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新得駅(根室本線) ~根室本線と石勝線の乗換駅~




最大の難所だった狩勝峠越えの十勝線(後の根室本線)が難工事の末に開通した明治40年(1907)、落合駅~帯広駅間の延伸開通に伴い新得駅が開業する。駅名の由来は所在地名にあり、角川日本地名大辞典によれば『地名はアイヌ語のシットク(山崎川)に由来する(北海道蝦夷語地名解)。かつてはシントコ(山の肩・端の意)、またアイヌがシントコという漆器を作った土地であることにちなむという説(新得町七十年史)もあった。』

昭和3年(1928)十勝地方の開拓者誘致を目的に北海道拓殖鉄道(新得駅~鹿追駅)が開業する。この鉄道は同6年(1931)に士幌線の上士幌駅まで延伸、戦後になって木材の軍需が減少して輸送量増加が見込めないことから東瓜幕駅~上士幌駅間が廃止、更に昭和30年代後半から押し寄せたモータリゼーションの波にのまれ、木材や農作物はトラック輸送への転換が進み、終には同43年(1968)全線廃止となっている。

昭和56年(1981)札幌と帯広・釧路を最短で結ぶ石勝線が開業、新得駅は根室本線と石勝線の接続駅となり、現在は札幌駅から石勝線を経由する特急”おおぞら”や”とかち”をはじめとする全定期列車が停車する。同63年(1988)新得町商工会館を併設する現駅舎に改築。駅舎内には旅客業務を行う駅員が配置され、売店や駅そば屋が設けられている。

平成28年(2016)8月台風10号の被害により東鹿越駅~新得駅間が代行バスの運行を開始、7年を経ても鉄道が復旧されることなく来年(2024)3月31日の運行をもって根室本線(富良野~新得)が廃止、分断された根室本線の行く末はどうなるのかわからないが、おそらく新得駅が根室本線の起点となり石勝線の終点となるのだろう。


空中写真_新得_USA-R339-26_1948(昭23)04
空中写真データ:国土地理院 新得 整理番号USA-R339-26を基に作成
昭和23年(1948)撮影、新得駅周辺の空中写真。北へ延びる根室本線は新内駅経由の旧線。現在と同じ場所に駅舎があり、駅構内に長編成の貨物列車が停車、北側には転車台と扇形車庫が見える。駅東側に碁盤の目状に道路が敷設され、新得市街が拡大傾向にあることをうかがう。


空中写真_落合_CHO7738-C13-32_1977(昭52)05
空中写真データ:国土地理院 落合 整理番号CHO7738-C13-32を基に作成。
昭和52年(1977)撮影、新得駅周辺の空中写真。根室本線(落合~新得)は新狩勝信号場経由の新線に付け替えられて13年経っているが、北上する旧線の路盤がまだはっきり確認できる。駅舎は昭和31年(1956)に改築されたもの。構内北側には転車台と扇形車庫が残っている。市街は現在と同規模に拡大しその東側には現在の国道38号が通されている。


新得駅01
駅前が大規模な再開発の工事中だった新得駅に到着。一見新しいように見える駅舎は昭和63年(1988)に新得町商工会館を併設して完成、意外にも35年が経っている。


そば処せきぐち
まずは駅前の”そば処せきぐち”で腹ごしらえすることに。


そば処せきぐち02
新得は道内有数のソバ生産地。”新得そば”は道民なら誰もが知る銘柄。


そば処せきぐち03
店に入り迷うことなく注文したのは”もりそば大盛り”。


そば処せきぐち04
ソバの香りをふんだんに感じつつ食べ応えある太麺。これくらいのコシが私にとっては好みだ。


新得駅02
昼食を終えて新得駅に来ると、ちょうど13:57発東鹿越行きの代行バスが到着。


新得駅前01
再開発工事中の新得駅前。数年後には随分と違った光景が見られるはず。


新得駅03
駅舎入口上にはJR新得駅ではなく”SHINTOKU ST”を掲げる。近郊には名の知れたスキーリゾートがあり、外国人の旅行客が多いのだろう。


新得駅08
商工会館側から駅舎内に入り。


新得駅07
駅舎内で暖簾を掲げる駅そば屋。さすが”そば処”の新得だけに立派なつくり。


新得駅04
改札口と切符売場窓口。


新得駅09
来年(2024)4月に右真横に記された根室本線は消されてしまう。


新得駅11
13:57発東鹿越行の代行バスが改札中。


新得駅10
新得駅の”北の大地の入場券”


