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留萌本線(留萌~増毛) ~廃止されてから6年半の年月が流れ~

年月が流れるのは本当に早い。末端部分の留萌本線(留萌~増毛)が平成28年(2016)12月に廃止されてから6年以上もの年月が流れ、今年(2023)4月1日には石狩沼田~留萌間が廃止されて、留萌本線は深川~石狩沼田間の14.4kmを残すのみとなった。それから約3ヶ月が経った6月下旬、私用で北海道へ帰る機会があったので廃線跡を訪ねてみることに。これからどんどん留萌本線の形跡は消えていくのだろう、私はその軌跡を見届けていきたい。




増毛駅
北海道で最もよい時期を迎えた6月下旬、増毛駅に。


増毛駅
かつてはここが留萌本線の終端。


増毛駅
廃止後に駅舎を改装して町の観光拠点として再出発した増毛駅。駅舎は開業当時の大きさに復元され、背景には昭和24年(1949))に再建された増毛灯台。ニシン漁で賑わった往時が偲べよう。


増毛駅
ホームから先へ線路は続いているが、今はどこまでもというわけではない。


増毛駅
鉄道の駅として役目を終えても。


増毛駅
多くの人が訪れるのは。


増毛駅
終着駅として魅力的な姿を残しているからだろう。


増毛駅
多くの観光客で賑わう駅舎内。


増毛駅
改装前からあった孝子屋ぐるめ食品の売店。


増毛駅
たこでーす。


孝子屋ぐるめ食品
ここに来たらやっぱ”たこざんぎ”っしょ。


増毛駅
廃止後の平成30年(2018)4月、駅舎は開業当時の姿をイメージしてリニューアルオープンした。


増毛駅_2015年10月
こちらが廃止される1年前の2015年に撮影した駅舎。基本構造は同じなのだが、こちらの方が古びたというか、廃れた感を漂わせている。


増毛駅
駅前広場には数台のキッチンカーが営業、廃止前の通常時より多くの人が訪れていることをうかがう。


増毛駅
駅前から市街メインストリートの道道301号(増毛港線)。


増毛駅
廃止前とは随分とイメージが変わり、終着駅独特の寂しさは感じなくなった。これが良いのか悪いのか…。


寿し忠
久々に駅前の寿し忠で”えび丼”を昼飯にしよう。と、思ったが何ゆえか準備中。とほほ…。


増毛駅前
ならば海栄館にある”ラーメンこころ”に行ってみることに。


ラーメンこころ
店前に幟が立ち暖簾を掲げる”ラーメンこころ”。やってるやってる!


ラーメンこころ
今日は何にしようかなあ。


ラーメンこころ
エビ味噌ラーメンで決まり!麺もスープも優秀、海鮮系のラーメン屋は旅先の港町で食べることができるご当地ラーメンだからこそ、より美味しいと感じるだろう。


増毛駅
留萌からやってきた沿岸バスが旧増毛駅停留所に到着。昨年(2022)大晦日にこのバスに乗車して増毛まで来たのだが、留萌へ戻るバスが年末は運行されておらず、なくなく留萌からタクシーを呼んで帰ったことを思い出す。余計な出費をしないよう、年末年始の公共交通機関の利用は計画的に。


礼受駅跡
増毛から留萌へ向かう途中、廃止後も貨車駅舎を残していた礼受駅跡に。昨年(2022)8月に残存を確認した駅舎は撤去され、見ての通り私有地のような状態になっていたのでこれ以上近づくのをやめた。仕方がないことなのだろうが、残念だ。


礼受駅_2015年10月
現役時代の礼受駅(2015年10月撮影)。


瀬越駅跡
ここは留萌駅と礼受駅の間にあった瀬越駅跡。海岸近くの崖下にホームと待合所を設ける無人駅だった。昨年(2022)8月に訪れた時には残存していたが、ついに撤去されてしまった。


