か富良野駅には来たことがあるが、20年以上ぶりではなかろうか。


富良野駅
富良野は北海道のど真ん中、北海道のへそと呼ばれ毎年7月に”北海へそ祭り”を開催する。


富良野駅
改札口とみどり窓口。


富良野駅
改札口横の掲示板にあった発車時刻表。根室本線の新得・帯広方面は全て東鹿越行。その先の新得駅まではバスに乗り換えて行くしかない。今夏は帯広から鉄道とバスを乗り継いで旭川へ行ってみようと思う。


富良野駅
駅舎出入口を入って左手に駅レンタカーの店舗。


富良野駅
駅舎出入口。


富良野駅
出入口横に自動券売機。


富良野駅
自動券売機上に掲げられるきっぷ運賃表。分断されている根室本線(東鹿越~新得間)の利用について説明書きを付す。「現在、根室線の東鹿越から新得間において、バスによる代行輸送を行っております。代行区間は当社の運賃にてご利用いただけます。」とのこと。


富良野駅
玄関フードに駅スタンプを設置。


富良野駅08
「北の国から’23冬」と銘打つチラシ。黒板五郎の生き方が今のSDGsに通ずると、感銘を受けた東京のアパレルメーカーと”北の国から”がコラボ。次世代に”北の国から”を紡いでいこう!をコンセプトに廃棄物や不用品などをリサイクルして衣料品やバッグとして商品化したという。


富良野駅
ベンチが並ぶ待合室。右手に壁になっている所にかつて売店のキヨスクを設けていたが平成28年(2016)に閉店した。


富良野駅
富良野駅の”北の大地の入場券”。


富良野駅
待合所の一角に駅そば屋。こうして見てくると留萌駅と富良野駅の構造はよく似ている。


富良野駅
さすがに”ニシンそば”は無い。何にしようかなと悩んだ末に山菜そばを注文。


富良野駅
待つこと5分も経たないくらい。


富良野駅
山菜そばが登場しました。地酒がその土地で飲むから美味しいと思うのと同じ原理で、そばも駅で食べるからこそ美味しいのだ。


富良野駅前
駅前からは富良野スキー場がある北の峯を望む。


富良野駅
築48年となる駅舎だが古さを感じさせない。


富良野駅
駅舎前に設置する旧式の駅名標。


富良野駅
東西自由通路のポッポブリッジより布部・新得方面。キハ40形気動車が待機していた。


富良野駅
”5番のりば”には1両編成のH100形気動車が発車を待つ。こちらは13:16発旭川行の富良野線普通列車。


富良野駅
富良野駅北側(旭川側)で線路を跨ぐ歩道橋より南方向の富良野駅。


富良野駅
歩道橋より北方向。これから夏にかけて富良野一帯で収穫された野菜を運ぶべく、出番に備えて貨物列車が待機。


富良野駅
左方向に延びる線路が滝川方面の根室本線、直進方向が旭川方面の富良野線。


富良野駅
13:16定刻通りに旭川行普通列車が発車。


富良野駅
北の大地に心地よいディーゼル音の響きは、徐々に小さくなってゆく。


訪問日:2023年4月1日(土)
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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

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