新得駅12
到着時刻表と発車時刻表。石勝線経由の列車は多くの特急・普通が発着するが、根室本線上りは東鹿越行の代行バスが1日4本発着するだけ。


新得駅14
駅前に敷設されていたミニ鉄道。


子供列車
不定期の週末に”子供列車”を運行しているようだ。


新得駅前02
駅前温泉へ向かって延びる子供列車の線路。


新得駅17
ベールに包まれる客車。北海道拓殖鉄道で運行していたキハ112形気動車をモデルにしている。


新得駅前03
駅前にはその名も駅前温泉。入ってみたい衝動にかられ次の旅程を一つだけ決めた。帯広11:08発札幌行の特急とかち6号に乗車し、11:45新得着。駅前温泉で1時間半程を過ごして13:57東鹿越行の代行バスに乗車し旭川方面へ向かう。楽しみだ。


新得駅15
時間を経た感熱紙のごとく表記が薄くなりつつある駅名標。


新得駅16
駅構内では2両編成のH100形気動車が待機していた。


訪問日:2023年8月14日(月)
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糠平駅跡(士幌線) ~初代の駅は湖底に沈んだ~



昭和12年(1937)士幌線(清水谷~糠平間)の延伸開通により終着駅として開業した糠平駅。同14年(1939)士幌線は途中に幌加駅を設けて十勝三股駅まで延伸する。それから16年後の同30年(1955)、糠平ダムの建設工事に伴って清水谷~幌加間の線路が付け替えられ、初代の糠平駅は市街と共にダム湖に沈んだ。2代目の糠平駅はダム湖の南端に設けられ、糠平温泉街や国設糠平スキー場の最寄り駅として機能した。

昭和53(1978)糠平駅~十勝三股駅間は林業の衰退により過疎化が進行して列車運転を休止、マイクロバスによる代行輸送となり、同62年(1987)終には士幌線全線廃止という運命を辿る。糠平駅をはじめ周辺の鉄路は撤去されたが、平成22年(2010)線路を復元して全長662mの鉄道が開通、ひがし大雪高原鉄道と称して観光トロッコの運行を開始するも、令和2年(2020)新型コロナウイルスが世界的に流行したことにより運行を終了、それから再開されることなく今日に至っている。


空中写真_糠平_USA-M594-27_1947(昭22)03
空中写真データ:国土地理院 糠平 整理番号USA-M594-27を基に作成
昭和22年(1947)撮影、糠平駅周辺の空中写真。糠平ダムの建設工事前の初代糠平駅。北西方向に貯木場があり士幌線から専用線が分岐していたことがわかる。この写真が撮影されてから8年後に糠平駅は移転、翌年(1956)にダムが完成して湖底に沈んだ。


空中写真_十勝岳_CHO7731-C11-38_1977(昭52)03
空中写真データ:国土地理院 十勝岳 整理番号CHO7731-C11-38を基に作成。
昭和52年(1977)撮影、糠平駅周辺の空中写真。移転から22年を経た2代目糠平駅。ダム湖の南端に位置し、少し離れた西側に糠平温泉街が形成される。糠平駅から北方向へダム湖を大きく迂回する線路は十勝三股駅まで延びていた士幌線。この翌年にマイクロバス輸送に転換され事実上の廃線となっている。


