fc2ブログ

智東駅跡・北星駅跡(宗谷本線) ~2023夏~



名寄市内の北部、宗谷本線に設けられていた智東駅と北星駅。現在はどちらも廃止され跡形もなく撤去されているが、せめて跡地を訪ね往時の様子を偲んでみようと思う。


名寄駅から音威子府・稚内方面へ8.7Km行ったところに設けられていた智東駅。名寄市智恵文智東に所在。開業は大正13年(1924)、地元住民の請願により駅員配置の一般駅として新設された。昭和37(1962)貨物取扱い廃止、同49年(1974)荷物取扱いが廃止され、同59年(1984)旅客扱いが廃止され無人駅に。同61年(1986)木造駅舎が廃止となって貨車駅舎に置き代わり、翌年(1987)には冬期の全列車が通過する臨時駅に格下げになった。平成18年(2006)3月、廃駅。

名寄_USA-R265-No2-165_1948(昭23)_06
空中写真データ:国土地理院 整理番号 名寄_USA-R265-No2-165を基に作成
昭和23年(1948)撮影、智東駅周辺の空中写真。当時は晩年の貨車駅舎とは反対の線路北東側(稚内へ向かって線路右側)に駅舎があった。現況からは想像しがたいほどに駅周辺には木材の土場や建物が確認でき賑わっていた様子を伺う。


名寄_CHO7712-C7-24_1977(昭52)_03
空中写真データ:国土地理院 整理番号 名寄_CHO7712-C7-24を基に作成
昭和52年(1977)撮影、智東駅周辺の空中写真。29年前の空中写真と同じ場所に駅舎があり、千鳥式に配された相対式ホーム2面2線を持つ駅構造。この当時は駅員を配置する有人駅なのだが、土場からは木材が消え駅周辺にあった建物は随分と減っている。昭和51年(1976)に最後まで残っていた農家2世帯が離れたことで無住地帯となり、利用客がほとんどいない状況だった。


名寄_HO861X-C4-13_1986(昭61)_03
空中写真データ:国土地理院 整理番号 名寄_HO861X-C4-13を基に作成
昭和61年(1986)撮影、智東駅周辺の空中写真。解体前の木造駅舎と新設の貨車駅舎が確認できる。


Chitō_Station
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「智東駅」より引用

平成16年(2004)6月撮影の智東駅。昭和61年(1986)有人駅時代の木造駅舎が廃止となり、線路を挟んで反対側(稚内へ向かって線路左側)に貨車駅舎が新設された。ウィキペディアによれば平成18年(2006)の廃駅後にこの貨車駅舎はトロッコ王国美深に移設し再利用されたという。


智東駅跡05
駅前通り。奥が駅跡で周辺に建物はない。


智東駅跡前01
日進方面へ向かう道。


智東駅跡前02
智恵文方面へ向かう道。


智東駅跡01
駅前通りより駅跡。


智東駅跡02
駅跡に立ち入りはできない。


智東駅跡03
かつてはこの広場の右手に貨車駅舎、正面線路向こうに有人駅時代の木造駅舎が設けられていた。


智東駅跡04
駅跡より駅前通り。


智東駅から音威子府・稚内方面へ4.4Km、隣にあったのが北星駅。名寄市智恵文北星に所在。昭和31年(1956)に仮乗降場として設置されたのがはじまり。同34年(1959)駅に昇格。待合所外壁に掲げる「毛織の北紡」の看板が印象的だった。JR北海道が公表した駅別乗車人員(H28~R2の5年平均)によれば北星駅の乗車人員はわずか1.2人。令和3年(2021)3月、廃駅。

名寄_CHO7712-C5-20_1977(昭52)_03
空中写真データ:国土地理院 整理番号 名寄_CHO7712-C5-20を基に作成
昭和52年(1977)撮影、北星駅周辺の空中写真。単式ホームから少し離れた北側に待合所を設けていた。


名寄_HO861X-C3-12_1986(昭61)_03
空中写真データ:国土地理院 整理番号 名寄_HO861X-C3-12を基に作成
昭和61年(1986)撮影、北星駅周辺の空中写真。11年前と変わらぬ様子。



Googleマップ ストリートビューより。2014年8月に撮影された北星駅。


ありがとう北星駅
”北星駅お別れ記念証 北星→日進”の裏面にある写真。

さようなら北星駅
”北星駅お別れ記念証 北星→智恵文”の裏面にある写真。

さようならありがとう北星駅
”さようならありがとう北星駅”の絵葉書にある写真。
これらの記念証や絵葉書は美深駅の売店で購入できます。


北国博物館12
北国博物館(名寄市)に保存展示される駅名標ときっぷ運賃表。


北星駅跡01
駅前通り。奥が北星駅跡。


北星駅跡前01
智東方面へ向かう道。


北星駅跡前04
智恵文方面へ向かう道。


北星駅跡02
駅前通りは野道と化し、左側にあったはずの待合所は跡形もない。


北星駅跡前02
待合所跡より北星八幡神社方面を望む。かつて待合所の前は畑だったはず。


北星駅跡前03
待合所跡より駅前通り。


北星駅跡03
待合所跡よりホーム。連絡路は藪に覆われ消失している。


訪問日:2023年8月18日(金)
FC2ブログランキング
スポンサーサイト



テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

智恵文駅(宗谷本線) ~2023夏~




名寄市の最北部に位置する智恵文。地名の由来はアイヌ語にあり、角川日本地名大辞典「智恵文」によれば、『地名は、アイヌ語のチェプウントー(北海道の地名)、またはチェウシュトー(北海道蝦夷語地名解)に由来し、「魚が入る沼」を意味するという。松浦武四郎「丁巳日誌」に「チエブント、右小川」と見える。』

智恵文駅の開業は明治44年(1911)、天塩線名寄駅~恩根内駅間の延伸開通に伴いその途中の一般駅として設けられたのがはじまり。林業で全盛を迎えた昭和30年代には年間で約7万人の乗車人員を数えたが、昭和40年代から過疎化とモータリゼーションの進行から利用客や鉄道輸送が減少、昭和57年(1982)貨物取扱い廃止、同59年(1984)荷物取扱いと共に旅客業務が廃止され無人駅に。昭和61年(1986)有人駅時代の木造駅舎が廃止となり貨車駅舎に置き代わった。JR北海道の調査によれば1日平均の乗車人員(H30~R4の5年平均)は3.4人。

