御代田の一里塚

旧中山道は右に浅間山を従えて、ゆるやかに台地を下りていく。左へ大きくカーブするところで、旧道は舗装道を離れ右方向に直進する未舗装の小径に進路をとることになるのだが、間もなくジャガイモ畑が広がるところで雑木林の中に消滅してしまう。

仕方なく引き返して、S字カーブを描きながら掘切状の坂を一気に下る新道を行く。途中、壁面に防空壕のような洞穴が複数あるのだが、これはいったい何なのであろうか。坂を下りきった民家の軒先から旧道は再び姿を現し、深い谷底に流れる久保沢川を渡る。
久保沢川に沿って進むと大山神社の小さな社があり、この先右手民家の庭にこんもりとした小山を見つける。これが御代田(大久保)の一里塚である。中山道整備以前に築造されたものなので、現中山道より7m離れたところに対をなして完全な形で残っている。西塚には見事な枝垂れ桜が生い茂る。日本橋から41里目(約161km)の一里塚で、数からすると37番目と思われる。追分の一里塚のときにも述べたが、江戸時代からそれ以前に造られたものなので曖昧になっている。

やがて道はしなの鉄道に分断される。ここは歩行者用の地下道を通って線路を越える。栄町交差点から閑散とした町並みの中へ入っていくと、「ファミリーコンピュータ&ニューソフト かめや玩具」の看板が掲げられ、思わず今は昭和時代か・・・と不意に錯覚する。道は正面に広がる霧ヶ峰や蓼科の連山に向かって延びていく。荒町集落の緩やかな坂を下ると、間もなく小田井宿である。
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