糠平駅跡01
ここが2代目糠平駅跡。建物は上士幌町鉄道資料館、その左側にある保存車両手前辺りに駅舎が設けられていた。


ぬかびら時間旅行展2023_01
士幌線最終運行日に撮影された糠平駅(ぬかびら時間旅行展2023より)。屋根にまで人がいて今では考えられない光景。


糠平駅跡15
駅舎跡を正面に見て撮影。


ぬかびら時間旅行展2023_02
駅舎屋根上から撮影された駅構内(ぬかびら時間旅行展2023より)。


糠平駅跡12
駅舎跡より駅構内。今から46年前の最終運行日に思いを馳せて。


上士幌町鉄道資料館
士幌線の歴史を後世に伝える上士幌町鉄道資料館。残念ながら休館で見学できず。


糠平駅跡03
資料館の裏手は駅構内跡。木材を盛んに搬出した往時を偲びここに立つ。


糠平駅跡02
エゾシカが縄張りの侵入者を警戒していた。


糠平駅跡04
駅跡に置かれる保存車両。その右側には観光トロッコ”ひがし大雪高原鉄道”の糠平駅を設置。


糠平駅跡05
これは国鉄ヨ3500形貨車(車掌車)で車両番号ヨ4843。昭和32年(1957)富士車輌製。 同型貨車は北海道の貨車駅舎に多く再利用されている。


糠平駅跡06
2019年に運行を終了し記念撮影用に置いてある足こぎトロッコ。


糠平駅跡07
士幌線の路盤を利用して再敷設されたトロッコ用線路。


糠平駅跡08
線路脇に立てられた腕木式信号機。


糠平駅跡11
昭和30年(1955) 3月4日第9糠平トンネル掘削工事中に落盤事故が発生し9名が死亡、翌年(1956)8月同トンネル入口にこの殉職碑が建立された。碑裏面には新線付替え工事の従事中に殉職した14人の名を刻む。現在は糠平駅跡の林の中に移設され、多くの犠牲を伴って工事に従事してきた先人たちの思いを伝えている。たとえ鉄道が廃止になり自然に帰すとも。


今から11年前の2012年8月22日、ひがし大雪高原鉄道のトロッコに乗車したときの様子を。

ひがし大雪高原鉄道_2012_01
ひがし大雪高原鉄道の糠平駅にはトロッコ乗車用の踏み段が設けられていた。


ひがし大雪高原鉄道_2012_02
帯広方面からトロッコが帰ってきたところ。


ひがし大雪高原鉄道_2012_03
トロッコに乗車して糠平駅を発車。


ひがし大雪高原鉄道_2012_04
腕木式信号機を左に見ながら帯広方面へ進み。


ひがし大雪高原鉄道_2012_05
糠平駅から約440m進んだところに第6糠平トンネル。


ひがし大雪高原鉄道_2012_06
トンネル手前で停車しここで折り返す。このトンネルを抜ければ不二川橋梁跡、かつては士幌線の撮影スポットだったようだ。


ひがし大雪高原鉄道_2012_07
十勝三股方面へ向けて戻ります。


ひがし大雪高原鉄道_2012_08
間もなく糠平駅に到着する。


ひがし大雪高原鉄道_2012_09
そして最後に記念撮影。


糠平駅跡_2012_03
国鉄ヨ3500形貨車(車掌車)


上士幌町鉄道資料館_2012_02
上士幌町鉄道資料館。


上士幌町鉄道資料館_2012_01
資料館の展示。


糠平館観光ホテル
この日は糠平館観光ホテルで日帰り入浴して帰途についた。


訪問日:2023年8月14日(月)、2012年8月22日(水)
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幌加駅跡(士幌線) ~市街発展のきっかけは洞爺丸台風~



糠平駅が士幌線の終着駅として開業してから2年後の昭和14年(1939)、士幌線は十勝三股駅まで延伸開通し、その途中の一般駅として幌加駅が設けられた。同22年(1947)駅北側に上士幌営林署の貯木場が設けられ専用線を敷設、開業当初から十数年は木材搬出や営林署職員の足として機能していたようだ。