瀬越駅跡
ホーム跡より増毛方面。


瀬越駅跡
こちらが留萌方面。何にもなくなってしまった。


瀬越駅_2015年10月
現役時代の瀬越駅(2015年10月撮影)。


留萌駅
廃止から約3ヶ月が経った留萌駅に。


留萌駅
駅舎中央の壁面に掲げていた”JR留萌駅”の駅名標は撤去され。


留萌駅
出入口は固く閉ざされていた。


留萌駅前
駅前に設置の観光マップと駅前交番。これから再開発が進んで駅前の様相も一変することだろう。


留萌駅
羽幌線があった頃に全長97mもの長さを誇った跨線橋。羽幌線廃止後に短縮され、近年には2番線ホームが使用されなくなり入口が封鎖されていた。


留萌駅
昭和42年(1967)に完成した2代目駅舎。それから56年を経て近いうちに解体される。清く澄んだ青空が何となく虚しい。


留萌駅
駅裏手の船場公園はかつて広大な敷地を有していた留萌駅の名残り。


留萌駅
この光景もそろそろ見納めになるだろう。


留萌駅
留萌駅の増毛側に敷設された連絡通路より留萌駅方面。


留萌駅
平成28年(2016)12月に留萌~増毛間が廃止されてから約6年4ヶ月間、留萌駅が留萌本線の終着駅を務めた。


留萌駅
連絡通路より増毛方面。


第10留萌川橋梁
線路は途切れているが第10留萌川橋梁と福港橋梁が現存している。


留萌駅
留萌駅構内への裏口。約3ヶ月前の3月31日、ここから入って最終列車を見送ったことを思い出す。


留萌駅
近いうちに駅舎は解体されるのだろうが、その面影を少しでも何らかの形で残してほしいと願うばかり。


ハスカップ果汁飲料
”道の駅るもい”で買ったハスカップ果汁飲料を飲みながら休憩。次の大和田駅へ向かおう。


訪問日:2023年6月25日(日)
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留萌本線(留萌~石狩沼田) ~廃止されてから3ヶ月~

廃止時の留萌駅~石狩沼田駅間にあった6駅が廃止から約3ヶ月が経ってどんな状況にあるのか、つぶさに見ていこう。まずは留萌駅の隣駅だった大和田駅から。




大和田駅01
大和田駅は廃止時と変わらず貨車駅舎を残していた。


大和田駅02
貨車駅舎の下には旧木造駅舎の基礎が残り、大和田炭鉱の石炭積み出しで賑わった往時を偲ばせる。


大和田駅03
貨車駅舎の出入口扉には鍵が掛けられ中には入れない。


大和田駅04
出入口扉の窓から中を覗き。


大和田駅05
壁に掲げられていた時刻表や運賃表をはじめ、ポスターなどは全て撤去されていた。


大和田駅07
現役時には撮影できなかったアングルで駅構内。


大和田駅08
駅舎と何もない駅前。これで駅舎が無くなったら本当に何も無くなるな。


藤山駅05
留萌駅から2駅目、廃止当時と変わっていない様子の藤山駅。


藤山駅03
しかしながら駅構内には入れなくなっており、駅舎出入口や窓はベニヤ板で塞がれていた。


藤山駅02
駅前の藤山開拓之碑(右)と藤山小学校開校90周年・藤山町開基95年記念碑(左)。この記念碑は平成15年(2003)藤山小学校が閉校となりここに移された。駅の象徴的存在だったが、駅が無くなってもここにあり続けるのだろうか。


藤山駅04
駅前に国道233号が通り横断歩道と信号機が設置されるが、駅が無くなれば無用の長物。


藤山小学校跡03
藤山駅から国道233号を深川方面に向かって約1km、国道左手にあった藤山小学校跡に。跡地より国道方面、この辺りに校門があったと思われる。廃校から20年が経ち今は何も残っていない。


藤山小学校跡01
かつては右手に校舎があり中央から左手にかけてがグラウンドだった。


藤山小学校跡02
小学校跡より国道方面。廃校になった小学校は数多くあれど、多くは校舎や体育館をはじめ校門や記念碑など残しているものだが、ここにはその痕跡を示すものが何もない。


幌糠駅01
留萌駅から3駅目の幌糠駅。貨車駅舎は大和田駅と同仕様。


幌糠駅03
やはり出入口扉に鍵が掛けられ入れない。


幌糠駅02
駅舎内の掲示物は全て撤去されていた。右奥のテーブル上にいた人形たちはどこへ旅立ったのだろう。


幌糠駅04
ホームへも入れず。


幌糠駅06
御料林の木材搬出で賑わったのも今は昔。


峠下駅01
留萌市と沼田町の境をなす恵比島峠の下にある峠下駅。廃止時において深川~留萌間の途中駅で唯一列車交換ができる駅だった。


峠下駅00
峠下駅の開業は明治43年(1910)。駅舎に関しては昭和29年(1954)に一部改築したとの記録があるのみで建築年不明という。開業当時のものだとすると築110年を越える木造建築、解体されるならば実に惜しい。


