fc2ブログ

辺渓駅跡・東美深駅跡(美幸線) ~2023夏~



美幸線の途中駅はたったの2駅。美深町内に辺渓駅と東美深駅が設けられていただけ。どちらも昭和39年(1964)美幸線美深~仁宇布間が開通したことに伴い開業、農村地帯に設けられた駅だけに単式ホームと待合所を設ける典型的な無人駅だった。同60年(1985)美幸線の廃線に伴い廃駅となる。


美深駅から6.3km、終点の仁宇布駅へは14.9km地点、中川郡美深町字辺渓に設けられていた辺渓駅。駅が所在した辺渓(ぺんけ)という地名の由来は、角川日本地名大辞典によれば『アイヌ語のペンケニウプ(上流のニウプ川の意)により、開拓当初から当地一帯はペンケと呼ばれていた(美深町会議事録j)。江戸期の史料には、ヘンケニウフ・ヘンケニウボなどと見える。』とある。

明治35年(1902)美深からペンケ方面へ里道5線道路が開通、沿線に続々と開拓者が入り同42年(1909)美深尋常小学校五線分教場を開設、翌年(1910)に里道はニウプまで延長する。大正4年(1915)分教場を移転新築、同6年(1917)辺渓小学校となった。同10年(1921)北海水力電気がニウプ川を利用して発電所を建設し送電開始、建設当時に植えられた桜並木は名所となり花見客で賑わったという。

空中写真_名寄_CHO7712-C2B-2_1977(昭52)03
空中写真データ:国土地理院 整理番号:名寄_CHO7712-C2B-2を基に作成
昭和52年(1977)撮影、辺渓駅周辺の空中写真。駅の単式ホームと待合所が確認でき、国道から駅に向かってか細い駅前通りが延びる。駅周辺は農家が点在する程度で、西側の国道沿いに昭和39年(1964)に閉校した辺渓小学校跡、東側に仁宇布川発電所がある。


第1仁宇布川橋梁01
辺渓~仁宇布間、辺渓橋よりペンケニウプ川下流方向に第1仁宇布川橋梁を見る。


第1仁宇布川橋梁02
第1仁宇布川橋梁は美深駅から美幸線が最初にペンケニウプ川を渡る橋梁だった。美幸線が廃止されてから38年、今も良好な状態で残っている。


辺渓駅跡01
国道より辺渓駅跡。かつてはこの辺りより中央奥に向かって駅へ至る小路が延びていた。駅跡は見ての通りの野っ原で何も残っていない。


辺渓駅開通直前
美深駅の美幸線資料室に展示されていた写真。開業準備中の辺渓駅。昭和39年(1964)に撮影されたものだろう。


美幸線展示室05
美幸線展示室より。辺渓駅の時刻表(昭和42年10月改正)。


辺渓駅_1985年頃
上の写真から21年後、昭和60年(1985)に撮影した辺渓駅。写真の人物は中1の私、駅名標は劣化が進行しており時の流れを感じさせる。今は野っ原になっているが、かつては単式ホーム上に待合所を設ける駅があったのだ。


辺渓駅西側の踏切跡01
辺渓駅跡西側、ペンケ十号川左岸沿いの道路に残る踏切跡。


辺渓駅跡02
踏切跡より辺渓駅跡方面。


踏切跡よりペンケ十号川方面
踏切跡より美深駅方面。この雑木林のすぐ先にペンケ十号川が流れている。


美幸線西尾川橋梁
ペンケ十号川に残る美幸線の西尾川橋梁。


辺渓駅から美深方面へ向かって約2.0km、美深町字美深に所在した東美深駅。農村地帯に単式ホームと大きめの待合所を設ける無人駅で、周辺には農家が点在する程度。乗降客はほとんどいなかったのだろう。

空中写真_名寄_CHO7712-C2A-15_1977(昭52)03
空中写真データ:国土地理院 整理番号:名寄_CHO7712-C2A-15を基に作成
昭和52年(1977)撮影、東美深駅周辺の空中写真。農村地帯に単式ホームと待合所がポツンとあるのが確認できる。