転換点を迎えたのは昭和29年(1954)9月に北海道で猛威を振るった台風15号、函館湾で洞爺丸をはじめ青函連絡船5隻が沈没し、乗客乗員計1430人が亡くなる海難事故が発生したことから洞爺丸台風の通称で知られる。幌加辺りでも暴風が吹き荒れ大量の倒木が発生したらしい。その後の経緯は”NPOひがし大雪アーチ橋友の会”が幌加駅跡に設置した解説板から引用したい。

『昭和29年の洞爺丸台風により幌加周辺に大量の風倒木が発生、その処理に多くの造材人夫が入り、住宅・商店・飲食店・事業所などが建設されました。
昭和37年頃の幌加は約80軒の建物があり、350人位の人が住んで賑やかな町を形成していました。しかし風倒木の処理が終わると、人は次第に消えていきました。
昭和53年、糠平駅~十勝三股駅間、18.6kmの列車運行が廃止され、バスによる代行輸送に変わり、幌加の駅としての役割は終わりました。』

昭和45年(1970)荷物取扱いの廃止と共に無人化。同53年(1978)マイクロバスの代行輸送になり列車がやって来なくなってから9年後の昭和62年(1987)、士幌線全線廃止により幌加駅は正式に廃駅となる。それから36年を経た現在、駅跡にはホームや線路を残しているが、かつての市街は完全に消滅し自然に帰している。


空中写真_十勝岳_CHO7731-C7D-20_1977(昭52)06
空中写真データ:国土地理院 十勝岳 整理番号CHO7731-C7D-20を基に作成。
昭和52年(1977)9月撮影、幌加駅周辺の空中写真。糠平駅~十勝三股駅間がマイクロバス運行に転換される1年3ヶ月前で、1日4往復の列車が運行されていた。北側に営林署の貯木場跡があり専用線跡の路盤が確認でき、駅前には数軒の建物が残っている。


幌加図02
「上士幌町地域の宝さがしの会」作成、昭和42年(1967)の幌加市街の地図。


森のトロッコ鉄道エコレール06
糠平駅跡から幌加駅跡へ向かう途次、国道273号沿いの三の沢駐車場にトロッコを掲げるワゴン車が目に留まり、寄り道することに。


三の沢橋梁01
糠平駅から幌加駅方面へ約2.6km地点、旧士幌線の三の沢橋梁。長さ40.4m、昭和30年(1955)完成。


三の沢橋梁より糠平湖
三の沢橋梁より糠平湖を望む。かつては車窓から眺める風景だった。


三の沢橋梁02
国道より三の沢橋梁。


森のトロッコ鉄道エコレール05
ワゴン車に掲げられていたトロッコはここの目印、森のトロッコ鉄道エコレールの乗り場があった。


森のトロッコ鉄道エコレール04
士幌線跡を利用し手作りで約500mの鉄路を敷設したとのこと。今年(2023)で開業20周年だという。この足こぎトロッコに乗って往復1kmの士幌線を体感してみよう。


森のトロッコ鉄道エコレール01
乗車場から約500m地点にある転車台。ここでトロッコを回転させて復路に。


森のトロッコ鉄道エコレール02
長さ3mの第二・四の沢橋梁を通過するところ。


森のトロッコ鉄道エコレール03
乗降場に戻ってきたところで記念撮影。


五の沢橋梁01
三の沢橋梁から幌加方面へ約2.4km、五の沢橋梁が残っている。長さ5m、昭和30年(1955)完成。


五ノ沢停留所
五の沢近くの国道沿いにある五ノ沢バス停留所(旭川方面)。1日に帯広駅前バスターミナル発のノースライナーみくに号が16:28に発着するだけ。周辺に人家が無くどういった客が利用するのだろう。旭川駅前発のみくに号がここに12:49着なので、旭川から観光客利用がわずかにあるのかもしれない。


