深川駅(函館本線・留萌本線) ~かつて深名線の起点駅~
石狩平野の最北部、石狩川が市域中央部を東西に流れ、人口約2万人の都市を形成する深川市。石狩川の恵みを受ける肥沃な大地を持ち、農業を基幹産として水稲とそばを主にして小麦や大豆を生産する。幼少期を旭川で過ごした私にとって深川といえば”ウロコダンゴ”と”桜山レジャーランド”に”音江のおばさん”。ウロコダンゴは知る人ぞ知る深川名物で、母親が大好きな菓子だったのでよく食べた思い出深い和菓子。”桜山レジャーランド”は深川市内にあった遊園地で、当時旭川近辺には旭山動物園と桜山レジャーランドぐらいしか大規模な遊園地がなく、親に連れられて行った記憶が微かに残っている。”音江のおばさん”がいったいどういった関係の人で誰なのか記憶がないのだが、子供の頃によくこの名を聞いた。あれから40年近く経ち、今となってすごく気になる。
深川市内には三浦雄一郎氏が校長に就くクラーク記念国際高等学校(1992年開校)があり、平成26年(2014)に発足した硬式野球部が、平成28年(2016)夏の甲子園で北北海道代表として初出場を果たした。私としては甲子園の北北海道代表といえば旭川の龍谷や旭大高をはじめ、砂川北や滝川西のイメージが強く、わずか創部3年目でこれらの強豪校を退けての甲子園出場は快挙と言える。ここを出身校とするスノーボード選手の竹内智香さんは、2002年のソルトレークシティオリンピックに出場、2014年ソチオリンピック のパラレル大回転の代表となり銀メダルを獲得したことは記憶に新しい。諦めずに挑戦し続ける三浦雄一郎イズムが受け継がれているのだろう。
深川という地名の由来は諸説あるが、一説に市街北側を流れる大鳳川(おおほうがわ)にあるとされる。大鳳川はアイヌ語の「オオホ・ナイ(深い・川)」に由来、これを和訳して村名とし明治の開拓期に深川村が成立したという。明治31年(1898)北海道官設鉄道上川線の空知太駅(現 砂川市空知太)~旭川駅間の開通に伴い深川駅を新設、同43年(1910)留萠線の深川駅~留萠駅間が開通、大正13年(1924)雨龍線(後の深名線)の深川駅~多度志駅間 (14.0km) が開通し、3路線が乗り入れるターミナル駅になった。
昭和35年(1960)駅舎を改築し現駅舎が完成、同49年(1974)みどりの窓口が開設され、この頃に全盛を迎えたといえそうだ。昭和59年(1984)貨物取扱い廃止、同60年(1985)に荷物取扱い廃止、平成7年(1995)深名線が廃止され、深川駅は規模を縮小していく。深川市市勢ハンドブックによれば令和元年度は1日平均1041人の乗客があったが、令和2年度は新型コロナ感染拡大の影響なのだろうか、1日平均696人に急減している。

空中写真データ:国土地理院 地理院地図(電子国土Web)より作成
昭和52年(1977)撮影、深川駅周辺の空中写真。留萌方面の駅西側で留萌本線、駅東(旭川)側で深名線がそれぞれ函館本線から分岐して北へ延びている。

空中写真データ:国土地理院 地理院地図(電子国土Web)より作成
昭和52年(1977)撮影の空中写真から深川駅を拡大。3面のホームに跨道橋や駅舎がある様子は今と変わらないが、駅裏手側に多くの側線があり貨物車両が待機しているようにみえる。