峠下駅02
駅舎出入口はベニヤ板で閉ざされ。


峠下駅03
窓越しに中を覗き。事務室が保線要員の詰め所に利用されていたので、待合室の上を横断して長いダクトが設置されている。暖房設備の排煙に利用していたのだろう。


峠下駅04
何もない駅前。大正期には天塩炭礦、後に留萌炭礦)の専用線が乗り入れ、駅裏手に貯木場、駅前には小市街を形成していた。


峠下駅05
ホームへは入れなくなっていたが。


峠下駅06
構内踏切への立ち入りは可能だった。


峠下駅07
使われなくなって久しい側線が残されている。側線の左手一帯が貯木場跡。


峠下小学校01
峠下駅から西方へ約1km、ここが峠下小学校跡。平成元年(1989)に閉校、後に校舎は撤去された。


峠下小学校02
校門が残されている。


峠下小学校05
校門を入って左手に校舎があった。


峠下小学校04
小学校跡地に残る開拓記念の碑。昭和54年(1979)8月19日、峠下町開基80周年・峠下小学校70周年記念協賛会による建立。


峠下小学校06
Googleマップで教員住宅と示される空き家(写真左)。奥に向かって延びる道のすぐ左手が校舎跡、更に約1km先へ行ったところに峠下駅がある。この道は現在の国道233号が通される以前の旧道で、旭川~留萌間のメインストリートだった。


峠下小学校07
小学校が無くなっても空き家となって残る教員住宅。何とも言えない虚しさを感じてしまう。


恵比島駅01
恵比島峠を越えて留萌市へ入り恵比島駅に。最終運行日の賑わいが嘘だったかのような静けさ。


恵比島駅前01
ドラマセットの中村旅館(旧黒瀬旅館)。最終運行日にはカフェに利用され内部公開していた。


中村旅館01
役場へ連絡すれば見学ができるようだ。


中村旅館02
中村旅館についての解説。


中村旅館03
トイレだけは開放されていた。


恵比島駅02
ロケセットの明日萌駅。


恵比島駅03
その隣には貨車駅舎に板張りの外装を施した恵比島駅。


恵比島駅04
駅舎出入口の扉には鍵がかけられ。


恵比島駅05
窓から駅舎内を覗き見。やはり何もないな。


恵比島駅06
ホームには線路側へ人が立ち入らないよう柵を設けていた。


恵比島駅07
明日萌の駅名標も立入禁止区域に。


恵比島駅09
駅長事務室。


恵比島駅08
駅長事務室には誰もいない。


恵比島駅10
待合室では最終運行日に見た時と同じく”萌”と駅長が並んでいた。


恵比島駅11
この貨車駅舎はドラマセットの一部だけに撤去を免れるのではないか。


恵比島駅前02
小さな駅にも大きなドラマがある…。そして今年(2023)、ドラマは多くの人に惜しまれつつ最終話を迎えた。


真布駅05
道道1007号沿いに情緒ある佇まいを見せていた真布駅。


真布駅01
駅横の藤沢線踏切は遮断機が撤去され。


真布駅06
ホームへ上がるスロープも撤去されていた。


真布駅04
最終運行日に列車が訪れるとホームは人で溢れかえっていた。


真布駅03
藤沢線踏切より深川方面。次が新たな留萌本線の終着、石狩沼田駅。


真布駅07
長い歴史を感じさせる板張りの待合所。いつまで見ることができるのだろうか。


訪問日:2023年6月25日(日)
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留萌本線(石狩沼田~深川) ~残された時間は約2年9ヶ月~

令和5年4月1日に留萌本線は留萌駅~石狩沼田駅間が廃止されて終着が石狩沼田駅となった。かつて深川駅から増毛駅まで延びていた路線距離66.8Kmの線路は14.4Kmまでに短縮し、本線とは名ばかりの盲腸線になってしまった。いっそのこと函館本線石狩沼田支線とした方がしっくりくるのだが、駅名を変えるだけでも莫大な費用がかかるようで、線路名も簡単には変更できない事情がありそうだ。札沼線も今では学園都市線が一般名称になっているが、あくまでこれは愛称であり、終着が北海道医療大学駅になっても札沼線が正式名称なのである。