名寄_USA-R265-No2-161_1948(昭23)_04
空中写真データ:国土地理院 整理番号 名寄_USA-R265-No2-161を基に作成
昭和23年(1948)撮影、智恵文駅周辺の空中写真。駅西側に市街を形成、駅南側の線路両脇に設ける土場には木材が山積みになっている様子で、賑わっていた往時を伺う。

名寄_CHO7712-C4B-6_1977(昭52)_03
空中写真データ:国土地理院 整理番号 名寄_CHO7712-C4B-6を基に作成
昭和52年(1977)撮影、智恵文駅周辺の空中写真。有人駅時代、木造駅舎が確認できる。千鳥式に配された相対式ホーム2面2線を持つ駅構造。29年前に比べ市街の規模は大きく変わっていないが、駅南側に広がっていた土場はかなり縮小している。


智恵文駅_1980年代前半
1980年代前半に撮影した有人駅時代の智恵文駅。改札の様子。


智恵文駅前通り02
駅前通り、八幡神社前より智恵文駅。


智恵文八幡神社01
立派な鳥居に小ぶりな社殿の八幡神社。


農作業管理休養施設
八幡神社の対面にある農作業管理休養施設。


智恵文駅02
駅の真ん前にあるこの民家は商店を営んでいたのだろう。


智恵文駅前通り04
こちらの建物は一見、昔は駅前旅館を営んでいたのかなと思わせたが…。


智恵文駅29
別角度で改めて見ると旅館でもないのかなあ。智恵文の歴史的建造物と言えそうな建物の正体はいったい…何?


智恵文駅前通り03
駅前広場より駅前通り。かつては建物が軒を連ねていたはず。店もあったと思うが今はない。


智恵文駅前01
駅前にある農業倉庫。


智恵文駅前02
駅前広場。


智恵文駅01
これが現在の智恵文駅、昭和61年(1986)に置き換えられた貨車駅舎。


智恵文駅04
高級感を漂わせる装い。


智恵文駅05
当初の外装は”ひまわり”を描いたものだったが、2006年頃に改装され現仕様になったという。


智恵文駅06
駅舎ホーム側。


智恵文駅07
駅舎と農業倉庫。


智恵文駅08
駅舎と駅前通り。


智恵文駅11
駅名標に”にっしん”が上貼りされているのは、一昨年(2021)に北星駅が廃止されたため。


智恵文駅10
ホームより名寄・旭川方面。


智恵文駅12
ホームより音威子府・稚内方面。


智恵文駅13
貨車駅舎から駅名標にかけて前駅舎の基礎が残っていた。


智恵文駅14
ここが前駅舎の出入口と思われ、貨車駅舎が建っているところが待合室だったのだろう。


智恵文駅16
出入口より駅舎内。


智恵文駅21
何となく他の貨車駅舎に比べ落ち着いた雰囲気。


智恵文駅22
冷暖房設備が無いので北国といえど暑い。冬は極寒なのだろうな。


智恵文駅17
駅ノート、あります。


智恵文駅18
きっぷ運賃表と発車時刻表。


智恵文駅19
1日に音威子府・幌延・稚内方面4本、名寄・旭川方面5本の列車が発着。


智恵文駅20
きっぷ運賃表。


智恵文駅24
駅舎内奥の扉を開ければ物置とトイレ。


智恵文駅25
片隅にあるこのボックスは例のあれだね。そう、レインビュータ。


智恵文駅26
駅舎より駅前。


智恵文駅27
駅名標裏手に設置されていた雨量の測定器。これがレインビュータに繋がっているのだろう。


智恵文駅28
正式名称は”転倒ます型雨量計の感部”。


訪問日:2023年8月18日(金)
FC2ブログランキング

テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

智北駅(宗谷本線) ~2023夏~




智恵文駅から音威子府・稚内方面へ2.1Km、天塩川とペンケニウプ川に挟まれた畑作地帯にある智北駅。名寄市字智恵文智北に所在、地名の由来は智恵文の北側にあることによる。開業は昭和34年(1959)、仮乗降場として設けられたのがはじまり。昭和62年(1987)旅客駅に昇格、平成3年(1991)智恵文駅寄りに120m移転した。令和3年(2021)4月地元自治体(名寄市)による維持管理に移行。JR北海道の調査によれば1日平均の乗車人員(H30~R4の5年平均)は1.8人。

名寄_CHO7712-C4B-4_1977(昭52)_03
空中写真データ:国土地理院 整理番号 名寄_CHO7712-C4B-4を基に作成
昭和52年(1977)撮影、智北駅周辺の空中写真。左が音威子府・稚内方面、右が智恵文方面。単式ホームと待合所を設けるだけの仮乗降場だった時代。現在は駅へアクセスしていた道が付け替えられ、智恵文駅寄りに120m移転している。


智恵文沼
智恵文駅から智北駅へ向かう途中、智恵文沼に立ち寄り。この沼は天塩川旧河道に残された三日月湖。ヒブナがよく釣れる名所なのだとか。


智北駅01
第3美深名寄線踏切の右側、線路手前に智北駅がある。


智北駅02
単式ホーム上に待合所を設ける駅構造。


智北駅03
ホームへアクセスする階段。


智北駅04
移転から30年以上が経ち待合所は劣化気味。


智北駅05
隣の東美深駅が2021年に廃止された後に作り替えられたようで真新しい。


智北駅06
ホームより名寄・旭川方面。


智北駅07
稚内方面乗車口より稚内方面。


智北駅08
稚内方面乗車口より名寄・旭川方面。


智北駅10
木製ベンチを設置する待合所内。


智北駅12
きっぷ運賃表。


智北駅14
1日に上り下りとも4本の列車が発着。


智北駅11
駅ノート、もちろんあります。


智北駅13
待合所出入口。


智北駅15
出入口を別角度から。


智北駅16
待合所はコマツ製のプレハブハウス。


智北駅17
ホームより駅前。


智北駅18
ホームより駅前。駅周辺には特に何もない。


旧智北駅跡03
ここが平成3年(1991)まで智北駅があったところ。踏切や駅跡は藪に覆われ消失している。かつては写真中央の藪辺りに踏切があり、その右手奥に待合所とホームが見えていたはず。


旧智北駅跡02
旧智北駅へアクセスしていた旧道。路盤を残している。


訪問日:2023年8月18日(金)
FC2ブログランキング

テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

南美深駅跡(宗谷本線) ~2023夏~




智北駅を訪ねて次の美深駅に向かおとしていたところ、そういえば一昨年(2021)に廃止された南美深駅が途中にあったなと気づき、せっかくだし時間もあるので立ち寄ってみることに。