東美深駅_1985年頃01
昭和60年(1985)撮影の東美深駅。隣の辺渓駅と同じような駅構造だが、待合所は小さかったようだ。


美幸線展示室04
美幸線展示室より。東美深駅の時刻表(昭和42年10月改正)。


東美深駅跡01
美深川に架かる七渓橋。


東美深駅跡06
七渓橋より美深川下流方向。川と呼ぶには少々心もとない流れ。


東美深駅跡02
七渓橋より東美深駅跡。かつては右手奥にホームと待合所が設けられていた。


東美深駅跡03
踏切跡より東美深駅跡。痕跡を残していないが、かつてはこの辺りから奥へ向かって駅にアクセスする道があったはず。


東美深駅跡04
踏切跡より美深方面。鉄路は畑になった。


訪問日:2023年8月16日(水)
FC2ブログランキング
スポンサーサイト



テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

美深駅(宗谷本線) ~かつて美幸線の起点駅~



日本最北のセブンイレブンを有する町、美深町。上川地方の北部、天塩川中流域に町域を持ち人口約3800人、主要産業は農業・酪農・林業で、稲作については留萌地方の遠別町と共に北限地とされる。特産品はキャビアで知られるチョウザメ。平成9年(1997)チョウザメの本格的な飼育施設兼観光スポットとして”チョウザメ館”をオープン、養殖事業を拡大して今に至っている。

角川日本地名大辞典によれば、『地名はアイヌ語のピウカ(石原の意)により、これに漢字をあて美深としたという。川名は「ぴふか」と読む。かつて美深川にサケが上り、川口の石原にて盛んに突いて上げたものだ(美深町史)。「北海道蝦夷語地名解」には「立待」とあり、更科源蔵「アイヌ語地名解」には鮭を突く石川原とある。江戸期の松浦武四郎「丁巳日誌」に「ピウカ、左リ小川、鮭有」と見える。』

旭川駅から宗谷本線を北上して98.3km地点、美深市街の中心にある美深駅。美深町開運町に所在。開業は明治44年(1911)、天塩線名寄駅~恩根内駅間の延伸開業に伴いその途中駅として設けられたのがはじまり。当初の駅名の読みは”ぴうか”だったが、昭和26年(1951)になって”びふか”に改められた。同39年(1964)美幸線が開業、宗谷本線からの乗換駅となり町と共に駅も全盛期を迎える。

しかし昭和40年代から町は人口減少が始まり、モータリゼーションの到来から鉄道輸送も減少、昭和57年(1982)貨物取扱い廃止、同59年(1984)荷物取扱いが廃止され、同60年(1985)には美幸線が廃止された。同62年(1987)現駅舎となる”美深町交通ターミナル”が開業するも利用者減少に歯止めがかからず、平成28年(2016)”みどりの窓口”を廃止、現在は町が窓口業務を受託し簡易委託駅となっている。


空中写真_名寄_USA-R327-60_1948(昭23)05
空中写真データ:国土地理院 整理番号 名寄_USA-R327-6を基に作成
昭和23年(1948)撮影、美深駅周辺の空中写真。美幸線着工の9年前、美深~仁宇布間には仁宇布森林軌道(後に美深町営軌道、1962年)が通されていた時代。駅裏手にあたる東側一帯は広大な土場と木工場、山積みの木材で埋め尽くされている。駅から市街を挟んで対面に美深小学校が設けられていた。


空中写真_名寄_CHO7712-C2A-11_1977(昭52)07
空中写真データ:国土地理院 整理番号 名寄_CHO7712-C2A-11_を基に作成
昭和52年(1977)撮影、美深駅周辺の空中写真。駅舎は美深町交通ターミナルに改築される前の前駅舎。駅南側で宗谷本線から美幸線が東方向に分岐する。写真撮影年の昭和52年(1977)に移転した美深小学校が北側にあり、旧地に旧校舎がまだ残っている。