終着となった石狩沼田駅をはじめ途中駅の北秩父別駅・秩父別駅・北一已駅が廃止される日は2026年4月1日、残された時間はまだ約2年9ヶ月ある。されど光陰矢の如し。廃止日を迎えるまでどんな変化をみせていくのか、これからのプロセスをつぶさに見届けていきい。




殖林道路踏切01
石狩沼田駅から留萌方面へ約380m、道道1007号と留萌本線が交差する殖林道路踏切。


殖林道路踏切02
今はこの殖林道路踏切が留萌本線の終端。


石狩沼田駅01
今年(2023)4月1日から留萌本線の終着駅になった石狩沼田駅。


石狩沼田駅02
既に盲腸線の終着駅らしい風情。かつては札沼線が接続するちょっとしたターミナル駅だったのだが…。


石狩沼田駅03
駅前も普通に静か。


石狩沼田駅04
駅舎内から窓越しに駅前を眺めたら町営バスの停留所がちょこんと頭を出していた。


石狩沼田駅06
もうすぐ18:27着の列車が到着するが駅舎内は静か。


石狩沼田駅05
トイレ側の壁にはポスターが所狭しと貼られ。


石狩沼田駅07
切符売場、荷物扱い窓口、改札窓口と有人駅時代の構造をそのまま残している。


石狩沼田駅08
切符売場窓口に時刻表。1日7本の列車が発着。9:43発のみが旭川行で他は全て深川行。


石狩沼田駅09
随分と書き溜められた様子の駅ノート。


石狩沼田駅12
駅舎出入口。


石狩沼田駅15
出入口上には新たにこんなポスターが掲げられていた。


石狩沼田駅10
改札口。


石狩沼田駅14
今更ながらに気づいたけど、改札口上に駅名標を掲げていたんだな。


石狩沼田駅16
18:27定刻通りに深川駅からやってきた列車が到着。車両はキハ150形気動車。


石狩沼田駅17
折り返し18:43発の深川行に。


石狩沼田駅19
廃止まで2年半以上あるだけに乗降客は少ない。


石狩沼田駅21
列車の発車まで13分。


石狩沼田駅22
一足早く駅を出て雨竜川橋梁に向かう。


雨竜川橋梁02
雨竜川橋梁を走り抜け秩父別へ向かうキハ150形。


北秩父別駅01
石狩沼田駅から雨竜川を越えれば北秩父別駅に着く。真布駅と同構造のホーム上に板張りの待合所を設ける駅だったはずだが…。


北秩父別駅02
板張りの待合所は撤去され、物置仕様に置き換えられた。


北秩父別駅03
待合所内には今までなかったカラフル4連ベンチ。


北秩父別駅04
駅ノートは移され残存。


北秩父別駅05
きっぷ運賃表と発車時刻表は印刷したものをラミネートした新作。


北秩父別駅06
当然ながら除雪道具を完備。


北秩父別駅08
板張りの待合所が無くなり魅力が半減したな。


北秩父別駅09
撤去されたあの待合所はどこへ行ってしまったのか。それとも廃棄されたのか…。


北秩父別駅10
未来の2年9ヶ月後、かつてない賑わいを見せるだろう北秩父別駅を後に。


秩父別駅01
秩父別町の中心であり玄関口の秩父別駅。


秩父別駅02
留萌本線の鉄道旅で旭川へ向かう途次、何度かここで下車して温泉に行ったなあ。


秩父別駅03
駅より駅前通り。


秩父別駅05
薄暗く静かな駅舎内。


秩父別駅04
ここを訪れた旅人の思いを綴る駅ノート。


秩父別駅06
人感センサーがあるのかと思うほどにタイミングよく蛍光灯が点灯。


秩父別駅07
旧改札口。


秩父別駅08
板で塞がれているが旧切符売場窓口と手荷物扱い窓口は往時のまま。


秩父別駅09
”こどもパスポート2023”、在庫多数あり。


秩父別駅10
道の駅に行けば記念スタンプがあり、温泉もある。


秩父別駅11
留萌本線は4駅しかないことを実感。


秩父別駅12
1日の発着は上り深川方面7本、下り石狩沼田方面6本。5:59深川発の始発は北一已・秩父別・北秩父別通過のため下りは1本少ない。


秩父別駅15
また留萌本線を使ってちっぷべつ温泉へ来たい。


北一已駅01
黄昏時、北一已駅に。


北一已駅02
古びた木造駅舎は平成25年(2013)全面ボード張りになってしまったが、旅人を惹きつける佇まいは変わらない。


北一已駅03
駅前は田園地帯。


北一已駅04
駅舎内旧改札口。


北一已駅05
塞がれているが良好な状態で残る切符売場と手荷物扱い窓口。この駅舎は深名線の宇津内駅から移築したものといわれる。廃止後に解体撤去されるならば深名線の旧添牛内駅に再利用できないものだろうか。