タウシュベツ川橋梁04
五ノ沢バス停留所から国道273号を約1.4km北上、タウシュベツ展望台に。


タウシュベツ川橋梁02
木々の合間にタウシュベツ川橋梁を望む。


タウシュベツ川橋梁01
タウシュベツ川橋梁は昭和12年(1937)士幌線(糠平~幌加間)に完成した全長130mの橋梁。同14年(1939)士幌線は途中に幌加駅を設けて十勝三股駅まで延伸開通、ここを蒸気機関車に牽引される列車が走り始める。


タウシュベツ川橋梁03
それから16年後の同30年(1955)糠平ダムの建設工事に伴って清水谷~幌加間の線路が付け替えられ、タウシュベツ川橋梁は廃橋となるもそのままの姿で取り残された。糠平湖の水位変動によって見え隠れする”幻の橋”として今では観光名所となっている。


士幌線跡(糠平~幌加)01
タウシュベツ展望台付近に残る士幌線跡の路盤(糠平方面)。


士幌線跡(糠平~幌加)02
同場所より士幌線跡の路盤(十勝三股方面)。


幌加駅跡02
そして幌加駅跡に。


幌加駅跡03
「幌加駅の変遷」と題した解説板。訪れた人にとって往時を知れる解説板は有難い。北海道の廃駅全部に設置できないものだろうか。


幌加駅跡04
撮影時期が不明だが往時の幌加駅。線路左側に駅舎とホームが見え、右手は蔦井木材幌加木工場なのだろう。


幌加駅跡05
上写真と同アングルで撮影。線路とホームだけが残り駅舎や右手の木工場は消滅している。


幌加駅跡12
ホーム手前の左側が駅舎跡。今は消失し草生しているが建物の基礎だけは残っているのかもしれない。


幌加駅跡06
幌加駅構内跡より糠平方面。


幌加駅跡07
ホームには復元された駅名標を立てている。


幌加駅跡08
幌加駅構内跡より十勝三股方面。


幌加駅跡09
草生しているが貨物用のホームも残されている。


幌加駅跡10
駅名標の右奥が駅舎跡。


幌加駅跡11
駅舎跡より駅前通り。幌加図によれば左手に鵜沢儀平家やガソリンスタンド、右手に日通の幌加営業所があったはず。


幌加駅跡01
幌加駅周辺は無人地帯となっているが、駅北側に北海道開発局の幌加除雪ステーションが設けられている。その裏手に士幌線の路盤が残り幌加駅跡へ続いている。


今から11年前の2012年8月22日、タウシュベツ川橋梁や幌加駅跡の様子を。

三の沢橋梁_2012_01
三の沢橋梁。


森のトロッコ鉄道エコレール_2012_01
森のトロッコ鉄道エコレール。11年前に訪れたこの時には乗車していない。


五の沢橋梁_2012_01
五の沢橋梁。


タウシュベツ川橋梁_2012_01
タウシュベツ川橋梁は糠平湖の水位が高く橋桁がほぼ水没している。


幌加駅跡_2012_01
最後に幌加駅跡。解説板がまだ新しい。


訪問日:2023年8月14日(月)、2012年8月22日(水)
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十勝三股駅跡(士幌線) ~士幌線の終着駅~



昭和14年(1939)士幌線の延伸開通により終着駅として開業した十勝三股駅。河東郡上士幌町字三股に所在、三股という地名は角川日本地名大辞典によれば『音更(おとふけ)川・中ノ川・十四ノ沢の3川が合流する地点にあることによる。」とあり、駅名はこの地名に十勝を冠して付けられた。大雪山の原生林から伐り出した木材搬出の拠点となり、昭和19年(1944)音更本流森林軌道(後に機関車が導入され森林鉄道)を敷設。翌年(1955)には営林局貯木場と専用側線(632m)が設けられた。