斜陽に映える深川駅。

駅舎改築から60年以上が経つが、外壁を綺麗に補修しており古さは感じない。

昭和57年(1982年)頃に撮影した深川駅。今と同じ駅舎なのだが、当時の方が古びた感じ。

駅舎内改札口。

元旦だけに深川物産館は休業。またウロコダンゴを買いにこよう。

留萌本線は大雪の影響で最終の留萌行を除いてすべて運休。2022年初っ端から幸先が良くないなあ。

発車時刻表。留萌本線は1日7本が発着、函館本線は発車ライラック・カムイ・宗谷・オホーツクの特急列車が発着しており、結構頻繁に列車がやって来る。

きっぷ運賃表。

深川駅の”北の大地の入場券”。冬の留萌本線を走るキハ54形の写真を採用している。

待合室の窓から駅構内を。

深川駅前。

駅前通りの商店街は地方の元旦らしく静かだ。

駅横にある”ホッコンみほろ公園”。

公園内に鎮座する福富神社。

神社参道入口前にあるこの建物は何?入口上に”すきやき道場”の看板を掲げていたが。

丸善三番舘深川店。ここは旭川の銀座通り商店街に本店があって私にとって馴染み深い衣料品店。
訪問日:2022年1月1日(土)
深川市内には三浦雄一郎氏が校長に就くクラーク記念国際高等学校(1992年開校)があり、平成26年(2014)に発足した硬式野球部が、平成28年(2016)夏の甲子園で北北海道代表として初出場を果たした。私としては甲子園の北北海道代表といえば旭川の龍谷や旭大高をはじめ、砂川北や滝川西のイメージが強く、わずか創部3年目でこれらの強豪校を退けての甲子園出場は快挙と言える。ここを出身校とするスノーボード選手の竹内智香さんは、2002年のソルトレークシティオリンピックに出場、2014年ソチオリンピック のパラレル大回転の代表となり銀メダルを獲得したことは記憶に新しい。諦めずに挑戦し続ける三浦雄一郎イズムが受け継がれているのだろう。
深川という地名の由来は諸説あるが、一説に市街北側を流れる大鳳川(おおほうがわ)にあるとされる。大鳳川はアイヌ語の「オオホ・ナイ(深い・川)」に由来、これを和訳して村名とし明治の開拓期に深川村が成立したという。明治31年(1898)北海道官設鉄道上川線の空知太駅(現 砂川市空知太)~旭川駅間の開通に伴い深川駅を新設、同43年(1910)留萠線の深川駅~留萠駅間が開通、大正13年(1924)雨龍線(後の深名線)の深川駅~多度志駅間 (14.0km) が開通し、3路線が乗り入れるターミナル駅になった。
昭和35年(1960)駅舎を改築し現駅舎が完成、同49年(1974)みどりの窓口が開設され、この頃に全盛を迎えたといえそうだ。昭和59年(1984)貨物取扱い廃止、同60年(1985)に荷物取扱い廃止、平成7年(1995)深名線が廃止され、深川駅は規模を縮小していく。深川市市勢ハンドブックによれば令和元年度は1日平均1041人の乗客があったが、令和2年度は新型コロナ感染拡大の影響なのだろうか、1日平均696人に急減している。

空中写真データ:国土地理院 地理院地図(電子国土Web)より作成
昭和52年(1977)撮影、深川駅周辺の空中写真。留萌方面の駅西側で留萌本線、駅東(旭川)側で深名線がそれぞれ函館本線から分岐して北へ延びている。

空中写真データ:国土地理院 地理院地図(電子国土Web)より作成
昭和52年(1977)撮影の空中写真から深川駅を拡大。3面のホームに跨道橋や駅舎がある様子は今と変わらないが、駅裏手側に多くの側線があり貨物車両が待機しているようにみえる。

斜陽に映える深川駅。

駅舎改築から60年以上が経つが、外壁を綺麗に補修しており古さは感じない。

昭和57年(1982年)頃に撮影した深川駅。今と同じ駅舎なのだが、当時の方が古びた感じ。

駅舎内改札口。

元旦だけに深川物産館は休業。またウロコダンゴを買いにこよう。

留萌本線は大雪の影響で最終の留萌行を除いてすべて運休。2022年初っ端から幸先が良くないなあ。

発車時刻表。留萌本線は1日7本が発着、函館本線は発車ライラック・カムイ・宗谷・オホーツクの特急列車が発着しており、結構頻繁に列車がやって来る。

きっぷ運賃表。

深川駅の”北の大地の入場券”。冬の留萌本線を走るキハ54形の写真を採用している。

待合室の窓から駅構内を。

深川駅前。

駅前通りの商店街は地方の元旦らしく静かだ。

駅横にある”ホッコンみほろ公園”。

公園内に鎮座する福富神社。

神社参道入口前にあるこの建物は何?入口上に”すきやき道場”の看板を掲げていたが。

丸善三番舘深川店。ここは旭川の銀座通り商店街に本店があって私にとって馴染み深い衣料品店。
訪問日:2022年1月1日(土)

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