北一已駅06
玄関フードを設ける出入口。


北一已駅07
木製ベンチも風情があっていい。


北一已駅09
昭和46年(1971)ドラマ”ケーキ屋けんちゃん”のロケがあったことなど、ちょっとした歴史を紹介していた。


北一已駅10
手荷物台に駅ノート。


北一已駅11
2023年4月1日に修正された時刻表。


北一已駅12
空白が目立つようになったきっぷ運賃表。


北一已駅13
駅は夕闇に包まれて。


北一已駅14
石狩沼田方面、西の空はまだ少しだけ明るい。


北一已駅18
次の列車がやって来るのは約1時間後の20:34発石狩沼田行。これが下りの最終列車。


北一已駅17
北一已駅を後に。


深川駅01
最後に留萌本線の起点、深川駅。


訪問日:2023年6月25日(日)
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落合駅(根室本線) ~十勝開拓への玄関口として賑わった駅~

角川日本地名大辞典によれば落合という地名は『空知川の本流シーソラプチ川とルーオマンソラプチ川が当地で合流することによる(南富良野村史・北海道駅名の起源)』とあり、両河川が落ち合うことから名付けられた和名に起源がある。明治34年(1901)北海道官設鉄道十勝線(現 富良野線・根室本線)の延伸開通に伴い同線の終着として設置された駅に落合という名が付けられ、後に地名に採用されたという。明治40年(1907)に狩勝隧道が完成して帯広駅まで延伸開通するまで落合駅は十勝線の終着となり、十勝方面へ入植する人々の玄関口として賑わいを見せた。

大正期から昭和初期にかけ造材が盛んになり昭和3年(1928)シーソラプチ川沿いを遡って落合森林軌道(後に森林鉄道)を敷設、馬車鉄道による木材運搬がはじまり同4年(1929)には機関車が導入されて上流域での造材が本格化し、駅構内には貯木場が設けられ木材の集散地として盛況を極めた。戦後まで造材ブームが続いたようだが、シーソラプチ川上流域で資源が枯渇して産出量が減ったためなのか、同18年(1943)には落合森林鉄道が廃止になっている。

昭和39年(1964)新狩勝トンネルが貫通、同41年(1966)落合駅~新得駅間が新狩勝信号場経由となる現ルートの新線に切り替わり、大難所の狩勝峠を越える線路の勾配が緩和された。しかしながら落合駅は昭和30年代後半からモータリゼーションの到来と過疎化の進行により利用者が減少、昭和57年(1982)貨物・荷物取扱いが廃止されると共に駅員無配置となり、切符販売などの旅客扱いを簡易委託化、同61年(1986)簡易委託も廃止され完全な無人駅となった。平成28年(2016)8月台風10号の被害により富良野駅~音別駅間で橋梁流失や土砂流入が相次いで不通となり、東鹿越駅~新得駅間は復旧されることなく代行バスの運行を開始、今は駅構内への立ち入りが禁止され駅舎は代行バスの待合所として利用される状況。来年(2024)3月31日の運行をもって廃止される根室本線(富良野~新得)と運命を共にする。