転機となったのが昭和29年(1954)9月に北海道で猛威を振るった台風15号(洞爺丸台風)。隣の幌加駅と同様に大量に発生した風倒木の処理に多くの造材人夫が入ったようで、最盛期には1500人程が暮らし駅を中心に市街を形成、三股小中学校が開校した。

昭和33年(1958)音更本流森林鉄道が廃止されて三股地区は斜陽の時代を迎え、同53年(1978)12月貨物取扱いが廃止されると共にマイクロバスによる代行輸送に転換、同59年(1984)荷物取扱い廃止により駅員無配置となり、同62年(1987)士幌線全線廃止に伴い廃駅となった。それから36年を経た現在、市街は消滅し2世帯が暮らすのみ。駅跡には旧建物などの基礎を残すも草生して見る影は無い。


十勝三股図04
「上士幌町地域の宝さがしの会」作成、昭和42年(1967)の十勝三股図。現地では想像しがたい往時の市街がどんな様子だったのかよくわかる。この10年後の姿が下の空中写真。わずか10年で過疎化が急激に進行したことがうかがえよう。


空中写真_十勝岳_CHO7731-C4C-7_1977(昭52)03
空中写真データ:国土地理院 十勝岳 整理番号CHO7731-C4C-7を基に作成。
昭和52年(1977)9月撮影、十勝三股駅周辺の空中写真。糠平駅~十勝三股駅間がマイクロバス運行に転換される1年3ヶ月前で、1日4往復の列車を運行し駅員を配置していた時代。駅南側に転車台と機関庫が残存している。駅西側の市街は過疎化が進行するも建物が点在して多く残っており、東側の少し離れた場所には前年に廃校した三股小学校(1976年閉校)が見える。


十勝三股駅_国鉄駅名全百科
小学館コロタン文庫「国鉄駅名全百科」(昭和54年(1979)初版第1版発行)より。マイクロバスによる代行輸送をしていた時代の駅舎。そんな状況下でもここは駅員を配置する有人駅だった。


先ずは2012年8月、幌加駅跡から十勝三股駅跡にかけて少しだけ写真を撮っていたので↓

第5音更川橋梁_2012_01
士幌線跡(幌加駅~十勝三股)に残る第5音更川橋梁。


十勝三股駅跡_2012_05
旧三股市街で営業する喫茶店の三股山荘。

ログハウスの喫茶店 三股山荘
https://snowpicture2.wixsite.com/mitsumatasansou


十勝三股駅跡_2012_04
三股山荘の敷地内に立つ駅名標。


十勝三股駅跡_2012_02
駅北側に残っていた音更本流森林鉄道の修理工場。昭和26年(1951)の建築。


十勝三股駅跡_2012_03
この森林鉄道車庫だけが往時を物語っていたが、現在(2023年)は半倒壊している。


十勝三股駅跡_2012_01
駅跡前にある歌碑。「梅雨晴の 大雪山のすがたに 佇ちつくす」と刻む。


三国峠_2012_01
「十勝国上士幌ヨリ石狩国ルベシベ(現 上川郡上川町)に至ル鉄道」として計画された士幌線。十勝三股から三国峠を越えることなく志半ばで廃線の運命を辿った。


十勝三股盆地_2012
三国峠より十勝三股盆地を望む。


11年後の2023年8月に訪れた現況を↓

三股山荘01
営業時間外だったが11年前と変わらぬ様子の三股山荘。


三股山荘03
しかし駅名標だけは時の流れを感じさせた。


十勝三股駅跡前01
三股山荘から駅前通りへ続く道。十勝三股図によれば右手前に定蛇商店があり、左手奥に駅舎があったはず。


十勝三股駅跡前02
三股山荘からの道が駅前通りに突き当たる丁字路。左に曲がれば十勝三股駅跡。その角には11年前と変わらず歌碑が残っていた。


十勝三股駅跡前03
駅跡前にある歌碑。「梅雨晴の 大雪山のすがたに 佇ちつくす」。梅雨が無い北海道で季語に梅雨晴れを用いており、想像するに6~7月頃本州からここを訪れた歌人が詠んだものか。梅雨時に本州では見られない澄んだ青空、その下に悠々と広がる大雪山の山々、これに見とれしばらく足をとどめたのだろう。