美深駅_1985年頃01
昭和60年(1985)撮影、前駅舎の美深駅。写真に写る人物は中一の私。


美深駅_1985年頃02
昭和60年(1985)撮影、駅前に設けていた美深タワー。「お買物は町内でいたしましょう」とは、時代を感じます。


美深駅02
そして現在、昭和62年(1987)に完成し開業した”美深町交通ターミナル”の現駅舎。


美深駅前01
駅舎より駅前通り。あの美深タワーは見る影も無く撤去されている。


美深駅前02
駅前旅館の一軒、しらかば荘。駅から徒歩30秒の超好アクセス。


美深駅04
駅舎内に入ってきっぷ売場。


美深駅06
やはり北の大地の入場券がありました。しかし窓口が16時半で営業終了、訪れたのが17時半頃で残念ながら入手できず。


美深駅07
駅スタンプ台。


美深駅08
きっぷ運賃表。稚内まで5830円、旭川までは2320円。


美深駅17
鉄道グッズや土産物を販売する店も営業時間外のようで。駅舎内には美幸線展示室も併設するがこちらも時間外で見学できず。再訪しよう。


美深駅09
今や簡易委託化されてしまったが、特急宗谷やサロベツが停車する宗谷本線の主要駅。


美深駅10
次の駅に”ちほく”が上貼りされているのは、令和3年(2021)に南美深駅が廃止されたため。


美深駅11
1番ホームより音威子府・稚内方面。


美深駅12
稚内方面乗車口より構内跨線橋。


美深駅15
なかなか年季の入った跨線橋である。


美深駅13
構内跨線橋より音威子府・稚内方面。


美深駅14
構内跨線橋より名寄・旭川方面。


美深駅16
駅舎構内側出入口に掲げる駅名板。また改めますと告げ、旭川へ向けて帰途に。


それから2日後の13時過ぎ…

美深駅12
再び美深駅に。


美深駅01
ちょうど13:49発の名寄行普通列車が2番ホームに到着。


美深駅02
使用車両はキハ54形の527番。


美深駅03
ディーゼル音を唸らせて発車。いかにも北海道の鉄道といった光景だ。


美深駅06
真っ昼間の駅舎内だが、静か。


美深駅13
一昨日に買いそびれた北の大地の入場券と記念切符などを購入。


美深駅05
駅舎内に設けられるBOOKS&GALLERY(村上春樹文庫)。


美深駅04
列車の待ち時間を潰すにはもってこいのくつろぎ場所。


美深駅07
売店営業中。令和3年(2021)に廃止された北星駅の”お別れ記念証”と”スタンド付き写真はがき”を購入しました。


美幸線展示室01
駅舎内の2階に設ける美幸線展示室。


美深駅08
美幸線起工当時の美深駅。


美深駅10
美幸線開通を祝う人々が線路にまで溢れ。


美深駅11
美幸線開業を祝う祝賀パレードまで催され町は大賑わい。


美幸線展示室02
展示室には多くの美幸線ゆかりの品々が保管されている。


美幸線展示室03
国鉄日本一赤字線脱出と銘打ってキャンペーンを張り、記念切符販売に花嫁募集までしていた。


美幸線展示室07
美幸線のジオラマ。仁宇布駅の先、現実には未成に終わった路線が開通、幻となる歌登駅の駅名標を置いていた。


美幸線展示室06
記事の最後に美幸線の歴史に書かれていた文章から引用したい。
『国鉄美幸線は、道北の開発と地域住民の生活路線として、熱い期待を受け、半世紀にわたって全線開通の運動を繰り広げてきた。ここに国鉄再建という時代のすう勢に勝てず、オホーツクの青い海を見ることなく廃止のやむなきに至った。わたし達はたどってきた足跡を永遠に残し、明日へ飛躍する礎としたい。』