落合駅01
旭川から車を走らせること約2時間、ようやく落合駅に到着。


落合診療所
駅前には地域医療を担う南富良野町立落合診療所。


落合駅02
国道38号から駅へ延びる駅前通りと落合駅。


落合駅前・落合診療所停留所
南富良野町営バスの落合診療所停留所と占冠村営バスの落合駅前停留所。今は根室本線の代行バスもやって来る。


落合駅03
バス待合所と落合駅。


落合駅04
朱色の屋根が印象的な駅舎。


落合駅05
駅舎右手には別棟のトイレを完備。


バス代行輸送時刻
駅舎出入口の扉窓にはバス代行輸送時刻等についてのお知らせ。


落合駅06
駅出入口に入ると右が待合所、奥が駅構内。有人駅時代はこの通路で改札を行っていたのだろう。


落合駅07
3連ベンチと4連ベンチを設置する待合室内。


落合駅11
奥にある手荷物台が残る窓口は旧切符売場だろう。


落合駅10
こちらが旧荷物扱い窓口なのか。他に類を見ない珍しい構造だ。


落合駅08
普通運賃表と発車時刻表。1日に富良野・滝川方面5本、新得・帯広・釧路方面4本の代行バスが発着する。


落合駅09
手荷物台に駅ノート。


落合駅12
南富良野町の歴史的建造物に指定される構内跨線橋。南富良野町ホームページ歴史的建造物一覧の「落合駅舎および跨線橋」によれば、昭和21年(1946)に復元とされる。何らかの原因でオリジナルが壊れて改築したとの解釈でよいのだろうか。


落合駅13
構内跨線橋の出入口は塞がれていた。


落合駅14
駅舎より駅前方面。


落合駅15
色褪せた駅名標。


落合駅16
列車がやって来なくなって7年が経ち。


落合駅17
ホームや線路には雑草が生い茂る。


落合駅18
次は新得から代行バスでここに訪れよう。


訪問日:2023年8月14日(月)
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狩勝信号場跡・新内駅跡(根室本線) ~狩勝峠越え旧線~

明治40年(1907)に狩勝隧道(全長953m)が完成して北海道官設鉄道十勝線(現 富良野線・根室本線)が落合駅から帯広駅まで延伸開通して以来、大正10年(1921)根室~滝川間が全通して根室本線が誕生し、北海道の東西を結ぶ交通と物流の大動脈を担い続けてきた。中でも狩勝峠越えは最大の難所で25パーミル(1000m進むうちに25m上る)という急勾配と大小の急カーブが続き、厳しい気象条件も相まって列車は過酷な運転を強いられた。急勾配で断面が小さい狩勝隧道は換気が悪く機関士にとっては危険と隣り合わせの魔のトンネルで、昭和6年(1931)~16年(1941)の10年間で事故に遭った乗務員は36名うち死亡2名との記録があり、近年の調査報告によると死因は「50℃以上、湿度100%という高温高湿に、投炭時の数百度に及ぶ熱線被爆による急性熱中症であると判断された。」(産業衛生学雑誌2002; 44:20-23)

昭和22年(1947)国鉄労組が狩勝隧道における労働環境の改善を要求したことを発端に、危険手当の増額や減車要求に主題が置き代わり労使交渉は難航して労働争議に発展、同23年(1948)6月に柚原闘争委員長が抗議の遺書を残して隧道坑口で列車に身を投じ自殺。7月31日にはマッカーサー書簡を受けて政令201号が施行、公務員の争議行為を禁止し団体交渉権が剥奪された。その翌日8月1日狩勝隧道通過時に機関助士2名が窒息する事故が起き、これらに憤激した新得機関区59名が職場を離脱し「柚原青年行動隊」を結成、政令絶対反対を旗印に全国行脚を開始する。道内の機関区からも職場放棄者が続出して反対闘争は全国へ更なる広がりをみせたが、政令違反を理由に多くの逮捕者を出し泥沼化してゆく。

そんな中の昭和26年(1951)新内第一橋梁(通称 まりも橋)で何者かがレールの継ぎ目板を切断してレールをずらしたことで、急行列車が人為的に脱線させられた「まりも号脱線事件」が発生。警察は労働争議に関連した事件とみて国鉄や国鉄労組関係者約600名を対象に捜査したが、犯人の特定に至らず動機も解明されないまま未解決事件となっている。

大きな遺恨を残したまま昭和39年(1964)新狩勝トンネルが貫通、同41年(1966)落合駅~新得駅間が新狩勝信号場経由となる現ルートの新線に切り替わり、狩勝隧道は約60年にわたる役目を終えた。旧線上にあった狩勝信号場と新内駅は廃止となり、新内~新得間の線路は脱線や火災事故などを研究する実験線として昭和54年(1979)まで再利用された。現在、実験線跡は散策路に整備され"狩勝ポッポの道として狩勝峠越えの鉄道史を今に伝えている。




