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寿駅跡・新弥生駅跡・下頓別駅跡(天北線) ~2023夏~




中頓別駅から浜頓別方面へ約4.1km行ったところに設けられていた寿駅。枝幸郡中頓別町字寿に所在し、昭和30年(1955)に仮乗降場として1面1線の単式ホームが設けられのがはじまり。平成元年(1989)国鉄分割民営化により経営がJR北海道へ移行したことに伴い駅へ昇格。平成元年(1989)名寄本線全線廃止に伴い廃駅となった。

空中写真_枝幸_CHO777-C10-7_1977(昭52)03
空中写真データ:国土地理院 整理番号:枝幸_CHO777-C10-7_を基に作成
昭和52年(1977)撮影、寿駅周辺の空中写真。農村地帯の線路左側に単式ホームを設ける寿駅。駅南側の踏切から駅へアクセスする小路が見える。その踏切の南側を流れる川は頓別川支流の一己内川。


寿駅跡02
寿駅の南側にあった踏切跡。


寿駅跡01
踏切跡より寿駅跡。赤いトラクターの辺りにホームがあったはず。


寿駅跡03
踏切跡より下川・音威子府方面。この薮の先に一已内川が流れており、葉蘭川橋梁が架けられていた。


寿駅から浜頓別方面へ1.4km、枝幸郡中頓別町字弥生に所在した新弥生駅。昭和34年(1959)仮乗降場として1面1線の単式ホームが設けられのがはじまり。平成元年(1989)国鉄分割民営化により経営がJR北海道へ移行したことに伴い駅へ昇格。平成元年(1989)名寄本線全線廃止に伴い廃駅となった。

空中写真_枝幸_CHO777-C9-7_1977(昭52)03
空中写真データ:国土地理院 整理番号:枝幸_CHO777-C9-7_を基に作成
昭和52年(1977)撮影、新弥生駅周辺の空中写真。国道から駅方向に小路が延び、天北線と交差する踏切北側の線路左に単式ホームと待合所を設けていた。


新弥生駅跡01
国道から新弥生駅跡への小路が分かれる地点。


新弥生駅跡02
新弥生駅跡付近、国道から浜頓別方面。ここを右折する道が新弥生駅の駅前通りとも言うべき道。


新弥生駅跡03
この道の先に新弥生駅があったはず。夏場だけに藪に覆われこれ以上入らなかったが、どうやらこの先に朽ち果てたホームが残っているらしい。


新弥生駅から浜頓別方面へ3.6km、浜頓別町に入って最初の駅が下頓別駅。枝幸郡浜頓別町字下頓別に所在する。明治30年代に頓別原野19線と称された土地で、開拓の始まりは明治37年(1904)高藤嘉平が入植したことによる。同43年(1910)頓別第三教授所(後の下頓別小学校)が開校。大正7年(1918)宗谷線中頓別駅~浜頓別駅間の延伸開通に伴い下頓別駅が開業し、頓別原野19線は下頓別の地名が正式なものとなった。駅を中心に市街を形成、大正12年(1924)にはウツナイ川上流部から伐り出した木材運搬を目的にウツナイ森林軌道(最長時延距離17.4km、1944年撤去)が敷設された。

昭和40年(1965)には世帯229・人口934人を数えたが、斜陽の時代を迎えた昭和57年(1982)、下頓別駅は貨物と荷物の取扱いの廃止と共に旅客業務も廃止されて無人駅となり、平成元年(1989) 天北線と共に廃止された。駅が無くなってから22年後の平成23年(2011)下頓別中学校閉校、旧校舎を転用する形で小学校が移転したが、それから3年後の同26年(2014)3月に下頓別小学校も浜頓別小学校へ統合され閉校する。駅が無くなり学校が無くなって人がいなくなる、道内で多くの過疎地域が辿る運命。現在の下頓別は更に過疎化が進み人口80人程にまで減少している。

空中写真_浜頓別_USA-R265-No2-65_1948(昭23)04
空中写真データ:国土地理院 整理番号 浜頓別_USA-R265-No2-65を基に作成
昭和23年(1948)撮影、下頓別駅周辺の空中写真。ウツナイ森林軌道が撤去されて4年が経つが駅裏手一帯は木材の土場が広がり、駅前から国道沿い南側にかけて市街を形成、林業で栄えた当時をうかがう。下頓別小学校は市街南側外れの国道沿いあった。