南美深駅の開業は智北駅より3年早い昭和31年(1956)、仮乗降場として設けられたのがはじまり。同34年(1959)旅客駅に昇格。平成28年(2016)利用者減少からJR北海道が廃止の意向を伝えた。JR北海道の調査によれば1日平均の乗車人員(H28~R2の5年平均)は0.8人、ほとんど乗車客がいない状況だった。廃止に反対した美深町や周辺自治体は存続を諦め、令和3年(2021)3月廃止された。

名寄_CHO7712-C4B-2_1977(昭52)_02
空中写真データ:国土地理院 整理番号 名寄_CHO7712-C4B-2を基に作成
昭和52年(1977)撮影、南美深駅周辺の空中写真。上が美深・稚内方面、右下が名寄方面。単式ホームは確認できるが、何ゆえか待合所が見えない。

名寄_HO861X-C2-8_1986(昭61)_03
空中写真データ:国土地理院 整理番号 名寄_HO861X-C2-8を基に作成
昭和61年(1986)撮影、南美深駅周辺の空中写真。上の空中写真が撮影されてから9年後。単式ホームと待合所が確認できる。


JR_Soya-Main-Line_Minami-Bifuka_Station_Overall.jpg
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「南美深駅」より引用
平成29年(2017)撮影、南美深駅のホーム。


JR_Soya-Main-Line_Minami-Bifuka_Station_Waiting_room.jpg
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「南美深駅」より引用
平成29年(2017)撮影、南美深駅の待合所。



Googleマップのストリートビューより。2014年8月に撮影された南美深駅。


3線踏切01
南美深駅跡横にある3線踏切。左手線路向こうが駅跡。


南美深駅跡01
ホームは跡形もなく撤去され新しいバラストを敷いていた。


南美深駅跡02
ここからホームへアクセスしていた。


泉川橋梁02
3線踏切の横にある小さな橋梁。レンガ造りの橋台は一部コンクリで補修しているが、明治末期の敷設時のものかもしれない。


泉川橋梁01
橋梁名は”泉川橋りょう”。


訪問日:2023年8月18日(金)
FC2ブログランキング

テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

初野駅(宗谷本線) ~2023夏~




美深駅から一駅目、稚内・音威子府方面へ3.6Kmのところに初野駅がある。中川郡美深町字富岡に所在。駅名の由来は「北海道駅名の起源」(昭和48年、国鉄北海道総局発行)によれば『部落名をそのまま駅名としたが、その由来については定かではない』

駅名の由来のヒントがないかと角川日本地名大辞典「富岡」を読んでみる。『地元の話では地名は当地が黄金波打つ米作地帯のため、富める丘ということで名付けられたという。明治34年頃に入地が始まり、岡部農場などができた。 〔中略〕 世帯数人口は昭和25年65・438、同35年68・411、同45年48・263、同55年34・137。昭和23年国鉄宗谷本線初野乗降場が設置、同34年初野駅となる。』
フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)「初野駅」には『設置に当たって地元で「初野乗降場設置促進期成会」を結成しており、当初からこの仮乗降場名が予定されていたと考えられる』と記述するが、富岡と初野を結びつけるものは何もなく、駅名の由来は謎のままである…。

初野駅の開業は昭和23年(1948)、仮乗降場として開設したのがはじまり。同34年(1959)駅に昇格。平成8年(1996)現在の待合所が設けられた。JR北海道の調査によれば1日平均の乗車人員(H30~R4の5年平均)は1人。ほとんど乗車客がいない状況にあり、令和3年(2021)JR北海道から美深町へ廃止の打診。今年(2023)7月、駅周辺の吉野・斑渓・富岡の自治会が廃止を容認した。

恩根内_CHO7710-C9C-2_1977(昭52)_03
空中写真データ:国土地理院 整理番号 名寄_CHO7712-C4B-2を基に作成
昭和52年(1977)撮影、初野駅周辺の空中写真。上が音威子府・稚内方面、下が美深・名寄方面。単式ホームは確認できるが、現在ある待合所の場所には何も無い。当初は待合所が無かったのか、それともホームから道路対面に見える建物が待合所だったのか…。これも初野駅の謎である。


14線踏切
初野駅横にある14線踏切。


初野駅02
14線踏切より初野駅。


初野駅03
バックから初野駅。


初野駅04
プレハブハウスの待合所。


初野駅05
出入口扉を開けて待合所内。


初野駅06
ベンチ中央に置かれていた駅ノート。


初野駅08
1日に上り下りとも4本の列車が発着。


初野駅09
きっぷ運賃表。


初野駅10
待合所内。


初野駅11
待合所内。


初野駅12
窓越しに14線踏切を眺め。


初野駅13
窓越しにホームを眺める。


初野駅14
ホームより名寄・旭川方面。


初野駅18
ホームより待合所。


初野駅15
隣の紋穂内駅が2021年に廃止された後に作り替えられたようで真新しい。


初野駅17
ホームより音威子府・稚内方面。


初野駅19
14:51に美深駅を発車した特急サロベツ1号(稚内行)が現れ。


初野駅20
何事もなく通過。


訪問日:2023年8月18日(金)
FC2ブログランキング

テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

紋穂内駅跡(宗谷本線) ~2023夏~




初野駅から稚内方面へ3.1Kmの次にあったのが紋穂内(もんぽない)駅。中川郡美深町字紋穂内に所在、地名から駅名が付けられた。角川日本地名大辞典「紋穂内」によれば『地名の由来はアイヌ語のオヌポナイ(川尻に原野のある川の意)によるという。モオヌポナイがモンポナイとなり、開拓当初からの通称地名だった。駅名・字名などは漢字をあてた(美深町史・北海道駅名の起源)。』

紋穂内駅は明治44年(1911)天塩線名寄駅~恩根内駅間延伸開通に伴い途中の一般駅として開業。他の北海道ローカル駅同様、過疎化とモータリゼーションから貨物輸送と利用者が減少し、昭和52年(1977)貨物取扱い廃止、同59年(1984)2月に荷物取扱いが廃止されて9ヶ月後に駅員が無配置となり無人駅に。同60年(1985)駅舎が貨車駅舎に置き換わった。JR北海道の調査によれば1日平均の乗車人員(H28~R2の5年平均)はわずか1.4人。令和3年(2021)3月、廃止された。

