堀辰雄と追分

【第14日目】5月4日(金) 追分宿→小田井宿→岩村田宿
8時半過ぎに上野駅に到着。ホームからマルイの気温計を見ると既に21℃を表示している。この分だと今日は暖かいどころ暑い1日になりそうだ。しかし向かうは信州、東京とは気候が違う。長野新幹線に乗車すると、さすがはゴールデンウィーク、車内は満員御礼、デッキまで人が溢れている。10時前には軽井沢に着く。気温はやや肌寒い16℃。東京とは5℃もの気温差があるわけだ。

のんびりと駅内にある「おぎのや」の山菜そばで朝食をすます。やはり本場信州のそばはうまい。この味で400円とは、信じられません。何て感心をしていたら、10時発の小諸行きに乗り遅れてしまう。「オーマイゴーッ」次の列車は1時間後・・・仕方なく駅内の喫茶店で時間をつぶす。
出発時間が近づき、改札入口前にある屋台の売店で「おやき」を二つ買う。中身は野沢菜とあんこ。やはり長野といえばこれでしょう。道中の腹ごしらえの準備を整え、10時58分発の小諸行に乗車。信濃追分駅で降車し、青空の下にどっしりと腰を下ろす浅間山を望みながら、再び追分の宿場へ向かう。

まずは追分宿郷土館に立ち寄る。ここでは追分宿の歴史を中心に、宿場の様子や暮らしを知ることができる。旅籠コーナーでは当時の様子を再現し、旅人の気分で追分節を聞くことができる。郷土館の隣には室町時代建築の本殿を持つ浅間神社があり、境内には追分宿発祥の碑や芭蕉句碑もあり、追分宿に来たならば是非とも寄りたい場所だ。
昇進橋を渡ると堀辰雄文学記念館がある。昭和初期に活躍した作家の堀辰雄は、若くして肺を患い、晩年ここ追分で闘病生活を送った。代表作に「美しい村」「風立ちぬ」等があり、「ふるさとびと」は追分宿の旅籠、油屋を舞台にした。そしてこの油屋は場所こそ変われど、今なお旅館として営業を続けている。

記念館の入口にある門は、かつての追分宿本陣裏門。すぐ先には本陣跡の土屋家があり、明治天皇行在所の碑が建っている。本陣は代々土屋家が務め、問屋場も兼ねた建屋は238坪もあり、中山道の中では塩尻宿、上尾宿に次ぐ大きなものであった。

宿場内にある泉洞寺に寄る。ここは慶長3年(1598年)心庵宗祥禅師により開基。禅師はもともと三河の武士であったが、長篠の戦いで多くの死者を目の当たりにし、無常心を抱いて出家したという。ここには堀辰雄が愛した半跏思惟の石仏があり、朝夕と境内を散歩するほどお気に入りの場所だったようだ。

宿場西外れに残る枡形の茶屋「つがるや」で追分宿の散策は終わる。正直、堀辰雄の小説など読んだこともないどころか、その名前すら知らなかった。せっかく追分宿に来て彼の息吹を感じることができたのだ。彼の小説を手に取ってみようと思う。
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