空中写真_枝幸_CHO777-C7-7_1977(昭52)05
空中写真データ:国土地理院 整理番号:枝幸_CHO777-C7-7_を基に作成
昭和52年(1977)撮影、下頓別駅周辺の空中写真。駅西側に下頓別小学校、駅からやや南側に離れた国道沿いに下頓別中学校がある。この空中写真が撮られてから14年後の平成3年(1991)中学校の校舎が改築されるも、同23年(2011)浜頓別中学校に統合され閉校。これに伴い校舎を転用し下頓別小学校が移転した。


下頓別駅_1980年代
1980年代(おそらく前半)に撮影した下頓別駅。


下頓別駅跡10
上写真と近いアングルで現況。駅舎は見る影も無い。


下頓別八幡神社
駅舎跡の真裏にある下頓別八幡神社。この辺りは土場跡でかつては木材が山積みになっていたはず。


下頓別駅跡01
神社より駅跡と旧駅前通り。


下頓別駅跡11
駅跡の風景は一変してしまったがホームだけが残され往時を偲ぶ。


下頓別駅跡02
線路跡は道路に整備されている。


下頓別駅跡04
レプリカの駅名標。


下頓別駅跡08
ホームより中頓別方面。


下頓別駅跡06
ホームより駅裏手の土場跡。


下頓別駅跡07
ホームより浜頓別方面。先に見える住宅の手前辺りが駅舎跡。


下頓別駅跡前01
駅跡より国道へ向かって延びる旧駅前通り。商店や飲食店などは無くひと気を感じない。


下頓別駅跡前02
国道より旧駅前通り。かつては道の突き当りに駅舎が見えたはず。


下頓別市街
旧駅前通りと国道275号の交差点より中頓別方面。下頓別の市街中心だが、本目商店と郵便局があるくらい。公共交通は天北線に代わって宗谷バスが1日数本やってくる。


訪問日:2023年8月16日(水)
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常盤駅跡・浜頓別駅跡(天北線) ~2023夏~



最後の浅草芸人と称される深見千三郎を生んだ町、浜頓別町。北海道北部のオホーツク沿岸から内陸部にかけて町域を持つ人口約3500人の町である。主要産業は酪農と漁業。年間の平均気温が5℃前後で極寒にならず暑い時期も短いことから牛の生育環境に適し、海からは毛ガニやタラバガニ・ホタテ・サケなどが水揚げされる。

ここで生まれ育った深見千三郎は大正12年(1923)生まれ、高等小学校を卒業後に上京、浅草で芸を極め浅草に骨を埋めた伝説の芸人である。萩本欽一やビートたけし、東八郎が若かりし頃の無名時代に師事した人である。Netflix映画『浅草キッド』では大泉洋が深見千三郎役を好演、ビートたけしを通して深見さんの生き様を知り泣ける映画なので、機会があれば是非とも見てほしい。


下頓別駅から浜頓別方面へ3.2km行ったところに設けられていた常盤駅。次は6.7km先の浜頓別駅である。枝幸郡浜頓別町字常盤に所在し、昭和30年(1955)に仮乗降場として開業したのがはじまり。廃止時には単式ホームと待合所を有していた。平成元年(1989)国鉄分割民営化により経営がJR北海道へ移行したことに伴い駅へ昇格。平成元年(1989)名寄本線全線廃止に伴い廃駅となった。

空中写真_枝幸_CHO777-C6-8_1977(昭52)03
空中写真データ:国土地理院 整理番号:枝幸_CHO777-C6-8_を基に作成
昭和52年(1977)撮影、常盤駅周辺の空中写真。踏切東側に待合所、踏切南側(下頓別方)の線路東側に単式ホームを設けていた。


常盤駅跡01
常盤駅北(浜頓別)側の旧道と踏切跡。アスファルトが途絶えた辺りが踏切跡で、写真左手前に待合所が設けられていた。


常盤駅跡02
旧道踏切跡より浜頓別方面。前に見える道路は天北線廃止後に通された新道。


常盤駅跡03
新道より旧道踏切跡と常盤駅跡。この藪の奥に単式ホームが設けられていた。


常盤バス待合所01
駅跡付近、国道275沿いに設けられる常盤バス待合所。


常盤バス待合所04
雨や雪を凌ぐには有難い待合所だが、夏場は素直に入りたくない。


常盤バス待合所03
待合所から少し離れた所にバス停。かつてはバス停奥にホームと待合所が見えていたはず。


浜頓別駅の開業は大正7年(1918)。中頓別駅からの宗谷線(後に北見線→天北線)延伸開通に伴い終着駅として設けられ、頓別川河口付近に位置したため浜頓別の駅名を付けた。これが浜頓別という地名の起源で、後に駅名が地名となったものである。駅開業の翌年(1919)に路線が浅茅野まで延伸しその途中駅に。昭和11年(1936)興浜北線(浜頓別~北見枝幸、 30.4km) が開通、浜頓別駅は北見線と興浜北線の接続駅となり全盛期を迎える。同36年(1961)北見線を天北線に改称、同44年(1969)駅舎が鉄筋の建物に改築されたが、衰退期を迎えて同59年(1984)貨物・荷物取扱い廃止、同60年(1985)興浜北線廃止、平成元年(1989)天北線の全線廃止により廃駅となった。廃止から39年が経った今、駅舎跡は国道が貫き構内跡には道の駅やバスターミナルが建てられている。30年以上ぶりに訪れてただ一言、見る影も無い。

空中写真_浜頓別_USA-R265-No2-52_1948(昭23)04
空中写真データ:国土地理院 整理番号 浜頓別_USA-R265-No2-52を基に作成
昭和23年(1948)撮影、浜頓別駅周辺の空中写真。駅舎は昭和19年(1944)に改築されたもの。同21年(1946)に設置された構内跨線橋が見え、構内南側には転車台が見える。駅舎から東に延びるメインストリートを中心に市街を形成、市街東外れに浜頓別小学校があった。駅南側、天北線と興浜北線の分岐点辺りで国道275号の旧道が踏切を設けて交差していた。

空中写真_枝幸_CHO777-C6-8_1977(昭52)01-3
空中写真データ:国土地理院 整理番号:枝幸_CHO777-C6-8_を基に作成
昭和52年(1977)撮影、浜頓別駅周辺の空中写真。上写真の30年前と見比べると駅東側の市街は拡大し、駅裏手北側の木工場は大きく変わっていない様子だが、駅北側に中学校と南側に高等学校が新設されている。小学校の場所は変わらず市街東外れにあるが、後に国民健康保険病院の南側に移転している。駅舎は昭和44年(1969)コンクリート造りに建て替えられたもの。駅構内のホームや構内跨線橋は30年前と大きく変わっておらず、構内南側の転車台も現存していたようだ。


浜頓別駅_1980年代
1980年代(おそらく前半)に撮影した浜頓別駅。昭和44年(1969)に改築された最終形の駅舎である。


浜頓別駅跡01
上写真に近いアングルで撮影した現況。駅舎跡を国道275号が貫き面影は完全に消え失せている。


浜頓別駅跡前01
駅舎跡前より旧駅前通り(国道275号)。


浜頓別駅跡03
駅跡より南稚内方面。広々とした敷地を持っていた駅構内は公園に整備され、浜頓別バスターミナルを併設する”道の駅 北オホーツクはまとんべつ”が建てられている。


浜頓別駅跡04
駅跡より中頓別・音威子府方面。町立図書館が建てられている。


浜頓別駅跡前02
駅跡前。左端に見えるのが老舗スーパーの”なかむら”。


スーパーなかむら
ここが”スーパーなかむら”。昭和のスーパーを彷彿する外観だけに写真では廃屋のように見えてしまうが、店内に入れば普通のスーパーの品揃えで今も営業を続けている。約40年前に私が訪れた時にもあったはず、少しだけ店内をぶらりとして感慨にふけながら買い物をした。


浜頓ホテル
旧駅前通り沿いにある浜頓ホテル。昭和の駅前旅館に相応しい佇まい。近いうちに宿泊する機会をつくりたい。


浜頓別市街01
こちらも旧駅前通り沿いある靴屋の”さとう”と本屋の”ワタイ”。


浜頓別市街02
旧駅前通りより駅跡方面。かつては道の先に駅舎が見えていたはず。


居酒屋 秀
浜頓別で昼飯にしようと探していて見つけたのがここ、”居酒屋 秀”。


居酒屋 秀02
これが貼り出されていたメニュー。


居酒屋 秀03
入口から2階へ上がって客席に。


居酒屋 秀04
一番上にある角煮カレーがイチオシなのだろうが、悩んだ末に角煮正油ラーメンを注文。


角煮正油ラーメン
海産物が豊富にあるはずの浜頓別にあって角煮で勝負するラーメン。


角煮正油ラーメン02
スープまで飲み干し美味しく頂きました。


道の駅 北オホーツクはまとんべつ
駅跡に建てらた”道の駅 北オホーツクはまとんべつ”。


道の駅 北オホーツクはまとんべつ02
道の駅には”浜頓別交流館”と、


道の駅 北オホーツクはまとんべつ03
浜頓別バスターミナルを併設する。


道の駅 北オホーツクはまとんべつ04
駅跡に新設された”道の駅 北オホーツクはまとんべつ”を示す案内板。ここは平成31年(2019)国土交通省より指定された北海道123番目の”道の駅”。