昭和39年(1964)地域住民の期待を背負って開業した美幸線(美深~仁宇布)、それからわずか21年後の同60年(1985)に全通を実現することなく廃線。計画は夢幻となってしまった。


訪問日:2023年8月16日(水)、18日(金)
FC2ブログランキング

テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

日進駅(宗谷本線) ~地名の起源は日進月歩~




名寄駅から宗谷本線を稚内方面に向かってひと駅目の日進駅。市街北部の郊外、名寄市日進に所在。駅周辺は畑作地帯が広がるが、駅前には宿泊施設のゲストハウス日進、駅から徒歩6分程のところに”なよろサンピラーユースホテル、道道939号日進名寄線でピヤシリ川を約5Km遡れば”なよろ温泉サンピラー”や名寄ピヤシリスキー場がある。

日進の開拓は明治34年(1901)岐阜県の33戸が入植したことに始まる。開拓地にあたる西の平地部は岐阜団体とも呼ばれ、後に「日進月歩」の意味を込めて地名が付けられたという。稲作の試作が行われるなど農業を中心に発展、乳牛を中心とした有畜農業に取り組んだ。

昭和30年(1955)日進乗降場を開設、翌年に待合所を設ける。同32年(1957)名寄小学校の日進分校と東分校を統合し日進小学校が開校。同45年(1970)ピヤシリ観光道路が開通すると同48年(1973)ピヤシリスキー場が開業、同54年(1979)国体スキー競技会の会場になった。同59年(1984)日進小学校が名寄小学校に統合され廃校となる。

名寄_CHO7712-C9-24_1977(昭52)_03
空中写真データ:国土地理院 整理番号:名寄_CHO7712-C9-24を基に作成
昭和52年(1977)撮影、日進駅周辺の空中写真。今と変わらぬ場所に単式ホームと待合所が確認できる。


日進駅01
8線踏切の横に設けられる日進駅。


日進駅02
昭和31年(1956)に設置された待合所。


日進駅03
待合所に掲げる駅名板。真ん中のマークは名寄市の旧市章。


日進駅04
窓ガラスには飛散防止のテープ。日常的に風が強いのか、台風対策の名残りのなのか。


日進駅08
待合室に入って正面にはたくさんの掲示物。


日進駅06
待合室に入って左面。


日進駅07
右面には除雪道具が並ぶ。


日進駅09
室内からホームにかけて砂利が敷かれている。


日進駅10
きっぷ運賃表と発車時刻表。


日進駅11
1日に音威子府・幌延・稚内方面4本、名寄・旭川方面5本の列車が発着。


日進駅12
壁面最上部から吊り下げる駅ノート。


日進駅13
板切れホーム研究会が研究生を募集していた。


日進駅21
手書きの日進駅周辺マップ。ゲストハウス日進は”韓国カフェNiSShin”と書かれている。


日進駅14
待合所からホームへ続く砂利道。


日進駅18
ホームより待合所。


日進駅15
真新しい駅名標。


日進駅16
音威子府・幌延・稚内方面。


日進駅17
名寄・旭川方面。


ゲストハウス日進
ホームよりゲストハウス日進。


日進駅付近01
駅前には”ファームレストランORTO”という洒落た店も。定休日の看板を立てているが、どうも廃業したらしい。


日進遺跡群
日進と智東を繋ぐ道から道北射撃場への道が分かれる所に日進遺跡群の解説板がある。ピヤシリ川河口北側の丘陵から南側の”なよろ健康の森”や”サンピラーパーク”にかけて30ヶ所以上の遺跡が分布しており、発掘調査では約1万年前から千年前までの土器や石器が出土しているという。

ここで1万年前の人がどんな暮らしをしていたのだろう。太古の昔に思いを馳せながら…。


訪問日:2023年8月18日(金)
FC2ブログランキング

テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

カレンダー
11 | 2023/12 | 01
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
最近の記事
カテゴリー
最近のコメント
データ取得中...
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

お気に入りブログ
ブログ内検索
QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター