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咸臨丸 ~サラキ岬に沈んだ江戸幕府の軍艦~

日本人が操舵して初めて太平洋を横断した軍艦をご存じだろうか。その名を咸臨丸(かいりんまる)という。江戸時代末期に幕府が発注してオランダで建造された”3本マストのバーク型スクリュー式木造蒸気船”。何だかよくわらない型式の船であるが、簡単に言えば木造帆船ながら蒸気機関を備える当時の日本にとっては最新鋭の大型軍艦だったというところか。万延元年(1860)、軍艦奉行”木村摂津守喜毅”や軍艦操練所教授方頭取”勝海舟”が乗艦し、日米修好通商条約の批准書交換のため幕府遣米使節団が乗船するアメリカ軍艦ポーハタン号に同行、37日間をかけて太平洋を横断しアメリカへ渡った。

戊辰戦争時には品川沖から脱走して蝦夷へ向かう榎本武揚率いる艦隊に参加したが、咸臨丸は観音崎で座礁して後れを取ったうえ、房総沖で暴風雨に見舞われ漂流、清水港に寄港していたところを明治新政府軍に拿捕。のち開拓使所管の運送船となる。明治4年(1871年)北海道への移住を余儀なくされた仙台藩白石城主片倉小十郎の家臣団401名を乗せ、仙台松島湾の寒風沢から小樽へ向けて出港、函館で寄港したのち津軽海峡を進んでいたところサラキ岬沖で座礁した。乗船者は地元泉沢の住民によって全員救助され、そののちに咸臨丸はゆっくりと沈没していったという。

それから113年が経った昭和59年(1984)11月、サラキ岬沖合2km、水深20mの海底から咸臨丸のものと見れられる大きな錨が引き揚げられる。




咸臨丸難航図
木古内町郷土資料館の展示より、咸臨丸難航図

咸臨丸が荒天の太平洋を航海する様子を描く。作者は幕臣の鈴藤勇次郎という人物で、長崎でオランダ人に航海術を学び、咸臨丸運用方として木村摂津守喜毅や勝海舟と共に太平洋を横断し渡米。戊辰戦争時には病のため榎本武揚が率いる旧幕府艦隊に参加できず、慶応4年(1868)自刃した。享年43歳。


品川出航の図
木古内町郷土資料館の展示より、品川出航の図

慶応4年(1868)4月、江戸城が無血開城してから4ヶ月後に榎本武揚は旧幕府軍艦8隻を率いて品川沖を脱走、航路を蝦夷地へ向ける。旗艦は開陽丸で、回天・蟠龍・千代田形の軍鑑、輸送船として神速・長鯨・咸臨・美嘉保が随行する8隻からなる艦隊だった。しかし、咸臨丸は座礁と荒天という不運が重なり清水港に寄港していたところ、追いついた新政府軍の軍艦に抗戦、乗組員の多くが戦死し捕虜となった。


咸臨丸最後の航路02
木古内町郷土資料館の展示より、咸臨丸最後の航路

明治4年(1871年)9月12日、咸臨丸は仙台藩白石城主片倉小十郎の家臣団401名を乗せ寒風沢を出港。航海中に乗船者の一人が病死したため、函館に寄港して埋葬し、同日夕刻に小樽へ向けて出港した。


咸臨丸最後の航路(津軽海峡)
木古内町郷土資料館の展示より、咸臨丸最後の航路(津軽海峡)

函館を出港した咸臨丸は津軽海峡を西へ進んだが、南からの強風に煽られ、更に日本海からの潮流に流されて、サラキ岬付近で岩礁に乗り上げ座礁。船がすぐに沈まなかったため、奇跡的にすべての乗船者が救助された。


白石藩片倉小十郎家臣団・乗船者名簿
サラキ岬設置の解説板より、咸臨丸最後の乗船者である白石藩片倉小十郎家臣団401名。


サラキ岬
サラキ岬より咸臨丸が沈んだ津軽海峡を望む。


サラキ岬
この海のどこかに咸臨丸が沈んでいるはずだが、いまだに咸臨丸のものと見られる錨が発見されたのみ。毎年探索が続けられているようなので、今後の成果に期待したい。


サラキ岬より泉沢
サラキ岬より泉沢の集落を望む。咸臨丸が座礁した際、ここの住民たちが救助にあたったおかげで、乗船者に死者を出すことはなかった。白石藩片倉小十郎家臣団にとっては意に沿わない蝦夷地への移住だったと思うが、ここで命を救われ蝦夷に生きる意志を固くしたのではないだろうか。


咸臨丸モニュメント
サラキ岬にある咸臨丸のモニュメント。咸臨丸とサラキ岬に夢みる会・木古内町観光協会、地元の企業や支援者が協力し製作したもの。咸臨丸への愛を感じます。


木古内町郷土資料館 いかりん館
木古内駅より徒歩約30分、鶴岡地区に木古内町郷土資料館”いかりん館”がある。ここは平成23年(2011)に閉校した鶴岡小学校の旧校舎で、同27年(2015)に郷土資料館として開館した。平成26年(2014年)に廃止された江差線や咸臨丸に関する展示が充実しており、ここに咸臨丸のものとみられる錨が展示されている。


咸臨丸のものと推定される錨
咸臨丸のものと推定される錨。昭和59年(1984)11月、サラキ岬沖合2km、水深20mの海底から発見された。東京大学総合研究博物館炭素年代分析室や民間機関で調査した結果、年代的に近いうえ欧州で製造されたものとわかり、咸臨丸の錨である可能性が高いらしい。


咸臨丸模型
錨の前に展示される咸臨丸模型。ホントかっこいいわ!


咸臨丸データ
咸臨丸データ。定員95人(推定)に目が留まる。沈没当時は軍艦から輸送船に用途が変わっていたとはいえ、401名もの乗船者がいたことを鑑みると、過剰積載が事故の直接原因だったと考えてしまう。


咸臨丸のものと推定される錨
咸臨丸模型と錨。


「山形荘内藩士上陸之地」碑
”いかりん館”に隣接する鶴岡農村公園に「山形荘内藩士上陸之地」碑が置かれている。咸臨丸がサラキ岬に沈んでから14年後の明治18年(1885年)、山形庄内藩士105戸が酒田港より御用船で海を渡り当地へ上陸、身命を賭して開拓に励んだ。鶴岡という地名はこれに由来する。碑文は旧庄内藩主酒井家17代当主酒井忠明による揮毫。


咸臨丸とサラキ岬のタイルアート
木古内小学校・中学校の生徒が協力のもとで製作されたタイルアート、咸臨丸とサラキ岬をモデルにした素敵な作品だ。木古内の方々にとって咸臨丸は特別な存在だということを感じよう。木古内駅北口に設置。


木古内町郷土資料館”いかりん館”の展示や周辺に見どころ多く、以下に少々余談を↓

鶴岡公園駅
”いかりん館”裏手のすぐ近く、道南トロッコ鉄道の鶴岡公園駅。ここは平成26年(2014)に廃止された江差線の渡島鶴岡駅で、周辺の廃線を利用して観光用のトロッコが運行されている。


鶴岡公園駅
鶴岡公園駅ホーム。旧渡島鶴岡駅のホームがそのまま再利用されている。


渡島鶴岡駅
木古内町郷土資料館”いかりん館”の展示より、渡島鶴岡駅。現在の鶴岡公園駅は渡島鶴岡駅の待合所をそのまま再利用していることがわかる。


江差線の展示
”いかりん館”に展示される江差線関連の品々。


江差線の展示
渡島鶴岡駅の駅名標はここに保管展示されている。


切符保管庫
昔懐かしい切符保管庫。


禅燈寺
鶴岡公園駅より西へ約200m、禅燈寺がある。当地へ入植した庄内藩士105戸が、故郷鶴岡にある善寶寺に懇請し、明治35年(1902)本堂を建立、善宝寺39番目の末寺となった。大正7年(1918)仁王門建立。


禅燈寺
山門から本堂にかけての参道をトロッコ鉄道の線路が横切る。江差線時代の禅灯寺踏切が残されおり、かつてはこんな所を列車が通り抜けていたのかと往時を偲ばせる。


木古内道々踏切
木古内道々踏切から現れる江差線の路盤跡。


江差線跡(木古内~渡島鶴岡)
北海道新幹線の高架橋下を潜り抜ける江差線跡。新旧交代をまざまざと見せられる思い。


江差線跡(木古内~渡島鶴岡)
高架橋下の向こう、旧江差線の信号機らしきものが。来年はこの鉄路の行く先、江差に行ってみよう。


撮影日:2019年8月4日(日)
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