金山駅(根室本線) ~駅名の由来は砂金~
角川日本地名大辞典によれば明治42(1909)~45年(1912)にかけて空知川の支流トナシベツ川で砂金が盛んに採取されたことに地名の起源がある金山。それ以前はアイヌ語を起源にする”トナシベツ”と称し、漢字で”十梨別”と書いた。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「金山駅」によると、”トナシベツ”の原義は「トゥナㇱペッ(tunas-pet)」(早い・川)、「トゥニウㇱペッ(tuni-us-pet)」(柏の木が・多い・川)の2説が挙げられていると記す。
明治33年(1900)、北海道官設鉄道十勝線の一般駅として金山駅が開業、地域一帯の開拓がはじまり同40年(1907)には富士製紙金山工場が操業を開始し、空知川上流から流送されてきた木材を原料にパルプを生産。同43年(1910)金山~占冠間の道路が開通すると、占冠村の農産物集積地として駅は賑わいを見せた。先述した通りこの頃に地名が十梨別から金山へと改称しており、地名に先行して駅名が”金山”を採用したことになる。
昭和5年(1930)富士製紙金山工場が閉鎖、地域経済は大きなダメージを受けるが、同年トナシベツ川沿いに金山森林鉄道が完成して造材が進展。同20年(1945)金山木工場が操業をはじめ金山は林業を中心にして栄えたが、昭和30年代から木材需要の減少により斜陽の時代を迎え、昭和33年(1958)金山森林鉄道が廃止されトラック輸送に転換、それから8年後の同41年(1966)金山ダムが完成したことで根室本線(金山~東鹿越間)が新線に切替わり、旧線上にあった鹿越駅はダム湖に沈み廃止された。
林業の衰退と共に過疎化が進行したことで金山駅の利用者は減少、昭和57年(1982)貨物・荷物扱いが廃止され、同61年(1986)旅客業務を廃止して完全な無人駅となった。JR北海道が公表した駅別乗車人員(H29~R3の5年平均)によれば金山駅の乗車人員はわずか2.2人。来年(2024)3月31日の運行をもって廃止される根室本線(富良野~新得)と運命を共にして廃駅となる。

金山駅の駅舎。開業は今から123年前、南富良野町ホームページの南富良野町の歴史的建造物一覧によれば昭和9年(1934)に建替えとあり、築89年の建築物。

昭和で時間が止まったかのような景観。根室本線(富良野~新得)が廃止されて後、この景観は失われるのだろうか。そうだとすれば実に惜しい。

駅構内南側にある2階建ての建物。保線関係の事務棟や管理室に使われていたらしい。ブログ「タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-」にある記事「根室本線金山駅[2] 支社境界の変更に関わる金山保線管理室」に詳しく書かれていたのでご参照を。

駅前通りの突き当りに国道237号が通り、その北側国道沿いに金山の市街を形成する。

金山駅前バス停留所。定期にやってくるバスは下金山消防庁舎前行16:06と18:16の1日2本、しかも運行が11月~4月の期間限定。

誰もいない静かな駅舎内。

奥が改札口、その右手に切符売場の窓口を残す。

改札口上に掲げる普通運賃表と発車時刻表。1日に富良野・滝川方面が普通4本と快速1本、新得・帯広・釧路方面が普通3本と快速1本の発着がある。

窓口が閉ざされてどれくらいの時が流れたのだろう。最後に再び切符を販売する光景を見たいものだ。

壁に貼ってあった気象庁のポスター。スリムなサンドウィッチマンに東日本大震災から随分と時が流れたことを改めて思う。

切符売場窓口の右側に荷物扱い窓口があったのだろうが、きれいに板張りして改修されている。

駅舎内駅前側の出入口。

改札口より駅構内。

柱の両面には”かなやま”の駅名標を掲げ存在を示す。

1番線ホームより新得・帯広方面。

1番線ホームに接して建てられているランプ小屋。南富良野町ホームページの南富良野町の歴史的建造物一覧によれば
「明治44年建築 築107年 赤煉瓦造 面積 9.93 ㎡
明治時代の木造客車の車内照明には、灯油ランプが使用され、夕暮れ時に停車する主要駅で係員が各客車の上にあがり、作業窓からランプを吊り下げる仕組みとなった。このランプと燃料を収納するのに使われていた小屋がランプ小屋と呼ばれるようになった。危険物を取り扱うことから堅牢で耐火性に富む煉瓦造りとなっており、明治時代に建設された旧国鉄時代の主要駅には、一般的に存在したが、用途の消滅や駅の増改築に伴い急速に消滅し、北海道で残っているのは、金山駅の他に山部駅しかなく、本町で現存する最も古い建造物となっている。」と紹介する。