恩根内_USA-M546-A-141_1947(昭22)_03
空中写真データ:国土地理院 整理番号 恩根内_USA-M546-A-141を基に作成
昭和22年(1947)撮影、紋穂内駅周辺の空中写真。駅前に小ぢんまりと市街、駅裏手には木材置き場らしき土場。対岸の西里へはまだ橋が架けられておらず渡船を利用。西里に厚生小学校があり増水時には渡河できないことから、昭和6~38年まで臨時教育所が設けられていた。

恩根内_CHO7710-C7-24-1977(昭52)_03
空中写真データ:国土地理院 整理番号 恩根内_CHO7710-C7-24を基に作成
昭和52年(1977)撮影、紋穂内駅周辺の空中写真。30年前の空中写真と見比べると駅前の建物は随分と少なくなり、駅裏手の土場は消失している。千鳥式に配された2面2線のホームを有し、青屋根の木造駅舎が確認できる。紋穂内地区と天塩川対岸の西里地区を繋ぐ紋穂内橋(1963年完成)が架けられ、渡船場へアクセスしていた河原の道は無くなっている。


紋穂内駅_1985年頃
1985年頃撮影の紋穂内駅。貨車駅舎に置き換えられたばかりの国鉄時代。



Googleマップのストリートビューより。2020年7月に撮影された紋穂内駅。



Googleマップのストリートビューより。2020年7月に撮影された駅舎内。



Googleマップのストリートビューより。2020年7月に撮影された駅構内。


紋穂内駅近く01
紋穂内橋東詰より道道445号(紋穂内停車場線)を駅方面。


紋穂内駅近く02
廃止されて2年以上が経つが道路案内標識に紋穂内駅の名を残している。


紋穂内駅跡01
紋穂内駅跡。


紋穂内駅跡02
駅舎は跡形も無く。


紋穂内駅跡03
ホームも撤去され新しいバラストが敷かれていた。


紋穂内駅跡前02
駅跡前。


紋穂内駅跡前03
駅前北側の空き地は何もないが資材集積場所になっていた。


紋穂内駅跡前04
路盤の修繕作業が行われているようだ。


紋穂内駅跡前05
天塩川土手より紋穂内駅前を望み。かつて駅前には多くの建物があり商店もあったのだろうが、今や駅すら消え失せた。


訪問日:2023年8月18日(金)
FC2ブログランキング

テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

狩勝ポッポの道 ~ちゃりんこで急行まりも号の事件現場へ~




狩勝ポッポの道全体案内図02

そろそろ冬支度がはじまる10月初旬の北海道、雪が降る前に根室本線の新得駅~富良野駅間に乗車しておこうと羽田からANA4767に搭乗し”とかち帯広空港”へ飛ぶ。空港からバスに揺られること約40分、19時半頃帯広駅バスターミナルに着く。帯広といえば豚丼だろうと街をぶらぶらしながら見つけた”ぶた八”で晩飯を済ませ、駅前にある”ふく井ホテル”にチェックイン。翌日帯広駅8:03発特急おおぞら2号に乗車、8:34新得駅着で下車した。

東鹿越駅行き代行バスの発車まで5時間あるので、事前に計画していた通り新得駅のレンタサイクルを利用して”狩勝ポッポの道”を旧新内駅まで走ってみることに。”狩勝ポッポの道”は狩勝峠越えの根室本線旧線(新得~新内)跡を整備した散策路。
昭和41年(1966)落合駅~新得駅間が新狩勝信号場経由となる現ルートの新線に切り替わったことで廃線となり、新内駅~新得駅間11kmを脱線事故などを研究する実験線として再利用、昭和54年(1979)実験線が廃線となり、平成17年(2005)跡地が散策路に整備された。以前の記事「狩勝信号場跡・新内駅跡(根室本線) ~狩勝峠越え旧線~」に書いているのでご参照を。


ぶた八01
帯広駅に着いて宿泊先の”ふく井ホテル”へ行く前に豚丼を食べようと探していたら見つけた店。炭焼き豚丼の”ぶた八”。


ぶた八02
何を注文しようかなあ。ビールをチビチビやりながら。


ぶた八03
ぶた丼の二郎。素晴らしいボリューム感、見ての通りの美味しさ。写真を見ただけで味が思い出され涎が出てきます。


帯広駅01
そして翌朝、8時前に帯広駅へ。


帯広駅前01
振り返って駅前、建物最上部に天然温泉の看板を掲げているのが宿泊した”ふく井ホテル”。大変良い天然温泉の大浴場を満喫できました。帯広に来た際にはまた利用したい。


帯広駅02
発車の時間まであと8分。少々急がないと。


帯広駅03
切符を買って4番のりばに。


帯広駅04
定刻通りの8:01、特急おおぞら2号(札幌行)が到着。停車時間はわずか2分。


特急おおぞら車内
車内にて切符を確認。


新得駅01
定刻通りの8:34新得駅着。


新得駅02
停車時間はわずか1分。そそくさと写真を撮り。


新得駅03
列車は次のトマム駅へ向けて発車。


新得駅04
色褪せた駅名標。


新得駅05
3番のりばで発車を待つ9:25発帯広行。


新得駅06
駅構内改札口。


新得駅07
駅舎内改札口。


新得駅08
駅舎内の売店(ステラステーション)で自転車を借りる手続きをし。


JR代行バスのりば01
乗車予定の東鹿越駅行きのJR代行バスは13:57発。発車まで5時間近くあるので自転車で旧新内駅へ行って帰って来るには充分時間がありそう。


新得駅09
新得駅を離れて自転車置き場に向かう。


新得駅10
駅前広場は工事の真っ只中。


しんクル駐輪場
借りたのは熊除け鈴が付いたマウンテンバイクの11号車。


ペンケシントク川の橋梁(新内第3号橋梁)
少しでも移動時間を短縮するため、まずは走りやすい国道38号を使って狩勝峠方面へ。その途中、福神橋よりペンケシントク川に架かる新内第3号橋梁を望む。