空中写真_新得_USA-R367-51_1948(昭23)05
空中写真データ:国土地理院 新得 整理番号USA-R367-5を基に作成
昭和23年(1948)撮影、狩勝信号場周辺の空中写真。落合側に引き込み線2線、狩勝隧道側に折返し線1線を持つ。列車交換や待避、蒸気機関車への給水給炭を行う目的で設置された施設だけに、当時の周囲には商店や学校等は無く信号場に勤務する関係者30世帯程の国鉄職員住宅があった。


空中写真_落合_CHO7738-C10-28_1977(昭52)02
空中写真データ:国土地理院 落合 整理番号CHO7738-C10-28を基に作成
昭和52年(1977)撮影、狩勝信号場周辺の空中写真。狩勝峠越えの根室本線が現ルートの新線に切り替わって11年が経っている。現在の国道38号の新線が通されているが旧道も残っている。信号場跡は本屋をはじめ国鉄職員住宅も無くなって無人地帯と化し、わずかに線路の路盤が痕跡を留めている。


ペイユルシエペ川橋台
落合駅から旧線を狩勝峠に向かって約1.5km、ペイユルシエペ川に残る橋脚と橋台。奥に見える橋は国道38号の紅葉橋。


狩勝信号場跡01
国道38号より狩勝信号場跡。現役当時ならここから眼下に信号場が一望できたはず。廃止から57年が経ち自然に還った感があるが、雪が積もる前ならばもう少し往時を偲べる景観が見られるのかもしれない。


狩勝隧道跡00
狩勝隧道がある新得側に目を向けると…。わずかに見えた!


狩勝隧道(落合側)
狩勝隧道の落合側坑口。新内側から25パーミルという急勾配のトンネルを抜けた所がここで、狩勝峠越え旧線の最高地点にあたる。多くの事故が発生し人命まで奪ってきた魔のトンネル、今は役目を終えて山林の中で静かに朽ちてゆくままに。


落合駅から狩勝隧道で峠を越え更に新内隧道を抜けた先に設けられていた新内駅。明治40年(1907)に北海道官設鉄道十勝線(現 富良野線・根室本線)落合駅~帯広駅間の延伸開通に伴い信号場として開設。同42年(1909)一般駅となり駅周辺には小規模ながらも市街を形成した。その変遷を昔の空中写真で比べてみよう。

空中写真_新得_USA-R367-47_1948(昭23)03
空中写真データ:国土地理院 新得 整理番号USA-R367-47を基に作成
昭和23年(1948)撮影、新内駅付近の空中写真。駅舎前から南方向に向かって延びる駅前通りを中心にして新内市街を形成している。角川日本地名大辞典によれば『地名はアイヌ語のニウンナイに由来し、木ある川の意(北海道駅名の起源)である。当地の本格的開拓は、明治35年狩勝トンネル工事のため入地した関新太郎が、同37年地内の土地を買入れ住みついたのに始まる。』

昭和4年(1929)新内駅逓所が設置され新得郵便局集配駐在所を兼務。同13年(1938)駅逓所の廃止に伴い同14年(1939)新内郵便局が設置された。
狩勝高原エコトロッコ鉄道「鉄道歴史研究 - 根室本線旧線 新内駅 -」に当時の新内駅周辺地図が紹介されている。


空中写真_新得_CHO7740-C1-4_1977(昭52)02
空中写真データ:国土地理院 新得 整理番号CHO7740-C1-4を基に作成
昭和52年(1977)撮影、新内駅周辺の空中写真。昭和41年(1966)新内駅が廃止されると電気を国鉄からの売電に頼ってた居住者は多くが離散、郵便局も廃止された。写真は新内駅が廃止されて11年が経っており、駅前通りは確認できるが市街が消滅していることをうかがう。駅舎は既に撤去されているように見え、2面のホームが雑草に覆われながらも残存している。駅廃止時には世帯数50・人口194を数えたが、昭和55年(1979)には世帯数9・人口22まで激減している。


新内駅逓所跡
新内駅跡前に設置される”石川啄木と狩勝”のモニュメント。歌集「一握りの砂」に収められた歌を記す。明治41年(1908)啄木は就職のため家族を小樽に残して釧路へ向かう途次、開通間もない狩勝峠を汽車で越えた。


新内駅逓所跡02
啄木モニュメントの隣に新内駅逓所跡の標柱。ここから南へ200m地点、昭和初期の新内市街に駅逓所が設けられていた。現在は市街が消滅したためここに跡地を示す標柱を設けている。駅逓所の住所は新得町字新内本通1丁目4番地。


