深名線の廃線跡から ~2023夏 第三雨竜川橋梁から沼牛駅へ~
深名線が廃止されて28年が経ちほとんどの橋梁が撤去され消失している中、今でも唯一残されているのが第3雨竜川橋梁。雨煙別駅~政和温泉駅間の雨竜川に架けられ、昭和6年(1931)の建設工事中には青年技師が川に転落して死亡しており、今も橋梁北詰に弔魂碑を残す。その第3雨竜川橋梁から幌加内方面へ南下して沼牛駅まで、深名線の廃線跡を辿りながら。

旧国道から第3雨竜川橋梁にかけて約70mの路盤を残す。

旧国道の踏切跡。政和方面へ延びる路盤は自然に還り消失している。

第3雨竜川橋梁北詰、深名線の路盤跡と渡部義雄君弔魂碑。

渡部義雄君弔魂碑。第3雨竜川橋梁の建設中に殉職した青年技師を弔う。北海道の廃線跡を巡っていると、多くの犠牲のもとに鉄道が敷設されてきた歴史を知る。

2014年に訪れた時には素敵な花壇が設けられていたが、今は草生し悲しい状況。近年に解説板も撤去された。

レールは撤去されているが往時の姿を留める第3雨竜川橋梁。
その第3雨竜川橋梁から幌加内方面へ約5km、雨竜郡幌加内町字雨煙別に設けられていた雨煙別駅。過疎化の進行で利用者が減少、深名線廃止より5年早い平成2年(1990年)廃駅となった。駅は消失しており旧駅前に残る農業倉庫だけが往時を偲ぶ。

雨煙別駅前に残る農業倉庫。奥方向の道の突き当りに雨煙別駅があった。

道の突き当りの草むらになっている所が駅舎跡。かつてはそれなりの集落を形成し小学校や神社まであった雨煙別、深名線よりひと足早く廃駅となり姿を消した。
雨煙別駅から幌加内方面へ約4.3km行ったところに設けられていた上幌加内駅。仮乗降場を出自にし単式ホームと待合所を設けるだけの無人駅だった。

ホームの構造部分と線路を少しだけ残す上幌加内駅跡。

上幌加内駅跡より幌加内・深川方面。

上幌加内駅跡より雨煙別・名寄方面。

駅前にある「圃場整備竣工記念 緑郷浴萬民」碑。昭和48年(1973)から始まった農地の区画整理が竣工したことを記念し同58年(1983)に建立された。

田園地帯にポツンと形跡を残す上幌加内駅。深名線の歴史を伝える貴重な存在である。
幌加内市街の中心にあり町の玄関口をなした幌加内駅。深名線の途中駅では最も乗降客が多く、昭和59年(1984)まで駅員を配置していた。無人駅になる前の昭和50年代後半、日糧パンに勤めていた父親が駅舎内の売店にパンを配達していたことを記憶しており、売店があったことは確か。それがキヨスクだったのかは覚えていない。

JR深名線資料展示室の展示パネルより。在りし日の幌加内駅。

平成7年(1995)深名線の廃線と運命を共にした幌加内駅。廃止後に駅舎バス待合所に転用されたが、平成12年(2000)火災により焼失した。

駅跡には線路や駅名標のモニュメントを置き往時を偲ぶが、駅の痕跡は完全に消え失せている。駅跡裏手では厳寒まつりが開催され短い夏を謳歌するように多くの人で賑わっていた。

2013年頃まで営業を続けていた駅前の旧松家食堂。私としては一番お気に入りの幌加内そばだった。
幌加内駅から深川方面へ2駅目の沼牛駅。”おかえり沼牛駅実行委員会”がクラウドファンディングで支援金を募り、平成28年(2016年)に改修された。それから7年の年月を経て。

春夏秋冬で違った姿を見せる沼牛駅、何度訪れても飽きさせない

駅前に残る3棟の農業倉庫。深名線と沼牛駅を物語るに相応しい。

マンスリーサポーターを募集する貼り紙。深名線を今に語る貴重な沼牛駅、その歴史を末永く伝えてほしいと願う。
北海道の豪雪地帯、旧・深名線「沼牛駅」木造駅舎を継続して守りたい!
https://readyfor.jp/projects/numaushi_eki

窓越しに駅舎内を覗くと。どこから仕入れたのか、小型エンジンを搭載するトロッコが置いてあった。いつの日か構内に線路が復元されこのトロッコが走る姿を見られるのだろうか。

沼牛駅構内。線路が無いのがやはり寂しい。

復元された駅名標の枠。

駅構内より幌加内方面。

かつて商店があり市街を形成した駅前。近郊には沼牛小学校(2002年閉校)があった。今は過疎化が進み数軒の民家が残るのみ。

令和2年(2020)に設置された腕木式信号機。

次に訪ねるのは年末になるかな。きっと豪雪に耐える姿が見られるのだろう。
訪問日:2023年8月15日(火)

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