軽井沢宿

浅間山の麓に位置する軽井沢宿は江戸日本橋から18番目の宿場で、天保14年(1843年)には人口451人、家数119軒、本陣1、脇本陣4、旅籠21軒。沓掛宿、追分宿とともに浅間根腰の三宿と並び称され、碓氷峠を控えた旅人で賑わった。最盛期には100軒近くの旅籠があり、多くの飯盛女が働いていたという。

しかし明治12年(1879年)碓氷新国道(現国道18号)が開通すると軽井沢宿は衰退の一途を辿るのであるが、同19年(1886年)英国人宣教師のアレキサンダー・クロフト・ショウが布教の途上に軽井沢を訪れたことが状況を好転させる。美しい自然と清涼な気候が故国スコットランドに似ていることから、夏には家族を伴って避暑に訪れるようになり、2年後には簡素な別荘まで建てた。そして軽井沢の素晴らしさを内外に紹介すると、外国人をはじめ多くの人々が訪れるようになり、別荘地軽井沢の形がつくられることになった。
現在の軽井沢宿は旧軽井沢銀座と称して、休日には多くの人が足を運ぶ観光地となった。その一方、宿場時代の面影は急速に失われてしまい、今では当時茶屋を営んでいた「つるや旅館」の名に、面影を留めているにすぎない。
軽井沢宿の西はずれのロータリーは枡形の跡。ここにある土産物屋で信州地区限定の信州あんずコロンと野沢菜茶づけを買う。やはり限定物には・・・
店を出て宿場を後にするところで、背後から突然声をかけられる。
「しまむーさんですか?」
「あ、そうですが。」
ブログにコメントを頂いていたhiroさんでした。しかしよくぞ見つけてくれました。この場を借りて御礼申し上げます。これも何かの縁、これからも応援よろしくお願いします。
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