次に訪れた時は角煮カレーを食べて浜頓ホテルに泊まり天北線跡を訪ねようとの思いで、約40年ぶりに訪れた浜頓別を後に。


訪問日:2023年8月16日(水)
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仁宇布駅跡(美幸線) ~日本一の赤字路線の終着駅はトロッコ王国に~



昭和末期、JR北海道が国鉄だった時代に日本一の赤字路線としてその名を知らしめた美幸線。開業は昭和39年(1964)、美深駅~仁宇布駅間の21.2kmに鉄路が敷かれ部分開通、更に延伸してオホーツク海沿岸の北見枝幸駅(興浜北線、枝幸郡枝幸町)へ至る計画だったことから、美深と枝幸から1文字を取って路線名が付けられた。しかし人口の少ない山間にある盲腸線だけに利用者は少なく、毎年全国トップクラスの赤字を出し続けた。昭和55年(1980)には未成区間(仁宇布~北見枝幸)の路盤工事は完了しレールの敷設と駅舎の建設を残すだけだったが、道路が整備され人の移動や物資運搬は自動車へ移り変わった時代背景だけに、全通したところで黒字化は困難であり、むしろ巨額の赤字が見込まれるとの予測から工事は凍結、全通を見ることなく同60年(1985)全線廃止の運命を辿る。

そんな事情で美幸線の終着駅となってしまった仁宇布駅。駅が所在した仁宇布は明治40年(1907)に福島県安積団体として佐久間喜助他数戸が入植したのが開拓のはじまり。地名の由来について角川日本地名大辞典から引用して紹介。
『古くはニユプ・ヘンケニユフ・ヘンケニウボなどともいった。上川地方北部、天塩川支流ニウプ川流域。西部には入布岳をはじめ北見山地が広がる。地名はアイヌ語のニウプ(森林の意)に由来し、ペンケニウプは」川上のニウプ川を意味し、パンケニウプ(現 字班渓)に対置される(美深町史)。』
明治45年(1912)駅逓が設けられ入植者が増加。未開の山間だけに造材が盛んとなり、耕作地では馬鈴薯(じゃがいも)を盛んに栽培し澱粉を生産、全盛の大正期には100戸余りを数えたという。

昭和26年(1951)当時、仁宇布の戸数88戸、人口476人。澱粉工場や木工場をはじめ商店、小中学校や診療所などがあり一時代を築いていた中、同39年(1964)に美幸線の終着として仁宇布駅が設けられた。それからわずか21年後、美幸線の全線廃止と共に廃駅となる。

捨てる神あれば拾う神あり。廃止後に駅舎は解体撤去されたが、跡地をNPO法人トロッコ王国美深が譲り受け、仁宇布駅~辺渓駅間約5kmの一部線路を観光施設として再利用、エンジン付き保線用軌道自転車を走らせ運転体験場として観光客を呼ぶ。


空中写真_仁宇布_USA-M546-A-133_1947(昭22)02-3
空中写真データ:国土地理院 整理番号 仁宇布_USA-M546-A-133を基に作成
昭和22年(1947)撮影、仁宇布市街周辺の空中写真。美幸線着工の10年前、国鉄の仁宇布駅が設けられる場所には農地が広がる。美深方面から仁宇布殖民軌道(1962年廃止)が道路と並行して延び市街南側の旧駅逓所付近に仁宇布駅を設けていた。軌道は駅の北側で並行する道路と分かれ更に北へ延びている。市街北外れに仁宇布小学校があり、校地は現在の仁宇布小中学校に引き継がれている。


空中写真_仁宇布_CHO7711-C6-8_1977(昭52)03
空中写真データ:国土地理院 整理番号:仁宇布_CHO7711-C6-8を基に作成
昭和52年(1977)撮影、仁宇布駅周辺の空中写真。仁宇布駅から北見枝幸方面の未成区間は跨線橋や橋梁が架けられ路盤工事が完了している様子をうかがう。駅前から二十五線川にかけての本通り沿いに市街を形成、北外れにある仁宇布小中学校の場所は30年前と変わらない。なお小中学校は平成3年(1991)より山村留学制度を開始、留学生を受け入れ今も現役の学校である。