新内第3号橋梁
ガーダ鉄橋を支える橋台がレンガ造り。


そばの里01
新得そばの館から狩勝ポッポの道へ入ることに。写真は”そばの里”よりSL広場方面、ここからSL広場まで3.7kmの道は帰りに走ろう。


無線鉄塔01
”そばの里”より狩勝峠方面へ約1.4km、右手に無線鉄塔の案内板がある。


無線鉄塔03
案内板の裏手に無線鉄塔が聳え立つ。


無線鉄塔02
この無線鉄塔は実験線で無人列車を無線操縦するために作られた。


小笹川橋梁(新内第2号橋梁)01
”そばの里”より狩勝峠方面へ約2.5km、小笹川橋梁(新内第2号橋梁)。自転車の場所が橋梁上。


小笹川橋梁03
小笹川橋梁は明治38年(1905)に建設された煉瓦造りアーチ橋。下を流れる川は下新内川。


小笹川橋梁02
小笹川橋梁付近から狩勝峠に向かう25パーミル(1000m進むうちに25m上る)の急勾配がはじまる。


バッタ塚01
小笹川橋梁より狩勝峠方面へ0.2km、バッタ塚の案内板。


バッタ塚02
バッタ塚は明治13年(1880)~18年(1885)に北海道各地で異常発生したトノサマバッタの死骸を埋めたためにできたと言われる。新内の約5へクタールの地域に7~20m間隔で70数カ所点在しているというが、ここではバッタ塚らしきものは確認できなかった。


急行まりも号事件現場05
バッタ塚より狩勝峠方面へ1.8km、まりも橋(新内第1号橋梁)。ここが昭和26年(1951)5月17日に起こった”まりも号脱線事件”の事件現場。何者かがレールの継ぎ目板を切断してレールをずらしたことで、人為的に急行列車を脱線させた。当時は国鉄労組が狩勝隧道における労働環境の改善を要求したことに端を発し、大規模な労働争議に発展した時代背景もあり、警察は国鉄や国鉄労組関係者約600名を対象に捜査したが、犯人の特定に至らず動機も解明されないまま未解決事件となっている。


急行まりも号事件現場03
新得町教育委員会設置の案内板。


急行まりも号事件現場04
まりも橋の名所案内。


急行まりも号事件現場06
まりも橋よりSL広場方面。犯人はここで何を目的に列車転覆を図ったのだろうか。
72年前に思いを馳せて。


訪問日:2023年10月7日(土)
FC2ブログランキング

テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

狩勝ポッポの道 ~ちゃりんこで旧新内駅へ~




狩勝ポッポの道全体案内図02

まりも橋から”狩勝ポッポの道”のゴールである旧新内駅を目指して自転車旅を続けよう。25パーミル(1000m進むうちに25m上る)という坂道は列車にとっては急勾配かもしれないが、高校時代に自転車部だった私にとっては立ち漕ぎしつつ上っていけるぐらい。しかしそれは30年以上も前の話、太腿に負担がかかり著しい筋肉疲労、尻も痛くなってなかなかキツかった。道中、ヒグマが出やしないかと冷や冷やしながら何とか旧新内駅にたどり着いた。


急行まりも号事件現場02
まりも橋から1.8km先の新内駅に向けてペダルを漕ごう。


狩勝ぽっぽの道03
旧新内駅へ向かっている途中、道の真ん中に大型動物と思える糞!少々危機感を覚える。


狩勝ぽっぽの道04
糞の近くに蹄鉄らしき足跡があり、ヒグマの糞ではなく馬糞のようだ。狩勝ぽっぽの道は乗馬コースにもなっているので、馬糞があっても不思議ではない。


狩勝ぽっぽの道01
右手の斜面に信号信号機。そろそろゴールが近そうだ。


狩勝ぽっぽの道ゴール02
SL広場から9.95km地点、旧新内駅のゴールに到着。


峠のテラス01
ゴール地点にある”農家Cafe 峠のテラス”。


峠のテラス02
そばシフォンとコーヒーを頂きしばし休憩。峠の茶屋ともいうべき場所、人力で来た旅人にとっては本当にありがたい。店の方によれば今シーズンの営業は10月末までとのこと。


新内駅跡01
前回訪問から約2ヶ月ぶりに訪れた旧新内駅。以前の記事「狩勝信号場跡・新内駅跡(根室本線) ~狩勝峠越え旧線~」に書いているので興味がある方はご参照を。


新内駅跡07
新内駅名の所案内と駅名標。次は新内隧道だが何キロメートルあるのか読み取れない。今回はここで引き返すが、はてさて自転車で新内隧道まで行くことは可能なのだろうか。


新内駅跡09
旧新内駅構内にある狩勝高原エコトロッコ鉄道。今日も営業中です。


新内駅跡02
寒空の下で乗客を待つトロッコ。


新内駅跡08
右の建物はSLホテル時代に使われていた管理事務所。ホームと線路が現存しており、9600形蒸気機関車(通称:キューロク、クンロク)とブルートレイン客車3両を静態保存している。


新内駅跡03
駅前より旧新内駅。かつては旧管理事務所の場所に木造駅舎が設けられていた。


新内駅跡04
駅舎跡前より新得方面。


新内駅跡05
駅舎跡前より狩勝峠・落合方面。


新内駅跡前01
駅舎跡前より駅前通り。かつてはこの奥に新内市街が形成されていたが、今は自然に還ってしまった感が否めない。かつての新内市街の地図が「狩勝高原エコトロッコ鉄道「鉄道歴史研究 - 根室本線旧線 新内駅 -」に紹介されている。


新内駅跡06
駅前通りより旧新内駅。


狩勝ぽっぽの道ゴール01
さて、そろそろ戻らないと。自転車で上ってきた狩勝ポッポの道を下ろう。


そばの里02
ポッポの道の下り坂を駆けて”新得そばの館”まで戻ってきた。腕時計を見ればもう12時半、残された時間は約1時間半。


そばの里04
昼どきだけに駐車場には多くの車が停まていた。


新内第3号橋梁
新内第3号橋梁を渡り。


SL広場02
スタート地点のSL広場に到着。


SL広場03
無事に旅をさせてくれた11号車、ありがとう。


SL広場04
SL広場から新得方面の線路跡は消失している。なので道路を走って新得駅へ。


新得駅13
無事新得駅へ戻ってきました。


しんクル駐輪場02
自転車置き場に我が愛車のマウンテンバイク11号を戻して。


新得駅そば屋01
駅舎内のそば屋で遅めの昼飯に。東鹿越駅行き代行バスの発車まで30分以上ある、立ち食いソバなら余裕で間に合うだろう。


新得駅そば屋03
何にしようかなあ…、少し悩んで。


新得駅そば屋04
天ぷらそば。シンプルだけに秀逸な新得そばを堪能できて美味かったー。


新得駅12
さて、そろそろバス乗り場へ向かおう。


訪問日:2023年10月7日(土)
FC2ブログランキング

テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

根室本線(富良野~新得) ~廃止まであと178日~




令和6年(2024)3月31日の運行をもって廃止される根室本線(富良野~新得間、81.7km)。平成28年(2016)8月に発生した台風10号の被害後、東鹿越駅~新得駅間だけは復旧されることなく代行バス運行となり、再び列車が走ることなく廃止という運命を待つことに。残された時間はあと178日。