ランプ小屋前にある駅名標。

1番線ホームに接して建てられる旧金山保線管理室。

ランプ小屋前より富良野方面。

1番線ホームに並ぶ旧金山保線管理室とランプ小屋にこの駅舎。ここには根室本線の歴史が凝縮されている。

駅舎側1番線ホームと2番線ホームを繋ぐ構内踏切。

2番線ホームの釧路方面ワンマン乗降口。

駅北側(富良野方面)にラッセル車が待機。雪解けが進んだ4月を迎えしばらくはお役御免。

2番線ホームより新得・帯広方面。

間もなく滝川行が到着、駅には僅かに人が集まるが静寂観は変わらない。

15:23発滝川行が到着。見慣れた標準塗装色のキハ40形1両編成。

停車時間はわずか。金山駅で1名の旅客を乗車させ発車。

次の下金山駅へ向けて。

村田橋より空知川上流方面の金山駅を望み。

狭隘な土地に金山駅があることを実感できよう。
訪問日:2023年4月1日(土)
明治33年(1900)、北海道官設鉄道十勝線の一般駅として金山駅が開業、地域一帯の開拓がはじまり同40年(1907)には富士製紙金山工場が操業を開始し、空知川上流から流送されてきた木材を原料にパルプを生産。同43年(1910)金山~占冠間の道路が開通すると、占冠村の農産物集積地として駅は賑わいを見せた。先述した通りこの頃に地名が十梨別から金山へと改称しており、地名に先行して駅名が”金山”を採用したことになる。
昭和5年(1930)富士製紙金山工場が閉鎖、地域経済は大きなダメージを受けるが、同年トナシベツ川沿いに金山森林鉄道が完成して造材が進展。同20年(1945)金山木工場が操業をはじめ金山は林業を中心にして栄えたが、昭和30年代から木材需要の減少により斜陽の時代を迎え、昭和33年(1958)金山森林鉄道が廃止されトラック輸送に転換、それから8年後の同41年(1966)金山ダムが完成したことで根室本線(金山~東鹿越間)が新線に切替わり、旧線上にあった鹿越駅はダム湖に沈み廃止された。
林業の衰退と共に過疎化が進行したことで金山駅の利用者は減少、昭和57年(1982)貨物・荷物扱いが廃止され、同61年(1986)旅客業務を廃止して完全な無人駅となった。JR北海道が公表した駅別乗車人員(H29~R3の5年平均)によれば金山駅の乗車人員はわずか2.2人。来年(2024)3月31日の運行をもって廃止される根室本線(富良野~新得)と運命を共にして廃駅となる。

金山駅の駅舎。開業は今から123年前、南富良野町ホームページの南富良野町の歴史的建造物一覧によれば昭和9年(1934)に建替えとあり、築89年の建築物。

昭和で時間が止まったかのような景観。根室本線(富良野~新得)が廃止されて後、この景観は失われるのだろうか。そうだとすれば実に惜しい。

駅構内南側にある2階建ての建物。保線関係の事務棟や管理室に使われていたらしい。ブログ「タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-」にある記事「根室本線金山駅[2] 支社境界の変更に関わる金山保線管理室」に詳しく書かれていたのでご参照を。

駅前通りの突き当りに国道237号が通り、その北側国道沿いに金山の市街を形成する。

金山駅前バス停留所。定期にやってくるバスは下金山消防庁舎前行16:06と18:16の1日2本、しかも運行が11月~4月の期間限定。

誰もいない静かな駅舎内。

奥が改札口、その右手に切符売場の窓口を残す。

改札口上に掲げる普通運賃表と発車時刻表。1日に富良野・滝川方面が普通4本と快速1本、新得・帯広・釧路方面が普通3本と快速1本の発着がある。

窓口が閉ざされてどれくらいの時が流れたのだろう。最後に再び切符を販売する光景を見たいものだ。

壁に貼ってあった気象庁のポスター。スリムなサンドウィッチマンに東日本大震災から随分と時が流れたことを改めて思う。

切符売場窓口の右側に荷物扱い窓口があったのだろうが、きれいに板張りして改修されている。

駅舎内駅前側の出入口。

改札口より駅構内。

柱の両面には”かなやま”の駅名標を掲げ存在を示す。

1番線ホームより新得・帯広方面。

1番線ホームに接して建てられているランプ小屋。南富良野町ホームページの南富良野町の歴史的建造物一覧によれば
「明治44年建築 築107年 赤煉瓦造 面積 9.93 ㎡
明治時代の木造客車の車内照明には、灯油ランプが使用され、夕暮れ時に停車する主要駅で係員が各客車の上にあがり、作業窓からランプを吊り下げる仕組みとなった。このランプと燃料を収納するのに使われていた小屋がランプ小屋と呼ばれるようになった。危険物を取り扱うことから堅牢で耐火性に富む煉瓦造りとなっており、明治時代に建設された旧国鉄時代の主要駅には、一般的に存在したが、用途の消滅や駅の増改築に伴い急速に消滅し、北海道で残っているのは、金山駅の他に山部駅しかなく、本町で現存する最も古い建造物となっている。」と紹介する。

ランプ小屋前にある駅名標。

1番線ホームに接して建てられる旧金山保線管理室。

ランプ小屋前より富良野方面。

1番線ホームに並ぶ旧金山保線管理室とランプ小屋にこの駅舎。ここには根室本線の歴史が凝縮されている。

駅舎側1番線ホームと2番線ホームを繋ぐ構内踏切。

2番線ホームの釧路方面ワンマン乗降口。

駅北側(富良野方面)にラッセル車が待機。雪解けが進んだ4月を迎えしばらくはお役御免。

2番線ホームより新得・帯広方面。

間もなく滝川行が到着、駅には僅かに人が集まるが静寂観は変わらない。

15:23発滝川行が到着。見慣れた標準塗装色のキハ40形1両編成。

停車時間はわずか。金山駅で1名の旅客を乗車させ発車。

次の下金山駅へ向けて。

村田橋より空知川上流方面の金山駅を望み。

狭隘な土地に金山駅があることを実感できよう。
訪問日:2023年4月1日(土)

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