新内駅跡01
新内駅跡。現在はエコトロッコ鉄道の駅があり、SLと寝台特急の客車が静態保存されている。


狩勝ポッポの道全体案内図
狩勝実験線の線路跡は"狩勝ポッポの道”として約10kmの散策路になっている。


新内駅跡02
ここに残存するホームは新内駅の遺構。


新内駅跡03
"狩勝ポッポの道”の駅名標。


新内駅名所案内
新内駅名所案内。


新内駅跡05
旧ホームに停車する列車の先頭は9600形(59672号機)蒸気機関車。「キューロク」や「クンロク」と愛称され、国鉄で最後まで稼動した蒸気機関車。国鉄での運行を終えた後、北海道各地の炭鉱鉄道を中心に払い下げられた。この蒸気機関車は大正11年(1922)製造、根室本線や釧網本線の貨物などで使われた後、広尾線や士幌線で使用され昭和50年(1975)廃車となった。


新内駅跡06
牽引されるのは国鉄寝台特急20系客車(ブルートレイン)の3両。昭和53年(1978)に開業したSLホテルの客室に利用され、同61年(1986)まで営業していたらしい。現在は”NPO法人 旧狩勝線を楽しむ会”が運営する旧狩勝ミュージアムとして再利用されている。客車1両目は”ナハネ20 132”で旧狩勝線関係の展示資料室。残念ながら開館しておらず見学はできなかった。

旧狩勝線を楽しむ会
https://www.karikachi.org/

旧狩勝線ミュージアム
https://www.karikachi.org/museum/


新内駅跡07
駅舎跡に建てられている旧SLホテルの管理事務所。


新内駅跡14
客車2両目には”えぞらいちょう”の列車名表記。SLホテル時代に命名されたのだろう。


新内駅跡15
2両目はナロネ21 551。昭和33年(1958)日立製作所で建造された車両。


新内駅跡11
3両目の列車最後部。この車両はナロネ22 153で、昭和35年(1960)の日立製。建造から73年が経ちさすがに外装の傷みが著しい。


新内駅跡12
ナロネ22 153の車内を窓越しに覗いて見えた洗面台。寝台列車の雰囲気をそのまま残している。


新内駅跡13
こちらは個室寝台。現役時代に乗車できたなら、ガタンゴトンの子守唄を聴きながら贅沢な鉄道旅ができただろう。


新内駅跡08
新内駅舎跡前。ここから南方向(写真右手)へ駅前通りが延び新内市街を形成していたが現在は消滅している。


新内駅跡09
エコトロッコの線路は落合側のここでぐるりと一回りして駅に戻る。


新内駅跡10
トロッコ運行時に使うのだろうか、様々な鉄道標識が並べられていた。


新内駅跡17
エコトロッコ鉄道のりばの”にいない駅”。ひと気が無く本日は営業していない模様。


新内駅跡18
走行距離約800m、所要時間8分。おっさん一人でも運転させてくれるのだろうか。


新内駅跡16
駅構内に設ける転車台。


新内駅跡19
”狩勝ポッポの道”の入口。ここから新得駅手前のSL広場まで根室本線旧線(通称 狩勝線)を整備した散策路が続いている。次は新得でレンタサイクルして走ってみたい。


SL広場04
新内駅跡から約10kmの”狩勝ポッポの道”を下ってきたところにあるSL広場。


SL広場07
静態保存されるSLはD51形95号蒸気機関車。”デコイチ”の愛称で親しまれた名車である。D51は全盛時に国鉄だけで1115両を保有し日本全国の鉄路を駆け巡っていた。この機関車は昭和13年(1938)製造、同40年(1965)新得機関区に配置され、同49年(1974)まで使用された。


SL広場06
SL広場から新得駅へ延びていた根室本線旧線(通称 狩勝線)跡。


新得スキー場通り架道橋01
SL広場のすぐ西側を現在の根室本線が通っている。写真は旧線付近から望んだ新得スキー場通り架道橋。ここを潜り抜けた道の先に新得山スキー場がある。


新得スキー場通り架道橋02
新得スキー場通り架道橋は昭和40年(1965)11月3日竣工。この翌年(1966)9月30日に新線が開業した。ここは新旧線路の変遷を感じさせる場所になっている。


訪問日:2023年8月14日(月)
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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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