糠平駅跡(士幌線) ~初代の駅は湖底に沈んだ~
昭和12年(1937)士幌線(清水谷~糠平間)の延伸開通により終着駅として開業した糠平駅。同14年(1939)士幌線は途中に幌加駅を設けて十勝三股駅まで延伸する。それから16年後の同30年(1955)、糠平ダムの建設工事に伴って清水谷~幌加間の線路が付け替えられ、初代の糠平駅は市街と共にダム湖に沈んだ。2代目の糠平駅はダム湖の南端に設けられ、糠平温泉街や国設糠平スキー場の最寄り駅として機能した。
昭和53(1978)糠平駅~十勝三股駅間は林業の衰退により過疎化が進行して列車運転を休止、マイクロバスによる代行輸送となり、同62年(1987)終には士幌線全線廃止という運命を辿る。糠平駅をはじめ周辺の鉄路は撤去されたが、平成22年(2010)線路を復元して全長662mの鉄道が開通、ひがし大雪高原鉄道と称して観光トロッコの運行を開始するも、令和2年(2020)新型コロナウイルスが世界的に流行したことにより運行を終了、それから再開されることなく今日に至っている。

空中写真データ:国土地理院 糠平 整理番号USA-M594-27を基に作成
昭和22年(1947)撮影、糠平駅周辺の空中写真。糠平ダムの建設工事前の初代糠平駅。北西方向に貯木場があり士幌線から専用線が分岐していたことがわかる。この写真が撮影されてから8年後に糠平駅は移転、翌年(1956)にダムが完成して湖底に沈んだ。

空中写真データ:国土地理院 十勝岳 整理番号CHO7731-C11-38を基に作成。
昭和52年(1977)撮影、糠平駅周辺の空中写真。移転から22年を経た2代目糠平駅。ダム湖の南端に位置し、少し離れた西側に糠平温泉街が形成される。糠平駅から北方向へダム湖を大きく迂回する線路は十勝三股駅まで延びていた士幌線。この翌年にマイクロバス輸送に転換され事実上の廃線となっている。

ここが2代目糠平駅跡。建物は上士幌町鉄道資料館、その左側にある保存車両手前辺りに駅舎が設けられていた。

士幌線最終運行日に撮影された糠平駅(ぬかびら時間旅行展2023より)。屋根にまで人がいて今では考えられない光景。

駅舎跡を正面に見て撮影。

駅舎屋根上から撮影された駅構内(ぬかびら時間旅行展2023より)。

駅舎跡より駅構内。今から46年前の最終運行日に思いを馳せて。

士幌線の歴史を後世に伝える上士幌町鉄道資料館。残念ながら休館で見学できず。

資料館の裏手は駅構内跡。木材を盛んに搬出した往時を偲びここに立つ。

エゾシカが縄張りの侵入者を警戒していた。

駅跡に置かれる保存車両。その右側には観光トロッコ”ひがし大雪高原鉄道”の糠平駅を設置。

これは国鉄ヨ3500形貨車(車掌車)で車両番号ヨ4843。昭和32年(1957)富士車輌製。 同型貨車は北海道の貨車駅舎に多く再利用されている。

2019年に運行を終了し記念撮影用に置いてある足こぎトロッコ。

士幌線の路盤を利用して再敷設されたトロッコ用線路。

線路脇に立てられた腕木式信号機。

昭和30年(1955) 3月4日第9糠平トンネル掘削工事中に落盤事故が発生し9名が死亡、翌年(1956)8月同トンネル入口にこの殉職碑が建立された。碑裏面には新線付替え工事の従事中に殉職した14人の名を刻む。現在は糠平駅跡の林の中に移設され、多くの犠牲を伴って工事に従事してきた先人たちの思いを伝えている。たとえ鉄道が廃止になり自然に帰すとも。
今から11年前の2012年8月22日、ひがし大雪高原鉄道のトロッコに乗車したときの様子を。

ひがし大雪高原鉄道の糠平駅にはトロッコ乗車用の踏み段が設けられていた。

帯広方面からトロッコが帰ってきたところ。

トロッコに乗車して糠平駅を発車。

腕木式信号機を左に見ながら帯広方面へ進み。

糠平駅から約440m進んだところに第6糠平トンネル。

トンネル手前で停車しここで折り返す。このトンネルを抜ければ不二川橋梁跡、かつては士幌線の撮影スポットだったようだ。

十勝三股方面へ向けて戻ります。

間もなく糠平駅に到着する。

そして最後に記念撮影。

国鉄ヨ3500形貨車(車掌車)

上士幌町鉄道資料館。

資料館の展示。

この日は糠平館観光ホテルで日帰り入浴して帰途についた。
訪問日:2023年8月14日(月)、2012年8月22日(水)

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