十勝三股駅跡前05
駅前通りより駅方面。かつては奥に駅舎が見えていたはず。


十勝三股駅跡前06
駅前通りより国道方面。奥に見える建物は十勝三股バス停留所の待合所。右折が三股山荘へ至る道。十勝三股図によれば昭和42年(1967)当時のここは十字路で、左奥角から国道にかけて藤本家・ずぼらや食堂・鈴木理髪・十条製紙三股駐勤所が並び、右奥角に西川家、その奥に三股担当区事務所があった。


十勝三股駅跡01
野道と化した駅前広場。手前に立つ木の間辺りに駅舎が設けられていた。


十勝三股駅跡03
駅舎跡より糠平・帯広方面の構内。


十勝三股駅跡02
駅舎跡より貯木場があった北方向。かつては貯木場へ至る専用側線が延びていた。


十勝三股駅跡04
駅舎跡より駅前。かつての駅前広場は草生し市街は白樺林となっている。


十勝三股駅跡06
駅跡南側に設置されている危険立入禁止の立て看板。旧建物の基礎等が残っており危険なのでむやみに敷地内に立ち入らないよう注意を呼び掛ける。


十勝三股駅跡05
きっと草むらの下には往時の十勝三股を伝える遺構が多く埋まっているのだろう。


訪問日:2023年8月14日(月)、2012年8月22日(水)
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深名線の廃線跡から ~2023夏 添牛内駅と政和アートFes~



新型コロナウイルス感染症が2類相当から5類に移行された2023年、いわゆるコロナ明けで迎えた初めての夏に訪ねた深名線沿線の添牛内と政和。深名線が廃止されて28年が経ち、沿線市街は更なる過疎化が進むものの往時の様子を残し後世に伝えようとする人がいる。少しでも関わりがあった私にできるだけの応援はしていければ。そんな思いで毎年幌加内町に訪れている。


