岩村田宿


すぐ近くに佐久インターチェンジもあり県道の交通量は多い。道沿いにはりんご園が点在し、りんごの木には薄いピンクの可愛らしい蕾みがついている。これから名産信州りんごの実をつけるのかと想像するには、まだまだ早すぎるようだ。上信越自動車道を越えて佐久IC東交差点まで来る。路傍には佐久バルーンフェスティバルの立て看板が所々に置かれ、昨日から熱気球競技等、各種イベントが行われているようだ。

県道沿いにある住吉神社の境内にはケヤキの巨木がどっしりと根を張る。よくぞ今まで生きながらえたものだと感心するほど、幹の内部は空洞化しているが、樹勢は全く衰えを感じさせない。この神社まで来ると岩村田宿は目と鼻の先である。すぐ先の右手路傍には善光寺道の道標があり、この辺りに岩村田宿江戸方の枡形があったという。

岩村田宿は江戸日本橋から22番目の宿場で、天保14年(1843年)には人口1637人、家数350軒、本陣なし、脇本陣なし、旅籠8軒。内藤氏岩村田藩一万五千石の城下町として、また商業都市として発展したため、本陣や脇本陣は置かれず旅籠の数も少ない。
古く鎌倉・室町時代には大井氏宗家の治めるところだったが、戦国時代に入ると北信濃の村上義清の侵攻に遭い大井氏宗家は滅亡。後に支族である永窪大井氏が入るのであるが、武田信玄の佐久侵攻によりその支配下に置かれ、北信濃攻略の足がかりの場となった。岩村田には信玄ゆかりの龍雲寺や大井城跡等、中世の姿も垣間見ることができる。
現在の岩村田宿はアーケードの商店街となり、昔日の面影を見ることはできない。人通りは少ないのに車の交通量だけは多く、ゴールデンウィークだというのにシャッターを下ろしている店も散見される。郊外型ショッピングセンターに客を取られた昨今の地方商店街の姿である。18時、岩村田本町交差点に到着。ここから街道をそれて岩村田駅へ向かう。
【第14日目】踏破距離 約9.7km(追分宿→小田井宿→岩村田宿)
日本橋から166.1km 京都まで368km
まだまだ先は長い・・・
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