沓掛宿

現在、沓掛という地名を聞いてもピンとくる人はそういないであろう。現在の国道18号に沿って町並みが続いていた沓掛宿であるが、宿場の面影は軽井沢宿と同様にほとんど失われ、それどころか沓掛駅が昭和31年(1956年)に中軽井沢駅と改称されると、面影どころか沓掛の名すら見出すことは難しくなった。

中軽井沢と呼ばれる現在の沓掛の町は、軽井沢のような賑わいはなく人影もまばらであるが、景勝地、鬼押出し園の玄関口であり、車の交通量だけは非常に多い。鬼押出しは天明3年(1783年)の浅間山噴火によってできた溶岩の海原で、火口で鬼が暴れ岩を押し出したという、当時の人々の恐れがこの名をつけた由縁だ。
宿場の名残を探しながら歩くのであるが、脇本陣が置かれていた旅館桝屋本店の玄関に「脇御本陣」の看板が掲げられ、本陣跡である土屋家に「本陣」の表札が掲げられているにすぎない。宿場の西外れに草津道の道標がかろうじて残され、上州草津へ続く道がここから分岐していたことを今に物語る。

沓掛宿は江戸日本橋から19番目の宿場で、天保14年(1843年)には人口502人、家数166軒、本陣1、脇本陣3、旅籠17軒。「千両万両まげない意地も 人情からめば弱くなる 浅間三筋の煙の下で 男 沓掛時次郎」、長谷川伸の小説「沓掛時次郎」で知られる沓掛の名は、長倉神社の一角に建てられた記念碑に僅かにとどめられている。
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