箱根旧街道 追込坂・猿滑坂・橿木坂・西海子坂
【2018年11月24日(土)旧東海道 箱根宿→小田原宿】
甘酒茶屋で体力を回復させた。さてさて間の宿、畑宿へ向けて箱根旧街道を降ろう。当時は甘酒茶屋から畑宿にかけて、追込坂・猿滑(さるすべり)坂・橿木(かしのき)坂・西海子(さいかち)坂の石畳が続いていたはずだが、昭和初期辺りに現在に見る七曲がりの神奈川県道732号ルートが敷設され、半分近い石畳が失われた。しかし現存する旧道には江戸時代に敷設された石畳が良好な状態で現存している場所も多くおり、歩いていて見どころは多い。また、旧道消失地点の歩道には随所に急傾斜の階段が設けられており、往時の相当な難所ぶりが感じられよう。

甘酒茶屋から畑宿に向けて追込坂を降ろう。

坂上から右に曲がり神奈川県道732号に合流する。現在の県道ルート敷設により追込坂旧道の大部分は失われたようだ。

追込坂旧道と県道の合流地点にある追込坂碑。

追込坂筋にある親鸞聖人碑。この辺りは笈ノ平(おいのだいら)と呼ばれ、東国の教化を終えて帰路についた親鸞上人が、当地で更なる東国の強化を図りたいと考え、二人の弟子に東国へ戻るよう諭した。子弟の悲しく辛い別れの場だったと伝わる。

猿滑坂上。旧道は失われており、神奈川県道732号横の斜面に歩道が設けられている。

猿滑坂を階段で一気に降る。

旧道は失われているが、往時の難所ぶりが感じられよう。

猿すべり坂バス停。

猿すべり坂バス停から旧道にアクセスする階段。

階段を降りきったところに猿滑坂の解説板があり、この辺りが坂下と思われる。『新編相模国風土記稿』には「殊に危険、猿猴(猿類の総称)といえども、たやすく登り得ず、よりて名とす」と書かれ、あまりの急斜面に猿すら滑って登れないほどの難所だったらしい。

猿滑坂下に架かる橋を渡って。

江戸時代の歴史を感じる石畳が続き。

そして甘酒橋を渡る。

甘酒橋北詰。元箱根まで約2.7km、畑宿まで約1.8kmの道標。

名もなき橋を渡り。

石畳の旧道は山中に延びる。

山間に小田原市街を遠望。

石畳がいったん途切れて山根橋。

山根橋北詰から畑宿・小田原方面へ延びる石畳。

七曲がりの神奈川県道732号に合流する手前、見晴橋が架かる。

見晴橋からは橿木(かしのき)坂の下り。

旧道は失われており、現代の坂道は急勾配の階段に。

県道横に付けられた橿木坂の階段と歩道。

橿木坂の解説板。高く険しい崖に樫木があったことが坂名の由来で、東海道名所日記に「険しきこと道中一番の難所なり」と書かれていることを紹介している。現在の県道ルートは七曲がりになっており、この坂が相当きつかったことは想像に難くない。

七曲がりの県道横に付けられる石畳風の歩道。

橿の木坂バス停。

七曲がりの県道と石畳風の歩道。橿木坂がいかに難所だったかを感じられよう。

私の横をビュンビュンと車が下ってゆく。

急勾配の階段を下りて七曲がりをショートカット。

路傍には七曲がりの標識。

箱根旧街道の標柱。

県道から階段を降れば西海子坂の道標が路傍に。

西海子坂下から石畳は下へ延びる。

路傍には「石畳の構造」の解説板。

石畳を斜めに横切る排水路の遺構。

県道との交差地点に橋を架けて石畳を現状維持するという画期的な保存方法。

橋から畑宿へ向かって石畳は延びる。

歴史を感じさせる素晴らしい西海子坂の石畳。

坂を下りきったところから畑宿の町並み。
甘酒茶屋で体力を回復させた。さてさて間の宿、畑宿へ向けて箱根旧街道を降ろう。当時は甘酒茶屋から畑宿にかけて、追込坂・猿滑(さるすべり)坂・橿木(かしのき)坂・西海子(さいかち)坂の石畳が続いていたはずだが、昭和初期辺りに現在に見る七曲がりの神奈川県道732号ルートが敷設され、半分近い石畳が失われた。しかし現存する旧道には江戸時代に敷設された石畳が良好な状態で現存している場所も多くおり、歩いていて見どころは多い。また、旧道消失地点の歩道には随所に急傾斜の階段が設けられており、往時の相当な難所ぶりが感じられよう。

甘酒茶屋から畑宿に向けて追込坂を降ろう。

坂上から右に曲がり神奈川県道732号に合流する。現在の県道ルート敷設により追込坂旧道の大部分は失われたようだ。

追込坂旧道と県道の合流地点にある追込坂碑。

追込坂筋にある親鸞聖人碑。この辺りは笈ノ平(おいのだいら)と呼ばれ、東国の教化を終えて帰路についた親鸞上人が、当地で更なる東国の強化を図りたいと考え、二人の弟子に東国へ戻るよう諭した。子弟の悲しく辛い別れの場だったと伝わる。

猿滑坂上。旧道は失われており、神奈川県道732号横の斜面に歩道が設けられている。

猿滑坂を階段で一気に降る。

旧道は失われているが、往時の難所ぶりが感じられよう。

猿すべり坂バス停。

猿すべり坂バス停から旧道にアクセスする階段。

階段を降りきったところに猿滑坂の解説板があり、この辺りが坂下と思われる。『新編相模国風土記稿』には「殊に危険、猿猴(猿類の総称)といえども、たやすく登り得ず、よりて名とす」と書かれ、あまりの急斜面に猿すら滑って登れないほどの難所だったらしい。

猿滑坂下に架かる橋を渡って。

江戸時代の歴史を感じる石畳が続き。

そして甘酒橋を渡る。

甘酒橋北詰。元箱根まで約2.7km、畑宿まで約1.8kmの道標。

名もなき橋を渡り。

石畳の旧道は山中に延びる。

山間に小田原市街を遠望。

石畳がいったん途切れて山根橋。

山根橋北詰から畑宿・小田原方面へ延びる石畳。

七曲がりの神奈川県道732号に合流する手前、見晴橋が架かる。

見晴橋からは橿木(かしのき)坂の下り。

旧道は失われており、現代の坂道は急勾配の階段に。

県道横に付けられた橿木坂の階段と歩道。

橿木坂の解説板。高く険しい崖に樫木があったことが坂名の由来で、東海道名所日記に「険しきこと道中一番の難所なり」と書かれていることを紹介している。現在の県道ルートは七曲がりになっており、この坂が相当きつかったことは想像に難くない。

七曲がりの県道横に付けられる石畳風の歩道。

橿の木坂バス停。

七曲がりの県道と石畳風の歩道。橿木坂がいかに難所だったかを感じられよう。

私の横をビュンビュンと車が下ってゆく。

急勾配の階段を下りて七曲がりをショートカット。

路傍には七曲がりの標識。

箱根旧街道の標柱。

県道から階段を降れば西海子坂の道標が路傍に。

西海子坂下から石畳は下へ延びる。

路傍には「石畳の構造」の解説板。

石畳を斜めに横切る排水路の遺構。

県道との交差地点に橋を架けて石畳を現状維持するという画期的な保存方法。

橋から畑宿へ向かって石畳は延びる。

歴史を感じさせる素晴らしい西海子坂の石畳。

坂を下りきったところから畑宿の町並み。

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