霧立亭01
添牛内に着いてまずは腹ごしらえの昼飯、霧立亭に。


霧立亭02
霧立亭のメニュー。何を食べようかと、迷いつつ。


霧立亭03
”そばかま天付きザルそば”を注文することに。


霧立亭04
幌加内に来たなら蕎麦を食べなきゃ損々。見た目通りの美味しさ。


添牛内駅01
昨年に改修されて倒壊を免れた添牛内駅。


添牛内駅06
深名線が廃止されて28年が経ち、環境が厳しい北海道で廃止当時の駅舎を残しているのは凄いこと。駅舎を守ってきた方々に敬意を払いたい。


添牛内駅03
窓越しに駅舎内。今年(2023)6月25日に内部公開したようだ。


添牛内駅09
クラウドファンディングによる添牛内駅改修の支援者一同。多くの有志に支えられ駅舎は守られた。


添牛内駅08
切符売場や荷物扱い窓口は無くなっているが、その上部には間取りの壁を残し往時を偲ぶ。


添牛内駅04
ホームより幌加内・深川方面。旧ホームには駅名標枠が復元されている。


添牛内駅05
改修前は倒壊しかけていた駅舎。これからも長く深名線を語り継いでほしい。


添牛内駅07
草生す駅前の山前家跡。


添牛内駅_2017_01
6年前の2017年8月に撮影した添牛内駅と山前家。


添牛内駅から深川・幌加内方面隣駅の新富駅跡に。

新富バス停留所02
国道から旧駅前通りが分岐する地点に新富バス停留所を設ける。


新富バス停留所01
積雪に耐えかねて曲がってしまった上部の看板。


新富バス停留所03
少なくとも1日に4本のバスが発着。
新富駅跡01
旧新富駅前通りより駅方向。駅前にあった旧新富集荷所の建物がランドマーク。


新富駅跡02
木々に覆われる旧新富集荷所。


新富駅跡03
玄関上に書かれた新富集荷所の文字が一部読み取れる。


新富駅跡04
駅跡前より国道へ延びる駅前通り。


新富より国道275号を南下して”せいわ温泉ルオント”に。

ルオント01
幌加内せいわ温泉ルオント
https://horokanaisoba.com/


ルオント02
今夏は酷暑になった北海道、この日も暑かった。ひとっ風呂浴びて汗を流します。


ルオント03
ルオントの近くにある上杉周大の畑。




政和小学校の廃校舎を利用し平成24年(2012年)から道内アーティストの作品を展示する”政和アートFes”。今年(2023)で12年目となり、私は2017年から新型コロナの自粛期間中を除き毎年訪れ楽しませてもらっている。昨年(2022)訪れた際には3羽の烏骨鶏の子供がいて性別不明とのことだったが、今回訪れた際に結果を聞いてみたところ2羽がオスで1羽がメスだったらしい。そして今年は2羽の烏骨鶏の子供が玄関で迎えてくれた。手越しにエサを与えると一心不乱に食いむさぼるほどに食欲旺盛で、すくすくと成長していきそう。烏骨鶏はコケコッコーと雄叫びをあげればオスと判別できるのだが、鳴かない子供のときはプロでも性別の判断が難しいらしく、この2羽もやはり性別は不明なのだという。結果は来年の楽しみとして、私の予想では2羽ともオスかな。

政和アートFes
http://seiwa-artfes.moo.jp/


政和アートフェス01
政和アートフェスの会場、旧政和小学校。
実はこの日は休館日で知らずに訪れてしまった私。たまたま主催する方が居られて、「どうぞ、どうぞ」と迎えてくれた。童心に帰れるここは年に1度の特別な場所。すみませんながら、ありがとうございます。


政和アートフェス02
懐かしい体育館には子供心をくすぐる展示が今年も健在。


政和アートフェス03
これを見るとやはり球を転がしてみたくなります。


政和アートフェス04
板張りの体育館に鉄製のアート作品。温もりの木と冷淡をイメージする鉄、相反するからこその展示がいい。


政和アートフェス05
今思えば体育館は一番楽しい場所だった。小学生のとき体育館でよくやっていたのが手打ち野球。今の小学生もやっているのだろうか。


政和アートフェス08
お気に入りの図書室。


政和アートフェス07
昨年(2012)訪れた時には未完成だった黒板アート。完成形が見れて有難い。


政和アートフェス09
幻想的な雰囲気の書庫。4本足を持つ謎の動物が隊列を組んで窓から侵入してきたようだ。


政和アートフェス10
感性をくすぐられる展示の理科室。


政和アートフェス11
2階廊下。


政和アートフェス12
以前はモリノヌッシーが住んでいた教室。2018年を最後に姿を消した。どこをほっつき歩いているのだろうか。


政和アートフェス13
コンクリートブロック壁の物品庫に鉄を素材にした作品を展示。狭くて冷めたイメージの室内に作者の感性が吹き込まれた鉄の作品、いい展示だなと素直に思う。


政和アートフェス14
図工室は自分が手掛けた作品を通してアイデンティティを育むところ。


政和アートフェス15
図工室の一角にはステンドクラスの灯り。


政和アートフェス16
思わず走りたくなる2階廊下。来夏も楽しみにしてます!


政和駅跡01
政和地区の玄関口だった政和駅の旧駅舎。


政和駅跡02
トラクターの車庫として再利用され何とか原形を留め残存している。


政和駅跡04
旧駅舎構内側。


政和駅跡05
ホーム跡より新富・名寄方面。線路が敷かれていた路盤は消失している。


政和駅跡03
旧政和駅前。農業倉庫や旧幌加内町農業協同組合政和事業所の建物は健在で、昨年(2022)末に訪れた時と変わらぬ様子。


訪問日:2023年8月15日(火)
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テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
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高札場
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