八幡宿

【第16日目】5月19日(土) 八幡宿→望月宿→芦田宿
上野駅から8時ちょっと前の長野新幹線あさま号に乗車。東京の天気は何とか曇り。しかし安中榛名駅を過ぎた頃から重たい雲が空を覆い、雨が降り始める。軽井沢まで来ると、空はその重さに耐えかねたかのように低くなり、それに呼応して雨足も強さを増してくる。浅間山などは裾野を見せているに過ぎない。まずい日に来てしまったかなと少々後悔するが、ここまで来た以上すごすごと引き返すわけにもいくまい。道中の教訓で得た突然の雨に対する用意もできている。車内で深川飯弁当を平らげ、覚悟を決めて佐久平駅で下車する。

佐久平の空は変わらず厚い雲に覆われているが、雨足は明らかに弱まっている。9:35発の白樺湖行きバスに乗車すると、20分程度で八幡神社前停留所に到着。天気は傘が要らない程のぱらつく程度に回復し、空も明るみを増しはじめる。日頃の行いが良いせいだろう・・・何て自分勝手な思い込みをしつつ、八幡宿の散策を開始する。まずは八幡神社へ道中の安全祈願に寄る。見事な本瓦葺き屋根・楼造りの随神門をくぐり、社殿を拝観。延徳3年(1491年)建立の旧本殿・高良社が室町時代の遺構として重要文化財に指定されている。

八幡東交差点を過ぎると右手に代々本陣を務めた小松家が現れ、現存する表門の前には「中山道八幡宿本陣跡」の石柱が立っている。八幡宿は江戸日本橋から24番目の宿場で、天保14年(1843年)には人口719人、家数143軒、本陣1、脇本陣4、旅籠3軒。隣の塩名田宿と同規模の、人口も旅籠の数も少ない小さな宿場だったが、脇本陣4軒というのは特筆すべき点である。やはり暴れ川の千曲川が控えていることが要因であろう。

近年、八幡宿の町並みは旧家屋の建替えや取り壊しが進み、変貌してしまったようだ。往時、4軒もあった脇本陣すらどこにあったのかよくわからない。かつて人馬が闊歩した街道は自動車専用の道となり、交通量はそれほど多くはないにしろ、歩行者は道路脇のわずかなスペースを歩くことになる。とはいえ、かつて宿場であったことは、宿内を蛇行する道筋や町の雰囲気でそれとなくわかる。そんな宿場町の中心部を抜けて八幡入口バス停の先から右の小道を進むと、八幡宿西交差点で国道142号に合流し、その町並みは途切れる。
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