根室線列車及び代行バス(東鹿越駅~新得駅間)時刻表_20220312~
根室線列車及び代行バス(東鹿越駅~新得駅間)時刻表。2022年3月12日から。


新得駅バス乗り場01
新得駅バス乗り場へ。数名の方が乗車待ち。


新得駅バス乗り場03
東鹿越駅行きの代行バスが到着。


新得駅バス乗り場04
私もこれに乗って東鹿越駅へ向かいます。


新得駅バス乗り場05
代行バスと新得駅。この光景を見るのも私にとってはこれが最後かも。


新得駅バス乗り場06
バスに乗り込み座席を確保。結構混むのかと思っていたが意外に空いていた。


落合駅01
新得駅を出発してサホロリゾートを経由し約40分で落合駅着。


幾寅駅01
落合駅を発車して約10分で幾寅駅着。


東鹿越駅01
幾寅駅を出発して8分、定刻通りの15:04東鹿越駅に着き下車。


東鹿越駅03
東鹿越代行バスからの乗換客を待つ15:12発滝川行。


東鹿越駅02
代行バスは15:13発新得駅行となって折り返す。


東鹿越駅05
代行バスと札幌観光のバスが乗り付け、しばしの賑わいをみせた東鹿越駅。


東鹿越駅06
そろそろ滝川行が発車の時間、駅舎内を通り抜けて列車へ向かう。


東鹿越駅07
写真を撮っているうちに乗車待ちの列が延びていた。


東鹿越駅08
平成28年(2016)8月の台風被害後に意図せずして終着駅となった東鹿越駅。それから7年が経ち、それらしい佇まいを見せている。


東鹿越駅09
幾寅・新得方面。線路は続くが草生して。


東鹿越駅10
駅名標に書かれた次駅の”いくとら”を見て、列車で行ってみたかった…と、つくづく思う。


東鹿越駅11
東鹿越駅よ、さらば。次は年末年始に来るよ!


金山駅01
東鹿越駅を発車して約10分、金山駅着。


下金山駅01
金山駅を発車して7分後の15:30下金山駅着。停車時間はわずか、あっという間に発車。


山部駅01
15:38山部駅発車。


布部駅01
15:45布部駅発車。


富良野駅01
定刻通りの15:51富良野駅着。


富良野駅02
停車時間はわずか1分。そそくさと写真を撮り。


富良野駅03
富良野は北海道のへそ。ホームに北海道経緯度中央標点を置く。


富良野駅04
2・3番線のホーム階段を上り。


富良野駅06
次の東鹿越方面の列車は16:48発。


富良野駅05
私が次に乗る列車は5番線から発車する16:56発旭川行。約1時間の待ち時間があるので途中下車しよう。


富良野駅07
富良野駅構内側改札口。


富良野駅08
駅舎内待合室にある”駅の立喰 圭子ちゃんの店”。


駅の立喰 圭子ちゃんの店
山菜そばを頂きました。わたくし、蕎麦の具はニシンと山菜に舞茸天が好きらしい。


富良野駅09
半年後に駅名標から”ぬのべ”の文字は消える。


富良野駅10
夕暮れ時、10月の北海道は寒い。


富良野駅11
16:56発旭川行の発車まで10分ちょい。そろそろ改札を通ろう。


富良野駅12
3番線に待機する16:48発東鹿越行。


富良野駅13
5番線のりばで発車を待つ16:56発旭川行。北海道らしい塗装を施したH100形のラッピング車。


富良野駅15
ラッピング車の側面には富良野線に相応しいラベンダーや美瑛の丘が描かれている。


富良野駅17
そうこうしているうちに3番線のりばの16:48発東鹿越行が発車時間。


富良野駅19
次の布部駅へ向けて。半年後にここから先の線路が無くなるなんて今は想像できない。


富良野駅20
先頭車両は標準塗装のH100形、最近よく見かける車両です。そろそろ旭川行も発車の時間。これに乗って旭川へ帰ります。


旭川駅01
すっかり日が暮れた18:19、定刻通りに旭川駅着。


旭川駅02
富良野から乗ってきた列車は折り返して18:39発富良野行に。


旭川駅03
この切符ともここでお別れ。おわり。


訪問日:2023年10月7日(土)
FC2ブログランキング

テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

清川口駅(道南いさりび鉄道) ~2023年末~



2023年12月28日、年末年始に旭川へ帰省するべく東京駅9:36発の新幹線はやぶさ13号に乗車、何のトラブルも無く約4時間後に終着の函館北斗駅で下車した。特急で札幌方面へ向かえば当日中に旭川まで辿りつけるのだが、それじゃあ旅は面白くない。ここまで来たならハセストの”やきとり弁当”を食べ、湯の川温泉”ホテルかもめ館”で源泉かけ流しに浸かり、そして朝市で土産のタラバガニを仕入れたい。これは年に1度のルーティン、13:49発”はこだてライナー”に乗車し函館駅へ向かった。函館駅に着いて時間は14時過ぎ、ホテルにチェックインするには少々早いし、朝市で買い物するには少々遅い。せっかくなので函館駅15:15発の道南いさりび鉄道に乗車して清川口駅へ行ってみることに。最後に道南いさりび鉄道に乗車したのは2021年8月、早いものであれから2年4ヶ月が過ぎた。ホント、年を重ねるごとに時が流れるのが早いわ…。


清川口駅の開業は昭和31年(1956)、江差線の久根別駅~上磯駅間に旅客扱いのみの駅として新設されたのがはじまり。北斗市中央1丁目(旧上磯町)に所在。小学館コロタン文庫「国鉄駅名全百科」(昭和54年(1979)初版第1版発行)には無人駅と表記されており、さよなら江差線(北海道新聞社、2014年6月初版発行)によれば「昭和45年(1970)駅舎が改築される」「昭和54年(1979)駅舎が改築される」との表記があり、更には「開業時は待合室もないホームだけの駅だったが、昭和54(1979)に現在の駅舎が建てられた。」ともあり、開業当初から無人駅だったことは確か。JR時代には駅舎内に”清川口駅売店コーナー”を設け簡易委託で切符を販売していた。平成28年(2016)北海道新幹線(新青森駅~新函館北斗)が開通、江差線(五稜郭~木古内)の経営がJR北海道から第三セクターの道南いさりび鉄道に移行し、JR時代末期に休業となっていた売店は再開されることなく簡易委託を廃止、切符販売は自動券売機に置き換わった。