仁宇布駅_1985年頃01
昭和60年(1985)撮影の仁宇布駅。写真の人物は中一の私。当時は校則で坊主頭だった。


仁宇布駅_1985年頃02
私が右手に持っているのは「さようなら美幸線」の台紙付き切符セット。左手は駅スタンプだろう。この切符セットは実家のどこかにあるのだろうか。


仁宇布駅_バス転換式_美深駅展示室_23-8-18
最終運行日に仁宇布駅で催されたバス転換式。(美深駅美幸線展示室より)


仁宇布駅_バス転換式_美深駅展示室_23-8-18_02
美深ターミナルと仁宇布を結ぶ代替バス。運行初日だろうか、車内は多くの乗客で賑わう。(美深駅美幸線展示室より)


仁宇布駅_駅名板_美深駅展示室_23-8-18
仁宇布駅の駅名板。(美深駅美幸線展示室)


仁宇布駅_発着時刻表_美深駅展示室_23-8-18
廃止年となる昭和60年3月改正の仁宇布駅発着時刻表。(美深駅美幸線展示室)


仁宇布駅跡01
ここが現在の仁宇布駅跡。トロッコ王国美深の施設として利用されている。


仁宇布駅跡02
トロッコの乗降場”コタンコロカムイ駅”。


仁宇布駅跡14
地面に残された駅舎の基礎。


仁宇布駅跡03
現存するホーム。


仁宇布駅跡09
ホームには駅名標とトロッコ13号車を置く。


仁宇布駅跡10
駅名標はレプリカだろうか。美幸線の終着駅として役目を終え、駅名標に次の駅名「北見大曲」が記されることはなかった。


仁宇布駅跡05
ホームから北見枝幸方面へ少しだけ延びる線路。路盤工事が完了しながらも全通を見ることはなかった。


仁宇布駅跡06
静態保存される国鉄583系電車の中間車両サハネ581-19。昭和43年(1968)製造の寝台座席両用の客車で、寝台特急に連結され全国を駆け巡り、昭和62年(1987)青森運転所から札幌運転所に転属、平成2年(1990)廃車となった。


サハネ581形01
廃車から30年以上が経ち外装は劣化が著しい。


サハネ581形02
車両内部の洗面所。


サハネ581形03
トイレもそのまま残されている。


サハネ581形04
座席と寝台を共用する客室。


サハネ581形05
1段目が座席、2・3段目が寝台になっている。


仁宇布駅跡07
間もなくトロッコが発車するところ。


仁宇布駅跡08
一人でも運転できるのだろうか。乗ってみたかったが時間が16時過ぎ、美幸線の途中駅も回りたかったので今回は見送り。次回に楽しみをとっておこう。


仁宇布駅跡11
駅舎跡から駅前通り。


仁宇布駅跡15
車輪のモニュメントを置く美幸線記念碑。


仁宇布駅跡前01
駅前通りと道道49・120号の交差点角にある古そうでハイカラな建物。


仁宇布駅跡前02
交差点より仁宇布駅方面。


仁宇布駅跡前03
交差点角のハイカラな建物の入口横にはお食事処KOIVU(コイブ)の看板を掲げていたが、現在は営業していない模様。


仁宇布駅跡前04
昭和52年(1977)の空中写真でも確認できるこの建物。私が仁宇布を訪ねたのは約40年前、駅のことは覚えているが市街の様子は全く覚えていない。元々は商店か駅前旅館だったように思えるが真相はいかに。


高広パーキング
仁宇布市街から道道49号を美深方面へ約4.5kmにある高広パーキング。


高広の滝
高広パーキングよりペンケニウプ川の対岸に高広の滝を望む。


美幸線跡(辺渓~仁宇布)01
高広パーキングより道道を挟んで向かいがトロッコ鉄道の折返し地点。


美幸線跡(辺渓~仁宇布)04
折返し地点より仁宇布方面。


美幸線跡(辺渓~仁宇布)02
折返し地点の仁宇布側、右の沢川に架かる橋梁。


美幸線跡(辺渓~仁宇布)03
道道側から右の沢と橋梁。開業からわずか21年で廃止された美幸線。それから38年が経ち今もトロッコ鉄道として生き残っているのはすごいこと。鉄路を守り維持してきた関係者の方々に敬意を表したい。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

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