函館_CHO7620-C10A-6_1976(昭51)_03
空中写真データ:国土地理院 整理番号 函館_CHO7620-C10A-6を基に作成
昭和51年(1976)撮影、清川口駅周辺の空中写真。駅には単式ホームと待合所らしき建物が見える。その待合所らしき建物は昭和45年(1970)に改築したとされる初代の駅舎なのかもしれない。現在、北斗市役所がある駅南側の隣接地には上磯小学校(1982年移転)があった。


函館駅01
函館北斗駅から”はこだてライナー”に乗ってやって来た函館駅。改札口上の発車案内を見て1時間後に発車する15:15発木古内行に乗ることを急きょ計画。


函館駅にあるラーメン店「あじさい」
発車まで時間があり腹も減っていたので駅舎2階にあるラーメン屋”あじさい”で遅めの昼食に。函館といえばやっぱ塩、特製塩拉麺に舌鼓を打ち。はるばるやって来て食べるご当地ラーメンはやっぱ美味いわ!


函館駅02
ラーメンを食べ終えて道南いさりび鉄道の自動券売機で清川口駅までの乗車券を購入。


函館駅03
15:15発木古内行に乗るべく1番線のりばへ。


函館駅05
1番線のりばで発車を待つ木古内行。


函館駅06
車体は雪景色に映えそうなオレンジ色。


函館駅07
木古内行列車に乗車し4人席の一角を確保。


五稜郭駅01
函館駅を発車して約5分で五稜郭駅着。ここで道南いさりび鉄道は函館本線を離れ木古内方面へ向かう。


清川口駅01
五稜郭駅を発車して約25分、清川口駅に着き下車。


清川口駅02
停車時間はわずか、乗降客がなくなったらそそくさと列車の扉は閉まり。


清川口駅03
次の上磯駅へ向けて発車。


清川口駅04
ホームより函館方面。


清川口駅14
駅名の下には「北斗市役所・かなで~る前」。


清川口駅15
函館方面乗車口より函館方面。


清川口駅16
函館方面乗車口より木古内方面。


清川口駅05
昭和54年(1979)に改築された駅舎。平成30年(2018)駅舎外装が”ながまれ号”仕様になった。


清川口駅13
駅舎出入口を入って奥にトイレを完備。


清川口駅06
駅舎内には江差線や清川口駅に関する歴史や広報記事など、シャッターの向こうに展示していた。


清川口駅07
発車時刻表。函館方面は始発が6:34発の函館行、最終が21:37発の函館行で1日に16本の列車が発着。木古内方面は始発が7:11発木古内行、最終が22:06発木古内行で1日18本の列車が発着。利便性は案外よい。


清川口駅08
右側のシャッターが閉まっているところが、かつて簡易委託で切符販売をしていた清川口駅売店コーナー。


清川口駅09
駅舎内には4連ベンチを多く設置しており、利用客が多いことをうかがう。


清川口駅10
駅舎内出入口。


清川口駅11
出入口前にあった掲示板。年末年始の営業について案内する。


清川口駅12
JR北海道から道南いさりび鉄道に経営が変わり設置された自動券売機。これで”北の大地の入場券”みたいな記念切符が買えれば面白いのにな。


清川口駅17
駅舎出入口より駅前。


清川口道路踏切
駅前の清川口道路踏切。


清川口駅18
清川口道路踏切より清川口駅。


北斗市役所
駅南側に隣接してある北斗市役所。昭和57年(1982)に移転するまでここに上磯小学校があった。


種田家01
清川口駅から清川口道路を南に向かって160m、松前道との交差点南東角にある種田家。


種田家解説板02
種田家解説板。


種田家02
種田家の起源は関ヶ原合戦で石田方に付いた九州筑前の秋月家の庶流、種田権頭胤直が南部藩(現 岩手県・青森県)を経て蝦夷地の有川村(旧上磯町)へ渡ったとされ、宗家は代々”有川大神宮”の宮司を継いできたという。明治期に本家をはじめ分家は実業家として道内に漁場を拡張、道南地域の発展に貢献した。


旧町名「本町」標柱
種田家の西向かい、市役所通遊園地にある旧町名「本町」標柱。


有川大神宮01
北斗市役所の南側にある有川大神宮。


有川大神宮02
慶長2年(1597)創建、寛文3年(1663)に再建され、享保12年(1727)種田藤宮が修理したと伝わる。有川(旧上磯)の総鎮守で、北斗市で最も古い神社とのこと。


有川大神宮03
有川大神宮境内。


有川大神宮04
神社前を通る道は福山街道(松前道)。かつて福山(松前町)と箱館(函館市)を結んだ旧道である。向かいには澤田酒店。

福山街道(松前道)を大正4年側図を参考にGoogleマップに落とし込んでみたので興味ある方はご参照を。函館の札幌本道(現 国道5号)との分岐点から茂辺地まで。



大和川02
境内東側横を流れる大和川。


大和川01
大和川下流方向。架けられる橋は御手洗橋。


旧福士邸01
御手洗橋から福山街道(松前道)を函館方面へ約120m行ったところ、左手に旧福士邸がある。


旧福士邸03
福士家三代目の長次郎が大正8年(1919)に建てた木造二階和風住宅。


旧福士邸02
旧福士邸解説板。


旧福士邸04
正面玄関。


旧福士邸05
東面の裏口。


有川橋02
有川橋より大野川上流方向。江戸期から明治初期にかけて大野川・戸切地川の河口付近は有川村と称していた。角川日本地名大辞典「有川村」によれば『地名はアイヌ語のアルシュッペッ(食料多き川の意)に由来し、大量のサケが遡上したことにちなむ(北海道蝦夷語地名解)。一説には、和語という(蝦夷地名考并里程木記)。』とあり。


有川橋01
有川橋袂には上磯奴のモニュメント。上磯奴は有川大神宮や上磯八幡宮の例大祭で披露される行列で、江戸時代に行われていた参勤交代の大名行列が原形だという。起源は明らかではなく、江戸時代末期頃に伝わったと考えられている。


有川橋03
奴行列といえば、7年前に静岡県島田市で見た島田大祭の大名行列を思い出してしまった。あの時の大奴25人衆は忘れられないほどインパクトが強かったなあ。


大野川河口03
大野川の河川名標識。


大野川河口02
函館湾に注ぐ大野川。


大野川河口01
大野川河口より函館山を望み。そろそろ清川口駅へ戻ろう。


廣徳寺01
駅へ戻る途中、廣徳寺に。


石坂武兵衛一族の墓
廣徳寺には石坂武兵衛一族の墓がある。武兵衛は八王子同心の一員で幕府の箱館奉行調役下役を務めた幕吏。極寒の蝦夷地に家族同伴で渡り、父母と妻子を亡くして悲嘆にくれるまま江戸湾警備のため富津(千葉県)に赴任、文政11年(1828)富津で病没したという。きっと魂は家族が眠るここへ帰ってきているのだろう。


廣徳寺02
廣徳寺の六地蔵。


清川口駅夜景01
すっかり日が暮れて清川口駅に戻ってきました。


清川口駅夜景02
”ながまれ号”仕様の駅舎は夜の方が映えるね。


清川口駅夜景03
17:13発の函館行が到着。これに乗って五稜郭駅まで戻ります。


訪問日:2023年12月28日(木)
FC2ブログランキング

テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

五稜郭駅(道南いさりび鉄道) ~駅から歩いて五稜郭公園へ~




清川口駅から17:13発の函館行に乗車し17:28五稜郭駅着、五稜郭公園へ立ち寄るために下車する。新函館北斗駅から”はこだてライナー”に乗車すると、五稜郭駅到着前に「五稜郭公園へおいでのお客様は終着の函館駅までご乗車になり、函館駅前から市電や路線バスをご利用いただくのが便利です。」と親切な車内放送が流れるが、私にとっては小さな親切、大きなお世話。五稜郭駅から歩いて五稜郭公園を目指す。GooGleマップで調べると徒歩で35分、真冬なので通常のスピードでは歩けないだろうから、もう少し時間はかかるだろう。以前に五稜郭公園から五稜郭駅まで歩いたことがあるので何となく土地勘と距離感もある。年末を迎えた函館の街をぶらぶら歩いて旅を楽しもう。


五稜郭駅夜景01
清川口駅17:13発の函館行に乗車し17:28五稜郭駅着。


五稜郭駅夜景02
五稜郭駅で下車。すっかり日が暮れてやはり寒い。


五稜郭駅夜景03
駅売店で少々買い物をし駅から出てきたところ。何かのトラブルで特急列車が遅れているようで、待合室には乗車待ちの客でいっぱいだった。


五稜郭駅夜景04
五稜郭駅を後にして。


五稜郭公園05
夕闇の寒空の下、駅から転倒に気を付けながらトボトボ歩いて約45分、五稜郭公園に着く。


五稜郭公園01
五稜郭公園の正面広場は煌びやかなイルミネーション、今まで見たことのない五稜郭の光景だった。


五稜郭公園02
”五稜星(ほし)の夢”と銘打ち、堀の周囲を約2000個の電球で星形に彩っているという。


五稜郭公園03
凍結した水堀。


五稜郭タワー01
そして五稜郭を見下ろす五稜郭タワー。


五稜郭タワー02
あの展望台から見下ろしてみたいと思ったが、イルミネーションの点灯時間は日没から19時までなのに五稜郭タワーの営業時間は18時まで。営業時間外だったので今回は見送り。来年改めて。


五稜郭公園04
土方歳三は今の五稜郭を見て何を思うのだろう。


ラッキーピエロ五稜郭公園前店
五稜郭公園から市電の停留場へ向かう途中、目に留まったラッキーピエロ五稜郭公園前店。この店ではなかったが、随分と前にチャイニーズチキンバーガーを食べたことを懐かしく思い出す。


五稜郭公園前停留所01
五稜郭公園前停留場から湯の川温泉へ向かいます。


五稜郭公園前停留所02
待つこと数分、湯の川行きの市電がやって来た。これに乗車して湯の川温泉へ向かう。


かもめ館03
湯の川温泉停留場で下車して徒歩8分、常宿の”ホテルかもめ館”に到着。ここのお風呂は小ぶりながらも源泉かけ流しで一人客にはちょうどいい宿。20年ぐらい前から毎年ここに泊まっている。


かもめ館04
ホテルにチェックインし客室にて。五稜郭駅売店で買った”いかすみポテト”と清川口駅の駅名標キーホルダー。


やきとり弁当01
晩飯はいつものごとく、ハセストのやきとり弁当(大盛りのタレ)。私にとってこれが最高のお弁当。満腹になったところで源泉かけ流しの温泉に浸かり1年の疲れを癒す。最高のひと時。


かもめ館05
そして朝風呂を浴びてから”かもめ館”の朝食。


函館駅10
ホテルをチェックアウトして市電に乗車し函館駅に。それから土産のタラバガニを買いに朝市へ。


蟹商
年末恒例の蟹商。今年はこのタラバガニ。これをボイルしてもらって実家へ送ります。


函館駅08
買い物を終えて再び函館駅に。


函館駅09
私が乗車する特急北斗9号の発車まで約30分。駅舎内のコンビニでつまみと缶ビールを購入し改札口を入る。


特急北斗9号01
7番線のりばで発車を待つ10:45発特急北斗9号。


函館駅11
ここは函館本線の起点であり末端を感じられる場所。


特急北斗9号02
キハ261系気動車のこの塗装色、やっぱかっこいいわ。


特急北斗9号03
発車5分前、そろそろ乗り込もう。


特急北斗9号04
北斗9号からライラック23号に乗り継いで旭川へ向かいます。


旭川駅02
函館駅を出発してから5時間40分、旭川駅に到着。


旭川駅01
改札口前では母と弟が出迎えてくれた。ありがたく、うれしいものだ。


タラバガニボイル
後日談。函館で送ってから2日後に届いたボイルされたあのタラバガニ。年に1度の贅沢な食材だ。


訪問日:2023年12月28日(木)、29日(金)
FC2ブログランキング

テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

カレンダー
12 | 2024/01 | 02
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
最近の記事
カテゴリー
最近のコメント
データ取得中...
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

お気に入りブログ
ブログ内検索
QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター